父の先見
ビフテキと茶碗蒸し
暮しの手帖 1994
編集:林弘枝・高野容子
装幀:サトウサンペイ
アメリカには「胎児の4つの悩み」があるらしい。①私ははたして生んでもらえるのか、②この二人はちゃんと結婚するのだろうか、③実際には誰が私を育ててくれるのか、④両親は二人だけですむのだろうか(離婚しないよね)。アリソン・コブニックの『哲学する赤ちゃん』(亜紀書房)よろしく、いかにも自慢気のアメリカン・ジョークだ。
90年代の数字だが、全米では未婚の母から生まれた子が28パーセントをこえる。離婚は2組に1組で、毎日平均7組が別れていく。これでは胎児でなくとも、「両親は二人だけですむの?」と訊きたくなる。いま、アメリカの家族構成で一番多いのが「子供のいない夫婦」、二番目が「片親と子供」、三番目が「独身」になっている。「両親と子供」がいる家庭は四番目なのだ。
話はとぶが、アメリカには妊娠した女子高生のためのハイスクールが3つある。自由が放縦になろうと、それが社会の現実なら、その受け皿をつくろうというのだ。マナーを非難する社会ではなく、マナーが外れても余分社会があることを選ぶのだ。女子高生だけではない。ボストンは全米トップの高学歴社会だが、クルマの運転マナーの悪さでも全米トップだ。アメリカの自由主義は「自己顕示」と「しまりのなさ」と「余分」とがうらはら重なりなのである。
長老のジャーナリストとして斯界で著名なジェームス・レストン(元ニューヨークタイムス副社長)は、アメリカ人に最も欠けているのは“modesty”だと言った。そりゃ、そうだろう。“modesty”は「つつましさ、謙虚さ」という意味だ。
本書は朝日新聞のニューヨーク支局長やアメリカ総局長を遍任したベテラン・ジャーナリストが書いた日米文化比較をめぐる気楽なエッセイだ。
1930年の生まれで、最初に特派員としてワシントン赴任したのが昭和36年だから、一昔前の世代による日米感覚であることは否めないが、レーガン大統領が「日米経済摩擦を解消するには、日本の文化を変えなければいけない」と発言したことに対して、猛然と憤慨した世代でもあった。
タイトルの『ビフテキと茶碗蒸し』は、著者がパームスプリングの国際会議に参加しているとき、途中はハンバーグやビフテキばかりに見舞われていたのが、最終日にお気にいりのみんなと近くの料理屋に行ったところ、そこで出てきた茶碗蒸しに一同が感激したことにもとづいている。中身そのものがぎらぎらと主張するビフテキと、キノコだかカマボコだかの中身の何かがうっすら蒸しあがった卵の表面に霞んで見える茶碗蒸し。そうだ、これがアメリカと日本の違いだと思ったようだ。
この手の対比は「西部劇と時代劇」「ワインと日本酒」「キムチとお新香」ふうに、昔からけっこうよくある対比なのだが、ビフテキと茶碗蒸しが対決したのは意外だった。
それにしても、この手の日米比較や日欧比較はこれまでもいろいろ挙がっていて、いささか食傷気味になる。
たとえば、こんなふうだ。「洋服を吊るす西洋、着物を畳む日本」「信用の欧米、信頼の日本」「傘をもつイギリス、傘をさす日本」「青と赤の信号のアメリカ、黄色注意信号の日本」「パーティのアメリカ、茶事の日本」「ビッグサイズ好きのアメリカ、小粒好きの日本」「測る西洋、諮る日本」「靴を履いたままの欧米、靴を脱ぐ日本」「リーダーのアメリカ、グループの日本」「成功をほめるアメリカ、失敗を咎める日本」「階層するアメリカ、合意する日本」「スープの西洋、ダシの日本」「順番のアメリカ、当番の日本」「対峠するアメリカ、和合する日本」「ベッドの西洋、蒲団の日本」「強制力のアメリカ、調整力の日本」「冒頭に否定句を入れる英語、最後に否定する日本語」「信仰を表明する西洋、宗旨を言わない東洋」「計画を読むアメリカ、空気を読む日本」などなど、いくらでもある。
こういうアイテムやシンボルを並べたてる比較が、民族文化を特色づける定番メニューになってきたのは、もともとはコロンビア大学の社会人類学者ハーバート・パッシンの『遠慮と貪欲』(祥伝社)やBBCの日本語部長トレバー・レゲットの『紳士道と武士道』(サイマル出版会)あたりからだった。その奥にはルース・ベネディクトの『菊と刀』(社会思想社)が「罪の文化」(guilt culture)と「恥の文化」(shame culture)を対比したことが先駆していた。
ベネディクトは「罪」と「恥」を比較して、罪が外から問われるのに対して、恥が内心での規制にもとづくと見た。
