才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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大乗とは何か

三枝充悳

法蔵館 2001

大乗エッセイである。
ということは菩薩とは何かということだ。
そのために観音を眺めたい。たとえば不空羂索観音だ。
そのことを三枝さんが淡々と解いている。
今夜はその三枝さんの解き方を、
炭男に戻り、火元になって応えることにした。
そのことで三枝さんの感覚的抱握を尋ねることにした。
畏れ多いことだけれど、事由あって、そんな夜にした。
そこで、わが愛すべき別番に
ちょっと手伝ってもらうことにした。

 

別番 お呼びですか。
松岡 困ったときの別番頼み。
別番 火元からのお呼びじゃしかたないですね。いつでも、どうぞ。それでお聞きしますが、松岡さんはいつから「火元」(ひもと)なんですか。だいたいどうして火元なんてネーミングになったんですか。
松岡 かつてぼくは「炭男」(すみおとこ)と称していたことがあるんだね。「半巡通信」というたった8ページのパーソナルメディアを、最初は300人に、最後は4000人に無料で送っていたころのことです。7年ほど続けたかな。その「半巡通信」のなかで、「ぼくは炭男だ」と書いた。その炭男が発火すると火元になる(笑)。
別番 へえ、炭男? 火元以上に変な名称ですね。
松岡 炭男というのは、お望みならぼくを使っていつでも火をおこしていただいて結構、ときには消し炭になってさえマッチ一本で火がつくように準備しつづけて進ぜようということで、ふだんは真っ黒けの炭化物だという意味ですね。ただの炭。しかも折ったり割ったりしようとすれば、すぐ粉々になる。フラジャイルなんですね。そんな気分をあらわしている。その炭男がいつのまにか火元になった。じっと黙っているときが炭男の松岡正剛、点火されているときが火元の松岡正剛‥。燠火(おきび)こそ、ぼくの理想だからね。
別番 ああ、燠火‥‥。そういうことですか。でも、ちょっと危険な火元ですね。放火魔みたい(笑)。
松岡 そんなところだよ。「黙って炭男、放って火元」だもんね。そのことを知っている諸君がかっきり100人か150人くらい、いるはずだよね。いまのところはそれ以上はいないけど。でも、これはヒ・ミ・ツ。
別番 はいはい、わかってます。で、その炭男の火元が、今夜とりあげる本は何なのですか。
松岡 今夜は、三枝充悳(さいぐさ・みつよし)さんの『大乗とは何か』という一冊をとりあげようかと思っている。燠火です。
別番 おっ、いよいよ大乗仏教ですか。
松岡 そうなんだけれど、この本は大乗仏教を大上段に解説したものじゃないんです。どちらかといえば大乗エッセイという感じ。だからこそとりあげたくなった。
別番 はい、どういうことですか。

 

