才事記

ホモ・ルーデンス

ヨハン・ホイジンガ

中公文庫 1963・1973

Johan Huizinga
Homo Ludens 1938
[訳]高橋英夫

 遊びは文化よりも古い。「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にある。
 これがホイジンガの大前提である。
 そうだとすれば、どんな文化についても、そこに遊びの要素を発見できさえすれば、「文化とは何か」ということをなんとか解きほぐすことができる。なぜなら、われわれはもともとがホモ・ルーデンスであるからだ。われらはすべからく“遊者”なのだ。子供のころに誰もがその原型的な経験をもっていた
 まさにこのような立場でホイジンガは本書を書いた。ただし、ホイジンガは名著『中世の秋』(1919)以来のれっきとした研究者であったので、65歳になって発表したこの大著でも、遊びを研究するには従来の分析的なアプローチも論理的な解釈もほとんど役立たないという前提をつくった。
 なぜこんな前提をつくったのか。それは、文化のさまざまな場面に遊びを見出すことはそんなに難しくないことなのだが、その遊びの「おもしろさ」がどこにあるのかということを研究的に決定できないからだと“研究者”として判断したためである。ホイジンガは「遊びのおもしろさは、どんな分析も、どんな論理的解釈も受けつけない」と書いている。

 このように、功なり名をとげた研究者があえてこんなふうな弁解をしながらも、「おもしろさ」の記述に向かっていったというのが本書がもっている屈折的な意義である。意外に思われるかもしれないが、ぼくが最初に本書に惹かれたのは、この屈折感だった。屈折にめげずに、「おもしろさ」に向かっていった老研究者の一徹のようなものだった。
 もっとも逆にいえば、こんなことだからアカデミックな研究というものはなんとも窮屈なものだともいえる。「おもしろさ」が学問できないなんて、それで学問なのかとも言いたくなる。しかしここでは、ホイジンガがインド古代史や神話学や中世学の正統的な研究者でありながら、あえて研究しきれない「遊び」に向かっていったことの壮挙に、拍手をおくりたい。

 ホイジンガが遊びに注目したのは、遊びが本来の生の形式ではないということにある。ありあまる生命力の過剰をどこかに放出するもの、それが遊びであった。
 では、どこからどこまでが遊びなのか。ゲームを開始したときからか、仕事が終わったときからか、社会の秩序から解放されたときからか、自分のムダに気づいたときからか。
 遊びがどこから始まるかと問うのは野暮になる。遊びは最初の最初から始まっているからだ。あえていうのなら、遊びは何かのイメージを心のなかで操ることに始まっているというべきなのだ。だから「遊びは本気なものではない」とは言ってはならない。そう言ったとたんに、遊びを相手にすることはできなくなっていく。遊びを生の形式から区別しようとしすぎるのも、遊びを逃がすことになる。
 こうして遊びとは、遊び以外のあらゆる思考形式からも自由に遊びをまっとうできるような、そういう何かの行動なのである。しかもその行動は、つねに一時的な自立領域をつくれるから、なんらかの時間的制約や空間的制約を受ければうけるほど、遊びらしさを発揮するものなのだ

 こうしてホイジンガは、しだいに「遊びはわれわれが知らない秩序をつくっているのではないか」、また「遊びはまだわれわれが気がつかない秩序そのものなのではないか」というふうに関心を移していく。
 このときホイジンガは「遊びの編集的本質」に気がついたのである。ホイジンガは遊びに、「緊張、平衡、安定、交代、対照、変化、結合、分離、解決」などがあることに驚くのだが、これらホイジンガが列挙した言葉は、ぼくからするとまさに編集作用の特色というものである。ただ、ホイジンガはそれが編集作用であるというよりも、あくまでそれが遊びだと考えた。
 むろん、それでいい。まさにその通り。遊びは編集であり、編集の本質は遊びなのである。だからホイジンガもこう書いた、「遊びはものを結びつけ、また解き放つ」。

 ホイジンガはまた遊びを神聖なものと思いすぎた人でもある。しかしかつて誰も、遊びと神聖、遊びと神話、遊びと神々を結びつけようとはしなかった。
 だからホイジンガは、遊びの中に神の遊びの残響を発見した最初の人でもあった。遊びは高貴ですらあったのだ。そこで、こうも考えたのである、「遊びは人間がさまざまの事象の中に認めて言いあらわすことのできる性質のうち、最も高貴な二つの性質によって充たされている。リズムとハーモニーがそれである」。
 リズムとハーモニー。高貴かどうかは別として、遊びが神々の戯れともつながっているとすれば、たしかに遊びには無垢なるリズムとハーモニーが宿っていると考えたくなってくる。
 けれども本当は、遊びのリズムやハーモニーは編集存在学の根本にもかかわるものだと見るべきなのである。

