才事記

中国人のトポス

洞窟・風水・壺中天

三浦國雄

平凡社選書 1988

編集:岸本武士 カバー写真:博山炉

 福岡に住む九天玄氣組の組長・中野由紀昌は、イシス編集学校の最初期の師範代で、名うての瓢箪フェチである。事務所の名も瓢箪座という。九天玄氣組の名は、葛洪の『枕中書』に盤古真人と大玄五女が結ばれて天皇と九光玄女を生んだという話がのっているのだが、その九光玄女に肖った。
 瓢箪はウリ科の夕顔の一種だからさまざまな弓なりな形を見せるけれど、あの上下でくびれた形こそ前代未聞でなんとも奇ッ怪、さまざまな想像力を育んできた。日本書紀に瓢(ひさご)として早々に登場する。
 瓢箪の魅力と生態や伝承については湯浅浩史の『ヒョウタン文化誌』(岩波新書)が夙に親しく、瓢箪にひそむ無限大ともいえる中国的世界観をめぐっては、北大の中野美代子の『ひょうたん漫遊記』(朝日選書)が先駆的な説明を施した。
 中野の著作は瓢箪論にかぎらず、どんなものも精緻な独創性に富んでいて、新著が出るたびに唸らされた。男勝りの酒飲みで、上京するたびにホテルを予約させられ、大仮説の数々に何度も付き合わされた。のちに岩波文庫の『西遊記』全巻を一人で訳した。

イシス編集学校の九州支所「九天玄氣組」は、2006年9月23日(秋の彼岸)に発足して以来、九州にゆかりのある編集コーチと学徒が結集し、地に足をつけた「土発的な編集力」を磨いている。そのシンボルは、気のおおもとを司る「九天玄女」(左上)と松岡正剛の俳号「玄月」に共通する「玄」と「ひょうたん」が合した姿を象っている(右上)。下の写真は発足を祝した会での「博多にわか」。

瓢箪は世界最古の栽培植物の一つ。土器に先駆けた「原容器」として、なじみのヒョウタン形以外に、球形、棒状、壺形などの多彩なヴァリエーションが派生した。その果実は雌しべが大きく育ったもので、乾くことで中に閉空間が生まれ、やがて口が開いて外界と交わる。古代の中国人は、ここに無から有たる「気」が生じる様を見ていた。写真は植物学者の湯浅浩史によるもの。
湯浅浩史『ヒョウタン文化誌』(岩波新書)より

日本での瓢箪にまつわる伝承といえば、瓢箪鯰の公案がある。図は足利義持が思いついた公案を、水墨画僧の如拙が描いてみせた禅画。ぬるぬるした鯰は細い口のひょうたんでは捕らえられそうもないものだが、瓢箪の杓子(しゃくし)と石神(しゃくじ)が結びつき、地震を鎮める性質が宿るとみなされた。

 その中野美代子に大きな影響を及ぼしたのがマルセル・グラネである。白川静(987夜)もグラネを読んで痺れ、漢字研究に邁進した。
 のちにマルセル・モース(1507夜)の右腕と称された博識のグラネは、フランス・シノロジーの泰斗で、連想力がめっぽう鋭い研究者であった。読書を深く愉しむコツがあるとすれば、こういう格別の著者にできるかぎり早くに出会うことだろう。『中国古代の祭礼と歌謡』『中国人の宗教』(いずれも東洋文庫)、『中国古代の舞踏と伝説』(せりか書房)がある。中国文化の研究者でグラネを読んでいないのはモグリだ。

中野美代子は中国文学者で『西遊記』の翻訳者であり、中国文化にひそむ文字と図像の解読者であり、過激で濃密な幻想小説作家でもある。『ひょうたん漫遊記』は、主題にひょうたんを置き、中国人の空間意識を論じている。ひょうたんには宇宙の起源、時間の超越、再生と生殖としての象徴的な役割があったことを解き明かしていった。

フランスの社会学者エミール・デュルケームの影響を受けたマルセル・グラネは、古代中国文化研究に社会学的視点を取り入れた。グラネの著作『中国古代の祭礼と歌謡』では、『詩経』の詩を単なる詩歌としてではなく、農村の民俗や祭りと深く結びついていることを示し、詩が反映する社会的関係を解明した。

