才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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洞窟のなかの心

デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ

講談社 2012

David Lewis-Williams
The Mind in the Cave 2002
[訳]港千尋 
編集:園部雅一 翻訳分担:石倉敏明・浅野卓夫・近藤康裕・村尾静二・今村真介
装幀:宗利淳一

 後期旧石器時代に、とんでもないことがおこった。人類文化の誕生に関するかなり重大なことだ。5万年前から1万年前のことで、途中の4万年前にネアンデルタール人(旧人)が消え、2万年前にクロマニヨン人(新人)から進化したであろう今日のわれわれの祖先(現生人類)が登場しているのだが、このどこかで乾坤一擲の文化的表現力が創発したのだ。
 おそらくは3万年前あたりだろうが、急激な進化をおこしつつあった人類の何らかのめざましい質的変化によって、驚くべき洞窟絵画(cave painting)が誕生したのである。ショーヴェ、ラスコー、アルタミラなどの一連の洞窟画だ。人類史に突如として鮮やかな描出があらわれたのだ。
 オーカー(酸化鉄)によって「赤」を使用したこと、すべては洞窟の中での表現であったこと、五本指でペインティングしたことなどに、謎と解明の糸口がありそうなのだが、それによって人類の進化に何がおこったのか。なぜ、どのようにおこったのかについては、多くの仮説が提供されたものの、なかなか決定打がないままにある。
 本書はこの洞窟絵画が生まれた事情と背景を追い、そこにはどんな「意識」が芽生えていたのかをじっくり問うた。一言でいえばアルタード・ステート(変性意識状態)を発見したのだ。
 著者のデヴィッド・ルイス=ウィリアムズは南アフリカのウィトワー・テルスラント大学で長くロックアート研究所を展開してきた考古学者で、カラハリ砂漠のサン族(=いわゆるブッシュマン)研究の第一人者として知られる。サン族はいまなお岩絵による絵画表現もユニークだが、独特のクリック音(チッ・チッという舌打ち音)まじりで発音する特異な言語文化の持ち主としても、軽視ができない。

 3万年前らしい。急激な進化をおこしつつあった人類の何らかのめざましい質的変容によって、あるとき驚くべき洞窟絵画(cave painting)が誕生した。ショーヴェ、ラスコー、アルタミラなどの一連の洞窟画だ。なぜ3万年前にそんな描出の才能があらわれたのか。これはアートの起源なのか。
 狩猟すべき動物たちを描いたこと、輪郭線を重視したこと、オーカー(酸化鉄)によって「赤」を使用したこと、すべては洞窟の中での表現であったこと、5本指でペインティングしたことなどに、謎と解明の糸口がある。ただしこれらについては多くの仮説が提供されてきたが、なかなか決定打がないままだった。
 本書は洞窟絵画が生まれた事情と背景を追い、後期旧石器時代に「アート」が出現した理由を問うた。一言でいえば人類にアルタード・ステート(変性意識状態)が生じたことを仮説したのだ。人類の意識(脳)に変化がおこったというのである。今日考えうるかぎりの最古のアート起源論だった。
 著者のデヴィッド・ルイス゠ウィリアムズは南アフリカのウィトワーテルスランド大学で長くロックアート研究所を展開してきた考古学者で、カラハリ砂漠のサン族(=いわゆるブッシュマン)研究の第一人者である。サン族はいまなお岩絵による絵画表現もユニークだが、独特のクリック音(チッ・チッという舌打ち音)まじりで発音する特異な発話言語文化でも知られる。

洞窟絵画<ラスコー>
フランス南西部ドルドーニュ地方ベゼール渓谷にある洞窟壁画。左上からオーロックス、ウマ、厚毛サイ、シカなど100点以上の動物が壁に描かれ、今は絶滅したと思われる種もある。左下はラスコー入り口近くに構える「軸の間」。満天に広がる動物の大行進は奥の細い通路まで続いている。下段中央はツノが2つあるユニコーン。洞窟絵画とは想像上の生物すら表現できる人類最古の観念技術であった。右下はラスコーで唯一の人間と思しき像。

