才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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世界と反世界

ヘルメス智の哲学

ハインリッヒ・ロムバッハ

リブロポート 1987

Heinrich Rombach
Welt und Gegenwelt―Umdenken uber die Wirklichkeit 1983
[訳]大橋良介・谷村義一
編集:早山隆邦 協力:下村寅太郎
装幀:加藤光太郎

 今夜は、わかりにくいのにチャーミングで、チャーミングだから理解したいのにいっこうに解読の手立てなど示さない本、そうかこういうやりくちでしか世界の表象とその裏側を同時には語れないよな、そうだよなという、ちょっとめずらしい本を案内する。惚れてみたいのにひらりひらりと躱(かわ)される異性を相手にしているような本だ。その装い(書きっぷり)からして変わっていた。
 中身はヘルメス知(ヘルメス智)をめぐっているのだが、これまでのヘルメス関連のものとはまったく違っている。たとえばルネー・アローがまとめて有田忠郎が一人で訳してみせたヘルメス叢書(白水社)には、ニコラ・フラメルの『象形寓意図の書』『望みの望み』や、サン=ディディエの『沈黙の書』『ヘルメス学の勝利』などの曰くつきの”古典”がずらり顔を揃えているけれど、すべてがペダンティックな神秘主義用語がちりばめられていた。
 フロイト(895夜)やブルトン(634夜)が身を躍らせてヘルメス知にアプローチしたときも、その語り口はもったいぶっていた。
 ところが本書は衒学に耽けらない。ヘルメス知に踏み込む書きっぷりと捌きかたがめっぽう自在なのだ。オカルト好きのシロートの訳知り本ではなく、れっきとした学者の著作で、しかもヘルメス学というめんどうなジャーゴンに満ちた領域を扱って、こういう書き方をした本はめったになかったと思う。
 二つのことをあらかじめお断りしておく。ひとつは著者のロムバッハがそうなったについては、少しだけ解釈学をめぐる学問事情を追っておいたほうがいいかもしれないということ、もうひとつはこの本の内容をわかりやすく説明するのは、ロムバッハがふんだんに神話と美術作品による暗示(ヴィジュアル・アナロジー)を重視しているため、さすがに紹介がやりにくいということだ。

ヘルメス叢書より。ニコラ・フラメル『象形寓意図の書・賢者の術概要・望みの望み』とサン=ディディエ『沈黙の書・ヘルメス学の勝利』(白水社)
ヘルメス叢書は全7冊あり、残りのタイトルは『魔術と占星術』、『自然哲学再興/ヘルメス哲学の秘法』、『占星術または天の聖なる学』、『賢者の石について・生ける潮の水先案内人』『闇よりおのずからほとばしる光』。

 カントいまいち、スピノザよしよしのぼくには、いっときシュライアマハーに凝っていた時期がある。そのころはシュライエルマッハーと言っていた。
 聖心女子学院出身でシスターの教えを受けて育った渋谷恭子にヘンコーケン(編集工学研究所)を任せようと決めたあと、これを読んでみたらと奨めたのがシュライエルマッハーの『宗教論――宗教を軽んずる教養人への講話』(筑摩叢書)だった。当時の渋谷は「神さま、デヴィッド・ボウイ、キング・クリムゾン、稲垣足穂、僻地治療、電子システム」だけが好きな子で、知能指数がやたらに高く、フォトグラフィック・メモリーが飛び抜けていた。けれども話してみると、カトリックというよりも体のどこかにゲルマンやスラヴの神がいた。
 そこでシュライエルマッハーを薦めてみたのだが、渋谷はさっそく読んで何か大事な神学的なことを感じたらしく、のちにもっとセンシティブで琴線に響くであろう『独白』(岩波文庫)も読んでいた。
 フリードリヒ・シュライアマハー(1768~1834)はヘルンフート兄弟団のマグデブルク神学校やハレ神学校に学び、ヨハン・シューマンの助手、ウュネツブルク大学の神学教授をへて、ベルリン大学の初代神学部長になった神学者である。18世紀末から19世紀初頭にかけてカント、フィヒテ(390夜)、シェリング、ヘーゲル(1708夜)が大流行してドイツ観念論の勢いに神の議論が席巻されようとしていたなか(このあたりのドイツ哲学事情については、千夜エディション・西の世界観Ⅱ『観念と革命』を覗いていただきたい)、これらに引っぱられることなく断乎として近代聖書解釈学を確立して、自由主義神学やロマン主義神学を率先した。

シュライアマハーと独白
フリードリヒ・シュライアマハー(1768-1834)と著作『宗教論――宗教を軽んずる教養人への講話』、『独白』。ドイツ観念論を批判し独自の思想体系を築いた。『独白』では、「人間が人間に贈りうるもののうちで、人間が心情の奥底で自分自身に語ったものにまさる心おきない贈り物はない」という主観主義的・ロマン主義的な美学を主張した。

渋谷恭子
北里大学を卒業後、早くに亡くなった渋谷病院長の父を継ぐべく医者をめざしていたが、松岡の編集的世界観とその思考方法に衝撃をうけ、工作舎に入る。先鋭的な美意識の持ち主で、松岡の活動をサポートし続けた。編集工学研究所の社長を退任後、(株)フィリアを設立し、介護サービスのための活動に従事している。