松岡 三枝さんは大正末期の1923年に生まれて、一部始終をインド哲学と仏教哲学の研究に捧げた人です。初期仏教に詳しく、大乗仏教を徹底して解明されようとされていた。集約すれば「空と縁起」の思想の本格派です。「空」というのは『般若経』を基本テキストとした中観派のナーガルジュナなどの哲学のことだよね。846夜の『空の思想史』にも概観した。「縁起」は知ってのとおり、大乗仏教思想のメインコンセプト。三枝さんは東京大学の印哲に入り、宇井伯壽や宮本正尊に傾倒して、こういう中観思想や縁起思想を主に研究されたんだけれど、ところがね、本書もそうだし、本書の直前に上梓された『縁起の思想』(法蔵館)もそうだったんだけれど、三枝さんはどこかに「切ない仏教観」を持っておられる。今夜はその三枝さんの香りを含めて話したいなと思っているんだね。
別番 「切ない仏教観」ですか。
松岡 ぼくは縁あって三枝さんのお宅に伺うことになって、幸運にもまさに空や縁起についてのオラルな手ほどきを受けることができたんだけれど、その当時の三枝さんはなぜか“自身の危機”のようなものを語られていた。仏教研究者がフラジャイルな自己を語るなんて、ちょっと意外だったんだね。それが何であるのか、当時のぼくにはよくわからなかったのだけれど、それがかえって切々とした三枝さんの哲人ぶりを“せつない霊波”のように感じさせたんです。そうか、仏教もやっぱりフラジャイルな出発点を何度ももつべきなんだと思った。それから三枝さんの本を読むたびに、その「切ない仏教観」とでもいうものに共感するようになったんだね。。
別番 じゃあ、三枝さんがもともとの炭男じゃないですか。
松岡 うんうん、そうかもしれない。三枝充悳こそ、ぼくなんか足元にも及ばない真剣な炭男だったかもしれないね。
別番 松岡さんはいろいろな僧侶や仏教研究者とは何人も出会われているんですよね。
松岡 深くお付き合いできたのは、華厳の鎌田茂雄さんが早かったかな。それから禅の秋月龍珉さんとか、いま高野山の管長になられている松長有慶さんとか。みなさん、炭男のまま何かを貫徹しようとされましたね。しかし、ぼくはいったん事を構えれば、落花狼藉の火元にもなってきた。
別番 ラッカローゼキ(落花狼藉)、ジユーローゼキ(自由狼藉)。
松岡 うんうん、そこで炭男としては三枝さんに倣いつつ、その思想研究の一端を、火元松岡正剛からちょっとばかり照らしたいというわけです。

不空羂索観音像
外側に開いた手には、索(さく)、数珠、綱などを持っている
(東大寺蔵)

 

