才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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神秘主義

アンリ・セルーヤ

白水社(文庫クセジュ) 1975

Henri Sérouya
le Mysticisme 1956
[訳]深谷哲
編集:鶴ケ谷真・平井良成
装幀:田渕裕一

神秘主義のことやその変遷をリクツで語る前に、多くの者に広く実感されているだろうことをズバリ言っておく。それはみんながみんな神秘的な出来事やオカルトっぽいことがかなり好きだということだ。表向きはいろいろ話をはぐらかしてはいても、内心ではみんなオカルト好きなのだ。だいたいからしてSFもファンタジーも映画もマンガもアニメも大半の大衆メディアも、その手の神秘大安売り、オカルト変化(へんげ)のオンパレードなのだ。みんな「不思議、大好き」で、誰もが大なり小なりの神秘主義者なのである。

 胸が痛い。息切れもする。左肺上葉の腺癌を取った。ゴールデンウィーク直前の午後一番の手術で、緊急事態宣言が再発令された日だ。ぼくはスタッフたちに送られて「島流しに行ってくるね」と笑った。
 築地のがんセンターは翌日から外来全面休診になり、それが1週間続いた。すでに1年以上前からコロナ対策で面会者は病棟には入ってこられない。そのため入院患者すべてが島流しのように家族や知人から隔離されている。最近両親を亡くした編集工学研究所の安藤昭子や佐々木千佳も親の死に目に立ち会えなかった。高齢のまま一人ぼっちで死んでいったのだ。
 医療現場のせいでも、病院経営のせいでもない。保険政策のあおりだ。むろん感染症対策の拡張のせいでもある。何であれ、いまや日本中の大病院は過密な21世紀の中の「凹んだ伽藍」のようになったようだ。

「現在、ご面会をお断りしております。」
コロナの感染予防のため、病室へは家族であっても入室禁止。入院当日エレベーター前で別れを告げ、一人荷物をもって病室にむかう。

入院中にすごした病室
手術の数日前から入院し、食事制限などで血糖コントロールをして備える。写真はiPadで松岡自ら撮影した。

左手首にID、右腕に手術時からの点滴

手術日前日、iPhoneごしでスタッフがエールを送る

脇腹の痛みを抱えながら、原稿に赤入れ
手術から2日後、千夜千冊「ミシェル・セール」のプリント原稿を手渡すだけのつもりが、待合室で赤入れ。仕事復帰を見据えて、身体のコンディションを確かめるように長い時間をかけて加筆修正していった。

 肺癌に二度もかかるとはさすがにがっかりした。さいわい転移はなく、異時性多発腺癌というものらしく、CTやPETで見つかればそのつど潰していくしかないようなのである。ただ、ぼくの場合は次に悪性腫瘍が見つかったときは、肺気腫(COPD)の状態からして「もう手術はできないでしょう」と言われた。左右の肺とも、半世紀にわたるタバコとのスキンシップでぼろぼろになっている。1日に3箱だった。
 多くの知り合いから快気や平癒のためのメッセージや祈祷のお札をいただいた。おかげでいまは回復に向けてリハビリ中で、3種類の痛み止めを服用し、ハーハーしながら酸素を補う日々をおくっている。「簡易の酸素ボンベを家と仕事場において使ってください」と言われたときは、「末路」という2文字がちらついてこれはヤバイと思ったが、「ま、最初のうちだけですから」と言われて、ともかく従っている。指先を挟んで酸素飽和度を測るパルスオキシメーターを離せない。
 衰えた人体というもの、意図や意識の望むことはほとんど聞いてはくれないということが、あらためてよくわかった。

オフィスの書斎でリハビリ中
数日間の自宅療養のあと、すぐに職場復帰。体調は徐々に回復しているが、血中酸素が平均より低いため、病院から当分のあいだ酸素ボンベによる呼吸器の装着をすすめられる。

パルスオキシメーターで血中酸素を測量
血液中の酸素濃度の正常値は99〜96%とされている。写真のメーターでは92%。呼吸器を使わないと80%台になることもしばしば。

