才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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神曲

ダンテ・アリギエーリ

集英社 1976

Dante Alighieri
La Divina Commedia 1307~1320
[訳]寿岳文章

 驚嘆、飛翔、篤心だ。回復しがたい罪状であり、壮大きわまりない復讐である。あるいは偉大な作為そのものだ。それなのに至上の恋情で、比較のない感銘の比喩である。また深淵の祈念で、阿鼻叫喚であって、それでいて永遠の再生なのだ。
 ダンテ。神曲。ディヴィナ・コメーディア。神聖喜劇。ここには人文の地図があり、精神の渇望があり、文芸のすべてに及ぶ寓意が集約されている。それは宇宙であり、想像であり、国家であり、そして理念の実践のための周到なエンサイクロメディアの記譜だ。あらゆる信念と堕落の構造であり、すべての知の事典であって、それらの真摯な解放である。
 ダンテ。神曲。ディヴィナ・コメーディア。神聖喜劇。こんな途方もないフォーマットをもった物語には、めったにお目にかかれるものではない。ダンテ・アリギエーリとはいったい何者であったのか。神曲とは何の書物であったのか。
 
 おそらくぼくの読書遍歴のなかで、これほどに何度もその牙城への探索を誘惑しつづけた大冊は、ほかにはなかったのではないかと思う。
 最初はダンテがベアトリーチェに寄せる無上の愛を知りたくて読んだ。そのころのぼくのベアトリーチェは皆川眞知子だった。紫野に住んでいた従姉妹のことだ。若くして自殺した。ついでは野上素一や寿岳文章や里見安吉に導かれ、古代ローマと初期ルネサンスをつなぐ偉大すぎるほどの橋梁として読んだ。さらにサンドロ・ボッティチェリやギュスターヴ・ドレの『神曲』への視覚幻想的傾倒やリロイ・ジョーンズの地獄篇をめぐる騒々しいジャジーな議論に惹かれ、また国家論としての『神曲』にも関心をもった。『遊学』(中公文庫)のなかのダンテを綴ったのはそのころだ。
 そのうち『神曲』の構造に知的アーキテクチャとしてのシステム構想を感じるようになって、いっとき「オペラ・プロジェクト」を思い描いていたときは、『神曲』をコンピュータによってシステム化することを夢想しつづけていた。このあたりのことは荒俣宏や高山宏や黒崎政男がよく知っている。澁谷恭子などはぼくがダンテを冒涜する気ではないかと心配していたらしい。だからピーター・グリーナウェイがBBCで《TVダンテ》を放映したと聞いたときは、しまった! というほどの嫉妬を感じた。
 そのころぼくの仕事のことは何でも承知していた佐藤恵子がイタリアに行くときは、いつも『神曲』の古いエディションを入手してもらうように頼んだものだった。計算などしていないけれど、おそらく『神曲』だけで数百万円をつぎこんだのではないか。こんなに気になった大冊は、ぼくにはかつても今後もありえない。もしあるとすれば、それはぼく自身が松岡正剛のディヴィナ・コメーディアを書物にするか、計画にするときだ。まあ、そういうことはおこるまい。

 一二八九年六月、フィレンツェはアレッツォを盟主とするギベリーニ党の軍隊と命運をかけたカンパルディーノの合戦で辛くも勝った。しかし世情は落ち着かず、人心は動揺していた。その一年後、フィレンツェのアルノー河畔のバルディ家の一室でベアトリーチェが病死した。すでに結婚してはいたが、まだ二四歳だった。ダンテも二四歳。
 この瞬間、世界の文学史が、いや想像力の天空がぐるっと大きく転回した。ダンテは茫然自失、悲嘆にくれる。なんとか神学書や哲学書を読んで気を紛らわし(ウェルギリウスの『アエネーイス』、ボエティウスの『哲学の慰め』、キケロの『友情論』など)、ともかくもベアトリーチェのために綴ってきた詩をまとめ、三年後に一冊の詩集とした。これが『新生』(ヴィタ・ヌオーヴァ)である。詩的半生の恋情自叙伝といってよい。
 ソネット二五篇、カンツォーネ四篇、バッラータ一篇、スタンツァ一篇。ソネットは十四行詩のこと、カンツォーネは最初の詩節の行末の語が続く詩節の行末にくりかえしあらわれる詩のことをいう。いずれもシチリア派がようやく完成しつつあった詩型だった。ダンテを知るにはこのシチリア派を観望することが欠かせない。シチリア派を興したのはシュタウフェン朝のフェデリコ二世だった。
 フェデリコ二世は父ハインリッヒ六世のドイツの血をもって生まれたのに、初期イタリア語のほうがずっと好きで、一一九八年にシチリア王となり、若くして詩歌に耽溺した。これは日本でいえば、後鳥羽院が『新古今和歌集』とそのスタイルに耽溺した時期とまったく同じ時期にあたっていて、このことがほとんど指摘されてこなかったことが不思議なくらいの同期的振動である。ダンテには、この“シチリア派の後鳥羽院”とでもいうべきフェデリコ二世の影が曳く。

