才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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対称性人類学

中沢新一

講談社選書メチエ 2004

 これは「カイエ・ソバージュ」と名付けられた中央大学などでの講義録の最終回にあたっているらしい。5冊目である。カイエ・ソバージュはきっと「とはずがたり」という意味だろう。
 1冊目が『人類最古の哲学』で、『熊から王へ』『愛と経済のロゴス』『神の発明』と連打されて、そして本書というふうに続く。あいかわらず表題編集賞を贈呈したいくらいに、タイトルはフォトジェニックだ。つい読まされる。このシリーズも刊行されるたびにざっと読んできたが、講義録というより、講義記録をおおざっぱな下敷きにして、ですます調で自在に枝葉をのばし、そこにあらためて強い輪郭線を引き直しつつ、それをもういっぺん流れを整えて仕上げたという印象だ。書物というもの、それでいい。
 そもそも中沢新一は、多様な知識を組み合わせた思想の流れをナラティブに仕立てられるという才能の持ち主で、海外にはよくいるけれど、最近の日本には少ない“思想作家”のタイプにあたる。文体にも明晰な特徴があって(「ぼくたち」とか「私たち」と書くクセは気にいらないが)、だから、つねに「読ませる思想」をめざして書いてきた。たんに読ませるというより、ナラティブとして読ませる。これがうまい。
 それを感じたのはいつだったろうか。初期の『チベットのモーツァルト』(1983)やフラクタル思想を議論した『雪片曲線論』(1985)ではなかった。南方熊楠をめぐった『森のバロック』(せりか書房)くらいだったように憶えている。とくに田辺元を西田幾多郎やジャック・ラカンを媒介にしながら徹底してフィーチャーしてみせた『フィロソフィア・ヤポニカ』(2001集英社)では、思想のナラティビティがよく組み立てられていた。

 中沢がぼくの前にあらわれたのは、『遊』1030号(1982)に原稿を寄せたときである。同志社から無料の「遊塾」に来てそのまま工作舎にいついてしまった後藤繁雄が原稿を依頼した(『チベットのモーツァルト』はまだ出ていなかった)。
 チベット密教のニョンパについて書いていた。当時、そんなことを書けるのは中沢だけだった。それまでの多くの密教論は歴史的な理論とマンダラをはじめとする図像の解析には熱心だったが、今日ただいまの現在的な「行」を問題にする者など、一人もいなかったのである。
 その後、友人の奥村靫正が中沢本の装禎を連続して担当し、せりか書房がこれらを支援した。何がきっかけだったのかは知らないが、このあたりで急に“ニューアカ”(ニューアカデミズム)の掛け声が叫ばれて、中沢は浅田彰と並んでメディアの寵児となった。ぼくはそのころの中沢とはまったく交流しなかったのだが、ニューアカ・ブームもあっというまに退嬰したある日、NTTの情報文化フォーラムに呼んだ。これが久々の再会だった。津田一郎の「先行的解釈」論に噛みついていたのを思い出す。
 中沢は中沢で、そのころはぼくの『遊行の博物学』(春秋社)を新聞書評して、たとえば「松岡正剛は男っぽい」というような感想を書いていた。男っぽいというのは“仁義が切れる思想”という意味らしく、ふーん、面白いことを書くなと思っていた。

 そのあとも、シンポジウムなどを含めて何度も中沢とは顔をあわせる機会があったにもかかわらず、いま気がついたのだが、ぼくは中沢とは一度としてゆっくり話したことがなかった。
 だいたい作家というものは自分のナラティブの性質や特徴を話すのがめっぽう苦手なのであるが、作家の資質のある中沢にもそういうところがあって、ぼくがそれを察知して遠慮したかもしれないが、そうではない理由だったのかもしれない。
 ともかくも、そんな事情があって、ぼくは中沢の不実な読者であろうとしてきただけだったのである。

