知能の物語
公立はこだて未来大学出版会・近代科学社 2015
編集:小川透
装幀:原田泰・今野翠花
この本は中島さんの風呂に入れてもらったようなもので、お湯から出て着替えてから紹介するのではなく、その風呂に入っていたままの湯加減や体ののぼせ方で語るしかないようなところがある。
この本が出版されるまでに20年かかったそうだ。初めは人工知能の教科書をつくるつもりだったらしいが、さまざまな実験やモデルや仮説が次々に届いたり見えたりしてくるので、書き足しているうちにまとまらなくなった。そこで打ち止めにして、全体を「知能の物語」というふうにした。
「物語」と銘打ったのは、これが教科書ではないこと、人工知能の歴史の物語に因んでいること、言語はパターンよりも物語力をもっているのでそういう言語の力に寄り添って知能の物語に接近したかったこと、この3つの理由によっているのだと言う。
ぼくはこういう人の告白的文章が大好きで、以前ならインド哲学の松山俊太郎さんや中国文学の草森紳一(1486夜)さんが、そうだった。書いているうちにいくらでも連想性と老婆心が絡まってスパイラルにビルドアップされていくので、キリがなくなっていく。スパイラルも何重もあるので意外なつながりもおこる。それも書く。そのうち何を書いているのかが拡散する。けれどもそのぶん本人の洞察は冴えてくる。
正直いって、こういう文章は読みやすくはない。しかし、一見抜け目のないように設えられた学術論文なんて、レフェリングの網をくぐるために書くようで、そんなものをリアルタイムに読まされるのはつまらない。いずれ大きくまとまるか、それなりに陶冶されたところで読めばいい。それよりも、語るように、綴るように、思索が一所不在を彷徨しているようなものこそ、実はプラトン(799夜)やモンテーニュ(886夜)や荻生徂徠(1706夜)やシオラン(1480夜)やレヴィナスがそうだったように、歴史的脈動を伝えてくれるものなのだ。
というわけで、この本は紹介や案内できるような類のものではない。ぼくも風呂に浸かったまま、ときどき呟くのがよさそうである。
冒頭、ジェフ・ホーキンスがこんなことを言っていたという話が出てくる。脳はパータンをシーケンスとして扱い、そのパターンを自己連想的に呼び起こし、パータンの一部から全体を復元させるようなことをする。けれども脳はまたパータンを普遍の表現で記憶するようなので、いちいちの知覚器官によるモダリティに依存しない連想を可能にしている。そう、ホーキンスが言ったという話だ。
ホーキンスの言っていることは納得できるところもあるけれど、中島さんはあくまでそれを「工学」として考えたい。工学は「動作原理」(手続き)を追求するものだから、工学的に考えると、そういう脳の問題を含めて人間の知能を機械がどこまで代行できるかを詰めてみるというふうになる。そうなるとホーキンスとは違うところも出てくるだろう。中島さんはまずこんなふうに自分の課題を設定した。
この課題は結末から言うと、きっと「機械は知能をもつのか」ということになっていく。しかし、これはかんたんには答えられない。この問いは「機械は人間のように知能をもつことができるのか」という問いなのだ。だとするとこのことを点検するには、ひとつには、さかのぼって「知能とは何か」ということと、もうひとつには「機械と知能をつなげたとしたら、何が言えるのか(作れるのか)」ということを、ちゃんと相手にしなければならないのである。
エドガー・ダイクストラはうまいことを言った。「機械は考えられるか」という質問に対しては、こう答えればいいというのだ。「それは、潜水艦は泳げるのかと質問しているようなものだ」と。
ダイクストラはオランダ出身の計算機科学の大立者だった。ダイクストラ法、逆ポーランド記法、駐車場アルゴリズム、マルチプログラミング・システム、排他制御のためのセマフォ、分析コンピューティングのための自己安定化の手法などは、みんな彼が考えた。よく知られているように、分散コンピューティングはダイクストラが先駆した。
が、中島さんは、「考える」とか「泳げる」という言葉の内含性でこの議論をすませたくないので、「機械は人間のように知能をもつことができるのか」という問いが成立するかどうかを、「人間は機械である」「人間は機械っぽいのか」ということがどのくらい成立しそうなのかということを点検する方向で、埋めていきたい。ところがふつうに点検してみると、すぐにひどいものだということが見えてくる。
こんなぐあいだ。①考える機械を作ろうとしている開発者の意図はばらばらだ。②そもそも入出力が極端に貧弱だ。人間は複数の感覚器官からそうとうの情報をもらっているが、機械(コンピュータ)は限定されている。③それになんといっても、機械は意識をもっていない。
なかでも③の問題は決定的だろう。決定的だが、機械が意識をもっていないとするなら、その意識とはそもそも何なのかということもわからなければならない。多くの哲学者や知識人が意識についてはいろいろなことを言ってきたが、その議論の多くは意識と知能をごっちゃにしているようなところがある。
そこで中島さんは「意識」をひとまず「自分の思考に関する思考、つまりメタレベルの思考」というふうにしてみた。当たっているかどうかはべつとして、もし意識がそういうものなら、それは人間がもっているシステムからの脱出の能力に関係していそうだ。つまり、何かを考えている最中ら過去の事例とか別のことを思ったり、こんなことを感じているのに飽きたりする能力、それが意識というものだろう。