 シチリア派はトスカーナ派を生んだ。グィットーネ・ダレッツォが代表する。ラテン語を真似たやや衒学的なイタリア詩をつくろうとした。こうして十三世紀末になってシチリア派の影響を受けたボローニャ派がおこり、グイド・グイニツェリがその花を咲かせると、この派の清新な詩体がどっとフィレンツェに流れこんだ。若きダンテの最も親しい友人だったグイド・カヴァルカンティはこの「清新体詩」を最初に身につけた。『神曲』煉獄篇の第二六歌では、ダンテはグイニツェリのことを「私の父というべき詩人」と書いている。
 ダンテの『新生』の詩篇はボローニャ派の集大成ともいうべきものになった。これをもって、フェデリコ二世を後鳥羽院に比するに、定家・西行・長明をへて、兼好や阿仏尼あたりがダンテの執筆時にあたっているというふうにも見える。ダンテが一二六五年、夢窓疎石が一二七五年、兼好が一二八三年ごろの生まれだ。
 もうひとつ、急いで言っておきたいのは、ダンテによってイタリア語が確立していったということだ。これはフランス語が『ロランの歌』で、英語が『アーサー王物語』で、日本語が『平家物語』で出来したことに比況できる。
 ところで表題がそうであるように、『新生』はこれをもって新生を期そうとしたダンテの願望がよくあらわれてはいるのだが、やはりこの詩集はどう見てもベアトリーチェの死を乗り越えないままのダンテの取り乱した実情をあらわしていた。有心ではあっても余情や幽玄には至らなかったとでも比喩すればいいだろうか。
 その証拠ということではないが、『新生』第二三章にはベアトリーチェが死んだ夢を見て、夜中に起きると凍えるように慄くダンテ自身の姿も描かれている。それほどにベアトリーチェはダンテの宿願の光だったのである。ダンテを語るにはこのベアトリーチェの存在を語らないでは、何にも進まない。
 
 フィレンツェでは毎年五月一日に花祭りカレンディマッジョが開かれる。九歳のダンテが同い歳のベアトリーチェと出会ったのは一二七四年のときの花祭りで、この年はコルソ通り聖ピエール・マッジョーレ教会の隣のファルコ・ポルティナーリの宏大な邸宅の庭で催された。そこがベアトリーチェの実家だった。すでにダンテはベアトリーチェの兄マネットから妹ベアトリーチェのことを聞いてはいたが、会ったのは初めてで、その白い服に包まれて接客している可憐な少女にたちまち魂を奪われるような感動をおぼえた。
 次にダンテがベアトリーチェに出会うのは、二人ともフィレンツェの街にいながらも九年も後のことだった。アルノー河畔の聖トリニタ橋の袂を、ベアトリーチェが二人の女友達にはさまれて歩いていた。二人は再会する。けれども二人は会釈をしあったものの、会話すらしていない。『新生』にはベアトリーチェへのそれ以来の熱愛が痛々しいほど歌われている(第二三章以下)。その熱愛は、『金色夜叉』ではないけれど、ベアトリーチェが銀行家に嫁いでもなお続き、そして二四歳で若死にしてしまった瞬間に、永遠の凍結をみせたのだ。ダンテは生涯にわたって、このことを忘れまいと心に決めた。
 では、そのようにベアトリーチェを失ったダンテが、恋愛詩や失意の物語を書いたというならともかく、いったいどうして『神曲』などという巨大なプログラムに立ち向かったのか。それを説明するのは容易ではないが、別な目で見てみればどうだろう。

 実はダンテは『神曲』で何人もの教皇たちを地獄に堕としている。無神論者であったのではない。敬虔なカトリック教徒だった。それなのに教皇に批判的だった。
 そもそも『神曲』は叙事詩であって物語であって、歴史であって百科事典であって、またおびただしい数の人名辞典になっている。さらに『神曲』はフィレンツェの政治史であって国家理想をめぐる議論にもなっている。ヒントがそこにある。
 この時代はフィレンツェもラヴェンナもナポリも都市国家だった。トスカーナ地方だけでもいくつもの都市同盟が複雑にむすばれていた。そのため『神曲』の随所には、ダンテのフィレンツェ政治やキリスト教社会に対する主張や見解が記述されている。聖人や神学者たちの住処も決定されている。そのなかで教皇が次々に地獄に堕とされているわけなのだ。ダンテには教皇を貶める理由があったのである。
 そこで、まずもってはっきりさせておかなくてはならないのは、ダンテはプラトンよろしく政治家をめざしていたということだ。それとともに、これもプラトンそっくりなのだが、フィレンツェを追放された挫折者でもあったのだ。死にいたるまでダンテは理想と挫折の懸崖にぶらさがっていた。
 
