才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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心の先史時代

スティーヴン・ミズン

青土社

Steven Mithen
The Prehistory of the Mind-A Searrch for the Origins of Art, Religion and Science
[訳]松浦俊輔・牧野美佐緒
装幀:戸田ツトム+岡孝治

口に入れたとたんに未知の可能性を一気に感じさせる本に、ときどき出会える。スティーヴン・ミズンの『歌うネアンデルタール』(早川書房)は、かなり大胆で興味深い仮説の味覚をもたらしてくれた。感心した。

 口に入れたとたんに未知の可能性の広がりと味わいを感じられる本に、ときどき出会える。スティーヴン・ミズンの『歌うネアンデルタール』(早川書房)は、かなり大胆で興味深い仮説の味覚をもたらしてくれた。感心した。
 ミズンは人類に言語が発生したのはいつどのようにしてだったのかという大問題にとりくみ、類人猿からネアンデルタール人あたりまでの段階で、言語にまで発展しきれていない「プロト言語」というようなものができていたのではないかと仮説した。このプロト言語は感情的な伝達をするのが可能なもので、発話力をもっていたものの、いまだ言葉の組み立てには至らなかったというのだ。
 そう考えたミズンは、このプロト言語をHmmmmm(ヒムーン)と名付けた。学術用語としてはかなり変わった呼称だが、ホリスティック(Holistic)でマルチモーダル(multi-modal)で、かつまた手続き的(manipulative)でミュージカル(musical)で、そのうえすこぶる模倣性に富んだミメティック(memetic)な特徴をもっている響きのある発話をしていただろうから、その頭文字をとってのHmmmmm、なのである。このHmmmmmを歌っていたのがネアンデルタール人だったというのだ。
 しかしネアンデルタール人のHmmmmmは、かなり感情的でミュージカルな発話体だったろうから、のちのホモ・サピエンスのように言葉を組み立てて話すまでにはいたらなかった(言語をつくれなかった)。声帯生理学的には声道もほぼ完成し、呼吸の制御もできていたのだが、残念ながら言葉をつくれなかったのだ。おそらく多分に音響的だったのである。そうだとすると、このあとに人類は音楽脳と言語脳が分かれたのだろうとミズンは考えた。Hmmmmmがあったから、音楽と言語が生まれたのだ。

『歌うネアンデルタール』の原著

 ミズンがどうしてこんなに味のよい発想ができたのかが気になって、『歌うネアンデルタール』の前著にあたる『心の先史時代』を読んでみた。これまた好著だった。どこまでさかのぼればいいかわからない「先史の心」すなわち「心のルーツ」をめぐって、うまくまとめていた。なるほど、Hmmmmm仮説はこの上に乗っかったものだった。
 著者のスティーヴン・ミズンは考古学が専門である。スコットランド西部やヨルダン南部やヘブリディーズ諸島の発掘調査にかかわり、しだいに進化生物学と進化心理学の研究を広範囲に検証してその成果を慎重にとりいれ、20世紀末には認知考古学のニューパイオニアとなった。
 いったい人間に「心」が生じたのはいつだったのか、それはどんな経過と変化によっておこったのか。ミズンは本書でこの難問を追った。もとより「心の発生」については、歴史学も哲学も認知科学もサル学も人類学もこぞって解明したがってきた問題である。けれども「心」についての推理は、長らくあてずっぽうが多かった。また「本能」や「知能」を比較議論する傾向が強かった。ミズンはそうではなく「心の発生」について調査してみたいと考えたようだ。

 アウストラロピテクスに始まり、ホモ・エレクトゥスやネアンデルタール人からホモ・ハビリスに至ったアーリーヒューマンズ(初期人類)が、そのどこで「心めいたもの」を芽生えさせたのか、学界ではまだつかめていなかった。
 アーリーヒューマンズといっても、そこには180万年前から3万年前までの約200万年近い時が流れている。その間の変転も少なくない。化石があるものもあるが、まったくないものも多い。だから「心の芽生え」をさぐるドラマを綴るには、一方では俯瞰的な枠組が必要で、他方では先行的解釈やアブダクションを用いる必要がある。そのうえで、それなりの説得力をもつ必要があった。ミズンはそれを試みた。

ホモ・エレクトゥスとネアンデルタール人の心の模式図
(本書p.188-189より)

 とくに目新しいものではないが、枠組は次のような組み立てになった。人類が人類になっていくプロセスを象徴しているだろうアーリーヒューマンズは、ドラマ仕立てでいえばおよそ4幕~5幕を通過した。ただしその前のコモン・アンセスター(共通祖先)の時期も長いので、ミズンは第1幕にコモン・アンセスターの舞台をおいた。
 第1幕。600万年前~450万年前。
 幕が上がると、そこは600万年ほど前のアフリカのどこかだ。コモン・アンセスターとしての類人猿がいる。きっと現在のチンパンジーに似た者たちが群をなしていただろうが、どんな骨格で、どんなことをしてたのかはほとんどわかっていない。ここはまだミッシングリンクなのである。シロアリを捕る棒くらいは使っていたかもしれない。

