才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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偶然性・アイロニー・連帯

リベラル・ユートピアの可能性

リチャード・ローティ

岩波書店 2000

Richard Rorty
Contingency, Irony, and Solidarity 1989
[訳]斎藤純一・山岡龍一・大川正彦
装幀:桂川潤

トロツキーと野生の蘭?
リチャード・ローティはこのAIDA(間)にいて、
カント以来の“哲学さま”を傍若無人にぶっこわす。
そして、新たな知の組み替えの方法と方向を
自身の好みだけでリスク・テイクする。
このやり口に当時の思想界は呆れ、
祟りがないようにとローティを遠ざけてきた。
が、そこには、コンティンジェントな意味の創発と
負の想像力による連帯が、ひらひら躍っていた。
おっ、これは見逃せない。何かが萌芽する。
ただし、この男、ちょっと変わっているので、
多少の水先案内を買って出たい。

 本書のタイトル『偶然性・アイロニー・連帯』の「偶然性」は、チャンスやアクシデントやオケージョンではない。英語の原題は「コンティンジェンシー」(contingency)である。
日本語にするなら「偶有性」としても「偶発性」としてもいいだろうし、また深みをこめて「本来的偶然性」とか、やや哲学的に「別様可能性」というふうに理解してもいい。もっともぼくには、前々夜にものべたようにコンティンジェンシーという用語はそのまま使ったほうが、この言葉がもつ多義的なニュアンスがいきいき活躍すると思われる。
とはいえこの概念、にわかにはわかりにくい。前夜のルーマン社会学の案内(1349夜)の「ダブル・コンティンジェンシー」でおよその見当がついただろうとは思いはするが、念のため説明しておきたい。

 コンティンジェントであるということは、まずは偶然性や偶発性に自覚的になるということである。次に、そこにはオプションとリスクの発生とそのハンドリングが発生し、そこに自身の動向が前方に向かって投企されるということである。
つまりは、自身におこった偶発性や偶然性を、その来し方と行方を情報知覚して、そのコンティンジェントな機会によって出入りした出来事・情報・知覚・思索のいっさいを新たに編集していくということ、これがコンティンジェントであるということになる。
 1348夜にも書いておいたように、コンティンジェンシーは辞書的な定義では、出来事がたまたまおこったときに「まさかこんなことがコンティンジェントにおこるとは思わなかった」というふうに使う。ということは、偶発的な出来事によって付随しておこるかもしれない一連の出来事は、ことごとくコンティンジェントなのである。
それゆえこの言葉には、不確実なこと、不確定なこともコンティンジェントな可能性としてすべて含まれる。生起するかもしれない可能性のすべてがコンティンジェンシーなのだ。ここには「偶然の本質」がかかわっているとともに、「生起の本質」がかかわっている。
 そうだとすると、システムやわれわれがコンティンジェントであろうとするとは、どういうことかといえば、次のようにパラフレーズすることができる。コンティンジェントな当事者や当該システムが新たな事態(=現在)にさしかかったときに、そこに連なる歴史や思いちがいや創発的な発見を、たとえ当初の方針や目的から軌道が逸れようともそのまま引き受けていくという偶発的投企に、当事者が当該システムがあえて向かっていくということ、それがコンティンジェントな態度や方針である、というふうに。