別番 どこから話してもらえますか。
松岡 東大寺三月堂(法華堂)に不空羂索(ふくうけんじゃく)観音像があるでしょう。ぼくが学生時代に最初に打ちのめされた仏像です。けっこう大きな仏像で、最初に見たときから、ずっと偉大なものを感じてきた。去年も未詳倶楽部の面々と、この観音像の前で「ものおもい」に耽ったものです。小島伸吾は直立して仰ぎ、相京範昭はオペラグラスで眺め、中野由紀昌は潤んだ目で見上げ、中道明美はアンリ・ミショーしていたね。で、本書の冒頭で、三枝さんはその不空羂索観音像を昭和17年8月の夕刻に訪れたときのことを書いているんです。ぼうっと見ていたら、年輩の僧侶に「あんたはんも戦争に行かれるんかいな」と言われ、「いえ、まだ20歳になっていませんから」と青年の三枝が答え、そのまま黙って観音像を見上げつづけていたという話です。
別番 なんだかイミシンですね。
松岡 燠火だよね。それで三枝さんはそのときのことを思い出しながら、いったい観音って何なのかという話に入っていく。
別番 ふーん、なるほど。そういう本ですか。
松岡 観音ってどういうものか、わかる?
別番 「音を観る」なんて、カッコいいですよね。男か女かわからない超越的なところも感じます。モノセクシャルで、バイセクシャルで。
松岡 観音はね、サンスクリット語ではアヴァロキテシュヴァラ(ava-lokita-svara)というんです。なんともすばらしい名称だけれど、もともとはどういう意味をもっているのかというと、接頭辞の ava は「離れて、遠く」という意味でね、lokita は「光る・輝く」の lok から派生していて、これは「見る、受けいれる」という意味になっている。ということは、ここまでで、「離」をもって見る、その光景を受け入れるということなんだね。
別番 うーん、そうか。その話をしたかったわけですか。それならそれと早く言ってもらえばいいんです。
松岡 うん、まあね。でも、最初から言うのはね。しかも、これで話は終わらない。次の svara は「響く」の語幹が変化したもので、声とか音という意味になるわけだ。ということは、ね、ava-lokita-svara とは、「離」をもって遠くに響きを見て受け入れるとなって、それを縮めれば「遠くに音を観る」となるわけです。それゆえ「観音」とか「観世音」とかと漢訳できることになる。だから観音は、遠い音でも聞きとどけてくれるイコンなんです。それを「音を観る」ともみなした。なんだか世阿弥(118夜)の「離見の見」を思わせもするよねえ。
別番 観音は「離見の見」ですか。
松岡 でも、これまた簡単じゃない。仏教では、観音が聞く音は妙音とはかぎらないからね。美しい音とはかぎらない。仏教が重視した本来の音は「苦」の音です。
別番 そうですね、ブッダの仏教は「一切皆苦」という認識をもって始まりますからね。
松岡 そうだよね。仏教は、まず「苦」の音を聞けるかどうかから発進する。でも、その苦境も単純なものじゃない。「四苦八苦」というように、いろいろの苦があった。四苦というのはちゃんと名前がついていて、「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦」というものです。それを放っておくと八苦にさえいたる。人生、苦ばっかりなんだよね。
別番 もともとブッダの原始仏教の出発点に謳われた「四諦」(苦諦・集諦・滅諦・道諦)のトップに、苦諦が上がっていたほどですよね。
松岡 そうだね。では、その苦って何かといえば、むろん苦しみのことです。苦しみのことではあるけれど、仏教ではどういうことを苦しみと見るかというと、「うまくいかない」「望みどおりにならない」と思ってしまうことが苦しみなんです。
別番 望みどおりにならない苦しみ‥‥。
松岡 三枝さんに『宗教のめざすもの』(佼成出版社)という本があって、そこにサンスクリット語で「苦」をドゥフカというのだが、それは自分の内部に自己矛盾がおこってしまうことなのだという説明がされているんです。これはまことに深い解釈です。「私が私自身で背いてしまっている」ということ、それが苦しい。ドゥフカとはそれなんだというんです。
別番 自分で勝手に自己矛盾をおこしていることが、それが「苦」の本質なんですか。
松岡 そうです。つまりはいっとき「欲」をもってみたのに、それを自分で達成できなかったことが苦しみなんだね。これって、よくあることだよね。
別番 よくあるどころじゃないですよ。しょっちゅうです。このことこそ、今日の社会でも一番の問題ですよ。「アイデンティティ・クライシス」も「引きこもり」も「癒しの社会」も。
松岡 ということは、つまり「苦」の問題は「欲」との裏返しにあるんだね。それが仏教の基本的な見方です。けれども仏教なんて、ふつうは高度資本主義にも高度情報社会にもまったく無縁だと思われているため、今日のわれわれは「欲望が苦悩をつくっている」とはほとんど感じられなくなっているよね。その欲望はほとんど商品になり、その商品にわれわれはびっしり囲まれていて、しかも社会の大半がドゥルーズ=ガタリ(1082夜)のいう「欲望機械」になっているわけだから、処置がない。だからこそ、ときにはそろそろ仏教を、観音とともに本気で見たほうがいいということです。仏教では欲望に関知しない苦しみなどないというほどに、「欲」と「苦」の関係を突き刺して見つづけたんだから。
別番 「欲と苦」はくっついていたものですか。
松岡 そうです。そして、そういう世の中の苦境の声を、観音は聞くんだね。遠くからの声も「離」において聞く。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五
(浅草寺蔵)

 

