父の先見
青い鳥
岩波文庫 1929
Maurice Maeterlinc
L'oiseau Bleu 1908
[訳]堀口大學
メーテルリンクの『青い鳥』なんて読むまいとダダをこねていた。ぼくはグリムやアンデルセンや小川未明ならオーケーだが、善意だけでできているような童話や物語はとても苦手なのだ。『一杯のかけそば』では困るのだ。宮沢賢治だって、『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』『注文の多い料理店』をはじめ大半の作品はオーケーだが、『雨ニモマケズ』だけは中学の教科書で読んだときに、途中で嫌になった。
ところがあるとき、メーテルリンクの『温室』を読んで考えこんだ。詩集であるが、かなり深みを示していた。あえて日本語の感覚で説明してみるが、ここには「験」とは何か、「憑」とは何かということの根本が問われていた。混乱を救うものは瞬間と運命の両方にひそんでいることを告げていた。
それでも『青い鳥』はやめておいた。そのうち『埋宮』を古本屋で見つけて読んでみて、やはりメーテルリンクは只者ではないことがはっきりしてきた。『埋宮』は中世フランドルのルースブルックの神秘学にノヴァーリスの結晶哲学を混ぜていた。物語の構造も本格的だ。
そのうちドビュッシーやシェーンベルクの《ペレアスとメリザンド》を聴くうちに、これはどうでも『青い鳥』を読むしかなくなった。なぜ少年ペレアスと少女メリザンドは森と泉の架空の国アルモンドに行かなければならなかったのか、知ってみるしかなくなった。こういうひどい読者だったのだ。
読んでみて初めてわかったことは、いろいろある。まずもって『青い鳥』は戯曲なのである。お芝居なのだ。ウェデキントの傑作『春のめざめ』(岩波文庫)や『地霊』『パンドラの箱』(岩波文庫)がそうであるように、これは六幕十二場のレーゼ・ドラマだった。むろん舞台で子供たちが上演できるようにもなっている。
しかも冒頭、他の戯曲とはちがって、「服装」という注目すべきト書きから始まっていく。次のように指定されている。
チルチル=ペローの童話に出てくる「親指小僧」の服装。
ミチル=グリムの童話に出てくる「グレーテル」または「赤ずきん」の服装。
光=月色の着物。型はギリシア式あるいはウォーター・クレーン風のイギリス・ギリシア式。
時=昔ながらの時の服装。
妖女ベリリウンヌ=例の貧しい女の服装。
そのほか、とうさん、おばあさん、太った幸福たち、夜、水、犬や猫などの服装が指定されている。
これでおよそのことが告げられているのだが(つまりはすでにメーテルリンクの独壇場にわれわれは引きこまれてしまっているのだが)、そこでさらに舞台の説明があって、きこり小屋で寝ているチルチルとミチルがベッドに起き上がって会話するところになっていく。その会話もすぐに妖女との会話に変わり、われわれは早くも「そこにある別世界」を相手にしているような気分にさせられる。
メーテルリンクの作劇術ははなはだ独創的である。用意周到で、かつその独創性をむきだしに感じさせない哲学がある。すべては指定され指示され、物語の「からくり」や「しかけ」さえ見えるようになっているにもかかわらず、その術中に溺れたくなっていく。そこがメーテルリンクの文芸哲学なのである。
物語の進行には人生の大半の感情がもりこまれる。たいていはアンビバレンツな感情だ。どんなふうにもりこまれるかというと、むろん童話のような登場人物たちが交わす会話にちりばめられている。それぞれは子供っぽいかわいらしい会話なのに、その総体はメーテルリンクが思索した世界観の深さのための哲学になっている。そういう文芸哲学であり、人間哲学なのである。そこが忖度されている。その忖度がなぜ哲学かということを、試みに第三幕の「夜の御殿」を例に、あえてふつつかな文章にしてみることにする。
ここは夜というものなのです。猫は痩せっこけて憔悴しきっています。猫の属する夜の界隈の秘密があばかれつつあるからですね。もし、その秘密が公開されれば、夜は終焉となるのです。
ほんとうのことをいえば、すでに光が“彼等”に籠絡されていて、夜への案内を買って出ていました。そこへ月光に育てられた青鳥たちが夜の界隈に棲息しているという情報が洩れてきたのですね。けれども“彼等”はもうそこまでやってきていました。困った夜はフィクショナルな夜という現実を演出するしかなくなります。そういう二重性を作ろうとしたのです。それには“彼等”に虚偽の青鳥を見せることが効果的でした。そこで夜の演出者たちは、多様な門と扉と鍵を用意したのです。
案の定、“彼等”に門と扉と鍵をわたすと、その方面の探索にのりだしました。ところが、それらの門は入口であって出口であり、扉は奥をつくるものか、外をつくるものかがわかりません。まして鍵には鍵穴という逆鋳型というものがついているのです。“彼等”はついに迷い、夜はほくそ笑みました。やがて“彼等”はおびただしい数の青鳥に出会うことになります。もちろんそれらはすべて虚偽の鳥なのです。