洞窟絵画<アルタミラ>
スペイン北部サンタンデル西方サンティリャーナ・デル・マールにある洞窟壁画。上の写真は天井画。洞窟絵画はドーム型の洞窟に来訪者を取り囲むように描かれている。下の写真は洞窟の最奥の通路「馬の尻尾」に描かれたふたつの「マスク」。岩表面の凹凸やセリだし具合などを人間か動物のような顔面に見立てて、立体的に描いている。旧石器時代人と岩の形状との間には、イメージの相互作用が確かに働いていた。

 この1冊がアンドレ・ルロワ゠グーラン(381夜)の『先史時代の宗教と芸術』(日本エディタースクール出版部)や『身ぶりと言葉』(新潮社・ちくま学芸文庫)、スティーヴン・ミズン(1672夜)の『氷河期以後』(青土社)や『心の先史時代』(青土社)や『歌うネアンデルタール』(早川書房)につらなる重要な本であることはすぐにわかった。人類の文化的創発を語りたいなら、この3人の本は欠かせない。
 これらの本は、「描出の才能」が生まれるには洞窟のような溶闇的フォーマットが必要だったろうこと、シャーマニズムもアニミズムもフェティシズム(物神信仰)もすでに旧石器時代からのものであったこと、それゆえ「芸術の芽生え」は先史時代から始まっていたということを表明していた。
 洞窟のような「暗がりフォーマット」が何らかの描出力にとって重要であったことについては、その後の劇場文化、写真の登場、映画の発達、ミュージアムの隆盛にもつながっている。暗い洞窟には何かが蟠っていたのである。
 本書を訳した港千尋にも『洞窟へ:心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房)がある。洞窟の中のネガティブ・ハンドについて、テオリアによってイメージの起源を辿る方法について、パース(1182夜1566夜)の「アブダクション」とゴンブリッチの「プロジェクション」がもたらした見方について、ホフマイヤー(1616夜)の生命記号論について、それぞれ示唆的なことを書いていた。
 港は写真家としても美術批評家としてもユニークな仕事をしている。群衆論、風景論、映像文明論など、いずれも深い。本書の日本語訳に最もふさわしい。

「文化の本質的創発性」に不可欠な洞窟絵画研究家
左からルイス=ウィリアムズ、アンドレ・ルロワ=グーラン、スティーヴン・ミズン。グーランの画像は来日時のもの。

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暗がりフォーマット
洞窟という闇の空間に壁画のキャラクターたちが躍如するという「暗がりフォーマット」はあらゆるメディア技術と空間に表象されてきた。プリミティブな写真技術であるカメラ・オブスキュラ(左)とはラテン語で「暗い部屋」の意であった。右はエジソンが商業利用のため建設した世界初の映画撮影専用スタジオ”Black Maria”。光を集中させるため建物全体が黒いタール紙で覆われている。
そして1895年、スクラダノフスキー兄弟による初の映画上映が行われたのはオペラ劇場であった(右下の写真はベルリンのウィンターガルテン劇場)。下の写真はスカラ座。オペラ劇場で照らし出される舞台は暗い客席から観ることで世界を演出する。

「先史時代の洞窟は人間の脳である」
『洞窟へ―心とイメージのアルケオロジー』(せりか書房)からの引用。著者の港千尋氏は、映像人類学や群衆、イメージを論じる批評家であり、世界各地の風景を撮って周る写真家。同書では認知考古学をもとに洞窟壁画の秘密に迫るとともに、旧石器人の心の進化のプロセスを解明している。

 本書の舞台は後期旧石器時代である。この時代については多くの研究と仮説が本になっている。とくにDNAによる追跡調査が進んでからはめざましいほどこの時代に注目が集まっているのだが、どれを読んでも人類の才能の出現についての決定打がないため、おそらく目移りがするのではないかと思う。
 まずはリチャード・リーキー(622夜)とその一族による何冊かの本、アリス・ロバーツの『人類の進化 大図鑑』(河出書房新社)と『人類20万年 遙かなる旅路』(文藝春秋)、テルモ・ピエバニとバレリー・ゼトゥンの『人類史マップ』(日経ナショナルジオグラフィック社)、デイヴィッド・ライク『交雑する人類』(NHK出版)などを読んでみるのをお薦めする。
 五万年前の出来事にしぼるなら、たとえばイアン・モリス『人類5万年 文明の興亡』(筑摩書房)、リチャード・クラインとブレイク・エドガーの『5万年前に人類に何が起きたか?』(新書館)や、ニコラス・ウェイドの『5万年前』(イースト・プレス)などが、わかりやすい。
 どうしても見ておくべきなのは洞窟画の写真集あるいはビデオだ。アントニオ・ベルトラン監修、ペドロ・ラモス撮影の『アルタミラ洞窟壁画』(岩波書店)、各地の洞窟画を撮った石川直樹の『NEW DIMENSION』(赤々舎)が必見だ。人類に対しても美術に対しても、虚心坦懐になれる。布施英利の『洞窟壁画を旅して』(論創社)と五十嵐ジャンヌの『なんで洞窟に壁画を描いたの?』(新泉社)も、子供とともに洞窟画を見ているドキュメントとして得がたい。

