才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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バガヴァッド・ギーター

岩波文庫 1992

Bhagavadgît ≒1C
[訳]上村勝彦
装幀:岩波制作部

 【古典としてのバガヴァッド・ギーター】

 歳のせいか、最近は古典に立ち返ることが多くなった。近代以降の表現性と古典の表現性とは何が違って見えるかというと、古典の多くは今ふうにいえば「説教じみている」ということに尽きる。だから、何かを諭されているような気分になるため、若いうちは古典になじめない。
 もうひとつ、古典に特長的なことがある。それはどんなコンテンツやメッセージも複合的な物語と一緒にあるということで、それもたいていは神々の世代の物語とつながっているという特長だ。そのため物語だけでなく、メッセージもまたきわめて複雑に感じられる。これも今日の読者にはうんざりするところだろう。あるいは太刀打ちできないと感じるだろう。
 けれども神々の物語を含んだ古典を読んでいると、何度も何度も愕然とさせられる。ぼくの経験でいっても30代のころに悩んだ大半の問題がとっくに取り扱われていたのだということが、ずばずば告げられて、なんだ、あのときあんな失敗をしでかした問題はこんなにも古くから議論されていたのだとか、人間カンケーに悩むとはこういう古典の場面に詳らかになっているものなのだとか、そんなことが次々に見えてくる。
 古典とはそういうものなのだ。まして聖典となると汲めども尽きない何かが朝顔のように何度も咲きこぼれる。

 『バガヴァッド・ギーター』は古代インドの長大な叙事詩『マハーバーラタ』の中の短い一章ぶんにあたっていて、クリシュナが王子アルジュナに説いてみせた格別のギーターになっている。
 ギーターは神がもたらした詩歌のことなので、ギーターといえば「神の歌」である。ここではクリシュナがそのギーターを説いた。クリシュナはインドの神統譜では最高のバガヴァッド(=崇高神)が変身した神格であるから、このギーターはすなわち「バガヴァッドのギーター」なのである。
 バガヴァッドはヒンドゥイズムの体系ではヴィシュヌ神のことをいう。インド神話をあらかた知っていればすぐわかるだろうが、インドの創造神のブラフマーはヴィシュヌの臍から蓮の花がのびてが生まれた。ということはヴィシュヌが天地創世以前の最高神なのである。そのヴィシュヌの臍から生まれたブラフマーが世界を統治する。宇宙創成のビッグバンがブラフマーなら、そのビッグバン以前の原宇宙がバガヴァッドとしてのヴィシュヌなのだ。
 インド神話の研究者で、『千の顔をもつ英雄』などで多神教型の英雄伝説のマザータイプを解読してみせたジョセフ・キャンベル(704夜)が、最初に研究し、神々のなかで一番好きだったのが、このヴィシュヌ神だった。
 そういうヴィシュヌには多神教独特の性質がある。この世に降りてきて、幾つもの姿に化身ないしは顕現してみせるという超コスプレ性質だ。神話や説話では10の姿を見せる。この変身力をアヴァターラというのだが、そのアヴァターラのひとつがクリシュナだった。
 アヴァターラは中国や日本にも届いて、たとえば観音の三十三変化(へんげ)になったり、大日如来がお不動さん(不動明王)に輪身(りんじん)したりした。

横たわるヴィシュヌ神。ヴィシュヌの臍から創造神ブラフマーは生まれ、
ブラフマーの額からは破壊神シヴァが生まれたとされる。

 ヴィシュヌが化身したクリシュナは『マハーバーラタ』のなかではさらに身を変じて(身をやつして)、戦争や人生の戦略家あるいは指南役としての相貌を与えられている。しばしば「御者」と訳される。ハイパーディレクターとでもいえばいいだろうか。
 クリシュナがそういうアヴァターラのお役目をもっていたことは、物語の半ばすぎまでその意図はわからないのだが、読みすすむうちに「ああ、そうだったのか」と合点できてくる。その長らく正体不明だったクリシュナが、いよいよ『マハーバーラタ』の第6巻になって、悩み抜くアルジュナに対して驚くべき説諭をもたらした。
 その説諭の詩句が『バガヴァッド・ギーター』としての「神の歌」なのである。だから、これはやっぱりお説教なのだけれど、ところが、その中身がすさまじい。

【マハーバーラタについて】

 大叙事詩『マハーバーラタ』はとんでもなく長大だ。全部で18巻10万詩節20万行から成っている。典雅なサンスクリット(雅語)で書かれた。
 ホメーロス(999夜)の『イーリアス』と『オデュッセイアー』の二つを併せても2万7000行だから、いかに厖大か。手元に全集を置いてパラパラとページをめくってみないとこの物量感は伝わらないだろうけれど、ともかくとんでもなく長い。英訳から山際素男さんが重訳した三一書房版で全9巻、上村勝彦さんが原典から訳して途中まで進んで物故されたので中断しているちくま学芸文庫版で全8巻、抄訳のレグルス文庫でも全3冊になる。
 それもそのはず、『マハーバーラタ』の成立にはおそらく紀元前4世紀ごろから紀元後4世紀くらいまでの、ざっと800年の編集がかかっている。そのあいだに数多(あまた)の尾鰭がついた。聖書や仏典の場合は、それらを創世記、民数記、ヨブ記、般若経、華厳経、法華経などとクラスターごとに切り出して自立させたけれど、ヒンドゥイズムはそうしなかった。そのままえんえんとつなげていった。

 むろんどんなに長大であろうと、『マハーバーラタ』は物語なのだからメインストリームが流れている。
 一言でいえば、バラタ族の王位継承問題に端を発して同族のあいだでおこった対立と抗争と戦闘を綴り織った“戦記もの”なのである。同門が骨肉相争ったとはいえ、全体としては王族バラタの波瀾万丈・栄枯盛衰の物語なので「マハー」(大いなる)と形容され、「マハーなるバラタの一族の物語」と名付けられてきた。
 バラタ族の同門の部族の対立と戦争というのは、あとでおおまかな粗筋を紹介するが、パーンドゥの五人の子とドリタラーシトラの百人の子とが、互いに分かれて五王子を中心とする「パーンダヴァ」軍と、百王子を中心とする「カウラヴァ」軍となり、互いに権謀術数をくりひろげるうちに、この両陣営のあいだで決定的な諍いと行き違いがおこって、ついに戦闘に至ったというものだ。総称してバラタ戦争ともいう。
 両陣営は、物語のなかでは五王子のパーンダヴァ、百王子のカウラヴァというふうに言われる。この五王子と百王子とがなぜ戦ったのかということが、物語が縷々申しのべようとしていることだ。両陣営ともにさまざまな交渉と確執と裏切りと、そして作戦の展開と魔術合戦があった。

アンコールワットにある「マハーバーラタ」のシーンを描いた壁画。
五王子と百王子の戦いを表現している。 

 で、アルジュナ王子はこのパーンダヴァ側の五王子の一人なのである。勇敢な戦士として育ったが、さまざまな経緯があったためけっこうナイーブな心境をもっている。
 そのアルジュナがいよいよ血肉を分けた相手のカウラヴァ軍団と闘う段になってぐらぐら迷いはじめ、クリシュナがこれを鼓舞するためにギーターをもたらした。これが『バガヴァッド・ギーター』である。
 そうではあるのだが、そういう主筋の起承転結はせいぜいが全体の五分の一程度くらいのもので、あとは800年間の編集過程で随所におびただしい神話・説話・エピソード・伝承・論説・慨嘆がとりこまれていったので、いつしか『マハーバーラタ』の全体はこれらの縦横呑吐のプロット複合連鎖系になってしまった。
 よほど集中するか、手にとって何度か出入りしてみないと、物語の全貌はアタマに入らない。その複雑さはギリシア神話の比ではない。ジャン・クロード・カリエールの卓抜な戯曲があるとはいえ、よくぞピーター・ブルックがこれを9時間の舞台に演出したものだと思う。
 しかもパーンダヴァ軍とカウラヴァ軍の激越な戦闘の終結が両軍にもたらしたものは、意外なものだった。あらかじめ言っておくと、主筋の物語の起承転結の「結」は一応は五王子側の勝利になるのだが、この勝者たちは最後にはことごとく死んで、天界に往ってしまうのだ。ヘロドトスの『歴史』や『アーサー王』や『平家物語』のように、どちらかが勝ち残るのではない。また敗北した者たちの悲哀が残響するのでもない。大叙事詩の「結」は、ひたすら壮大な「寂静の情調」(シャーンタ・ラサ)に向かって進むのだ。 

