よっぽどケアする気にならないとウォーホルをおもしろくさせられない。たまにはそれもいいだろうというつもりになった。
最初に言っておくが、ぼくはウォーホルのアートなんてこれっぽっちも認めていない。そのころ、そのころというのは60年代終わりから70年代前半にかけてのことだが、そのころはまだ名前が出たばかりの原宿や青山のデザイナーやアーティストの真っ白い部屋へ行くと、5人に一人がウォーホルのシルクスクリーンを床から無造作に、つまりこれみよがしに壁の隅のほうに立て掛けていて(他にはドナルド・ジャッドかフランク・ステラ)、まったくバカバカしかった。ウォーホルの作品がいいんではなくて、きっとウォーホルの「あっけら缶」のなかで自分がしている理由のつかないクリエイティヴィティに免罪符がほしかったのだろうと思ったものだった。
もうひとつ言っておくと、ぼくはウォーホルとはほぼ正反対のところにいる。たとえばウォーホルは体に触られるのが大嫌いで体を洗ってばかりいるが、ぼくは触られるのが大好きで洗うのは面倒くさい。ウォーホルは昨日のことも忘れるほど毎日が新しく見えるのだが、ぼくは次にくることに興味がないので過去が新しい。ウォーホルは触られるのが嫌いなぶん香水が大好きで、3カ月に銘柄を切り替えていたけれど、ぼくは香水もタイピンもカフスボタンもつけたことがない。ウォーホルはチョコレートをいくらでも食べるけれど、ぼくは一齧りか三齧り。ようするにウォーホルは化学的(ケミカル)だが、ぼくは物理的(フィジカル)なのだ。
それなのに今夜はめずらしくウォーホルをケアする気になったのは、あの被害妄想的世間感覚が後期資本主義独特のポップカルチャーとコンテンポラリーアートを垂れ流すにふさわしいほどフラットで明快で、おまけにそんなことはウォーホルだからこそできたことに、一度は注意のカーソルを向けておきたかったことと、そんなウォーホルとぼくが完全に一致するところもあるからだ。

ウォーホルは8歳で皮膚から色素を失った。綽名は「スポット」、つまりシミ夫くん。以来、ウォーホルはミスキャストを大事にするしかなくなった。ようするに「場違いのところにいるまともな人間」か「まともな場所にいる場違いな人間」かになることがウォーホルなのだ。
ウォーホルは10歳までは年に3回は神経衰弱に陥っていた。夏休みになると舞踏病にかかった。親父は炭坑に行っていて、あまり顔を見なかった。そういうことがあったからかどうか、ウォーホルには18歳まで親友がいなかった。それでやっとひとつのことに気がついた。誰も自分に悩み事を相談しないのだ。どうしたらそういう連中にこっちを見させるか。驚かせるしかなかった。毎日ポートフォリオをもって歩きまわった。グリーティングカード、水彩画、みんなダメ。喫茶店で詩の朗読もした。
結局わかったことは、みんなパーティが好きだということだ。だから黙ってパーティの準備をして、人に来てもらうようにした。何もできないから黙っていると、少しずつウォーホルが変人であることに人気が出た。「もう孤独でいいやと思ったとたん、取り巻きができたのだ」。パーティの会場をいちいち変えるのは大変だから、ちょっとしたスタジオをもって、そこによく来る奴は寝泊まりもさせた。ウォーホルは確信した、「ほしがらなくなったとたんに手に入る。これは絶対に正しいことだろう」。
ウォーホルにとっては「買う」は「考える」よりずっとアメリカ的なのである。アメリカは人でも金でも会社でも国でも買ってしまう国だから、ウォーホルはアメリカでなければ生きられない。
そのかわり、ウォーホルには人というものはすぐに狂気に走りたがることが手にとるように観察できた。ともかくウォーホルは有名なものを複写して複製して、仕事場を会場にしてポップアート宣言するだけなのだから、あとは集まってきた連中がおかしくなるのを待つだけなのである。23歳で髪を真っ白にしておいたのもうまくはたらいた。そのころのベルベット・アンダーグラウンドに「オールトゥモローズ・パーティ」という歌があったけれど、たいていはパーティに来ているうちにおかしくなっていった。だから映画スターやポップスターはみんな成り上がりだが、パーティに顔を出しているうちに成り下がるのが目に見えていた。だから60年代はみんながみんなに興味をもって、パーティがつまらなくなった70年代はみんながみんなを捨てはじめた。