 ローティは本書において、このコンティンジェンシーをたいそうメタフォリカルに扱って、言語や自己や共同体の本質そのものにあてはめた。言語の本質も自己の本質も共同体の本質にもコンティンジェンシーがかかわっていると見たのだ。
 いわば新たな「偶然性の哲学」の開陳なのである。これは、かつてニーチェ(1023夜)や九鬼周造(689夜)などによる例外的な思索の試みがあったとはいえ、またぼくにとっては遅きに失するほどの指摘に思えるけれど、今日の欧米の哲学のなかでは、きわめて大胆で異例な試みだった。
なぜ異例であるかということを説明すると長くなる。20世紀の構造主義、分析哲学、コミュニケーション理論の流れをあらかた説明しなければならなくなる。だからそこはとばしていくが、ともかくも結論だけいえば、今日の哲学では今日のポストモダン思想にいたるまで、言語・自己・共同体のすべてにコンティンジェントな関与を強調した哲学など、ほとんどというほどなかったのである。
 もしあるとすれば、たとえばハイデガー(916夜)の言説の一部、後期ヴィトゲンシュタイン(833夜)の一部、フーコー(545夜)の一部、ジャック・デリダの一部、ウィルフリッド・セラーズの一部、デヴィッド・パットナムの一部、イアン・ハッキング(1334夜)の一部、ドナルド・デイヴィッドソンの言説の一部などに、それぞれ別の説明によって試みられたにすぎない。
 それより、これはローティ自身が認めていることであるが、コンティンジェンシーを全面的に“思想化”しえたのはこうした思想家というより、むしろプルースト(935夜)やナボコフ(161夜)やミラン・クンデラ(360夜)といった作家たちのほうだった。
 だから哲学思想としては、誰も言語・自己・共同体に対して全面的にコンティンジェンシーを付与させるなんてことはしてこなかったのである。タルコット・パーソンズやニクラス・ルーマンが社会学でとりあげたことすら、例外的だったのだ。
 しかし、ローティはこの異例に挑戦した。それは本書の構成に如実にあらわれている。目次を見ればすぐわかる。全体が第Ⅰ部「偶然性(コンティンジェンシー)」、第Ⅱ部「アイロニズムと理論」、第Ⅲ部「残酷さと連帯」というふうになっているのだが、その第Ⅰ部は「言語の偶然性」「自己の偶然性」「リベラルな共同体の偶然性」で埋められたのだ。
 言語・自己・共同体が一気通貫にコンティンジェントに語られたのである。ごくかんたんに水先案内をしておく。

 一つ目の「言語の偶然性」とは、言語の本質がコンティンジェントであるということだ。これは、真理が言語と別にあるのではなく、言語だけが語彙と文章によってコンティンジェントに真理をあらわしうる唯一のものだということをいう。
 このことを最初に指摘したのは分析的言語哲学者のドナルド・デイヴィッドソンで、彼はすべての意味の出現は「パッシング・セオリー」でしかあらわれてこないと言った。
 パッシング・セオリーとは「つかのまの理論」とでも訳せるもので、言葉が「たまたま」と出会って放出されるそのときどきの「つかのま」の様子のことをさしている。ひらめき、集中、つまづき、乱用、誤用、顔面の緊張、会話、咄嗟の発言、つぶやき、ひょんな沈黙、らしさ、思いつき、ニュアンスの運びかた……、そして「ありとあらゆるメタファー」が、そのときどきの「つかのま」においてコンティンジェントに、それらを新たな意義に向かわせるというのだ。
デイヴィッドソンは、こう書いていた。「互いの話を理解したいのなら、二人にとって必要なのは発話と発話のあいだでパッシング・セオリーを収束させる能力を発揮することだ」。ローティはこのパッシング・セオリーを発展させた。
 もっとも、言語がコンティンジェントな機会をえて思想の本来を開くという見方は、ぼくからすれば編集工学的方法による「意味の掴まえ方」や「意味の創発の仕方」そのもので、なんらめずらしい考え方でもない。編集術とはほぼそのことをこそ重視する。
 けれども今日の哲学事情のなかでは(とりわけ分析哲学以降の事情のなかでは)、こういう見方をことさらに主張することは、いまだ格別の異例に属するものなのである。それはローティがここからさらに進んで、「哲学・芸術・科学の歴史はすべからくメタファーの歴史だ」と断平として公言するにいたったからでもあった。思索や表現の歴史をメタファーでくくるなんて、とんでもなかった。案の定、そういうローティを、哲学界はいったん冷笑しようとさえしたものだ。