【古代インドの神々と叙事詩】

 ぼくが古典の物語構造に関心をもったのはダンテ(913夜)の『神曲』にとりくんだときだった。ウェルギリウスの叙事詩を下敷きにしていただけでなく、ありとあらゆる先行する古典のエピソードを複合プロットとしてエンサイクロペディックに採り込んでいた
 『マハーバーラタ』もそうである。一大叙事詩であって一大百科全書なのだ。インドの古典がこういうものを生んだのは『マハーバーラタ』が最初だった。つまり、これはぼくが大好きな部類の古典なのだ。 

 古代インドの叙事詩の源流は、インダス文明の盛衰のあとの紀元前1500年のころに、アーリア人がインド亜大陸の五河(パンジャブ)地方に侵入し、その後にヴェーダ文献があらわれた紀元前1200年から紀元前500年までさかのぼる。
 そこをヒンドゥ教の初期成立期とみるかどうかは、まだ学説が統一されていないけれど、ふつうはヴェーダ期とかヴェーダ神話時代、ヴェーダ教時代、あるいは「バラモン教」の時代などと呼ばれる。ヴェーダという名詞は「ヴィッド」(知る)という動詞の語根から派生した言葉で、知識を意味する。そのころの知識といえば、すべからくが聖なる知識だ。
 そのヴェーダに、サンヒター(本集)、ブラーフマナ(祭儀書)、アーラニヤカ(森林書)、ウパニシャッド(奥義書)があって、この順に深化していった。サンヒターには『リグ・ヴェーダ』(讃歌)、『サーマ・ヴェーダ』(歌詠)、『ヤジュル・ヴェーダ』(祭詞)、『アタルヴァ・ヴェーダ』(呪詞)が収められる。
 これらはいずれも「神の歌」ではあるが、最高神を想定したものではない。バラモン教は、のちにマックス・ミューラーが指摘したように「交替神教」ともいうべきもので、多くは宇宙原理のブラフマン(梵)と精神原理のアートマン(我)の合体をうたう「梵我一如」を主題にしていた。説教というよりも讃歌だ。
 ヴェーダでは、神々はまとめてデーヴァ(天)である。やがて天の恩恵を司るデーヴァ神族と宇宙の法を預かるアスラ神族とに分かれた。デーヴァ神族を代表するのはインドラで、アスラ神族を代表するのはヴァルナだ。ウパニシャッドの時代では、そのヴァルナとミトラが社会の原理として称揚された。このあたりのことは、『空海の夢』(春秋社)にも書いておいた。

 このようなヴェーダ信仰を戴くバラモン教は、時代の思想がしだいにヒンドゥイズム(ヒンドゥ哲学=ヒンドゥ教)に移行するにつれて大きく変化する。そうすると、俄然、哲学じみてくる。
 それがいつごろだったかというと、ぼくはブッダやジャイナ教のマハーヴィラが出現して、かれらがバラモンたちから「六師外道」と呼ばれ、その後に原始仏教やジャイナ教が少し広まってから、これに対抗対応するようにヒンドゥイズムが急速に充実していったのだと思っている。おそらくアショーカ王以降のこと、ピークは紀元前後のことだろう。
 ということは、それ以前がヴェーダ讃歌の時代で、バラモン教(ブラーフマン教)の時代なのだ。バラモン教と言われるのは、これらの讃歌を奉じたのが祭官としてのバラモンたちだったからだ。

 バラモン教からヒンドゥ教への発展は、インドの古典に大きな変化をもたらした。
 ごくおおざっぱなところだけをいえば、①神々の主人公たちが変更される、②『マハーバーラタ』や『ラーマーヤナ』などの大叙事詩が編集される、③インド六派哲学などが深化される、という特色をもつ。
 古代インドの神々はヒンドゥ教の確立に向かって主人公を変えていったのだ。ヴェーダ・バラモン期では、インドラ(帝釈天)、ヴァルナ、ミトラといった神々が漠然たる中心にいた。それがヒンドゥ教が勃興してからは、ヴェーダ神話のなかではあまり目立たなかったヴィシュヌやシヴァがしだいに明示的な最高神の位になって、それらの神々にひたすら帰依(バクティ=信頼)を捧げることが信仰の中心になった。つまり最高神が定位してきたのである。
 こうなったのは紀元後の特徴だが、その後は、この定位がずっと続き、いまでもヒンドゥ教の三大神(トリ・ムールティ)はブラフマー(梵天)、ヴィシュヌ、シヴァになっている。
 それとともにサンスクリット(雅語)とプラクリット(俗語)による叙事詩が語られ、さかんに編纂されるようになった。なかでも最大のものが『マハーバーラタ』で、ついで『ラーマーヤナ』が続き、これらをプラーナ文献が純化していったというふうになる。これらは一連の「知の集大成」であり、その物語化の大実験だった。
 伝説上では『マハーバーラタ』を詩仙ヴィヤーサが、『ラーマーヤナ』を詩聖ヴァルミーキが著したということになっているが、こうした一人の語り部の成果とは言えまい。当然のことながらコレクティブ・ブレイン(集団脳)が著作編集を継続したのだと思う。

「Tales from the Mahabharata」スタンレー・ライスによる挿絵。

 ヒンドゥイズムが濃密になっていったのは、一方で原始仏教が広まり、そこに小乗仏教の「個」の深化と、そこから脱する大乗仏教の「類」の拡張が出てきたためである。
 ゴータマ・ブッダに始まる仏教は、バラモンたちの漠然とした「梵我一如」には安住せず、小乗仏教は個我の内奥に迫り、大乗仏教は「空」と「縁起」を考究して他者の救済を説く菩薩道を“発明”するほうに向かっていた。
 これらの革新を横目で感じつつ、ヒンドゥイズムに新たなエンジンがかかったのである。そこに登場したのがインド六派哲学である。ぼくが30代前半に没頭した異色きわまりない思想群だった(96夜)。
 六派哲学とは、サーンキヤ学派(数論)、ヴァイシェーシカ学派(勝論)、ミーマンサー学派、ニヤーヤ学派(正理)、ヴェーダンダ学派、ヨーガ学派をいう。いずれも汎宇宙的な物質原理のプラクリティと霊的な精神原理のプルシャとの相互相入関係を設定して、そのあいだを「サットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)」という3つのグナ(構成要素)がさまざまに作用するというしくみを論じているのだが、六派によって少しずつ解釈が異なった。
 1973年の「遊」5号では、このうちのサーンキヤ、ヴァイシェーシカ、ヨーガを比較して「インド自然学」という特集を組み、杉浦康平(981夜)さんと不思議なダイアグラムをつくったものだ。
 クリシュナの説教には、このプラクリティとプルシャの関係、「サットヴァ、ラジャス、タマス」をどうするかということが、何度も出てくる。六派哲学にとりくんでいたころのぼくは『マハーバーラタ』も、また単独で翻訳刊行されていた『バガヴァッド・ギーター』も読んでいなかったので、クリシュナがグナの動向を含む六派哲学の主張を、あんなにも持ち出しているのに驚いた。クリシュナの説諭はサーンキヤとヨーガの思想に依拠していたわけだったのだ。