 さて、入院中に神秘主義の歴史と現在のことを久々に考えた。入院したら、そうしようと思っていたのだ。なぜ神秘主義のことなど考えてみようと思ったかというと、ずっとほったらかしにしていたからだ。
 千夜千冊のノートにも、ヘルメス学、グノーシス、カバラ、陰陽道、スウェデンボルク、ヤコブ・ベーメ、イギリス心霊主義、山崎闇斎、平田神道、イエーツ、ルネ・ゲノン、アレスター・クロウリーなどの本がピックアップされたまま、メモをためた状態になっている(埃をかぶっている)。
 千夜千冊はしないけれど、内村鑑三(250夜)の日本的神秘観、大拙(887夜)の霊性思想、三島(1022夜)の『豊饒の海』にひそむ唯識的神秘主義についての解釈の歪みについて、そしてファンタジー文学やSFやアニメがなぜ安易なほどに多彩な「神秘」を出入りさせてきたのかということなども、いろいろ思索してきた。
 このところ軽薄なスピリチュアリズムがやたらにブームになっているのも気になっていた。スピリチュアリズム(心霊主義)そのものは新科学の模索とともに近世ヨーロッパを席巻したもので、コナン・ドイルやウィリアム・クルックスまで巻き込まれたほどの本格的ブームだったけれど、最近のスピリチュアリズムは宗教にも科学にも交差していない。ウェルビーイングな行動心理学の効果か、そのおこぼれのようなのだ。だからジョブズとともに禅にも結び付いてきた。といってマインドフルネスとしての禅を説いたティク・ナット・ハン(275夜)が読まれているわけでもないのである。

三重の知恵のヘルメス
図の人物は錬金術師の祖とされるヘルメス・トリスメギストス。ヘルメス神とトート神、そしてエジプト人の錬金術師ヘルメスの三体が融合した伝説的な存在。ヘルメス思想とは、ヘルメス・トリスメギストスにあやかり、世界の神秘を味わい尽くすことを指す。

霊界を見てきた神秘家
ヨーロッパ有数の科学者でもあったスウェデンボルク(左)は、57歳の時より霊的体験が始まり、神秘主義に関する多くの著作を残した。バルザックや鈴木大拙に影響をあたえる。右の図はスウェーデンボルグが見たとされる霊界の風景。

正反対の価値観をもつ2人
シャーロック・ホームズの生みの親である作家コナン・ドイル(右)は第一次世界大戦で身内を11人失ったことにより、晩年、神秘主義への傾斜を強めた。写真は伝説の奇術師、ハリー・フーディーニ(左)とのツーショット。フーディーニは超能力や心霊術のいかさまを暴くサイキックハンターとしても名を知られ、ドイルの妻の降霊術のトリックを見破り、ドイルを「知性は高いが、騙されやすい人物」と評した。真逆のポリシーを持つ2人だが、互いに好敵手と認め合い親交を結んでいた。2人の関係をモチーフにした海外ミステリードラマも制作されている。

心霊現象の探求へ向かった科学者
陰極線やタリウムの発見で名を残すウィリアム・クルックスは、培った科学的な知見をもとに、30代から心霊現象の研究を始め、「心霊現象研究協会」(英)の創設メンバーにも加わった。のちに米国支部ができ、マーク・トゥエインやルイス・キャロルら多くの著名人に支持された。図はクルックスが行った物質化現象の実験で、燐光ランプで霊媒師により召喚された心霊を照らし出そうとしているところ。当時は心霊がパラフィンに手形を残すかどうかで真偽の判定がなされることも多かった。

世界へ広がる禅
左:断捨離された一室で、座禅スタイルでくつろぐ若きスティーブ・ジョブズ。
右:ベトナム出身の禅僧でマインドフルネスと仏教の普及活動を行っているティク・ナット・ハン。写真はGoogleで講演を行ったときのもの。

 まあ、そういうことが少しは捌けるかなと思い、自分の体が傷ついているときなら少しは考える気になるかと予定してみたのだが、4月25日に入院以来、思いのほか痛みが強く、集中力を欠いた。
 結局やってみたのは病床で音楽を聴くことばかり。iPadからセファルディ伝承歌やアンダルシア伝承歌を聴いたり、ラウダリオ・ディ・コルトナの名曲を引っ張り出したり、ソルフェジオ・トーンズのサティを流したりした。
 ちなみにぼくが最初に入院したのは厄年42歳前後の胆嚢炎のときで(胆摘手術)、このときは救急車で運ばれて近くの都立広尾病院に入ったのだが、ルネサンス音楽とマーラーばかり聴いていた。今回はトルコ系のスーフィの音楽が身に沁みた。ずいぶん前に土取利行さんから楽器ごと、トルコやパキスタンのバジャンやカツワーリのことを教えてもらったものだ。
 そんなことをしながら、かねてから感じていたこと、神秘主義の根元は思想史や文学史の変遷にくらべてずっと巨きく、ずっと尖っているが、思想や文学はいったい神秘主義の何を殺ぐことによって育っていったのかということを、痛み止め3種の鎮痛剤でボーッとしながら右見左見していた。

アンダルシア伝承歌の神秘性の起源
ペルシャの解放奴隷だったジルヤーブがアラビアの撥弦楽器「ウード」をアンダルシア音楽に持ち込んだ。ジルヤーブは即興性や装飾性を発展させた、神秘主義的な要素を多く含む音楽を生み出し、楽器の奏でる音が、人間の生理現象と宇宙的要素に背景をもつと信じた。

