才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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もし、日本という国がなかったら

ロジャー・パルバース

集英社インターナショナル 2011

Roger Pulvers
[訳]坂野由紀子
装幀:刈谷紀子・高木巳寛

日本人にはオリジナリティがないだって?
馬鹿も休み休み言いなさい。そうとしか思えないのは、
欧米ばかり気にして、日本のことを
本気で見ていない病気のせいだ。
日本には自慢できることがいくらだってある。
すばらしくクリエイティブな日本人もたくさんいる。
ロジャー・パルバースは日本の各地と文物と
多くの日本人とに出会って、このことを確信した。
そして、こう言った。
「もしも日本がなかったら、
世界はうんとつまらなくなるだろう」!

 井上ひさしの傑作劇中歌のひとつに「もしもシェイクスピアがいなかったら」という歌がある。「もしもシェイクスピアがいなかったら、バーンスタインは《ウェストサイド(物語)》を作曲できなかったろう」「もしもシェイクスピアがいなかったら、文学博士になりそこなった英文学者がずいぶん出ただろう」「もしもシェイクスピアがいなかったら、女は弱いなんていう、誤解は生まれなかったろう」などと続く。《天保十二年のシェイクスピア》の中の合唱曲だ。幕開けでも大団円でも唄われた。
 本書はその流れで「もしも日本という国がなかったら」なのである。それでどうなのかというと、著者は名だたる井上ひさしの兄弟分なので、もしも日本がなくなったら、世界はうんとつまらなくなっているだろう、と言うのだ。
 たしかに、もしも日本がなくなったら富士山もサクラも見られない、もしも日本がなかったら落語のオチがわからない、もしも日本がなかったら「あのー」と言うだけの不思議な挨拶が聞けなくなるし、ウォシュレットはこれ以上工夫されなくなるだろう。もしも日本がなかったら俳句の切れ字が変になり、世界の小型車はうんと不便になっていくだろう。もしも日本がなかったら、以心伝心がなくなって、おしぼりが出なくなるだろうし、即席ラーメンの変わりだねが途絶えてしまうにちがいない……。日本よ、ずっとずっと元気でいてほしい、そういうラブコールだ。

舞台『天保十二年のシェイクスピア』
脚本:井上ひさし 演出:蜷川幸雄 

 本書はたいへん愉快な本だった。ガイジンによる日本贔屓の本はアーネスト・サトウからエズラ・ヴォーゲルまでかなりあるけれど、なかでも出色だ。理由は五つある。
 一、書き手のロジャー・パルバースという才能豊かな男のジンセーがそうとうおもしろい。二、全国を回っているだけあって、日本の社会文化を切り取る目がしっかりしていて、しかも柔らかくて適確だ。三、日本語と英語の表現比較の仕方がいい。四、有名無名をこきまぜて、付き合った日本人がよかった。五、日本に対してだけではなく、民族に対してなんともいえない慈愛がある。
 パルバースの日本贔屓はけっこう深い。日本文化をめぐる数々の“読み”もかなり鋭い。ぼくとしては、昨今の日本人がパルバースのようにわが日本を自慢できるかどうかのほうが、心配だ。

『五行でわかる日本文学』(ロジャー・パルバース)
井上ひさしに関して、”headlines”と”deadlines”で韻を重ね、表現している。

 パルバースは、もともとはロシア・ポーランド系の血をもったロサンゼルス出身のアメリカ人である。けれどもアメリカ人とも日本人ともポーランド人とも、いっとき国籍をえたオーストラリア人ともいえる。経歴としてはUCLAからハーバードの大学院をへて、当時のベトナム戦争に血道をあげるアメリカに嫌気がさして、ワルシャワ大学とパリ大学に留学した。その後、ソ連に入ったときに、よんどころない事情に巻き込まれて一九六七年に日本に来た。
 それからは日本に移り住んでいるが、国籍は途中でオーストラリアとなった(オーストラリアにも住んでいた)。劇作家でも演出家でもエッセイストでもあるが、いまは東京工業大学の世界文明センター長というお堅い職にある。ぼくと同い歳である。

 よんどころない事情というのは、こういう顚末だ。二十歳前の一九六四年にソ連に行き、二年後にNSA(米国学生協会)の奨学金でワルシャワに留学した。そこで東欧的な演劇にめざめたまではよかったのだが(スタニスワフ・ヴィトキェヴィチに首ったけになっている)、予想もつかない変な事件に巻き込まれた。それでNSA会長から「いますぐロンドンに行ってほしい」という電話が入ったのである。
 やむなくロンドンに行ってみた。さっぱり事情がのみこめなかったが、実のところはNSAはCIAが後ろ盾になっている国際的学生派遣組織であって、パルバースは冷戦下でロシア語とポーランド語を流暢にあやつるCIAのスパイとしてでっちあげられたらしいのだ。
 気がついたときには、もう遅かった。アメリカの大手新聞がCIAの尻尾切りの犠牲者としてニュースにしていた。ル・モンドも「CIAスパイ容疑のロジャー・パルバース、ワシントンDCにて帰任報告」を記事にした。これではアメリカにいられない。

