才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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カラマーゾフの兄弟

フョードル・ドストエフスキー

岩波文庫 1927

Fyodor Mikhailvivh Dostoevskii
Bratya Karamazovy 1880
[訳]米川正夫

 高校時代、三つの事件があった。ひとつは、浅沼稲次郎が山口二矢に壇上で刺殺された翌日、上級生の親友に「おまえは昨日の事件を悲しく思わないのか」と言われたことだ。大変な事件だとは感じていたが「悲しくないのか」と言われると、言葉に窮した。親友は、「これで日本の革命は十年は遅れる」とさえ言った。日本? 革命? こいつは何を言っているのか。日本の十年後のことまでこいつは考えているのかということが理解できなかった。高校生にとって十年後なんて、ないも同然だった。
 次のひとつは、ひそかに恋い焦がれていたIFが上級生たちと肌を交えて遊び戯れていると聞かされたときだ。IFはこの学校でいちばんの純真な女生徒だった(はずだ)。その彼女が男と酒に溺れているとは信じられず(高校生がキスやセックスをするなどということすら想像だにできなかった)、ぼくは何も咀嚼できないままになっていた。
 そしてもうひとつ、これはクラスメイトで一番親しい友に問われたことなのだが、「大審問官の問題をどう考えるか」と言われたときのことだ。「何、それ?」と聞き返して、なんだ、カラマーゾフを読んでいないのか、話にならないなと突っぱねられた。読んでいないのだから、これは最初からお手上げだ。それまで『罪と罰』しか読んでいなかった。
 それから半年ほどたって、『カラマーゾフの兄弟』を冬いっぱいを費やして読んだ。胸の下あたりをぐさぐさに掻きまわされた。事件というより、深刻な麻酔を打たれたようなものだった。
 
 三つともかなりの難問だったけれど、その後も最大の難問となったのが大審問官の問題だ。浅沼稲次郎やIFは、日を追うごとにそこそこ理解の幅も広がったものの、ドストエフスキーはそうはいかない。神はあるのか、ないのか。いや神があると思ったほうがいいのかどうか。その問題だ。二つに一つの問題なのか。いやいや二つに五つ以上の答えがありそうな問題だった。
 別の理由もあったのだが、これを機に飯田橋の富士見町教会にも通い始めた。神様を俎上にのせるなんて、それをドストエフスキーの罠に嵌まって考えるなんて、高校生にとっては大問題だった。鎌倉の禅堂にも通った(そのころは横浜に住んでいた)。
 ただし、『カラマーゾフの兄弟』をそういうことに絞って読むということを、その後はしだいにしなくなっていた。なんとなくそうなることはわかっていた。『悪霊』『白痴』『貧しき人々』『虐げられた人々』という順だったと憶うけれど、ゆっくり読みすすんでみて(いずれも深刻な麻酔がますます効いてきたけれど)、ドストエフスキーを語るということは、世界の始原や神の沈黙を語るに等しいということが見えてきたからだ。
 さらにその後は、ドストエフスキーだけを語るということもやめてしまった。これにも理由がある。ひとつは文学者たちによる文学論議にだんだん関心が薄れてきたからだが(小林秀雄や埴谷雄高のドストエフスキー論もその後は深化していなかった。唯一、新鮮だったのはミハイル・バフチンのポリフォニックなテキスト論だけだった)、もうひとつは、ドストエフスキーが抱えた問題は、ドストエフスキーにだけでなく、多くの類似的争鳴の裡において見ていきたくなったからだ。実際にもぼくの実感では、そのほうがずっとドストエフスキー的だった。
 
 たとえば「千夜千冊」にとりあげてきた思索者や表現者をあげるだけでも、そこにはドストエフスキーの沈思と熟考を孤立させなかった者たちがいる。共闘していた者たちがいる。
 それは、アウグスティヌスが三位一体において、パスカルが幻覚の裡で、スピノザが「マラーノ」として、ノヴァーリス、ヴォルテール、ブレイク、ボードレールがそれぞれ着床させたことだった。
 また、ヴァレリーがテスト氏をもって、ジッドが隘路に分け入って、W・B・イエーツがアイルランドの黎明を負って、D・H・ロレンスがプロテスタンティズムに拮抗して、グルジェフが神秘伝承の血をもって、それぞれの内奥に挑んだことであり、同時にデュメジル、マルティン・ブーバー、アリスター・ハーディが「神の生物学」のほうへ沈潜したことでもあったはずだった。
 そればかりか、エミール・シオランが「涙」によって、J・G・バラードが「時の声」によって、グレゴリー・ベイトソンが「精神生態学」によって、クロソウスキーが「身体と意識の乖離」をものともせず、フィリップ・K・ディックが自ら繋がりあった巨怪ネットワークに侵入することで異端冒険的に提示してみせたことでもあったし、それはわが内村鑑三、大杉栄、武田泰淳らが、そしてつい十年前までは中上健次によっても異様に試みられたことでもあったはずである。