 二つ目の「自己の偶然性」については、ニーチェやハイデガーがすでに、個体的で偶然的なものこそが普遍的で必然的だということを暗示していた。ニーチェは「真理はメタファーの一部に属する」とまで言っていた。
 ローティはこれらをヒントに、「メタファーによる再記述」こそが思想の端緒と方向を示すものであって、さらには「これまで一度も使われなかった言葉を用いることがコンティンジェントな創造性ではないか」という見方を提供した。これはわかりやすくいえば、「理性から発する理論には本来的なコンティンジェンシーが抜け落ちている」という指弾であった。
 こんなこと、当然である。発想する自己や構想する自己は、発想や構想の立案のなかから生じてくるのではなく、そのなかの“欠けたモデル”によってこそ充填されるのだ。おそらくローティもそういう見方に加担したのであろう。「メタファーによる再記述」とはそのことだった。
 しかし、このような見方もぼくにとっては必ずしもめずらしいものではない。清沢満之(1025夜)の「二項同体」「ミニマル・ポッシブル」や九鬼周造の「仮説的偶然」「悲哀にひそむ偶然」がそうであったように、あるいはまた、チャールズ・パース(1182夜)の「アブダクション」やマイケル・ポランニー(1042夜)の「暗黙知」に対するアプローチやグレゴリー・ベイトソン(446夜)の「相補的生成」やアーサー・ケストラー(946夜)の「偶然的本質」に対する接近の仕方がそうであったように、コンティンジェントな偶然という“feel”(感じ)を媒介にしない存在的な自己の印画紙なんて、何も現像ができていない自己写真なのである。
すでに九鬼周造は日本語の「自己」という概念にひそむ「自ら」という作用性を、「みずから」から「おのずから」への展出が含まれるとまで見抜いていたものだ。

 三つ目の「共同体の偶然性」については、社会学的には「自由」にかかわるコンティンジェンシーに関係があるのだが、これについては離学衆ほどにはローティはあまりうまく説明できていない。というのも、ローティは「自由よりもコンティンジェンシーを」と言いたいはずだろうに、そう、はっきり明示していないからだ。
 そのためこの議論においては、ローティが一見、文化相対主義の視点に立ったか、あるいはジョン・ロールズの自由や正義の論議やアイザイア・パーリンの「消極的自由」の視点を継承したかと思わせる。「消極的自由」とはパーリンの用語で、「積極的自由」が「~への自由」(to)であるのに対して「~からの自由」(from)を意味する。
 たしかにローティにはそういう相対主義っぽいところがある。それを非難する分析哲学やフーコー派やデリダ派も少なくない。しかしローティはそれでも突っ張った。そして結局は、共同体における「偶然性を承認することとしての自由」を謳ったのだ。これは、自由なんて絶対的なものはありっこないという態度であって、それよりもコンティンジェンシーだと言っているのに等しい。
 このこと、本書のなかでのローティ自身のいささか遠回しの説明によると次のようになる。(1)「共同体のコンティンジェンシーは詩人や革命家が生きられる社会をつくる」。(2)自分の言語や意識や倫理の最高次の産物とは、コンティンジェントな産物であると思える社会が自由な社会だとみなせることだ」。(3)「コンティンジェントに生まれたメタファーが字義通りのものになったとみなすこと、それをこそリベラル・アイデンティティであり、リベラル・ユートピアというものだ」。

 だいたいは以上のことが、ローティが「言語・自己・共同体」のそれぞれをコンティンジェントに語ろうとしたときの独得の航跡である。
 どうだろうか、わかりにくいとしたら、むろんぼくの水先案内要約にもよるが、ぼくのせいだけではない。ローティはそういう言い回しを好むのだ。
 なぜ、そんな「わかりにくさ」を好むのか。そこにローティの思索と表現の「あいだ」に本質的空隙があるからだ。「あいだ」(AIDA)があるからだ。このこと、ローティを“感じる”にはとても重要なところなので、少しく説明しておきたい。
 次のようなエピソードがある。本書の訳者たちの勧めにしたがって、未訳の『哲学と社会的希望』(1999)に収められている『トロツキーと野生の蘭』というローティ自身の自伝的ひとこまの話を紹介しよう。