オブジェマガジン「遊」5号(1973年)
特集「インド自然学」
ダイアグラム:杉浦康平 

【クリシュナとアルジュナのQ&A】

 『バガヴァッド・ギーター』は、アルジュナの質問にクリシュナが答えるという問答集である。そういうことになったのはアルジュナの悩みがそうとう深刻だったからで、それゆえ物語のなかに挟まれたギーターにしては、たいへん特異なものになっている。
 一言でいえば、Q&Aなのだ。Q&Aではあるが、その問答はギリシア哲学やユダヤ・キリスト教の思想からは、あるいはそれらと一線を画した合理哲学や、それをまたひっくりかえしたニーチェ(1023夜)らの思想からも想像がつかないものに満ちている。つまりソクラテスの問答とも唯物論的な弁証法とも違うのだ。
 近代にあって、ガンジー(266夜)やカミュ(509夜)やシモーヌ・ヴェーユ(258夜)の心を捉えて離さなかったというのも、よくわかる。正・反・合の、またそれを裏返した程度の、そういう西洋思想では説明がつかないからだ。
 ぼくも同じだ。アルジュナの問いにもクリシュナの答えにも感心した。二人とも矛盾の只中を進んでいくことを躊らわない。いまも欧米型知識人や企業戦士がさかんにロジカル・シンキングとかディベートを学習して、相手のミスをつくこと、やたらに前ばかりに進もうとすること、勝ったら誇らしげに威張ることなどを後生大事にしているけれど、いいかげん、こんな狭隘なやり口から脱出したほうがいい。相手の矛盾を衝くのは、つまらない。では、おまえさんは矛盾していないのか、ということになる。
 むしろ矛盾や葛藤をかかえもつ思想が望ましい。そういう意味で、このギーターは「絶対矛盾的自己同一」をはるかに大きく孕むものなのである。
 二人の問答に感心した理由は、ほかにも3つある。いずれもぼくが悩んできた問題だった。

 第1には、クリシュナはアルジュナ王子が敵軍に対する戦闘意欲を失っているときに、それを鼓舞するためにギーターで諭したのであるが、一貫して「戦いなさい」と言い続けたということだ。
 ぼくが30代半ばから悩んできたことに、いったいラディカルになるとはどういうことかという問題があった。わかりやすくいえば「闘うか」か「深まるか」という問題で、若気の至りの煩悶だった。念のために言っておくが、戦意喪失なんぞに困ったのではない。ぼくは相手と喧嘩するにあたっては、自分が戦意喪失したり意気消沈したりすることはほとんどない。いつだって一戦を交えるのに吝かではない。
 そのころ抱えた問題はそういうことではない。闘争に向かう意図ばかりがあっても、つまりはいつだってその場や相手に集中はできると思ってはいたとしても、そこに「深さ」がないかぎり、ラディカルではないのではないか。本来のラディカルとは目に見えた競争品目にとらわれず、根底で闘うことではないのか。そういうことだった。
 ところが日々の活動や生活のなかで闘うときに、ふつう相手は「深さ」なんて求めていない。ごくごくつまらない行き違いや状況判断が浮上するにすぎない。そういうときにどうすればいいのか。容易に叩きつぶせるような問題にいったいどう対処すればいいのか。そういうことに悩んでいたのだった。
 クリシュナははっきりしていた。ヴィシュヌの天意からしても「深さをもって闘うべきだ」「そのほうが心も静まる」と諭したのである。「深さ≒戦闘≒平静」なのだ。ぼくはこんなにもラディカルな思想が、インド哲学の最高の「神の歌」に謳われているとは思っていなかった。

 第2には、クリシュナが戦争では「知」のすべてをかけて闘うべきだが、しかしそれらは最終場面では「放擲」(ほうてき)されるべきだと訴えていたことである。
 この「放擲」の発想が西洋思想には欠如する。やっとショーペンハウアー(1164夜)がデカルトやカントが「物自体」とみたものを「世界意志」だと気づき、ハイデガー(916夜)が「放下」(ほうげ)を持ち出したけれど、それらはなんのことはない東洋思想の影響だった。
 『バガヴァッド・ギーター』ではさかんに「知性」や「知識」の重要性が説かれる。さらには「知識の祭祀」に傾注するべきだとも説かれる。こうした「知」の重視は西洋と変わらない。けれどもそのうえで、それらの「知」を放擲することで秀れるのだとクリシュナは訴えた。
 こんなことを西洋哲学では、めったに提案しない。しかもクリシュナは、たんに放擲するのではないと言った。どこかに「捨てる」のでもない。捨てるだけなら放下でもいいだろう。そうではなくてクリシュナのほうへ向かって、もっといえば他者のほうに「委ねる」ように一挙に放擲されるべきだというのだ。
 ぼくはこの言い方にも感心した。ちょっと衝撃をうけたと言ってもいい。これについては、あとでも説明してみたい。

 第3には、以上の二つと密接に関連するのだが、このギーターは驚くほど徹底して人間存在の空しさを描いていて、まさに「寂静の情調」(シャーンタ・ラサ)を物語化したといってもいい内容なのだが、つまり「無常」の思想の起源といってもいいようなものなのだが、そのことがほかでもない「戦中」(陣中)でこそ語られているということだった。誰ひとりとして戦いの現場から逃げてはいないのだ。
 つまり、この「神の歌」は現場のためのギーターであり、陽明学でいう「事上磨練」の渦に向かうためのギーターだったのである。
 読んでいて、このことにも驚いた。われわれがせめてその一端を感じたいと思う涅槃寂静は、われわれが当面している混乱する事態の渦中にこそ探すべきものだったのだ。

戦士アルジュナ(左)は、神であるクリシュナ(右)に
真の姿を見たいと望む。

【ギーターを包む物語】

 このように、ぼくが最初に読んだときのクリシュナのギーターは、きわめて予想外の内容だったのだ。こんなふうに説明するとなんだかスッキリしすぎるようだけれど、実はそうでもない。このギーターを読むにはけっこうな面倒をかいくぐらなければならなかった。
 なにしろこの問答は全18巻の大叙事詩『マハーバーラタ』の第6巻に、まるで挿し木のように編入されているものなのだけれど、それなのに物語としても細部までがハイパーリンクされながらつながっていて、つまりは『マハーバーラタ』の全体の思想の集約として読まれるようになっている。
 それゆえ、このギーターがなぜクリシュナからアルジュナ王子に向かって説かれたのかということを理解するには、『マハーバーラタ』という叙事詩がどんな物語になっているかを知る必要がある。クリシュナもアルジュナもこの物語の登場人物だし、第6巻の場面で、なぜアルジュナの苦悩が深まっているのかがわからなければ、クリシュナの大胆な説教の意義もわからない。
 というわけで、『マハーバーラタ』の一応の流れがわからないと『バガヴァッド・ギーター』はわからず、逆にギーターによってこの大叙事詩の意味も掴めるのだけれど、とはいえ『マハーバーラタ』の物語をここで要約するなど、とても無理である。それだけで最低でも3万字が必要だ。

 今夜はギーターがぼくにもたらした当時の衝撃とその意味をとりあえず伝えたいだけの夜であって、『マハーバーラタ』の複合的な物語力を紹介したり議論したいのではない。
 また、もっとヒンドゥイズムの流れを伝えたいけれど、またいつかピーター・ブルックが『マハーバーラタ』にとりくんだ組み立てにも言及したいけれど、そこにまた土取利行さんが音楽監督として関与しつづけたことも案内したいけれど、あるいはまた『マハーバーラタ』と並んで愛されてきた、シーターやラーマや猿王ハヌマンの活躍を描いた『ラーマーヤナ』も紹介したいけれど、そのあたりは残念ながら省略する。