別番 観音って、そもそもはどういう仏さんなんですか。
松岡 『法華経』の第25章に「普門品」(ふもんぼん)があるでしょう。観音がよく出てくるので、別名を「観音経」と呼んできた。三枝さんも昭和49年に『法華経』の現代語訳を出されたのだけれど、これはクマーラジーヴァ(鳩摩羅什)が漢訳した『妙法蓮華経』ではなくて、サンスクリット本にもとづいていた。それはともかく、「普門品」には13回も同じフレーズがくりかえし出てくるんです。何だか、わかる?
別番 「念彼観音力」(ねんぴかんのんりき)ですか。
松岡 おっ、さすがだね。そうだ、「念彼観音力」というフレーズだ。かつて泉鏡花(917夜)が好いた言葉だったよね。最近では美輪明宏(530夜)さんが「私、苦しいときはいつも念彼観音力を唱えるの」と何度も言っている。
別番 でも、意味はわからない。
松岡 念彼というのは「彼方を念じる」ということで、there を感じることです。here には苦境のわれわれがいる。there に観音さんがいる。だから念彼観音力とは、「彼方におはします観音の力を念じる」という思いをあらわしているわけだ。では、もしもその観音さんがわれわれの声を聞きとどけてくれるなら、どうなるか。すぐに救ってくれるんじゃないんです。観音はまず魔物を退散させてしまう。
別番 闘ってくれるんですか。
松岡 そうなんだ。障害を取り除いてくれる。それが観音力なんです。一種の浄化作用力と言っていいかと思うけれど、その力がきわめて多様で、ダイナミックで、変幻自在なんだね。いざとなれば苦境の元凶との戦闘を辞さないし、また、姿をいろいろ変えて障害を取っ払うために協力をしてくれる。そういう力。
別番 ということは、観音さんはわれわれ世間の者たちの苦境の声を聞いて、それがまっとうな叫びなら苦境の対象を打ち砕いてくれるというわけですか。アキハバラでダガーナイフをふるう前に、観音さんに会うべきでしたね。
松岡 妖面を取り払ってくれたかもしれないね。どのように破砕してくれるかというと、「普門品」には、時と所に応じて三十三の姿に変化(へんげ)して救済に乗り出すとある。
別番 変化する。姿を変える。ヘンシーン!ですね。
松岡 それがなんとも驚くべき変身力です。化けものじみているとも言えるし、それでこそ念彼観音力の正体だとも言える。だからこそ観音さんは泉鏡花のお気にいりだったんだよね。鏡花にとっては化けものこそが神聖だったからね。今夜の話に我田引水すれば、観音こそふだんは炭男で、変じて三十三の火元にならんというわけです。

観音三十三応身図
(東京国立博物館蔵)

 

別番 どういうふうに三十三変化するんですか。
松岡 三十三変化するだけじゃなくて、いろいろ変身する。かつてはね。たとえば『千光眼観自在菩薩秘密法経』では二五化身が、『首楞厳経』では三十二応現が、『阿婆縛抄』では二十八化身が語られている。それがいつしか、『法華経』の普及と根本経典化がすすむにつれて、「普門品」の三十三変化が定着した。
別番 ああ、そういうことですか。で、どういう観音の姿に変化するんですか。
松岡 もちろん、いろいろだ。三十三観音には楊柳観音・白衣観音・魚籃観音・水月観音・岩戸観音から蛤蜊(はまぐり)観音・一葉観音・滝見観音までがズラリとありますね。これでは、まるで何でも合体ロボのごとく観音さまになってしまっているとおぼしいんだけれど、これはきっと、庶民に愛された物語が曲がり角にさしかかったときに何かが出てきそうなトポスやキャラクターとして、三十三の観音があてがわれたのであったからだろうね。
別番 魔界の曲がり角に姿を変えた観音さんが待ってくれている。まさに物語の真骨頂ですね。
松岡 そうね。そうして、こういうふうにいったん変化が定着すれば、そこからはいくつもの発想や企画が生まれていったんだね。その企画の代表例が、ひとつは三十三観音のヴァージョンで、もうひとつは三十三の観音霊場。中世の僧侶たちは案外、PDS(プラン・ドゥ・シー)が好きなんですよ(笑)。
別番 そうか、観音霊場はそうやって企画されたんですか。
松岡 観音霊場が三十三ケ所になるのは、12世紀に園城寺の覚忠というお坊さんが西国の33ケ寺を選んだことから広まったようだね。それまでは、そんなものはなかった。覚忠もPDSが好きだったんだ(笑)。そのうち観音霊場はどんどん拡張されて、西国三十三所、坂東三十三所、秩父三十三所などというふうに、各地にいろいろ組み上がっていった。すでに100カ所をこえているとも聞いてます。
別番 観音さまだらけ。
松岡 君たちもいろいろ企画するといいよ。「三冊屋」だけじゃなくて「三十三冊屋」とかね(笑)。それらが札所(ふだしょ)となったのも近世になってからです。もっとも『梁塵秘抄』(1154夜)にはすでに、「観音誓ひし広ければ、普き門より出でたまひ、三十三身に現じてぞ、十九の品にぞ法は説く」などと歌われている。平安期には、熊野や長谷寺や清水寺が観音信仰の霊験あらたかな霊場だった。