 グラネを直接の師と仰ぐロルフ・スタンに『盆栽の宇宙誌』(せりか書房)という名著がある。ベトナムで入手したヌイ・ノン・ボ(仮山)の話から始まって、瓢箪世界に通底するだろう盆景や盆栽の器世界観をみごとに解きほぐした。
 仮山とか盆景とか盆栽というのは、古代中世の中国的時空観が独特につくりだした世界模型のことで、まとめて「洞天」ともいう。孫悟空が洞窟の岩の中から生まれたのも、仙人が石室で碁を打っているのも、水滸伝(438夜)で井戸の中から英傑たちが躍りだすのも、タオイストたちが崑崙山(こんろんさん)に昇天したいと憧れるのも、洞庭湖の底に桃源郷を想定するのも、東方の蓬莱世界に行きたくなるのも、「洞天」としての世界模型のヴァージョンだ。
 スタンは『盆栽の宇宙誌』の第2章に「天地をひさご型にする壷」を構え、瓢箪型の世界観がもつ魅力を洞天・桃源郷・井戸・鏡・崑崙山・墓・家・庭園を例に描写した。若い頃から内藤湖南(1245夜)、白川静、グラネ、青木正児(59夜)、アンリ・マスペロ、吉川幸次郎(1008夜)、中野美代子、大室幹雄(425夜)、澤田瑞穂らの影響が著しかったぼくには、「待ってました!」の一冊だった。

左のロルフ・スタンによる『盆栽の宇宙誌』は、盆栽の背後にある瓠や壺のテーマが、洞天、桃源郷、井戸などと通底していることを示し、中国のミクロコスモスの世界を表した一冊。中国で右図の盆景(盆栽)のようなミニチュアの庭を作る理由は、スタンによれば、自然を縮小するほど、神話的な世界に近づくと信じられたからである。

写真は、ベトナムのヌイ・ノン・ボ(仮山)と呼ばれるもの。中国の盆景をもとにしている。周りに池があるのは、大地が洪水の上に浮いていると考える。石は人を「古」にし、水は人を「遠」からしめるとされる。

果てしなく広がる洞窟は、道教の哲学と結びつき、洞天世界として特別視された。爛柯(らんか)伝説(左図)は、木こりが山中の石室で仙人の囲碁を眺めていると、いつのまにか斧の柄が腐り、里に戻ると数十年が経過していたという物語。似たような洞窟伝説は数多く広まっていて、閉じられた「洞天」の中に仙境が存在するという世界観が共通している。「洞天」は名山勝地の奥深くに実在すると信じられるようになり、いまでは観光地化されている。右図は西仙洞ともくされている崋山。

『西遊記』の孫悟空が閉じ込められた山として知られる五行山の中は、洞窟になっている。道教において神仙が住む「洞天」を思い起こさせる。仙人が修行した名山勝境である「福地」と、住処である「洞天」の概念が唐代に統合されて「洞天福地」となると、山岳洞窟は神聖視されるようになり、十大洞天のような概念も出来上がる。そうした背景をもとに五行山(ダナン)も聖地とされ、現在は観光地になっている。

 本書『中国人のトポス』の三浦國雄も、グラネやスタンに導かれつつ、洞天とは何か、仙境とは何か、壷中天とは何かということを考えた研究者である。どうして瓢箪の中に世界がくるりと入るのか、その奇妙な詳細に分け入って、一冊まるごと瑞々しかった。
 その三浦の本に至ったあのころの「シノワズリーな世界解読系の読書遍歴」は、ほんとに陶磁器のようにエロティックで、中国的幻想誌に嵌まるかのように愉快で痛快だった。諸星大二郎の大胆マンガ『孔子暗黒伝』まで含めて、次から次へと堪能したものだ。いつもバジラ高橋秀元が相手をしてくれたのも懐かしい。「あのころ」っていつだったかと思って、さきほどちょっと調べてみたのだが、やはり絶品だった曽布川寛の『崑崙山への昇仙』(中公新書)が1981年の刊行だったから、その前後までということだったのだろう。

 瓢箪宇宙はクラインの壷めいている。汲めども尽きない壷っぽく、その中に入りこんで永遠の時空を遊びたくなる代物だ。ところが中国人はこの奇妙な瓢箪宇宙をなんと古来このかた、中国各地にひそむ時空トポスとして歓楽してきたのである。本書はその歓楽の極みに何が仕込まれてきたのかを、当時知るかぎりの究極の博知をもって案内したものだ。
 もともと中国人の宇宙観には「上下四方を宇と曰い、往古来今を宙と曰う」という見方があって、これを荘子が「宇は実あれど処なきもの、宙は長さあれど本剽(はじめおわり)なきもの」とみなして以来、クラインの壺めいていた。ここから「天は内に在って、人は外に有る」という独特のトポグラフィック・オントロジーが生じ、それが洞庭湖や崑崙山の未曽有の幻想的形態や風水のダイナミックな地勢学にあてはめられていった。瓢箪宇宙は「蔵風得水」を胎(はら)むことになったのである。

