才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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聖と呪力の人類学

佐々木宏幹

青弓社 1989/講談社学術文庫 1996

編集:和田成太郎(青弓社)・池上陽一(講談社)協力:佐藤憲昭・安田ひろみ
装幀:蟹江征二(文庫)

 70年代半ば、田中泯と週に一度ほどのペースでインプロヴィゼーションをしていたころ、そのつど集まってくる観客や参加者にしばしばトランス状態になる者がいた。とくにめずらしいこととは思わなかったのでうっちゃっておくのだが、なかにはパフォーマンス後に忽然と話しかけてきたり、意味不明なことを言ったり、まわりを擾乱しそうになったりする者もいて、周囲が困りはじめることがある。そういうときは二人のどちらかが相手した。まあ、ちょっとしたコツで覚ましてあげるのだ。二人ともそういうオペは得意だった。
 こういうこと、すなわち「誰かがトランスっぽくなること」は、誰しも多募のちがいはあるだろうけれど、何度か見聞しているだろうと思う。ロックフェスやクラブでも見かけるし、朝カルのようなカルチャーセンターにもたいてい一人や二人いる。熱心な読者にもその手合いが出てくる。ぼくの読者にもいて、ときに怪訝な封書の手紙が届く。たしか30代のころの藤原新也(160夜)はそういうファンをストーカー扱いをしていたが、そうとはかぎらない。

 マタイ伝に「イエスはパプテスマを受けると、すぐに水から上がられた。すると天が開け、神の霊が鳩のように自分の上に下ってくるのをご覧になった」とある。沖縄のユタの話には「神様に促されてウタキまで歩くと、天が開いたように光がさして、昔のお役人のような着物を召したおじいさんが降りてこられて、わが可愛いクァンマガ(子孫)よと話された」というような記録が頻繁にのこされている。
 神降ろしである。神懸かりともいう。ユタたちはカミダーリィ(神がかり)と言っている。神が憑いたのだ。初めて神懸かったのではない。ある条件や状態が揃うと、ユタはカミダーリィになる。
 この「憑く」とはいったい何なのか。なぜそんなことが常時おこせるのか。何がどこに「憑く」というのか。
 「憑きもの」「悪魔憑き」「キツネ憑き」などとも言う。英語ではしばしば spirit possession と言うので、日本語ではこれを戦後になって「憑依」(ひょうい)と訳した。宗教学用語のシャーマニズムにいう憑霊(トランス状態)に近い状態をさしているのだが、エリアーデ(1002夜)はシャーマンの場合はむしろ「脱魂」(ecstasy)のことだと解釈した。脱魂とは霊が憑くのではなく、その人物のspiritが体を離れることをいう。
 そうだとすると、神が憑いたわけではない。神と人とのあいだのダイモーンのようなものがそこに介在したとみなされるのである。

身体の不調や身内の不幸など、肉体や精神の強烈な苦痛を受けている最中に、どこからともなくもたらされた不思議な声や暗示、あるいは「今すぐ修業をしなさい」などのお告げを受け取ったものはカミダーリィ、すなわち神が降りたものとみなされる。そこで修行をする決心をしたものは、神から降りた霊的な力をコントロールする訓練をしたのちユタとなる。写真はユタ集団が訓練をしている様子。

ノロ(左)とは15世紀ごろに琉球王国で作られた公的なシャーマンで、国家の繁栄と安泰のために祈った。祝女殿地(のろどぅんち)と呼ばれる各地域の有力な王族の肉親から選ばれた。その子孫たちは今も、御嶽(うたき)と呼ばれる聖地で、海の彼方のニライカナイと天空のオボツカグラへ祈り続けている。対してユタ(右)は個人の悩みに応える民間のシャーマンで、語源は、ユンタ(おしゃべり)やユタめく(ゆれる)からとも言われる。

 わが国には源氏をはじめとする王朝物語に「もののけ」が綴られ、その摩訶不思議が何度も語られてきたのだが、原文をよく読んでみると、どうもその様子はすこぶる複合的だった。
 たとえば宇治拾遺物語には、藤原頼通が乗馬中に倒れて急病になったとき、有験(うげん)の高僧として知られる心誉(しんよ)という僧正に祈祷してもらおうと使いを出したら、僧正が到着しない前に護法童子(ごほうどうじ)がやってきて、頼通に憑依した悪霊を追い払ったという話がのっている。護法童子とは使役霊のことで、除霊は分業されたのだ。「もののけ」は一体や一匹の仕業ではなく、幾つかの役割を分担するらしい。ダイモーンは一体や一匹ではないわけだ。
 日本では「憑坐」(よりまし)と言って、霊が乗る小さなヴィークル、あるいはメディアを想定する例も多く、またそれが子供の姿をとることも多く(それが護法童子)、ポゼッションやトランスがおこる状況は必ずしも単線的ではない。複合的なのだ。