コルトナで見つかったラウダリオ・ディ・コルトナの写本
13世紀の後半にフランシスコ会の影響のもとに成立した民衆宗教歌曲。本図はイタリア、コルトナの修道院の図書館で発見された13世紀の写本で、讃美歌や礼拝のための言語を用いた歌を含む。同時代のグレゴリオ聖歌などと同様、四角の音符ネウマを用いて書かれた。

理屈を超えた神の音楽・ソルフェジオ・トーンズ
現代音楽とは違った音階を持った古代の音階「ソルフェジオ周波数」は聖書の章や節の番号も反映したやり方で決定され、物質と意識に働きかける効果があるとされる。惑星の公転を基に計算された「周波数」という単位を用いるなど、科学的には根拠を見出せないが、神秘主義者の間でヒーリングに用いられることも多い。

各地の宗教賛歌
左:8世紀以降神への絶対的帰依を説くバクティ運動により、賛歌バジャンとヒンドゥー教は結びつきを強めた。右:スーフィズムにおける儀礼音楽であるカツワーリの世界的な歌い手である、パキスタン出身のヌスラット・ファテー・アリ・ハーン。日本にも複数回公演に訪れた。

 神秘主義が本格的な宗教思想とは別のものになり、「まがいもの」や「あぶなっかしいもの」になってしまった理由、あるいはそのように扱われるようになったことについては、これまでまともに考えられてこなかったように思う。
 大半の宗教はミスティシズムやオカルティズムの席に着いているはずなのに、世の中ではそうは受け取らなかったのだ。なぜ神秘主義思想は腫れもののように扱われてきたのか。そのことをどう説明したらいいのか。このことは思想史ではさまざま難癖をつけて棚上げされてきたのである。
 キリスト教と仏教をまたいだ鈴木大拙(887夜)の『神秘主義』(岩波文庫)、ゲルショム・ショーレムの話題の『ユダヤ神秘主義』(法政大学出版)、井筒俊彦の『神秘哲学』(岩波文庫)などを読んだころは、これは歳をとったらこのへんに浸ってみたいと思わせたのだが、その後に摘(つま)んだ近現代の結社型神秘思想の多くがかなり貧しくて、読んでいて挫折した。
 ニューエイジ・サイエンスがアメリカ型の神秘主義ムーブメントと重なっていったのも、深みを欠く原因だった。ポストモダン派は神秘思想を一顧だにしなかったのである。
 しかし、こうした流れは、ぼくの拙い読書体験を含めて、何か大きな視点を回復できないままになっているようにも思えた。神秘思想史はいつか「小枝とフォーマット」をつくりなおすべきなのである。

 というわけで、今夜の千夜千冊は以上のような難問に少しずつ入っていくために、まずはごくごく基礎的な神秘主義の特徴をスケッチするだけにした。そのため少々迷ったあげく、アンリ・セルーヤの『神秘主義』を選んだ。
 文庫クセジュの旧版を改訳したもので、基本的な解説書になっている。著者がこれを書いたときはフランス国立中央科学研究所の所員だった。マイモニデスやスピノザ(842夜)の専門家だったようだ。
 セルーヤをタネ本にしつつ、最近引くことがなかったローレンス・サリヴァンの『エリアーデ・オカルト事典』(法蔵館)、キリスト教神秘主義に詳しいペーター・ディンツェルバッハーの『神秘主義事典』(教文館)、ジェフリー・パリンターの『神秘主義』(講談社学術文庫)、たいへん熱いフリッツ・スタールの『神秘主義の探求』(法政大学出版局)、洋の東西にまたがった鶴岡賀雄・深澤英隆編集の『スピリチュアリティの宗教史』上下(リトン)なども参考にした。

松岡が触れてきた神秘主義関連書の数々
左上から、三島由紀夫『豊穣の海』、鈴木大拙『神秘主義』(岩波文庫)、ゲルショム・ショーレム『ユダヤ神秘主義』(法政大学出版)、井筒俊彦『神秘哲学』(岩波文庫)、ローレンス・サリヴァン『エリアーデ・オカルト事典』(法蔵館)、ペーター・ディンツェルバッハー『神秘主義事典』(教文館)、ジェフリー・パリンター『神秘主義』(講談社学術文庫)、フリッツ・スタール『神秘主義の探求』(法政大学出版社)、鶴岡賀雄・深澤英隆『スピリチュアリティの宗教史』上下(リトン)。

