才事記

ロックの伝導者

ミュージック・ライフ編

シンコー 1992

 死の1年前、ジミ・ヘンドリックスは自分たちの音楽を「エレクトリック・ファンキー・ブルース・チャーチ・ミュージック」と定義した。とうてい翻訳不可能だが、「ファンキー・ブルース」と「ブルース・チャーチ」が熔接されているところがジミヘンらしい。時代が大きく軋道転回した1969年のことだ。
 そのときジミヘンはカリフォルニアのキャニオンに豪勢な三軒の家を持っていて、そのすべてに自分がくつろぐつもりの円形の部屋を作らせていた。投資のためだったが、いずれ住むつもりだったらしい。そのころはニューヨークに「ゴディバ」というハイなクラブをつくる計画ももっていた。だが、その前に壮絶な薬死をとげた。
 同じころ、ジミを世界で一番の凄腕のギタリストだと見ていたエリック・クラプトンは「クリーム」を解散したばかりだった。たった2年間の活動である。が、そのころすでにクラプトンは、1曲には15通りの演奏の仕方を発見でき、そのうち正しい演奏を1つに絞ることが自分がするべきことだということを知っていた。ギターの限界が自分一人でハイになることだとも見抜いていたし、人気がミュージシャンを堕落させることも知っていた。ミック・ジャガーは子供のころに「自分はほんとうは火星から来た子供で、地球に来て帰化した」と作文に書いていたらしいのだが、それかあらぬか、「クリーム」解散のころはどっぷり魔術に凝っていて、キース・アルサムに「LSDをやった者ならだれだって魔術が好きなのさ。霊的なものってのは一番たいせつなんだ」と言っていた。

 本書は1970年前後のロックスターたちのインタビューで構成されている。いずれも「ミュージック・ライフ」に掲載されたものばかりで、なんとも懐かしい。
 なぜ懐かしいかはハッキリしている。ぼくはこのころにやっとロックに目覚めたからだ。実はビートルズが登場してきた同時代には美空ひばりかラモンテ・ヤングか、そうでなければチャック・ベリーか岡林信康だったのである。ビートルズには乗れなかったのである。とくに初期のビートルズはつまらなかった。だから本書に登場するスターたちがぼくがリアルタイムに参ったロックスターたちなのだが、そう書いてみると今度は懐かしいというより恥ずかしくなってきた。
 それにしても、当時はこういうインタビューが闇夜の雲を線条で光らせる言葉の稲光のように見えた。いま読むと、けっこうふつうの話が多いので驚くが、当時はけっしてそんなふうには映らなかった。かれらのすべてが電気仕掛けのウィリアム・バロウズであり、精神物理学を纏ったヨーゼフ・ボイスで、化粧しすぎたアンディ・ウォーホルだったのである。
 以下、本書でインタビューを受けているアーティストを摘まんでみるが、本書ではクリーム以降のスターしか扱われていない。
 クリーム解散以降、ビートルズをロックの王座から蹴落としたのはまずはレッド・ツェッペリンだった。これは、いまでは絶対お目にかかれないハードロックの炎上だった。喧しくも性的で、交錯する暴力で、それでいて焦点を迷わせる洪水のような音楽だった。
 焦点を迷わせるというのは、最初、このバンドはジミー・ペイジのバンドだとぼくは思っていたからだ。その陶酔しきったようなギター・プレイは、時折見せるトリッキーなヴァイオリンとともに、てっきりペイジが性的暴力の炎上を仕切っていると見えた。が、ジミーはこのインタビューを読むかぎり、とてつもなく奥まっている。ドアーズのジム・モリソンとどっこいどっこいの静謐と逆上を裏返しに合わせもっている。それならつねにセックス・シンボル呼ばわりされていたロバート・ブラントが激震の中心なのかというと、これもそうではなかった。ジョン・ポール・ジョーンズのラディカル・ベースがバンドの中心で、ブラントのボーカルなど、むしろブルーバード・レーベルのトミー・マクレナンの再生だったのだ。

 10年続いたビートルズを落としたレッド・ツェッペリンはたった1年で、エマーソン、レイク&パーマーに玉座を譲った。『展覧会の絵』と『タルカス』の圧勝である。ぼくはあまり好きになれなかったが、インタビューを読んでその理由はよくわかった。EL&Pのフリーフォームは「構造」を持っていた。キース・エマーソンがそのことを自覚していたし、おまけに彼はジャズをみっちり仕込んでいて、左手でラス・コンウェイ、右手でダドレイ・ムーアを弾いてみせたのだ。
 このほか、本書はジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョン・メイオール、エルトン・ジョン、スティーヴン・スティルス、ロッド・スチュアートが後半に顔を揃えているのだが、なんといっても当時も今もぼくを興奮させるのはマーク・ボランなのである。T・レックスの登場が1970年。日本で火を噴いたのが72年あたり。ボウイの『ジギー・スターダスト』で沸いていたころだ。「遊」を創刊する前後だが、この一瞬とともにロックはぼくの体を初めて弾丸となって駆け抜けた。

 マーク・ボランは「電気の武者」である。エレクトリック・ウォーリアーだ。これはマーク・ボランが自分で書いたSFの主人公の名前でもあった。
 そいつはいつも渋いブギーのために楽器をもった男で、それが彼の心臓に接続されていて、その楽器をひくたびに瞬間的に殺人がおこるというプロットになっている。マーク・ボランはこの伝でゲット・イット・オンをして、つまりはバング・ア・ゴングを鳴動させて、聴く者すべてを皆殺しにしていった。インタビューで答えているのだが、この電気の武者は「自分が経験したことであろうと経験していないことであろうと、すべては経験したことに見える」という性格の持ち主なのである。
 どうやら少年時代から、読めるもののすべてを読むという活字人間でもあったらしい。だからアメリカをけっして理解しようとはしなかった。アメリカは歴史のリテラシーとは縁遠い。個人が文脈から切り離されている。レッド・ツェッペリンがそうであり、デヴィッド・ボウイがそうであったように、マーク・ボランもイギリスの血と音をたぎらせた言霊妖怪なのである。こういう男は自分で着るものは自分でデザインをする。そしてそれが済めば、マーク・ボランのなんでもが色気に満ちた自動機械人形になる。その変化が衆道のごとくに残忍で、稚児のごとくに優美なのである。
 おそらくマーク・ボランのような男はもう出ない。実際にも、マーク・ボランが見えなくなったとき、すべてを席捲していたのはピンク・フロイドだった。すでに『原子心母』や『狂気』でロック心理学の底辺を塗り替えていたが、それがロック症状の全面にまで及んだのは1977年前後のことである。入れ替わるようにマーク・ボランがミニクーパーで樹に激突して1977年9月17日に死んだのだ。ということは、ぼくが阿木譲と出会って、ロック・エンドに向って走り始めた時になる。ああ、ああ、懐しい。しかし困ったことには、今宵、ぼくは57歳の誕生日なのである。ミック・ジャガーと同い歳なのだ。