 だから、以下に示す『マハーバーラタ』の粗筋はとりあえずのギーターのポジションをあきらかにするためと、クリシュナとアルジュナの切羽詰まった関係が理解できる程度の案内だと思われたい。
 それでもかなり話がこみいっているので、今夜の読者がこのあとの「あらすじ」を読み始めて、どうにもややこしいと感じるなら、このあとのダイジェストはとばしてもらってもかまわない。なんといっても固有名詞がややこしい。
 けれども、古代インドの数百年がこの物語にかけた心情と世界観は、覗いてみるに値する。想像を絶する物語だということくらいは感じられるはずだ。これから作家になりたいと思っている諸君にも、多くのヒントをもたらすだろう。古典とはそもそもそういうものなのだ。 村上春樹をいくら読んでも、この実感は得られない。

ピーター・ブルック演出による「マハーバーラタ」(映画版)
音楽監督:土取利行

 以下、物語をサマライズするにあたっては、いまは亡くなった上村勝彦さんの岩波文庫版『バガヴァッド・ギーター』と、『原典訳マハーバーラタ』(ちくま学芸文庫)や『バガヴァッド・ギーターの世界』(ちくま学芸文庫)の要約と表記にもとづいた。
 上村(かみむら)さんは死の床についたため、この大作の翻訳を8冊目で中断せざるをえなかった。したがってちくま学芸文庫はそこで途切れたままになっている。誰かがあとを継ぐしかあるまい。

『マハーバーラタ』の家系図

【マハーバーラタのあらすじA】

 バラタ王の孫であるクル王の後裔がクル族である。そのクル族の末裔のシャンタヌ王は、森で美しい娘を見かけて求婚した。娘は承知したものの、自分が何をしても決して咎めないようにという条件をつけた。
 彼女は7人の息子を生んだ。ところがその息子たちを次々とガンガー川(ガンジス)に投げ込んだ。王は約束どおり何も言わなかったが、8番目の息子が生まれたときに、ついに彼女を制止した。彼女は自分はガンガーの女神であると明かし、息子を連れて立ち去り、しばらくたってその8番目の子を王に渡した。この子がデーヴァヴラタ(のちのビーシュマ)である。

2km以上におよぶ巨大な仏教石窟「エローラ洞窟寺院」
(文化遺産・1983年指定)の、第21窟にあるガンガー女神。

 月日がたったある日、シャンタヌ王はヤムナー河畔で美しい漁師の娘サティヤヴァティに出会い、この娘を嫁にしたいと思った。娘の父親は、それならあなたと娘とのあいだに生まれた子を王位継承者にすると約束してくれと言う。
 王は悩んだ。デーヴァヴラタは父王の悩みを察して、約束を受け入れてもかまわない、自分は子孫をつくらないから安心してほしいと言った。つまり一生独身を守ると誓ったのである。以来、デーヴァヴラタは「ビーシュマ」(恐るべき人)と呼ばれた。ビーシュマはこの物語の最後まで活躍する。
 話はこのように始まるのだが、すでにして一挙的な意外性に満ちている。おそらくは北方インドのどこかでおこった出来事が投影しているのであろう。

 やがてシャンタヌ王とサティヤヴァティのあいだに、チトラーンガダとヴィチトラヴィーリヤという二人の息子が生まれた。
 シャンタヌ王が死んだとき、その長男を王位につけたが、長男は半神ガンダルヴァと闘って殺された。そこでビーシュマは次男を王位につけ、その妃を選ぼうとしてカーシ国の婿選びの会場に赴き、3人の王女を強奪した。そのうち二人(アンビカーとアンバーリカー)を王妃に選んだところ、肝心の次男王が夭折してしまった。これでは王位継承がうまくいかない。
 王母サティヤヴァティは、王家の存続のためにはビーシュマが二人の寡婦を妻にすべきだと頼んだが、ビーシュマは独身の誓いをたてていたので承服しない。そのかわり王家の故事にのっとって、高徳のバラモンに寡婦たちの子孫をつくらせることを王母に進言した。
 すると王母は自分の過去の秘密を語りだした。実は私がヤムナー川で父親の舟に乗っていたとき、パラーシャラという聖者が舟に乗ってきて、欲情して私と交わり、聖仙ヴィヤーサが生まれた。いま私は、このヴィヤーサを呼び出して、寡婦たちに子をつくらせようと思っていると言うのだ。
 この計画は実行に移された。ヴィヤーサはアンビカーの寝室に入ったが、アンビカーがその恐ろしい姿を見て目を閉じたので、生まれてきた子は盲目のドリタラーシトラになった。次のアンバーリカーは恐怖のため青ざめた。そのため生まれた子は蒼白のパーンドゥとなった。パーンドゥとは蒼白者という意味だ。この盲目の長男と蒼白の次男とが、のちに対立抗争をせざるをえなくなる。

 ビーシュマは盲目者ドリタラーシトラの妻にガーンダーリーを迎えてやった。彼女は夫に忠実であろうとして、その両目を布で覆って見ないようにした。しばらくして彼女は妊娠したけれど、なぜか2年間、出産することがなかった。
 やむなく、ガーンダーリーが自分のおなかを強く打つと、鉄球のような肉の塊がどぼっと生まれ落ちた。聖仙ヴィヤーサの指示によって、その肉の塊は百個に分けられ、ギー(バター状の乳脂)を満たした容器の中に2年間保存された。その結果、ここに盲目者ドリタラーシトラの百人の息子たちが生まれたのである。
 なんと肉塊のインキュベーションによって百王子が誕生したのだ。のちのカウラヴァ軍のコアメンバーになる。

 一方、ここからがアルジュナが生まれたいきさつになるのだが、ヤドゥ族の族長シューラには、ヴァスデーヴァという息子とプリターという娘がいた。シューラはプリターを従兄弟のクンティボージャの養女としたので、彼女はクンティーと呼ばれるようになった。
 あるときクンティーは一人のバラモンを満足させたので(すでにお察しのごとく多くのバラモンは助平なのである)、バラモンはクンティーに神々を呼び出す呪文を教えた。彼女は太陽神を呼び出した。太陽神はクンティーに息子を授けたが(ヒンドゥの神々もたいていが助平だ)、彼女は人々の目を憚って、生まれた子を川に投じた。その子は御者(スータ)に拾われて育てられ、勇士カルナとなった。
 その後、クンティーは蒼白者パーンドゥの妻になった。しかしパーンドゥにはすでにマードリーという妻もいた。それでもパーンドゥは子宝に縁がなく、どうしたものかと思っていた。
 ある日、パーンドゥは鹿の姿に変じてマードリーと交わっていた隠者を鹿だと思って射貫いてしまった。隠者は「おまえも妻と交わったときに死ぬだろう」と呪って死んだ。
 子宝をつくれないパーンドゥはクンティーにダルマ神を呼び出すように指示して、こうしてやっと息子を得た。それがユディシティラである。ユディシティラはこのあとの物語全体のリーダーになる(のちにダルマ王とも呼ばれる)。

 パーンドゥはついで風神を呼び出してクンティーにビーマセーナを生ませ、続いてインドラ神を呼び出して輝くような勇士を生ませた。
 これが『バガヴァッド・ギーター』の主人公のアルジュナだ。
これで見当がつくように、アルジュナはインドラ神の隠れた落胤だったのである。
 クンティーは夫が望むので、マードリーのためにも神を呼ぶことにした。マードリーはアシュヴィン双神からナクラとサハデーヴァという双子を授かった。
 こうしてある日、蒼白者パーンドゥはいよいよマードリーと交わろうとしたのだが、隠者の予言通り死んでしまった。悲しんだマードリーも双子をクンティーに託して、火葬の火の中に身を投じた。