ドイツ観念論の哲学者たち
ドイツ観念論は、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルへと展開した。千夜千冊エディション『観念と革命』第1章では、ドイツ観念論が何に向かおうとしたのかを、ゲーテやヘルダーリン、クラウゼヴィッツ、マルクス、ハイネの著作をも重ねながら追っている。

 シュライアマハーが開示した聖書解釈学による「解釈学」は、ヘルメノイティックとかヘルメネティクス(独 Hermeneutik 仏 herménetique 英 hermeneutics)と名付けられた。神々の意志を人間に伝えるヘルメス神にちなんだ命名で、「解釈する/理解する/読解する/説明する」という意味をもつ。ギリシア語でも「解釈する」は hermeneia と言っていた(ラテン語では Interoretatio)。
 こうして解釈学はシュライアマハー以降、聖書のテキストをどう読むかという学問の代名詞になったのだが、ディルタイがシュライアマハーの聖書解釈学をほぼ踏襲し、これをハイデガー(916夜)が深化延長し、さらにハンス・ゲオルグ・ガダマーがそれらを批判しながら、もっと普遍的な「世界解釈としての解釈学」を試みるようになると、ここで新たな20世紀の解釈学が打ち立てられた。
 ガダマーは、全体の理解は部分の理解に依存し、部分の理解は全体の理解に依存するのだから、過去のどんな重要なテキストも「解釈学的循環」(Hermeneutischer Zikel)にあるとみなすべきであるという見方を採った。わかりやすくいえば、元のテキストと解釈者のテキストは「地」と「図」の関係にあるのだから、「もと」と「あと」のどちらが優位ということもなく、原著者と解釈者は地図一体になる(地平融合する)という見方だ。今日の解釈学はこのガダマーの路線の上に乗っかり、それをさらにポストモダン化したポール・リクールの路線の上に乗っている。
 しかしこれはあくまで解釈学という新たな学問による見方であって、ヘルメス神に肖(あやか)るというなら、実は古代以来のヘルメス学やヘルメス主義もあったのである。
 こちらは解釈学とは言わずに、慣例上、まとめてヘルメティシズム(Hermeticism)、あるいはヘルメス知(ヘルメス智)と言ってきた。ただしこちらは、古代以来の神秘主義に属する「隠秘の系譜」だからというので、社会哲学の解釈学研究にヘルメス知がまざってくるなんてことは、ありえなかった。リクール以降のポストモダン派も世界の脱構築には臨んだが、あらかじめ反世界を設定することには臆病だった。
 しかしヘルメス知の歴史は世界と反世界を一緒くたに扱っていったのである。

ヘルメノイティック
シュライアマハーからベーク[左図]やドロイゼン[中図]をへてディルタイ[右図]へと至る解釈学の系譜は、文献学に端を発していた。ディルタイは「解釈学の究極の目標は著者が自分自身を理解したよりもよく著者を理解すること」とした。書き手が無意識に発見し表出した意味や関係線や意図の動向までも理解可能なものに言語化・具現化することが理想であると説いたのである。

照らす解釈学・覆うヘルメス智
ロムバッハはオットー・ルンゲの『光の線』を示し、昼の世界に対応する解釈学と夜の世界を統べるヘルメス智との違いを暗示する。西洋の思想哲学は、書き手の無意識すら言語化し理解可能な形で白日の元に晒す解釈学=昼を相手にしてきたが、その背後には夜=ヘルメス智もあった。しかしロムバッハにとってのヘルメス智の夜は「昼に対する夜」ではなく絶対的・根源的闇なのである。

 ヘルメス学はヘレニズム期に仮想著述者ヘルメス・トリスメギストスがまとめたというヘルメス文書群(Hermetica)にもとづいて、その解釈に向かっていったものである。
 その後は錬金術・秘教・カバラ・魔術・暗合術・観相術などの神秘主義的な知の系譜を追いかけて、ルネサンス期のマルシリオ・フィチーノの「ヘルメス全集」の大編纂をきっかけに、その思想をさまざまなシンボルや寓意やテキストや絵画や音楽にあてはめてきた。
 これは正統派の神学からすると、とんでもない異端思想か邪教に映った。キリスト教の世界からすると反世界の加担者にあたると見えた。もともとのテキストであるヘルメス文書群にしてからが、架空のヘルメス・トリスメギストスがまとめたというのだから、聖書に依拠した解釈法とはおよそ異なっている。その解釈法には秘密めいたものや暗合的なものがすこぶる多いので、合理的な学問にもなりにくい。
 かくして「聖書にもとづいた解釈学」と「典拠不明な文書にもとづいたヘルメス学」という二つの系譜が、同じくヘルメス神を戴いていながら、一方は開示され、他方は覆蔵されてきたわけである。世界と反世界がヘルメスをまたいで対比されていったのである。

コルプス・ヘルメティクム
メディチ家の庇護をうけたマルシリオ・フィチーノがラテン語訳したヘルメス文書。変わりやすさや泥や闇を生命の源泉と捉え、闇の力を破壊ではなく多産性や悦びやエネルギーを示すものとみなす世界観が提示されている。この世界は神が無から創造し終末≒破滅に向かっているのではなく、先行するカオス(=有)から発し、つねに代謝し変化する創造プロセスとして永劫回帰すると解釈された。