 ドストエフスキーとは、けっして再生演奏が不可能ではない極限コード進行のポリフォニー楽譜なのだ。傑出した東西の精神のあれこれに地響きたてて巣くってきたというべきなのだ。
 しかし今夜は、かのクラスメイトの親友のために大審問官についての遅すぎたコメントをしてみたいと思う。この親友は四十代で癌で急死してしまったため、ぼくは彼が掲げた宿題に答えられないままになっている。だからいつかは以下のようなことを書いておかなければならなかったのである。
 加うるにいま、大審問官の問題にコメントするにふさわしい一つの符牒があるようにも思われる。それは今日の日本で幼児虐待が頻繁におこっているということだ。こういう日本のどこで、いったい何者たちが、イヴァン・カラマーゾフが雄弁に語った幼児虐待の罪を思い出しているだろうか。
 では、かの長身痩躯の大審問官に向かって、ぼくもしばらくカラマーゾフシチナ的なるものに向かっていささか頭をめぐらしてみたい。
 
 この物語は、題名通りにカラマーゾフ家の三人の兄弟の思想と行動を問うている。けれどもそれはゾラのルーゴン゠マッカール叢書のように時代をプレパラートに乗せたのではなく、三兄弟とその父とを扱った。父と三兄弟の歴史的現在の過大な審判がのしかかっているように、設定した。
 だからまずは、ドストエフスキーが念入りに仕組んだ父と子の四人のことを知らなければならない。
 カラマーゾフ家を仕切っているのは父親のフョードルである。旧ロシアを代表する地主で、手に入るものなら何でも手にしてしまうという物欲の権化であって、そのくせヴォルテール派の啓蒙思想にかぶれすぎて、横柄な無神論を通してきた。
 フョードルにとって金銭や快楽は極上のものだった。人間とか神とか未来などというものは、いいかげんに扱っていさえすればそれですんだ。そう確信していたのだ。けれども、このところその肉体は著しい衰えを呈していて、そのためフョードルの魂の空隙をときおり「何かしら未知の恐ろしい危険なもの」が通り過ぎていた。それがずいぶん昔の異教的なるものでないかと思うと、フョードルはぞっとする。
 フョードルはいずれ物語のなかで殺される。殺したのは兄弟のうちの誰かか、兄弟による共謀だ。「内側からの殺害」なのだ。けれども父親殺しを企てたのが誰なのか、物語がかなり進むまでわからない。
 なぜ殺されたのかもわからない。しかしフョードルが「神様なんてあるのかい?」と嘯いていたことが許せない者がいたらしいことは歴然としていた。その犯人は、フョードルがたえず「カラマーゾフというのは淫蕩、強欲、奇癖ということにあるんだ」と言いつづけていたことに心底反撥していたらしい。そのフョードルのカラマーゾフ家に、三人の兄弟がいた。
 
 長男ドミートリイは軍隊から帰ってきたばかりである。もともと放蕩無頼ではあるが、異様に粗暴なロシア的情熱が溢れる。いっときも安定など望まない。それなら図太い情熱をそこそこ完遂できるのかというと、八割がたは猛進してきたのだが、どうにも野望が燃えきらない。
 これはまさにスラブ・ロシアの歴史そのものであって、ドミートリイにも欠陥はいたるところにあるものの、どこか巨大なものを呑みこむことを辞さないところがあった。他方、無垢な女性にはめっぽう意気地のない憧憬があって、ときおり一片の神性さえ覗かせる。ようするに詩情をもっているのに、粗野なのだ。
 ちなみに『カラマーゾフの兄弟』はドストエフスキーの最後の作品で(擱筆のわずか数十日後に亡くなった)、いま読めるものは第一部で、第二部・第三部も予定していたともいう。だから未完のままとも言われるのだが、それまでドストエフスキーはこのドミートリイのような人物を一度も描けてはいなかった。そういう意味では、ドミートリイを作り上げることが、ドストエフスキーの最後の造型的目標だったとおぼしい。

