才事記

国家論

佐藤優

NHKブックス 2007

編集:大場旦・黒島香保里
装幀:宮口瑚・(カバー写真)中野正貴

               
               
 この文章は5年ほど前から少し書いては放置し、また少し書いては放置してきたもので、したがって旧聞に属するところがいくつもまじっている。

【旧】 佐藤優の本にはいつも驚いてきた。例の鈴木宗男のロシア事件に巻き込まれて壁の中の日々を送った顛末を綴った『国家の罠』(新潮社)と『獄中記』(岩波書店)を読んで瞠目して以来、いろいろ気になって手にとってきた。
 それなのに『3・11クライシス!』(マガジンハウス)を関曠野(1455夜)の『フクシマ以降』のときにちょっと採り上げたのをべつにすると、ここまで千夜千冊できなかったのは、たんに機会を逸してきたからで、他意はない。かえって本人に何度か会っているうちにますます思慕が募るばかりだ。
 こんなこともあった。石草流の3代目襲名披露がオークラの平安の間で開かれたとき、アメリカ大使ジョン・ルースに続いて、ぼくが挨拶をした。その直後、ケータイのマナーモードが震えた。佐藤さんからだ。佐藤さんがケータイに電話をしてくるのは初めてなので、ぼくのあとの何人かの挨拶を聞いたうえで中座して架電したところ、「さっき『松丸本舗主義』を読みおわったんですよ。松岡さんは抑制的に書かれているのに、今日の経済社会の本質と読書社会の衰退とがみごとに串刺しされていた。感動しました」というのだ。
 加えて、「ぼくが本を読んでその著者に直接にお礼の感想を言ったのは、これが初めてです。編集工学がどういうものかということも、よくわかりましたよ」だった。嬉しい批評であった。
 佐藤優が他の追随を許さない圧倒的な“本読み”であることは、言うを俟たない。「中央公論」でのぼくとの連載対談でも(中公新書ラクレ『読む力』としてまとめられた)、幾つかの著書の中でも、その読書量と質の高さ、見抜く力は舌を巻くほどだった。聞けば求龍堂版の『千夜千冊』全7巻・別巻1も揃えてくれたようだし、最近は「千夜千冊エディション」(角川ソフィア文庫)にも目を通してくれているらしい。

【新】 佐藤は圧倒的な読み手であるとともに、縦横無尽な書き手でもある。読みが広くて深いから書き方も広くて深いかどうかということは、多くの著者にあてはまることではない。むしろ多彩な読書量を誇る者たちが書き手としては貧相になることのほうが、しょっちゅうだ。ところが佐藤は書き手としても正真正銘、広くて深い。
 読み方がいいだけでそうなれるのではない。読み手であることを書き手として取り込んでいることが大きい。何をどう読んだかということを書ける人なのだ。佐藤にとって何をどう読んだかというのは、誰某の本を読んだということではない。その本が書かれた時代状況、著者の飛躍や沈船、その当時の思想状況や社会的反応や学界事情などを含めて読む。そういう読み方を文意の展開にとりこんでいく。だから、何でも突っ込んで書ける。
 一般に学問的な書き手は、学界のレフェリングを意識して書いている。その論文や著書で自分が何をオリジナルな主張としたか、それがどんなにちっぽけな、小賢しいことであっても、それまでの論壇での主張とは少しでも違っていれば、そこを眼目にして書く。あるいはその眼目を、既存の言述の紹介にちょっと付け加えて書く。だから、著者が参照した文献は巻末に並べ、自分がいかに公正に独自の主張に辿りついたかを示すのである。
 この方法は学問の発展にとってたいへん有効で、実際にも欧米のすぐれた著書の大半がこの方法を踏襲している。ただし、それらは独自の主張を説明している分量がすこぶる多い。そのためすぐに大冊になる。けれども日本の学者の著書は、第一に何を参考にしたかについて、あまりにも詳しくない。第二に独自の主張のための説明がちょっぴりで、雀の涙のようなのだ。第三に独自の論法がひどく甘いか、独自ではない。佐藤は学者ではしないかもしれないが、これらの日本的著作の欠陥を一挙に抜ききるものをもっていた。
 ま、こうしたエールを送るのはともかくとして、今夜はそのような読み手であって書き手である佐藤優の数ある著作のなかから「国家」をめぐる一冊を抜き出すことにした。NHKブックスとして書きおろされた『国家論』である。

