才事記

暗黒の啓蒙書

ニック・ランド

講談社 2020

Nick Land
The Dark Enlightenment
[訳]五井健太郎 序文:木澤佐登志
装幀:コバヤシタケシ カバー作品:中上清

               
  
 この本は危なかっしい。なにしろ『暗黒の啓蒙書』なのである。啓蒙は原語はエンライトメント(Enlightenment)だから光や黎明をもらすことを言うのだが、この本は暗黒、すなわちダークサイドを啓蒙しようというのだから、危なかっしい。だから危険なものが苦手な諸君は読まないほうがいい。かなり由々しいアポカリプスに挑んでいる。
 それにこの本の著者は疾走しまくるのが好きで、やたらに文脈を飛ばしているので、ふつうに読んだのではわかりにくい。わかりにくいだけでなく、文中で異様な仮説がチカチカと挿入されるので、毒がまわってくる。つまり説明をちゃんとしていないのに、異様な仮説が断片的に飛んでくるので、そこが毒の服用や注射になりかねない。危険なのである。
 だから以下もそれを承知で読んでいただきたい。ヤバイと思って

(絶筆)

執筆開始時期:2021年11月

■補足解説

 2021年のある夏の夜、松岡が書斎で真っ黒な本をもちながら「なんかヤバいのでてきた。かなり変わっているよ」と語っていました。それが本書『暗黒の啓蒙書』です。本書以外の関連書もどれも真っ黒な装丁だったので印象深くのこっています。当時は神秘主義に関する書籍を「千夜千冊」で連打していた時期で、松岡の書斎に集まっていた本の中にはかなり怪しげな本もあったのですが、それでもニック・ランドの毒っ気がよほど強かったのでしょう。本文の最後に「ヤバいと思って」だけ書き残しているあたり、松岡の読んだときのナマな実感が伝わってきます。

 本書はランドが2012〜2013年にかけてブログで発表した論考「暗黒の啓蒙(The Dark Enlightenment)」が元になっています。「暗黒啓蒙」は近代の啓蒙主義が広めた民主政治・平等思想を真っ向から批判し、資本と技術の暴走を推し進めることで新たな秩序形成を目指そうとする思想です。ランドがそれまで展開してきた「加速主義」をより過激化したものであり、エリート主導による統治やポストヒューマン未来像も示唆するなど、かいつまんだ内容だけでも松岡の言う「この本は危なかっしい」の意味がわかるようです。
 ランドの論考は、異様な仮説と熱を帯びた文体とがあいまって、ネット論壇で話題を呼び一気に拡散されます。その後「新反動主義」と呼ばれる過激な政治構想と接続し、「オルタナ右翼」にも影響を与えていくなど、毒が身体を蝕んでいくように世界に浸透していきました。
 そのいきさつなどは木澤佐登志さんの『ニック・ランドの新反動主義』(星海社新書)に書かれています。この本は松岡が熟読していたようで大半のページにマーキングがのこされていました。(増補版が今年の11月19日に刊行予定)。

 松岡は「加速主義」については「千夜千冊」で言及することが少なかったのですが、千夜の横で連載していた「セイゴオほんほん」で次のように触れていました。

 勢いをもちはじめたのは「加速主義」(acceleration)である。今日の資本主義をもっとラディカルに拡張加速するべきだという思潮だ。
これらがはたしてドゥルーズ=ガタリのアンチ・オイディプスの追想なのか、自殺したマーク・フィッシャーの鎮魂なのか、シンギュラリティ仮説のヴァージョンにすぎないのか、まだ見えてはきていない。ぼくは、フレデリック・ジェイムソンの『未来の考古学』(作品社)などが示したSFのディストピア観をもう少し議論したほうがいいと思っているのだが、さあ、どうだか。