もし意識がそういうものだとしたら、これは並列に走るモニタープログラムとして擬似的にあらわせなくもない。
フロイト(895夜)、エーデルマン、ミンスキー(452夜)の意識の捉え方は似ている。①意識は個人に生じている。そこには「自己」がいる。②意識はしょっちゅう変化しているが、連続もしているし、持続的ものに見える。③意識は志向性をもつ。だから「何々についての意識」というふうに取り出せる。④意識はその個人が関心をもつすべての面に向けられてはいない。⑤意識はたんなる脳のはたらきに伴う随伴現象ではないだろう。
こうして中島さんは気をとりなおす。それでは、そんなふうに向き直った中島さんが本書にどんな着眼を残したのか、ごくごく僅かだが、以下に拾っておく。
(絶筆)
執筆開始時期:2016年3月
■補足解説
絶筆篇第2弾は、中島秀之さんの『知能の物語』です。冒頭で松岡が書いているように、タイトルにある「物語」は、本書が人工知能研究の歴史を物語るということ、それとともに人工知能が知能に関する物語を生成するという意味の両方を含んでいます。構成は「知能に関する7つの不思議」として、1.自意識はなぜ必要か、2.自由意志は本当にあるのか、3.感情は知能にとって何なのか、4.思考に言語は必要か、5.表象の役割とは、6.学習とは何か、7.論理は必須か、といった問題意識を提示しながら、それらを掘り下げていくような展開になっています。
「チューリングテスト」「フレーム問題」「言語の必要性」「複雑性の定義」など、人工知能をめぐる本質的な問題を網羅する一方で、具体例として「スター・トレック」や「ナイトレーダー」、グレッグ・イーガンの『順列都市』といったSFも参照し、一般読者も楽しめる一冊になっています。将棋棋士の羽生善治さんは「この本には知能の夢が壮大に描かれています」という帯文を寄せています。
著者の中島秀之さんは、東京大学大学院で工学博士を修めた後、産業技術総合研究所サイバーアシスト研究センター長、公立はこだて未来大学学長などをへて、現在、札幌市立大学の教授をつとめています。これまで長きにわたってオピニオンリーダーとして人工知能研究を牽引してきた日本で指折りの工学者です。
松岡は本書を「器量の大きい本だ。ここまで科学と工学と人文科学を包括している人工知能本はこれまでなかった」と大絶賛し、相当に読み込んでいました(下記のセイゴオ・マーキングを参照)。松岡と親交の深い数学者の津田一郎さんも、「物語」をテーマに数学と心の関係を探求していますが、実は津田さんと中島さんは同じ札幌市立大学の教授同士です。数学にも工学にも「物語」を求める2人を、松岡はジーニアスな学者だと評してきました。
2023年の年末、松岡は津田さんとともに共著『生命と言語と科学の秘密』(文藝春秋)を刊行しましたが、続編企画として中島さんをふくめた鼎談本が企画されていました。その打ち合わせのために、2024年2月に松岡は中島さんと数十年ぶりに再会。津田さん、中島さん、松岡の3人で、工学と知能と物語についてディープな交わし合いをしました。残念ながらこの企画は打ち合わせだけで終わってしまい、書籍化は叶いませんでした。
(補足解説・寺平賢司/松岡正剛事務所)
■関連する千夜千冊
107夜 津田一郎『カオス的脳幹』
カオスは「見立て」が好きな現象である。天才津田一郎が「カオス的遍歴」の謎を解くために「物語性」と「もっともらしさ」を導入した。津田さんはイシスコミッションメンバーとしても活動し、遊刊エディストで連載もしている。
1602夜 ジェイムズ・バラット『人工知能』
長年の取材にもとづいた人工知能の将来に対する警告書。人工知能は何をもたらすのか。20年後に「シンギュラリティ」は本当にやってくるのか。
1658夜 トマス・リッド『サイバネティクス全史』
第二次世界大戦が生んだサイバネティックスが、電子技術の基盤となった。インターネットもスマホも、人工知能もロボットもサイバネティクス・ファミリーだ。
■セイゴオ・マーキング
⊕『知能の物語』⊕
∈ 著者:中島秀之
∈ 編集:小川透
∈ 編集協力:冨高 磨・高山哲司(近代科学社)
∈ 発行者:中島香之
∈ 発行所:公立はこだて未来大学出版会
∈ 発売所:蠜 近代科学社
∈ 題字(書):今野翠花
カバーデザイン:原田 泰
∈ 発行:2015年
⊕ 目次情報 ⊕
『『知能の物語』』
1 知能の探求
2 知能に関する七つの不思議
3 人工知能研究の歴史
4 認識
5 学習
6 知識表現と推論
7 チューリングテスト再考
8 環境と知能
9 自然言語と対話
10 複雑系と知能
11 知能の未来の物語
12 おわりに
⊕ 著者略歴 ⊕
中島秀之(なかじまひでゆき)
1952年、兵庫県西宮生まれ。1983年、東京大学大学院情報工学専門課程修了。工学博士、同年電子技術総合研究所に入所、産業技術総合研究所サイバーアシスト研究センター長を経て、2004年より公立はこだて未来大学学長。人工知能、特に知能の状況依存性を生の研究テーマにしている。マルチエージェントならびに複雑系の情報処理にも興味を持ち、最近ではデザイン学とサービス学を中心テーマとして活動している。多趣味で、テニス、カメラ、酒、乗り物の運転(陸海空の免許を持つ)等を広く嗜む。