父の先見
草木虫魚の人類学
淡交社 1976
存分に調査して、自由に書く。準備は準備、表明は表明である。この表明のときに見聞や調査の結果だけではなく、自分の中に滞留していた記憶や体験までを持ち出してみる。
岩田慶治さんに教わったことは、このことだった。その最初の一撃がこの『草木虫魚の人類学』である。続いてすぐに『コスモスの思想』に犯された。気分のよい侵犯だった。
準備は準備、表明は表明とはいっても、そこにもうひとつどうしても必要なものがある。それは「モデル」ということだ。世界に関するモデルである。このモデルを仮説的に設定して、準備と表明との、現実と記憶との橋渡しをしていく。そこまでを教わった。
それが1970年代半ばをぼくが走り抜けられた編集的原動力のひとつになった。
そのとき岩田さんは、本書にも書いてあることだが、アレキサンダー・フォン・フンボルトの「フィジオノミー」(physiognomy)を忘れないようにと言った。本書ではそれを「相観学」というふうに訳している。ふつうは「観相学」と訳す。わかりやすくいえば手相のようなもので、あるものから過去の集積と現在の実情をつないで見ることをいう。フンボルトはフィジオノミーを吐露して『コスモス』を書いた。これこそはエドガー・アラン・ポーが真似た『ユリーカ』の種本である。
目の前の光景であれ、東南アジアの村落であれ、新宿の雑踏であれ、そこを世界とみなし、コスモスとみなし、そこにモデルをおいて過去と現在を貫いた自分になること、それが岩田慶治さんの人類学であり、岩田さん自身の生き方である。
しかし、自分を貫くといっても、自分だけでは貫けない、そこには借りてくるものがある。お助け願うものがある。ひとつはカミである。このカミは各地にいて、それぞれ違った時間と空間を支配したり、出入りしている。一神教では支配力が大きく、多神教では出入り力が大きい。東南アジアにはピーというカミがそこらじゅうにたくさんいて、象のピー、コウモリのピー、ミミズのピー、鶏頭のピー、ナマズのピーになっている。つまりは草木虫魚がみなピーである。
もうひとつお助け願うべきは、媒介者である。メディアと言ってもいいし、道具と言ってもいい。これに敬意というか、特段の注意を払う。
かつては、このメディアや道具によって「モデルとしての世界」と「カミの気配」と「自分という存在」とをつなげる見方が古代に満ち満ちていた。これをアニミズムという。アニミズムは、アニマ(魂)によって世界と自分をつなぎとめ、その連想と連携と連動によって日々を生きていくことをいう。
ちなみに古代社会のメディアや重要な道具は、人類学ではトーテムという。またメディアや道具の役割を巫女(シャーマン)が代行するとき、これがシャーマニズムというものになる。
現代でも、このメディアや道具とアニマの関係はまだ生きているのではないか。そう、岩田さんは考えてきた。
ただし、このメディアや道具は自分ともカミとも切り離せないはずなのに、そこが現代ではおおかた分断されたままになっている。だからコスモスを再生する力が衰退している。岩田さんはそうも考えてきた。
では、どうしたらこの分断から脱出できるのか。現代においてアニミズムは回復できるのか。本書はいわばそのことだけを東南アジアの調査を通して書いているのだが、実は本書だけでなく、岩田さんはその後もずっとそのことばかりを考え、いくつもの譬え話に到達し、それを表明しつづけたのである。
このことについて、ぼくが強烈に印象づけられたことがあったので、その話をしておく。
資生堂に「ミネルヴァ塾」があった。藤本晴美さんが組み立てた合宿型の幹部研修で、8年にわたって続いた。レギュラー講師は福原義春・松岡正剛・いとうせいこうの3人で、いつも意外なゲスト講師が呼ばれる。三宅一生・下河辺淳・鈴木清順・中村雄二郎・安藤忠雄・金井壽宏・石岡瑛子・金子郁容・・・・・・。
あるとき岩田慶治さんを呼んだ。岩田さんは緊張気味の幹部社員が並んだ階段教室の前に進み出て、「ぼくはいま新幹線に乗ってここへ来たのですが」と言い出した。岩田さんは京都在住で、その階段教室は御殿場の経団連のゲストハウスの中にあった。
「ところが、この新幹線に乗っているあいだ、ぼくの体は京都から三島まで、まるでウナギのようにのびきっているんですよ」。岩田さんはそう言って、大きなホワイトボードの端から端までに、まさにウナギのような新幹線を描いた。
「えーっと、このどこにぼくはいるんでしょうかね」。幹部社員は呆然とそのウナギを見て、困り始めていた。しかし資生堂の社員はさすがに上品なので、このおっさんは何を言い出すのかという顔は見せてはいない。
岩田さんは社員よりも自分が描いた線ウナギのほうばかりを向いて、「この長い新幹線のね、どこにぼくがいるのか、なかなか決定できないことでしょう」と言う。「だって京都にいたときのぼくはそのままだし、でもそれが意識のうえでは断続しながら、けれども新幹線は新幹線のままにぼくをここに運んできたわけですよ。いったい世界とか自分というものは何なのでしょうね?」。
人類学者がウナギだけを例にしてそんなことを問うてきても、社員はさらに困るだけだったが、ぼくはキャッキャッしながら喜んでいた。
これがまさしく岩田慶治なのである。われわれは“魂の新幹線”を喪失しつつあり、しかし、よくよく注意してみると、それはまだどこにも喪失されていないはずですよと、そう岩田さんは冒頭で宣言したわけなのだ。
なんだかこれで『草木虫魚の人類学』の説明をしてしまったような気がするが、まあ、それでもいいだろう。
ようするに草木虫魚もウナギも新幹線も、それらとの「対応」が人類の課題であって、そこを追いかけていくと、やっぱりカミと世界とアニマの3つを抜きにしない思想が現代にもあっていいのではないかということなのである。
岩田さんはそれを東南アジアで体感した。そしてそこで、実は時間だってウナギのようにのびきっているものもあり、記憶だってウナギのようにその先端が自分に触っていながら他端は別の動きをしているものもあるのだと、そういうことをあれこれ悟った。
たとえばドゥスン族には時間は4つもあった。繰り返す時間、場面によって区切られている時間、振り子のようにポジとネガを行き来する時間、似た組のペアが共有する時間である。ここでは、時間のウナギを、われわれがもっている時計のようにはカチカチとは測れない。時間そのものが向こう側の領分につながっていて、ぬるぬるしているわけなのである。
それなら、われわれのほうも自分の時間をときどき変えておけるようにしておくべきだろうというのが、岩田さんの信念だった。そのため、新幹線でもウナギになりつつある自分をどうしたら分断しないで、それを資生堂の諸君の前にそのまま見せられるか、岩田さんは考え続け御殿場に着いたのだった。