ヘルメス智を再提示した表現者たち
エドマンド・スペンサー(1552-1599)[左上図]は『妖精の女王』などの新しい神話を創造すると、独特の韻律構成による「詩体」をもたらした。ヘンリー・ロングフェロー(1807-1882)[右上図]はアメリカで最初期にその作品が朗唱された詩人。「ヘルメス・トリスメギストス」で神と人間が生命原理の理解によって結びつけられる照応の精神を歌い上げた。G.M.ホプキンズ(1844-1889)[左下図]はニーチェ[右下図]の「永劫回帰」に通底する思想を作品に込めた。カオスと変化に満ちたこの世界を、変転することのない天上の国と同じほど意味あるものとして再提示した者たちである。

 本書の著者ハインリッヒ・ロムバッハ(1923~2004)は神学者であって現象学者でもあったのだが、解釈学一般だけではなくてヘルメティシズムを再解釈するほうに意欲を見せた。シュライアマハーの学術的伝統に従わず、現代解釈学の方法にも靡かない。そんなことで通るのかよという道を選んだのだ。
 ぼくはロムバッハがヘルメス知の本を書くとは思っていなかった。それまでの『科学論』『形象は語る』(創文社)、『哲学の現在』『現象学の展望』(国文社)から、現象学者としての切れ味が「構造の深層」に向かっているのはよくよく伝わってきていたのだが、それがヘルメス知に及んでいたせいであったとは、いや、ヘルメス知によってこそ「構造の深層」が存在論になりうると考えていたとは、迂闊にも想定できなかった。
 1980年に京都学派に招かれて来日したときも、その言動の一部が辻村公一や大橋良介によって紹介されていたと思うのだが、そこからロムバッハがヘルメス知にのめりこんでいくという見当も、つかなかった。
 けれども本書の構成の仕方、書きっぷり、表象の例題の選び方にあらためて出会ってみると、あれよあれよなのである。ロムバッハは誰よりもヘルメス知を動的深層において提示しえていた哲学者だったことが、はっきりした。この哲学者は「理解できないものに対する理解としての世界理論」にこそ、関心を寄せつづけていた。

現象学者ハインリッヒ・ロムバッハ
ロムバッハは、ヘルメス学と並行して、構造存在論や構造の深層現象学を展開した。日本には『科学論』『形象は語る』(創文社)、『哲学の現在』『現象学の展望』(国文社)などが紹介され、影響を及ぼしてきた。たとえば、西條剛央が提唱し、ふんばろう東日本支援プロジェクトが活用した「構造構成主義」は、ロムバッハの構造存在論をベースの一つとしている。

 書きっぷりがおもしろいということについては、冒頭の「手引きに代えて」という序文にして、はやくもぶっとんでいる。以下のような感じだ。
 この手引きには、マルク・シャガールの《赤い屋根の家並》のカラー図版が掲げられていて、その図柄の説明になっている。けれども、どうしてこの絵が『世界と反世界:ヘルメス智の哲学』という大胆なタイトルの本の手引きになるのかということは、まったく書いてない。
 そもそも美術史学界でも、シャガールがヘルメス知やグノーシス知に傾倒していたなどという記述を、これっぽっちもしてこなかった。だからシャガールの絵のどこがヘルメティックなのかは、よほどの研究者でないとわからない。それにもかかわらず、ロムバッハはシャガールにはヘルメス知が動いていたと見抜き、それを暗示的に知ることが重要だとみなしたのだ。
 シャガールの絵はどれもとても不思議なものだけれど、《赤い屋根の家並》もたいそう象徴的である。真ん中のベルトに描かれた赤い屋根の家並は、画家の故郷のロシアの古い町ウィテブスクらしく(現ベラルーシ)、ふわりと浮いた赤毛のシャガールがこの町に敬意をこめて身を曲げている。上方に斜めに描かれた菫色の町は第二の故郷ともいうべきパリで、その中央には緑の木々が繁る。下の石畳のようなベルトには上半分が男性で下半分がさかさまになった裸婦がつながったままの姿で花束を捧げ、石畳には小さな馬車が走る。
 この3つのベルトがそれぞれ「世界」をあらわしているようなのだが、それらとは一見離れたところ、絵の右上には、黄色とピンクに塗られた月のような二重円形が描かれる。その円形を背景に司祭のような人物が大きな包みをもって佇んでいるのも妙なのである。
 けれどもなぜか、ロムバッハはこの程度の説明をするだけで、「世界は多様にできている」ということと、「最低」なものと「最高」なものは分け隔てなく承認されるべきだということとをシャガールが熟知していたことだけ暗示して、本論に入っていくのだった。これは、かなりぶっとんだ書きっぷりだろう。あれよあれよ、である。シャガールの絵がそうだというより、ロムバッハがシャガールの絵をデヴィッド・ボウイにしている!