モノノケ(物の怪)などのモノは人間の対義としての「モノ」であり、元来は全ての無物無生物、超自然的な存在を指していた。上図は『付喪神絵詞(つくもがみえことば)』に描かれている宝棒にもたれている護法童子。肌は薄赤く、鬼のような姿をしている。髪は逆立ち、胸元を大きく開いて、赤茶色の衣をまとっている。高徳な僧侶に給仕をしたり、寺院を守護する役割を持っている。

 かつてそんなことを不審に思って、せりか書房から著作集が出始めていたエリアーデを読み、折口(143夜)と柳田(1144夜)にとりくみ、プロテスタント神学者ルドルフ・オットーの『聖なるもの』(創元社→岩波文庫)を覗いたり、岩田慶治(757夜)の『カミの誕生:原始宗教』や『草木虫魚の人類学:アニミズムの世界』(いずれも淡交社→講談社学術文庫)などにぞっこんになって岩田さんの自宅を訪れたり(応接間にフクロウの置き物がいっぱい並んでいた)、トランスパーソナルなロバート・オーンスタインの『意識の心理』(産業能率短期大学出版部)などを読み耽ったことがあった。
 ただ、当時は何を読んでも憑依の実態は見えてはこなかった。何か、釈然としないのだ。
 エクスタシー、怨霊、もののけ、イタコなどの神降ろし、多重人格の発生、霊界との通信、キツネ憑き、魔女裁判、ものぐるひ、神聖舞踏、悪魔祓い(エクソシストの歴史)、都市伝説、ドラッグ・トリップ、タントラ的セクシャリティ・・・・。これらは同義ではないけれど、おそらく混じったまま広がってきたものなのだろう。
 そこで小松和彦(843夜)らと語りあってもみた。小松には『憑依信仰論』(伝統の現代社→ありな書房)の著書もあり、そのころは「憑依はフェティッシュに属するんじゃないか」と言っていた。けれども、アニミズムやシャーマニズムの研究が憑依の秘密を抉っていると思えるものは少なかったのである。

1692年、アメリカ東部のマサチューセッツ州セイラム村で、少女たちの集団ヒステリーによる奇行が魔術であると告発され「セイラム魔女裁判」が開かれた。被告人は魔術を使ったことを自白させられ、拒否すると拷問を受けた。最終的に19名が絞首刑に処された。

アニミズムに基づいた文化が残るアフリカの国々では、魔術信仰は根強い。写真は「悪霊」が取り憑いたとする1人に対して悪魔祓いをする様子。悪霊が取り憑いた「魔法使い」によって、災いが起こると信じられてきた。

テーベで見つかった紀元前5世紀の墓には、踊り子たちが天空の女神ハトホルなどに扮し、見る者に神の世界を伝えている様子が描かれている。同様の神聖な舞踏は世界中の先住民の間で見られ、人類学者のルイス・ファーネルは、「発達段階を同じくする人間集団が、自然災害や食糧の獲得などの環境の刺激に対して同じ宗教的行為で反応する」ことを示唆すると考えた。

古来、日本では狐は霊威を秘めた動物として扱われ、狐塚や稲荷神など狐を祀る信仰も残されている。特定の人間が異常な行動をおこすと「狐憑き」にあっているとみなされて、祈祷の対象になった。

 こんなことではオカルトなどとうてい議論できないし、逆に詰(なじ)りもできない。世界宗教と民間仰を行ったり来たりすることもできまい。非合理な解義が渦巻く神秘主義全般に、手を拱(こまね)くだけになる。
 これはまずいのではないかと感じた。どうしたらいいのか。民族学と民俗学をどういうふうに跨ぐか。アニミズムとシャーマニズムとフェティシズムを編集的現在のなかで実感するには何に近づいていけばいいのか。これがいっときの課題だった。30代前半のことだ。
 そんななか、アルタイ系の民間信仰を研究したウノ・ハルヴァの『シャーマニズム』(東洋文庫)、佐々木宏幹の『シャーマニズムの人類学』(弘文堂)がそこそこ手厚かった。本書はその佐々木による興味深いアンソロジーめく一冊で、いまは学術文庫に入ったので容易に読める。文庫にしては索引が充実している。佐々木は宗教人類学を専攻した。
 沖縄の「セヂ」を扱い、神や人だけではなく、モノの霊力に迫ろうとしているのが新鮮だった。憑依はそのモノの霊力を含めて、なんらかのサイバーパワーの持ち主が変容するおこないなのである。佐々木はそれを、①役小角(えんのおづね)のような精霊統御型、②シャーマン(巫女)のような霊媒型、③法力を暗示してみせる予言者型に分けていた。

