才事記

アビ・ヴァールブルク

記憶の迷宮

田中純

青土社 2001

編集:津田新吾
装幀:戸田ツトム

    

 2015年、平成27年が僅かな「後書き・奥付」のページを残して暮れようとしている。相変わらずのなんだかんだの書物三昧の1年だったけれど、自分で読み遊んできた本やぼくの著書や千夜千冊とはべつに(そういえば今年の千夜千冊は『源氏物語』3夜連続で年初を迎えたのだった。そういえば去年の千夜千冊の年末はバルザックだったなあ)、主としてスタッフたちががんばってくれたのだが、本まわりの出来事にかかわる仕事も続いた。
 小森とイシス編集学校師範代たちを中心にした帝京大学MERICの展開、産経EX「ブックウェア」を小森や佐伯や寺平とつくってきた一週一本の紙面、リクルートについての世界観づくり、田中泯との時と場を変えて語り継いだ『意身伝心』、無印良品の店舗内に出現しつつあるMUJIBOOKS、ネットワン縁座がはみ出した『匠の流儀』、近畿大学に2年後に出現する2層図書空間「NOAH×DONDEN」計画の準備、東所沢に数年後に予定される角川文化フォレスト・プロジェクトの青写真づくり、イシス編集学校15年間の500ページ『インタースコア』化など、あれこれのブックウェアの仕事もあった。
 こういう仕事にかかわるとき(とくに「図書街」おこしや「松丸本舗」づくりのときが顕著にそうだったのだが)、以前からぼくが必ず目の前に浮かべてきたことが、二つある。二つともを神殿のごとく神棚のごとく、また書棚宇宙館のごとく、理想的な本の触発連鎖空間のごとくに思い浮かべる。
 ひとつはヘレニックなアレクサンドリアの図書館である。21世紀のカリマコスなら、いまぼくが直面している図書空間の仕事をどんなふうにするだろうと想像するのだ。もうひとつがヴァールブルクの図書館(正確にはヴァールブルク文化科学)のことを思い浮かべることだった。文理融合を最初に手掛けた図書館である。
 今夜は後者をめぐって、本書、田中純の『アビ・ヴァールブルク』(青土社)と、ヴァールブルク著作集(ありな書房)と、松枝到が編集した『ヴァールブルク学派』(平凡社)というすぐれた内を借りながら、去年今年に向けた千夜千冊をしてみたい。
 なお田中の研究と著書はサントリー学芸賞をとった本書だけでなく、『残像のなかの建築』(未来社)、『ミース・ファン・デル・ローエの建築』(彰国社)、『死者たちの都市へ』(青土社)、『都市の詩学』『政治の美学』(東京大学出版会)、『イメージの自然史』(羽鳥書店)、『建築のエロティシズム』(平凡社新書)、『残像のなかの建築』(未来社)、『冥府の建築家』(みすず書房)など、いずれも耽読したくなる出来ばえだ。建築的想像力に及ぶものが多いけれど、そこにはまことに浩瀚なベンヤミン的な見方が透徹している。

 では、この挿話から入ってみたい。
 かつてヴァールブルクに惚れた同時代の日本人がいた。大倉邦彦である。大倉洋紙店の創業者だった。20年ほど前、萩尾望都さん(621夜)とともに東横線の大倉山で降りる大倉文化研究所の講堂で話をしたとき、初めて大倉邦彦の人物ぶりを目の当たりにしたような気がしたものだ。
 大倉は大正15年(1926)から3年ほどヨーロッパを視察旅行した。そのときハンブルクに滞在してヴァールブルク図書館をつぶさに見学した。案内をしたアビ・ヴァールブルク(Aby Warburg)本人がその日のことを記して、「日本の大きな商店の所有者のオークラが、私の図書館の構想と構造に学ぶため、お抱えの建築家と秘書とフローレンツ教授とやってきた」「彼はとてもこまやかな心くばりのある篤志家で、日本の学校や図書館を古来の精神要素でいっぱいに満たしたいと望んでいた」と書いている。
 フローレンツ教授は明治大正期に東京帝大でドイツ語と言語学を教えていたカール・アドルフ・フローレンツのことで、当時はハンブルク大学に戻っていた。大蔵が連れていたお抱え建築家は長野宇平治のことで、すでに大倉洋紙点の本社社屋を設計していた。長野は、このあと昭和7年に竣工するプレヘレニック様式の大倉文化研究所の設計者となった。
 大倉がヴァールブルクの図書館に惚れたのは、痛いほどよくわかる。大倉ならずとも、見た者は全員が惚れるに決まっている。そのくらい、この図書館は一つの理想に達していた。
 ぼくはこの図書館のことをロンドンのフランセス・イエイツ(417夜)から聞いて、ほとほと感服した。ロンドン大学にも分室があったけれど、ハンブルクの実物の図書館を見ていたらもっと感動していただろう。そしていつか大倉のような研究施設を提案していただろうと思う。