文化相対主義による見方で、キリスト教的社会文化と義理人情に律せられている日本の社会文化の比較だったが、日本側からの反論も少なくなかった。川島武宜の『日本社会の家族構成』(1949)、飯塚浩二の『日本の精神風土』(1952)、柳田国男(1149夜)がまとめた『日本人』、和辻哲郎と古川哲史らによる『日本人の独特的心性』(1955)などだ。
その後の検討や議論によっても、ベネディクトの比較では説明できないことがさまざまにあることが見えてきた。たとえば、「罪」を意識するがゆえに罪を逃れるための策略が発達しすぎたこと、「恥」を忍ばんがためにかえって隠蔽や隠し事が多くなっていたことなど、問題も続出したのである。のちに作田啓一が『恥の文化再考』(筑摩書房)でまとめた。
アメリカが訴訟社会であることはよく知られている。これはたしかにアメリカの隅々まで「罪」と「罰」をめぐる制御装置が蔓延していったからなのだが、実際には「罪を惧れる社会」ではなく、「勝訴のための作戦社会」が発達してしまった。アメリカの医者がよくわからない患者には適当な処置しかしなくなっているのは、あとで訴えられるのがこわいのではなく、訴えられても勝てるようにするためだったのだ。
こうしてアメリカ社会はやたらに弁護士を量産することになった。著者がタフツ大学の卒業式に参列していたら、高名な科学者が来賓の挨拶に立って次のように言ったという。「第二次世界大戦で勝ったのはドイツと日本です。かれらは技術者の養成に力を注いで復興をなしとげた。勝ったアメリカは弁護士ばかりを生産した。結果はご覧のとおりです」。
問題がおこるのは避けないが、訴訟で勝つためにはそのために有利なことをしておく。不利なことでもそれが有利になるようなロジックをつくる。この「徹底した伴走力」がアメリカをつくったのである。アメリカはヒーローの国なのではなく、伴走力の国なのだ。
そういう「訴訟するアメリカ」に対して、最近の日本はもっぱら「自粛する日本」になっている。騒ぎや争いになることをあらかじめ避けておく。李下に冠を正さずというより、面倒になるのが嫌なのだ。
だからというわけではないだろうが、日本社会ではリーダーシップを我先に争うなんてことはしない。みんなで推されてリーダーになるという手順を好む。そのかわりトップに立つと急にえらそうになる(それで政治家も官僚も失敗する)。
アメリカは逆である。さして実力もないうちから目立ちたがるし、青臭い主張を平気でする。そのように小学校このかた指導もされ、訓練もされる。だからディベートが得意なのである。そこでは“modesty”なんてくそくらえなのだ。
けれども、それだけではあまりにも人間味がないので、そこでユーモアやジョークを身につける。アメリカ人はユーモアを欠かさないために必死なのだ。それでもユーモアのストックなんてすぐ切れるし、急ごしらえではミスるから、レーガン大統領にはユーモア・コンサルタントが付きっきりだった。
本書には、日本人に対する文句や注文もいろいろ綴られている。とくに国際社会における日本人の言動に失望を隠さない。
著者のまわりの海外ジャーナリストたちがたいてい口を揃えて言うのは「日本人は“dull”だ」ということだった。退屈なのだ。公の席に来ているのに「予習をしてこなかった生徒」のようにふるまうし、あえて「人見知り」を装うことが多い。ライシャワーは日本のことを「舌のもつれた巨人」だと批評した。これでは、アメリカでも国際社会でも通用しない。ハーバード大学のルーデンスタイン学長の卒業式のスピーチは“Be anything but dull”(退屈な人間にだけはなるな)で有名になった。
日本社会は「以心伝心」だが、アメリカ社会は「以言伝心」なのである。「秘すれば花」ではなく「秘すれば、瓦礫ばかりなんだと思われる」のだ。だから、ともかくも言いたいことは言う。
この違いは知性とはどういうものかということにもかかわっている。日米では教養や知性についての判断基準がかなりくいちがっているということだ。アメリカでは臨機応変をおこせるために教養があり、それを決行できるかどうかが知性なのである。インテリジェントとは、個人の言動やふるまいやコミュニケーションがカッコいいということなのだ。日本の知性は「秘すれば花」ばかりではないものの、知性を自慢すれば知性ではなくなるという見方をする。能ある鷹は爪を隠すのだ。
このことと関係があるだろうと思われるのが、日本が過剰サービス社会になっていることだ。おしぼりや料理屋の突き出しや自動販売機などの物品サービスはすばらしいとしても、呆れるほどに「言わずもがな」がやたらに多い。
