才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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グノーシス

古代末期の一宗教の本質と歴史

クルト・ルドルフ

岩波書店 2001

Kurt Rudolph
Die Gnosis 1977・1990
[訳]大貫隆・入江良平・筒井賢治
編集:中川和夫
装幀:司修

なぜグノーシス主義者はプラトン的なデミウルゴスを謗ることに目をつけたのか。のちにグノーシスは、しばしば「負」を引き取った思想とか、世界を「欠損」をかかえたものとみなした思想と言われるようになったのだが、それならでは、なぜそのようになったのか。

 光があれば影がある。善があれば悪があり、正なるものがあれば負なるものがある。光と影は対比され、正と負とは別々の方を向く。ときに華厳思想や陰陽道のように陽なるものと陰なるものが相反しながら絡んでいるばあいもあるが、世界はたいていポジティブとネガティブとに、進歩と退嬰とに、勝ちと負けとに分別されている。
 これを破ってきたのは長らく各地各民族の説話や文芸やメルヘンくらいのものだった。それでも砂男(ホフマン)やマッチ売りの少女(アンデルセン)が主人公になるには近代まで待たなくてはならなかった。
 世界の歴史の大半は正から邪を眺め、正統が異端を戒めるというふうに進んできた。いや、そのように後付けされ、そのように叙述されてきた。とくに法においては、正邪の峻別が根幹になった。「影」や「負」や「邪」が主語になることは、めったにありえない。「紛いもの」や「偽物」が中心にくることもない。それでは世界が堕落する。仮にそんなインチキがいっとき蔓延(はびこ)ったことがあったとしても、そのうち「影」や「負」や「邪」や「偽」は失墜させられ、批判や否定の対象なった。
 しかしながらそのようになったのは、きわどい歴史のぎざぎざの価値観のなかからあれこれの紆余曲折をへてようやく「善」や「正」が派生して、そのうち主語の座をぶん取ったものだったにちがいなく、何をもって正統とするかは、はなはだ微妙だったはずである。微妙どころか、歴史の栄枯盛衰では「正」「正統」「正義」は圧殺・暴力・蜂起・クーデター・奸計・収賄によって確立した例の方が多く、あとは勝てば官軍の権利として奪取されてきたものでもあった。
 やがて勝ち組がその獲ち得た「正」をまことしやかに語るにあたっては、正邪や正負のルーツもちだすことにした。そのためには「そもそも」の物語が必要である。「そもそも」のためには「そもそも世の始めにおいては」と語れる「そもそもの正邪」をもちだした。こうして溯行したルーツの、そのまたルーツには神々が居並んだ。神々の物語がつくられた。古代においては正邪の由来にリクツをつけるには、そういう神々をどう正邪化するかが分かれ目になった。
 ところがその神々の「行い」や「性」(さが)にしてからが、当初は正邪入り乱れ、アヤメ・カキツバタは分かちがたいものだった。「そもそも」もあやしかったのである。

 ギリシアの神々には「おかしい連中」はざらにいた。悪態をつく、女を漁る、権謀術数をこねくりまわす、けちんぼうである、嫉妬が激しい、邪魔が好き、傲慢だ、悪さをする、浮気が多い、嘘をつく、やたらに自己陶酔する、青年を誘惑する、いろいろだ。神が人に擬せられているかぎりは、当然だ。
 そういう神々が目立ってきたのは、ポリスとその周辺のように小さな領域での噂によるものだったからだ。ディオニュソスのように外からやってきて、しかも酔っ払いのような不埒を肯んじる神のことがわからなくなるのも、また当然だ。
 プラトン(799夜)の『ティマイオス』にはデミウルゴス(Demiurge)という造物主が登場する。デミウルゴスという名称はギリシア語で「職人」とか「工匠」という意味をもつので、プラトンはそういう工匠の中の工匠の王たる者を想定して、その造作王をデミウルゴスとみなし、そのデミウルゴスが自分の姿に似せて完全宇宙を創造したと仮定した。
 ただし、そのことを語るティマイオスは「万有の造り主であり父である存在を見いだすことは困難な仕事だ」「見いだしたとしても、これをみんなが理解できるように説明するのは不可能である」と言っている。なぜこんなふうに言ったのか、ここのところの解釈はなかなか複雑で、どうしてデミウルゴスの正体が説明不可能なのか、プラトンの対話篇の記述だけではわからない。
 そこで議論が噴出した。プラトンを継承するプラトン主義者たちは、プラトンはデミウルゴスがイデアを重視するはずの職人や工人の元締めでありながら、完全宇宙どころか、不完全を世の中にまきちらしたのだろうと見た。プラトンは、デミウルゴスがイデア界のありようを模倣してこの世に「不完全な似像世界」をつくりだしたことを問うたというのである。デミウルゴスが紛いものであるとすれば、この世が堕落している説明もつく。しかし、そういう解釈でいいのか。