 神秘主義のことやその変遷をリクツで語る前に、多くの者に広く実感されているだろうことをズバリ言っておく。それはみんながみんな神秘的な出来事やオカルトっぽいことがかなり好きだということだ。
 表向きはいろいろ話をはぐらかしてはいても、内心ではみんなオカルト好きなのだ。だいたいからしてSFもファンタジーも映画もマンガもアニメも大半の大衆メディアも、その手の神秘大安売り、オカルト変化(へんげ)のオンパレードなのだ。みんな「不思議、大好き」で、誰もが大なり小なりの神秘主義者なのである。
 この「みんな」は老若男女の良俗のことであるが、いっぱしの知識人やアーティストもたくさん入る。プラトン(799夜)、プトレマイオスからウィリアム・ブレイク(742夜)、プルースト(935夜)まで、漱石(583夜)・三島(1022夜)からジョージア・オキーフ(1096夜)・萩尾望都(621夜)・押井守(1756夜)まで、シュレディンガー(1043夜)からフランシス・クリックまで、琵琶法師、モーツァルト、ワーグナー(1600夜)、マイルス・デイヴィス(49夜)、タルコフスキー(527夜)から、ジョン・レノン、デヴイッド・ボウイまで。いくらでも名前が上がる。それぞれが独自に神秘主義の風味を毒かフレグランスのように出入りさせてきた。
 なかにはシャガールや竹久夢二(292夜)やタルコフスキーのように、生き方の真ん中に神秘主義的なるものを帯びさせている者も少なくなかった。最近の研究ではタルコフスキーはグノーシス主義との関係で解かないとわからないという定説だ。

ボウイによる「混乱の叙事詩」
1971年に発表されたデヴィッド・ボウイの曲「Quicksand」(邦題:流砂)中に、イギリスの秘密結社「黄金の夜明け団(Golden Dawn)」のアイレスター・クロウリーや、クロウリー主義者だったヒトラーの側近ハインリヒ・ヒムラーなど神秘主義関連の名前や単語が連打される。神秘主義、魔術的なものを呼び込み、反キリスト的でありながら最後には神による救済を望まずにはいられない、キリスト教圏に育った者の葛藤が歌われている。

インド哲学の影響を受けたワーグナー
ショーペンハウエルを経由してインド哲学に開眼したワーグナーは、しだいに仏教の輪廻転生の教えを自らの芸術思想に重ね、「音楽だけが再生の神秘を表現できる」と確信するようになった。図はワーグナーが生前手がけた、自らの仏教観を集大成させた楽劇「パルジファル」の一場面より。晩年ブッダを主人公にした楽劇「勝利者たち」を作曲するつもりだった矢先、病に倒れた。

天上の神秘的な調和を追い求めたケプラー
天体の動きを説明する史上初の物理学のモデルは、ケプラーが「駆動霊」を「駆動力」という言葉で置き換えたことで成立した。神秘思想の新プラトン主義を信奉していたケプラーは、天上界で奏でられるハーモニーに整数比の秩序を求め、奇しくも「ケプラーの第三法則」(公転周期の2乗は平均半径の3乗に比例する)を発見した。図は、ケプラーが考えた正多面体の入子構造になった宇宙の姿。近代科学の多くの画期的な理論は科学的な観測データだけからは生まれえず、科学者の思想と結びついて誕生することが多かったことを示す好例だ。

神秘主義思想が助けた「大発見」
左:シュレディンガーはインドのヴェーダーンタ哲学に興味を示し、波動方程式は東洋の哲学の諸原理を記述していると著書の中で語っている。右:フランシス・クリックがDNAの中に魂の存在を仮定しなければ、二重螺旋の世紀の大発見はなかった。

キリストと自己を重ね合わせた色彩の魔術師・シャガール
帝政ロシアの一部であった現ベラルーシ共和国のユダヤ人街に生まれる。独特の文化混淆が見られた地域で育てられたことが、シャガールの精神形成に大きな影響を与えた。その画法にはユダヤの神秘敬虔主義的運動であったハシディズムの影響が色濃く見られ、生涯を通して、迫害されるキリストと自己を重ね合わせた絵画を多く描いた。神の一部が生まれつき人間の身体に備わると考え、愛と祈りを主題とする幻想的な風景を描き続け、色彩の魔術師とも呼ばれた。

 神秘主義(mysticism)という言葉は、古代ギリシアのミステリーズ=密儀(mysteries)を語源にしている。これは動詞のミュエイン(myein)に発したもので、もともとは「唇や目を閉じる」という意味だった。たぶん沈黙や遮断が何か格別なものをもたらすとみなし、それに徹すると密儀になると思われたのである。
 沈黙や知覚遮断をすると、何がもたらされるのか。それなりの工夫でミュエインすれば「ウニオ・ミュスティカ」(Unio Mystica)に達すると考えた。ウニオ・ミュスティカとは「神秘的な合一」のことだ。偉大な存在との合一をはかる。そのためになんらかの密儀をしてみるのが有効だろうと考えたのだ。
 いろいろのヴィジョンや空想に走るというのではなくて(それもあるが)、絶対者や超越者と合一できることがミュスティカなのである。当時すでにアテネ近くのエレシウスでは、実際に地母神デメーテルや穀物神ディオニソスとの合一をめざす密儀がおこなわれていた。
 合一(union)や合一化は、同一(identity)や同一化ではない。古代ギリシアの神秘は同一をめざさない。あくまでギリシア的でキリスト教的な合一に向かう。絶対者や超越者と合一できること、一緒になれることを希う。あとで説明するが、それが西洋が跡付けた神秘主義というものだった。
 この神秘的な合一をめざす密儀が歴史のなかでさまざまに挙行され、組織化され、文書化されて神秘主義の系譜がつくられていった。パリンダーの『神秘主義』は、そういう古代的な神秘的合一をめざしてきた歴史をヒンドゥイズム、ユダヤ教、仏教、キリスト教、タオイズム、イスラム教スーフィなどを例にして、詳しく解説した。仏教もスーフィズムも同一化ではなく、ひたすら「合一の神秘主義」をもたらしたのである。
 セルーヤの本書はもっと一般的な神秘主義性について解説している。なぜ恍惚に憧れるのか、なぜ神仏への接近が気持ちいいのか、なぜ偶像崇拝をしたくなるのか、なぜ啓示性を感じるのか‥‥。