先史時代研究の立役者 リーキー・ファミリー
トゥルカナ遺跡の発掘でも有名なリチャード・リーキー(左上)。正式な大学の学位こそ持っていないものの、先史時代研究家であった両親、父ルイス・リーキー(右上)や母メアリー(左下)からエリート教育を受け、人類進化に関する独創的な仮説を打ち出してきた。娘のルイーズ(右下)も考古学研究者として業績をあげるなど、リーキー一族は高名な先史研究家を輩出し続けている。

 ルロワ゠グーラン、ミズン、ルイス゠ウィリアムズの三人の本がすばらしいのは、先史学の泰斗アンリ・ブルイユ神父の魂を受け継いでいると感じられることにあらわれている。
 本書55ページに、テュック・ドードゥベールの洞窟入口でブルイユ神父を囲むアンリ・ベグーエン伯爵の3人の息子(考古学者)たちの1912年のモノクロ記念写真が掲載されているのだが、右端にカルタイヤックが写っていた。勇気のある考古学者だ。いい顔をしている。この一枚の写真からは、先史人類がのこした痕跡から人類史のミッシング・リンクを読み出そうとしている洞窟派たちの「信念の連鎖」が切々と伝わってきて、胸にこみあげてくるものがある。
 後期旧石器時代の人類には芸術的な創造心などなかったろうという通念をみずから反省したのは、アルタミラの洞窟画を調べたエミール・カルタイヤックの『懐疑論者の懴悔』(1902)だった。学者が反省を公表するのは勇気のいることだろうが、こういう懴悔をやってのけたのは先史文化研究にとって大きい。
 ついで1906年、アンリ・ブルイユが『アルタミラの洞窟』を書き(その後も『フォン・ド・ゴームの洞窟』『洞窟美術の四万年』などを書いた)、その洞察と啓示と示唆にもとづいて、アネット・ラマン゠アンペレールがラスコーについての『旧石器時代の洞窟芸術の意味』を、ルロワ゠グーランが例の一連の著作をまとめると、いよいよ洞窟絵画の特徴が列挙され、本格的な先史文化の創発プロセスにさまざまな仮説と解析と疑問が投げ入れられていった。ブルイユはパリの化石人類学研究所やコレージュ・ド・フランスの教授を長く務めて、先史学の父となった。これまたいい顔の父だ。みんなが慕った。

先史学の法王・アンリ・ブルイユ
ラスコーの壁画を調査するブルイユ(左写真)。考古学者でもあり神父であるブルイユは、卓抜なイメージ筆写技術を駆使し、ラスコーやアルタミア洞窟の壁画を研究調査。これまで未開だった先史人類の思考の秘密を次々と明らかにしていった。
CC BY 4.0

セイゴオが思わず感嘆した考古学者たちの記念写真
テュック・ドードゥベールの入口で撮影されたもの。考古学者で3兄弟のマックス、ジャック、ルイが箱と石油缶でつくった自家製ボートにのって洞窟を調査。暗い通路の最奥部に雌雄一対のバイソンの粘土像を新発見した。報告を聞いた3兄弟の父、アンリ・ベグーエン伯爵はすぐさま友人のエミール・カルタイヤックとブルイユに「マドレーヌ人、粘土像作る!」という有名な電報を打った。
『洞窟のなかの心』p.50