1967年3月9日付『ロサンゼルス・タイムズ』の一面記事
ジョンソン大統領政権をもゆるがす一大スキャンダルとして主要な新聞で話題になった。

 こんなおかしな事件で二三歳のときに日本に来たのだが、持ち金はたった二〇〇ドル、それでも決行した。このとき知人から紹介されたのが若泉敬という日本人だった(若泉がどういう人物かはあとで説明する)。
 若泉はロジャー青年を温かく迎えてくれた。自分が勤めている京都産業大学を紹介し、若泉のボスにあたる学長の荒木俊馬も、ロシア語とポーランド語の専任講師としてパルバースを迎え入れた(荒木俊馬はぼくが高校時代に首っぴきになった赤くて分厚い天文学事典の著者だ)。
 こうしてパルバースは京都洛北の深泥池近くの小さな家に住み、すぐに日本が好きになった。借景で有名な円通寺に惚れ、日本語を習得して(パルバースの語学習得能力はおそろしく速い)、オスロ大学から京大に留学していたスールンと結婚し、そのまま日本人になじむ日々をスタートさせた。結婚時の仲人も円通寺の住職だったようだ。そのあたりの事情を綴った『日本ひとめぼれ』(岩波書店)という本もある。

パルバースが愛した円通寺の借景

『日本ひとめぼれ』(ロジャー・パルバース)

 で、若泉敬であるが、この人は国際政治学のセンセイだった。東大法科在学中の昭和二七年に国連アジア学生会議の日本代表になったりもしている。大学院はロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで(だからロンドンにも知己が多かった)、そのあとはジョンズ・ホプキンス大学の高等国際問題研究所(SAIS)で研究員をしていた。そのときマイク・マンスフィールドやディーン・アチソンやウォルト・ロストウらのアメリカ政治を代表する日米安保派と知りあった。ピカピカのエリート秀才だったのである。
 その後、京都産業大学に招聘され、トインビーやハーマン・カーンを日本に招いたコミュニケーターとして活躍し、他方では防衛庁の防衛研究所などにもかかわっていた。カーンはそのころ世界で一番の未来学者で、ランド・コーポレーションで軍事研究にも携わっていた。
 もっとも、若泉のことはこれだけではわからない。彼の名は、いまでは日本の外交史に関心がある者にはよく知られているだろうように、実は佐藤栄作首相がニクソン大統領と沖縄に関する密約(いわゆる核持ち込み密約)を結んだときの同行特使だったのだ。佐藤とともにニクソンやキッシンジャーなどと亙りあった唯一の日本人だ。
 しかし若泉は、このことも知る人ぞ知るところとなっただろうが、この密約が日本に核持ち込みをゆるしてしまったという事実に、その後ずっと沈黙を守りながら苦しんだ。そして一九九四年、沈黙を破って驚愕の一書『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋)を遺書のように書くと、八重山諸島の石垣島でいったん心を鎮め、故郷の福井県の鯖江で青酸カリをあおって自殺してしまったのである。

若泉敬の遺書ともいえる『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』

若泉敬(左)とニクソン大統領(右)
「沖縄返還交渉」に際し、民間人である若泉敬を佐藤栄作の個人的密使として秘密裏に訪米させ、米国政府の動向を探らせながら秘密交渉に当たらせた。

 パルバースはそういう後半生を背負うことになる若泉と、ごくごく若いころに出会ったのだ。奇縁であろう。

 パルバースはそういう後半生を背負うことになる若泉と、ごくごく若いころに出会ったのだ。奇縁であろう。
 本書にはそういう若泉への敬愛とともに、当時のトインビー夫人が日本のホテルでアメリカン・ブレックファーストを出しているのに呆れ、「私たちはこんなものを食べたくて日本に来たのではない。どうして日本のホテルはアメリカの真似をするのか」と怒ったことなどにもふれている。
 この手のエピソードは、もっと書いておいてほしかった。ぼくも日本のホテルで単品で頼むと1500円も2000円もするジュース、トースト、エッグ、コーヒーが朝食になっていることを、50年前からずっと納得できなかった。実はいまだにベッドメーキングで足元があんなに窮屈になっている理由もわかっていない。 