恍惚のシャーマン①
左はウイチョル族のシャーマンが、年中行事の〈太鼓式〉でトランス状態で歌っている様子。精神上では、天国のウィリクタ(聖なる砂漠)に、村の子どもたちの精霊と一緒に飛んでいる。右はラダックの女性シャーマンが、神聖な米を捧げものとして空中に撒き、病人や苦しむ人の快方を祈る。
『イメージの博物誌 シャーマン』(平凡社)p.37,93

恍惚のシャーマン②
ナミビアに住むヒンバ人の寡婦たち。ライオンの精霊を祓うために、シャーマンである治療師の導きでトランス状態に入っている。
『魔術の人類学』(東洋書林)p.128

恍惚のシャーマン③
シベリアのフィン系ウゴル族のあいだでは、アルコールよりも前に幻覚キノコが使用されていた。カムチャッカ地方出身の踊るシャーマンは、おそらくキノコに誘発された猛烈なトランス状態のなかで歌いながら太古を叩いた。
『イメージの博物誌 シャーマン』(平凡社)p.57

 オカルト大好きな「みんな」は古代や中世のような密儀をしたいわけではない。宗教者や深い信仰をめざしたいともかぎらない。気軽にオカルトと接していたいのだ。ちょっとだけスピリチュアルになれるのが気分的にハイな感じになれるのだ。
 オカルト(occult)とは「隠す」とか「覆う」とか「マスキングをする」という意味だ。オカルト的になるというのは「隠されたもの」が気になる傾向のことをいう。ラテン語の“occulta”(隠されていたもの)から派生した。
 気になることはいろいろある。虫の知らせ、運やツキ、古代以来の数々の占い、子供が好きなおまじない、夜陰に感じる恐怖感、動物たちの謎の行動、子供時代に遊んだコックリさん、メーテルリンク(68夜)の童話、みんなで唄うこと、酒の酔いにひたること、シャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』(角川書店)など読んでみること、ヨガ体操教室に通うこと、瞑想あれこれを試すこと、シンナー遊びを思い出す、滝行が気になる、護符やお札を集めたい、読経もする、お祈りに徹してもみたい、予言してもらえるとありがたい‥‥云々。
 これらは神秘思想のアイコンではないけれど、ハイになれる扉を開ける簡易トリガーなのである。
 ちょっぴり危険なトリガーもある。麻薬に遊ぶことだ。トマス・ド・クインシーの『阿片常用者の告白』(岩波文庫)は、まずはボードレール(773夜)を、ついでは多くの表現者を夢中にさせた。阿片は危険な陶酔であったが、オルダス・ハクスリーは幻覚剤のメスカリンをトリガーにして、隠された意識の扉を開いた。その体験を鮮やかに綴った『知覚の扉』(平凡社ライブラリー)はベストセラーになった。アンリ・ミショー(977夜)もメスカリンで詩を書いた。

スピリチュアル大女優
アメリカの大女優シャーリー・マクレーンは、若いころ、予言者エドガー・ケーシーの影響により東洋文化、仏教思想などに興味を持つ。しだいに神秘主義に傾倒し、体外離脱、宇宙との交信、チャネリングなど様々な不思議な体験をするようになる。それらの神秘体験を元に書いた『アウト・オン・ア・リム』は世界中で大反響を巻き起こし、”ニューエイジの旗手”としても注目された。