 リチャード・ローティの両親は戦前の共産党員だった。両親はいっときトロツキー(130夜)の秘書を匿ったことがあった。少年ローティはそういう両親が誇らしかった。その両親の影響らしいのだが、ローティは12歳のころには、「人間としての大事なことは、社会的不正義との闘いに自分をささげることである」という仄かな確信をもつようになった。
 しかし他方では、12歳のローティはニュージャージー北西部の山に自生する野生の蘭の美しさにとても惹かれていた。その途方もなく官能的な美しさには「うしろめたさ」を感じるほどだった。
 では、「トロツキーと野生の蘭」をともに抱くにはどうしたらいいのか。W・B・イエーツ(518夜)は「リアリティと正義を単一のヴィジョンのうちに包含する」と言ったけれど、そんなことは可能なのか。
戦後直後の15歳(1945)、早熟のローティはシカゴ大学に入った。あのハイエク(1337夜)やフリードマン(1338夜)のいたシカゴ大学だ。ローティは大学にいるあいだずっと、「トロツキー」と「野生の蘭」の共生共存の方法を模索した。公共的な社会正義にまつわる思索と行動と、私的でエロティックなオブセッションの胚胎と露出を、どのように和解させたらいいのかという悩みだ。
 当時のシカゴ大学の哲学科では、レオ・シュトラウスが学生の人気を集めていて、「安定した絶対的なもの」が求められていた。そうしたなか、ローティは最初こそプラトニズムのなかで単一のヴィジョンを見いだすことを課してみたのだが、とうてい「トロツキー」と「野生の蘭」は和解してくれない。しだいにデューイらの相対主義に惹かれ、「合理的な確実性」にたいして疑いをもつようになっていった。
 大学での成果は得られなかったのだ。失望したローティをつねに慰めたのは自由な読書だった(いまでもローティは「自分は読書家にすぎない」と言っている)。なかでもヘーゲルの『精神現象学』とプルーストの『失われた時を求めて』(935夜)が心をゆさぶった。ヘーゲルからは「時代を思想のうちへ」という世界読書法を学び、プルーストからは「コンブレの有限性」がもたらす触知感覚を学んだ。これらは、われわれは「戻らない時間」(歴史)に対してもコンティンジェントな参加(commitment)をしうるということを、ローティに教えた‥‥。

 ざっとはこういう自伝的エピソードのひとこまだが、これでなんとなくはリチャード・ローティの「わかりにくさ」の契機、いやむしろ「わかりにくさ」に厭わずに向かうという意図のようなものが見えるのではないかと思う。
 ちなみにシカゴ大学のあとのローティは、アメリカ陸軍で謎めく勤務についたのち、ウェルスリー大学やプリンストン大学で助教授を務め、その後はプリンストン、ヴァジニア大学で哲学教授をするかたわら、ようやく1981年に『哲学と自然の鏡』(産業図書)において、積年の「トロツキーと野生の蘭」問題の“原因”を、現代哲学の現状を縦横無尽に告発することで鬱憤をはらしていくというふうになっていく。
 その間、パース(1182夜)とデューイのプラグマティズムに近いものを、いったんハイデガー、ヴィトゲンシュタイン、フーコー、デリダ、セラーズ、パットナム、イアン・ハッキング、デイヴィッドソンらに感じて接近し、しかしそれではやはり「トロツキーと野生の蘭」問題は解決できないと見るや、それらの言説の細部に分け入って、その言説に入ったり出たりするプロセスそのものを、自分自身がコンティンジェントになって書くとはどういうものかという課題に向かっていったのである。
 したがって本書はその課題への決着をつけるべく、いくつかの著作ののちに辿りついたローティ独特の“方法の書”であったといえる。しかし、その方法はすこぶるアイロニーに満ちることになる。
方法そのものがアイロニズムなのだ。なぜなのか。そのことについては本書の冒頭に、プラトンが「公正であることがなぜ利益にかなうことになるのか」という問いに答えようとし、キリスト教は「完全な自己実現は他者への奉仕を通じて達成できる」と考えようとしたが、この二つの背後にひそむ「公共性と私益性との融合の試み」は決して解決しないであろうと述べていて、ローティの方法があえて「アイロニー」のスタイルをとりこむことの必然が予告されている。
 本書の第Ⅱ部が「アイロニズムと理論」となっていて、そこでプルースト、ニーチェ、ハイデガー、デリダが検討されながら、アイロニーには「見えない連帯」が隠れていると言い切った。この書きっぷりに、ぼくには“方法の魂”の一端が伝わってくる。