『西遊記』に登場する金角大王と銀角大王との戦いでは、孫悟空がひょうたんに吸い込まれて閉じ込められる(左図)。『仙仏奇踪』の中の『壺中天』では、費長房がひょうたんの中に入っていく壺公という仙人の秘密を発見し、費長房自身もひょうたんの中に招かれる(右図)。

盤古(ばんこ)は古代中国神話にあらわれる巨神。盤古が巨大な卵を叩き割ったことで、エネルギーが陰と陽に分離し、天地が形づくられたという伝説がある。盤古は卵がまた閉じてしまうことを懸念して、二つを分け隔てるために割れ目の間に立ちつづけ、天地が安定した1万8千年後に死んだ。

瓢箪型をした山中/海上他界の表裏の関係を示した図。凹型の崑崙瓢箪へ通じる狭い入口が、凸型の蓬莱瓢箪では海上にそそり立つ柱に置きかえられている。
中野美代子『ひょうたん漫遊録』より

崑崙と蓬莱の関係図。西の彼方には死後の楽園である崑崙への昇仙の道があり、対する東の彼方にはこの世の楽園である蓬莱の構えるモデルが中国のトポスだとまとめられている。どちらの別天地も壺、つまり瓢箪が原型であったと見ている。
中野美代子『ひょうたん漫遊録』より

 三浦國雄のシノ・コスモロジーをめぐる歓楽を追走するのは、当時も今もぼくには及ばない。二ツのことに触れて短かい案内を了える。
 ひとつは「太虚」をめぐることである。かねて「崑崙は宇宙の外にあり、太虚はさらに崑崙の外にあり」と言われてきた。これは老荘哲学の「虚」の重視にはじまり、北宋の張載(号は横渠)の「太虚説」に至った考え方が吹き出たもので、まわりまわれば芭蕉の「虚に居て実を行ふべし」につながるところがある。そうは思うのだが、どうも日本人はこの「無」や「虚」を深く掴めないままに来たように思われて、少し心配なのだ。
 もうひとつは風水説のことである。本書にはかなり厳密な風水説の事例と図版が紹介され、巻末には夭折した建築家の毛綱毅曠(もづな・きこう)との該博な風水対談も収録されているのだが、これまた日本人は風水説をかなり薄っぺらに解釈したままで、「蔵風得水」の地勢学が理解されていないのが心配なのだ。毛綱さんをただ一人の例外として、建築家たちも風景観相学としての風水の意味の謎に挑んでこなかった。
 この「太虚」と「風水」の意図を正当に継承するにも、本書『中国人のトポス』が残した仮説力は途方もないものだったわけである。

 ところで、この千夜千冊は築地のがんセンター中央病院の病室で書いた。6月12日、定期検診を受診した折、主治医の後藤悌先生から「ここのままでは肺炎が危い、すぐに入院しなさい」と言われて、そのまま入院した。幸いに肺炎には至らず、肺癌の進捗も少し抑えられているようだが、これでぼくの今後の日々が決まってしまった。
 千夜千冊にしても、他の執筆原稿にしても、思索や表現に挑むにしても、これからしばらくはそこでの日々になる。縮冊篇『中国人のトポス』はその先触れの第1弾となった。
 最もフラジャイルな「肺」という器官を冒されて数十年、わが愛すべき肺胞瓢箪は最後の悲鳴をあげながら、ゆっくりと「虚」と「実」をひっくり返しつつある、そのことが今後のぼくの心身の「ゆらぎ」と周辺への「粗相」に何をもたらしていくのかは見当もつかないが、せっかくだからこの不埒な「極み」の感覚を観照してみようとも思う。期待せず、見守っていただきたい。
 なお、今後の縮冊篇は「極み」を綴るために選書するものではない。これまで採り上げたいと思っていながらスキップしてきた数多くの千夜候補から、せめて少しでもエントリーさせておきたいので縮冊篇を構えたにすぎない。センセン隊の力を借りることになるだろう。

河北省の前漢墓から出土した博山炉。海の彼方に実在すると信じられた仙山を象った香炉である。細い柱の上に仙島が乗っかる構えで、峨々たる仙山には怪獣が徘徊している。著者の三浦は、日本の造形は自然性に向かうのに対して中国は宇宙を志向しているように感じたという。