 さて「カイエ・ソバージュ」であるが、ここに採り上げられたナラティブな素材はさすがに眼がゆきとどいていて、レヴィ=ストロース認知考古学も、贈与交換論シンデレラ論も、華厳経バタイユも、マルクス琉球ウタキ論も、いずれもこれほど適確には料理できまいというほど絶妙なプロットの中に、湯がいた白菜やゴボウや大蒜漬けした豚肉のように放りこまれている。
 しかも、このナラティブ思想料理は一気には進まないようになっている。だいいち、これらの素材は「氏」も「育ち」も別々な話題ばかりなのだから、これを安易につなげてもしょうがない。そこでいつものことだが中沢は、いちいち鍋を取り替える。たとえば母型鍋、カーニバル鍋、トーラス鍋、メビウス鍋、スポンティニアス鍋、魔法鍋、相対思想鍋というふうに。
 これは中沢の語りが「場面」をもっているためで、ぼくには好ましい。学術論文の多くはこの「場面の自覚」(トポグフィックな思考プロセスの解明)がたいてい抜け落ちて、1ページ目から役も立ちそうもない論理をいじくるために(つまりトピカが脱落しているために)、その論理が活躍できる場面がまったく見えなくなっていくという度しがたい傾向があるのだが、さすがに中沢はそのようなことを本能的に避けている。
 本書で「対称的思考」とよばれているのは、これらの別々の鍋の中でおこっている個別現象にひそむ本来な動向をつなぐ思考方法のことである。それは放っておけば流動的知性として流出しつづけ、放浪に放浪を重ねるものになるのだが、そこを勇敢にも対称的思考に括りなおしたい。結局、本書が言いたいことはそこなのだ。
 そして、その対称的思考によってくみたてる思想の全貌を「対称性人類学」と名付けたいということだった。

 中沢がめざす人類学の方法が「対称的思考」と名付けられているのは、そもそも人類の神話的思考が二項操作的だったからである
 中沢の解釈によると(多くの人類学者もそのことを言ってきたのだが)、古代人は民族や部族や風土の区別の多少はあるものの、総じてはプラス(ポジ)とマイナス(ネガ)を組み合わせた二値的な論理によって自分を含めた世界を理解しようとした。そこはたいていバイロジカルだった。複論理的だった。
 このバイロジカルな操作が、ときにマイナスを強調して怪物や奇形のイメージを創出し、ときにマイナスからプラスへの移行を強調してさまざまなイニシエーションの物語を生み、ときにプラスがマイナスを吸収しすぎて苦悩するようにもなってきた
 途中、そのようなハイブリッドな混成状態は数々生み出されるだろうものの、しかし大きくみれば、そこには必ずや対称的思考がはたらいているというのが、本書の立場なのである。それは、初期の宗教がこれらのハイブリッドな混迷する物語の結末を模索するようになっていることにもあらわれる。たしかに、神話も宗教も、これらをバイロジカルに扱って事態を先に進めるように編集されてきた
 中沢はこのような見方を、イグナシオ・マッテ・ブランコの『無限集合としての無意識』から示唆された。この研究書にはまさに「複論理の試み」というサブタイトルがついていた。

 しかし、ここまではとくに新しくも珍しくもない(場面付きの語り方は面白いが)。
 そこで中沢はこれらを通して、「抑圧されていない無意識」のはたらきをできるだけ純粋なかたちで取り出したいと考える。むろん、歴史の中に取り出すのではなくて(本書はそれに終始しているが)、この現在の社会に取り出したいというのだ。
 これは新たな倫理の提出にあたる。けれども残念ながら、今日の社会にはびこっている大半の倫理は、キリスト教や仏教の現状などを思い浮かべればわかるように、とんでもなく歪んだものになっている。そのため、まずはその“矯正”に乗り出さなければならず、しかもその矯正の方法を市場社会や欲望社会とも多少は“宥和”させなくてはならない。
 こうして中沢は本書では、いったんレヴィ=ストロース的な「野生の思考」に戻り、そもそもどのように「熊は王になったのか」、そもそもどのように「神が発明されたのか」、そもそもどのように社会は「贈与と交換によって経済をつくったのか」と問うてきて、これらをつなぐ対称的思考の復活を主張するのだった。