トインビー夫妻
夫妻が奈良ホテルを訪れた際に、パルバースは案内役をつとめ、「朝食事件」を目撃した。

「ホテルの朝食」で画像検索すると、ほとんどがアメリカン・ブレックファーストが表示される。

ベッドの足元はなぜ窮屈なのだろうか。

 さて、パルバースの日本についての“読み”である。日本社会、日本文化、日本語、日本文学、詩歌の引用の仕方、特定の日本人に対する注目ぐあいなど、あれこれ含めて、とてもいい。
 古典、渋み、陶芸、ポップカルチャー、浪曲、京都、八重山諸島、下北半島、西鶴(618夜)の好色、浮世絵の魅力、日本語の「の」の使い方、一茶(767夜)の軽ろみ、絵金の地獄絵、与謝野晶子(20夜)のエロティシズム、子規(499夜)の俳諧、熊楠の民俗学、宮沢賢治(900夜)の童話、杉原千畝の良心、坂口安吾(873夜)のアウトサイダー感覚、ハリウッドの早川雪洲、井上ひさしのすべて、大島渚の問題映画づくり、白石かずこの詩人としての生き方、岸田今日子の役者っぷり、鶴見俊輔(524夜)の思想、清川虹子の演技、筒井康隆の笑いのSF、つかこうへい劇団、扇田昭彦の劇評、宮崎駿のアニメ、オウム・サリン事件、土井勝の料理法、プリクラ、イッセー尾形のパフォーマンス、和歌山カレー事件、3・11のこと、いずれにも画竜点睛を欠いていない。 

高知の絵金祭り

外交官・杉原千畝
第二次世界大戦中、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情し、外務省からの訓令に反して、大量のビザを発給。およそ6,000人にのぼるユダヤ人を救った。「日本のシンドラー」と呼ばれる。

映画「戦場にかける橋」(1957年英/米)
早川雪洲(左)とアレック・ギネス(右)

映画「復讐するは我にあり」(監督: 今村昌平)
清川虹子(左)と緒形拳(右)

イッセー尾形 一人芝居

『日本以外全部沈没』(筒井康隆)

 一例をあげる。たとえば、パルバースは「一楽、二萩、三唐津」をとりあげ、欧米のジョン・キーツが言うような「完全無欠な美」と、日本人が好む「諸行無常」とをみごとにくらべてみせる。
 英語では「完全無欠」は〝complete perfection〟である。けれどもパルバースは楽茶碗は「完全有欠」というべきもので、その名状しがたい「不完全さ」こそが完璧なんだと絶賛する。この見方がいい。まさに長次郎の茶碗にも当代の吉左衛門の茶碗にも「有欠」がある。織部なら「敢然補欠」というものだ。
 とはいえ残念ながら、こういう“読み”を日本人がほとんど理解していないことのほうが問題で、ぼくはパルバースを持ち上げれば持ち上げるほど、奇妙な気持ちになっていく。慚愧に耐えないというか、情けないというか。
 だからパルバースが、大分の日田の小鹿田や小石原の窯元をたずねて、バーナード・リーチばりに茶碗や徳利を愛で、天竜川と合流する遠山川の谷間の「霜月まつり」に見とれて堪能してましたとか、その祭りを見ながら、宮沢賢治の「四方の夜の鬼神をまねき/受益もふるふこの夜さひとよ」の詩句を思い出していましたと言っていることを、「ロジャー・パルバースって知ってる? パルバースってね、小鹿田に行ってぞっこんになっているんだ」と、ぼくの周辺の誰かに伝えようとしては口を噤んでしまうのだ。
 こういう話にひそむ“ジャパンウェアな価値観”を、いったい昨今の日本人が持ち合わせているのかというと、悔しいことにそんなレベルには達していないと思わざるをえない。そもそも「一楽、二萩、三唐津」すらもが目にもアタマにも入っていないのではないか。まして小鹿田の「飛び鉋」など……。

「飛び鉋(かんな)」を施している小鹿田焼

 パルバースの日本をめぐる見方には、ぼくがお薦めしたい日本がいろいろ爆ぜている。このことは、三十年来の友人のアレックス・カーが惚れた日本や、最近仲良くしているエバレット・ブラウンが見ている日本にもあてはまる。ブラウンとは『日本力』(パルコ出版)を共著した。何にせよ、誰にせよ、こういう見方が日本を実感するにはどうしても必要なのだ。
 パルバースはそれをやってのけている。根尾の淡墨桜を見物し、長浜の曳山狂言に見とれ、山形の黒川能を堪能した。陸中海岸の宮古から久慈の風情を船の中で感じたときは、白くて美しい小久慈焼の茶碗を買って、その後の日用の器にしているのだ。
 いや、そういうことは日本好きなガイジンならきっとガイド片手になんとかするだろうと思うなら、それはとんでもない料簡ちがいだ。
 花巻をたずねて賢治にぞっこんになると、そのまま賢治の詩歌に親しみ、その詩歌にふんだんにつかわれている擬声語(オノマトペイア)にあこがれて、ついに賢治を「宮ざわざわ賢治」と呼ぶことにしただなんて、また、大阪の朝日芸能社で筑波武蔵の浪曲に出会ってからはこの浪曲師が住む河内天美に通って《野狐三次》をマスターすると、三ヵ月後には“ロジャー武蔵”を名のるセミプロはだしの浪花節語りになっていただなんて、これは尋常ならざる格別きわまりない御仁なのだ。
 そこいらの日本人が感得している日本ではない。いやいや、日本の多くの知識人にもこういう日本文化は身についていない。パルバースを得た日本は幸いなのである。「もしもパルバースがいなかったら、日本はもっとつまらなくなっていた」!