ウォーホルがメディア・パーティの主人公だと勘違いされた60年代は、目立った男や目立った女と親しくなるためにはファッションも言葉も趣味も独特でなくてはならず、それで傷つくのを恐れてはいけなかったのだ。いやいや、必ず傷つくために親しくなったものだった。そして親しくなったら、必ず傷ついた。親しくなるというのはウォーホルにとっては、そういうことだった。
こうしてウォーホルは10年に1度しか休暇がとれなくてもどこへも行きたくないという奇人変人になりおおせた。たぶんウォーホルは招かれないかぎりは、いつも自分の部屋にいた。テレビを2台つけて、リッツ・クラッカーをあけて、ラッセル・ストヴァーのチョコレートを食べて、新聞と雑誌を走り読む。
ウォーホルは「ひなひな」である。ママ坊である。再生元素が足りない化学物質である。しかしそのぶん、ウォーホルには常套句があった。それがウォーホルの哲学だった。「だからどうなの?」と言ってみることだ。言わないときは心で呟いてみることだった。
母親に愛されなくてねえ。だからどうなの? 旦那がちっともセックスしないのよ。だからどうなの? 仕事ばかりが忙しくてさ。だからどうなの? いまの会社で大事にされているんだけど、なんかやることがあるような気がしてね。だからどうなの? これってアートにならないらしい。だからどうなの?
いずれにせよ、人はいつも同じことを繰り返してばかりいるのだ。ウォーホルからすると、それで失敗するのは当たり前で、成功することなど忘れれば、すぐに成功するのにと思えるのである。
そのうち、ウォーホルはまた気がついた。「新しいものとはわからないものなんだ」ということである。それが何かさえわからないもの、それだけが新しいものなのだ。ということは、「これ、わからないね」と言われれば自信をもてばいいはずだ。ただし、100パーセントわからないものにしなくてはいけない。全部わからないのが、いい。「ここがわからない」と言われるようではダメなのだ。ウォーホルは、こう、確信した。「とくにアートは作れば新しくなくなっていく」。
以上、ウォーホルがとびきり猜疑心が強くて、ひどく嫉妬心が強いことをあらわしている。
こういうウォーホルとぼくが一致していることなんてなさそうなのだが、それがそうでもないのだ。たとえば次のようなことである。
①8歳までの子供はみんな美しい。だから傷つけたくはない。それはたいていの動物にもあてはまる。暴力が美しく見えたこともない。暴力は時間をかけるし、美しいものは瞬間も美しい。②世界中のホテルで一番いいのはロビーだけ。世界で一番いい建物は仮設のものだけ。③ニュースを作っている者たちは、ニュースはいったい誰のものかということがわかっていない。ほんとうは、名前をもった者がニュースに出たら、ニュースのほうがその名前にお金を払うべきなのだ。④その人物が静かで落ち着いて見えるのなら、その人物は男であれ女であれ、飛んでいるということだ。
⑤あまりにも何かを売る店ばかりになっている。そろそろ何かを買う店があっていい。買う専門店である。⑥実はレシートがお金の本質なのである。⑦たいていの哲学はその内容よりも、それを作った人間がそれに添えないからダメなのだ。⑧一番エキサイティングでセクシーなことは「無」というものである。⑨「無」は時代を超える。⑩これからはランクが決まる者と犯罪者だけがスターになるだろう。
これらはすべてぼくとウォーホルの偶然の一致にすぎない。だから、誇るべきこともないし、互いに共同戦線をはることもない。⑤なんて、これから流行するだろう。ただしひとつだけ、ウォーホルが羨ましいとおもうことがあった。ダイアナ・ヴリーランドが世界でも指折りのきれいな女の人だったということだ。ヴリーランドは第88夜で書いたように、『ヴォーグ』の編集長のことである。理由は「仕事を恐れていないし、したいことをしているのに、とても清潔だから美しさばかりが引き立っていたからだ」という。