西国第五番・葛井寺参詣曼荼羅図
図の中心に本堂・双塔・中門・南大門が置かれ、
本堂の中央に本尊千手観音、向かって右手には地蔵菩薩が見える。
西国三十三所観音霊場は、その成立当初は行者や僧侶らの修行の場であったとされ、時代を経るにつれ、貴族階級、さらには庶民の参詣が主流となり、寺院側もこれを対象とした参詣勧進を積極的におこなったという。

 

別番 観音には千手観音とか如意輪観音とかもありますね。あれは三十三変化とはちがうんですか。
松岡 六観音とか七観音とかいうものだね。もともとの観音のイコンの母型です。日本では七観音が篤く信仰されてきたよね。これは聖(しょう)観音、千手観音、馬頭観音、十一面観音、准胝(じゅんでい)観音、如意輪観音、そして東大寺三月堂の、あの不空羂索観音だね。
別番 なぜ6体とか7体なんですか。
松岡 三枝さんは、観音にこういう多様性が与えられたのは、天台智顛(ギのフォントがない)の『摩訶止観』に、六観音の功徳が説かれているからだと言っている。ではなぜ六観音かというと、6は実は「六道」の6に照応しているんだね。六道は、わかる?
別番 六道輪廻の六道ですよね。
松岡 そうだよね。六道は「地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界」という六つの段階にいる衆生(しゅじょう)の境遇のことです。衆生って、ぼくたちのことだよ。これ、六凡ともいいます。この境遇にいる者たちは、何かに救われないかぎりはいつまでも六道輪廻する。先へ進めない。どこかで慈悲に出会わなければ、のたうちまわる。つまりわれわれは放っておかれれば、みんな、ひたすらのたうちまわる六道の者たちなんです。
別番 はい、そうです。
松岡 そこで、観音の慈悲によって六道抜苦されることを希う。もちろん切に希わなければならないけれど、一心にそう祈っていれば、その衆生の苦境に応じて、六観音が声を聞いてくれるということです。念彼観音力は、この六道をも引き上げる。
別番 六道にいても、まだ大丈夫?
松岡 いやいや、そういう横着はダメです。本当は自分で六道を脱さなきゃいけないんだけれど、そして、それを切に希わなきゃいけないんですが、そうすれば、なんとか次の段階に進める。
別番 次の段階?
松岡 そう。ネクストステップがある。次の段階というのは、縁覚(えんがく)、声聞(しょうもん)、菩薩、仏(如来)です。この、以上の、六道と次の四つの段階をまとめて「十界」というんですね。「地獄界・餓鬼界・畜生界・阿修羅界・人間界・天上界、声聞界、縁覚界、菩薩界、仏界」という十界。そのうちの前6段階が六道で、後の4段階が四聖です。これ、「六凡四聖」ともいうね。
別番 10段階のマインドステップ。
松岡 まあ、そういうことだね。四聖のうちの声聞と縁覚が小乗で、菩薩と仏(如来)が大乗にあたる。
別番 だんだん向こうに近付いていく。

石山寺縁起
参籠する。藤原国能の妻の夢中に出現した観音菩薩。
あらゆる姿で衆生を救済する観音菩薩。

 

