才事記

こどもたちに語るポストモダン

ジャン=フランソワ・リオタール

朝日出版社 1986

Jean-Francois Lyotard
Le Postmodene Explique aux Enfants 1986
[訳]管啓次郎

 2000年6月から「ISIS編集学校」というネット上の塾のようなものをやっている。各教室を全国各所の師範代に担当してもらい、その教室に生徒が平均20人くらい入っている。
 師範代は新聞記者から主婦まで、生徒もプロデューサー・テレビディレクター・企業経営者・銀行員から、アーティスト・美容師・大学生・主婦、さらには中学生までいる。週に1本ずつ程度のテンポで「編集稽古」の問題が教室ごとに配信され、これに生徒がさまざまな回答を寄せ、それに師範代が指南をしていくというしくみである。言い出しっぺのぼくが校長です。

 この「ISIS編集学校」を見ていて、予想外ともいうべき師範代の指南力に、ほとほと感心した。感心していることはいろいろあるが、なかで、ああ、これがリオタールのいう「メテク」なんだという感慨が大きい。
 メテクとは古代アテネの居留外国人で、雇われ教師のことをいうのだが、パリではアラブ系の外国人を蔑称するのにも使われる。リオタールはそのメテクをこそ自分の生涯の使命としていたふしがある。師範代にもそういうところがある。
 メテクとしてのリオタールが永遠の哲学教師としてめざしていたのは、「その場で発見できる正しさを探る」ということだった。すでに近代的な知識人が終焉しているとみなしていたリオタールは、自分が何を語りうるかがわからないままに、つねにその場に臨んで正しい方向を“共に”探ることこそが、新たな「知」の創発を生むのだと考えた。

 リオタールはそのときに発見するものを「イディオム」とよんだり、「パガニスム」(異教の実行)とよんでいた。編集学校の師範代たちも、最初から正解をもってはいない。「編集稽古」のための“お題”はあるが、それをめぐって生徒とのあいだで交わされるコミュニケーションが時々刻々のイディオムの発見なのである。だから教室ではいくつもの“解”があり、各教室ではまたまったく別のたくさんの“解”が動いている。不肖の校長はこれにいたく感動しているのだ。
 リオタールは「知識人は終焉した」という発言とともに、「大きな物語は終焉した」という発言で話題になった。
 「大きな物語」とは、知識人や科学者や技術者がつくりあげてきた正当化のための物語ともいうべきもので、その社会の大きさに対応している。これに対してリオタールは、各自が断片にすぎないことを自覚して、決して“正当”や“正解”を議論しないですむ物語がありうると言って、これを「小さな物語」とよんだ。
 それはスッキリした問題解決ではなく、どこかに不透明なものが含まれるような問題提起であって、一定の場や普遍の場ではなくて「その場」に生まれるものであり、しかも活性化を促す方向性と、スタンダールのいう「スヴェルテス」(軽やかさ)をもっている。そういう「小さな物語」をメテクはナビゲートすべきだというのである。
 お察しのとおり、「大きな物語」はモダンの産物である。このモダンの物語構造をそれぞれが食い破って、仮設的でポストモダンな「小さな物語」が生まれていく。エフェメラルな「小さな物語」はあくまで臨場的であって、仮設工事でなければならない。本書が訴えているところでおもしろいのは、ここである。

 本書はタイトルを裏切って、子供向けの本ではない。「こどもたちに語る」というのは「次世代のために」といった意味だ。リオタールはそういうことを、よくする。
 実のところ、ぼくはリオタールの良い読者ではない。どちらかといえば、かったるい。読まずにすむなら放っておきたい口である。文章(エクリチュール)も自分の文章(エクリチュール)の分節に絡まれて、動けなくなっているときがある。それにもかかわらず本書を紹介する気になったのは、ISIS編集学校の師範代がメテクとしての努力を払いつづけていることを、なんとか説明したかったからである。