「EU離脱・反資本主義・加速主義」
「ほんほん」20 2019年7月16日
より

 ここにあげられたフレデリック・ジェイムソンの『未来の考古学』は松岡が「絶対に持っておいたほうがいい」と何人かのスタッフに強く薦めていた本です(ただし絶版中)。
 ジェイムソンは「未来は想像不可能である」ことをしっかり認識した上で、むしろ別の社会を望もうとする人々の想像力(=ユートピア的衝動)に目を向けるべきだと訴えています。大きな切り口で議論しがちな加速主義の言説に対し、テクストの断片から人々の想像力を引き出そうとするジェイムソンの思想に、松岡は共感したのかもしれません。
 ちなみにジェイムソンは「資本主義の終わりを想像することよりも、世界の終わりを想像することのほうがたやすい」というフレーズでも知られ、批評家マーク・フィッシャーが『資本主義リアリズム』に引用したことで広く流布されました。フィッシャーは、ランドがかつて設立したCCRU(Cybernetic Culture Research Unit)の元メンバーですが、団体を離れた後はジェイムソンと近い思想を共有し、新たなコミュニズムのありかたを模索していたようです。松岡は「ニック・ランドよりマーク・フィッシャーのほうが格好いい」とつぶやいていたものです。

 なお「加速主義」に関する記述は角川武蔵野ミュージアム公式HPの連載エッセイ「館長通信」にも残されています。
 汎用人工知能(AGI)がいつか人間を越えるのではないかという問題に対する改良派と促進派の議論を紹介しながら、そこからこぼれ落ちる「意味」の多様性についてこんなふうに触れています。

 「ふつう」と「ふつう以上」という価値観をつくりあげた文明にヒビが入りつつあるのだろうか。私の編集工学的な観点からすると、「ふつう」と「ふつう以上」以外の、「芭蕉っぽい」とか「ちょっと変わってる」とか「たくさんの意味がまざっている」といった価値観が世の中から排除されつつあることが、むしろ問題だと思われる。文章やアートは「意味」の多様性を許すものなのだ。
館長通信No.77 「神と仏と人工知能」2024/03/01より

(補足解説・寺平賢司/松岡正剛事務所)

■関連する千夜千冊
1391夜 アレックス・カリニコス『アンチ資本主義宣言』
ポストモダン思想が怪しかった。このことへのラディカルな批判を抜きに、新自由主義もグローバリズムも批判はできまい。これがカリニコスの古典マルクス主義者としての資本主義批判の立場だった。

1277夜 森政稔『変貌する民主主義』
民主主義がかなり変質している。自由主義もおかしくなっている。むしろ資本主義と民主主義と自由主義とが互いに境界を失って溶け出しているというべきなのだ。

230夜 マーク・デリー『エスケープ・ヴェロシティ』
マシンとネットワークの間を好む住人たちは、いったいどういうヴェロシティ(velocity)が好きな部族なのか。どんな速度に酔いたいのか。

■セイゴオ・マーキング

⊕『暗黒の啓蒙書』⊕
∈ 著者:ニック・ランド
∈ 訳者:五井健太郎
∈ 序文:木澤佐登志
∈ 装幀:コバヤシタケシ
∈ カバー作品:中上清
∈ 刊行年:2020年
∈ 出版社:講談社

⊕ 目次情報 ⊕

『暗黒の啓蒙書』

∈ 序文 『暗黒の啓蒙書』への「入口」 木澤佐登志
∈ Part 1 新反動主義者は出口(イグジット)へと向かう
∈ Part 2 歴史の描く弧は長い、だがそれはかならず、ゾンビ・アポカリプスへと向かっていく
∈ Part 3 
∈ Part 4 ふたたび破滅へと向かっていく白色人種
∈ Part 4a 人種にかんする恐怖をめぐるいくつかの副次的脱線
∈ Part 4b 厄介な者たちの発言
∈ Part 4c 〈クラッカー・ファクトリー〉
∈ Part 4d 奇妙な結婚
∈ Part 4e 暗号に横断された歴史
∈ Part 4f 生物工学的な地平へのアプローチ
∈ 訳者解説 なにから離脱するべきか 五井健太郎

⊕ 著者略歴 ⊕
ニック・ランド(Nick Land)
1962年、イギリス生まれ。初期にはバタイユを専攻。ドゥルーズ+ガタリの研究を経て、90年代中頃にはウォーリック大学の講師として「サイバネティック文化研究ユニット(Cybernetic Culture Research Unit: CCRU)」を設立。大陸哲学に留まらず、SF、オカルティズム、クラブカルチャーなどの横断的な研究に従事する。「暗黒啓蒙(Dark Enlightenment)」なるプロジェクトを通して、「新反動主義」に理論的フレームを提供し、のちの「思弁的転回」や「加速主義」、「オルタナ右翼」に思想的インスピレーションを与えた。著書に"The Thirst for Annihilation: Georges Bataille and Virulent Nihilism", "Fanged Noumena: Collected Writings 1987-2007"など。