父の先見
ヒトはいつから人間になったか
草思社 1996
Richard Leakey
The Origin of Humankind 1994
[訳]馬場悠男
ロンドンの書店で『オリジン』という大型本を買って帰ってきたところ、岩波現代選書に同じ共著者による『ヒトはどうして人間になったか』が入った。寺田和夫さんの訳だった。どちらもリチャード・リーキーとロジャー・レウィンの共著である。
貪って読んだ憶えがある。そのころのぼくは「人類の起源」の問題に、もう少し限定していえば「直立二足歩行」の問題にどっぷり嵌まっていて、片っ端からその手の本を漁っていた。
だいたいぼくの読書は、そういった「固め打ち」が多いのだ。あるジャンルや特定の問題意識をもって、ともかくブロックバスター式に連読連打する。そのあいだに、まったく別の本をワインやデザートや煎餅(せんべい)や入浴のように入れていく。そういう読み方だ。これがおおむね四半期に一度、熱病のようにやってくる。その繰り返し。
そのころは「人類の起源」と「言語の発生」に取り組んでいた。ロバート・アードリーの『アフリカ創世記』(1971)から読み始めたのだが、なかでリチャード・リーキーに出会った。こういう奴がいたのかと思った。こういう奴というのは、まるで両親の人骨や血液をそのまま人類史の誕生をめぐる学問にいかしている奴がいるんだ、という意味だった。
リーキーはぼくと同い歳の名うての古人類学者である。
両親のルイスとメアリーは国際的に知られた発見を次々にして、大胆な仮説を提案した古生物学者と先史学者で、リチャードはこの二人の骨格と血と脳味噌をそのまま使っている。実際にもケニアで生まれ育っていて、ある意味ではエリート教育を受け、ある意味では“考古坊ちゃん”として甘やかされた。
この甘やかされた育ちが、ときに学者をおもしろくするものなのである(むろんダメにもするが)。リーキーはまさにそういう一人だった。ぬけぬけと、まるで人類が誕生したころの光景を、自分が母親のおなかの中にいたときに見た光景のように話すのだ。
だから、リーキーは若くして有名になっていたわりには独自の論文がない。『オリジン』も、前著の『ヒトはどうして人間になったか』もそうだったとおもうのだが、長らくリーキーはろくに原稿を書けなかったのではないかとおもう。大半はサイエンス・ジャーナリストのレウィンが手伝って書いていた。
しかし、それでもリーキーにはアレキサンダー・グラハム・ベルやグレゴリー・ベイトソンや九鬼周造や大岡玲の「育ちのおもしろさ」のようなものがあって、これがぼくのような“固め打ち”をしている者に、こういう血統だけで押してくるピッチャーの球を打ち返したいという気分にさせるのだ。
本書はそういうリーキーがやっと自分一人で書いた(にちがいない)一冊。いわば9回完投した一冊なのである。
リーキーは、徹底して「直立二足歩行」が人類をつくったという仮説にこだわってきた青年である。ぼくが気にいったのもこの点にある。
従来からある仮説、たとえば、捕食のためや草原を見渡すために直立二足になったのだろうとか、直射日光の面積を少なくするため直立したのだろうといった仮説は退ける。
この仮説を支えるために、本書ではめずらしく学説構築的に「最初の人類」「複雑な家系」「脳と骨髄の関係」「ヒトのハンティング能力」「現生人類」「芸術コミュニケーション」「言語の発生」「精神の萌芽」という8つの陣営からの成果を、援軍として繰り出した。
この組み立ては、やんちゃなケニヤの貴公子がふだんどのように勝手な想像力を駆使しているのかを、順を追ってわからせてくれていた。出発点は次のような点にある。すなわち、
①直立二足歩行をした ②話し言葉をもっていた ③計画的に食料を分配した ④ベースキャンプをつくっていた ⑤大型の獲物を狩った |
この5つの条件が人類誕生の条件だとする説である。ハーバード大学の人類学者グリン・アイザックの仮説とほぼ同じ位置にいる。これらはとくに冒険的な仮説ではない。しかし、ここからはどんな魅惑的な仮説も飛び出してくる背景画になっている。
その魅惑的な仮説のひとつに、ラスコーやアルタミラの壁画に類する絵柄は、どのような人類がどのようなつもりで描いたのかという大問題がある。
ぼくは最初はギーディオンの『美術の起源』でこの問題にぶち当たり、ついでアンドレ・ルロワ=グーランとともにこの問題を考えた。しかし、何も新たな仮説は派生してこなかった。なぜなら、かれらの説明では、そうした天才的な具象力は氷河時代がちょうど終わった1万年前にすっかり鳴りをひそめ、次に洞窟に描かれたのはごくごく簡略な絵柄や幾何学模様になっていたことがうまく説明できなかったからである。
ようするに縄文土器の過激な文様がなくなったように、人類史でも“弥生ジャンプ”がおこったのだが、そのことの納得がいく説明が誰もできなかったのだ。
リーキーはそこをミシェル・ロルブランシェの意見を借りて、するりと先を見た。それは、あの天才的な無名の画家たちのバイソンなどの絵柄は、半ば幻覚的な症状とともに描かれたシャーマン的なドローイングではなかったかというものだ。ひょっとしたらキノコやハッシシめいたものも食べていたのではないかというのだ。
これは意外な説である。にわかには信じがたいところも少なくない。しかしリーキーは、ここはかなり「やんちゃ」になっているのだが、原始人にもそういう“芸術”が突然芽生えていたっておかしくはないとさらりと言って、この仮説に飛んでみせている。ケニアに育っていると、こういうことも信じられるようになっていくのだろうか。
人類誕生のミステリーには、もうひとつの重大で未解決な問題がある。話し言葉の発生のことである。
おそらく言語能力は、後期旧石器時代の3万5000年ほど前の時期に急速に獲得された能力である。では、なぜそんなときに言葉が身についたのか。無数の仮説がこのことをめぐって提出されているのだが、ぼく自身は、コロンビア大学の神経学者のラルフ・ハロウェイが「言語は攻撃よりも協調のための社会活動から発生したのではないか」と言った説や、それを発展させたロンドン大学の霊長類学者のロビン・ダンバーの「結局はグルーミングから言葉は生まれてきたのではないか」に共感をもっている。
しかし、それが後期旧石器時代であることには、なんらかの理由がなければならない。
リーキーはここでもホイホイと新たな照準を定めていた。きっとヒントはランドール・ホワイトがあげた7つの条件のうちの3つ、すなわち「死者を埋葬するようになったこと」、「その土地にない品物を別の土地の者と交換するようになったこと」、「そのグループに分業が発達してきたこと」、このようなことが後期旧石器におこったせいではなかったろうか。そう早計に決めこんだのだ。
本書はこうして、人類発生の地に育った者が、いったいどのように人類発生の謎そのことを語るのかという、いわば「氏」と「育ち」を合わせもつ環境の中の科学というのはどのように科学者を「やんちゃ」にさせるのかというような、やや興味本位の読み方をさせてくれる一冊だったのである。
もっとも、そういうリーキーもついに「やんちゃ」になりきれなかったところもあった。それは脳の容量が3倍になったことを言葉の発生や精神の萌芽になんとか合わせようとしているのだが、これがすっきりした見通しになってはいなかったという点である。
そこでぼくもここで一言、羨ましいリーキー一族に対して、こんなふうなことを言ってみたくなる。「脳が言語をつくったのではなくて、言語が脳を巨大にしたのかもしれなかったじゃないか」。