 ヴァールブルクにはヴァールブルク家の長い歴史があった。その家は17世紀半ばに自由ハンザ都市ハンブルクで両替屋と質屋を営んでいて、1798年にはM・M・ヴァールブルク銀行を設立した。アビ・ヴァールブルクはその創業者の家系の流れを承けていた。長男だったから、その身にはたいへんな素封家の条件が揃っていた。
 ところが長じたアビは、とんでもないことを言い出したのだ。長男が継ぐべき家督権を弟に譲りたい、その代償として「自分がほしいと思った本を自由に買い与える」ということを、家族に求めたのだ。銀行の経営権と自由な本の入手を天秤にかけてしまうというのは、よほどのことだ。実はこの提案は、アビが13歳のころからのもので、そのころすでに「弟たちには好きなものをかってあげて。ぼくには欲しい本を買ってくれるだけでいい」と言っていたらしい。
 アビ・ヴァールブルクはあきらかにおかしかったのだ。あとで少しふれるが、実際にも一時期アビには、風変わりな精神疾患を冒した症状があった。クレペリンやビンスヴァンガーの診察にかかっていたこともあった。しかし、このおかしさは書物フェチやイメージコンテンツ・フェチにもとづいていた。そしてこのおかしさこそが、世界に冠たるヴァールブルク図書館とヴァールブルク学派を生み出したのだ。

 1886年、アビはボン大学に入っている。考古学を専攻するつもりだったようだが、

 ヴァールブルクは「イコノロジー」の提唱者となった。イコノロジーの定義はアーウィン・パノフスキーの『ルネサンスの春』このかたの実績を含めていろいろあるが、一言でいえば「イメージをどう分析するか」ということだ。ぼくは「マネージメントがあるのならイメージメントがあっていい」とずっと主張してきたが、それはヴァールブルクとヴァールブルク学派が成し遂げたことをモデルに言っていたことだった。
 ヴァールブルクのイメージメントは、美術史家としての陶冶から始まっている。

(絶筆)

執筆開始時期:2015年12月ごろ

     

■補足解説

 今夜の絶筆篇は、いまからちょうど10年前、2015年の年の暮れに松岡が執筆を試みた千夜千冊です。松岡が理想の図書館として常々語っていた「ヴァールブルク図書館」とともに、創設者であるヴァールブルクの人物像の謎に迫ろうとしていました。

 「ヴァールブルク図書館」がいかに画期的だったかについて、松岡は大きく2つの特徴を挙げて語っていました。
 一つは、ヴァールブルクの連想的な思考様式にもとづく独特の本の配列です。蔵書は4つの階に分けて収められました。2階「イメージ」、3階「方位設定」、4階「ワード」、5階「行動」とテーマが設定された上で、それぞれ相互関連する文脈のもとに配され、かつフロアをまたいでも書物のアドレスが照応するような工夫がほどこされました。
 もう一つは建物の空間が楕円形に設計されたことです。円のように一つの中心へ収束するのではなく、二つの焦点のあいだを行き来する楕円形は、知をアクロバティックに組み合わせたいヴァールブルクにとって絶対条件だったといえます。