 さきほども書いたように、一二八九年にフィレンツェはギベリーニ党を相手にカンパルディーノの合戦で戦った。ダンテはグェルフィ党の騎兵隊の一兵士だった。グェルフィ党は合戦にはなんとか辛勝したけれど、戦闘はかなりすさまじく、地獄篇第二二歌と煉獄篇第五歌はその戦闘のありさまで埋まっているほどだ。
 ところが勝ったグェルフィ党が二つに割れた。黒党と白党だ。黒党には古い封建貴族がつき、白党には富裕な市民がついた。ダンテは白党だった。富裕な白党はプリオラートという最高行政機関をつくって三名の統領を選び、毛織物業と両替業を保護する作戦に出た。フィレンツェだけがこうした商業で繁盛していたわけではない。相互に複雑な都市同盟によってこれらの権益は上下し、いつも左右に揺れた。とくに教皇の権勢や教会の利益との関係が熾烈をきわめた。
 こうしたなか、ダンテが統領の一人に選ばれた。ダンテは社会や組織のリーダーになることに怖じけはなかったので、引き受けた。そして、その覚悟の瞬間から自分の活動の理想のマスタープランをハイパークロニクルに書き上げていくことを決意して、その実践に乗り出していったようだ。このハイパークロニクルなマスタープランこそが『神曲』なのである。『神曲』は魂の階梯を描いた長大な浄化の物語であるが、他方においては、この時代の同時進行的な社会宇宙論のためのプログラムだったのである。
 
 もう少し『神曲』執筆の背景を書いておく。ダンテによって地獄に堕ちた教皇の代表は、ボニファティウス八世やアドリアーノ五世やクレメンテ五世たちだ。ボニファティウス八世はフィレンツェに圧力をかけ、黒党がその権勢のおこぼれをもらおうとした。そこへ教皇庁から教皇に奉仕する一〇〇人の騎兵を出せと言ってきた。
 すでに統領の一人となっていたダンテはこれを拒否する手紙をつきつけた。教皇庁は応じない。ダンテはローマに陳情するために赴き、失敗し、ついでは冤罪をふくめた容疑で裁判にさえかけられることになった。これはかなりの屈辱となった。結果は罰金と二年間の国外追放。やむなく放浪を開始して、各地の食客となって流れたのち(まさにプラトンだ)、ラヴェンナに住んだ。一三一七、八年くらいのことである。そしてこのあいだに『神曲』を書きつづけた。
 当然、ボニファティウス八世は地獄界に位置づけられた。さらにニッコロ三世は地獄界第八圏に、アドリアーノ五世が煉獄界の第五円に、チェレスティーノ五世も地獄の入口に捨ておかれた。教皇のすべてが地獄にアドレスされたのではない。マルティーノ四世は煉獄界第六円に、ジョヴァンニ二一世は天堂界第四天に配された。『神曲』では教皇であれ、すべてダンテの思いのままなのだ。
 思いのままではあったが、誰をどこに配当するかということでは、ダンテはいろいろ迷っている。興味深いことに、ラヴェンナに滞在していたときのダンテは、この地の大司教にそのアドレス配当をめぐる心配事を相談していた。イスラムの異教徒でありながらアリストテレス学を発展させたアヴェロエスやアヴィケンナを煉獄界に住まわせていいか、トマス・アクィナスの論敵でパリ大学の教授だったシジエーリを天堂界の第四天にトマスとともに住まわせていいか、そういう相談だ。まさに聖人とそれに匹敵する知の王者たちを、どこにアドレスさせるかというマスタープランの保留事項を決めたかったのである。大司教はダンテの配当通りでいいと答えたらしい。
 
 さて以上のことを前提に、『神曲』そのものの筋立てと構造とその特色を際立たせてみたい。簡潔ではあるけれど、ぼくなりの案内をしてみる。そもそも『神曲』はダンテその人が、古代ローマの叙事詩人ウェルギリウス(ヴィルジリオ)に案内されて地獄界からめぐっていく物語になっている。だから案内は『神曲』の手立てそのものだ。
 『神曲』は大きく三部構成になっている。よく知られるように「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」と訳されることが多いのだけれど、また、ここにとりあげた寿岳文章の訳語もそうなっているのだが、ときに煉獄篇を「浄罪篇」と、天国篇を「天堂篇」とすることもある。
 スタイルは明示的である。壮大な叙事詩なのである。すべての詩形はボローニャ風ではあるが、ダンテ自身が工夫開発した三行詩で進む。かつ、地獄篇・煉獄篇・天国篇ともにかっきり三三歌からできていて、そこに序章がついている。そのため全詩はぴったり一〇〇歌になる。こういう詩形や詩数へのこだわりは、空海からエドガア・ポオまで歴史的にも何人かが傑出するが、そこに精緻な視覚的構造を配当したとなると、やはりダンテ以外にはありえない。
 それでは聞きしにまさる規模をもって『神曲』に展観された光景と出来事を案内したい。二〇〇三年の終わりの書物案内にはふさわしいことだろう。
 