 国家をめぐる著作には、ほかにもたとえば『国家と神とマルクス』(太陽企画出版)、『日本国家の「罪と罰」』(小学館)、『日本国家の神髄』(産経新聞出版)、『誰が日本を支配するのか』三部作(マガジンハウス)などもあり、その手の本は目白押しではあるのだが、比較的初期の『国家論』には佐藤優の前提と解明と仮説をめぐる基本作法もあらわれているので、この選本にした。もちろん、他の著作も参考にする。

(絶筆)

執筆開始時期:2016年ごろ

■補足解説

 松岡はスタッフや千夜編集部が集まる場で、今後の千夜千冊の執筆プランについて語ることがたびたびありました。たとえば2020年ごろのある夜は「番外録で中断してしまったがモンゴルについて書きたい。そこから東南アジア、北条氏、将門の乱をとりあげて、ビザンチンにむかいたい」と漏らしていました。
 日ごろ、息をするように本を読んでいた松岡の興味関心は常にうつろい、プランはしょっちゅう変わりましたが、そのなかで一貫して毎回必ず書くと言いつづけきたのが、今回とりあげた佐藤優さんの『国家論』です。
 過去の「千夜千冊」を調べたところ、2007年12月25日に刊行された本書をすぐに入手し、他の佐藤さんの著作も含めて2008年の正月に読み耽っていたようです。本書には大量のマーキングが残されています(下記掲載のPDFを参照)。

「あの人の本はかなりいいね。凄い思想の持ち主だよ。とても外務官僚とは思えない。昔はこういう外交官はけっこういたはずだったけどね。すでに6冊か7冊を読んだけれど、たいてい充実していた。最近の日本の著者で、これだけ読ませたのはいないね。いつも手応えがある。力量がホンモノなんだね。そのうち”千夜千冊”にもとりあげたい」。
1215夜「日本語に探る古代信仰」より

 当千夜では、以前から書いていた文章を【旧】として残しつつ、【新】の文章を加えていることから、松岡が長年手を入れて続けていた痕跡がうかがえます。
 松岡と佐藤さんは、これまで角川主催の「宗教シンポジウム」や「未詳倶楽部」、Hyper-Editing Platform[AIDA]、対談本『読む力』、それ以外の単発の対談企画なども含めて、数々のイベントやプロジェクトで共演し、親交を深めてきました。日本に数少ない“世界読書派”の盟友である佐藤さんに対して、松岡は限りない共感とリスペクトを持ち続けてきました。
 佐藤さんは松岡の他界後も編集工学研究所にさまざまに関わり続けてくれています。現在、編集工学研究所主宰で、佐藤さんのインテリジェンスと松岡の編集工学を融合し、世界の最前線に取り組む連続講座「佐藤優のインテリジェンス編集工学講義」を開講しています。

 外務省でロシア外交を担当していた佐藤優さんは、鈴木宗男事件に連なって拘置所に収監されたのち、事件の経緯や国策捜査の内幕を明かした『国家の罠』(新潮社,2005)を刊行し、各方面からたちまち注目されることになりました。以降、執筆業に活動の軸を移し、国家論・外交論・官僚論・神学論・情報論・読書論に関する膨大な著作を連打していきました。今回とりあげた『国家論』は、数ある佐藤さんの著作のなかでも、2000年代後半に刊行された『国家の罠』、『自壊する帝国』(新潮文庫)、『獄中記』(岩波現代文庫)に並ぶ初期の代表作です。

 本書では、官僚として外交の最前線に立ち、国家の暴力性を目の当たりにしてきた佐藤さんが、「国家の暴走に対抗するために社会をどう強化するか」という問題設定のもと、"実用知"としての国家論を展開しています。5世紀の神学文書のカルケドン信条からマルクスの資本論、宇野弘蔵の経済学、ゲルナーのナショナリズム論、柄谷行人の世界共和国論、カール・バルトの神学的国家論まで、古今東西の骨太な世界知を渉猟し、国家が社会へ介入する様相を読み解いています。
 千夜千冊では『国家論』の内容に入るところで絶筆していますが、ほかの千夜千冊では「最初の出だしと宇野弘蔵の編集の記述が圧倒的だった」と書いています。本書の第2章で宇野弘蔵の『資本論』の解釈をベースに、国家が社会に介入するプロセスとそのパターンを解明しています。

 松岡も「国家」をテーマに様々な媒体で語り、そして書いてきました。「千夜千冊」ではプラトンの『国家』アンダーソンの『想像の共同体』ノージックの『アナーキー・国家・ユートピア』などをとりあげていますが、工作舎時代には「遊」(第二期1011号)で、歴史上のすべての国家的なるものの生成を親コード・子コード・孫コードの目録で表した「国家論インデックス」を掲載し、著書『国家と〈私〉の行方』(春秋社)では、東西の近現代史を俯瞰し、国家が犯してしまったまちがいを通して「編集的歴史観」の必要性を説いています。