風水の山局図(『朝鮮の風水』より)。山脈や水に沿って流れる「気」がうまく保定される地を見出すための地勢モデル、その中でも標準的なもの。崑崙から龍脈を通じて流れる「気」を河川で引き止め、四象に比定された山や丘陵に留める形をした「明堂」(図中記号:ヘ)が核になる。風水は「蔵風得水」を見る学であり、風景の記憶術であった。

河図・洛書は古代中国で受け継がれてきた二つの神秘的な図で、中国文明の源流とされてきた。太極・陰陽・四象・五行・八卦・九宮はここにさかのぼることができる。黄河に現れた龍馬(上段)、洛水に現れた神亀(下段)がそれぞれ背負っていたという伝説がある。著者の三浦は「形而上の庭」と形容し、本書で数多くの河図・洛書の図版を載せている。

京都は4つの神が守護するという中国の風水思想にもとづいて建築されている。「我が平安京のごとく、北に高山あり(玄武)」、南に沢畔あり(朱雀)。東に流水あり(青龍)あり、西に大道ある(白虎)がごとき大局、いわゆる四神相応地は古典的な吉池に属しよう」(三浦國雄)

羅経は風水で、大地の気脈を読み、土地の吉凶を占うために用いる方位盤。中心が太極で、先天図(方位図)と洛書の組み合わせになっている。

釧路市生まれの建築家である毛綱毅曠。奇抜でアナーキーな建造物を次々とつくったが、東洋古来の風水思想によって綿密に設計することにも長けていた。右写真のデビュー作「反住器」はガラスを多用し、入れ子状の箱でできた住宅であり、住居としての機能性を否定している。竣工当時は建築専門誌が掲載を拒否したほどの問題作だった。
左写真:藤塚光政氏

毛綱毅曠の代表作「釧路市立博物館」(1984年)。鳥が卵を抱えているような、大胆な曲線を描くフォルムが特徴になっている。風水の山局図でいう金鶏展翅形がモチーフになっている。当時、松岡はこの建築作品を絶賛、二人はその後、大いに東洋知を交わすことになった。

毛綱毅曠は母校である釧路市立東中学校(1986年)のリニューアルの設計も手掛けた。シンメトリーの校舎に、トタンでつくられた7本のアーチがかかっている。設計当時は議会や市民を巻き込んでのデザイン論争がおきた。

中国の古い廟や塔といった建築物の天辺には瓢箪型のオブジェが置かれていることがある。図版は、西安の慈恩寺大雁塔の周辺にある塔の上におかれた瓢箪型のオブジェ。邪を払うお守りとして、また道教の不老不死にあやかっている。

恒星としての一生を終え、惑星状星雲へと変化する過程でガスや塵が超高速で双方向に広がるひょうたん星雲。中心の恒星から放出された高温のガスが冷却され、周囲の環境と相互作用するなかでひょうたんのような形を形成する。ひょうたんの弓なりな形は、自然界の必然の形なのである。

鉄斎『瓢中快適図』をモチーフに、VANKI Coffeeの小島伸吾さんが描いた『本楼快適図』。松岡が瓢箪ユートピアで悠々自適に読書三昧している。「一所から他所へ赴くのが”遊”の本義ならば、一所にいて他所を徘徊するのもまた"遊び"である」(松岡正剛)。

TOPページデザイン:穂積晴明
図版構成(センセン隊):寺平賢司・大泉健太郎・中尾行宏・
齊藤彬人・南田桂吾・上杉公志


⊕『中国人のトポス——洞窟・風水・壺中天——』⊕
∈ 著者:三浦國雄
∈ 編集:岸本武士
∈ カバー写真:博山炉
∈ 発行者:下中弘
∈ 発行所:株式会社平凡社
∈ 印刷:図書印刷株式会社
∈ 製本:株式会社石津製本所
∈ 発行:1988年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ 目次
∈ 七十番目の列伝——『史記』太史公自序
∈ 空間の造型——『西遊記』演変私考
∈ 『盆栽の宇宙史』を読む
∈ 中国人の天と宇宙
∈ 洞天福地小論
∈ 洞庭湖と洞庭山——中国人の洞窟観念
∈ 墓と廟
∈ 墓・大地・風水
∈ 朱熹の墓——福建の旅から
∈ 太虚の思想史
∈ 形而上の庭
∈ 風水のなかの都市像(毛綱毅曠・三浦國雄)
∈∈ あとがき

⊕ 著者略歴 ⊕
三浦國雄(みうら・くにお)
1941年大阪市生まれ。大阪市立大学文学部卒業。京都大学人文科学研究所助手、東北大学助教授を経て、大阪市立大学文学部教授。著書に『朱子集』(講談社)、『王安石』(集英社)、『易経』(角川書店)他。