 次男イヴァンは、神秘などいっさい認めない徹底した背神論者というべきで、複雑に分裂したデモーニッシュな情念の持ち主でありながら、心がけていることはその逆で、ひたすら透明な理性を磨き上げようとしている。不死の可能性や良心の起源などにいっさい迷うことなく、ひたすら超人的な驀進をつづける獰猛な理性は、すさまじい。ほとんど人間性の到達しうる荒涼悽愴な極北に達したかと見えるほどである。
 それだけにイヴァンは、たえず真理の選択と対決に立ち会うことになる。イヴァンにとっては自身の論理がやすやすと理解されることのほうが堪えがたい屈辱であって、スメルジャコフ(後述)のようにイヴァンを狡智に解釈する者が出現することは意外な痛手なのである。しかしイヴァンがもっと止揚を焦らざるをえなくなるのは、長老ゾシマとの対峙がまさにそれにあたるのだが、世界に対する肯定と否定とが一瞬にして等価になってしまうときだった。
 イヴァンはヨーロッパ理性に対抗しうるロシア的論理の貫徹する人物なのだ。ドストエフスキーはすでに『罪と罰』のラスコーリニコフや『悪霊』のスタヴローギンにその原型を描いていた。
 高校時代、この想像を絶する病的神学のような、狂気の哲学のような、それでいて全篇が聖なる告示のような物語を読み始めたときにぼくが感じていたのは、それにしてもイヴァンがわずか二四歳だというような些細きわまりないことで、なぜこんな青年が人類史最大の課題であるような神の問題をこんなに深く考察できるのか、とうてい信じられなかったものだった。多くの読書派がそういう体験を一再ならずしていたと思うのだが、ぼくも、小説の人物たちをつねに自分にあてはめて読んでいた青年にすぎなかったのだ。
 けれどもイヴァンだけはどう見ても、ぼくの回路のどこに尋ねてもアプリケーション不能の青年だった。
 
 敬虔な修道者で純真を求める三男アリョーシャは、その魂そのものがロシアの未来を抱擁的に確信してやまないような存在として描かれている。できればスラブ・ロシアの民の赤く爛れた精神を癒し、その煩悩や苦悩をこの身に引き受けてもいいと思うような単一な覚悟さえもっている。
 そのぶんアリョーシャには、二人の兄のような強烈な個性がほとんど見られない。これは「アリョーシャの無力」としてこれまでずいぶん議論されてきたもので、すでにドストエフスキーは『白痴』のムイシュキンにもこの無力を結晶させようとした。しかしムイシュキンの無力に対して「アリョーシャの無力」は、カラマーゾフの血を浴びてイヴァンとアリョーシャの間隙に佇む世界観の欠陥の有無を問い返す。
 このような純朴なアリョーシャに、生涯の伴侶を約した少女リザヴェータ(リーザ)は心底憧れる。アリョーシャに人間性の最も澄んだものを見る。リーザは足が不自由で車椅子をつかっている。しかしながらドストエフスキーが「悪魔の子」というふうに文中で指摘したように、リーザには霊的なアリョーシャの優しさでは埋めつくせない異常な気質がひそんでいて(このあたりはゾラっぽい)、そこに兄イヴァンの悪魔的な魅力が関与すると、この可憐な少女はアリョーシャの神とイヴァンの悪魔の悲劇的な相克に引き裂かれてしまうのだ。

 この父と三人の兄弟に加えて、『カラマーゾフの兄弟』にはフョードルの婚外子とおぼしい陰質なスメルジャコフと、あくまで陽朗な一瞥の力をもつ長老ゾシマが特異にカラマーゾフシチナを彩っていく。
 スメルジャコフはカラマーゾフ家の使用人であるが、イヴァンにとっての影のメフィストフェレスであるらしく、イヴァンはこの対蹠性だけを苦手とする。このためスメルジャコフはカラマーゾフシチナの思想を複相化させるだけではなく、父親フョードル殺しの犯人候補像としても異彩を放つ。
 長老ゾシマは、ドストエフスキーが『悪霊』のチーホン僧正や『未成年』のマカール老人このかた描こうとしてその深化に戸惑っていたロシア正教の荘重きわまりない人物で、教会や聖典にこだわることなく、明晰玲瓏な心境の吐露のみによってその存在を輝かせる人物である。かつてぼくはイヴァンとゾシマの空中戦のごとき対決の場面をこそ、ぞくぞくして堪能した。
 