エバレット・ブラウンと松岡正剛の共著『日本力』(パルコ出版)

ライトアップされた根尾の淡墨桜

長浜の曳山狂言

「ロジャー武蔵」、浪花節をうなる。

 なぜ日本人は日本を見る方法を失ってしまったのか。日本の社会文化の多様性をつぶさにたのしんでこなかったからだろう。
 悪口になるようで申し訳ないが、中根千枝に『タテ社会の人間関係』(講談社現代新書)がある。たいへんなベストセラーになった。ところが副題は「単一社会の理論」なのである。日本社会が縦断型になっていて、タテどうしでは競争せずに、ヨコどうしで争うようになっている特質を炙り出したもので、昭和日本のひとつの典型を析出した。パルバースは、そうではない。日本を単一民族と見るのも単一文化社会と見るのもまちがっているとみなす。
 当然である。岡田英弘の『日本史の誕生』(ちくま文庫)や小熊英二君の本を読まれるといい。似たようなことは『吉田茂とその時代』(中公文庫)や『敗北を抱きしめて』(岩波書店)の日本学者ジョン・ダワーも「日本はJAPANではない、JAPANSなのだ」と言い切っていた。そのほうが、ずっと日本っぽい。
 日本を一つの日本や一つの民族の記憶と記録で語れるわけがない。日本は縄文弥生のはなっから一途で多様なJAPANSなのだ。天皇と幕府は並列していたし、その美意識も「あはれ」であって「あっぱれ」なのだ。少なくとも、網野善彦がせめてアイヌ・東国・西国・琉球の四つの地域史で日本を語らないと話にならないと言っていた通りなのだ。
 そのことをパルバースは自分の目と足と舌でしっかり確かめたようだが(ぼくよりずっと日本中を旅している)、本書のなかではその体験をいかし、日本には少なくとも五つの独自文化が成り立っているとみなしている。東北、江戸東京、大和・京都、北九州、沖縄、この五つだ。おもしろい見方だったので紹介しよう。少し、ぼくなりの説明も加えておいた。

経済産業省の依頼で松岡が監修・制作した海外向けパンフレット『面影日本 Roots of Japan(s)』
世界へ向けて「JAPANS」でメッセージを発信した。

「Creative Tokyo」にて「新しい日本の創造」をテーマに講演。
現在もUSTREAMで視聴できる。[外部サイト

 おおざっぱにいうと、東北は「比類のない神秘性」をもっている。だいたいあそこには座敷童子がいる。賢治・啄木・太宰・寺山の日本だ。パルバースはその東北を、今日の若者がとくに啄木あたりから学ぶといいのではないかと言っている。賛成だ。ぼくも啄木が「時代閉塞の状況」を凝視していたあたりの心境を、ことに読んでもらいたいと思っている。「どんよりと くもれる空を見てゐしに 人を殺したくなりにけるかな」だ。
 江戸東京は親子どんぶりのような「拝借文化」をもっている。世界中から日本中から拝借してきたもので成り立っている。そのごちゃまぜ力があまりにも強大なので、列島各地は「地方」扱いをされ、東京は一極集中のセンターにのし上がっていった。そのぶん地方者は東京で一旗揚げるしかなくなった。けれどもその上京者たちももちろん拝借文化のうちなので、いつだって親子どんぶりの「具」として取り替えられてしまうのである。
 ちなみにパルバースは、もしニューヨークの連中がシカゴやロスやサンフランシスコやダラスを「地方」などと呼んだら、かれらはニューヨークに戦争を仕掛けるだろうと言っている。

パルバースが歩いた奥入瀬川は東北の穏やかな表情を象徴する。

プロジェクションマッピングされた東京駅も親子どんぶり。
洋風の駅舎に最新テクノロジーを借りてくる。

 大和文化は、風景と文物と人物を仏教化する文化と、大陸の影響をフィルタリングする能力とをもってきた。そこには古代グローバリズムをいちはやく審美化する独自の装置があった(ぼくはそのことを最近は“NARASIA”と名付けた)。大和力はそもそも漢字を万葉仮名として使ってみせたのだ。奈良にはそういうソフトウェアが漲っている。
 京都はそれらをうんとソフィスティケートして、もっと言うのなら女性化してきた。京都は簾のような文化力なのだ。そして『枕草子』のように、世の中のものを「選んで」「好み」に徹していけるミヤコ感覚をつくりあげた。いわゆる「雅び」のインターフェースというものだ。パルバースは書いてはいなかったけれど、そこにあるのは公家文化の本性だ。
 北九州はその根底に、中国文化と朝鮮半島の文化の両方の歴史を反映できる装置をもっている。なんといっても、ここから倭国が始まったのだ。さらに海を越えてきた八幡神や禅宗の名残りが各所に波及した。それが卓袱やとんこつラーメンや辛子めんたいこにもなっている。パルバースは北九州の子供たちが韓国語を学び、韓国の子供たちが博多弁や長崎弁を話すようになることを期待する。
 沖縄は日本・中国・ポリネシア・東南アジアを同時にスクリーニングする力をもっている。それは八重山上布や宮古上布にあらわれている。そのうえで沖縄には内地人をヤマトンチューと呼べる度胸がある。いまだ日米基地問題で悩んではいるけれど、沖縄人には自己主張力があるので、きっとそのうち突破するだろう。ちなみにパルバースは石垣島から西表島へ、さらに三十分かけて鳩間島にも行き、滞在している。