 第2幕。450万年前~250万年前。
 450万年くらい前の舞台もまだアフリカだ。第1場はチャド、ケニア、エチオピア、タンザニアあたりに絞られていただろうが、第2場ではアフリカ南部に舞台が広がった。そこへアウストラロピテクス・ラミドゥス(1994年に化石が発見されたばかり)が登場して、最初のアウストラロピテクス(南の類人猿)になった。
 それから30万年ほどするとアウストラロピテクス・アナメンシス(1995年化石発見)が登場した。歯の形状と歯並びから草食だったと想定できる。ところが350万年前になるとラミドゥスもアナメンシスも退場して(絶滅して)、代わってアウストラロピテクス・アファレンシスが新たな主役として登場した。これが直立歩行を始めた「ルーシー」だ。ルーシーたちはラミドゥスの子孫の可能性もあるが、その血縁関係はわかっていない。直立歩行をしたが、木登りも併行していたとおもわれる。
 そのルーシーたちも250万年前にはいなくなり、第2幕第3場は舞台が東アフリカに移る。そこにはアウストラロピテクス・アフリカヌスが動き出していた。ほぼ二足でふるまうのだが、体ががっしりしていて(ロバストで)、外見はまだヒヒのようだ。その直後に南アフリカにも登場した者たちはもっと頑丈で、ゴリラのようにふるまっていた。

ルーシーの復元模型
(Momotarou2012,CC BY-SA 3.0)

 第3幕。250万年前~180万年前。
 およそ200万年前にまたまた新しい一族が出てきた。おそらく最初に道具を使った者たちで、まとめてホモ・ハビリスと称ばれる。脳の大きさがアウストラロピテクス属の1・5倍ほどあって、どうやらけっこうな早熟だった。キューブリック(814夜)の『2001年宇宙の旅』に出てきたヒトザルにあたるものだろう。考古学者が「オルドヴァイ・インダストリー」(オルドヴァイ渓谷で発掘された道具群)と名付けた石器による道具を使った。手の形が道具を使いやすくなったが、手の形の分化が先か、道具が先だったのかはわからない。ともかくもホモ・ハビリスは最初のホモ属となったのである。
 第4幕。180万年前~10万年前。
 地質人類学の年代ではここからが更新世だ。石器時代としては下部石器時代から中部石器時代に移っていく。主役はホモ・エレクトゥスだ。ハビリスより背が高くて脳も大きい。驚くべきはこの時期に舞台が一挙に世界大になって、東アフリカ、中国、ジャワでほぼ同時に一斉に登場したことだ。
 ホモ・エレクトゥスの第1場では、道具もいよいよハンドアックスを使い始めて、石器づくりに剥片と刃先が生まれる。これは「ルヴァロワ技法」だ。サハラ周辺では鶴嘴(ツルハシ)めいた道具も出土する。そういう状態が約100万年以上続き、化石が語るかぎりは、かれらは約50万年前にヨーロッパの森林地帯に入っていって、ホモ・ハイデルベルゲンシス(ハイデルベルグ人)になった。頭蓋骨が高くなり、まるみを帯びた。筋肉質だったかもしれない。
 舞台は15万年前になると第2場になり、ここにホモ・ネアンデルターレンシス(ネアンデルタール人)がヨーロッパと近東に出現する。脚が短く、樽のような胸をもち、ルヴァロワ技法の石器で大きな獲物をしとめるようになった。すでに火を使用していたし、死体を埋葬することもあったが、死後の観念をもっていたかどうかははっきりしない。そしてミズンの予想ではHmmmmを歌ったのだ。しかし、これらの痕跡は足跡をたどれるほどには多くは見つかっていない。
 第5幕。10万年前から現在へ至る。
 こうしてホモ・サピエンス(ホモ・サピエンス・サピエンス)が以上すべての者たちに代わって地球文明の新たな主人公になったのである(他はすべて絶滅した)。地球全体の環境は最後の氷河期に向かっていたが、ホモ・サピエンスは南アフリカと近東に現れ、6万年前には南アジアで舟を作っていた。この舟の一族は勇躍してオーストラリアに渡った。
 ついで4万年前にはホモ・サピエンスの一部がヨーロッパに入り、まもなくして掘っ建て小屋をたて、洞窟の壁に絵を描き、骨の針で衣を縫うようになっていた。ビーズやペンダントも好んだ。小道具を作って使うことができるようになったのだ。

旧石器時代の道具の変遷
(本書p.223より)