インドネシアの影絵芝居「ワヤン・クリ」で
表現されたユディシティラ。

【マハーバーラタのあらすじB】

 かくして“盲目のドリタラーシトラ”の百人の王子と、“蒼白のパーンドゥ”の五人の王子たちが一緒に暮らしながら育つことになった。何度も言うようだが、この2グループの息子たちが、のちに「カウラヴァ軍の百王子」、「パーンダヴァ軍の五王子」と言われる。
 かくて盲目ドリタラーシトラの百王子と蒼白パーンドゥの五王子は同族者として一緒に育つのだが、しだいに仲たがいするようになっていく。その理由のひとつは、パーンドゥの王子たちのほうが、何かにつけてドリタラーシトラの王子たちより秀れていたので、ドリタラーシトラの長子ドゥルヨーダナはしだいにパーンドゥの王子たちに敵意を抱くようになったからだった。
 ちなみにパーンドゥの五王子のなかではアルジュナが最も武芸に秀でていた。

盲目のドリタラーシトラが五王子の一人ビーマの銅像を攻撃する様子

 さて、聖者バラドゥヴァージャの息子にドローナがいた。たいそう武術に長けていたので、ビーシュマはドローナをクル族の武術師範にした。
 クル族とはバラタ王の孫であるクル王の後裔のこと、そのクル族が物語の後半ではカウラヴァと呼称される。冒頭のシーンを思い出してもらうといいが、そのクル族の末裔のシャンタヌ王が森で美しい娘を見かけて求婚したところから、この話は始まっていたのだ。
 師範のドローナは王子たちにドリタラーシトラ王の御前試合として、互いに武術を披露しあうように仕向けた。アルジュナがたちどころに卓越した武技を示したところ、そこにカルナが名のりをあげてアルジュナに挑戦した。このことにパーンドゥの五王子に嫉妬していたドゥルヨーダナは好感をもち、カルナと永遠の友情を誓うと、彼をアンガ国の王とした。
 そんなことが重なって、ドゥルヨーダナを長子とする百王子は、パーンドゥの五王子とその賛同者(総称してパーンダヴァという)を妬むようになり、いつか殺害する機会を狙う。
 計略も用いた。たとえば燃えやすい材料でわざと宮殿をつくらせ、パーンダヴァたちが寝ているあいだに火を点けた。しかしかれらは事前にそれを察知して地下道から逃げていた。周囲ではかれらは焼死したものと思いこんでいたのだが、実は別のところに身を隠したのである。

 パーンチャーラ国王のドルパダが、娘のドラウパディーのために婿選びの式をとりおこなった。ドルパダ王は剛弓をつくらせ、空中に金の標的を掲げ、その弓で射抜いた者に娘を与えると告げた。よくある話だ。

ドルパダ王の宮殿に集まるパーンダヴァ兄弟。

 誰もその弓を引くことができなかったが、バラモンに変装したアルジュナが弓を引き絞って的を射貫いた。アルジュナが“賞品”のドラウパディーを得て母のもとに帰ったところ、母はその“成果”を見ぬままに「みんなで分けなさい」と命じた。こうしてドラウパディーは五王子に“共通の妻”として分けられたのだ。
 この“共通の妻”の出現は『マハーバーラタ』の物語編集力の異様なエンジンになっている。沖田瑞穂の『マハーバーラタの神話学』(弘文堂)はデュメジル(255夜)の比較神話学を通して『マハーバーラタ』のヒンドゥ的特色を解明しようとしたものだが、とくに五王子がドラウパディーを“共通の妻”としたところに注目して、そこからインド・ヨーロッパ語族の神話の隠れた機能を分析した。

 パーンダヴァの五王子がドラウパディーを妻としたというニュースは、ドリタラーシトラ王のもとに伝わった。
 ドゥルヨーダナやカルナらは早速にパーンダヴァと戦うことを主張したが、ビーシュマやドローナの忠告によって、ドリタラーシトラはパーンダヴァの長子ユディシティラに王国の半分を与えることにした。五王子側も王国をもったわけである。
 ユディシティラは偉大な建築家である阿修羅マヤの手を借りて、インドラプラスタの都にすばらしい宮殿を建てて、弟たちとともにこの国を統治した。

 一方、わがアルジュナは、王族としての結婚規定などをはからずも破ってしまったので(かれらはカーストでいうとクシャトリヤで、王族としての幾つもの掟をもっていた)、一族の掟に従って12年間の巡礼に出た。
 これはジョゼフ・キャンベルの英雄伝説研究に言う「セパレーション」にあたる。キャンベルの学生だったジョージ・ルーカスはここからの話をゾロアスター教とともに『スターウォーズ』の下敷きにした。
 巡礼の旅の終わりが近くなったとき、アルジュナはプラバーサに立ち寄った。このとき、アルジュナはヴァスデーヴァの息子を名乗る男に出会った。これが英雄クリシュナだった。
 クリシュナはこの王子の何かにピンときたのであろう、アルジュナを歓迎して、ドゥヴァーラカーにある自宅に招いた。アルジュナはクリシュナの妹スバドラーを見初めた。クリシュナはアルジュナをそそのかして、彼女を強奪させて妻とさせた。アルジュナはインドラプラスタに戻った。スバドラーがアビマニユという息子を生んだ。

 ここまでが、主要な登場人物がどんな経緯でこの物語にかかわることになったのかという前提だ。顔ぶれはあらかた揃った。ここから先、話は少々メゾスコピックな俯瞰的な展開をとっていく。すなわち幾つかの王国の動向が見えてくる。
 それとともにアルジュナが、いよいよ緊迫を増す王国間の対立と抗争に向けて、それなりの準備にとりかかる様子が見えてくる。それは武器の調達であって、またヒンドゥ哲学の核心部にふれる出来事に重なっていく。

ドラウパディー(右端)と夫たち。
”共通の妻”として五王子に仕えた。

【マハーバーラタのあらすじC】

 五王子側の長子であってリーダーでもあるユディシティラの王国は栄えつつあった。
 それに比して、五王子の王国を訪れた百王子側のドゥルヨーダナは失態を演じて、嘲笑された。怨恨を抱いたドゥルヨーダナは、伯父のシャクニの助言でユディシティラと賭博して、彼を滅ぼそうと企てた。
 これに乗った父王ドリタラーシトラは集会場をつくって、今度はパーンダヴァの五王子を招待した。賭博の達人シャクニがユディシティラと勝負をすると、ユディシティラは負け続け、ついに全財産のみならず王国を取られるに及んだ。妻のドラウパディーすらも賭けて取られてしまった。この手の“すっからかんになる話”は、どの地の古代神話や説話にもけっこう語られている。
 老王となっていたドリタラーシトラは、ドラウパディーを不憫に思い、パーンダヴァを解放し、王国と財産を返した。しかし、この老王の処置を不満としたドゥルヨーダナたちは、再度、ユディシティラに賭博を挑み、今度は敗者は12年間にわたって森に暮らし、13年目以降は人に知られぬように生活しなければならないという条件をつけたのである。
 ユディシティラはまたもシャクニに敗れ、妻や弟たちとともに苦行者の身なりをして、森へ出発をした。老いたクンティーはヴィドゥラの家に残った。