 松岡が一貫して訴えてきたことは、「国家」を今日の世界を構成する基本単位として一元化するのではなく、むしろ多様で複雑なものであることを理解したうえで、「編集しつづける国家」(=エディティング・ステート)のあり方を模索することでした。松岡が手掛けた最後の著作である『昭和問答』(田中優子さんとの共著)でも、「エディティング・ステート」をキーワードに、昭和日本が抱えた問題を読み解き、そこに垣間見える日本の問題を提起しています。

 今年の8月上旬に、佐藤さんと歴史学者片山杜秀さんの共著『昭和100年史』(小学館新書)が刊行されました。昭和初期の「戦前」で起きたことをつぶさに検証し、繰り返される国家の問題を明らかにしていく一冊です。本書の終わりごろに、松岡の編集工学について言及している箇所があったので、最後に引用します。

「彼の編集工学は、工学的というより、むしろ理学的だったと私は思うのですが、松岡さんという天才にしか再現できない。伝統的学知とポストモダンの双方に通暁しながらそれを日本文化に包み込んでしまうという知的アクロバットに成功しました。グローバリゼーションに歯止めがかかって日本に関心が向いている現在、丁寧に松岡氏の作品群を読む必要があります。」
『昭和100年史』p.304-305より

(補足解説・寺平賢司/松岡正剛事務所)

■関連する千夜千冊
799夜 プラトン『国家』
プラトンが提示した国家は、イデア的でヴァーチャルな「負の国家」だった。プラトンは「マテーシスはアナムネーシスだ」というその想起のほうへ国家を押しこめた。

821夜 ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』
ナショナリズム論の古典。「国民」は政治的な実体ではなくて、「イメージとして心に描かれた何か」が漠然と凝集したというもの、すなわち「想像の政治的共同体」だった。

449夜 ロバート・ノージック『アナーキー・国家・ユートピア』
ノージックの最大の問題は人間の「自由」とは何かということであり、この自由を手にするにあたって、国家は何をするべきかということである。ノージックの最小国家の構想は「方法としての国家」だ。

■セイゴオ・マーキング

⊕『国家論』⊕
∈ 著者:佐藤優
∈ 編集:大場旦・黒島香保里
∈ 装幀:宮口瑚・(カバー写真)中野正貴
∈ 発行:2007年

⊕ 目次情報 ⊕

『国家論』

∈まえがき
 問題設定
 右と左の国家観
 インテリジェンスの方法論
 実用知としての国家論
 本書の構成
 思想は人を殺す
   ナショナリズムというウイルス
 否定神学の方法

∈序章 国家と社会――区別されても分離せず
 1 五世紀まで遡る
 2 創られた民族――中央アジアの民族境界線画定問題
 3 国家の暴走にどう対抗するか

∈第1章 社会――『資本論』で読み解く「日本社会の構造」
 1 マルクスの二つの魂
 2 価値形態論と国家論
 3 国家登場!――原理論から段階論へ

∈第2章 社会への介入――「宇野経済学」で読み解く「社会のスキマ」
 1 日本資本主義論争
 2 貨幣が鋳貨に変わるとき
 3 国家介入の四つの契機

∈第3章 国家――「民族」で読み解く「ナショナリズムの本質」
 1 スターリンの民族定義
 2 暴力独占機関としての国家
 3 ナショナリズムとは何か――否定神学的結論
 4 国家と社会の起源はどこにあるのか
 5 ファシズムとボナパルティズム――官僚の論理の本質

∈第4章 国家と神――『聖書』で読み解く「国家との付き合い方」
 1 国家とは距離を置け!――バルトの革命観
 2 国家という偶像
 3 歴史は複数の真実を持つ

∈終章 社会を強化する――「不可能の可能性」に挑め!
 1 良心は心の外にある
 2 結語――「究極以前のもの」を通して「究極的なもの」に至る

⊕ 著者略歴 ⊕
佐藤優(Marguerite Duras)
作家・元外務省主任分析官。1960年、東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科修了後、外務省入省。在英大使館、在露大使館などを経て、外務本省国際情報局分析第一課に勤務。本省国際情報局分析第一課主任分析官として、対露外交の最前線で活躍。2002年背任と偽計業務妨害罪容疑で東京地検特捜部に逮捕され、512日間勾留される。2009年最高裁で上告棄却、有罪が確定し外務省を失職。同年、自らの逮捕の経緯と国策捜査の裏側を綴った『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』で毎日出版文化賞特別賞を受賞。以後、文筆家として精力的に執筆を続けている。