洞窟壁画から「野生の思考」を読み解いた2人
左のエミール・カルタイヤックは1902年にアルタミラ洞窟壁画を調査し、旧石器時代美術が存在したことを証明。ラマン・エンペレールは、構造主義の方法を用いて先史時代の氏族や社会組織が洞窟芸術のモチーフにあると仮説した。
CC BY 3.0、CC BY 4.0

 旧石器時代の文化はたちまち脚光を浴びた。仮説は多すぎるほどだった。絶滅したネアンデルタール人が描写技能をもっていたのが飛び火したのではないか。洞窟はシャーマンの巣窟で、集団シャーマニズムのあらわれが動物画になったのではないか。いや、人類がやっと児童期に達して今日の児童画にも見られるような絵が描きのこされたのではないか。いやいやビンゲンのヒルデガルト(中世の幻視者)のようなヴィジョンが見えたのだろう……云々。
 いろいろ洞窟絵画の描写のしくみが検討された。ルロワ゠グーランは描線の分析を通して、単純な線がしだいに複雑な描線に成長していったとみなし、洞窟画が突発的な才能によるものではないと言い、そこには描線のパッケージやセットがあることを説明した。ランダル・ホワイトは描きっぷりの複数性から見て「工房」のようなものが作動していた可能性を、マックス・ラファエルはこの時代には社会的な対立も生まれていて、それが新たな「心性のテンプレート」の分岐を促した可能性を説いた。
 ミズンの『心の先史時代』は古代の人々にひそむ「隠れた知性」を社会知性・技術知性・博物知性・言語知性に分け、それらが何度かの「学習の転移」(記憶の学習をトポスを変えることで刻印させるという方法)によって心的モジュールが結像し、それが動物描写の表現を可能にしていったと推理した。本書はこれらをもとに入念に組み立てられている。新たな洞窟画が発見されたことについての観察も加わっていた。ショーヴェ洞窟画群だ。

単純な線が、数千年の単位で複雑化していく
ルロワ=グーランによる洞窟壁画の分析。一本の単純な曲線が徐々に動物のツノや鼻を表現し、マンモス、ビゾンなど動物の区別ができるようになっていく過程がわかる(写真左)。右の図では、前3万年前ごろは90度の角度だった馬やビゾンの蹄が、前1万2000~1万年ごろには正確に描かれている。
『世界の根源』p.136、p.20

太古の美術品を抱く山々・閉ざす入り口
フランス南部アルデシュ渓谷の石灰岩台地にショーヴェ洞窟はある(上・赤マーク)。洞窟壁画は、外気に触れると急速に浸食が進み、傷みがひどくなるため一部の研究者を除いて非公開となっている。一般公開は精密なレプリカの洞窟「キャベルヌ・デュ・ポンダルク」で行われている。
CC BY 4.0

 1994年12月、3人の洞窟学者が驚くべき発見をした。発見者の一人のジャン゠マリー・ショーヴェの名をとって「ショーヴェ洞窟画」とか、地名をとって「ポン・ダルクの洞窟画」と呼ばれている。フランス・アルデッシュの峨々たる山中にひそんでいた洞窟画群だ。
 3万2000年前と認定された洞窟画には260点の動物たちが、スタンピング(スタンプ捺し技法)、オラルスプレー(吹き墨画法)などの手法を駆使して描かれていた。ラスコーの壁画が約15000年前で、アルタミラがそのあとの形成だったろうから、そうとうに古い。絶滅していなくなった野生の牛や馬なども描かれている。フクロウやハイエナがいるのもめずらしい。
 それよりなにより「旧石器のミケランジェロ」とでも言いたくなるような、巧みで大胆な「描き手」がいたのではないかと思わせる出来である。それほどこの洞窟画の絵はアートしていた。
 観光嫌いのぼくもできれば飛んで見にいきたかったのだが、しばらくしてヴェルナー・ヘルツォークが3D撮影してこの洞窟を映像作品《忘れられた夢の記憶》に仕上げたと聞いて、六本木ヒルズのTOHOシネマに駆けつけた。驚嘆した。
 ヘルツォークは《アギーレ/神の怒り》や《カスパー・ハウザーの謎》の監督だ。バイエルンの田舎で育ってミュンヘン大学で歴史とドイツ文学を習得した後、映画に向かった。十代の親友だった怪優クラウス・キンスキーをずっと主演につかっている(ナスターシャ・キンスキーの父)。1984年にはアボリジニを追った《緑のアリが夢見るところ》に挑んだ。2005年にグリズリー(北米のハイイログマ)の保護活動に命をかける男のドキュメンタリー《グリズリーマン》で映画賞をさらった。いずれも執念が撮らせた傑作だ。ショーヴェ洞窟を撮るのに、これほどふさわしい監督はいない。まるで洞窟ミュージアムの中のアーティストの作品を撮っているようだった。