シャガール「赤い屋根の家並」(1953)
シャガールの故郷ウィテブスクは、1730年代からユダヤ教ハシド派の中心地であり、カバラが浸透していた。東欧系ユダヤ人の家庭で生まれたシャガールも、祈りによって充たされる生活を送っていた。図版は1953年に制作された《赤い屋根の家並》。右上の司祭らしき人物が持つものは、ユダヤ教の聖典トーラーではないかという説もある。

 本書には「序に代えて」だけでなく、本文でもいくつもの絵や図版や写真が登場する。本書でなければ一同に会さない図版ばかりだ。
 たとえばヘルメス神の図像、ボッティチェリの大天使像、デューラーの《バイブルを貪り食うヨハネ》、ボッシュの《十字架を担うキリスト》、ルーベンスのアポロン画、フリードリッヒの風景画《海辺の僧》、アントン・シュトルムの天使像、ワーグナー(1600夜)の《タイホイザー》の舞台写真、マックス・エルンスト(1246夜)の《盲目の泳ぎ手》、フィリップ・ルンゲの光の絵、ピカソ(1650夜)の《アヴィニヨンの娘たち》、茶道の写真、星の王子さまの絵、ダリ(121夜)が戦闘シーンを描いた部分のアップなどなどだ。
 けれども、こうした図版のそれそれの掲載理由は、つまり、どこがヘルメティックなのかということは、詳しくは説明されない。本書は、形象と構造からやってくる直観にひたすら訴える本なのである。これらの図版はことごとくキング・クリムゾンか、さもなくば稲垣足穂(879夜)なのだ。

ヘルメス知の形象
デューラー《バイブルを貪り食うヨハネ》(左上)。ヨハネがバイブルを書き換えることによって、黙示録の著者となった様子を描いた。
ボッシュ《十字架を担うキリスト》(右上)。浅薄と偏狭に満ちたたくさんの顔の中によってキリストの内面の光をあらわした。
フリードリヒ《海辺の僧》(左下)重々しい景色を見つめる祭司が経験する。神性の表出として自然を描写した。
エルンスト《盲目の泳ぎ手》(右下)。絵を回転させることで二つの表現を含んだ絵画となる。ある位置では眼は開き、別の位置では盲目だ。

 以上の事情がなんとなくはわかってもらえたとして(まあ、わかりにくいだろうけれど)、それではそろそろヘルメス知がどういうものか、ロムバッハの書きっぷりを借りながらも勝手な案内をすることにする。まずは、ヘルメス知はなぜヘルメス神にもとづいたのかということだ。一言でいうと、この神さまはやたらにチャーミングなのだ。
 古代ギリシア神話では、ヘルメス(Hermes)は神々の使者の代名詞である。神々の使者ということは、古代都市国家社会を出入りする最高の「情報伝令者」であるということになる。ゼウスらの最高位の神が命じた出来事を準備する知恵者であって、用意周到なディレクターであった。ローマ神話ではメルクリウス(英語読みではマーキュリー)と名前を変える。
 父はゼウス、母はアトラスの娘のマイアで、ヘルメスはアルカディアの山深い洞窟の中で生まれた。アルカディアはペロポネソス半島の中央部に古代アルカディア人が住んでいたという土地で、農耕には適さず、もっぱら牧人がのんびり牛や羊を飼っていたので、ギリシア人からは理想郷のように想像されていた(いまでもアルカディアという言葉は理想郷の代名詞になっている)。
 ヘルメスという名がどのような理由で付いたのかは、定説がない。古代オリエントや古代ギリシアで道標や境界石をあらわしたヘルマ(堆積石・積み石)に由来するのではないかと、ロムバッハは推理している。ヘルマは「ヘルメスの柱」とももくされた。そうだとしたらヘルメスは諸世界神であり、諸世界を隔てる神だったのである。
 ヘルメスがそういうノーマッドなアルカディアからやってきたとする伝承も多く、そのためホメロス(999夜)によると、ヘルメスはオリンポスの神々のうちで最も雄弁で、地下世界である冥界に通暁し(Chthonios)、人間に最も好意的な神として「魂の同伴者」であろう(Psychopompos)、とみなされてきた。

熟練と機敏の神ヘルメスと理想郷アルカディア
上図はローマ国立博物館所蔵のヘルメス像。この像は雄弁の神として作られたが、ヘルメスはそのほかにも伝令、商売、交易、交通、格闘、さまざまな競技、盗み、発明、策略、賭博、音楽、牧畜など、熟練・機敏を要するもののすべてを司り、幸運と富の神でもあった。下図は理想郷アルカディアを描いたトマス・コールの作品。ヘルメスはこのアルカディアで生まれたと言われる。