 ミズンはこれらの5幕におよぶ壮大な変転ドラマの、いったいどこで「心」あるいは「心めいたもの」が発生したのかを考えた。手がかりがないわけではない。半分は考古資料だが、もう半分は何人かの先達のヒントがいかせそうだった。
 1979年、考古学者のトマス・ウィンは30万年前には人類に「心」にあたるものが発生したという説を述べた。ネアンデルタール人も登場していない時期だ。ウィンはホモ・エレクトゥスのハンドアックス(握斧)にみごとな対称性があらわれていることに注目した。
 ウィンはかねてジャン・ピアジェの発達心理学に関心をもっていた。ピアジェは12歳児には形式的操作知能が確立すると指摘していた。ウィンはこれにヒントを得て、人類の祖先も12歳くらいのときにハンドアックスを使う知能をもったのだろうとみなし、それは「スイス・アーミーナイフ」のようなものだったと仮定した。このナイフは日本では十徳とも呼ばれて、一つの構造の中にナイフやハサミや小さなピンセットが折れ曲がって入るようになっている。ウィンはわれわれの心もいったん何かの技能と形状を得たとたんに、きっとスイス・アーミーナイフのような連打型の操作知能に達したのだろうとみなしたのである。

 1983年にジェリー・フォーダーの『精神のモジュール形式』(産業図書)が刊行された。フォーダーは「心」を入力系の知覚と中枢系の認知に分けた。
 入力系の知覚は視覚・聴覚・触覚などの一連の独立したモジュールでてきていて、それぞれカプセル化されて、互いに干渉しあわない。そういう基本構造をもつ。中枢系の認知は基本構造をもっていないか、われわれからは見えないようになっていて、思考・問題解決・想像力などを発現させて、しだいに知能をつくっていく。入力系は速くて配線がしっかりしているが、中枢系はカプセル化されないままに、特定の脳領域にあてがわれていない。そのかわり類推性(アナロジカル・シンキング)をひどく好むようになっている。
 フォーダーはこのように「心」を2層に見立て、入力系はスイス・アーミーナイフのようなものだろうが、中枢系はこの世にまったく見当たらないものだと捉えた。「心めいたもの」はこの2層のあいだから生まれたのではないか。ミズンはこの見方にも惹かれた。

 フォーダーの『精神のモジュール性』と同じ1983年に、神経科学と認知科学と教育心理学を修めたハワード・ガードナーによる『心の枠組:複数知能の理論』が発表された。多重知能(Multiple Intelligence=MI)についての理論だった。この本は未訳ではあるが、別の邦訳本の『多元的知能の世界』(日本文教出版)や『MI:個性を生かす多重多元知能の理論』(新曜社)などでその内容が補える。
 ガードナーは入力系と中枢系という区別をなくして、知能そのものが複合化しているとみなした。そのためその複合化をおこしている知能タイプをいくつか想定した。当初は言語的知能、論理数学的知能、音楽的知能、身体運動感覚的知能、空間的知能、対人的知能、内省的知能の7つを想定したが、その後(2001)さらに博物的知能、霊的知能、実存的知能を加えた。
 いくつ知能タイプがあるかは、あまり問題ではない。ミズンは、ガードナーがこれらの知能が多重化し複合化するのは「類推」と「比喩」が活用すると見たところに関心をもった。きっとアーリーヒューマンズたちにもそれがおこったはずなのだ。
 ミズンが先達にした「心をめぐる仮説」には、もうひとつ、進化心理学者のレダ・コスミデスとジョン・トゥービーが『適応した心』(1992)で示した「メタレベルのモジュール」という見方があった。人類は個別の能力を蓄えてきたのではなく、最初からメタレベルの認知能力を獲得したのではないか、そこには情報や内容が当初から刷り込まれていたのではないかという見方だ。
 このメタレベルのモジュールは「ファカルティ」(技能)と呼ばれた。総合的技能感覚だ。その当初のファカルティがいくつかに分離していったのである。その分離して特化したもののほうを、われわれはうっかり知能と呼んでしまったのである。

モジュール化していく知能の流れ
(本書p.279より)

 おおむね以上のような先行仮説の試みを検討して、ミズンは「心の先史時代」にはおそらく3段階の断続的な発達があったのではないかと見た。
 第1期=「一揃いの汎用知能」が獲得された時期である。心はこの汎用知能の領域にディペンド(依存)しながら動き出した。
 第2期=汎用知能が切り離されて、必要に応じた判断行動に特化した複数の知能になっていく時期になる。心はそれぞれの作動領域にあわせてモジュール化されている。
 第3期=複数に特化された知能の作動を「一体の動き」として眺めることができるようになった時期である。おそらくはこれが「心」の発生にあたっている。これによって、知識や観念がさまざまな判断と行動のあいだで融通されるようになった。
 こういうふうに見たミズンは、この3段階の断続的なプロセスからとても重大な発見をする。それは心の先史時代で特筆されるべきは「認知的流動性」だろうということだった。