ブレイクが描いた堕落した造物主
英国の詩人・画家であるウィリアム・ブレイクが表象した神話世界に、造物主デミウルゴスの面影を宿す人物、”鍛冶屋のロス”が登場する。図はブレイクの著作『エルサレム』に収録されている、鍛冶屋のロスと魔物の絵。ブレイクの神話体系では、ロスは世界を構成する四元素の一つ、アーソナが堕落した姿とされている。ロスは金床でハンマーを打ち(=心臓の鼓動のメタファー)、大きなふいご(=肺のメタファー)で火を吹いている。ブレイクにとって、現世の造物主は鍛冶工房に住まう堕落した神であった。

コンパスとハンマーを持つロス。隣に立つのはロス自らが創造したつがいのエニサーモン。ロスのコンパスは天地創造計画を立案する建築的な仕事を示唆する。グノーシス主義においてデミウルゴスもまた「世界の建築家」と呼ばれることがあった。

ブレイクは現世をデミウルゴスの被造物と見なしていた。ブレイクは現実から遊離することなく産業革命期の英国社会を「サタンの産んだ暗黒の工場」として直視していた。ブレイクにとっては現世こそが地獄そのものだったのだ。

 古代ギリシアのポリスの繁栄が晩期を迎え、地中海世界が大きく混じりはじめると、アレクサンダー大王に象徴されるようなヘレニズム時代がやってきた。西方文化と東方文化が混じり、エジプト・ギリシア・小アジア・中東・オリエント・インドが混淆していった。
 同じころ、ヘブライズムに大きな変化があらわれた。古代ユダヤ教が分派と変質をくりかえして、その一隅から原始キリスト教を生み出そうとしていた。
 この時期、すなわちヘレニズムとヘブライズムがほぼ同時に新たな世界大の変革に突入しようとしていた時期、プラトン的な意味においても罪深いデミウルゴスを、ヤルダバオート(Jaldabaoth)と呼び換え、プラトンとはまったく異なる知の世界観を唱えた不思議な動向が胎動していた。グノーシス(グノーシス主義)である。ヘレニズム期、そういうことを唱える何人ものグノーシス主義者が登場した。
 ヤルダバオートはグノーシス主義を伝えるテキストとして注目されるナグ・ハマディ写本のひとつの、『この世の起源について』のなかで、おぞましい「傲慢な造物主」とみなされて登場する。
 そこまではプラトンの解釈を過激に仕立てたという程度だが、なぜグノーシス主義者はプラトン的なデミウルゴスを謗ることに目をつけたのか。なぜその名をヤルダバオートなどという名称に変えたのか。その点については、プラトンの修正という程度のものではなかったと言わざるをえないものがあった。それは時代のせいか(←ヘレニズムの拡張)、信仰のせいか(←ヘブライズムの変質)それとも、他に何か隠さなければならないことがあったのか。
 いろいろ憶測されるところだった。のちにグノーシスは、しばしば「負」を引き取った思想とか、世界を「欠損」をかかえたものとみなした思想と言われるようになったのだが、それならでは、なぜそのようになったのか。
 この話はグノーシスの思想の特色を描くにあたってのごくごく一部の例にすぎないが、推して知るべし、グノーシスにはこうした「変更」を「正負の逆転」において決定的にしたいという動機があったようなのである。

グノーシスには”蛇”がつきもの
グノーシス思想が宿る表象には蛇のシンボルがつきまとう。図は紀元3世紀頃に活躍したとされる錬金術師クレオパトラのウロボロス。自らの尾を飲み込むこの蛇の姿は、世界創造と永劫回帰を象徴している。