 異母兄弟にアポロンがいた。有名な神話エピソードだが、子供のころのヘルメスは兄アポロンが大事にしていた乳牛を盗み隠し、それを父に見抜かれたため、のちのちまで詐欺と窃盗と奸智の神とも言われた。
 そういうヘルメスはたいてい「二匹の蛇がからまった杖」をもち、「翼のはえたサンダル」をはいた姿で描かれることが多い。この杖は乳牛事件のあとに仲直りしたアポロンから貰ったもので、ケリュケイオンの杖(伝令の杖)という。ラテン語ではカドゥケスで、その形をあらわしたエンプレムはその後は占星術では水星の、錬金術では水銀のシンボルになった。
 ヘルメスは何かと気が利いた神であったので、さまざまな場面で活躍した。ディオニュソスが産まれたときにヘラの目から赤児をすばやく隠したのはヘルメスだったし(1774夜参照)、ヘラ、アテナ、アフロディテが美の幵(けん)を競いあったとき、地上に舞い降りて牧童パリスによる審判をとりもったのもヘルメスだった。
 あまり知られていないかもしれないが、両性具有のヘルマプロディトス(エルマフロジット=アンドロギュヌス)はヘルメスとアフロディテのあいだに生まれた子で、牧神パン(パーン)はヘルメスとペネロペのあいだに生まれた子であった。ヘルメスはたくさんの女神と交わった「好き者」でもあったのである。

境界の神
ヘルメスという名は、道標として知られていた堆積石(ヘルマ)に由来する。BC6世紀頃から、この積み石が様式化し、道祖神のような「ヘルメス柱像=ヘルマ」が出現した。柱状の四面を持ったヘルマが現在まで続く警告標識の元になる。ヘルメスは境界を見張る神でもあった。図版は、様々な種類のヘルマ。

媒介する蛇
占星術では水星は、知性とコミュニケーションを意味し、錬金術では水銀は自然と人工を繋ぐ触媒として重宝された。ケリュケイオン(カドゥケウス)の杖がそれらのシンボルになったのは、ヘルメスが媒介者であったためである。窃盗の神は、情報の神でもあったのだ。(図版左はヘルメス、中央は賢者の石、右は水星のシンボル)

 多くのヘルメス像におちんちんが勃起して描かれたり彫像されたりしているのは、この手のものに目を伏せてきた良俗者や知識人には、とても困った形象に見えるだろう。ときにおちんちんはヘルメス像で一番目立っている。ダビデ像のようなだらんとした一物ではなくて、立派に勃起した男根なのである。
 これはギリシア語で「ファルス」(ファロス)あるいは「イティス」とよばれてきたシンボル的形象で、古代ギリシアのみなららず、どんな原始文化社会でも強調され、性の解放をあらわした。古代エジプトではオシリスの「失われた男根」として知られ、古代インドでは「リンガ」とよばれた。
 ちなみに、古代ギリシアのファルス信仰の実態については、エヴァ・クルーズの『ファロスの王国』I・II(岩波書店)という、とんでもなくスリリングな快著がある。ヘルメスの神像の「去勢」にまつわる真相にも迫っているのだが、あまりにフェチで微細にわたるので千夜千冊ではスキップしておく。
 男根はマッチョをあらわすわけではない。ギリシア・ローマ文化をルーツにもつその後のヨーロッパの民族文化史では、生殖器が目立つオブジェや彫像は、ふつうは豊産や牧畜文化を象徴する。おそらくヘルメスのおんちんもそれである。コペンハーゲンの国立博物館には紀元前515年の制作とわかっている壷絵が展示されているが、そこにはいままさに完成するというヘルメス像の男根に彫刻家がコンコンと鑿を当てている興味深い図が描かれていた。本書にも引用されている。
 あらかた察した諸君がいるかもしれないが、こういう特色をもつヘルメスは何かに似ている。そう、ディオニュソスに似ているのだ。そう、ギリシア神話では酔っ払いの演出神ディオニュソスとヘルメスとが格別の神なのである。両神ともノーマッドで、両神ともアポロン神との対比で語られ、両神とも中央支配から逸れていた。

豊穣に接合するファルス
アテナイでは、至る所に勃起したファルスが存在していた。左図は前述の、コペンハーゲンの壺絵(BC515年)中図は、ヘルマのファルスにとまる鳥。右はエジプトの神ミン(勃起した陰茎として描かれることが多い)。左下の縄文時代の石棒は、大地と大気の交わりを祈った。ファルスは男女の接合と豊穣の象徴であった。

 総じて、ヘルメスは情報のコミュニケーションに長けている。ヘルメスはそこかしこの多彩な人材(神々の魅力)と人知(神々の噂)に詳しく、何かと気が利いている神なのだ。とはいえ、ギリシア・ローマ神話ではそれだけで神話的英雄にはならないし、神学的中心人物にはならない。
 けれどもヘルメスがいなければ「世」(世界)はまわらない。ディオニュソスとヘルメスがいなければ官能がない。ホメロスが早々に「人間に最も好意的な神」だとみなしたのはそのせいだ。
 われわれの周辺にもこういう人物はたいていいる。小学校にも高校にも、大学にもサークルにも会社にも役所にもスポーツ界にも、いろいろなちびヘルメスがいた。かれらはリーダーになる気もセンターを占める気もなく、といって反逆するでも陰謀に走るのでもなく、ドロップアウトするのでもなく、やたらに人好きで情報収集がおもしろいので、そのつど「世」を表象しつづけているというヘルメス君やヘルメス嬢たちだ。
 つまりかれらはメディエーターなのである。メディエーターではあるのだが、新聞や雑誌や放送局をつくるとはかぎらないし、ありきたりな解説者になるとはかぎらないし、喫茶店やバーを開くともかぎらない。それなのにずうっと情報の動向とともにいる。情報の陰の部分にいつづける。
 これは世界の確定や反世界の逆襲の、そのどちらの立脚にもかかわらないということで、しかし情報の重なりぐあいや組み合わせぐあいにはめっぽう詳しいので、ちびヘルメスたちは世の中のどこにも継続的に蓄積されていない格別な「知」の体現者でありつづけたい、ということなのである。