奇跡的に残された人類最古のアート
ジャン=マリ・ショーヴェらにより1994年に発見された洞窟。ショーヴェ洞窟内には3万年以上前から描かれた世界最古級の壁画が1000点以上残されている。1万8千年前のラスコーの壁画よりも古い。約2万年前に洞窟の入口が落石で閉ざされたため、奇跡的な保存状態を保つことができた。
CC BY 4.0

無名のアーティストたちによる様々な技法
壁面にはウシやウマ、クマ、ライオン、ヒョウ、フクロウ、ハイエナ、マンモスなど絶滅した動物を含めて14種、425体の動物画が描かれている。左上の図では36頭の雌ライオンが100頭以上のバイソンやサイを追いかけている。輪郭線だけの線画(右上)が多いが、有名な並列するウマの絵(中左)のように濃淡を付けた炭で顔が塗られているものもある。サイの絵(中右)は、躍動感を演出するために、角の輪郭が何本も並行して描かれている。またオーリニャック文化の特徴として、壁画のほかに手形模様がいたるところに見られる。これらは顔料を口に含み、壁に当てた手に向かって吹き付けるステンシル技法が用いられている。

映画『世界最古の洞窟壁画3D 忘れられた夢の記憶』予告編
研究者や学者しか足を踏み入れることを許されなかったショーヴェ洞窟内がはじめて撮影されたドキュメンタリー映画。監督のヴェルナー・ヘルツォークは、12歳のとき、ラスコー洞窟の馬の壁画が表紙になった本に言いようのない興奮を覚えたという。ヘルツォークが撮るべくして撮った作品だ。

 旧石器後期の人類にかなり複雑な心性と表現意欲があったことが伝わってきた。おそらく洞窟にはわれわれの想像をこえる何かの力をもたらす空間力あるいは時空力があったのだろうこと(つまり何かの創発的表象力を促す暗闇のフォーマット性)、今日にいたるすべてのアートの起源と可能性のしくみがここに開示されているだろうことも訴えてくる。
 いろいろ疑問も涌いてくる。この描き手はどういう役割をもった人物たちだったのか。男なのか女なのか、特別な職能なのか。これほどの洞窟アートが誕生していながら、その表現力は、どうしてその後の新石器文化に広く継承されなかったのか(あるいは跛行的にしか理解されなかったのか)。その後の美術史ではルネサンスや印象派やキュビズムのように時代ごとに描法が変わってきたけれど、ひょっとするとこれは何かの流行だったのか。なかなか、悩ましい難問だ。
 ぼくはヘルツォークの映像とヘルツォーク自身の渋いナレーションを聞きながら、このへんのことがわからなければ編集工学はないなとも思った。かくて、ミズンからルイス゠ウィリアムズへという解読に向かうようになったのである。

 ルロワ゠グーランやミズンやその他の先史学者とちがって、本書のルイス゠ウィリアムズは積極的に進化心理学や神経心理学の成果を援用した。
 ミズンもニコラス・ハンフリー(1595夜『ソウルダスト』の著者)の「内省的意識」などの推理を採りこんでいたが、ルイス゠ウィリアムズはもっとぐっと踏み込んで、ジュリアン・ジェインズ(1290夜『神々の沈黙』)の「バイキャメラル・マインド」(二分心)仮説、コリン・マーティンデイルの空想をめぐる認知心理学、チャールズ・ローリンの「断片化された意識」がもたらす心的映像効果についての仮説などを参考に、人類のアルタード・ステート(変性意識状態)を想定し、そこに内在光学現象が生じていただろう可能性に言及した。