老王ドリタラーシトラは晩年森での生活を強いられた。

 さて、話変わってアルジュナは兄の命により、インドラ神(帝釈天)から秘密の武器を入手するためにヒマーラヤに赴いていた。
 このときインドラキーラで苦行者に出会った。それがインドラだった(思い出していただきたい、アルジュナはインドラから霊験を得て生まれた子であった)。すべての武器の秘密を知りたいと訴えるアルジュナに、インドラはシヴァ神に会えと指示した。
 アルジュナがシヴァを探していると、巨大な猪が走ってきた。このあたりは宮崎駿の『もののけ姫』のシーンを思い出すといい。アルジュナが猪を射ようとするとキラータ(山岳民)が現れて、「われわれが最初に猪を見つけたのだから、これはわれわれの獲物だ」と言った。アルジュナとキラータは同時に猪に弓を射た。二本の矢は猪に命中し、悪魔ムーカの姿をあらわして死んだ。
 アルジュナとキラータは戦闘状態に入り、アルジュナは勇敢に闘ったもののキラータに打たれて気を失った。しかし実はキラータこそがシヴァ神の化身だったのである(これも『もののけ姫』だろう)。
 シヴァはアルジュナの勇気に満足し、パーシュパタという武器と神弓ガーンディーヴァを与えた。アルジュナは勇躍、インドラの都アマラーヴァティに行った。インドラはアルジュナを歓迎し、多くの武器を授けた。このあたりはジョセフ・キャンベルの言う「イニシエーション」にあたる。

 アルジュナ以外のパーンダヴァたちはカーミヤカの森に逼塞していた。聖者ブリハダシュヴァは失意のユディシティラのために、賭博で王国を失ったナラ王の話をして慰めた(これが『ナラ王の物語』で、『マハーバーラタ』のなかでも最もロマンチックに親しまれたお話になっている)。
 そこへ聖者ローマシャが訪れ、アルジュナの消息を伝えるとともに、ユディシティラたちに諸国の聖地を巡礼するといいと勧めた。かれらがいくつもの聖地を巡礼してヒマーラヤ山中にさしかかったとき、アルジュナに出会った。まさにセレンディップな邂逅である。

マハーバーラタにおける『ナラ王の物語』はもっとも美しい愛の物語といわれる。絶世の美女ダラマンディとナラ王の愛と苦悩が描かれている。

 かくてパーンダヴァたちは12年の亡命生活を終えて、協約通りに13年目を人知れず暮らすことになった。かれらはマツヤ国のヴィラータ王の宮殿に素性をかくしてそれぞれ住むことにした。
 みんな、身をやつした。ユディシティラは賭博師に、ビーマは料理人に、ナラクは馬番に、サハデーヴァは牛飼になった。アルジュナはブリハンナダーという女形の役者になって、王女ウッタラーらに音楽や舞踊を教えた。ドラウパディーはというと、王妃の召使いになった。
 ある日、将軍のキーチャカがドラウパディーに言い寄ったが拒絶され、姉である王妃にとりなしを頼んだ。王妃の命令でドラウパディーがキーチャカのもとに行くと、彼は交際を迫り、彼女の腕をつかみ、髪をねじ上げて足蹴にした。ドラウパディーは怒ってビーマにキーチャカを殺すように頼むと、ビーマは舞踊場で殺害した。
 トリガルタ国王は将軍キーチャカが殺されたことを知って、マツヤ国に戦争を仕掛けてきた。ビーマは敵王を捕らえ、ヴィラータ王は4人の王子とともにトリガルタ軍を追跡した。一方、ドゥルヨーダナに率いられたクル軍は、マツヤ国を包囲して多数の牛を捕らえた。そこで、ウッタラ王子は敵と対決する覚悟をして、女形に変装したアルジュナを御者として、なんとか牛を取り戻してクル軍を敗走させた。
 パーンダヴァの五王子の正体を知ったヴィラータ王は数々の非礼をわびて、娘のウッタラーをアルジュナに与え、ユディシティラに全王子と財産を捧げた。アルジュナはウッタラーを息子アビマニュの妻にした。

【マハーバーラタのあらすじD】

 さあ、ここでやっとクリシュナが舞台の前面に出てくる話になる。クリシュナが実はヴィシュヌ神のアルターヴァ(化身)であることは、まだ読者も登場人物も知らされていない。
 では、クリシュナが最初にどんな目立ったことをしたかというと、パーンダヴァたちの13年に及んだ亡命生活がほぼ完了したので、クル族(カウラヴァ)に対して王国の半分を返還するように提案したのである。
 提案は容易には通らない。そこで協議の結果、和戦二様の緊急態勢で臨むことになった。ドゥルヨーダナとアルジュナはクリシュナのもとをたずね、それぞれ援助を依頼した。クリシュナは、自分の強力な軍隊か、あるいは非戦闘員として参加する自分かの、どちらか一方を選べと告げた。ドゥルヨーダナは軍隊を選び、アルジュナはクリシュナ本人を選んだ。クリシュナらしいお題だ。
 こうしてクリシュナがアルジュナの御者、すなわち軍師あるいは師範代になった。

 当然、交渉も和平も決裂した。パーンダヴァ軍は戦争の準備に入らなければならなかった。ドリシタデュムナを軍司令官にした。ドゥルヨーダナのほうも戦争の準備を整え、ビーシュマに軍司令官を依頼した。
 戦闘に先立ち、いくつかのルールが決められた。聖仙ヴィヤーサは盲目のドリタラーシトラ王に戦争の状況を報告させるべく、サンジャヤ(吟誦者)を千里眼にした。こうして、もはや後戻りできない戦闘の火ぶたが切られたのだが、このときアルジュナが迷ったのである。
 同族どうしの戦いの意義に疑惑をもったのだ。アルジュナはすっかり戦意を喪失していた。このときクリシュナがヒンドゥ哲学を究めた教えを説き、気持ちを鼓舞した。このギーターこそが『バガヴァッド・ギーター』である。

 しかし、『マハーバーラタ』の物語上のクライマックスはここから始まる。18日間の激越な戦闘だ。
 第1日目からビーシュマの戦いぶりはめざましかった。クリシュナの熱心な説諭によって迷妄を払ったアルジュナも勇敢に戦った。壮絶な戦闘が続いた。第8日目の夜、ドゥルヨーダナはカルナの進言を入れて、ビーシュマの代わりにカルナを司令官にしようとしたところ、ビーシュマは自分が戦功をたてて永遠の働きをすると誓い、まさしく鬼神のように戦って、多数のパーンダヴァ軍の兵士を殺した。
 第10日目、アルジュナは、ビーシュマがかつて女性であったシカンディンとは戦わないと誓ったことを利用して、シカンディンを先に立てて、その後ろから夥しい矢を浴びせかけた。ビーシュマは弁慶の立ち往生よろしく全身に矢を突き刺され、倒れた。
 ビーシュマが倒れると両軍は戦いをいっとき中断して、その瀕死の重体を囲み、アルジュナも3本の矢を枕にあてがった。ビーシュマは蘇り、一転して戦争の中止を説いたが、ドゥルヨーダナたちはもはや承服しなかった。
 第11日目、ドゥルヨーダナはドローナを軍司令官にして、ユディシティラを捕縛しようとした。アルジュナがこれを阻止した。第12日目、ドローナの特攻隊が組まれてアルジュナを攻撃した。輪円の陣の戦法によってアルジュナを戦列から引き離した。息子のアビマニュが輪円の陣を突破しようとしたが、うまくいかずに戦死した。アルジュナは息子の死を知って深く悲しみ、ジャヤドラダを殺すと誓い、第13日目にその首を刎ねた。
 戦闘はさらに激しく続き、第15日目にクリシュナがドローナを倒すために立てた計画を実行に移したドリシタデュムナがドローナを殺した。きわめて陰惨な同族の殺し合いが、こうして連打されていったのである。

ビーシュマの絶命の場面を描いた壁画。
(アンコール・ワット第1回廊西面南側の壁面より)