ざっとこんなふうなことが、因果をあらわす言葉をひとつもつかわずに、子供用の会話に置き換えられている。これでは子供ならずともメーテルリンクの術中にはまっていく。そして、けっこう深いことを考えさせられる。それが『青い鳥』なのだ。
この物語は、よく知られているようにチルチルとミチルが眠っているあいだの夢になっている。その夢に妖女が出てきて青い鳥の探索を依頼する。
二人の子供は「記憶の国」で最初の青い鳥を見つけるが、これは籠に入れたとたんに黒い鳥になる。「夜の国」では大量の青い鳥に遭遇するものの、つかまえると同時に死んでいく。見えているのに捕獲はできない。つまりは籠に入れてもつかまえるだけでも、ダメなのだ。次の「森の国」では青い鳥が飛んでいるのにつかまえられず、「墓の国」では死に出会って退散させられ、「幸福の国」では不幸という連中が邪魔をする。死を悼み、不幸に同情しては、青い鳥は見えなくなってしまうのだ。
こうして最後にたどりついた「未来の国」でやっと青い鳥を生きたままつかまえるのだが、これを運ぶと赤い鳥になっていった。
妖女との約束ははたせない。チルチルとミチルはしかたなく家に帰って眠ってしまった。そこで目がさめ、隣のおばあさんが駆けこんでくる。自分のうちの病気の娘がどうもチルチルの家にいる鳥をほしがっているらしい。すっかり忘れていた自分の家の鳥を見にいくと、それはなんと青い鳥になっている。なんだこんなところにいたのかと、二人がその鳥を娘のところへもっていくと、娘の病気がよくなった。よろこんだ三人が、よかった、よかったと鳥に餌をあげようとすると、青い鳥はさあっと飛びたち、どこかへ逃げていったとさ……。
ラストの二回にわたるリリースが絶妙だ。やっと生きた青い鳥をつかまえたと思って運んでみたら赤い鳥になっていたというところ、自分の家の鳥こそが青い鳥だとわかって餌をやろうとすると飛び去ってしまうというところだ。
これは「いじわる」なのだろうか。それとも希望が潰えて「失望」になったことを示しているのだろうか。どちらでもあるまい。ドンデン返しですら、ない。宿命や運命などというものは、そんなに大がかりなものではないことを、メーテルリンクは暗示したかったのだ。万事はマイクロ・スリップなのである。手元に引き寄せたと思えば逃れ、掌中に入れたと思えばそこから抜けていくものが必ずあるということを、暗示したかったのだ。
まさにメーテルリンクはこの思想の持主なのである。ただ、この思想は容易には説明しがたい。服装のようなものであるからだ。「すれすれ」や「わずか」や「見方のちがい」にふわりと装着されているからだ。
モーリス・メーテルリンクはベルギー人であるが、早期にフランスで思索した。ヘント大学で法学を修めて、グレゴール・ル・ロワとともに1885年にパリに行き、そこで目ざめた。目ざめさせたのは、ヴィリエ・ド・リラダンやジャン・モレアスやサン・ポル・ルーだ。とくにリラダンに奨められて読んだユイスマンスの『さかしま』に胸を射られた。
こうして文芸的執筆にいそしむようになると、1889年に詩集『温室』を書いて、その清新な感覚で話題を浴びた。続いて神秘主義に傾倒し、『闖入者』(本の友社「全集」第5巻)、『ペレアスとメリザンド』(岩波文庫)をへて、1909年の『青い鳥』で広い人気を博し、ノーベル賞やレオポルト賞を授与された。その後も人間や社会できわきわにすれちがっていく運命や宿命にひたすら関心を寄せた。
この時期のメーテルリンクを支えたのが、ジョルジェット・ルブランである。アルセーヌ・ルパンを創像した作家モーリス・ルブランの妹だ。
ぼくが最初に唸ったのは『闖入者』と『万有の神秘』(玄黄社)だった。少年少女向けではない。万人に向けて「隙間から放たれるもの」を綴ってみせた。メーテルリンクの思想に直撃されたのは、このときである。
運命哲学や神秘哲学と交差しているようでいて、そういう軛からするりと蟬脱していて、この世で一番大事なことを一番細い条理で出し入れしていることに、びっくりした。すぐに、これは作家を超えていると思った。「験」と「憑」の微妙な関与ばかりを主題にしているのだ。
その後、工作舎で『蜜蜂の生活』『白蟻の生活』『蟻の生活』を翻訳刊行することになって、メーテルリンクがなぜミツバチやアリに深入りしていったのか、その「とんでもなさ」にさらに付き合うことになるのだが、これがティンバーゲンやローレンツの動物行動学ならともかく、あるいはファーブルの昆虫記のような観察記だというならともかく、まさに「ミツバチを哲学する」「アリを思索する」というものなのである。この思想、とてもパラフレーズはできないと白状するしかなかった。
ひるがえって『青い鳥』を一言でいえば、メーテルリンクのこういう一貫した「験」と「憑」をめぐる哲学を、さらっと水彩で描いたようなものだったのである。なんとも畏怖に充ちたことをしたものだ。忌憚のないところで言えば、これはチルチルとミチルをさえ欺いてみせたのである。二人はもう少しのあいだ、大人になってはいけなかったのだ。