『NARASIA 日本と東アジアの潮流 これナラ本』
1300年の歴史を見開きページで編集し、奈良とアジアを結んだ。

長崎の「蛇踊り」
大陸文化をその土地の文化に取り込んでいる。

鳩間島
沖縄本島からさらに西へ500kmほどの場所に位置する、八重山諸島の1つ。

 以上は必ずしも特異な見方ではないけれど、大きく日本を摑まえていて悪くない。とくに東京を世界各地からの「拝借文化のどんぶり」と捉えたところがよくできている。
 日本人が自国民を単一民族とみなして英訳するときは、〝racially homogeneous〟とする。人種的に単一であるとか同一であるという意味だ。けれどもここには〝ethnically〟という意識がはたらいていない。こういうグローバル感覚ではよろしくない。パルバースは東北や北九州を〝ethnically〟に見たいのだ。
 日本人が日本を海外にくらべて特別視しようとすると(いわゆる日本特殊論にはまると)、この「一途で多様」な見方を忘れてしまう。JAPANSでなくなっていく。どういうふうに忘れ、歪めてきたかは、そのうち南博の『日本人論』(岩波書店)などをとりあげて千夜千冊したい。

『日本人論 明治から今日まで』(南博)

 それにしてもパルバースは、日本各地の民族的な土地感覚を摑むのがうまかった。まさにエスニカリーだ。
 これは和辻哲郎のいう「風土」に近い摑まえ方だろうが、一般的には風土は英語では〝climate〟なのである。しかしパルバースは、日本人の風土感覚や風土文化力の特色はむしろ〝acclimatized〟というもので、「アクライマタイズド(順化/馴化)している」とか「風土する」といった能動的な感覚をもっていると見たほうがいいだろうと進言する。
 このことは、かつてオギュスタン・ベルクが風土を〝milieu〟と捉え、そこに「通態性」(trajectivitet)というフランス語をもってきたことに匹敵して、たいへん興味深かった。日本人の風土感覚は、自然や風景と身体感覚が感得しているものを切り離さないという意味で、「風土する」なのだ。「石山の石より白し秋の風」(芭蕉)、「夕立やかみつくやうな鬼瓦」(一茶)。

 日本が文物をアクライマタイズドできているのは、日本人が「平時に協同性を練習できている」からではないかと、パルバースは見ている。
 欧米では協同性は有事においてこそ称えられる。9・11でニューヨークの消防団が称えられたのはそのせいだ。そこでは軍隊における勇気や友情が近似的な前提になっていることが多い。《ダイ・ハード》《リーサル・ウェポン》《マトリックス》、みんなそうだ。ところが日本では平時の協同性に、なんともいえない厚みがある。小津安二郎なのである。NHKの朝ドラなのである。それは「ぬくもり」「礼儀ただしさ」「以心伝心」などでできていて、そこにはたえず「みんなのおかげ」という意識がはたらいている。パルバースは日本の会社の工場労働者たちの多くが「みんなのおかげ」を感じていることに驚いた。
 それなら、これは一種の〝altruism〟(利他主義)なのだろうか。たしかに利他主義のような気もするが、主義でも利他でもないようだ。あえて日本語訳をすれば「愛他」というふうになるのだろう。それよりも「気配り」や「控えめ」というものがはたらいていると見たほうがいいのではないか。

紀子(原節子)と周吉(笠智衆)
映画「東京物語」(小津安二郎)より

 日本では一人よがりや自慢が嫌われる。パルバースもそこが日本人のいいところだと思っている。だから「気配り」や「控えめ」が好まれるのだが、これが英語にしにくい。どんな英語になるのだろうか。ちょっと難しいけれど〝self-effacement〟ではどうか。そう、提案する。〝face〟を外に向けてちょっと消し去るという意味だ。
 ぼくにはこのセルフ・エフェイスメントという英語の妥当性を判断はできないが、パルバースがこの言葉を推している理由は、なんとなくはわかる。おそらくはこの場合の〝face〟は顔というより「面」に近く、日本人なら「面影」「面目」「面白い」「面倒」「面子」「面はゆい」などと使うときの「面」感覚になる。
 もっとも、パルバースは日本の〝altruism〟には多分に大乗仏教が作用していることを指摘していない。最近は五木寛之がしょっちゅう強調していることであるけれど、日本人の「他力」はあきらかに日本的大乗仏教の影響なのである。このこと、念のため付言しておく。