創造の誤謬、裏切の祝福
左図は16世紀ドイツの芸術家アントン・アイゼンホイトによって、うわべの美しさに対する寓意像として描かれた異端の女神ソフィア。足元には人喰いのマンティコラがはべっている。どちらも蛇のような尾が生えている。プレーローマの最下層に位置するソフィアは、至高神と同じように自分の似姿を発出したいという願いに囚われ、他の霊の同意や交渉もなしに、内なる情欲を身勝手に強め妊娠する。流産の結果あらわれたヤルダバオート(右)は母親の姿に似ておらず、蛇の体、ライオンの頭をもち、目は火のような光を放っていた。ヤルダバオートはこの世界を見渡し自分以外には水と闇しかないため「自分を超える神はいない」と豪語した。この愚神は”勘違いの傲慢”を携えて世界創造を進めていく。

楽園からの脱出
図はジュリオ・クローヴィオが制作した装飾写本『Farnese Hours』(1546年)の中の一頁。2世紀頃のグノーシス主義の一派であるオフィス(Ophis)派は「拝蛇教」という訳語があてられる。オフィス派は、旧約の創世記で知恵の実を教唆する蛇はむしろ、アイオーンが人間に知識を授けるためこの世に遣わしたものだと信じていた。ヤルダバオートが次々に悪神や欠陥の生物を作り上げていくのを横目に、アイオーンであるソフィアは「教示者」としてのイブと蛇を創造し現世に派遣していた。そして楽園の数ある樹の中で唯一食べてはならぬ実をつける。この樹の名こそ叡智、すなわち”グノーシス”であった。失楽園とは人類の原罪が誕生した忌まわしき記憶ではなく、人類の祖がヤルダバオートの支配から脱出する物語だったのである。

 本書はクルト・ルドルフがハンス・ヨナスの先駆的グノーシス研究にもとづいて、これをナグ・ハマディ文書の解読を通して全面的に組み上げなおしたものである。今日のグノーシス研究の大半がルドルフの本書をキーステーションにしている。
 キーステーションは①「資料」、②「本質と構造」、③「歴史」、④「展望」に分かれて解説されているが(本書はそのような構成になっている)、ふつうに読むと、①「資料」はナグ・ハマディ文書の全体と細部に及ぶので、めくるめくものではあるが、研究者でないかぎりはあまりに繁雑に感じると思う。
 ③「歴史」はグノーシス胎頭の歴史のことであるが、グノーシスが隆起したのは2~3世紀を頂点として、長く見積もっても「ヘレニズム→ローマ社会→初期キリスト教期」に集中していることなので、あまりに短期に各派の主張が込み入って並唱されているので、わかりやすい編年にはならない。数派の活動を追うのがいいだろう。その数派はエイレナイオス派、ヴァレンティオス派、マンダ教、マニ教といったキリスト教側からこっぴどく異端視され論駁されてきたものなので、主張と論駁の両方から特色を浮き彫りにせざるをえず、理解するにはやはり複雑になる。
 ということで今夜の千夜千冊は、②「本質と構造」を中心的に覗いておくのがいいだろうと思う。ここはルドルフが大きく「グノーシス神話の特質」「二元論の特徴」「宇宙論」「人間論」「救済論」「魂の帰昇」「終末論」「共同体・祭儀」というように解説している。それでも順に紹介するのは詳しすぎるか、さまざまな重複がおこりすぎるので、以下では思いきってかいつまむ。
 ちなみに今日のグノーシス研究は、1966年のメッシーナ提言(研究者たちの国際会議での提案)にもとづいてナグ・ハマディ文書の共同管理と用語法と起源仮説に、おおむねもとづくことになっている。

クルト・ルドルフと原著『DIE GNOSIS: Wesen und Geschichte einer spätantiken Religion

グノーシス主義を定義したメッシーナ提言
イタリアの”つま先”からシチリア島に渡ったすぐの場所にあるメッシーナ大学。1966年のメッシーナ提言の舞台となった。13世紀の終わりには法科学校が存在し、古くからギリシャに関連した事柄を学ぶ場であったが、正式な大学になったのは16世紀のこと。教皇パウロ3世によって設立された。提言に至った国際会議は、国際宗教史協会、イタリア宗教史協会、イタリアの教育省、メッシーナ大学の協力のもとで行われ、ヨーロッパ中の69人の研究者が参加し、15のレポートが発表された。日本からは、荒井献が出席及び報告を行った。グノーシス主義に関して語る際、今もってなお、これらの報告が基本的な共通認識となる