境界を歩く者
ローマにおいてヘルメスはメルクリウスと同化するが、メルクリウス(Mercurius)という名はmerces(商品、財貨)に関係するとも言われる。ヘルメス同様、商人や旅人の守護神だった。英語読みするとマーキュリーとなり、水星(Mercury)と関係するのはこのためである。図版左はメルクリウスの肖像が描かれた500リラ紙幣。

たくさんのヘルメス
アポロンはヘルメスからもらった竪琴を奏でることで、ヘルメスと同じ役割を果たす(上図)。音楽は、全ての空間を満たし人々を繋ぐ。不倫を隠す目的で、ゼウスから百目の怪人アルゴスの排除を依頼されたヘルメスは、監視カメラを無効化するセキュリティ・ハッカーのようだ(下図)。メディエーターとしてのへルメスは、どの時代にもいるのだろう。

境界を歩く者②
ヘルメスは、知られざる世界、前もって考えることのできない世界へと導く、すべての道を司る神であった。そのため瞬間の神であり、プシュコポンポス(魂の先導者)でもあった。左と右上の図は、娘をハデス(冥界)に連れていくヘルメス。右図は戦争に向かう戦士と、別れの挨拶をするヘルメスである。彼は生と死の狭間を歩んだ。

 では、そんな、少しおっちょこちょいなヘルメスの名を冠した「ヘルメス知」というものが、その後にどうして知的な話題になってきたかというと、そういうコミュニカティブな情報伝承をひっさげたヘルメス神よりも「3倍も才能をもつ者」という意味の名のヘルメス・トリスメギストスという謎の人物が、ヘルメス君やヘルメス嬢のノートやブログをまとめ、それらを次々に編述していった文書群が仕上がったからだった。
 むろん仮想の編纂者が想定されてそういう事情になったのだが、これはヘルメスより3倍の編集をなしとげた「類いまれな知的編述グループ」が、実際にもヘレニズム時代の各所各時期に集中的に登場していたということであった。
 そういう知的編述グループがときどき歴史上のどこかに群れをなして登場してくることは、めずらしくない。旧約聖書をつくっていったユダヤ人、ヒンドゥ哲学を組み立てたウパニシャッド派や六派哲学の編述者たち、春秋戦国の諸子百家、新約聖書をつくりあげたパウロたち、マハーヴィラやブッダらの六師外道たち、いろいろ登場した。
 とはいえ、それらの多くは古代中世社会ではオーソライズ(権威化)をほしがり、強固な派閥を形成し、組織の巨大化をめざしていった。大教団や大宗派がこうして力をもつようになった。そのためメディエーターにとどまりつづけるものたちとその動向は、おおむねは排除されるか泡沫化するか、個人化して作家や造形家に転じるか、市井に紛れるか、そんなふうになった。墨子の思想、ミトラ教の教え、マニ教などは、まさにそうなった。
 一方、権威化された思想や巨大化をめざした組織には、失うものがかなりある。リクツに入らなくなっていくものが、そうとうにある。とくにロゴス(Logos)にならずにアナロジーの類例としてしか注目されなくなったものは数知れない。「普遍を謳う世界」のロゴスはそういうものを排除してきた。
 これでは世界は半分以下が語られてきただけなのだ。反世界も半分以下なのだ。ヘルメス知はその半分以下になりそうなところを編集した。
 話戻って、もともと構造存在論(Strukturontologie)や形象哲学(Bildphilosophie)に関心をもっていたロムバッハは、そういうヘルメス知にこそ世界と反世界の「あいだ」があると見定めたのである。

3倍も才能をもつ者ヘルメス・トリスメギストス
伝説の錬金術師ヘルメス・トリスメギストス(上図)は、ギリシア神話のヘルメス、エジプト神話の知恵の神トート、錬金術師ヘルメスの三者が融合した者と考えられている。「3倍も才能をもつ者」と呼ばれる由縁である。実際にはヘルメス・トリスメギストスは架空の存在であり、ヘレニズム時代、「類いまれな知的編述グループ」が彼の名を使ってヘルメス知を編纂した。

 本書の第3章は「覆蔵の内なる神」となっている。なかなかイミシンな章タイトルだ。ヘルメス的文化が歪曲され没落させられ、アポロン的原理が支配的になったヨーロッパ文明で、ヘルメス知がどのように変化していったのか、その意味(解釈力)を取り戻そうとしてきたのかをスケッチする。
 ロムバッハは多様な例をあげる。まずは「失われた羊」や「迷える羊」にまつわる話はすべて「ヘルメス知の変容を物語る」と見る。ヘルメス知は「失う」ということによって事態の本質を露呈させる力をもっていたとみなすからだ。
 天使がヘルメス的であるのは、境界をこえる宙ぶらりんな存在であるからだとも暗示する。天使はヘルメスの「翼がはえたサンダル」(タラリア)を脇に移して大きな翼に改造し、天を彷徨しているのだが、何かをいちいち創造することはない。気になるところに飛んでいくだけなのである。
 つまり天使はメディエーターなのである。けれどもそういう天使が何をしているのかがわかかるには、堕天使のように地上に落ちてしまわなければ、何がメディエートされていたかは気づかれない。ヘルメス知もそういうものなのだ。こうした天使をめぐる議論については、山内志朗の『天使の記号学』(岩波書店)などを読まれるといい。