 第16日目が暮れた。ドゥルヨーダナはカルナを軍司令官にした。カルナはアルジュナと雌雄を決すると覚悟するのだが、かえってガーンディーヴァ弓で返り討ちされた。第18日目、カウラヴァ軍はシャリヤを司令官にして総攻撃をかけたが、ユディシティラに撃退され、殺された。
 こうしてカウラヴァ軍は壊滅した。
 ドゥルヨーダナは逃亡し、湖水に入って魔術を使って水を凝結させて隠れたけれど、やがて見いだされ、ビーマと一対一で棍棒で殴り合うことになった。トップどうしの果たし打ちである。ドゥルヨーダナが優勢なので、クリシュナの勧告に従ってアルジュナが自分の左股を叩いた。ビーマはその意味を理解して、棍棒を投げてドゥルヨーダナの腿を砕いた。このような大将戦では臍から下を攻撃するのは反則だったので、ビーマは非難された。
 瀕死のドゥルヨーダナはアシュヴァッターマン(ドローナの息子)を司令官にすると、夜襲を仕掛けてドリシタデュムナ、ドラウパディーの息子たち、シカンディンらを殺した。ドゥルヨーダナはその報告を聞きながら、満足して息を引き取った。アシュヴァッターマンは勢いをえて、ついに父から譲りうけた秘密の殺戮兵器を使用することにした(これが何かは詳らかではない)。
 アルジュナも恐るべき兵器を使うことにした(この殺戮兵器の正体もよくわからない)。そこで聖仙ナーラダとヴィヤーサが両軍の兵器を回収することを申しわたしたのだが、アシュヴァッターマンは回収できず、その兵器をパーンダヴァの女たちの胎内に向けて打ち放ったため、これによってパーンダヴァの子孫は全滅することになってしまったのだった。胎内攻撃とは恐ろしい。

アシュヴァッターマンは、秘密の世界殺戮兵器(Narayanastra)を使用した。

【マハーバーラタのあらすじ・その後】

 これでも物語はまだ終わらない。18日間の戦争はパーンダヴァ軍の勝利で幕が引かれたのではなかったのだ。ここが『マハーバーラタ』のいよいよもって驚くべきところだ。
 まず、すべての息子を失ったドリタラーシトラとガーンダーリーの嘆きと怒りは非常なものだった。やむなくパーンダヴァの五王子を息子として受け入れることにした。ドラウパディーも悲嘆にくれた。
 クリシュナはアシュヴァッターマンを呪った。「3000年にわたって、汝は孤独のまま地上をさまようであろう」という呪いだ。しかし、ガーンダーリーはこのような同族どうしの殺戮を放置していたクリシュナに対して怒りをぶつけ、その親族が36年後に互いに殺し合って滅亡するだろうという呪言を吐いた。クリシュナさえ憎まれたのである。
 パーンダヴァの五王子は、ドリタラーシトラとともに死者の葬儀をおこなった。長子のユディシティラは自分が一族の滅亡の原因であるとの自責の念に強烈にかられたが、ヴィヤーサはすべては運命であると慰め、王族というものの重要な義務を説いた。
 ユディシティラの即位式がおこなわれた。ビーシュマはユディシティラに「ダールマ」(法)の教えを説き、みずからヨーガによって息を引き取った。アシュヴァッターマンが放った兵器によって殺された者たちのなかで、ウッタラーの胎児のパリクシットは、クリシュナの法力によって蘇生した。

 戦争の15年後、こんなことがおこった。
 ドリタラーシトラはガーンダーリーとクンティーを伴って森に隠棲していた。ユディシティラはそこを訪れた。聖仙ヴィヤーサはガーンダーリーの要望によって、死んだ戦士たちすべてを天界から呼び出してみせた。そのときだけは、敵も味方も恨みを捨てて、団欒の一夜を過ごした。その2年後、なんとドリタラーシトラ、ガーンダーリー、クンティーが森の大火事によってあっけなく焼死した。
 戦争の36年後、ユディシティラの身近に不吉な前兆が次々におこっていった。ある日、ヴィシュヴァーミトラをはじめとする偉大な聖者たちがヴリシュニ族の都ドゥヴァーラカーを訪れたのだが、ヴリシュニの住人たちは聖者をからかおうとして男を女装させて、「男を生むか、女を生むか」という質問を浴びせた。聖者たちは、そういうことを言う者たちは一族を滅ぼす鉄の棒を生むだろうと答えた。
 こんな不吉な前兆が次々におこったので、クリシュナはこれではきっとガーンダーリーの呪いも実現するだろうと思い、ヴリシュニの住人に聖地巡礼することを勧めた。こうしてヴリシュニ族とアンダカ族は巡礼に出発し、プラバーサで盛大な酒宴をおこなった。しかしなんということか、かれらはそのうち口論を始め、互いに殺しあってしまった。クリシュナはエーラカ草を取って鉄棒に変え、その場のすべてを皆殺しにした。
 そのクリシュナも、森でヨーガをおこなっている最中、漁師に鹿とまちがえられて足の裏を射られてこの世を去った。なんとクリシュナも死んでしまったのである。足の裏が致命傷になったことは、カルロ・ギンズブルグ(56夜)の『闇の歴史』がそのフラジャイルな意味を解いている。

 ヴリシュニ族が滅亡したことを聞いて、ユディシティラは嘆き、この世を捨てることを決意した。パリクシットを後継者として即位させると、4人の弟、ドラウパディー、一匹の犬を従え、都を出て北に向かった。
 ヒマラーヤを越え、メール山(須弥山)に達し、ヨーガに専念して天界に達しようとしたのだ。しかし途中で、妻や弟たちは挫折し、ユディシティラと犬だけが残った。
 そのときである、インドラが颯爽と戦車に乗って、ユディシティラを迎えにきた。ユディシティラは妻や弟たちが天界に行けないのなら、自分も行かないと言ったところ、インドラはかれらは人間の体を捨ててすでに天界に行っていると告げ、犬も捨てなさいと命じた。
 ユディシティラが自分を愛しているものは捨てられないと答えた瞬間、その犬はたちまち姿を変じてダルマ神となり、天界への道がひらけた。
 それでも天界では、ユディシティラは妻や弟たちを見いだせない。ドゥルヨーダナがいて、繁栄を貪っていた。ユディシティラは弟たちのところへ行きたいと望んで、神の使者に案内されて進んでいった。あまりに悪臭のする難路なので引き返そうとしたが、そのとき弟たちや一族の者たちが引き止めようとする声が地獄から発せられてきた。
 ドゥルヨーダナのような邪悪な者が天界にいて、弟たちが地獄にいるのは不公平だと思ったユディシティラはそこにとどまることにした。『マハーバーラタ』最後の主人公の乾坤一擲の意志の行動である。
 その直後、天界の神々がずらりとやってきて、地獄が天界に変じたのである。どうやら、すべてはインドラたちが作り出した幻影であったのだ‥‥。

【知識と放擲の哲学】

 こうして『マハーバーラタ』のさしもの長大な物語も終わる。
 複雑な筋書きをリニアに紹介したにすぎないが、それでも一読して、この物語が徹底して人間存在の空しさを描いているのが伝わってくるだろう。後世になって、この叙事詩は「寂静の情調」(シャーンタ・ラサ)が物語化したものだと解釈されたほどなのだ。
 一方、レヴィ=ストロース(317夜)も真っ青になるほど、ここには血族間・同族間の入り乱れた婚姻関係が組み合わさっている。しかも、その婚姻関係は次々に殺戮の対象になってもしまうのだ。ぼくも何度も呆れた。そうしたなかで、クリシュナは、戦意喪失に陥っていたアルジュナに格別のギーター(神の歌)を説いたわけである。いったいクリシュナは、この呆れるほどの同族憎悪と殺戮の現象から、どのようにアルジュナを救ったのか。