本書には、ラッシュ時の駅のアナウンスが「降りる人がすんでから、すいている扉から順にお乗りください」と言っている例が出ていたが、ぼくもスーザン・ソンタグ(695夜)と国電に乗ってアナウンスや貼紙の文言を尋ねられたときは、いやになった。「いま、何て言ったの?」「電車が入りますから、白線より下がってお待ちくださいって言った」「いまのアナウンスは?」「前の人に続いて順にお乗りください」「その次のは?」「閉まる扉にご注意ください」「あっそう。これは、なんて書いてあるの?」「指がはさまれるのをご注意ください」。ソンタグは呆れ、「日本人ってそこまで言われないとわからないのね」。
いや、言われないとわからないのではなく、「サービス過剰」と「言わずもがな」と「責任回避」が一緒くたなのである。ソンタグは遠慮なく追い打ちをかけてきた。「どの駅でも同じことを言っているの?」、ぼく「そうね」。ソンタグ「公衆道徳はどこにあるの?」、ぼく「公示するんだね」。「ふうん、自主性を教えられていないのね」、ぼく「そうだ」。そう言うしかない。
ソンタグは“ugly!”だと吐き捨てた。彼女は「日本人はコミュニケーションにおける醜さを理解していないのではないか」と判定したのだ。ずっと以前にライシャワーが書いていた、「日本人は美しいものには敏感だが、醜いものには鈍感である」と。
日本人の会話力についても、著者はかなり苛立っている。まわりくどく、冗長なのだ。“relevant”や“succinct”になっていない。アメリカ学の本間長世も日本人の議論は「適切(relevant)と簡潔(succinct)がめざされていない」と書いていた。
英語はうまくなる必要はない。発音も二の次でいい。要めになる単語をはっきり言えば、あとはもぐもぐしてもいい。それよりも「何を話すか」「何を話しているか」を方向づけ、そこを強調したほうがいいに決まっているのだが、ところがこれがへたくそだ。ぼくは同時通訳のグループを10年ほど預かって、いかに日本人の会話やスピーチの通訳が厄介か、要約するのが困難か、かれらから何十回となく聞かされてきた。白洲正子(893夜)もずっとそう感じていたようだ。『白洲正子自伝』(新潮文庫)に、英米人は日本人が何を話しているのかわからないといつも言っているという話を書いていた。
日本人が“relevant”で“succinct”になるには、英文読解力などで時間をつぶすより、ハーバード大学の日本語授業に倣ったほうがいいかもしれないと著者は促している。ハーバードでは川端や三島を理解するよりも日本の新聞が読めるようになるための猛特訓するらしいのだが、そういうふうにしたほうがいいのではないかというのだ。
著者は朝日の記者だったから、このアイディアは万々歳だろうけれど、しかし、はたしてこれはどうか。
名前は明かせないのだが、ぼくはあるとき海外の投資家たち(米独仏中の7人ほどのグループ)から、日本のマスメディアの記事はおもしろくないから、新聞や雑誌のコンテンツを再編集したメディアをリリースしてほしい、ついては一人5000万円ほどを用意するので、それで5年ほどやってもらえるだろうかという相談を受けたことがあった。すぐに断ったのだが(ニュースソースについての基礎がないぼくがやるべきことではないので断った。周囲は「なんてもったいない。適当にやっておけばよかったのに」と言った)、この話を聞きながら、日本語による社会情勢の説明力(ディスコースやエクリチュール)に何かのモンダイがあることを感じさせられた。
これは新聞のモンダイだけではない。日本のニュースキャスターやコメンテーターがなるべく当たり障りのない表現をせざるをえなくなっているところにも、モンダイは露出している。池上彰のようなキャスターはめったに登場してこないのだ。
著者は日本人が“relevant”で“succinct”を発揮するには、PとGとをなるべく早めに表明するのもコツだとも奨めていた。Pは“pleasant(愉快)”のこと、Gは“gloomy(退屈)”である。
これはたしかにお奨めだ。わかりやすくいえば、相手があまりにもつまらないことを言っているときは、それにいつまでも合わせずに、たいてい「それ、つまらない」とはっきりと言い、そのかわりなかなか穿っているなと感じたり、独創的だと感じれば、すぐに「それはすばらしい」と指摘するということだ。何を隠そう、ぼくはこのP&Gの表明がけっこう早い(おかげで嫌われることも少なくない)。