 ドラッグや麻薬を借りてハイになることは、古代神秘主義の大半も試みたことで、めずらしいことではない。護摩(ハオマ)を焚くのもトリップのためだ。しかし宗教者たちはその用法に注意深かった。修行や修法にした。それがド・クインシー以降はタガが外れた。60年代のロックスターはドラッグばかりをハイ・トリガーにした。
 というわけで、「みんな」にとっては、まずもってこうした「説明がつかないもの」がオカルティックな神秘トリガーなのである。「説明がつかない」とは原因と結果のあいだが説明しがたいということだ。説明がつかないというのは「納得」が保留されたということである。そこで、その行き場のない納得を別のところ(ヴァーチャルなステージ)に求めてスピリチュアルな旅をしたくなる。そして深みにはまってもいく。
 本書は、そこには次のことがたえず求められ、率先されていると説明する。
  ①強いエモーション(情緒)に駆られたい。
  ②恍惚や忘我を少しでも体験したい。
  ③偶像やイコンを大事にしたい。
  ④不安から解き放たれて心の充実を得たい。
  ⑤強い啓示を得たい。それをもたらす啓示者に出会いたい。
  ⑥説明のつかないことを信じたい。
 この6点は信仰や宗教の根幹にも動くものであるが、神秘主義においてはこの啓示感覚の徹底が密儀化していったのである。
 しかしそのうち、「説明のつかないもの」や「見えないもの」が存在しているということが多くの者にとっても興味深いことになっていった。神秘主義は世俗化していったのだ。
 世俗化された一般人が見えないものを確信するなんて、危険なことだろうか、ヤバイことだろうか。そんなことはない。子供にとっての「となりのトトロ」は大人にも必要なのだ。文芸行為や芸術行為もそのことをめざしてきた。いや哲学や科学も「説明のつかないこと」を「説明がつくこと」に転じてきたのである。神秘主義の歴史は「説明のつかないもの」の歴史として、大きく書き替えられるべきだろう。

drug&rock’n’roll
左はサンフランシスコのウインターランドの楽屋で酩酊状態になっているジャニス・ジョプリン。右はドラッグでハイになっているドアーズのメンバー。ジャニスもジム・モリソンもドラッグと酒を毎日欠かさなかった。二人とも薬物過剰摂取のために同じ27才で他界した。

ヒッピーたちが心酔した「グレイトフル・デッド」
1960年代のヒッピームーブメントのなかに登場し、神格的な崇拝の対象となった伝説のバンド。ドラッグによる陶酔感や幻覚をロックで表現した。1970年に、ニューオーリンズのホテルでメンバー数人が麻薬所持で逮捕。写真は逮捕翌日に発行された「The Times-Picayune」紙の朝刊(1970年2月1日)の一面。

 古来このかた自然現象の一部、とくに天体現象や異常気象はほとんど予測不能なものだった。予測不能ということは、たんにわれわれに科学的な予想力がないということではなく、そこから「あらぬ予測」(つまり憶測)がいろいろ零れ出てくるということだ。
 この憶測がさまざまに組み合わさっていくと、しだいに神秘めいたものたちが立ち上がっていく。自然が人間社会にもたらした格別の意外性が、しだいに神秘の下敷きをつくっていったのである。それでも予測や憶測は途絶えない。やがて船乗り・漁師・ハンター・農耕者・博物学者・登山家・サル学者は、ずうっと神秘の解読に挑みつづけ、その観察記録をのこしつづけた。
 大きな異変がもたらすものがミステリアスでオカルティックであるとはかぎらない。サクラが咲くと雨が降ること、霧が深いとキノコがふえていること、満月になるとカニたちが外に出てくること。自然にかかわると、なんらかの名状しがたい神秘との交感を経験するのは、とくにめずらしいことではない。
 交感は畏怖とはかぎらない。自然の力を感じることでもある。その自然の力はふだんの自然が見せるものとは様相が異なっているので、それはときに「超自然の力」なのである。ウィリアム・ターナー(1221夜)が海洋や気象に感じたもの、ノヴァーリス(132夜)が鉱山に感じたもの、病床の正岡子規(499夜)が庭の花に感じたもの、泉鏡花(917夜)が高野山の山林に感じたものはそれだった。
 やがて科学はいくつかの意外性が神秘でもなんでもないことを証していった。彗星は地上に魔性をまいているわけではなく、天然痘は赤鬼のせいではなくなった。これで合理科学が凱歌を上げたようだけれども、火山の爆発や津波の到来はあいかわらず予測できないし、雪崩の発生や竜巻の出現は説明がつかない。説明がつかないことが神秘だとはかぎらないが、そのうち「説明がつかない世界」がなんらかのアレゴリーとアナロジーでつながっているように思われてしまうのである。

あらぬ予測が群れをなす
左上:教壇に立つ宮沢賢治。法華経信仰の情熱を起源とし、時代の「立志」の風にあてられた「因果交流電燈」の詩魂は、鉱物採集、農業実験、測候所訪問、砕石工場コンサルなどを経て、フラジャイルなイーハトーヴ幻想宇宙を作り上げた。右上:陸に打ち上げられた死体の解剖しかできなかった時代、発明家と協力して世界初の有人潜水を成し遂げ、直接深海生物を観察・分析したのは科学者兼探検家のウィリアム・ビービ。ビービは自身の宗教観を長老派と仏教の組み合わせと表現し、自然界に対する畏敬の念と不思議な感覚を科学的理解へと結びつけようとするスタンスを通した。左下:「史上最後の魔術師」アイザック・ニュートン。国会議員、王立協会総裁にまで上り詰めた稀代の自然科学者は、夜は「緑のライオン」や「卑しい売春婦の血」などの暗号を用いた「半陰陽体」の覚書を書く錬金術師だった。右下:自ら手がけた年表著作に描いたソロモン神殿の図解。ニュートンは古代の聖なる知恵を特に神殿のプロポーションに求めていた。