 本文に言及されているパノフスキーを取り上げた千夜千冊『イコノロジー研究』では、「ヴァールブルクの書物配列によるプログラムには、すでにそこから導かれうる方法の予知が告示されていた」と書かれています。
 ヴァールブルクのイコノロジー学の核心は、「古代の記憶=イメージ」がヨーロッパの歴史のなかでどのように再生されてきたかを探求することにありました。イメージの断片の集積から歴史のミッシングリンクを描き出そうとするヴァールブルクにとって、図書館はジャンルと時代を自在に行き来するための思考装置であったといえます。著者の田中純さんはヴァールブルクを「時の旅人」であったと表現しました。
 本書では、動乱の時代のドイツに生きたユダヤ人としての不安と葛藤が、ヴァールブルクの学問の根幹にあったという仮説を立て、その錯綜する思想遍歴(記憶の迷宮)に分け入っています。松岡が絶筆してしまった本文の続きも、ヴァールブルクのイコノロジー学の展開と、深刻な妄想に苦しんだ生涯を照らし合わせるようにして書き進めたことでしょう。
 ちなみに田中純さんは、松岡を特集したユリイカに追悼文「宝探しの地図―松岡正剛の物忌み」を寄稿してくださっています。青年期に出会った30代の松岡の印象からはじまり、「遊」時代のいくつかのエッセイを引用しながら「重力」と「場所」をテーマとしていた松岡の存在学に肉薄する論考です。

 松岡は、本たちの歴史と本にまつわる出来事とのつながりが分断されている現代の知の状況に、強い問題意識を持っていました。一体どうしたらこの分断を繕い、再生させられるか。新たに再編集できるのか。そうした切実な問いを引き受けながら、数々の本棚空間のプロジェクトを手掛けてきたのです。だからこそ、松岡は「ヴァールブルク図書館」を理想の知の空間と考えていたのでしょう。

(補足解説・寺平賢司/松岡正剛事務所)

■関連する千夜千冊

552夜 ホルヘ・ルイス・ボルヘス『伝奇集』
ボルヘスの「バベルの図書館」では、どの一冊をとっても、その一冊が他の全冊と関係をもたないということがない。ボルヘスは一者において全者であろうとし、一所において全所であるような、一書において全書であって、そのすべての逆行と遡行であるべき志向をもっていた。

1589夜 佐野衛『書店の棚 本の気配』
本は棚であり、棚が書店である。書物は集まって文脈になる。文脈は書棚となり、書棚が書店になっていく。書棚は記憶であり、認知なのである。だから書棚はたんなる形と色ではつくれない。棚は本、本の気配が棚なのだ。

1439夜 ピーター・バーク『知識の社会史』
「本棚編集」で重要なことの一つは、本棚たちが何を「意図」しているのか、その大きなメッセージを感じさせるようにすることだ。本棚はそのポジショニングとともに、その本棚にアドレスされる本と人とが動的な〝社会地理”になっていなければならない。

■セイゴオ・マーキング

⊕『アビ・ヴァールブルク−記憶の迷宮』⊕
∈ 著者:田中純
∈ 編集:津田新吾
∈ 装幀:戸田ツトム
∈ 刊行年:2001年
∈ 出版社:青土社

⊕ 目次情報 ⊕

∈ 第1部 両極性 1908‐1923
∈ 第2部 情念 1886‐1907
∈ 第3部 記憶 1924‐1929

⊕ 著者略歴 ⊕
田中純(タナカ・ジュン)
1960年宮城県仙台市生まれ,千葉県で育つ.東京大学教養学部および同大学院総合文化研究科でドイツ研究を学ぶ.博士(学術).現在,東京大学名誉教授.専門は芸術論・思想史.近現代の思想史・文化史のほか、さまざまな芸術ジャンルの作品を縦横に論じる.著書に『アビ・ヴァールブルク──記憶の迷宮』(青土社,サントリー学芸賞),『都市の詩学──場所の記憶と徴候』(東京大学出版会,芸術選奨文部科学大臣新人賞),『政治の美学──権力と表象』(東京大学出版会,毎日出版文化賞),『イメージの自然史──天使から貝殻まで』(羽鳥書店),『冥府の建築家──ジルベール・クラヴェル伝』(みすず書房),『過去に触れる──歴史経験・写真・サスペンス』(羽鳥書店),『歴史の地震計──アビ・ヴァールブルク『ムネモシュネ・アトラス』論』(東京大学出版会),『デヴィッド・ボウイ──無(ナシング)を歌った男』(岩波書店),『イメージの記憶(かげ)──危機のしるし』(東京大学出版会)、『磯崎新論(シン・イソザキろん)』(講談社)など,訳書に,サイモン・クリッチリー『ボウイ──その生と死に』(新曜社)がある.2010年,フィリップ・フランツ・フォン・ジーボルト賞受賞.モットーとするデヴィッド・ボウイの言葉は,「ぼくが与えなければならなかったのは/夢見ることの罪だけだった」(〈時間〉)。