 序章。
 発端は、人生の矛盾を痛感して煩悶している三五歳のダンテがまどろんでいるところから始まる。ダンテはある日に「暗闇の森」に迷いこんだのだ。この「ある日」は金曜日で、イエスがゴルゴタの丘に罪を引き受けた日にあたる。
 天界に遊星が走る森を脱したダンテは、そこにあった浄罪山に登ろうとして、ヒョウに会う。ヒョウは行く手を遮って立ち去らない。ダンテはそのヒョウの模様のもつ示唆に気づく。次にライオンとオオカミがあらわれ、窮地に立った。三匹の野獣はダンテの行く手を暗示する寓意になっている。
 もはや絶体絶命と思われたとき、天上から三人の女神が手をさしのべた。マリアとルチアとベアトリーチェである。ベアトリーチェはウェルギリウスにダンテを案内させることを命じ、ダンテが天堂界に着いたときには自分が案内することを誓う。こうしてダンテは何かをめざすには他者の救援をもつべきであることを、冒頭に告げる。
 ウェルギリウスがダンテの案内人になったということは、『神曲』の基本アーキテクチャがどうなっているかを明かしている。『神曲』は古代ローマ初期のウェルギリウスの傑作古典『アエネーイス』を下敷きにして書かれたのである。『アエネーイス』はローマ建国の神話を謳った叙事詩であるが、主人公がトロイアの英雄アエネーアースになっていて、トロイアの落城後に第二のトロイア、すなわち理想のローマを建国しようという構想になっている。ダンテはこれが気にいった。
 前半の六巻はトロイアからローマに到達するまでの放浪だ。この筋書き自体は『オデュッセイアー』のローマ版になっている。ここでは詳細を省くが、巻六で『オデュッセイアー』に母型をとった冥府行が語られ、そこでアエネーアースはアウグストゥスに請われて、その顛末を物語るという場面になる。このときアウグストゥスの甥で、将来を嘱望されながら夭折したマルケルスのことを語っていると、マルケルスの母のオクターヴィアが悲しみのあまりに失神する。
 この悲しみに向かって物語を告げていくという方法が、まさにホメーロスからウェルギリウスをへてダンテに到達した方法だったのである。ちなみに後半の六巻はラティウムに上陸後、原住民との激しい戦闘が繰り広げられて、アエネーアースは辛くも勝利を得るのだが、このあたりはダンテの時代のフィレンツェの戦闘に擬せられる。また、この戦闘に神々が介入するという、天界の唐突な介入の仕方についても、ウェルギリウスに倣っている。
 こうしてダンテは『アエネーイス』の作者ウェルギリウスをみずからの案内役に頼み、自身をアエネーアースに擬したのだった。
 
 地獄界(Inferno)。
 ダンテの地獄は大きな漏斗状になっている。その上に大地が広がっていて、その中心には聖地エルサレムがある。そこから垂直に線を引くと、地球の重心に達するようになる。そこには神に反乱した巨大な天使ルシフェロが投げ落とされたままになっていて、その巨体が半ば地層に食いこんでいる。そこで大地はルシフェロの悪に汚染されるのを嫌って海中に逃れるように広がり、そこに島嶼をつくっている。そこが浄罪界つまり煉獄界になる。
 地獄界は九つのスパイラル・メインレイヤーでできていて、それぞれ「圏」と名付けられている。そこに副獄ともいうべきサブレイヤーが付属する。地獄界全貌の大きさは記述されていないけれど、下から二番目の第八圏でさえ、周囲が十一マイル、直径が半マイルだと地獄篇第二十章には記されているから、漏斗の上部はかなりの大規模になる。その地獄界の入口に「暗闇の森」があった。

地獄篇 邪悪の壕(マルポルジェ)をいくヴェルギリウスとダンテ

 それでは物語の開幕だ。ウェルギリウスの案内でダンテは地獄界に入っていく。はやくも暗黒の響きが唸っている。嘆息・悲嘆・叫喚・絶叫・怒号……。『遊学』にも書いたように、『神曲』はこうした阿鼻叫喚のオノマトペイアに満ちていて、それ自体が反語的なマントラになっている。『神曲』は事件的音響のオーケストレーションでもあったのである。
 地獄の入口はアケロンの河。三途の川だ。ここを渡るには地獄の渡し守カロンの舟を借りなければならない。カロンは神をも親をも呪っている白髪の鬼である。その鞭打つ姿にダンテは気絶してしまう。それでも舟は動いてダンテは対岸に運ばれる。
 対岸に着いてみると、ロダンの彫刻で有名になった地獄門が立っている。ここは「彼岸」なのである。“there”なのだ。九圏の辺獄が待っている。驚いたことに第一圏にはホメーロス、ホラティウス、オウィディウス、ルカーヌスがいる。いよいよダンテの容赦ない人物マッピングが始まったわけである。ホメーロスとホラティウスがここにいるのは真実の信仰をもたなかった偉人の善良な魂ということらしい。
 ぼくはのっけからホメーロスが地獄に堕ちていてショックだったのだが、先を読んでみると、これはまだ一番軽い罪だった。そもそもウェルギリウスにしてからがここの住人だったのだ。ということは、『神曲』は最初に世界で最も誉れの高い詩人たちを辺獄に置いて、ダンテとともにこの四人の詩魂を強引に道連れにしたということだった。だからここには放縦と罪悪と凶暴が占めている。ウェルギリウスとダンテはそのすべてをつぶさに目撃する。