 さてところで、このようなリチャード・ローティではあるのだが、この風変わりな哲人については、実はいまもって毀誉褒貶がはなはだしい。評価が定まらない。最も大胆で斬新なプラグマティストなのか、他者の言説を巧みに操るまったく新しいタイプの新保守主義者なのか。超分析哲学者? それとも反哲学者? いまだに騒々しい議論の渦中にいるままなのだ。
 評価が定まっていないのは、ぼくにはそれこそが大いなる勲章だと思えるが、世の中ではそうはいかない。思想界は、ローティに振り回されることが気にいらないのだ。それは『哲学と自然の鏡』が出版されたときのセンセーションからのことだった。
 ローティはそんなにおおげさな振り回しをしたのだろうか。どうもそのへんのこと、よくわからない。
ぼく自身のふつつかな感想をいうと、初めて『哲学と自然の鏡』(1981)を読んだときは、分析哲学を超える分析哲学者の風情や、今日の哲学議論の多くがあいかわらずカント以来の「基礎」(foundation)にばかり回帰しつつけるのを、一見瑣末で物語っぽく見える「会話」(conversation)や「共生」(conviviality)のほうに振ろうとしているスタイルを感じた程度だった。でも、ここにはなんだか新しい言いっぷりがあるなとも感じた。
 室井尚君(422夜)らが訳した『哲学の脱構築』(お茶の水書房・原著1982)のときは、『哲学と自然の鏡』で感じた“洒脱的思索”ともいうべき風情やスタイルが、フーコーやデリダに席巻されたアメリカの思想界を憂いてのことだっのたのか、そうかそうかという印象と、もうひとつは、ローティの言うプラグマティズムはデューイというより、チャールズ・パースのアブダクティブな思索態度に照準があるのだろうことを感じた。もっとも肝心のパースについての突っ込みが少ないのが気になった。
 それからもうひとつ、リオタール(159夜)によって終焉の鉄槌が下された「物語」の復活を説いているようにも感じた。

 そんな感想ばかりで、いっこうにローティが毀誉褒貶される理由の見当がつかなかったのだ。ということはぼくがローティを理解したとは言えないということだろう。
 むろん多少のことは見えていた。また友人たちからのヒントもあった。たとえば『哲学の脱構築』の解説を担当した吉岡洋が、ローティは「変更可能な枠組」を提供しようとしているのだろうとか、「説明と解釈のあいだ」に照準をおいているのだろうと説明しているのはヒントになったが、ぼくの怠慢でその後のローティを追うことはしないままだったのだ。
 20世紀が幕を降ろしたころ、日本にもやっとローティ論が登場した。渡辺幹雄の『リチャード・ローティ』(春秋社)である。大册だ。たいそう濃ゆい内容で、日本にもこういう過激で広範な議論ができる研究者がいることが嬉しかったのだが、その細部にも強靭な議論を及ぼす力にはややたじたじにさせられた。
 しかもここでのローティ像は、一方ではクワイン、セラーズ、デイヴィッドソンらをブレンドする“稀代のソフィスト”で、他方ではポパーの改良的社会工学、ハイエクの自由市場主義、ポランニーの科学共同体、バーリンの価値多元主義、オークショットの社交体(ソキエタス)的市民結社を自在に交ぜあわせる思想ミキサーとしての“ポストモダンの魔術師”といった、半ばはその腕前が称揚されているのだが、半ばはあきらかに揶揄された評判者になっていて、うーん、なるほど、そういうものなのかと思うしかないものだったのだ。
 これでは、さあ、それでどうするとはぼくのほうは決められない。いや、ぼくは現代哲学の事情にはめっぽう疎いので(今後とも詳しくなりたいとも思わないけれど)、そもそもこんなふうにローティが取り沙汰されているとも取り沙汰できようともは思わなかったのだ。

 というふうに、ローティについてはまだまだ議論すべき余地があるようなのだが、あらためて断っておきたいのは、ぼくが注意を促したかった今夜の狙いは、あくまで「コンティンジェントな可能性」を拓こうとしたローティの試みなのである。
ということは、前夜に話題にしたニクラス・ルーマンの「ダブル・コンティンジェンシー」との関連を、このあとの「千夜千冊」連環篇のために考えておきたかったということなのだ。話をそこに戻しておわりたい。

