父の先見
中国人のトポス
洞窟・風水・壺中天
平凡社選書 1988
編集:岸本武士 カバー写真:博山炉
福岡に住む九天玄氣組の組長・中野由紀昌は、イシス編集学校の最初期の師範代で、名うての瓢箪フェチである。事務所の名も瓢箪座という。九天玄氣組の名は、葛洪の『枕中書』に盤古真人と大玄五女が結ばれて天皇と九光玄女を生んだという話がのっているのだが、その九光玄女に肖った。
瓢箪はウリ科の夕顔の一種だからさまざまな弓なりな形を見せるけれど、あの上下でくびれた形こそ前代未聞でなんとも奇ッ怪、さまざまな想像力を育んできた。日本書紀に瓢(ひさご)として早々に登場する。
瓢箪の魅力と生態や伝承については湯浅浩史の『ヒョウタン文化誌』(岩波新書)が夙に親しく、瓢箪にひそむ無限大ともいえる中国的世界観をめぐっては、北大の中野美代子の『ひょうたん漫遊記』(朝日選書)が先駆的な説明を施した。
中野の著作は瓢箪論にかぎらず、どんなものも精緻な独創性に富んでいて、新著が出るたびに唸らされた。男勝りの酒飲みで、上京するたびにホテルを予約させられ、大仮説の数々に何度も付き合わされた。のちに岩波文庫の『西遊記』全巻を一人で訳した。
湯浅浩史『ヒョウタン文化誌』(岩波新書)より
その中野美代子に大きな影響を及ぼしたのがマルセル・グラネである。白川静(987夜)もグラネを読んで痺れ、漢字研究に邁進した。
のちにマルセル・モース(1507夜)の右腕と称された博識のグラネは、フランス・シノロジーの泰斗で、連想力がめっぽう鋭い研究者であった。読書を深く愉しむコツがあるとすれば、こういう格別の著者にできるかぎり早くに出会うことだろう。『中国古代の祭礼と歌謡』『中国人の宗教』(いずれも東洋文庫)、『中国古代の舞踏と伝説』(せりか書房)がある。中国文化の研究者でグラネを読んでいないのはモグリだ。
グラネを直接の師と仰ぐロルフ・スタンに『盆栽の宇宙誌』(せりか書房)という名著がある。ベトナムで入手したヌイ・ノン・ボ(仮山)の話から始まって、瓢箪世界に通底するだろう盆景や盆栽の器世界観をみごとに解きほぐした。
仮山とか盆景とか盆栽というのは、古代中世の中国的時空観が独特につくりだした世界模型のことで、まとめて「洞天」ともいう。孫悟空が洞窟の岩の中から生まれたのも、仙人が石室で碁を打っているのも、水滸伝(438夜)で井戸の中から英傑たちが躍りだすのも、タオイストたちが崑崙山(こんろんさん)に昇天したいと憧れるのも、洞庭湖の底に桃源郷を想定するのも、東方の蓬莱世界に行きたくなるのも、「洞天」としての世界模型のヴァージョンだ。
スタンは『盆栽の宇宙誌』の第2章に「天地をひさご型にする壷」を構え、瓢箪型の世界観がもつ魅力を洞天・桃源郷・井戸・鏡・崑崙山・墓・家・庭園を例に描写した。若い頃から内藤湖南(1245夜)、白川静、グラネ、青木正児(59夜)、アンリ・マスペロ、吉川幸次郎(1008夜)、中野美代子、大室幹雄(425夜)、澤田瑞穂らの影響が著しかったぼくには、「待ってました!」の一冊だった。
本書『中国人のトポス』の三浦國雄も、グラネやスタンに導かれつつ、洞天とは何か、仙境とは何か、壷中天とは何かということを考えた研究者である。どうして瓢箪の中に世界がくるりと入るのか、その奇妙な詳細に分け入って、一冊まるごと瑞々しかった。
その三浦の本に至ったあのころの「シノワズリーな世界解読系の読書遍歴」は、ほんとに陶磁器のようにエロティックで、中国的幻想誌に嵌まるかのように愉快で痛快だった。諸星大二郎の大胆マンガ『孔子暗黒伝』まで含めて、次から次へと堪能したものだ。いつもバジラ高橋秀元が相手をしてくれたのも懐かしい。「あのころ」っていつだったかと思って、さきほどちょっと調べてみたのだが、やはり絶品だった曽布川寛の『崑崙山への昇仙』(中公新書)が1981年の刊行だったから、その前後までということだったのだろう。
瓢箪宇宙はクラインの壷めいている。汲めども尽きない壷っぽく、その中に入りこんで永遠の時空を遊びたくなる代物だ。ところが中国人はこの奇妙な瓢箪宇宙をなんと古来このかた、中国各地にひそむ時空トポスとして歓楽してきたのである。本書はその歓楽の極みに何が仕込まれてきたのかを、当時知るかぎりの究極の博知をもって案内したものだ。