地獄第2圏 怪物ミノス

 第二圏は入口で怪物ミノスが歯がみして、その奥では肉欲に耽った者が責め苛まれている。よく見ればアッシリア女王セミラミスやクレオパトラたちだ。打ちのめされるダンテに風のように近づいてきてくれたのは、パウロとフランチェスカの魂だった。『神曲』にはこのように、入口の怪物、地獄の責め苦を受けている者たち、そこに一陣の風や歌となってさしこむ救済の象徴、この三つがたいてい組み立てられていく。
 第三圏には怪獣ケルベロスがいて、貪婪をむさぼった者、すなわちさきほどの教皇などが堕ちている。教皇ボニファティウス八世は冷たい雨に打たれっぱなしの状態だ。第四圏では、悪の富神ともいうべきプルートが声を嗄らして唸っている。吝嗇と浪費の罪を犯した者たちの辺獄である。ダンテはさらに憂鬱になっていく。第五圏には「スティージェの泥沼」があって、憤怒の罪に囚われた者たちがその泥沼にどっぷり浸かっている。そのなかの一人、フィリッポ・アルジェンティはダンテの乗った舟に襲いかかってくるのだが、ウェルギリウスとダンテは辛うじて難を免れる。
 こうなると、これはまさにディズニーランドやユニバーサル・スタジオの暗闇トロッコ冒険である。やがて二人は「ディーテの城」に着く。三人の怪女フリエたちが不気味な衣装と声でメドゥーサを呼んでいる。ダンテをゴルゴンの呪文にさらして石にしてしまおうという企みだ。
 ダンテは堅く目を閉じる。悪魔が城門を閉めているので入れずに困っていると、天使がやってきてこれを開ける。つねに天上からベアトリーチェがオムニシエント(天からの目で)に見守ってダンテの危機を救っているというのが、この物語のミソなのだ。
 ディーテの城内は燃えさかっていた。炎上都市だ。燃える墓があり、異端者が焼かれている。焦熱地獄という言葉は仏教にもあるけれどまさにそれである。ここからが辺獄第六圏にあたる。ダンテはそのなかにフィレンツェの宿敵だったギベリーニ党の党首が火炎に踊らされているのを見る。
 第七圏では牛頭怪獣ミノタウロスが待っていた。この辺獄はその内側に三つの恐ろしいバルコニーをもっている。第一環は隣人に暴力の罪を犯した者が、第二環は自身に罪を犯した者、すなわち自殺者たちが、その体を茨に変えられている。第三環はダンテの価値思想がよくあらわれているところで、神に向かって暴力をふるった者、神の娘(自然性)に暴力をふるった者(これがソドムとしての男色者らしい)、神の孫(技術性)に暴力をふるった者(これはカオルサとしての高利貸らしい)、こういう三者が幽閉されていた。ときどき怪鳥アルピアがダンテたちを窺っている。のちにマックス・エルンストのロプロプ鳥を見たとき、ぼくはただちにこれがアルピアであると知った。
 第七圏を見終わると、目の前に巨大な断崖があらわれる。とうてい歩いては通れない。そこへ怪獣ジュリオーネ(ゲリュオン)がやってきたので二人は恐怖に慄えながらも、その背に乗ってとびこえる。ジュリオーネは岸壁をめぐらして円をなす谷底に着く。
 
