才事記

日本の伝統

岡本太郎

講談社 1956・1964・1973

 いまの大学生に、エートク、セッソン、トーハク、コーリン、タンユー、ブンチョー、コーカン、ジャクチュー、エーセンと並んだ片仮名を見せれば、100人が100人ともブランドかジャンクフードの名前とおもうにちがいない。仮に漢字をあてはめさせても、全問正解はまず一人もいない。
 岡本太郎は日本の伝統芸術に対して日本人が抱いている見方の多くが“節穴”だとみなした。エートク(永徳)、タンユー(探幽)、コーカン(江漢)と聞いて、その音だけでピンと背筋が張るものがなくなっている。これは、日本人が日本の伝統に関して何かに惑わされているせいではないかというのだ。
 美術史家たちがこれらの画家を真剣なナマの驚きをもって教えてこなかったことにも腹をたてる。これらの画家はジオットー、ミケランジェロ、ゴッホ、シャガール、ピカソ、ミロらに匹敵するはずなのに、そのことがとんとわからなくなった日本人にも(1950年代の日本人だが)、しこたま怒っている。
 そして、「日本人くらい一方に伝統のおもみを受けていながら、しかし生活的にその行方を見失っている国民はないでしょう」と書いた。ともかく呆れているのである。

 本書をどのように読むか、ぼくはいろいろの連中に聞いてまわりたい。花の家元はどう読むか、建築家やロックアーティストや日本画家はどう読むか、坊さんや神主たちはどう読むか。あるいは「日本は神の国」だと思っている連中はどう読むか。
 岡本太郎が光文社から『今日の芸術』を出したのは、ぼくが小学生のころだった。父が買っていたので、いつごろだったかは忘れたが、拾い読んだ。おそらく中学2年くらいだったろう。縄文土器というものの苛烈なエネルギーに煽られて、まるで日射病に罹ったような気分になった。本書『日本の伝統』は1956年でぼくが中学時代の出版だが、これは高校になってから読んだ。やはり父が買ってきた。当時のぼくはカメラをもって鎌倉に通っていて、禅寺や禅庭に関心を寄せていたのだが、そのようなことをしたきっかけに、本書があったように記憶する。
 ようするに、ぼくは岡本太郎の見方に憧れたのだ。こういうふうに日本を見ようと思ったのだ。ちゃんとした日本の美術史などまったく知らなかった時期で、そのぶんだけストレートに岡本太郎のアジテーションに入っていけたのであったろう。が、知識の度合いはともかくも、そこには僕を実感させ、納得させる何かがあった。とくに銀閣寺の銀沙灘のダイナミックな説明には武者ぶるいすらおぼえたものだった。
 おそらくぼくがそういう“タロー・インフレーションの季節”を初期にもっていたことを、最近のぼくの読者は意外におもうことだろう。だが、事実なのである。

 本書で岡本太郎が主張していることは、至極わかりやすい。「日本の伝統芸術を根本から見直せ」「日本を自分の眼で見てみろ」ということだ。これは文句ない。言ってみれば、いとうせいこう・みうらじゅんの『見仏記』(198夜)の目が今日の日本人には必要だということなのである。
 もうひとつ岡本太郎が強調していることは、日本美術のチョー審美主義的な解説に騙されるなということだ。本書では亀井勝一郎や竹山道雄の“古寺巡礼型の解説”にかなりいちゃもんをつけているのだが、これが和辻哲郎でも萩原朔太郎でも谷川徹三でも、だいたいは五十歩百歩。わざわざわかりにくくさせている。タローはそこを許さない。日本の伝統美にはもっと直截に訴えるものがあるはずだという見解なのだ。
 そこで例を出す。最初は何といっても縄文土器だ。
 タローが縄文土器に発見したのは、非情なエネルギー、説明を拒否する呪術性、超自然を孕んだ四次元性、複合精神の横溢とアンビバレンスを恐れない非対称性などである。これらが縄文土器には唸るように渦巻いている。そこにはたしかに、若き日にソルボンヌ大学で哲学・社会学とともに民族を学び、ついでシュルレアリスムの画業に飛びこんでいったタローがむしゃぶりつきたいものがある。タローはそこで言う、こういうものこそが日本の芸術の根本にあるのではないか。
 タローはその一方で、尾形光琳の紅白梅図や菖蒲図の屏風にも感嘆した。ここには「生活にない緊張感」があり、「シンと冴えてすべてを拒否しているもの」がある。「鑑賞者は夢みることも許されない」。なるほど、痛快な見方である。さらにはこうも見た。「あらゆる幻想も思い出も拒否される」。この思い出も拒否されるという見方がタロー的で、独創的なのである。ようするに「画面以外になにものもない世界」がそこにある。こういう光琳を、タローは日本の伝統が創り出したということを評価する。