自然を超えた力とラポールを結ぶ表現者たち
左上から、正岡子規、泉鏡花、ウィリアム・ターナー、ノヴァーリス。

ウルバーノ・モンテの世界地図
象を連れ去る怪鳥(左上)と王にひれ伏す人魚(右上)。現実も想像も混合された色彩豊かな世界地図(左下)は、バラバラのパーツ(右下)をつなぎ合わせると縦横ともに約3メートルにもなる。16世紀のイタリア貴族ウルバーノ・モンテは、自身も世界を旅しながら、北極を中心とした方位図法で世界地図を作りあげた。当時の地理学が到達していない部分に関しては航海者の手記や伝聞からの想像で補っており、現実の土地に空想の生き物が混ざっている。

ターナリアン・トポグラフィ
左は船上で急死しジブラルタル沖に葬られた親友を悼む『平和-水葬』。右の『水のある風景』は山水画すら想起される茫漠たる風景が描かれる。

 自然現象とともに不思議なのは、われわれの「体」や「心」に関することだ。出産の不思議、不意に恐ろしい病気にかかること、死がつきまとうこと、気分が塞いだり憂鬱がやってくること、親しい者が信じられなくなること、好きな人に会えないと哀しくてしかたがないこと、いずれも不安だ。
 たんに不安なのではない。不安とは所在を失っていくということであるが、不安者(誰だって不安者だ)は、やがて心の内に「新たな所在」を発見したくなる。旅をしたり、写真に夢中になったり、短歌を詠んだりしているうちに、もうひとつの所在に親しくなっていく。これが神秘を近づけていった。所在の喪失は新たな所在の誘因なのである。
 心の襞や精神の微妙に本気でかかわれば、そこには容易に説明のつかない神秘のようなものが出入りしていることに気づく。だから心理学者や文芸者やミュージシャンはむろん、ひょっとすると「感情の起源」そのものに、「思索の軌道」そのものに当初から神秘的なものが出入りしてきたかもしれないと思う。
 ウィリアム・ジェームズはそうしたプロセスは、まず「言葉でいいあらわせない経験」をすることがきっかけになって、思索を離れて、しだいに直観に従おうとするようになることを、早くに見抜いた。ただジェームズは、そうした不思議経験はせいぜい30分から1時間ほどの不思議な実感なので、その30分から1時間ほどの経験が心身のどこかにミステリアス・モデルとして、あるいはスピリチュアル・モデルとして特定されることが、しばしば神秘体験を特異なものにしすぎることについても、言及していた。
 一方、そのミステリアス・モデルやスピリチュアル・モデルが自分だけにおこっていて、他人にはおこっていない特別なことだと思いすぎたとき、一部の神秘主義者は独裁の道に足を踏み出してしまった。

実験心理学者と降霊術
左:アメリカの心理学者で哲学者のウィリアム・ジェームズ。実験心理学の創始者の一人であり、プラグマティズムを広い思想運動に発展させた功績で知られるが、講義集『宗教的経験の諸相』で神秘体験についての説明を行っている通り、神秘主義や交霊術などの研究も盛んにとりくんだ。抱水クロラール、亜硝酸アミル、ペヨーテなどの薬物実験も行い「亜酸化窒素を使ったときにのみヘーゲルを理解することができた」とも主張している。スウェーデンボルグの影響も受けていたジェームズはアメリカ心霊研究協会の創設メンバーでもある。特にテレパシーの存在を確信し、調査を生涯続けた。右:霊媒師との交霊会に参加したジェームズ。

