才事記

モデラート・カンタービレ

マルグリット・デュラス

河出文庫 1970・1985

Marguerite Duras
Moderato Cantabile 1958
編集:酒井健次郎
装幀:渋川育由

               
               
               
               
               
               
               
               

 サイゴンに生まれた。

               
               
               
               
               
               
               
               
               
               

(絶筆)

執筆開始時期:2020年6月ごろ

■補足解説

 今回の絶筆篇は、たったの一行です。ある程度の文量が書かれたテキストはまだフロッピーのなかに数多く収められていますが、たった数行のものや今回のように一行しかないものはその倍以上残されています。
 松岡は「千夜千冊」を執筆する際に、数十冊を並行して読みながら、書くための「切り口」となるようなメモをテキストデータに仕込んでおき、機が熟したときに一気呵成に書き下ろすという手法をとっていました。生涯にわたって膨大な文章を書いてきた松岡からすれば、書く対象について「これだ」という切り口さえ見つけられれば、そのむこう側に広がる文章の光景がおおかた見えたのでしょう。トリガーとなりそうな言葉や出来事をピンナップしておくことが、松岡の隠された文章術の一つでした。
 「サイゴンに生まれた」という一行から、松岡はフランス人作家マリグリット・デュラスの波乱にみちた半生について、千夜千冊で綴ろうとしたのではないかと考えられます。

 デュラスは、20世紀のはじめごろ、仏領時代の南ベトナムで生まれ、小学校教師である両親に育てられました。2人の兄とともにデュラスはおだやかな少女時代を過ごしていましたが、4歳のときに父が死んだことで一家は困窮します。

「わたしは12歳でした。あまりの貧しさのため、母はヴェトナム人そっくりになってしまった。白人というよりヴェトナム人に近かった。わたしたち一家は白人からお客に招かれたことなんかない。社会階層の最下層に属していたのだから。母に対してなされたこの異常で極端な不正は、わたしの心にもっとも深い傷をあたえた経験です。母がみんなから軽蔑され、債権者に追いまわされ、持ちものをとことん売り払わねばならない破目に立ち至っているのを目のあたりにするのですから。」(デュラスへのインタビュー)

 窮乏に追い込まれ、植民地先で現地人から、そして同じフランス人からも差別されることで、デュラス一家は愛情と憎悪と殺意が渦巻く関係に陥っていきます。
 女性差別的な思想をもった長男ポールによる虐待と、それを見てみぬふりをする母に絶望したデュラスは、15歳のとき、サイゴンにやってくる裕福な華僑に身を売るようになっていきます。そのときの過酷な状況を、性愛体験として綴った自伝的小説が代表作『愛人/ラマン』です。本書はフランスで一大センセーションをおこすベストセラーとなり、のちに監督ジャン=ジャック・アノーによって1992年に映画化もされました。

 千夜千冊でとりあげようとした『モデラート・カンタービレ』もまた、社会で抑圧された女性が精神的な脱出を試みようとする物語です。
 主人公である人妻アンナは、溶鉱所の社長である夫と幼い子とともに裕福な家庭を築いていましたが、ブルジョワジー社会の硬直化した日々に息苦しさを募らせていました。アンナにとって窮屈な生活から逃れられる唯一の息抜きが、子どものピアノ・レッスンへの付き添いでした。タイトルにもなっている「モデラート・カンタービレ」は「中ぐらいの速さで、歌うように」を意味する音楽用語です。作品の冒頭は、ピアノ教師がアンナの子どもに「モデラート・カンタービレ」を指導するシーンではじまります。
 レッスン中に、すぐそばのカフェで事件がおこります。ある男が恋人を殺害したのです。異様な現場を目撃したアンナは、偶然知り合ったショーバンという男性と事件の推理を交わしていくうちに、徐々に不倫関係にのめり込んでいきます。物語は、アンナが被害者である女性の心情を想像し、自分の状況を重ねることで、しだいに抑圧された欲望を開放していくという展開になっています。

 本書も巨匠ピーター・ブルックによって1960年に映画化されています(邦題:雨のしのび逢い)。アンナとショーバンを演じたのは、フランスの名優ジャンヌ・モローとジャン=ポール・ベルモンドです。
 松岡正剛事務所では、毎夜松岡とスタッフが食卓を囲み、映画の話を盛んに交わしていました。とくにジャンヌ・モローは松岡にとっての憧れの女優で、何度も口の端にのぼっていました。デュラスとモローは親交が深かったことでも知られていて、その2人の関係についても松岡は書きたかったのだろうと思います。ちなみに映画『愛人/ラマン』で、デュラス役として語り手をつとめたのもモローでした。

(補足解説・寺平賢司/松岡正剛事務所)

■関連する千夜千冊
649夜 ヘンリー・ミラー『北回帰線』
ミラーが放浪のパリ時代に味わった性体験を野放図に綴った問題作。突発的な哲学的言辞や、ときおり見せる東洋神秘主義が脈絡のなく放出される。松岡の青春時代の性愛体験も綴られている。

1281夜 アベ・プレヴォー『マノン・レスコー』
フランス文学の女性像を一変させた娼婦小説。マノン・レスコーは修道女でありながら、絶世の美貌をもってして青年を肉体的快楽へと溺れさせる。マノンは「虚飾をまとった犯罪的なマリア」なのである。

321夜 乙一『夏と花火と私の死体』
死んだ「わたし」と兄妹の物語。作者である乙一をいくつかの場面を素材にして、それらをその場面にひそむ言葉をもってつなげていける作話術の才能があると評し、美学や思想をもちだせばデュラスのような作品もつくれるのではないかと書いている。

⊕『モデラート・カンタービレ』⊕
∈ 著者:マリグリット・デュラス
∈ 編集:酒井健次郎
∈ 装幀:渋川育由
∈ 発行者:若森繁男
∈ 発行:1985年

⊕ 著者略歴 ⊕
マリグリット・デュラス(Marguerite Duras)
1914年、仏領インドシナに生まれる。31年にフランスに帰国。42年ごろから執筆活動を開始し、50年、『太平洋の防波堤』で作家の地位を確立後、30冊異常の作品を発表し、映画監督としても活躍。84年夏に『愛人』がベストセラーになりゴンクール賞を受賞、話題をまいた。