 人間が自分という存在をちょっとでも別のところに動かしたいと思うこと、それが遊びである。そうだとすれば、それは「存在の編集」の起動にほかならない。
 その起動は幼児や子供のときから始まっている。そのときに掴んだ体感がわれわれの内にひそむリズムやハーモニーのルーツであって、また遊びのルーツなのである。
 ところがわれわれは、この幼児や子供のころから体感している遊びが秘めているリズムやハーモニーが何であるかは、知ってはいない。知ろうとする以前に、体に入ってしまっているからだ。しかしながらわれわれは、そのリズムやハーモニーが何かによって破られたとき、とたんに自分が心地よい遊びの中にいたことを知らされるのだ。
 だからホイジンガが「スポイルスポート」を本書の途中になって問題にしたのは、すばらしかった。スポイルスポートとは「遊び破り」のことである。誰かが何かで遊んでいるとき、あるいは何人かがやっと遊びに熱中しているとき、これを何かの理由で破ろうとするものをスポイルスポートという。スペルブレーカーとも言われる。せっかくの「綴り」を壊してしまうという意味だ。

 誰でも苦い体験があるように、スポイルスポートやスペルブレーカーの出現は、いつだって遊んでいるものたちを悲しくさせ、がっかりさせ、失望させる。
 遊びはずっとこのまま続いてほしいものなのだ。そこへスポイルスポートがやってくる。そしてわざとらしい注文をつける。あるいは最初からそこに参加していた者がやおら口を開いて、それまでの遊び方に文句をつける。これで遊びが壊される。せっかくのリズムとハーモニーに傷がつく。
 ホイジンガはスポイルスポートの逆説的な役割を通して、遊びの編集持続性のなかにひそんでいるメタルール性というものに気がついたのである。65歳にして猛烈なおじいちゃんの探求心というべきものだった。

 このような気づきのうえでホイジンガは、ついに「遊びの共同性」に言及し、そこで「遊び」と「クラブ性」とのあいだに何かの重要な関係がひそんでいるだろうことに向かっていった。
 本書のなかで最も示唆に富むのは、ここである。遊びがなんらかのクラブ的なるものを媒介にして自立していくのだという見方は、それまでのヨーロッパの歴史学や哲学からはまったく見出せないものだった。しかし、よくよく調べてみればわかるように、遊びの多くはどこかにクラブ性をもっていた。遊びがクラブの中で生まれるか、遊びの中からクラブが生まれるか、そのどちらかであることが多いのだ。
 ただホイジンガは、そのことをうまくは説明しなかった。遊びとクラブの本来的な共鳴関係に気がついたままだった。史料にもあたらなかった。まだそのような史料が手元になかったからだろう。つまりはアナール派が発見したような史料がなかったのだ。そのかわりホイジンガは、もっと端的に遊びとクラブの関係を言ってのけもした。それは、こういう比喩である。
 「遊びとクラブの関係は、あたかも頭と帽子の関係のようなものなのではあるまいか」。うーん、マンダム!

 本書は大半が、各国各民族のなかでの遊びに関する言語の検討と、各民族部族の遊びの実際の特徴の摘出にあてられている。どちらかといえば文化人類学的な渉猟である。
 ホイジンガがそれらを通して何が言いたかったというと、遊びには社会や学校のメタモデルがあり、遊びには哲学や市場のメタルールがあるということだ。
 すでに述べておいたように、これは編集の本質とほぼ同じであるといってよい。編集も、ある任意の気がかりな事態に注目し、そこからなんらかのモデル(言葉であれ視像であれゲーム性であれ)を引き出し、そこに別の息吹とルールと役割を与えることをいう。ホイジンガはそのことを、遊びの特色にかこつけて、こんなふうに書いている。
 「遊びは、本気でそうしているのではないもの、日常生活の外にあると感じられるものだが、それにもかかわらず、遊んでいる者を心の底まですっかり捉えてしまうことも可能なひとつの自由な活動である」。また、「遊びは何ものかを求めての闘争であるか、あるいは何かをあらわす表現であるかのどちらかである」。
 かつて自分が歩んできたところから逸れていくこと、そこがしかしながら存在の新たな編集の場になりうるということを、ホイジンガはホモ・ルーデンスの依拠するところとみなしたのである。

 以上が、ぼくが1971年にオブジェマガジン『遊』を編集創刊する気になった理由の一端になる。もっともぼくは第1期の『遊』を了えるにあたって「相似律」という「見えるリズム」「図になったハーモニー」を特集して、それを真っ先にロジェ・カイヨワのところへ持って行ったものだった。
 カイヨワこそはホイジンガの『ホモ・ルーデンス』の不足を補って『遊びと人間』(岩波書店)を著した、第二のホモ・ルーデンス拡張論者だった。結論。『遊』は前半がホイジンガ、後半がカイヨワだったのである。