 では、かいつまむことにする。グノーシスの核心的思考の特徴は「世界が堕落している」という見方から生じてきたのではない。もともと神的な世界で生じたにちがいない本来の霊魂(プネウマ)の「火花」のような核心的なものが、いつしか死の支配するこの世に落ち込んでいるのだとみなし、これをもとの状態に戻すためには、世界と自身とが神的な対応性によって同時に覚醒していかなければならないという考え方から来ている。
 このばあい、古代ギリシア哲学が想定したコスモス(宇宙)こそが秩序をもって調和をはからっていたという見方を、前提にしない。そのコスモスと対比されるカオス(混沌)も前提にしない。これは造物主デミウルゴスの失敗を詰(なじ)るためではなく、出来の悪いコスモスとカオスともども覚醒しようとするからだ。グノーシスの世界観はギリシア的世界観を固定するのではなく、そのまるごとをいったん括弧の中に入れ、その括弧の全体に黒々とマイナス記号(負号)をつけるのだ。
 したがって覚醒は下方にも上方にも裏側にも向かう。そのためグノーシスでは、従来の大半の可視的なものや操作可能なものの彼方(彼岸)に「知られざる神」たちを括弧の外に想定し、それらが集まって充満をおこすのだと考える。この充満のことをプレーローマ(pleroma)という。

 プレーローマはいくつかのアイオーン(羅aion、英aeon)によって変転する。アイオーンはギリシア哲学では時間の神とみなされているが(古代ギリシアにはクロノスやカイロスもある)、グノーシスでは世界層のようなものになる。
 アイオーンは層をなしつつ天界と地上界に「宿命の目印」を見せている。この目印は必然・運命・宿命を司るヘイマルメネー(heimarmenee)が管轄する。これによって、星辰や星座をめぐる古代占星術が成り立ってきた。ちなみに運命や宿命はギリシア神話ではヘカテーが管轄し、そこから英語の“fatalism”などが派生した。
 ヘイマルメネーは必然・運命・宿命を司るのだから、世の中の「定め」の決定を牛耳りかねない。また、どうせ運命が決まっているのだからというので怠惰を許すことにもなりかねないし、悪なるもの(ダイモーン)の跳梁を許すかもしれない。後世、キリスト教で予定説がはびこり、哲学や科学では決定論が大きな力をもつことになるが、それらの思考法のルーツはここにあった。
 そこでグノーシスでは、そういう宿命(ヘイマルメネー)を決定づける動向を支配するものをアルコーン(支配者・頭目)と名付けて、ヘイマルメネーが必ずしもうまく作動しないということを強調した。
 デミウルゴスはそういうアルコーンの一人だった。グノーシスがあえてデミウルゴスを下級神の名であるヤルダバオートと呼び換えたのは、デミウルゴスを下の方に引きずり降ろしておきたかったからだろう。これはイラン神話(ゾロアスター教)における最高神アフラ(アフラ・マズダのアフラ)がインド神話(ヒンドゥー教)ではアスラ(阿修羅)という最下方の神に擬せられたことに似ている。
 しかしグノーシス思想は、このあたりを取り計らいあぐねているようにも思う。宿命論や決定論から逃れられてはいない。とはいえグノーシスは、のちのちミルチア・エリアーデ(1002夜)が古代宗教における「反対の一致」の妙と名付けたような「対」(シュジュギア)の認識をもって、反対が対決や隔離ではなくプレーローマによる回復や救済の機会の持続につながるようには、仕向けてみせたのである。

光(プレーローマ)の中の神々
グノーシス主義において、アイオーンは、最上の存在とされる”至高神”から生まれた神々。アイオーンは男女の対を成して序列を作り、30の神々が存在する。このアイオーンによって構成される上位世界をプレーローマと呼ぶ。プレーローマとは光に満ちた世界を意味する。左上の図は、プレーローマを図化したもの。上の「点」から、ペアになるアイオーンが幾何学的に表されている。最も下位のアイオーンにいるソフィアが、至高神の許可もなくデミウルゴス(創造神)を勝手に産みだした。左下の写真は有名なパンテオンで、元々はグノーシス主義の一つ、ミトラス教のものであった。中央部のオルクスから差し込む光や格天井は、プレーローマを表すとされている。
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逆説と再統合を見据えたミルチア・エリアーデ
エリアーデは、宇宙論、錬金術、ヨーガ、シャーマニズムを研究するうちに、至高神が最下方の神になるといった宗教上の地位の逆転に注目した。聖なる場所が生まれると同時に負の力も宿るという「反対の一致」という見方を唱え、宗教学会に衝撃を与えた。