ランダムな落書きを超えたアートの萌芽
図は、ビクトリア大学のジュヌヴィエーヴ・フォン・ペツィンガーが世界中の洞窟に現れた旧石器時代の描画を分析したもの。反復的なパターンを持ち、メッセージ性やシンボル性を持って描かれた。ルイス=ウィリアムズは最新の脳科学の知見を援用し、洞窟自体の持つ空間的異質性に加え、リズミカルな詠唱やドラム、特定のスタイルのダンスを行うことで、アルタード・ステートに達することができたと示唆した。

 チャールズ・タートによって広く知られるようになったアルタード・ステート(altered state of consciousness:ASC)については、まだ十分な議論が出尽くしていないのだが、トランス状態に入らないままに、あるいは薬物の活用に依存しないままに、日常意識から連続的に変性意識に移っていくことがありうるとされている意識状態のことだ。
 ジョン・C・リリー(207夜『意識の中心』→千夜千冊エディション『情報生命』所収)がアイソレーション・タンクの実験などを通してその可能性を提言した。ユング(830夜)が提唱した「トランスパーソナル」の概念をマズローらとともに発展させたスタニスラフ・グロフもこのことに取り組んだ。グロフはLSDを使用した脳科学の臨床を通して、アルタード・ステートの変化を記録しようとした。
 ルイス゠ウィリアムズは、このようなアルタード・ステートが、後期旧石器人類のグループが洞窟に入っているうちにおこったとみなし、このとき人類の意識のスペクトルに内在光(entoptic)があらわれたのだろうと仮説した。本書は第五章でサン族(カラハリ地帯のブッシュマン)の岩絵を、第六章で北アメリカのロックアートの実例をとりあげ、かれらの絵画表現の詳細なドキュメントの分析からアルタード・ステートの顕在化がおこりえたことを傍証している。

LSDでハイになっている脳のfMRI画像
LSDを使用した状態(下)では、想像力を司る前頭葉を含めて、脳の多くの領域が活性化されており、変性意識状態の脳の働きが再現されている。知能の漸進的な発展に加え、洞窟内での変性をへて、旧石器時代の人類は現代的な心性の獲得に向けた第一歩を踏み出したとルイス=ウィリアムズは説明する。

洞窟の想像力は野外にも飛火した
2013年にネバダ州ウィンムッカ湖ほとりの野外で発見された岩絵。樹木や木の葉に似た模様から、ダイヤモンドや楕円形の宝石を鎖で通したようなデザインの絵がみられる。同時代の他の彫刻と比べても深く大きく刻まれている。これらの図柄が何を象徴し、何を伝えようとしたのかはいまだ謎のまま。

 はたして本書の「読み」が当たっているのかどうか、そこは正直まだわからないが、その仮説は洞窟の中に「覚醒したシャーマン」のような連中がいただろうことを暗示する。かれらがその後のアーティストの起源であったろうというのだ。
 そうだとしたら、人類がこのあとクロマニヨン人をへてホモ・サピエンスに向かっていったとき、アルタード・ステートの体験とその表象化こそが、サピエンスの脳に超越意識と尋常状態意識とのあいだの、つまりは「神と人とのあいだ」の、わかりやすくいえば「世界と人間とのあいだ」の、たいへん根本的な認知モデルを提供していただろうということになるのだが、さあ、どうか。
 著者はこの一連のことが実際におこっていたことであったとしたら、そこには人類における「自閉的な意識」の誕生も促されていたはずで、このことがのちのホモ・サピエンスにおける自意識の閉塞感をもたらしたのではないかとも付言した。この見方はけっこう当たっているだろうと思えた。

動物に扮装する北アメリカのシャーマン
旧石器時代の人びとは、預言者、治療者、精神世界の引導者としてシャーマンを重要視していた。シャーマンの中には動物の皮を被り、生き物に宿る霊的な力にあやかることで病人を治療するものもいた。

12000年前の女性シャーマンの墓
レバント(現在の東部地中海沿岸地方)で発見された。狩猟者、戦士、政治的指導者は高い地位に関わらず日用品とともに埋葬されたが、シャーマンは装飾の施された亀の甲羅に加え、野生動物の体の一部、人間の切り落とされた足とともに丁重に葬られていた。