松岡 いまさらいうまでもないだろうけれど、観音の変化(へんげ)は、魔物退散や障害物除去のためだけではなかったんです。そもそもは「慈悲」の無償提供だった。男性的な観音が女性的な観音としてトランスジェンダーふうになっていったのも、「慈悲」のヴァージョンアップです。詳しいことは、ぼくがリスペクトしている彌永信美さんが『観音変容譚』(法蔵館)という、とても分厚い研究成果を発表したので、それを読むといい。『大黒天変相』(法蔵館)に続く“仏教神話学”という、彌永さんならではのニュージャンルの成果です。
別番 「慈悲」って、仏教の根幹ですよね。
松岡 そうだよね。無償提供の慈悲。この無償の慈悲を仏教では「憐愍」(れんみん)ともいう。仏教の眼目って、そもそもが「智慧」と、そして「憐愍」なんです。
別番 憐憫じゃなくて、憐愍か。いいなあ。
松岡 で、ここからがやっと本論になっていくのだけれど、こういう念彼観音力のルーツのことをよくよく考えていくと、これは大乗仏教そのものがもっていた根本思想だったわけです。いいかえれば、念彼観音力は観音だけがもっていた力ではなかったんだね。これは「菩薩道」のあらわれだった。つまり観音は大乗仏教の根本思想を、最もわかりやすくコミュニケートする先兵のイコンだった。
別番 そういえば、観音さんは観世音菩薩とか観音菩薩といいますね。観音も菩薩ですよね。じゃあ、観音の正体は菩薩ですか。
松岡 そうです。菩薩です。いっときは観自在菩薩とも光世音菩薩とも漢訳された。では菩薩というのはいったい何かというと、もともとはボーディサットヴァ(bodhi-sattva)を漢訳した「菩提薩◎」(ぼだいさった=タのフォントがない)の略語です。まあ、今夜は菩薩でいきましょう。でもわかりやすい話にしておこうね。大乗思想もそうとう深いからね。三枝さんも、この本ではそうされている。
別番 菩薩っていろいろいらっしゃいますよね。観音菩薩だけじゃなくて、弥勒菩薩とか文殊菩薩とか。普賢菩薩も地蔵菩薩も菩薩ですね。日光菩薩も月光菩薩も菩薩だ。ああういう菩薩は仏なんですか。
松岡 そこが微妙でね。菩薩の正体は何かというと、それこそ三枝さんが一貫して求められてきたことであるんだけれど、ボーディ(菩提)とは「悟り」そのもののことです。サットヴァは「気持ちがある人」という意味をもつ。だから菩薩というのは、まとめると「悟りを求める人」ということになる。そういう気持ちをもった者、それが菩薩の原義です。
別番 気持ちをもつ、か。魂胆とか覚悟とか。
松岡 その「そういう気持ち」のことを、仏教ではサットヴァ、訳して「有情」ともいう。そこでボーディにサットヴァ(有情)をつけて、ボーディサットヴァ、すなわち「菩提薩◎」と綴った。菩薩は「悟りを求める有情の人」ということになる。でも、最高のライセンスをもったサットヴァだね。そして、このような菩薩の気持ちをもつことが、大乗仏教の根本にある行動理念ともいうべきものになったわけです。ということは、大乗仏教は「菩薩の仏教」だということだ。それに尽きます。ちょっと説明が必要かな。
別番 そのためにわれわれを呼んだんでしょう(笑)。

阿弥陀聖衆来迎図
観音や無数の化仏、諸天を連れて往生者を迎えに来る阿弥陀如来。

 