 こうしてパルバースは 本書の第九章では以上のことをまとめて、「日本の文化は“ふるまい”に表れる」というふうに解読してみせた。
 これもかなりイイ線だ。“ふるまい”は「振舞」と書く。振も舞も舞踊の用語のように思えるかもしれないが、もともとは神々が降臨するとき人間の側のほうが魂を振られる状態になったりすることをさしていた。「舞う」は中世までは神と人とが一緒になって踊りだすほど共感しあうことをいう。
 しかし『源氏物語』や『和泉式部日記』にすでに頻出するように、日本語としての“ふるまい”は神の去来がそこにおこっていなくとも、そのような神の面影のもとに人々が身におぼえのある行動をすることをさすようになっていた。そこには「神に憚る」という意味での「遠慮」(reserve)のようなものがはたらいていたのである。
 遠慮そのものなのではない。遠慮のようなものだ。「はばかる」であり、「かしこまる」なのだ。それが日本人独特の“ふるまい”になっていった。なぜ、そんなふうになれるのか。パルバースは第十章ではそのことを、「日本ではあらゆる場所が“舞台”である」とみなすことで納得する。かつてアレックス・カーが、日本はステージクラフトになっていると言ったことに近い。
 まさにそうだと思う。玄関、座敷、床の間、座布団の置き方、扇子使い、ドアの開け方、お辞儀の仕方、電話の取り方、お見送り、打ち水、旅館の仲居さんの振舞、高校野球の挨拶……。日本人がこれらを重視できるのは、いずれもそこが「小さな舞台」であるからだ。舞台と言ってわかりにくければ「場」や「座」の力だと見ればいいだろう。日本の「みんなのおかげ」は「場」と「座」にもとづいていた。ぼくもそのことを、「もてなし」「ふるまい」「しつらい」は三つがひとつとしてかかわりあっていると言ってきた。「場」と「一期一会」と「座」とが連動してきたわけだ。

高校球児の挨拶には「みんなのおかげ」が詰まっている。

 他方、パルバースは本書のなかで、日本人が自分たちの優秀な特色に気づいていないことに、ときどき呆れている。さもありなん、だ。
 たとえば「日本人はオリジナリティが乏しい」という批評があるが、こんな批評を日本人が受け入れすぎていることに、呆れる。これは引っくりかえすと「日本人はものまねばかりする」ということになるのだが、こんなことを容認する必要はない。
 そもそも一国のオリジナリティとは、その国の過去のあらゆる文化を再発見、再発明、再創造することにある。こんなことは、欧米のみならずどの国にもあてはまるジョーシキだ。のみならず、その国が外からの思想や文化を適度に受け入れ、それを編集していく能力にこそ、その国の独自のオリジナリティがあらわれることも、むろんジョーシキだ。
 日本が漢字文化を受け入れつつ仮名文化を創出し、宮沢賢治が北上川の西岸河畔をイギリス海岸と名付け、ラジオ電気技術を導入しながらトランジスタラジオを考案できたことこそ、まさにオリジナリティだったのである。
 なぜ日本人は日本にオリジナリティが乏しいなどと思いすぎたのか。明治以降、外国の文化を外国人が誇り高く自慢したり強調したりすることに、うっかりきすぎたのだ。敗戦後の民主主義日本では、もっとそうなった。
 江戸時代まではそんな卑屈なことをしていなかった。各自がみんな「分」をもっていた。身分の違いも本分の違いも、気分の違いも平気だったのだ。それがうっかり卑屈になったのは、海外の列強が日本をコケにしたからなのではない。日本が勝手に卑屈になったのである。

宮沢賢治が名づけた「イギリス海岸」

 もうひとつ、日本人がオリジナリティの実態を取り違えた理由がある。それは本気のオリジナリティは、かなり多くが反逆者や破壊者や奇人や変人や、つまりはアウトサイダーにもとづいているということを、いつからか日本人が直視しなくなったからなのだ。このパルバースの指摘は、よほど日本人が心したほうがいいだろう。
 言うまでもないことだけれど、たとえば空海、後醍醐天皇、世阿弥、利休、芭蕉、北斎、岡倉天心、北大路魯山人、勅使河原蒼風、イサム・ノグチ、寺山修司、美輪明宏は、すべからくアウトサイダーなのである。それは、アウグスティヌス、ウィリアム・ブレイク、ジャン・コクトー、ヴァーツラフ・ニジンスキー、パブロ・ピカソ、トルーマン・カポーティ、J・G・バラード、アンディ・ウォーホルらがアウトサイダーであったことと、まったく同じだ。
 けれども昨今の日本では、これらを“スター扱い”することはあっても、そこに反逆の気分や時代を破る方法があったことを、ちゃんと評価しなくなっている。そのため空海~北斎~天心~寺山を一緒に語れなくなった。イタリアのデザイナーがダンテとアルマーニを一緒に語ることは、ドイツの音楽知識人がアマデウス・ホフマンとフルトヴェングラーを自慢することは、基本の基本の基本なのに、日本はそれができなくなった。