もともと中国人の宇宙観には「上下四方を宇と曰い、往古来今を宙と曰う」という見方があって、これを荘子が「宇は実あれど処なきもの、宙は長さあれど本剽(はじめおわり)なきもの」とみなして以来、クラインの壺めいていた。ここから「天は内に在って、人は外に有る」という独特のトポグラフィック・オントロジーが生じ、それが洞庭湖や崑崙山の未曽有の幻想的形態や風水のダイナミックな地勢学にあてはめられていった。瓢箪宇宙は「蔵風得水」を胎(はら)むことになったのである。
中野美代子『ひょうたん漫遊録』より
三浦國雄のシノ・コスモロジーをめぐる歓楽を追走するのは、当時も今もぼくには及ばない。二ツのことに触れて短かい案内を了える。
ひとつは「太虚」をめぐることである。かねて「崑崙は宇宙の外にあり、太虚はさらに崑崙の外にあり」と言われてきた。これは老荘哲学の「虚」の重視にはじまり、北宋の張載(号は横渠)の「太虚説」に至った考え方が吹き出たもので、まわりまわれば芭蕉の「虚に居て実を行ふべし」につながるところがある。そうは思うのだが、どうも日本人はこの「無」や「虚」を深く掴めないままに来たように思われて、少し心配なのだ。
もうひとつは風水説のことである。本書にはかなり厳密な風水説の事例と図版が紹介され、巻末には夭折した建築家の毛綱毅曠(もづな・きこう)との該博な風水対談も収録されているのだが、これまた日本人は風水説をかなり薄っぺらに解釈したままで、「蔵風得水」の地勢学が理解されていないのが心配なのだ。毛綱さんをただ一人の例外として、建築家たちも風景観相学としての風水の意味の謎に挑んでこなかった。
この「太虚」と「風水」の意図を正当に継承するにも、本書『中国人のトポス』が残した仮説力は途方もないものだったわけである。
ところで、この千夜千冊は築地のがんセンター中央病院の病室で書いた。6月12日、定期検診を受診した折、主治医の後藤悌先生から「ここのままでは肺炎が危い、すぐに入院しなさい」と言われて、そのまま入院した。幸いに肺炎には至らず、肺癌の進捗も少し抑えられているようだが、これでぼくの今後の日々が決まってしまった。
千夜千冊にしても、他の執筆原稿にしても、思索や表現に挑むにしても、これからしばらくはそこでの日々になる。縮冊篇『中国人のトポス』はその先触れの第1弾となった。
最もフラジャイルな「肺」という器官を冒されて数十年、わが愛すべき肺胞瓢箪は最後の悲鳴をあげながら、ゆっくりと「虚」と「実」をひっくり返しつつある、そのことが今後のぼくの心身の「ゆらぎ」と周辺への「粗相」に何をもたらしていくのかは見当もつかないが、せっかくだからこの不埒な「極み」の感覚を観照してみようとも思う。期待せず、見守っていただきたい。
なお、今後の縮冊篇は「極み」を綴るために選書するものではない。これまで採り上げたいと思っていながらスキップしてきた数多くの千夜候補から、せめて少しでもエントリーさせておきたいので縮冊篇を構えたにすぎない。センセン隊の力を借りることになるだろう。
左写真:藤塚光政氏
TOPページデザイン:穂積晴明
図版構成(センセン隊):寺平賢司・大泉健太郎・中尾行宏・
齊藤彬人・南田桂吾・上杉公志
⊕『中国人のトポス——洞窟・風水・壺中天——』⊕
∈ 著者:三浦國雄
∈ 編集:岸本武士
∈ カバー写真:博山炉
∈ 発行者:下中弘
∈ 発行所:株式会社平凡社
∈ 印刷:図書印刷株式会社
∈ 製本:株式会社石津製本所
∈ 発行:1988年
⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ 目次
∈ 七十番目の列伝——『史記』太史公自序
∈ 空間の造型——『西遊記』演変私考
∈ 『盆栽の宇宙史』を読む
∈ 中国人の天と宇宙
∈ 洞天福地小論
∈ 洞庭湖と洞庭山——中国人の洞窟観念
∈ 墓と廟
∈ 墓・大地・風水
∈ 朱熹の墓——福建の旅から
∈ 太虚の思想史
∈ 形而上の庭
∈ 風水のなかの都市像(毛綱毅曠・三浦國雄)
∈∈ あとがき
⊕ 著者略歴 ⊕
三浦國雄(みうら・くにお)
1941年大阪市生まれ。大阪市立大学文学部卒業。京都大学人文科学研究所助手、東北大学助教授を経て、大阪市立大学文学部教授。著書に『朱子集』(講談社)、『王安石』(集英社)、『易経』(角川書店)他。