 第1期、何かのきっかけでファカルティとしての「一揃いの汎用知能」が獲得され発揮されたのである。
 少しずつ断片的な知能が獲得されて、それが組み合わさっていったのではない。分節力のない汎用知能としてのスイス・アーミーナイフが動き出したのだ。きっとメタ表象力のようなものだったろう。あるいは幼児が描く世界絵のようなものだろう。
 それが第2期、しだいに分離されて分節能をもつようになった。分化してモジュールに分かれるようになったのだ。しかし第3期、これらのモジュールを関連した一体のものとして眺められる(感じられる)ようになったとき、われわれは「心」をもったのである。
 積み木細工が組み立てられていったのではない。認知的な流動力が「心」ないしは「心めいたもの」を発生させたのだった。逆にいうのなら、心とは「流動する認知」そのもののことだったのである。

認知的流動性と言語の関係
(本書p.249より)

 本書にはまだまだいろいろなことが述べられている。できればそのすべてを紹介したいが、かなり広範囲な解説が必要になるので、この程度にしておく。最後に「芸術」や「宗教」や「農業」の起源についても言及されているが、必ずしも深くはない。
 文中にたびたび登場するカーロフ=スミスの「表象を書き直す知能」についての議論や、ダン・スペルベルの「メタ表象モジュール」についての議論は、たいへん興味深いのだが、ダイレクトにかれらの本を千夜千冊したほうがよさそうなので、できれば別の機会にとりあげたい。ダン・スペルベルには「表象の疫学」というすこぶるおもしろい仮説があり、その後は「関連性理論」として知られるようになった。
 ミズンには『氷河期以後』(青土社)という大著もある。『歌うネアンデルタール』の前の、『心の先史時代』のあとの本だ。5万年前ではなく2万年前から始まる人類の葛藤の起源を描いた。また『渇きの考古学』(青土社)という本もある。こちらは水の文明をめぐる問題意識にもとづいて綴られた。 
 ミズンのような研究者は日本にはいない。こういう学問もない。思想者なら中沢新一(979夜)が試みようとしているように思うが、それを継ぐ者はあまり出ていないような気がする。類書に見えるコリン・レンフルーの『先史時代と心の進化』(ランダムハウス講談社)やピーター・ベルウッドの『農業起源の人類史』(京都大学学術出版会)なども、ミズンを補い、あるいは離れるものである。いつか言及してみたい。

認知的流動性によって文化が生まれる仕組み
(本書p.235より)

⊕ 心の先史時代 ⊕

∈ 著者:スティーヴン・ミズン
∈ 訳者:松浦俊輔+牧野美佐緒
∈ 発行人:清水一人
∈ 発行所:青土社
∈ 本文印刷:ディグ
∈ 扉・表紙・カバー印刷:方英社
∈ 製本所:小泉製本
∈ 装幀:戸田ツトム+岡孝治

∈∈ 発行:1998年8月31日

⊕ 目次情報 ⊕

∈∈ 序文

∈  第1章 なぜ考古学者が人間の心について問うのか
∈  第2章 過去のドラマ
∈  第3章 現代人類の心の基本構造
∈  第4章 心の進化についての新しい説
∈  第5章 猿とミッシング・リンクの心
∈  第6章 最初の石器を作った人間の心
∈  第7章 初期人類の心における多様な知能
∈  第8章 ネアンデルタール人のように考えてみる
∈  第9章 人間の文化のビッグバン―芸術と宗教の起源
∈  第10章 ではそれはどのように起きたのか
∈  第11章 心の進化
∈  エピローグ 農業の起源

∈∈ 原註
∈∈ 訳者あとがき
∈∈ 図版一覧
∈∈ 参考文献
∈∈ 索引

⊕ 著者略歴 ⊕
スティーブン・ミズン(Steven Mithen)
レディング大学考古学科講師。精力的にフィールドワークに出る考古学者。
近年は西スコットランド、ヘブリディーズ諸島で先史時代の住居跡の発掘などに携わる。著書:Thoughtful Foragers: A Study of Prehistoric Decision Making(1990)

⊕ 訳者略歴 ⊕
松浦俊輔(まつうら・しゅんすけ)
翻訳家。訳者。:J・レスリー『世界の終焉』、R・ダンバー『科学がきらわれる理由』(以上、青土社)他多数。

牧野美佐緒(まきの・みさお)
翻訳家。南山大学文学部人類学科卒業。共訳書:D・ブアスティン『クレオパトラの鼻』、C・ウィルソン『世界犯罪劇場』(以上、青土社)