 物語はかくのごとく、まったく一致点を見ないような異常な三人の兄弟がばらばらに各地で成長し、あるときカラマーゾフの「家」(カラマーゾフシチナ)に戻って一堂に会したとき、そこに深い亀裂が生じていくという息詰まるような構造をとる。
 ミハイル・バフチンはみんながみんなドストエフスキーの登場人物の肩をもちすぎていると言うが、やはりカラマーゾフシチナを語るにはそこからしか突破口はない。かれらは、かれら自身が亀裂を好む炸裂大地そのものなのだ。とくに父親フョードルが明日は殺されるという前夜、イヴァンがアリョーシャに語っていく予想外の展出に、その亀裂はとんでもない深淵を覗かせる。それが大審問官の問題になる。

 大審問官の問題とは、イヴァンがアリョーシャに語って聞かせた自作の劇詩のことをさしている。
 「反逆」の章で、イヴァンはアリョーシャと話しているときに、世の中でおこなわれている数知れない幼児虐待の例をあげ、もし未来の永遠の調和のためにこの幼児たちの苦しみが必要だというのなら、自分はそんなに高価な犠牲を払ってまでして入場しなければならない未来社会の入場券など突っ返したいときっぱりと言う。幼い受難者のいわれなき血を必要としている神など、絶対に容認するわけにはいかないとも言ってのけるのだ。
 アリョーシャはこのイヴァンの背神的無神論に対して、「お兄さんの考えられることもわかりますが」と言って、仮にそのような問題があるにしても、それでも赦される唯一の存在というものがあって、それこそがキリストなのだと優しく反論する。しかしイヴァンはふたたび断乎として反論し、自分でつくりあげたレーゼドラマ『大審問官』を聞かせたいと言う。イヴァンはキリストその人をその後の歴史舞台に引っ張り出してしまったのだ。

 このレーゼドラマは、十五世紀か十六世紀のセビリアを舞台にしている。宗教裁判の炬火が日ごとに異教徒を焼き殺しているさなか、そこにキリストらしき男が訪れるという設定になっている。
 姿を変えているにもかかわらず、セビリアの民はそれがイエス・キリストの再来であることを感じ、しだいにその教えに従っていく。どうやら死者らしき者も一人蘇っているようだ。その一部始終を見ていた背の高い九十歳に達していようという老人が、毅然として「この者を捕らえよ」と命じた。
 衛兵たちはキリストを捕縛し、牢獄につなぐ。こうして、暗く暑く、桂とレモンの香りだけが漂う息絶えたかのようなセビリアの夜の獄房に、暗い影のように大審問官が訪れて、キリストを相手に話を始めるのだった。セビリアの大審問官である。
 最初に大審問官はじっと眼を見て「おまえがイエスか」と問うた。イエスは黙って答えない。そこで「返事はしないでいい」と言う。大審問官としてはキリストの正体などどうでもよく、またかつてキリストが語ったことなどすでに隅々までわかっているのだから、いまさら何かを聞く必要はないとみなしたのである。
 この「キリストの沈黙」こそは、ドストエフスキーが全ヨーロッパ社会の歴史の総体に問うてみせた真紅の一撃だった。しかし、この獄房の男がキリストかどうかは、実はわからない。
 
 かくて大審問官の長い独白が始まる。ここを読んでいるときっと読者みんながそうなるのだろうが、われわれは神を使って事態を進めるか、それとも神などなくて歴史の先に進んでいくか、これは二つに一つしかないのではないかという決定的な岐路に、息詰まるごとく追いこまれるようになっていく。
 大審問官の言葉はどこまでも高潔であって、該博な知性を怠りなく配慮する態度は、真に道徳的ですらある。その口元から発せられる言葉は神の眼光がまじっているかというほどに鋭く、その提示する問題は途方もなく大きい。
 審問は、最終的には「パン」と「奇蹟」と「権威」という三つの扱いになっていく。いったいこの三つは人間の歴史にとって必要なのかどうか。もしも必要であるというなら、そのために神にいてもらう必要があるのか。その問題だ。大審問官は歴史上のイエスが採った三つの方針を問うたのだった。それを男は黙りこくったままに聞く。アリョーシャもわれわれも、ただその強靭な独白を聞かされる。