 こうしてパルバースは、日本人があまりに〝insular〟(内向き)になっていることを心配する。自国の文化を海外に向けて自信をもって語れないまま、産業的なグローバリズムの波にだけ乗ろうとしていることに危惧を向ける。
 このことは逆に、英語を駆使できるようになればグローバルになれると思いこんでいる日本人ビジネスマンの傾向にも色濃くあらわれている。パルバースはそのことも心配してくれる。そんなことではムリなのだ。どうしても英語に堪能になりたいというなら、日本人は次のことを英語で語れるようになるべきなのだ。
 たとえば多様な「の」の使い方である。『銀河鉄道の夜』の「の」は何か。〝of〟ではない。〝Night of the Milky Way Train〟では「汽車に所有された夜」になってしまう。〝Night on the Milky Way Train〟であろう。ぼくが同時通訳の会社「フォーラム・インターナショナル」を八年間ほどあずかったときも、この「の」の問題を重視した。
 日本語では「秋の田の仮庵の庵の苫をあらみ」の「の」はすべて異なるし、「明日の朝のお父さんのメニューのことなんだけどね」の「の」も、みんな違うのだ。ということは「森の音楽」と「音楽の森」との意味の違いを、「日本の北斎」と「北斎の日本」との違いを、われわれはしだいに忘れてしまっているということになる。
 これはどうしても取り戻すべき日本語の本分だろう。いま、イシス編集学校の「守」コースで〈「の」の字の不思議〉というカリキュラムを入れているのも、このせいだ。できればこれに「切れ字」のおもしろさも加えたい。

 パルバースは次のようにも指摘する。日本人はやたらにデザインという言葉が好きなようだが(たしかにそうだ)、でも「会社のデザイン」とか「社会をデザインする」とか「デザインとヴィジョン」などと言いたいなら、日本文化がどのようにアジアの象徴性や制度を〝to design〟してきたのかを感じたほうがいい、と。また江漢や源内がどのようにヨーロッパの美術様式を〝to design〟してきたかということを、もっと深く摑まえたほうがいい、と。空海も利休も北斎も、長沢節も山本耀司も三宅一生も、その〝to design〟をやってのけたのだ。耀司はそもそもが「安吾」で、一生はそもそもが「お米」なのである。
 こんなふうに日本人が「日本を英語する」のがヘタなのは、英語のセンスがないからではなくて、日本語をちゃんと理解しようとしないからである。あるいは日本語に誇りをもっていないからだ。パルバースは普段語の「ですね」「だな」「じゃないか」「だろうね」のニュアンスの違いや、小さい「っ」が使われている「さっと」「やっぱり」「ひっそり」「たっぷり」「ばったり」「きっぱり」「ざっくり」といった言葉を、もっと大事にするべきだと言っている。

坂口安吾と山本耀司

 言語は民族の信号であり、暗号である。それなら日本語の素材や風味にも通じていたい。これらのことについては、パルバースの『日本語インサイド・アウト』(日本翻訳家養成センター)や『驚くべき日本語』(集英社インターナショナル)などを読まれるといい。そこには「リンガ・フランカ(世界語)としての日本語」のことが誇らしく述べられている。
 アメリカ人のパルバースから日本語のことを教わるよりも、英語のことをちゃんと知りたいというのなら、『ほんとうの英語がわかる』(新潮選書)や『英語で読み解く賢治の世界』(岩波ジュニア新書)などもあるので、それらを読んでもらってもいい。ただしそこでも「英語がわかること」と「日本語がわかること」がまったく同レベルの文化力にもとづいていることをどどっと知らされる。
 このことをもっと実感したいなら(そうなってほしいけれど)、徒然草や世阿弥や谷崎や荷風や三島などを、シャレた五行英語で案内してみせた『五行でわかる日本文学』(研究社)を覗いてみるのがいいだろう。 まさに日本語のようなシャレた英文が綴られている。

 それにしても、まあ、パルバースはよくぞこれほどに日本を理解できたものである。本書やその他の本を読むかぎり、きっと井上ひさしや大島渚に親しんだことが大きかったように思う。
 井上ひさしについては、一九七四年あたりからの師事だったようで、いくつもの作品を英訳しただけではなく、いっときは井上一家をオーストラリアに移住ないしは長期滞在させたくて尽力したりしている。大島渚についてはパルバースが《戦場のメリークリスマス》の助監督を頼まれたことが縁で、その後もずいぶん大島に協力をしたようだ。
 ところがこの二人を通して学べた大好きな日本が、その後に変質していった。八〇年代に入ってからだろうが、地上げや借入超過とともに新人類や「おたく」が広まって、日本は消費過剰時代に突入していったのだ。メディアもメーカーも広告業界もかれらをやたらにもてはやし、日本が誇れるものはマンガ・アニメ・スシ・カラオケだという自負だけが目立つようになった。
 パルバースはこの流行をいたずらっぽく「MASK現象」(マンガ・アニメ・スシ・カラオケ)と名付けている。つまりは、日本に史上初めての“わがままで衛生無害な自己中心世代”が登場してしまったのだ。
 これでは日本に貧困の差別、セクハラ、いじめ、幼児虐待、草食化、鬱病が蔓延してもおかしくない。パルバースには、そう見えた。バブル崩壊のあとに、これらが広がっていったのは当然だった。日本人は〝reticence〟(控えめ)を忘れてしまったのだ。