 ハンス・ヨナスがグノーシス思想の特色を端的に「反宇宙的二元論」にあるとみなしたことで、この意味をめぐるさまざまな議論が飛び散った。ヨナスのせいではないが、誤解や曲解を招いているところもある。
 この言い方には現代思想的な意味での「反宇宙」論や「二元」論があるわけではない。反宇宙はギリシア的宇宙観を括弧に入れたということであり、二元論だというのは一元をめざす二元性が用いられているということである。クルト・ルドルフは「グノーシスは古代の宇宙論を前提としつつ、ただしそれをまったく別様に解釈し、細部においていくつか新しい要素を組み込む」というふうに、「グノーシスは一元論を背景とする二元論に組み込まれている」と説明した。
 ヘレニズムのグノーシス主義の認識にとって、世界は隷属されたままのものであってはならなかったのである。人間が宇宙や世界という「容器」(いれもの)の中にいるのなら、そこでそうしていること自身が覚醒や救済でなければならないはずなのに、むしろ世界の最善の部分は最悪のものと塗(まみ)れたままなのだ。そこで、こう考える(認識する=グノーシスする)ことにした。おそらく人間はそういう世界に転落したのであると。
 また、こうグノーシスする。ほんとうはそのような転落宇宙や転落世界とは別のプレーローマがあって、その組成にあたるアイオーンについてちゃんと認識すれば、覚醒や救済が作用するようになるのではないかと。
 グノーシス主義は、このようなことが原初においておこっていたと見た。そのため、すべての認識(グノーシス)を全稼働させて、原初の「知」の言い換えをしなければならない、その別様の語り方を獲得しなければならない、全編集してみたい、そう考えたのだ。これが「反宇宙的二元論」を認識の道具として活用していった理由にあたる。反宇宙的にならないと、ポリス的な「二元的正邪」のもとをひっくりかえさないと、当初の「知」とともに思考が進まないからである。
 こうしてグノーシスは「魂の帰昇」をめざせる認識に徹していこうと試みた。その語り方が、ナグ・ハマディ文書の『ポイマンドレース』『ヨハネのアポクリュフォン』、エイレナイオスの『異端反駁』、ケルソスの『真正な教え』などとして残った。しかしながら、これらを統合する機会はやってこなかった。なぜなら、多くは仕上がりつつあったキリスト教側からの批判に応えようとしたものであり、ナグ・ハマディにひっそりと隠された文書以外は、おそらくキリスト教によって撲滅されていったからである。

イエス最大の理解者は、裏切り者=ユダだった?
ユダの福音書の冒頭頁。裏切り者のユダのみが、唯一イエスから真実を授かったと告発する新約聖書の外典である。正統派キリスト教の考え方を覆すこの福音書は、グノーシス主義の性格を有するセト派(Sethians)によって書かれたものとされる。
過越(すぎごし)祭の直前、イエスはユダに「あなただけに真実を伝える」と打ち明ける。他の十二使徒たちの蒙昧、誤れる造物主=アルコーンによる世界創造の過程、そして世界も造物主をも超える絶対的至高神の存在。最後にイエスは自分を裏切って肉体という牢獄から神性を解放してほしいとユダに頼む。銀貨30枚の裏切りはイエスの教えの忠実なる遂行であった。

異端の宇宙観
2世紀のエイレナイオスを含む初期の神学は、グノーシスの覚知の立場に対して、ギリシア的な思想を取り入れることで普遍的に確立しようとした。それゆえに、異端視される宗派も多かった。
 左下は2世紀のグノーシス主義の一派であるオフィス派(Ophis)による天球図。宇宙は層状だと考えられている。純粋な霊(プネウマ)からなる神の王国の最上層が2層あり、霊と魂に支配される中間領域が2層あり、身体、魂、霊からなる地上の世界が5層ある。右はマニ教による宇宙図で、マニ教の宇宙論を表している。最も下層の人の住む8層の世界から、最も上層の光の世界までが描かれる。層状な宇宙観マニ教の教祖マニは3世紀の人。当時のメソポタミアは様々な思想・宗教が入り乱れていた。マニは幼少期からエルカサイ教団内部で育ち、キリスト教における、いわゆる「外典」を読み漁っていた。24歳の時教団を離れ布教を開始する。