松岡 仏教では、悟りを求めて覚醒しきってしまえば、実は「如来」という名がつくことになっています。釈迦如来とか阿弥陀如来とか薬師如来は、そうした如来だね。もう向こうへ行っちゃった人。ところが菩薩は、如来になるほどの本格的な修行も覚醒もちゃんと果たしているにもかかわらず、つまり最高のライセンスをもっているにもかかわらず、あえて如来にならずに菩薩にとどまった。なぜ、とどまったのか。衆生を救うためにとどまった。それが菩薩です。その菩薩とともに衆生に当たるのが大乗仏教。三枝さんはそこに惹かれたわけです。
別番 仏さんというふうに一くくりにできないんですね。
松岡 できないね。このことは仏像としての如来像と菩薩像をくらべてみても、察しがつく。如来像はほとんどが裸に一枚の法衣を身につけているだけだよね。すっからかんだし、重ね着もしない(笑)。西郷さん(1167夜)中西悟堂(1247夜)のように、ハダカ同然。これが仏さんのほうです。いわゆる本来の仏像。ところが菩薩像は、さまざまな道具や法具や装飾や武器をつけている。のみならず十一面になることもあれば、千手をのばすこともある。その手にいろいろのものも持っている。千眼もつけるし、武装していることもある。これは衆生の救済のための行動をおこそうとしているからなんです。
別番 なるほど、そういう違いですか。以前、松岡さんから如来の指には水掻きがあるとも聞きました。
松岡 それは二河白道(にかびゃくどう)を渡るからだね。浄土に行ったからだ。でも、菩薩は浄土に住んではいないんです。かくして菩薩の行動理念は、一言でいうなら「上求菩提・下化衆生」(じょうぐぼだい・げけしゅじょう)というものになる。上も求めるが、下にも向かう。ただ座しているだけではなかったわけだ。これを現代思想のほうからいえば、菩薩にはたえず「他者」というものが想定されているということになるだろうね。自他を同時に覚醒しようとしている者なんです。
別番 でも、そのような「菩薩の仏教」はブッダのころからあったわけではないですよね。だいぶんあとに大乗仏教がおこってからですね。
松岡 ブッダによって創始された仏教は、まだリテラルな仏教じゃないからね。ちょっとずつのグループがオラリティのなかで信仰していたにすぎない。そこで、しばらくはブッダが語ったことを伝承しつつ、9部12部経といったマスター・アーティキュレーションを進めていたんです。これをまとめていうと、経蔵・律蔵・論蔵の「三蔵」(トリ・ピタカ)があったというふうになる。そこで「十事」が議論された。これが原始仏教段階です。
別番 三蔵は最初からですか。
松岡 そうです。やがて紀元前の3世紀にマウリヤ朝のアショーカ王が登場して、仏教の国教化が進む。そうするとそのころになると、出家者たちが出家集団をつくり、それなりの部派に分かれていった。部派教団はそれぞれがブッダの教えを「アーガマ」(伝承コンテンツ)と呼び、そのアーカイブ作りにとりくんだ。
別番 アーガマって「阿含」ですよね。
松岡 漢訳されると阿含です。ついで、そのアーガマに詳細な注解と編集を加えていって、「アビダルマ」(論)を作成し、切り出していった。仏教史ではここまでが初期仏教ですね。仏教経典としては、この時期のものを初期経典という。『阿含経』がそうだし、『法句経』やブッダの前生を語った『ジャータカ』などがある。
別番 でも、分裂がおこった。
松岡 部派仏教がそれぞれ勢力を増していくと、どんな世界宗教史にも必ずおこることだけれど、大きな分裂がおこったわけだよね。2派に大別するとすると、いささか保守的な「上座部」といささか革新的な「大衆(だいしゅ)部」だ。まあ、自民党と民主党みたいなものかな。
別番 それは古代仏教に悪いですよ(笑)。
松岡 あっ、そうか。カトリックとプロテスタントでもないしね。だいたい宗教改革として分かれたんじゃなくて、世界認識の方法のちがいで分かれたんだからね。そりゃ、そうだ、で、これらはさらに離合集散をくりかえして、およそ18部の分派となった。これが「小乗仏教」です。小さい乗り物に乗った人たちという意味だね。部派仏教ともいう。
別番 さっきの十界でいうと、声聞(しょうもん)と縁覚(えんがく)の段階ですね。でも小乗ってけっこうおもしろいですよね。
松岡 おもしろいどころか、すごいところもいっぱいある。ぼくはけっこう夢中になった。だって「自己」の問題はすべてここに議論されているからね。でも「他者」のこととなると、そうはいかない。いずれ千夜千冊しようと思っているんだけれど、ヴァスバンドゥ(世親)なんていう大哲人は、だからこそ小乗から大乗にまで移っていったわけです。コンヴァージョンだ。
別番 『遊学』(中公文庫)でとりあげられていましたね。
松岡 うん、あれはヴァスバンドゥのほんの序の口だけれどね。で、そういうふうに小乗の教義があまりに細分化されていくと、仏教に帰依しようとする者たちはこの理屈っぽい動向を疎んじて、むしろ仏教全般の連携を求めるようになったわけです。そこには「他者」がいた。こうして、これに呼応する中期仏教がおこってきて、「大乗仏教」というムーブメントになった。まあ、ざっとはそういうことだね。

 