 こうしてタローは日本の庭の美の解剖に入っていく。採り上げられるのは銀閣寺の銀沙灘と向月台。
 ただの砂盛りだが、幾何学を勝る抽象性がある。なのに、そこには「なまなましく変貌していく立体感」もある。表面をわずかに刻する線条が見る者の眼をその立体物に引きつけ、縛っていく。タローはこの構想力に驚愕をする。それは矛盾そのもののパワーをいかした虚と実を無限に生み出すドラマなのである。
 こんなふうに日本の伝統を語りたい。そう、タローは考えた。それには亀井勝一郎や竹山道雄では困るのだ。もっと荒々しく接近して、もっと病気の悪寒のように打ち震える見方や語り方が噴出してほしいのだ。

 かくてタローは「京都」に挑戦することにする。本書の後半は、世間の評判がなんとなくつくりあげてきた京都的幻想を打ち破り、タロー自身が自分の眼と言葉で京都を再構成できるかどうかという“実験”になっていく。
 「よきにつけ悪しきにつけ、今日の日本文化を決定し、現代日本的なものの源泉になっている京都をこそ、どうしても見極めなければならないと思いだしたのです」。
 よくもそんな挑戦をする気になったものだとおもう。旧来の京都派からしてみれば、「そりゃえらいことですな、まあ、やってみなはれ」という反応に見舞われるのがオチだろう。しかし、その“実験”をタローは執拗に組み立てた。

 結果はどうだったかというと、当時これを読んだぼくには衝撃的だった。ぼくが京都に生まれ育って感じていたものは、あくまで柔らかいもの、移りゆくものだったのに、岡本太郎は激しいもの、普遍的なものを探してばかりいたからだ。
 しかし、なんとなく釈然としないものも残った。やはり岡本太郎も京都を京都らしく見ているように写ったのだ。強引に京都にひそむ呪力のようなものを引き出そうとしているのだが、でも京都的なのだ。それが何であるかはずっとわからなかった。それがふと氷解したときがある。
 われわれはゴーゴリが書いたペテルブルグリルケが書いたパリのように京都を見たっていいんじゃないか、あるいはターナーのロンドンやダリのポルト・リガトのように京都を描いてもいいじゃないか、そういうことがわかったときである。実は岡本太郎はゴーゴリやターナーやリルケのようには京都を見なかった。新しい伝統を探しすぎたのだった。

 おそらく、本書をいま初めて読んだとすれば、ぼくは昔ほど影響されないだろうとおもう。
 実際にも、本書における言説にはそうとうに紆余曲折があるし、矛盾や煩悶を逆説的に肯定するのがタロー・ロジックだとしても、そのロジックだけでは日本を“解説”するにはムリがある。湿気を払いすぎたのだ。
 けれども冒頭にも書いたように、ぼくは岡本太郎によって初めて日本の語り方を知ったのだ。それ以前に中学校の図書館で小林秀雄の『無常といふ事』を読んだし、山本健吉の何かを読んだものだったが、それでは何も伝わってこなかった。ぼくに日本を教えてくれたのは岡本太郎だったのである。その鮮烈は色褪せない。それに、本書を読んでいったい誰がタローの日本愛に敢然と反論できるかというと、おそらくは多くが腰砕けになってしまうにちがいない。いまもって感想を聞いてみたいものである。
 岡本太郎の約50年前の日本への挑戦は、やはりいまなお有効なのだとおもいたい。