 ルーマンが、「意味」こそが社会システムの自己参照的な特徴を支えているモノとコトの正体で、それは不安定で不確実であるがゆえに、リスクとしての意味になっていると考えていたことは、すでに前夜に説明した。意味の創出にはリスクが伴っていて、そこにコンティンジェンシーがはたらいているということである。
 ルーマンはこのようなことを「コミュニケーション」の問題としてまとめようとした。そのため、意味がオプションを選択しながら社会システムにあらわれてくるところにコンティンジェンシーをおいた。そして、そのような“しくみ”はすこぶるオートポイエティックであろうと見た。またルーマンは、そうしたオートポイエティック・システムでは、言語がメディア的になっているとも指摘していた。“メディア言語”という言い方もしていた。
 リチャード・ローティはルーマンには一度も言及していない(と、思う)。関心ももっていないだろう。しかしながらぼくには、何かがどこかでつながっていると見えた。
たとえばルーマンが言語をメディアとみなし、そこにダブル・コンティンジェントな“しくみ”の歯車を見たことである。ローティもいわばメディア言語がすこぶるメタフォリカルなもので、そうであるがゆえに「意味」(哲学)はつねにコンティンジェントでなければならないとみなしたのだ。加えてローティは、そのようなコンティンジェントな「メタファーの再記述」はつねに社会歴史的なものを継承するということに気がついていた。
 ただ、プラトン=カント的な哲学やその延長では、そのようなメタファーやコンティンジェンシーが生かせないと結論づけていた。そこでローティは分析哲学の現状分析からその限界の告発をすることにしたわけだ。
ローティがこのような試みに向かったのは「トロツキーと野生の蘭」の扱いに困ったからでもあったけれど、そこには、ルーマンがバシュラールのいう「認識の障害」からの脱出をはかろうとしたことと、どこか共通のものがあるようにも思う。ルーマンにおいてもローティにおいても、社会学が社会システムに言及し、哲学が哲学システムに言及するには、そこに生ずる気配やノイズにこそ気がつかなければならないのである。「認識の障害」は逆転できるはずなのである。
 こうしてルーマンはそこにダブル・コンティンジェンシーという「はずみ」を切り出し、ローティはそこにコンティンジェントな「アイロニー」とコンティンジェントな「連帯」の萌芽を見たわけである。本書が『偶然性・アイロニー・連帯』となっているのは、そういう意図だった。

 さて、では、このコンティンジェントな思想はどういうふうになっていくのか。行く先はかなり多岐になるだろう。
たとえば、そもそもルーマンやローティも模索した「ポストモダン思想」の行方がどういうものになっていくのかとか、そこに覆いかぶさっている「市場主義」がどういうものになっていくのかとか、そこにまたがる「オプション」の思想はどういうものであるのかとか、「新たな経済学」の可能性はありうるのかとか、そっちのほうの話になっていく。今後の連環篇に期待してほしい。

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【参考情報】
(1)リチャード・ローティ(1931~)の著作で、上記したもの以外で翻訳されているのは、『連帯と自由の哲学』(岩波書店)くらい。これからきっとラッシュしてくるにちがいない。
ローティが「リベラル・ユートピア」というふうに、しきりに「リベラル」という用語を使っていることについて一言。ローティの言う「リベラル」とは、「残酷さこそわれわれがなしうる最悪のことだと考えること」、それがリベラルなのである。残酷から最も遠のくこと、それがリベラルであり、当初の偶然性(コンティンジェンシー)を認めること、それが自由なのだ。自由とは、まずもって偶然性の承認なのである。このローティの考え方はジュディス・シュクラーから借りている。

(2)本書『偶然性・アイロニー・連帯』には、巻頭エピグラフにミラン・クンデラ(360夜)の『小説の作法』からの引用文がおかれている。フランソワ・ラブレーの造語「アジュラス」についてクンデラが敷延した箇所で、笑えない者たちを意味するアジュラスを、笑えない者たちはその意味を理解できっこないという象徴的な指摘だ。ここに、ローティが本書にこめたコンティンジェントな意味論が巧みに暗示されていよう。