 辺獄第八圏は十個のサブレイヤーをもっている。ここではすべて欺罔の者たちが堕ちているのだが、どんなふうに他人を欺いてきたかで分かれる。
 第一嚢は婦女誘拐者たちが鞭を打たれる。第二嚢はお追従ばかりをしてきた者たちが糞尿まみれになっている。第三嚢は聖物売買者が岩石のあいだで互いに衝突をくりかえしている。インチキ美術商たちである。第四嚢は妖術者やイカサマ宗教者たちが頭を捩られたまま、背進を続けている。いっときメリル・ストリープの美容整形映画があって、彼女が顔を逆向きにして歩いていたが、あんな感じだ。ダンテはインチキやイカサマをとくに嫌っていた。
 第五嚢は汚職をした者たちが煮えたぎる瀝青の中で喘ぎ、悪鬼が罪人を爪で引っかくぞと叫んでいる。ここは汚職にまみれたサンタ・チタこと、ルッカの町なのだ。第六嚢は偽善者たちがいる。重たい鉛の外套を着せられて歩かされていた。第七嚢は盗賊たち、第八嚢は策略を弄した者たちが火を浴び、よく見るとフィレンツェを誤った方向に向けた連中の顔が交じる。そこからなんとオデュッセウスの物語の声も聞こえてきた。第九嚢は不和の種をまいた者たちが悪魔の剣で切り刻まれて、第十嚢は錬金術で人を騙した者や、ニセ金を偽造した者たちがとんでもない病気にかかっている。
 第八圏をすぎると、ウェルギリウスとダンテは巨人が取り巻く井戸に出会う。『神曲』においてはすべてが寓意と比喩によって語られるのだが、巨人はたいてい「僭越」の象徴にあてられている。この井戸を降りれば地獄の底になるらしい。
 第九圏は凍てついて氷結した湖に見える。極北なのだ。地獄の極北なのだが、『神曲』の構造からすると地球の真下にあたっている。それなら南極なのだろう。原語ではコチト(氷獄)となっている。ありとあらゆる反逆者や裏切り者たちが氷漬けである。が、よく見ると四つのサブレイヤーをもっている。
 第一円カイーナは血族に対する反逆者、第二円アンテノーラは祖国や自分の党派を裏切った者である。第三円トロメーアは食客を裏切った罪禍らしいのだが、かれらはダンテが放浪時代にイタリア各地を遍歴したときに親切にしなかった者たちが頭を氷湖から突き出されて責め苦を受けている。なんというダンテの復讐劇だろう。第四円ジュデッカは恩人に対する反逆と裏切りで、ここでは体が氷中に閉じ込められる。最後に世界三大反逆者ともいうべきユダとブルータスとカシウスが地獄の帝王ルシフェロの口で噛まれたままになっている。最初に書いておいたように、ルシフェロは氷獄に半ば巨体を埋めている。
 なんとも凄惨な光景だが、これが辺獄の最終場面であって、ウェルギリウスとダンテはここからの脱出を試みる。ぼくはこの脱出の仕方に興味をもってきた。ウェルギリウスがダンテを背負い、ダンテはウェルギリウスの首につかまり、巨人ルシフェロの毛深い体づたいにくるりとツイストしながら浄罪山のほうへ脱出していったのだ。この捩れて脱出するという捩率的方法に、かつてのぼくはいたく感激したものだった。
 『神曲』はここで自身の構造を回転させながら地獄界から浄罪界に向けて、まさにデコンストラクション(脱構造)したわけなのだ。かくしてダンテは「不遜」からの解放に向かっていく。

巨人ルシフェロ

 浄罪界(Purgatorio)。
 ウェルギリウスとダンテが脱出したところは海岸だった。エルサレムとはちょうど反対側になる。そこに見上げんばかりの七層の浄罪山が聳えている。前城にははやくも怠慢な魂たちが群がっている。ここでダンテは数秘的な体験をする。神秘的な数字がいくつも出てくる夢を見る。
 燃える剣をもった天使が降りてきた。石段の最上段に剣をもった天使が坐っていた。天使はダンテの胸を三度打ち鳴らし、Pという文字を七つ額に刻んだ。Pは罪をあらわすシンボルである。七つのPは「七つの大罪」を寓意する。天使はポケットから金と銀の鍵を取り出して、浄罪山の入口の扉を開けた。
 浄罪界第一円は傲慢の罪が浄められている。けれども贖罪のためには「狭き門」をくぐって、重い荷物を運ばなければならなかった。ダンテは門をくぐり、いくつもの彫像に歌を捧げた。第二円では羨望と嫉妬の罪が浄められつつあった。ダンテは粗末な衣服を着て、目を鉄線で縫った。耳を澄ますと、天空では倫理を勧める声が飛び、兄弟らしき天使が舞っている。のちにスピノザが愛した光景だ。が、それが羨望者たちには見えない。その兄弟天使に従うと、第三円が見えてくる。ふと気がつくと、ダンテの額からPの文字が二つ消えている。
 第三円は憤怒の罪を浄められていた。贖罪のためには濃い煙に息をつまらせながらも聖歌を唄わなければならない。第四円では惰性の罪が問題になっている。惰性とは何か。愛の不足のことをいう。愛していながら無関心を装うことをいう。だからここでは勤勉な者たちを褒めながら走りまわるという、贖罪の行為が課せられた。ダンテはまた夢を見た。オデュッセウスを襲った「セイレーンの夢」である。上半身は女性で下半身が鳥魚めいた怪物セイレーンはダンテを誘惑しようとし、ダンテはウェルギリウスに揺り起こされるまでその誘惑に浸っていた。
 第五円では、吝嗇と浪費の両方の罪を浄化しなければならない。ダンテは泣いた。さめざめと泣きはらすことも浄罪なのだ。そこに古代詩人スタティウスが出てきて、ダンテの額のPをひとつ消した。このスタティウスの登場と役まわりについては、『神曲』をキャラクター構造と見たばあいに重要なダンテの作劇術になるのだが、ともかくもスタティウスの登場によって、そろそろ「知恵の泉」が近いことに気がつく。第六円は飽食が戒められる。飢えと渇きに耐えなければならない。けれども視線の前をホログラフィのように、おいしそうな果物や飲み物がしきりに現れては消えた。
 第七円は肉欲と性欲の罪を贖う場だ。スタティウスは人体というものがなぜ肉欲をもつのかという説明をしながら、ダンテの知を促した。ダンテはアリストテレスを思い出し、知恵というものが潜在的なものと能動的なものに分かれ、前者によって外部の印象が受けられ、後者によってその印象が理解されるのだということをのべた。またアヴェロエスを思い出し、能動的な知恵には個性がないのは誤りなのではないかとのべた。宥しの通路に達するために猛火をくぐりぬけると、ウェルギリウスとダンテは浄罪界を抜け出たことを知る。
 そこはまさに地上の楽園とおぼしい花が咲き、草原は森にかこまれ、仙女マチルダが花を摘んでいた。歌も聞こえてきた。そう思うまもなく、森の奧からは七枝燭台を先頭にきらびやかな神秘的な行列が進んできた。その中央には花車がひときわ目立ち、そこにベアトリーチェが乗っていた。気がつくと、ウェルギリウスとスタティウスの姿は消えていた。『神曲』はこうしてついに天堂界にさしかかる。
 