この場合のコツは全体の流れを総計してからそう言うのではなく、短い会話でそのPとGを言ってしまうことにある。そうすると、対話や会話が長くなってきたときも、ぼくが評価したPとGを相手を受け止めているので、繰り返しが省けていくし、その評価の先に会話が進むのだ。
とはいえ実は、ぼくはディベート(debate)が好きではない。それどころか大嫌いだ。これまで何度かデイベートの場に臨むことがあったのだが、勝ったとみなされた場合も、かなり後味が悪かった。
そもそもディベートはフリーなディスカッションではない。たいていは目鼻がついていない「件」(くだん)に加点と減点による目鼻をつける。“competitive debate”なのだ。そのため主張や意見が異なる立場をあらかじめ想定して、その相違のどちらかに話し手の所属が決められる。これがつまらないのだ。最近はヒップホップ・バトルもさかんなようだが、あれもよほどの“言葉の歌い手”によるものでないとおもしろくない。
学習や教育のためにディベートが有効だとする向きもあるようだが、ぼくはその効用を認めない。
もともと今日のディベート・ブームはイギリスとアメリカで独特に発達してきたもので、ケンブリッジ・ディベート、オックスフォード・ディベート、英国下院議会のパーラメンタリー・ディベート、1980年代に急速に確立していったアメリカンスタイル・ディベートなど、いずれも世論を形成するための公開公論になってきた。公開公論があることは結構なのだが、ただし、かなりの度合いで「これみよがし」なのである。
だいたい論陣が最初から二手に分かれるのがつまらない。“proposition”(与党性)と“opposition”(野党性)や、“affirmative”(賛成派)と“negative”(反対派)を最初から線引きしているのがよろしくない。これではどちらが優勢になろうが、ほぼ「創発」がおこらない。創発は「そこになかったことが出現する」ということである。
そんなことはないよ、創発が大事なのではないよという友人もいる。アメリカにはリンカーン・ダグラス・スタイルという、奴隷制の是非をめぐった討議のスタイルを踏襲したディベートがあって、肯定側が立論・質疑応答を各1回、反駁2回をして、否定側は立論・質疑応答・反駁が各1回で、反駁の時間が肯定側より長く設定されている。これはたいそう民主的だというのだ。アメリカの高校生や大学生は、ほぼこのスタイルに親しんできたので、今日の「自由アメリカ」があるのだというのである。
なるほど、ディベートによってロジカル・シンキングやプレゼンテーション・テクニックは錬磨できるのかもしれない。また、議論が出会えていないトピックやイシューやサブジェクトが、賛成・反対の論述によってめざましい特徴を発揮しあうということもおこりうる。しかし、それでどうなのか。
ぼくが大事だと思うのはロジックの見せびらかしではない。アナロジカル・シンキングなのである。連想的編集力によって問題の底辺が拡張し、新たな創発的地平が見えてくることなのだ。これは二手に分かれるディベートでは養えない。ビフテキと茶碗蒸しはディベートの対象にはならないほうがいい。
⊕ ビフテキと茶碗蒸し ⊕
∈ 著者:松山 幸雄
∈ 発行所:暮しの手帖社
∈ 発行社:大橋鎭子
∈ 印刷所:大日本印刷株式会社
∈ 挿画:サトウ サンペイ
∈ 編集:林弘枝・高野容子
∈∈ 発行:平成8年4月15日
⊕ 目次情報 ⊕
∈ ビフテキ文化と茶わん蒸し文化
∈ 気さくさとユーモア
∈ ぬるま湯がdullな人間をつくる
∈ 「インテリ」は「知識人」でなく「知性人」
∈ 「お人好し」対「したたか」
∈ 便利さと過剰サービス
∈ 人生はタイミング
∈ 奉仕といじめと気働き
∈ ほめることは伸ばすこと
∈ 自由社会としつけ
∈ 幸齢化社会とゆずり葉
∈ ゆとりの中から個性が生まれる
∈ 英語上達の近道と王道
∈ 「幸せ」をもたらす気質
∈∈ あとがき
⊕ 著者略歴 ⊕
松山幸雄(まつやま・ゆきお)
1930年4月、東京生まれ。53年、東京大学法学部法律学科卒、朝日新聞に入社。政治部員、ワシントン特派員、ニューヨーク支局長、アメリカ総局長、取締役論説主幹を経て、現在共立女子大学総合文化研究所教授、ハーバード大学国連問題センター評議員、モントレー国際問題研究所顧問など。
76年度ボーン国際記者賞、77年度第12回吉野作造賞、78年度日本記者クラブ賞、86年度石橋湛山賞を受賞。