神々を助けた有翼のサンダル「タラリア」
ヘルメスのサンダル「タラリア」(talaria)は、炎と鍛冶の神であるへーパイストスによって不朽の金を用いて作られ、どんな鳥よりも早く飛ぶことができた。このサンダルを履くことでヘルメスは足跡すらつけずにアポロンの牛50頭を盗み出すことに成功できた。有翼のサンダルは、ペルセウスがメドゥーサを退治することも可能にした。現在、タラリアはエアバス社の偵察機タラリオンとなって空を飛び続けている。

ヘルメス・クリオファロス、羊の犠牲を記念する人物
「失われた羊」とは、新たな羊の群れが得られることを示唆するヘルメス的原理のことである。キリスト教でも「善き牧人としてのキリスト」の姿が、肩に羊をかついだ姿であらわされる。「洗礼」が古き人間を殺すことで新しい人間が蘇る、新世界への境界を超える営みであったように、キリスト教にはヘルメス的な解釈がさまざまに含まれてきた。問題はこのことが深く隠され、アポロン的外観を身に纏ったことである。

 ファウストがメフィストテレスに売り渡してしまったものの中にも、ヘルメス知が入っていた。そもそも「メフィストテレスがアポロン的世界の光の中でヘルメスが出現するときの、ヘルメスの倒錯像なのである」。悪魔や魔女の世界(反世界)では、ヘルメスの杖が魔法の杖や魔女の箒(ほうき)に化せられるのだ。
 覆蔵とは覆われてしまったものをいう。その覆蔵の中に「内なる神」がいる。それこそがヘルメスであるが、そういうヘルメスを発見するには、ひとつには「星の王子さま」のように配慮によって隠された世界のヴェールを剥がすか、チャップリンの映画の主人公のように、剥がすたびに失敗がおこり、周囲が大混乱することに飛びこむしかないと、本書は述べる。
 星の王子さまとチャップリンがすこぶるヘルメティックだというのは、実にチャーミングな言いっぷりである。まさにそうなのだ。何に「なつく」かということと、何が「できる」かということは裏腹なのである。ヘルメス知も星の王子さまもチャップリンも、その「なつく」と「できる」の関係のぎりぎりぐあい(失敗ぐあい)を見せてきた。
 そう言われてもまだピンとこない読者には、ロムバッハはそういうことをもっとわかりやすく挑んだ聖人や詩人や哲人や画家や革命家として、アッシジのフランチェスカ、リルケ(46夜)、ハイデガー、ダリ(121夜)、バクーニン、アフガニスタン人を挙げる。それは、かれらにはヘルメスが救いの手をさしのべているのではなく、最も大事なことは「突き返す」ことだと確信していることに気がついているからだった。
 そしてこれらを引き算しながら混成させる方法をあらわせた者として、意外な思いをもつ読者もいるかもしれないが、ヘルダーリン(1200夜)とシャガールと、そしてなんと日本の茶人を挙げたのである。この引き合わせも決して意外ではない。ヘルメス知とは「数寄」の方法の体現でもあったのだ。
 ロムバッハは、要約するとこう結んでいる。――ヘルメス的世界は、最初はいつも反世界として登場する。ヘルメス的世界は既知の世界に還元されることを認めないし、協力しない、しかし、世界のほうがさまざまな展開のあげくに矛盾をきたすと、ヘルメス知は対抗的性格をさっさと解消する。こうしてヘルメス知は方法だけをタブローのようにのこすのである。
 諸君、タリバンが覇権をとったかに見えるアフガニスタンの動向に注目されたい。タリバンが支配しようとしているのは世界か反世界か、よくよく注視してもらいたい。

ウィッテンバーグの上空を飛行するメフィストフィレス
ファウストはドアの裏やベンチの下に聖書を置き、神学者と呼ばれることを拒み、医学者と称されることを好んだ。この物語の原型は、16世紀のドイツで成立し、演劇や滑稽な人形劇として低俗な楽しみの象徴として貶められていった。ファウストは人生に満足できず、悪魔メフィストフィレスと盟約して自身の魂と引き換えに果てしない知識と現世での至上感を得た。千夜千冊エディション「資本主義問題」第1章を参照されたい。

ヘルメティックな放浪者
本書でロムバッハは、「星の王子さま」と「チャップリン」という2人の放浪者が、隠れたヘルメス的象徴だと読み解く。一人ぼっちで旅をし続ける星の王子さまは、「なつく」という創造的な配慮が世界を生み出すこと発見し、ユーモラスな失敗を繰り返すチャップリンは、たえず新たな世界へと転落していく。ちなみにチャップリンの杖・靴・帽子はヘルメスの所持品を象徴しているという。
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タリバンはヘルメス的反世界?
アメリカ軍が撤退したあと、アフガニスタンのヘラートでタリバンがスピーチをしている様子。タリバンがつくりだす反世界は、新たな世界をつくりだすことができるのか。
(図版構成:寺平賢司・上杉公志・梅澤光由・富田七海・大泉健太郎・米川青馬・牧野越叢)