 あらためてギーターが何を強調しているのか、どんなヒンドゥ思想を前提にしたのか、まとめてみたい。
 まず、クリシュナの言説にはそうとうにサーンキヤの思想が反映している。すでに述べたように、サーンキヤ学派はプルシャ(精神原理=深い真我)とプラクリティ(物質原理=世界の現象)が3つのグナ(サットヴァ、ラジャス、タマス)によって相互作用をおこすという見方をとる。
 プラクリティに3つのグナが潜んでいて、そのグナのバランスがくずれたときに世界が開展して世の中のさまざまな出来事になるのだが、そして、それゆえに自己(個我)がそこに巻き込まれているのだが、このときプルシャがそれを観照して平静を保つ。
 このような思想をもてば、目の前の現象や出来事に心を奪われることはない。サーンキヤはそう主張した。クリシュナはそこにヨーガ学派の思想をふんだんに交ぜた。もともとサーンキヤとヨーガは近い思想なので、これは頷ける。

 話をギーターに添わせて説明すると、クリシュナはアルジュナの「戦えない」という悩みを聞いて、最初に、人間というものは不生不滅で、みかけがどうであれ、その「内奥にあるもの」は殺されることはないのだから、心配しなくてもいいと言う。しかしアルジュナはだからといって同族を殺すことが許されていいのかが、わからない。
 そこでクリシュナは、この「内奥にあるもの」は「真の知性」(ブッディ)であって、サーンキヤではこれはプルシャ(真我・霊我)と呼ばれる。このプルシャが観照活動できるようにするには、知性を曇らせてはいけない。それには「知性のヨーガ」に徹するべきで、それを実感するには「行為の結果を動機としない行動的知性をもつことだ」と諭すのである。

 『バガヴァッド・ギーター』にはその半分ほどに「知性」や「知識」の重要性が説かれている。このことだけなら、これは西洋哲学と同様の知性主義だということになる。しかし、西洋ではこのような「知」は個人や集団が努力をしさえすればほどなくマスターできるものだと解される。
 クリシュナが説く「知」はまったくそういうものではなかった。「知」が自由になるためには、プラクリティの開展に縛られないように、プルシャの観照のなかに自身をできるだけ委ねるということを勧めるのである。それで「知性のヨーガ」をアルジュナに提示し、「行為の結果を動機としない行動的知性をもつこと」を感じろと言った。
 ところがアルジュナはそれを行為を放棄することだと勘違いする。そこでクリシュナが繰り返して説いたのが「放擲」(ほうてき)ということだった。

 ギーターにおける「放擲」はきわめて斬新である。またそうとうに深い。
 サンスクリットでは「サンニヤーサ」というインド語になるのだが、これはのちにサンニヤーシンが“出家者”という意味になったものとは違っていて、行為の結果を他者に委ねるということを、さらには「知」を最高神(ブラフマン)あるいはヴィシュヌ神に、いいかえれば自身の奥なるプルシャにいっさいを委ねることをいう。
 クリシュナはそれには「知性のヨーガ」に続いて「行為のヨーガ」が必要だという。

 ブラフマンやヴィシュヌに何かを委ねるということは、プルシャの観照力をいかすということである。それはまたヒンドゥイズムにおいては、それらの化身であるクリシュナに「知」を委ねることになる。
 ということは、さらにこのプロセスを手元に引き寄せてくると、アルジュナは目の前の“御者”に自身の知的行為を連動させるということになる。
 ギーターはこのことを「放擲」という用語を駆使して訴え、ここまでの議論を「放擲のヨーガ」とさえ名付けたのだ。クリシュナはそれこそが「寂静」であるとも言う。

 クリシュナの解説する「知識」は、「或ることにとらわれない知」のことである。これはサーンキヤやヨーガが見抜いた知識論に近い。
 どんな知識なのか。慢心や偽善ではないこと、不殺生であること、忍耐とともにありうること、廉直であること、師に対する帰属感をもてること、清浄であろうとすること、一貫して堅い決意のもとにあること、そして自身に対してプルシャからの観照をうけられるように抑制自在であること、これがクリシュナがアルジュナに与えたいと思った「知」の姿である。
 アルジュナは、しかしそれでもそんな「知」があるのなら、同族で殺し合うことはないのではないかという疑問を捨て切れない。そこでクリシュナは最後に背中を押したのだ。

 クリシュナは言う。
 アルジュナよ、本性によって定められた行為に徹すれば、人は罪に至ることはない。生まれつきの行為は欠陥があるものだ。すべての企みはその欠陥によって覆われている。そのことがわかるのなら、アルジュナよ、何を放擲すればいいか察することができるだろう。
 アルジュナよ、暴力と我執は同じものなのだ。尊大と欲望は同じものなのだ。怒りと所有も同じものなのだ。その軛を断ちなさい。そして、汝のアートマンがブラフマンと一体になるように、自身のこだわるものを、クリシュナに、ヴィシュヌに、ブラフマンに委ねなさい。それによってついに自在な信頼(バクティ)が動くであろう。そう感じられるような知識をヨーガしなさい。
 アルジュナは、このあたりでついに決断をする。あとは『マハーバーラタ』の物語が示すようになったわけである……。

五頭立ての馬車は、五頭の馬が眼、耳、鼻、舌、皮膚を表し、手綱は意志(心)、御者は知性を意味し、馬車のオーナーは魂(真我)にたとえられる。

 これで、ぼくのような30代に悩んだ者にとって『バガヴァッド・ギーター』がたいそう含蓄に富んでいることが、一応は伝わったのではないかと思う。
 ぼくはその当時、「知」の組み立てにある程度の自信をもったにもかかわらず、次のようなことに悩んでいたのだ。
 いったい「知」を伝達したり理解させる必要があるのかどうか。仮に意を決して「知」を伝達しようとしたときに、その理解を進めたくないと思う者に対してどうしたらいいのか。そうしたときに深い言葉を使わずに「わかりやすさ」に降りていくことがどれほど必要なことなのか。こんなことに、ああだ、こうだと悩んでいた。
 これはアルジュナの「戦うのか」「深まるのか」という懊悩や逡巡にくらべるとちっぽけなものであったけれど、ぼくにはけっこうな“煩悩”だったのだ。
 かくしてその後のぼくは、いったんさまざまな古典に戻るということを試みるようになり、そのなかでも老荘や仏教思想に迷妄を払う役を担当してもらうようになったのだが、そのうちもともと前衛も好きで編集も好きだったぼくは、それらをも複合的にとりこんだ編集的世界観を少しずつ仕上げるほうに関心を移すようになったのである。
 しかし、ふと気が付くと30代の“煩悩”のほうはあまり薄まってはくれていない。そこでちょうど読経をするように、疲れた目を遠景の輝きに委ねるように、『摩訶止観』や『浄土三部経』や『維摩経』や、そして『バガヴァッド・ギーター』やノヴァーリス(132夜)やエマーソンやジョン・クーパー・ポウイスなどを読むようになったのである。
 このこと、近くでそのようなぼくの迷いや呟きを耳にしていた木村久美子らには少しく察せられたことだろうけれど、実はこれまであまり語ってこなかったことだった。今夜はようやく、そのうちの一冊の『バガヴァッド・ギーター』を案内することにした。

  

⊕バガヴァッド・ギーター⊕

∃ 訳:上村勝彦
∃ 装幀:岩波制作部
∃ 発行者:山口昭男
∃ 発行所:株式会社 岩波書店
⊂ 1992年3月16日 第1刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ まえがき
∈ 第一章
∈ 第二章
∈ 第三章
∈ 第四章
∈ 第五章
∈ 第六章
∈ 第七章
∈ 第八章
∈ 第九章
∈ 第十章
∈ 第十一章
∈ 第十二章
∈ 第十三章
∈ 第十四章
∈ 第十五章
∈ 第十六章
∈ 第十七章
∈ 第十八章
∈ 訳注
∈ 解説
∈ 参考書