映画「戦場のメリークリスマス」で助監督を務めたパルバース。
左は大島渚監督。

 パルバースは「失われた二十年」の日本がめざめるには、次のことが必要だと実感している。ひとつ、若い世代は自分の満足感などに浸らずに他者を理解するように努めること、ひとつ、メディア(とくにマスメディア)が日本の真の問題に目覚めること、ひとつ、クリエイターやアーティストが社会問題を大きくとりあげること、この三つだ。
 これらはあらためて見直すと、まさに井上ひさしと大島渚がとりくんだことだった。もうすこしさかのぼれば、坂口安吾や井伏鱒二が、鶴見俊輔や日高六郎が問題にしてきたことだった。こうしてパルバースは本書の最後に、絞りにしぼった提言をする。日本人は〝buck the system〟に向かうべきなのではないか、ということを。
 この英語は「体制に刃向かう」という意味だ。〝to buck〟は馬が背を曲げて跳ね上がることをいう。〝system〟とはデファクト・スタンダードな体制のことだ。体制を蹴り上げてみる。この気力が必要なのである。儲けることばかりにうつつを抜かしていてはいけない。仮りにビジネスに徹するとしても、文化力に富む経済文化力を心掛けるべきなのだ。「もしも日本がなかったら、世界はうんとつまらなくなる」のだから、日本人よ、自信をもって体制に刃向かいなさい、コンプライアンスなんかにとじこもるのはやめなさい。そう、ロジャー・パルバースは言うのだ。
 以上、まったく同感だ。

パルバース自ら本書について語る。
「五つの日本はそれぞれ違います。こういう日本があるんだと気づいてほしい」

⊕ もし、日本という国がなかったら ⊕

∃ 著者:ロジャー・パルバース
∃ 訳者:坂野由紀子
∃ 発行者:鶴谷浩三
∃ 装丁:刈谷紀子
∃ デザイン:高木巳寛
∃ 発行所:株式会社 集英社インターナショナル
∃ 印刷所:大日本印刷株式会社
∃ 製本所:ナショナル製本協同組合
⊂ 2011年12月20日 第一刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ まえがき
∈∈ 1 ここが、ぼくの国だ
∈∈ 2 驚くべき創造力の国へ
∈∈ 3 世界には、誠実で正直な日本が必要だ
∈∈ 4 日本人も知らない本当の世界遺産とは
∈∈ 5 「五つの日本」
∈∈ 6 一九六〇〜七〇年代に現れた革命児たち
∈∈ 7 世界にも希有な表現者
∈∈ 8 『戦メリ』の助監督をしてわかったこと
∈ 幕間のひと言
∈∈ 9 日本の文化は「振る舞い」に表れる
∈∈ 10 ここではあらゆる場所が「舞台」である
∈∈ 11 世界が気づいた「無私の心」
∈∈ 12 銀河系を自らの中に意識せよ
∈∈ 13 杉原千畝が世界に示したもの
∈∈ 14 真に非宗教的な先進国、日本
∈∈ 15 日本よ、自らと世界を再デザインせよ
∈ あとがき

⊗ 著者略歴 ⊗

Roger Pulvers(ロジャー・パルバース)
1944年アメリカ生まれ。
作家/劇作家/演出家/東京工業大学 世界文明センター長。ハーバード大学大学院ロシア地域研究所で修士号を取得。その後、ワルシャワ大学とパリ大学への留学を経て、1967年、初めて日本の地を踏んで以来、ほぼ半世紀を日本で過ごす。その間、精力的に日本各地を旅し、そこに住む人々や文化、風土、言語の特異性に直に触れるいっぽう、様々な文化人と、深く親密な交流を結び、世界にまれな日本と日本人のすぐれた特質と独自性に驚嘆。大島渚監督作品『戦場のメリークリスマス』の助監督などを経て、執筆活動を開始。著書に、『旅する帽子 小説ラフカディオ・ハーン』『ライス』(ともに講談社)、『日本ひとめぼれ』『英語で読み解く賢治の世界』(ともに岩波書店)『英語で読む 桜の森の満開の下』(ちくま文庫)、『新バイブル・ストーリーズ』(集英社)など多数。また、日本での劇作家としての仕事は、小泉堯史(たかし)監督作品『明日への遺言』(2009年テヘラン国際映画祭・脚本賞受賞)など。深く敬愛してやまない宮沢賢治の作品の英訳にも数多く携わる。その功績から、2008年、第18回宮沢賢治賞を受賞。