図はカナダ北西海岸の先住民族クアキウトルが贈与儀式「ポトラッチ」を披露する仮面。鳥の精霊を象徴する装束に身を包んだ者も混じって打楽器のリズムに合わせて踊る。歌と踊りで祖先と超自然的な力の交流を表現して、ポトラッチの贈与感覚を場で共有しあう。

2枚の画像はともに19世紀に描かれた絵画。左はカナダに住むシクシカ族の呪医が瀕死の男を救う様子。邪霊の侵入による疾患の場合、これを霊視し、補助霊の助けを得ながら祓う。右は西アフリカのシャーマン。アフリカの仮面は、人間の力の及ばない森の世界と人間の住む村の世界の断絶を繕いなおす仲介役や、人の通過儀礼に立ち会う精霊として用いられる。

役小角は飛鳥時代の修験者で山伏の開祖。若くして藤原鎌足の病気を治癒する功績をあげた。一般には見られない妖しい術を行使したため、幾つもの鬼神を使役して水を汲ませたり、薪を採らせていると噂が立った。その実態は、のちに日本全国に張り巡らされる山伏ネットワーカーの原型である。彼らは山に籠る呪術的な宗教集団であり、自然資源を活用する科学技術集団だった。

 憑依やエクスタシーやトランスは「意識の例外状態」なのだろうと推察できる。ラプソディの原型でもあろう。中井久夫(1546夜)が証したように文明の初期から発生していた分裂病の一種でもあろう。つまりはアルタード・ステート(変成意識)なのだろう。精神医学ではこれを「解離」(dissociation)とみなす。
 そうでもあろうとは思うのだが、このことを腑に落ちるように解明する科学や思想はほぼ登場していない。神秘主義やオカルトが学問のかたちをとれないと同様に、憑依現象はたいていは放置しっぱなしなのである。
 それでも他方では、大半のマンガやアニメやモダンホラーものには憑依シーンは頻繁に描かれる。いまや憑依しないキャラクターがいないほどだ。そういう作品は水木しげるから『もののけ姫』まで、大当たりもしてきた。みんなヘンシン大好きなのだ。
 平田篤胤や井上円了などの探求者もいた。幻想作家というふうに片付けられているが、泉鏡花(917夜)や半村良(989夜)や京極夏彦らの作家も数かぎりなく輩出しつづけている。
 最近では、やっと日本の「もののけ」の歴史にも研究者たちが光をあてて、上野勝之『夢とモノノケの精神史』(京都大学学術出版会)、小山聡子の『もののけの日本史』や山田雄司『怨霊とは何か』(いずれも中公新書)、同じく山田の『怨霊・怪異・伊勢神宮』(思文閣出版)など、読ませるものが出てきた。かつては阿部正路の『日本の幽霊たち―怨念の系譜』(日貿出版社)や諏訪春雄の『日本の幽霊』(岩波新書)くらいにすがるしかなかったのだが――。

『もののけ姫』はもののけの棲処である森を切り開いたタタラ場の民の業から因果が巡った。主人公のアシタカは、森を追われタタリ神に変貌した猪神をやむなく討ち取ったために死の呪いを受ける。解呪の旅に出たアシタカは、人外の力が宿った右腕に導かれ、もののけと人の間をつなぐネットワーカーに変貌した。

左の画像はジョン・C・リリー博士が開発した初期のアイソレーションタンクで、被験者が水中で感覚遮断を体験している。このタンクは、外部の刺激を完全に遮断することで、意識の変成状態や解離現象を引き起こすとされている。右画像は1970年代の改良型アイソレーションタンク。リリー博士が訪問者に説明している。意識の本質を科学的アプローチから探求しようとしたもの。

宗教芸術においても、エクスタシーは表現されてきた。上記2枚はいずれも、カルメル会修道女だった聖女テレジアの自伝『イエズスの聖テレジア自叙伝』(1515年 – 1582年)に描かれた、天使と出会った神秘体験を再現したもの。テレジアはこの神秘体験によって得た変成意識を「愛情にあふれた愛撫はとても心地よく、そのときの私の魂はまさしく神とともにあった」と綴っている。

『源氏物語』をモチーフにした大和和紀の漫画『あさきゆめみし』より、六条御息所の生き霊が葵の上をとり殺す場面。御息所が眠りに落ちた夜、生き霊は御息所邸に咲く「くちなしの花」の香りを纏って葵の上のもとへ向かい、邪気祓いに焚かれていた「芥子」の香りを伴って邸に戻っていく。中世の「もののけ」は辺りの空気とともに移動する「物の怪」であった。

沖縄の古典芸能「組踊」の定番演目『執心鐘入』。美少年の中城若松に恋心を寄せる女は、共に死のうと迫る。恐れた若松は末吉の寺に逃げ込み鐘の中に身を隠すが、狂気に駆られた女は寺中の鐘を探してまわる。すでに若松はその場にいなかったが、鐘にまとわりついた女は異常な執着心のあまり鬼を憑依させる。画像は、宙に吊られた鐘の中から女が逆さのまま鬼になった姿をあらわす山場のシーン。