 われわれは神秘が好きなのに、神秘の深みに入るのは怖いのである。だから、そのことをまともに考えようとしないようにリミッターを掛ける。そのくせずっと気になっている。ではそのことを隠しているのかといえば、できれば他人に告白したいのだが、その経験や体験を言葉にすることが難しい。だからこっそり神秘のかけらと付き合うだけになる。そのことがヒミツになっていく。リミッター付きの神秘である。
 こうなるのは、ま、仕方がないのかもしれない。自然現象や心理現象には説明できないことはいろいろあるだろうし、それが世の中の説明がつきにくい現象や事態にも、軽重はともかく、あれこれ投影しているにちがいないとも感じる。心のうつろいや思い浮かぶこと自体がちょっとした変異なのである。
 このように、日常の隙間にも神秘のタネはいろいろ出入りする。それが文学やマンガやポップカルチャーになってきたことも、言うを俟たない。しかし、21世紀の日々のなかでは、これらがフェティシュやアニミズムの様相を呈して「密儀化」するということは、しだいになくなっている。オウム真理教のようになってもらっても困る。つまり本格的な神秘主義とは出会えなくなっているのである。
 なぜ、そうなってきたのだろうか。神秘主義やオカルトについての知見がそうとう貧相になってしまったからだと思う。いったい何が神秘なのかということについて、まともな議論にならないことがあまりにも多すぎるのだ。
 ぼくは1971年に大著『オカルト』(新潮社)を著してオカルト・ブームの先鞭をつけたコリン・ウィルソンと3度会い、高野山の「即身」シンポジウムにも招いたことがあるけれど、そのオカルト論が何を説明しようとしているか、本人にいろいろ確かめてみたものの、いまひとつ“大道”が掴めなかった。ウィルソンの本音は大半の超常現象には批判的で、ラスプーチンとグルジェフ(617夜)に加担したいというのだが、それだけでは真意を測りかねた。

即身シンポジウム(高野山金堂、1986年11月8日)
左から松岡正剛、ライアル・ワトソン、コリン・ウィルソン、フリッチョフ・カプラ、松長有慶。松岡はシンポジウムのモデレーターを担当しながら、「即身をめぐって―存在と速度」をテーマに、海外からのオピニオンリーダーと密教理解についての議論を交わした。ライアル・ワトソンの著書『未知の贈りもの―自然と超自然の間』、『生命潮流―来たるべきものの予感』は工作舎から出版されている。

 このようなまともな議論になりにくい神秘を、それでもまともに議論してきたのが「神秘主義思想」というものだ。かつて、みんなが気になっている「神秘」というものは歴史的には神秘主義思想としてかなり重厚に議論されてきたものだった。たとえばヘルメス学、たとえばグノーシス、たとえばカバラ、たとえば空海の真言思想、たとえば闇斎の垂加神道‥‥。
 けれども、オカルト大好きな「みんな」には、まさか自分の好みがそういう神秘思想の系譜の一端につながっているとは思わない。そこは、おそらく意図的に分断されてきたのである。
 ぼくはこの分断をもたらしたのは、社会思想やアカデミズムやジャーナリズムのせいだと見ている。そこには淫祠邪教を十把一からげに蔑視する傾向があった。正当性の旗を掲げた者がそうするのは当然だったろうけれど、これが神秘主義をますますわかりにくく、取り出しにくいものにした。
 結論。社会思想やアカデミズムやジャーナリズムは神秘のヴェールを脱ぎきってはならなかったのだ。なぜ脱ぎきってはならなかったのか。それらはいずれも神秘主義の母体からひょっこり派生したものだったからだ。次夜からしばらく、そのことについてめぐってみたい。

(図版構成:寺平賢司・西村俊克・梅澤光由・衣笠純子・牧野越叢、校正:八田英子・井田昌彦、キーエディット:吉村堅樹)


⊕『神秘主義』⊕

∈ 著者:アンリ・セルーヤ
∈ 訳者:深谷哲
∈ 発行所:白水社
∈ 印刷・製版:大日本印刷株式会社
∈ 発行:1995年2月5日

⊕ 目次情報 ⊕
『神秘主義』

∈∈目次:
∈∈訳者まえがき
∈∈緒言

∈∈第一部 基本的諸要素
∈第一章 本質と形態
∈第二章 恍惚感
∈第三章 神秘な愛
∈第四章 精神生理

∈∈第二部 神秘主義の諸傾向
∈原始的神秘主義の様相
∈第五章 ユダヤ教の神秘主義
∈第六章 キリスト教の神秘主義
∈第七章 回教の神秘主義
∈第八章 ヒンズー教の神秘主義

∈∈結論
∈∈主要参考文献

⊕ 著者略歴 ⊕
アンリ・セルーヤ(Henri Sérouya)
1895年エルサエレム生まれのユダヤ人。フランスの哲学者。1936年に『メルキュール・ド・フランス』誌上に『ユダヤ神秘主義』を発表して以来、ユダヤ教的哲学思想、特にマイモニデスやスピノザに関する研究で識者の注目を集めた。本書が書かれた当時は、フランス国立中央科学研究所の所員として活躍していた。1947年、『カバラ派、その起源、その神秘心理、その形而上学』を発表し、アカデミー・フランセーズから授賞した。1968年没。

⊕ 訳者略歴 ⊕
深谷哲(フカヤ アキラ)
1927年生まれ。1958年東京大学大学院人文科学研究科修士課程終了。フランス文学を専攻。大阪大学言語文化部教授、豊田短期大学人間関係学科教授を経て、椙山女学園大学教授生活科学部教授。