《踊る呪術師》
フランス・アリエージュ県のトロワ・フレール洞窟で発見された洞窟画のスケッチ。体の部位毎に異なる動物のコラージュがみられる。シャーマンが偶像的に描かれ、当時の人類に起こったイメージ編集力の飛躍が垣間見られる。

 かくて本書は第8章「心のなかの洞窟」で、洞窟の中に変性意識をトリガーとした「心性」が形成されることによって、人類は「洞窟の中の人類」であっただけではなく、「人類の中の洞窟」の役割を発見したことになると説いた。それとともに、心の中に洞窟めいたものをつくりおきしたのではないかと示唆して、プラトン(799夜)の『国家』における「洞窟の比喩」を持ち出すのである。洞窟に生じた人類の新たな心性は、人類の心性の中に洞窟的なるものを生じさせたというのだ。
 こんなふうに書いている。少し要約しておいた。……後期旧石器時代の洞窟では、地下の通路と部屋は地下世界の「内臓」なのである。その中に入ることは地下世界へと物理的かつ心理的に入ることだった。ここに、この体験は「霊的体験」にも変容される可能性をもった。いや、そもそも洞窟に入ることが霊的世界の一部になることだったのである。装飾的なイメージングはこの未知なるものへの道標であったろう。
 また、こうも書いている。……意識変容状態は、たんに階層化された宇宙の観念を生み出すだけではない。それはこの宇宙のさまざまな区域へのアクセスを可能にし、それによってこうした区分の妥当性を追認することだったのである。

洞窟に入らなければ生じなかった心性
図は「プラトンの洞窟の比喩」をイラスト化したもの。人間が見ている世界はイデアの影でしかないことを表現している。洞窟内に残された様々な壁画は、先史時代の人びとの心象風景やイメージの影なのかもしれない。
(図版構成:寺平賢司・西村俊克・梅澤光由・衣笠純子・牧野越叢、校正:八田英子・井田昌彦、キーエディット:吉村堅樹)


⊕『洞窟のなかの心』⊕

∈ 著者:デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ
∈ 訳者:港千尋
∈ 編集:園部雅一 
∈ 装幀:宗利淳一
∈ 発行者:鈴木哲 
∈ 発行所:株式会社講談社
∈ 本文データ制作:講談社デジタル製作部
∈ 印刷所:図書印刷株式会社
∈ 製本所:株式会社若林製本工場
∈ 発行:2012年8月2日

⊕ 目次情報 ⊕
『洞窟のなかの心』

∈∈ 序文 「人類の古代」の発見
∈ 三つの洞窟:三つの時間単位
∈∈ 第1章 「人類の古代」の発見
∈∈ 第2章 答えを求めて
∈∈ 第3章 創造幻想(クリエイティブ・イリュージョン)
∈∈ 第4章 心という問題
∈∈ 第5章 ケース・スタディ 1――アフリカ南部、サン族の岩絵
∈∈ 第6章 ケース・スタディ 2――北米のロック・アート
∈∈ 第7章 イメージ形成の起源
∈∈ 第8章 心のなかの洞窟
∈∈ 第9章 洞窟と共同体
∈∈ 第10章 洞窟をめぐる論争 
 
⊕ 著者略歴 ⊕
デヴィッド・ルイス=ウィリアムズ(David Lewis-Williams )
1934年生まれ。南アフリカの考古学者。ウィトワーテルスラント大学(南アフリカ、ヨハネスバーグ)ロック・アート研究所名誉教授、シニア・メンター。サン族の文化の専門家。現在はウィットウォーターズランド大学(WITS)の認知考古学の名誉教授。

⊕ 訳者略歴 ⊕
港千尋(ミナトチヒロ)
1960年生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。写真家、評論家、多摩美術大学美術学部情報デザイン学科教授。「群衆」「移動」などをテーマに写真を撮りながら、多彩な評論を行う。2007年、ヴェネツィア・ビエンナーレでは、日本館コミッショナーを務める。2014年には、あいちトリエンナーレ2016の芸術監督に就任。タスマニアの美術館、Museum of Old and New Art監修。著書に、『洞窟へ』、『群衆論』、『影絵の戦い』、『第三の眼』、『記憶』(サントリー学芸賞)など。写真集に『明日、広場で』、『文字の母たち』など多数。弟の港大尋はミュージシャン。