 憑依の歴史は日本ではかなり重大な発端をもつ。だいたい卑弥呼が「鬼道」の遣い手のシャーマンだったけれど、卑弥呼以上にぼくがずっと気になっているのは、十代天皇の崇神(ミマキイリヒコ)こそが祭司っぽかったことである。例の経緯が興味深い。
 例の経緯というのは、即位3年、崇神天皇は三輪山西麓の瑞籬宮(みずかきのみや)を拠点に治世をはじめるのだが、まもなく疫病が流行して多くの死者が出た。神意を問うと、神人同居に問題があるらしい。やむなくアマテラスとヤマトオオクニタマ(倭大国魂)を宮中の外で祀ることにして、トヨスキイリヒメ(豊鋤入姫)に託して大和の笠縫邑(かさぬいむら)に遷座させた。分業である。けれどもオオクニタマの遷座がうまくない。崇神はあらためて潔斎をして神浅芽原(かむあさじがはら)に神示を問うたところ、神が崇神の大叔母のヤマトトトモモソヒメに憑依した。一神は大物主神と名告り、オオタタネコ(大田田根子)を祭主として神々を祀れば天下は平らぐという。
 またまた分担だ。崇神は大物主神を祀り、事態が収まった。これが三輪神(あるいは出雲神)のspiritだったのである。
 この経緯はさまざまに解釈が可能なのだが、このあと崇神は四道将軍を派遣して国を治め、ハツクニシラス・スメラミコトと称される。神武天皇は後付けだろうから、おそらく崇神が日本(倭国)の初代天皇だったと思われる。シャーマン王である。当人が憑依を体験したわけではないだろうが、憑依の「しくみ」を会得した。
 日本は祭神を重視するシャーマニズムと憑依のしくみを国が内包して、天皇史を起動させることになったわけである。しかし司祭王としての天皇は、後醍醐天皇あたりをピークに、あとは武家機構の中に組しだかれた。明治維新になって「王政復古」が謳われたものの、そんなことはおこらなかった。島崎藤村(196夜)の『夜明け前』がすべて明らかにしたことだ。いまマンガやアニメが憑依を乱発しているのは、日本全史の逆上を見たいからなのだろう。

この世での身体を持たないアメテラスは巫女に憑依して旅をした。最初にトヨスキイリヒメ、続いてヤマトトトモモソヒメに憑依し、新たに鎮座すべき地を求めてあちらこちらと歩き廻り、やがて伊勢の国に到った。絵は伊勢で祈るヤマトトトモモソヒメ(アマテラス)。

TOPページデザイン:菊地慶矩
図版構成(センセン隊):寺平賢司・梅澤光由
大泉健太郎・中尾行宏・桑田惇平・齊藤彬人
南田桂吾・上杉公志・牧野越叢


⊕『聖と呪力の人類学』⊕
∈ 著者:佐々木宏幹
∈ 協力:佐藤憲昭・安田ひろみ
∈ 装幀:蟹江征二(文庫)
∈ 編集:和田成太郎(青弓社)・池上陽一(講談社)
∈ 発行者:野間佐和子
∈ 発行所:株式会社講談社
∈ 印刷:豊国印刷株式会社
∈ 製本:株式会社国宝堂
∈ 発行:1996年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ 学術文庫版まえがき
∈∈ 序論
∈ I 霊魂(アニマ)と民俗信仰
∈∈ 民俗信仰とアニミズム文化
∈∈ 「死」の民俗
∈∈ 「葬祭=仏教」と霊魂観
∈ II 民俗宗教の諸相
∈∈ 沖縄・久高島のイザイホー
∈∈ 「カゼ」と「インネン」──長崎県・福江島の宗教文化
∈∈ 都市シャーマニズムの考現学
∈∈ 大都市シャーマニズムと新宗教
∈∈ 脱魂──憑霊論の周辺再考
∈ III 聖と呪力
∈∈ 僧の呪師化と王の祭司化
∈∈ 巫的文化の諸相──『宇治拾遺物語』の考察
∈∈ 憑入・憑着・憑感──憑霊の概念
∈∈ 聖なる狂気の意味
∈∈ 神秘主義と日本の宗教
∈∈ 原本あとがき
∈∈ 初出誌一覧
∈∈ 索引

⊕ 著者略歴 ⊕
佐々木宏幹(ささき・こうかん)
1930年宮城県生まれ。東京都立大学大学院修了。駒沢大学教授。宗教人類学。著書に『人間と宗教のあいだ』(南斗書房、1979
)、『シャーマニズム』(中公新書、1980)、『憑霊とシャーマン』(東京大学出版会、1983)、『シャーマニズムの人類学』(弘文堂、1984)他。