 パンについては、イエス自身は人はパンのみに生きるのではないと明言したものだった。しかし、キリストのその一言のためにどれほど多くの者が貧窮に喘ぎ、泥棒に走り、わが子の間引きをしたことか。パンこそは犯罪と戦争の根本原因ではないのか。イエスはパンの生産を手伝わなかったともいえる。のちにクロポトキンはイエスの方針をかなぐり捨て、「パンの略取」をこそ叫んだものである。
 奇蹟については、イエスは悪魔がそこから飛び降りて奇蹟を見せてみよと唆したことを避けたくせに、自分がかかわれるような、たとえば眼病を治すような奇蹟だけはおこしてみせた。ところがこの勝手なサンプリングされたようないくつかの奇蹟によって、民衆はイエスがすべての奇蹟をおこせると信じてしまったのである。大審問官はこれはイカサマのようにひどい話ではないかと詰る。
 三つ目の権威とは、いったい誰が地上の権威になるのかという問題である。悪魔が「おまえは地上の王者になればいいではないか」と唆したとき、イエスはこれを拒んで結局は火あぶりになった。火あぶりになったからいいようなものの、もし生きながらえていたら、イエスには社会を治める方法など、何ひとつなかったのではないか。
 つまりは、イエスはキリストとして地上の王国を治める能力もなく、かつてのユダヤの王たちが失敗したように、いたずらに理想を失墜させつづけただけなのではないか。それゆえにパウロは十字架上で早死にしたイエスを“地上の王”ではなく、“天空の王”としてのキリストに仕立てられたのではないか。
 大審問官の問いはまことに迫真的で完璧である。アリョーシャは兄の物語を聞くうちに、この話がばかばかしいほど「外からの説明」であることに気づくのだが、どのように反論していいかがわからない。
 それにしても、ドストエフスキーはこの究極のレーゼドラマをどのように思いついたのだろうか。物語をつくるために、観念の闘争の激越な仕上げに向かったのではあるまい。そんな程度の観念劇であるわけがない。ドストエフスキーは、このセビリアの夜に匹敵する体験を、おそらくすでに何度もくぐり抜けてきたのである。
 
 ドストエフスキーの父親が殺されたことを忘れてはいけない。実父のことだ。これはこの文豪の個人史の内奥に突き刺さった最初の事件なのだ。また、ドストエフスキーがニコライ一世の社会にいたことも忘れてはいけない。これはこの文豪の社会史の面貌に突き刺さった抜けない棘だった。
 一八二五年のデカブリストの乱と一八三〇年のポーランドの乱を制圧弾圧したニコライ一世が、一八四八年のフランスの二月革命の影響を警戒して、そのころペテルブルクの唯一の自由サークルだった「ペトラシェフスキー会」の会員三九名を一斉検挙したことは、とくにドストエフスキーの生活思想を極限に追いやるに決定的だった。
 その会員だったドストエフスキーは八ヵ月をペトロパヴロフスク監獄ですごしたのち、二十名の仲間とともに死刑を言い渡された。ところが死刑執行の直前になって皇帝の恩赦によって判決が変更され、ドストエフスキーは死を免れた。ニコライ一世が仕掛けた残酷な芝居だった。このことによって、ドストエフスキーは「自分の死の数分前の恐怖」をたえず思い出すようになる。その壮絶な記憶の再生は『白痴』の一場面にも描かれたことである。
 一八六二年に二ヵ月半、一八六七年からは四年にわたって、ドストエフスキーがヨーロッパを旅行したことも忘れるわけにはいかない。ドストエフスキーはこのときにヨーロッパ文明に対する疑問と不信を決定的に確信したはずだ。ローマ・カトリック教会が編み上げた全史に対して、ひそやかな反撃を試みるようになるのは、このときからなのである。
 いや、ここではこれ以上のドストエフスキーの歴史体験をあげていくのはやめておく。それらの体験を引きとろうとすることは小林秀雄が『ドストエフスキイの生活』(新潮文庫)で試そうとしふらふらになったことだった。ぼくは高校時代の親友に答えなければならないことだけを、いまは書く。
 
 大審問官の問いは、イヴァンが綿密周到に用意した歴史に対するアンチテーゼだったのである。イヴァンはここではアンチキリストをめざしているわけなのだ。
 この歴史はイエスが荒野をさまよっていたときの悪魔の誘惑に、イエス自身が打ち克つために、たまさか覚悟した三つの方針から生まれたものだった。しかし、その、たった三つのことが全世界の未来を決定づけたのだ。
 イヴァンは大審問官にそこを詰問させた。それはアリョーシャにとっては目をまるくするような、とうてい答えられない解釈の衝撃を秘めていた。イヴァンも弟の放心を見てそれ以上の追い打ちを遠慮する。こうしてドストエフスキーは、この思想劇をこの場面では収拾せずに、さらにもうひとつの難度の高いステージを用意する。
 問題はいよいよのっぴきならないものになっていく。大審問官の完璧な問いかけを崩せる者がいったいありうるのかという、さらに難解な、さらに超然たる問題になっていく。ここでドストエフスキーが組み上げたのが、長老ゾシマの陽性な倫理的澄明というものだ。
 イヴァンはゾシマとの対決を迫られる。ドストエフスキーはついにロシア正教の核心に入っていく。アンチキリストの解明に向かっていく。大審問官の問題は実はここからが本番なのである。
 