 天堂界(Paradiso)。
 ダンテとベアトリーチェが昇天していくという物語になっている。『神曲』のなかで最も美しく、かつ感動的で印象的な展開だ。構造はプトレマイオスの惑星的天体そのものだが、この時代の天体知識は天動説でも地動説でもなく、ひたすら香ばしい幻想によってのみ構造化されていた。こんなふうである。
 第一天(月天)には、まだ誓願をはたせないでいる魂がいた。ベアトリーチェは月の斑点の話を語った。月の斑点は神に許されないカインの魂を象徴する聖痕である。ベアトリーチェはそのことを新たな解釈で包んでいく。第二天(水星天)には美名と善名を求める者たちが戯れていた。第三天(金星天)には恋に燃える者たちがいた。懐かしいフィレンツェの娘たちやシシリアの女王たちだ。顔が輝いている。ダンテの心は和み、懐旧と将来の音階が重なっていく。やがて「アベ・マリア」が聞こえてきた。
 第四天(太陽天)では「知の魂」が弾む。ダンテはトマス・アクィナスやボナヴェントゥーラと会話を楽しむ。これらの会話は注目すべきもので、人間の判断の不確実性を問うものになっている。ダンテの知はしだいに深まっていく。ぼくはここを読んで、やっと『神曲』の全体像をつかめた記憶がある。西田幾多郎の『善の研究』を思い出したのも、ここだった。
 第五天(火星天)は信仰のために覚悟して闘った者たちの魂が癒されていた。そこにはダンテの曾祖父も交じっている。曾祖父はダンテを迎えて、フィレンツェの未来を予告した。第六天(木星天)にはかつて正義を断行しつづけた者の魂が凜然とした姿を見せていた。しきりにユスティニアヌス帝の語る物語が終始する。『神曲』全巻を通して唯一のビザンティンな雰囲気に包まれる曲だ。ダンテはアガペーの全面的な到来を感じて、しだいに胸の内を熱くする。
 かくて第七天(土星天)には、地上で瞑想や黙想をしつづけた者の魂が光っていた。また、ここからは天に向かって光の梯子がかかっていて、そこを聖者たちが昇降していくのが見えた。あたかもウィリアム・ブレイクの光景である(ブレイクは何枚もの『神曲』スケッチを残している)。
 続く第八天(恒星天)には勝利に輝く者たちの魂が待つ。ここでさらに上に昇るための試練をうけなければならない。聖ピエトロは信仰について、聖ヤコブは希望について、さらに聖ヨハネが慈愛についての質問をした。最後の口頭試問だ。ダンテは思慮深く、かつ勇気をもってこれに答え、すべての問答をクリアする。試問が終わりかけていたそのとき、新たな質問を投げかけたのはなんとベアトリーチェだった。
 ベアトリーチェは「人間の始まり」について問う。ダンテが少し考えていると、ベアトリーチェはいったいアダムが純潔だったのはいつまでだったのか、罪を犯したのはいつだったのか、そしてなぜアダムは三〇二年間も辺獄にとどまらねばならなかったのかと問う。ダンテは満を持して神学論争のエッセンスを吐露し、スコラ議論からの脱出をはかる。いまでもこの場面をめぐっては議論が続いているところである。
 こうして、ダンテはベアトリーチェに扶けられ、ついに第九天(原動天)に赴く。そこには神々が住んでいて、愛の原動力が天を回転させている。二つの光の輪が霊妙な音楽にあわせて、外なる輪は左から右へ、内なる輪は右から左へと回転している。そこには二つの天の弓が見え、二つの虹が動く。神は煌めく点となり、その周囲を天使たちが聖歌を唄って輪舞する。
 