⊕『世界と反世界――ヘルメス智の哲学』⊕

∈ 著者:ハインリッヒ・ロムバッハ
∈ 訳者:大橋良介・谷村義一
∈ 編集:早山隆邦
∈ 協力:下村寅太郎
∈ 発行者:小川道明
∈ 発行所:リブロポート
∈ 装幀:加藤光太郎
∈ カバー印刷:誠和印刷株式会社
∈ 印刷:明和印刷株式会社
∈ 製本:大口製本株式会社
∈ 発行:1987年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ 手引きに代えて
∈ Ⅰ ヘルメス的原理
∈∈ 1 盲目の泳ぎ手
∈∈ 2 言葉の堆積
∈∈ 3 夜の讃歌
∈∈ 4 ヘルメス智と解釈学
∈∈ 5 アヴィニヨンの娘たち
∈ Ⅱ ヘルメス神
∈∈ 1 なぜある神か
∈∈ 2 ヘルメス神話
∈∈ 3 牧人の神
∈∈ 4 略奪と詐欺の神
∈∈ 5 見つけることの神
∈∈ 6 蛇の杖
∈∈ 7 閉じられたものの神と移行の主
∈∈ 8 境界の神
∈∈ 9 固有性の神
∈∈ 10 勃起象徴
∈∈ 11 飛翔の神
∈∈ 12 ディオニソスとパン
∈∈ 13 三倍大の者
∈ Ⅲ 覆蔵の内なる神
∈∈ 1 ヘルメス的仮装行列
∈∈ 2 ダヴィデとゴリアテ
∈∈ 3 ホレ婆さん
∈∈ 4 ベツレヘム
∈∈ 5 善き牧人
∈∈ 6 ファウストとメフィストフェレス
∈∈ 7 魔女の宴会
∈∈ 8 天使
∈∈ 9 童子天使
∈∈ 10 ゴルディオス王の結び目との取り組み
∈∈ 11 小さな風来坊
∈∈ 12 星の王子様
∈∈ 13 パラノイア的方法
∈∈ 14 火と感動
∈ Ⅳ アポロン神
∈∈ 1 出現の神
∈∈ 2 主キリスト
∈∈ 3 反対像
∈∈ 4 認識の誕生
∈∈ 5 中心の方から考える
∈∈ 6 判断と科学
∈∈ 7 技術の誕生
∈∈ 8 繁栄という考えの誕生
∈∈ 9 根本矛盾
∈∈ 10 渓流のウグイ
∈ Ⅴ ヘルメス的根本経験
∈∈ 1 侵入と根源(跳躍/ヨセフと兄弟たち/最初の明快な言葉/打つこと)
∈∈ 2 発見と道(出発/茶道/ヒエロニムスの卵/自然の道/隣人)
∈∈ 3 軽やかさと飛翔(ガニュメデス/流れ出る言葉/飛ぶ時間/蜂起)
∈∈ 4 世界(一体性/必要は発明の母/様々な秩序があり、決して単一の秩序があるのではない/夢)
∈∈ 5 微小性の法則
∈∈ 6 アルプス(新しい眼/帰郷/再構成/ヘルメス智から発生したアポロン学/出立と帰郷)
∈∈ 7 水準の向上をもたらすヘルメス智(高揚解釈/読解/黙示録)
∈∈ 8 諸世界間の差異と諸世界間の交わり(焚刑の薪/世界の多数性/諸世界間の交わり)
∈∈ 9 偽のヘルメス智(賢者の石)
∈∈ 10 呪縛(魔の山/ビーナス山/テロ)
∈∈ 11 作品のヘルメス智
∈∈ 12 存在のヘルメス智
∈∈ 13 水の精と未来(水の精/魚/時代の境目)
∈∈ 後語
∈∈ 訳者あとがき

⊕ 著者略歴 ⊕
ハインリッヒ・ロムバッハ(Heinrich Rombach)
1923年生まれ。著書に『科学論』(創文社、1980年)、『形象は語る』(創文社、1982年)、『哲学の現在』(国文社、1984年)、『現象学の展望』(国文社、1986年)、『実体・体系・構造 ― 機能主義の有論と近代科学の哲学的背景』(ミネルヴァ書房、1999年)など。

⊕ 訳者略歴 ⊕
大橋良介(おおはし・りょうすけ)
1944年生まれ。京都大学・ミュンヘン大学哲学部卒業。著書に『ヘーゲル論理学と時間性』(創文社、1983年)、『時はいつ美となるか』(中央公論社、1984年)、『”切れ”の構造』(中央公論社、1986年)など。

⊕ 訳者略歴 ⊕
谷村義一(たにむら・よしかず)
1940年生まれ。京都大学文学部卒業。訳書にE・T・A・ホフマン『ザントマン(砂男)』(東洋文化社、1987年)、「馬子にも衣裳」『ケラー作品集Ⅱ』所収(松頼社、1987年)など。