 以上のことは、十分に共感をよぶ話であるはずだ。神の発生から説いて、人間社会に取り戻されるべき対称的思考が「純粋な無意識」に出会うことができるなら、これは誰も文句はないはずだ。
 しかも、「カイエ・ソバージュ」全5冊にわたって駆使された思想料理の素材は“とりたての有機野菜”ともいうべきものばかり、料理の手際も申し分ないのだから、これはそうとうにおいしい話であるはずなのだ。
 ところが、このように褒めたうえでこういうことを言うのは証文の出し遅れのようではあるけれど、中沢がこれらのすべてを物語ってもたらそうとする結論は、ぼくとはまったく異なるものなのである。
 いや、調理の途中には異和はない。むしろ二人で併走しているかのような錯覚さえおこる。
 が、結論はまったく逆になる。中沢はどうやら「純粋な無意識」を取り出したいか、それに出会いたいか、それを人々に見せたいようなのだが、ぼくはまったくそんなことを考えない。
 中沢は対称的な意識を対称的な意識の土壌から取り出すことを最大事の「正」の思想的課題においているのだが、ぼくの思想が向かう方向はそっぽを向いていて、むしろ反対称性の面白さや「負」や「奇」のほうに課題を見出している
 この食い違いは、ある種の読者にはたいへんに興味深いものだろうから(中沢ファンにも松岡読者にも)、少し解説してみたい。一見、二人の食い違いを強調するように読めるかもしれないが、かえって中沢のナラティブ思想の特色が浮き彫りになるかもしれないので、粗相なことながら、ちょっと試みてみる。

 中沢の対称的思考は美しい。それはラカン的な鏡像過程をいかした思考を文体におきかえているからで、まさに『フィロソフィア・ヤポニカ』でいうなら西田幾多郎的ではなく田辺元的であり、フェリックス・ガタリ的ではなく、ジュリア・クリステヴァ的である。建築家でいうのならフランク・ロイド・ライトではなくミース・ファンデル・ローエ風だということになるだろう。
 それだけではなく中沢の倫理思想は「正しさ」を求めているところがあって、バリティ(偶奇性)でいうのなら、いわば「偶」を完成するための思想なのである。連歌師にあてはめれば宗祇に近いというところだろうか。
 これに反してぼくはといえば、「正しさ」に関心はなく、「奇」や「負」の本来こそ凝視したいほうなのだ。ライト的であって、西田的であり、連歌師ならば心敬に近いものがある。それだけでなく社会における人間思考の正当性の根拠律などよりも、人間がついつい逸脱してしまう「ほか」や「べつ」が大切だと思っている。中国水墨山水画の価値観でいうのなら、もともと「神品・妙品・能品」が絶賛されていたのだが、これに南の辺角山水が加わってからは「逸品」が自律してきたような動向にこそ、関心がある。
 さらにいうのなら、「正解」よりもデュシャンの「誤植」のほうが好きなのだ。

 中沢とぼくがさまざまな世界素材を解読しながら次々に動かしていく編集的プロセスには、おそらくそんなに違いはないだろうと思われる。
 素材の卵は同じ卵だし、油もほぼ同種の油、それでつくるオムレツはやはりオムレツなのだ。きっとフライパンも火加減もあまり変わらない。それなのに、中沢のオムレツは対称的でバイロジカルで、ぼくのオムレツは反対称でオブリックなのである。
 中沢のオムレツには「あて」があり、ぼくのオムレツには「あて」がない。中沢のオムレツはひょっとして万人に向けているのかもしれないが、ぼくは「あてどもない」ところで食べてもらうだけの、いわば少数者のための数寄オムレツなのだ。
 いったいどうしてこれだけの方向の逆転がおこるのか。いずれ中沢自身による“解説”も加えてもらったほうが公平ではあるが、とりあえず想像するには、おそらく次の3つほどの要因があるのではないかとおもわれる。