(3)上には書かなかったが、本書『偶然性・アイロニー・連帯』には、ディケンズ(407夜)、プルースト、ジェームス・ジョイス(999夜)、ナボコフ、ジョージ・オーウェルといった文学者についての感想がかなり深く述べられている。ローティはひとつには、これらの文学には「人間が犯す残酷」の本質が哲学以上に記述されていることを、もうひとつには、ローティが「物語」によるナラティブ・アプローチの可能性に哲学的記述以上の可能性を感じていることを強調したかったのであろう。
ローティが「物語」に可能性を見るのは、人間には「ファイナル・ボキャブラリー」(終局の語彙)とでもいうべきものが潜在しているとみなしているからだった。ファイナル・ボキャブラリーは地域的で、人生的である。ローティはそこには「インカーネーテッド・ボキャブラリー」(インカーネーションする言葉群)も「フェロー・コンティンジェンシー」(自分と同類の偶然性)も潜在すると見ている。それゆえ、このことを鮮烈にするには、ローティの言う「メタファーの再記述」が必要なのである。これを「リアレンジメント」(編みなおし)とも言っている。まさに「編集」である

(4)渡辺幹雄の『リチャード・ローティ:ポストモダンの魔術師』(春秋社)は、上にも書いたように、たいへん濃ゆい。腕に自信のある者はぜひ読まれるといい。
ところで、この本にはいささか気になることも紹介してあった。ローティには未訳の“Achieving Our Country”(1998)があって、そこではローティが政治的党派性をあきらかにして、学界左翼と文化左翼を蹴散らして「左翼による左翼批判」を徹底しているばかりか、アメリカというシステムの終焉を予見しつつ、新たな政治思想を用意しているかの印象を与えるようなことを書いているというのだ。これだけを見るとローティは「おやかまし」であって、かつ度し難い新保守主義思想を模索しているようにも思えるのだが、さて、どうなのか。ちなみに“Achieving Our Country”とは、ジェームズ・ボールドウィンの言葉からとったもので、「我々の国家を大成する」という意味になる。
なおローティについての評論は、大賀祐樹の『リチャード・ローティ』(藤原書店)もあり、こちらは渡辺のもの以降のもので、1980年生まれの著者の温度を感じるリベラル・アイロニー論になっている。また、パースの研究者でもあるリチャード・バーンスタインの『手すりなき思考』(産業図書)の2章ぶんにもあてられている。ハイデガー、フーコー、デリダ、ハーバーマスと論じたうえでローティを扱い、明日のプラグマティズムの可能性をさぐったものだ。『手すりなき思考』とはハンナ・アーレント(341夜)の言葉だ。

(5)ローティが大きな影響うけたドナルド・デイヴィッドソンについて一言。フレーゲ、タルスキ、クワイン、クリプキ、パトナムを継承してなお斬新で精緻な意味理論(theory of meaning)を展開したデイヴィッドソンについては、まだまだ十分な理解が得られていないように思う。とくに「メタファー」についての卓越した思考が辿りきれていない。邦訳には野本和幸らの勇気によって『真理と解釈』『行為と出来事』(勁草書房)があるが、きわめてシステマティックな論述で構成されていることもあって、すこぶる難しい。
デイヴィッドソンが考え抜いたことは、「どのようにして一人の話者は、他人の発する言葉について、それがどんなに些細なものであっても、ともかく理解することができるのか」ということを体系的に示すにはどうしたらいいかということだった。そこで「ラディカル・インタープリテーション」というモデルを設定し、見ず知らずの二人がどのように相手の言うことを理解していくかという考察を徹底し、そこに「図式」(scheme)と「実在」(reality)の図式の交換を見定めてていったのである。それはそれは天才的な仕事であった。そのうち千夜千冊することがあるかもしれないので、期待しないで待っていてほしい。
ところで、デイヴィッドソンを理解するにも、イアン・ハッキング(1334夜『偶然を飼いならす』)が、いい。『言語はなぜ哲学の問題になるのか』(勁草書房)がいろいろの示唆を与えてくれる。