ベーメがグノーシスした宇宙
16世紀の神秘学者ヤーコブ・ベーメの宇宙観の中には、グノーシス的なものの断面が覗き見える。ベーメは、ルター派のプロテスタントではあったが、神の起源を、何かによって根拠づけられることがない「無底」とみなした。「無底」には何もないが、中心も形もない「憧れ=あるかなきかの意志」だけが無限に広がっていて、他の「あるもの」を求め、その意志が充溢すると「無」が発生する。その無が、鏡に映すように自己を認識した時に神は顕現すると考えた。
ベーメ自身、15分間の神秘体験を経験し、森羅万象の一切を見たと述べている。その宇宙観を示したものが右の図。一番上に「THE TRUE PRINCIPLES OF ALL THINGS.」(森羅万象の真実の原理)と記されている。一番上の円は「アドナイ」(神)、真ん中の半円の接触は、光と闇がぶつかっている様子。右下と左下の心臓のような壺には「sursum corda」とラテン語の記述があるが、3世紀以前からキリスト教で使われた祈祷文で、意味は「lift up your hearts(心を上昇させなさい)」である。
(図版構成:寺平賢司・梅澤光由・大泉健太郎・衣笠純子・上杉公志)


⊕『グノーシス――古代末期の一宗教の本質と歴史』⊕

∈ 著者:クルト・ルドルフ
∈ 訳者:大貫隆・入江良平・筒井賢治
∈ 発行所:岩波書店
∈ 発行者:大塚信一
∈ 印刷・製本:三水舎
∈ カバー:半七印刷
∈ 装幀:
∈ 発行:2001年12月14日

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ 序言
∈∈ 第二版への序言
∈∈ ポケット版への序言
∈∈ 旧約・新約聖書諸文書略号表
∈ 資料
∈∈ 反異端文献と近代の研究史
∈∈ 「反異端論者」たちと彼らの作品
∈∈ かつての資料状況
∈∈ 研究史
∈∈ ナグ・ハマディ発掘とその意義
∈ 本質と構造
∈∈ グノーシス主義イデオロギーおよび神話の基本的特質
∈∈ 二元論
∈∈ 宇宙論と宇宙創成論
∈∈ 人間論と人間創成論
∈∈ 救済論および救済者論
∈∈ 魂の帰昇と世界の終末
∈∈ 共同体、祭儀、および行動様式(倫理)
∈ 歴史
∈∈ 史的前提と成立要因――グノーシスの起源の問題
∈∈ 初期の教派と体系
∈∈ 二世紀における大がかりな体系形成
∈∈ マニ教
∈∈ 生き残り――マンダ教徒
∈ 展望――変容と影響史
∈ 略号表
∈ 原注
∈ グノーシス関係年表
∈ 訳者あとがき
∈ 小見出し目次
∈ 図版出典一覧
∈ 参考文献
∈ 事項人名索引
∈ 地図

⊕ 著者略歴 ⊕
クルト・ルドルフ(Kurt Rudolph)
1929年、ドレスデンに生まれる。旧東独のライプツィヒ大学で神学・文学の学位を取得。長く、母校の宗教学担当教授の職にあった。1984年、アメリカに転出するが、86年、ベルリンの壁崩壊の3年前にマールブルク大学文学部の招聘を受ける。研究領域および著作は、初期のマンダ教研究を中心として、ナグ・ハマディ文書、マニ教、初期キリスト教、コーラン、一般宗教学理論まで、広範かつ多岐にわたっている。

⊕ 訳者略歴 ⊕
大貫隆(オオヌキ タカシ)
1945年生まれ。専攻、新約聖書学・古代キリスト教学。東京大学大学院総合文化研究科教授

入江良平 (イリエ リョウヘイ)
1950年生まれ。専攻、心理学、特にユング心理学。青森県立保健大学健康科学部教授

筒井賢治(ツツイ ケンジ)
1965年生まれ。専攻、西洋古典学。東京大学、成城大学非常勤講師。