 第1には、対称性をどう見るかという見方についてのことだ。中沢のいう対称性は非常に大きくて、反対称性もそのぶん大きくなっている。すなわち「世界」や「全体」に対する解釈にどのような対称性があらわれるかが、中沢の関心になっている。つまりそこではエリアーデやハルヴァや、またダライ・ラマのように、つねにアクシス・ムンディ(世界軸)の平衡を問うようになっている。
 それゆえ中沢はマイナスの世界を表示する非対称や反対称にも深い理解を示していて、神話や初期宗教ではその非対称や反対称にも存分な世界観が与えられていたと見る。流動的知性とは、そのことだ(ぼくはこれを『ルナティックス』で採り上げて、試みに「月の知」というふうにもよんでいた)。
 しかし近代社会以降になると、そのような知の大半が暴力や犯罪や貧困のほうに引っ張られてしまい、そのぶん、対称力をもっている社会のほうも近代国家として一挙に肥大し、とどのつまりは今日のアメリカのような絶対的な優位軸をつくりあげていった。これでは対称軸が狂ったことになる。
 そこで、この歪みの是正には「本来の対称軸の回復」が必要になる。熊が王になり、シンデレラが片方の靴を捜す必要がある。そう、考えた。

 もし対称的思考が社会や人間の根源的なバランスをたもてる唯一の方法だと見るのなら、これらの見方は当たっている。おそらくデモクラティックな考え方もこういう見方をとるだろう。
 けれども、ぼくが見る対称性は、たえず動くものなのだ。それは最初こそアクシス・ムンディに対応するものであってもいいけれど、やがては第564夜の丸山真男の項目や第899夜のカイヨワの項目でも書いておいたように、対称の発生はしだいに反対称の動向に向かっていく。そして、かつての「ある」を、次の「なる」に変えていく。しかも、そのように「なる」になったところでは、もはや当初の対称性の「ある」の時点や原点は振り返らない。
 もうちょっと詳しくいえば、二値的な当初の対称性よりも、その後に派生した多複合的なアシンメトリーの割れ目の模様のほうに可能性を見たい。これがぼくの採っている対称感覚なのである。
 わかりやすくいうのなら、ぼくが興味を寄せている対称性は世界大のものではなくて、生物でいうのなら種や科の規模であり、社会文化でいうのなら、建築や演劇のひとつひとつであり、文学作品や一曲の音楽やその演奏法や茶碗であって、また量子力学流体力学が周辺に向かっていく規模なのだ。
 なぜ、そんなことが好きかというと、ぼくはどんなことでも、大から小に、国家からクラブに、家から棚に、構造から装飾に、ピアノからピアノ演奏に向かっていくことが好きなのである。つまりは「全体としての病気」にも、まして「全体としての健全」にも、まったく関心がない。ただひたすら「次第」にのみ心が動かされているわけなのである。

 第2には、中沢も歪みや非対称の発生には十分に気がついているのだが、それらを補修可能なものと見ているということがある。
 これは神話作用というものがもともとブリコラージュ(修繕)をその基本的な力にしているのだから、そう見たってかまわない。今日なお宗教はそうした神話の補修復活を願っている。けれども、そのような可能性が現実的な社会のどこにあるかというと、第772夜の『ホモ・ルーデンス』や第838夜のシャルル・フーリエのところに書いたように、社会の全般におこるなどとは考えにくい。むしろ逸脱するか遊民になるか、蔑まれる人々として生きるか、あるいは半分くらいは閉じたようなコモンズにその可能性がやっと萌芽するくらいなのである。
 これは実は、宗教史でもそのようになっていたはずで、たとえば原始キリスト教期のクムラン宗団などは(第174夜)、非対称そのものの溜まり場であったはずなのだ。
 こういう事情からすると、対称性の破れについては補修するという健全な方法もあるけれど、ぼくとしては、むしろこういうときは「べつ」や「ほか」の対称性に向かってしまうか、雪舟の後期水墨画のようにアンスタビリティを求めて進んでしまうほうが面白いと思えてしまうのだ。
 もうひとつは、いっさいの攻撃や進攻や圧力には、それを諌めたり墨子のように向かうという方法があるのだが(第817夜)、これは「負」というまったくあらたな方法の話になっていくので、ここでは省きたい。
 いずれにしても、ぼくの思考はたいそう危ういわけで、世の中のデモクラシーのためなんぞにはならないようにしたいのだ。

