父の先見

河出書房新社 2022
Matthew Syde
BOUNCE―Mozart,Federer, Picasso,Beckahm, and the Science of Success 2010
[訳]山形浩生・守岡桜
編集:三崎富査雄・原正一郎ほか(協力)
装幀:西垂水敦・市川さつき
大半の才能は練習量で決まる。これが本書の主旨である。著者は卓球の全英チャンピオンだった。1995年、24歳のときだ。
人の才能はほぼ一定である。ぼくはずっと、そう思ってきた。人には高い才能も深い才能もなく、貧しい才能も低い才能もない。それぞれの才能にはそれほどの大小長短軽重はなく、ただその出方の「分」があれこれ異なって人生の各所に出入りしているだけである。そう、確信している。
このことは訳知りに言うのではなく、ずいぶん前から実感してきたことだった。才能というもの、絵がうまいのも糸縫いがうまいのも、喋るとおもしろく言うのも足が速いのも、魚に親しめるのも土と遊べるのも、数かぎりなくある。それが一人の人間の中にちょっとずつ入っていて、畳みこまれている。それらの才能の何が外に出てくるかはわからないが、結局は
(絶筆)
執筆開始時期:2024年3月ごろ
■補足解説
2022年10月のある日、松岡がそれまで千夜千冊の傍らで4年半にわたって連載していたコラム「セイゴオほんほん」をそろそろ仕舞いにしたいと言い出しました。これからは本当に自分が考えたいことに注力する。そうして始まったのが連載コラム「才事記」でした。
「才事記」では、粟田口吉光の刀剣や、電子ゲーム「ゼビウス」の設計、横須賀功光の写真、ラグビーのフィン・ラッセルのパス捌きなど、松岡が驚嘆した才能の正体に迫ろうとしました。才能と出会ったときの感動の記憶をどのように保持し、いかに別のメディアに転移できるかが編集力の核心であるとも書いています。本書『才能の科学』は、連載執筆のために参照した一冊だったと考えられます。
本書の内容は、千夜冒頭の一行「大半の才能は練習量で決まる」にほぼ集約されます。モーツァルトやピカソ、タイガー・ウッズ、フェデラー、ベッカムといった一流の音楽家やアーティスト、スポーツマンを例にあげて、その天才性が特別な先天的能力ではなく、「長期にわたる高密度の練習×適切なフィードバック×整った環境」によって培われたものであることを科学的に解き明かそうとする一冊です。
著者のマシュー・サイドはイギリスを代表するスポーツ・ジャーナリストであり、卓球でオリンピックの出場経験もある一流の元アスリートです。加えて名門オクスフォード大学の哲学政治経済学部を首席で卒業という華々しい経歴をもっているのですが、それらの成功における実体験も本書の議論の裏付けとして随所に盛り込まれています。「才能は生まれつきではなく、つくられるものだ」というかなり割り切った論旨で展開されるため、刊行後は賛否両論もあったようですが、希望あるメッセージによって多くの読者を獲得し、世界各国でベストセラーになりました。
楽器演奏やスポーツにトレーニングが必要であるのと同様に、松岡もスキルを磨くための知的なエクササイズを毎日欠かさないと常々語っていました。松岡の書斎で「なぜそんなに文章を書き続けられるんですか」と尋ねたときには、バットを振るしぐさをしながら「読書や執筆というものは、野球選手のように日々淡々と素振りするようなものなんだよ」と語っていたものです。体調や気分に左右されず、出社したらすぐさま書斎のデスクにむかい、愛用のワープロ「書院」でキーボードを打ちながら「ゾーン」に入っていく姿は、たしかにアスリートのルーティンに近いものでした。
当夜の松岡の書きぶりを読むと、本書の内容に触れるだけではなく、「そもそも才能とは何か」という根本的な問いにも踏み込みたかったのだろうと思われます。
松岡はどういった場面や状況によって「才能」があらわれるのかに強い関心を持ち続けてきました。「才能」は自分の内面だけで完結するものではなく、環境との相互作用の中で創発するものだとみなしていました。本文が「結局は」で絶筆していますが、以降の流れを想像すれば、個人のなかに畳まれた才能を引き出す方法こそが「編集力」であると続けたことでしょう。「才能の80パーセントは編集力である」とは、松岡がよく語っていた言葉であり、イシス編集学校のスローガンとしても掲げています。
ちなみに編集工学研究所の代表取締役である安藤昭子さんは、「才能」にフォーカスをあてて『才能をひらく 編集工学』(ディスカバリー,2021)を上梓し、才能と編集力の関係を明快に説いています。
(補足解説・寺平賢司/松岡正剛事務所)
■関連する千夜千冊
1292夜 文藝春秋編『無名時代の私』
自分の才能の開花は、人生と仕事の隙間から、すべて生まれてくる。チャンスはたいてい「薮から棒」のようにやってくる。そのヒントは駆け出しの無名時代にひそんでいる。
1635夜 ジェリー・リンチ『クリエイティブ・コーチング』
名コーチとは選手たちの可能性を引き出すことと、その組み合わせを考え続けてきたプロなのだ。コーチングに必要なのは「知恵」と「直観」と「判断のタイミング」であって、コーチが発すべきは「提案力」なのである。
1547夜 ノーラン・ブッシュネル&ジーン・ストーン『ぼくがジョブズに教えたこと』
ブッシュネルがジョブズに授けた数々のヒントをもとに、創造的な会社をつくりあげるための秘訣を51条にまとめている。このうちジョブズが何を守ったのか、それでどんな成果を上げたのか、何に腹をたてたのか。
■セイゴオ・マーキング

⊕『才能の科学』⊕
∈ 著者:マシュー・サイド
∈ 編集協力:三崎富査雄・原正一郎ほか
∈ 装幀:西垂水敦・市川さつき
∈ 刊行年:2022年
∈ 出版社:河出書房新社
⊕ 目次情報 ⊕
∈ 第1部 才能という幻想
∈∈ 第1章成功の隠れた条件
∈∈ 第2章「奇跡の子」という神話
∈∈ 第3章傑出への道
∈∈ 第4章神秘の火花と人生を変えるマインドセット
∈ 第2部 パフォーマンスの心理学
∈∈ 第5章プラシーボ効果
∈∈ 第6章「あがり」のメカニズムとその回避法
∈∈ 第7章儀式の効果、そして目標達成後に憂鬱になる理由)
∈ 第3部 能力にまつわる考察
∈∈ 第8章知覚の構造はつくり変わる
∈∈ 第9章ドーピング、遺伝子改良、そして人類の将来
∈∈ 第10章黒人はすぐれた走者か?)
⊕ 著者略歴 ⊕
マシュー・サイド(Matthew Syde)
1970年生まれ。英『タイムズ』紙の第一級コラムニスト、ライター。オックスフォード大学哲学政治経済学部(PPE)を首席で卒業後、卓球選手として活躍し10年近くイングランド1位の座を守った。英国放送協会(BBC)『ニュースナイト』のほか、CNNインターナショナルやBBCワールドサービスでリポーターやコメンテーターなども務める。