 やがて天空に光の十字架が見えてくると、ああ、ああ、『神曲』とはこういうことだったのかということが、忽然と了解される。ボッティチェリのドローイングが最も美しくなるところだ。
 このときようやく、ベアトリーチェは天使の数とはたらきを説明しはじめる。ちょうど天使の大群がやってきた瞬間である。ダンテがそこを見上げると、千段に達していようかというほどの天空円形劇場が出現していて、光でできている薔薇が無数に輝いている。これが第十天のエンピレオ(至高天)であった。聖ベルナルドが進み出て、最後の説明役となった。
 第十天エンピレオは、上の半天にはキリスト以前の聖者たちがいた。下の半天には嬰児や幼児の無垢なる魂が遊んでいた。そのあいだを聖母マリアたちが占めている。天空劇場の演目は、ここから至高の啓示に向かってさらにさらに劇的な寓意を見せるのだ。ダンテの想像力が最高峰に達する瞬間だ。すでに天空は真昼のように明るいのに、さらに輝く光の点が動きまわっている。そこに、まず木星界の霊たちの光が動いてDの字をつくる。その光はIとなり、ついでLをつくって、またたくまに七つの母字子字となる。“DILIGITE”(ディリギテ)だ。天空に「愛せよ!」と刻印されたのだ。
 ダンテは次の光の刻印を待った。プラズマのごとき光点はふたたび動きだし、今度はゆっくりと“QUI JUDICATIS TERRAM”を光出させた。「地を審くものよ、正義を愛せよ」である。やがてその最後の文字Mだけが残り、そこに天空のあまたの光が集まってきた。このMは、ダンテが地上における唯一の理想を託す神意の国(Monarchia)のMである。モナルキアは故国フィレンツェであって、ウェルギリウスの古代ローマであり、またアウグスティヌスの「神の国」の象徴だった。
 ダンテが茫然と光のMに見とれているその刹那、それらの光の点たちはたちまち鷲の形となって翼を広げると目前に飛来して、ダンテの魂を救って天上高く飛び放ったのだ。天使たちの大合唱が天を轟かせ、ベアトリーチェはすべての愛となる。聖ベルナルドが聖母マリアに深い祈りを捧げ、ダンテはここにすべての英知と恩寵に包まれて、ついに、ついに、地上に戻ることになったのである――。

 以上で『神曲』全篇が終曲する。ロダンが地獄門に彫塑した光景に始まった旅程は天界いっぱいの光点の眩さとなって大団円を迎えたのである。気がつけば、第九一三夜にしてついつい「千夜千冊」で一番長い案内になってしまった。けれども、この案内の長さこそがダンテがウェルギリウスを恃んでベアトリーチェを内在するために選んだ『神曲』の至高の長さというものなのだ。
 これがダンテが自分自身を主人公としたディヴィナ・コメーディアというものなのだ。これが前代未聞の歴史的実名だけによる神聖喜劇という群像時空劇なのだ。
 大ゴシック建築のようだといえば、まさに大聖堂の空間そのままに大詩篇になったようなものだ。エイゼンシュテインやグリフィスやキューブリックの歴史幻想スペクタクル映画っぽいといえば、そういうスケールがリテラル・スペクタクルになったともいえる。ワーグナーの楽劇四部作(ニーベルングの指輪)もかくやの構想だったといえば、まあ、その感じもする。しかし、そうなのではない。十四世紀の『神曲』から、これらが派生したのである。ダンテ一人の構想がいっさいに先行していたのである。
 だから本当はサンドロ・ボッティチェリのすばらしいドローイングの絵がいいのだけれど、これはいま入手不可能だから(出版されていない)、せめてウィリアム・ブレイクかギュスターヴ・ドレの『神曲』を求め、この叙事詩がどれほどヴィジュアルな想像力に長けていたかを感じてみることを奨めたい。
 今夜、とにもかくにも全篇をシーノグラフィック(場面的)に要約してみたけれど、おそらくこれを読んでもらっても全容とはほど遠いだろうと思う。ジョージ・ルーカスやジェームズ・キャメロンの台本要約を読んでも、およそ作品映像が目に浮かばないだろうことと、同断なのだ。
 けれども、『神曲』を読むとは長らくは、そういうことだったのである。多くの者が読み継いできたのである。そうやってボッカチオやフランソワ・ラブレーが「神曲」もどきに挑み、それをまたチョーサーやセルバンテスが擬古擬体してみせたのだった。
 そういうことだと、してもらいたい。そろそろ二〇〇三年の火が消える。では、除夜の鐘。では、Mの光を。では、よい年を!