 第3には、世界にとって「無意識」はそんなに重要なのかどうかということがある
 これはまことにやっかいな問題で、おそらくこういうことを語るのはぼくより中沢のほうがずっとふさわしいのであるが、ぼくはいろいろ考えたすえ、無意識を純度高く想定するのには無理があると結論づけたのだ。
 ということは、精神病理についても同じことで、あれは人間の精神に「純正レベル」というものを措定するから、そこからはみ出たものや分裂したものを病理と扱うのであるけれど、そもそも意識や無意識の関係を複合的な関係に見るのなら、医師と宗教家を含めて、早々にその複合関係の中に入ったままに事態や問題を顧みるべきではないかと思うのだ。
 さらにいうのなら、意識や無意識について、医師と宗教家が社会の高みに立とうするのは、それこそが20世紀がついに撤廃できなかった社会病理ではなかったのかとも見えるのだ。
 信仰は、あっていい。その信仰が無意識を求めたり、信仰が到達しているところが無意識の界域(仏教で言う法界)であると思うのも、むろんあって、いい。けれどもそれを、心理学のような科学や精神病理学のような学問が跡付けるのには、ちょっと無理がある。ぼくにはそう思える。

 これでは何も“解説”したことにはならないかもしれないが、ざっとはこういう事情の相違がかかわっているのではないかと思われる。「世界と無意識」を信頼する中沢に対して、ぼくはのっけから逸脱して「横丁と思い出」を信頼しているということでもあったろう。
 中沢自身は本書の最後で、こう書いていた。少し長くなるけれど引用しておこう。

 神話的思考からはじまった『カイエ・ソバージュ』の探求をとおして、あらゆる思考を生み出す「マトリックス」というものが、私たちの前に浮上してくることになりました。それは姿形のあるものではなく、ひとつの物質的な機構ですらないのですが、私たちの持つ思考する能力を支えている「見えない大地」のような働きをしているものとして、私たちが生み出そうとしてきた対称性人類学の基礎にすえられたのでした。
 そのマトリックスは、認知考古学がホモサピエンスの「心」の基体として見出そうとしている「流動的知性」の働きとまったく同じつくりをしているものですが、同時にフロイトの探求以来精神分析学が「無意識」と名づけて深い研究をおこなってきたものと、多くの点で共通した作動を見せるのです。その作動の特徴を「対称性」としてとらえることができます。
 そうすると、神話的思考というものを、他の科学的思考などと隔てている最大の特徴である「分類上ちがうものの間に深い共通性のあることを見出す能力」こそ、この対称性にしたがって作動する論理、すなわち対称性論理にほかならないことが、はっきりととらえられるようになりました。

 一言、註釈をしておくと、この文章で、「分類上ちがうものの間に深い共通性のあることを見出す能力」という箇所は、まったくぼくが考えていることと同じである。ぼくはそれを「編集能力」と言ってきた。
 けれども、この能力が、さて無意識をあらわしていたり、無意識との逢着をめざしているかというと、ぼくのほうが自信をなくしてしまうのだ。おそらくは、ぼくのような思考方法は「いつか」のための、「どこか」のための、少数のための方法なのである。

 追記。中沢新一は世界の「変容」にも、自身の視軸の「変容」にも鋭い機転をもっている人物だ。そのことは9・11をめぐった『緑の資本論』(集英社)でもよく伝わってきた。今後も問題作や話題作を次々に提供してくれることは、まちがいがない。
 それゆえ望むらくは、そこに本格的な物語制作が介入してくることである。思想の時代は、つまらない。中沢の小説や戯曲の作品をこそ、見てみたい、読んでみたい、奨めてみたい。