 イヴァンの主張は、「いったいこの世界に他人を赦す権利をもっている者などいるのだろうか」という一点に集約できる。イヴァンはインチキ教祖まがいの「赦す者」がいたとしても、そんな者の軍門に屈服するくらいなら、むしろ贖われざる苦悩を享受することによって世界を生き抜きたいと考えている。そして、そのような方法でしか人間の自由は獲得できないではないかと主張する。
 これに対して、ゾシマはいまは隠者だが、すでに苦悩しつづけて仙境に到達しつつある老人である。小柄で痩せてはいるが、その眼はいつも鋭く輝いている。猫背で唇は薄いけれど、その言葉はとても澄んだ知性を響かせる。神の引力は、そもそもが悪魔の斥力をいかしながら絶対肯定をなしとげるしかないものだということを、すでに幾多の体得によって理解している者である。
 ドストエフスキーはこのゾシマにおいて、『カラマーゾフの兄弟』の主題が「神愛」(ポゴフィーリ)と「抗神」(ポゴフォーブ)の対照にあったことを最終的に証そうとする。その対照は、作品の終盤にさしかかるにしたがって、沈黙するのは「神愛」ではなくて、ほかならぬ「抗神」であるという劇的な転回を見せていく。
 
 物語は終局にさしかかる。イヴァンの抗神はゾシマの神愛に包まれて、もはや議論の発展を一歩たりとも踏み出せない。それは、大審問官がイエスとおぼしい男に長々と語り終えたとき、その男が黙ったまま立ち上がって大審問官の唇に静かに接吻したときの感触に似ていた。イヴァンはゾシマがそこに存在するという感触を越えられなくなっていく。ゾシマはイヴァンと対決したのではなく、イヴァンをも包んだのである。
 かくしてドストエフスキーは神の存在を唯一の絶対的存在から解き放ったのだ。ローマ・カトリックの絶対神の呪縛から、ロシア正教の痩せこけた老人にその担い手を移すことによって、キリストを拡散させたのだ。
 一見、最も難解な形而上哲学による“神学崩し”に見えかかった大審問官問題は、十五世紀のセビリアのキリストと十九世紀のロシアのアリョーシャという二つの沈黙と屈服を得て、逆に長老ゾシマの包摂によってロシア的に解消されたのである。ドストエフスキーが生涯にわたって抱えた「ロシア人は神をどのように扱うか」という大問題は、カラマーゾフの兄弟たちの背中にぴったりくっついていたのだった。
 もしそうであるのなら、『カラマーゾフの兄弟』は『悪霊』や『白痴』とともに、いくら読みこんでもロシアのドストエフスキーに回帰することになっていくわけである。

 ぼくはぼくで、次のことも気になった。それはユダヤ・グレコローマン・キリスト社会においても、スラブ・ビザンティン・ロシア正教社会でも、神は結局は唯一人の存在であろうけれど、だからその唯一人を問わざるをえないのだろうけれど、われわれ日本人にはそこが当初から、つねに多神的で多仏的であるということだ。
 これはどう見ても、同じ問題を考えるのに信仰背景の光輝が異なりすぎている。われわれはそのことをついつい忘れて、むしろわれわれの内なる神を見失ったかもしれなかった。これがぼくが、ドストエフスキーを日本の問題として読み変えたいと希っている最後の理由になっている。
 さあ、これでどうだろうか、安田毅彦よ。カラマーゾフを読んでないなんて話にならないと告げたわが安田毅彦よ。早々に癌を背負って、さっさと八ヶ岳の地霊となって消えていった友よ。こんなところで、よかったろうか。これでぼくはイヴァンにもゾシマにも、アリョーシャにもならずに済んだだろうか。ともかくも、これでおまえがぼくに対する審問官でありつづけなければならなかった仮の役割は、やっと終わったのだ。ここまで待たせてしまったこと、心から謝りたい。