別番 大乗仏教の発展ってけっこうダイナミックだし、それにものすごい編集力を駆使していますよね。
松岡 そうだねえ。大乗仏教の出発そのものが、まずはブッダ以降の伝承アーカイブの大掛かりなディコンストラクションとリロケーションによって発進したからね。それで、2世紀初頭にクシャーナ朝のカニシカ王が即位するでしょう。そうすると多くの編集グループが組織され、また自主的に編集を開始する者たちもいて、その結果、大々的な仏典結集が次々におこったわけだよね。それが『般若経』『維摩経』『法華経』『華厳経』、そして「浄土三部経」の『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』などになっていった。100年とか200年くらいかけてね。これらが連発された。すごいねえ。どのスートラも完璧なほどに、よくできている。これをぼくは、初期大乗経典のナラティブ・スートラ化と言っているんですが、これって、わかりやすくいえば大乗仏教エンジン群の勢揃いですよ。
別番 大乗仏教というシステムを動かすエンジンですか。
松岡 そう、高性能エンジン。いつも思うんだけれど、こういうスートラ型のエンジンって、実に物語性に富んでいるよね。徹底した部立(ぶだて)と文巻(ぶんかん)と式目(しきもく)をびっしり内在させている。まさに絶品のナラティブ・スートラですよ。これらの経典の一貫性と多様性を見ると、そのみごとなアルス・コンビナトリア(結合的編集術)に、ほとほと感心させられる。いずれ、このうちの『法華経』か、それとも『華厳経』か『維摩経』を千夜千冊したいねえ。
別番 韓国の高銀の『華厳教』(681夜)はとりあげられましたね。
松岡 あれは現代小説として、ね。でも、やっばり原典のスートラをとりあげなくちゃね。
別番 大乗仏教のエンジンって、そんなに性能がいいんですか。いわばナラティブ・エンジンですよね。
松岡 そう、抜群によくできている。『旧約聖書』もナラティブとしてよくできているけれど、それ以上でしょう。ただしこの時代、これらの大乗仏典をすべてを連携させ、総合するマザーシステムは、まだ生まれてはいなかったんです。もしそういうものがあるとしたら、それはおそらく「縁起のマザーシステム」ともいうべきものだろうけれど、仏教はその後もついにそうしたマザーシステムを完成させなかったんですね。したがって、これらのナラティブ・スートラとしてのエンジンはあくまでも、その後の仏教史のどんな時代にも火を噴くごとく活用されつづけた大乗仏教エンジン群なんです。いわば、その連立方程式そのものなんだね。
別番 エンジンを相互につなげるという発想がなかったんですか。一個ずつのナラティブ・エンジンの出来がよすぎたからですか。
松岡 そういうことになるかもしれないね。そのかわり、これらの運用のなかから、どんな思想を結晶させるのかという研究がしだいに高まっていった。それをまとめて大乗仏教思想というわけだが、仏教史はここからこそ本格的な思想段階に突入していくんです。つまりは三枝さんの出番ですね。燠火です。

般若心経
天文年間、後奈良天皇が諸国一宮奉納のために書写したもの
(上杉神社蔵)

 

別番 ちょっと怖れずに言いますが、大乗思想って「色即是空・空即是色」ですよね。
松岡 菩薩の般若波羅蜜の行から観ずればそうとも言えるし、「生死即涅槃・涅槃即生死」とも言える。「有」と「非有」を行ったり来たりするからね。でも、もっと決定的なことをいえば、意識とか認識の「識の境」が「識」そのものになっているような思想ということだろうね。
別番 えっ、どういうことですか。境界そのものが意識ということですか。
松岡 うん、「識の境」が「識」にほかならないということ。対象領域をもたないめざめが大乗なんです。
別番 それって、めざめていくと境界がなくなるということですか。
松岡 そうじゃなくて、境界そのものがめざめるんです。それを唯識哲学ではかっこよく「唯識無境」と言ったりする。境にめざめがジゲンする。
別番 ジゲン?
松岡 似て現れるという似現。その「似現」が境界においてあらわれる。ということは境界は気がつけば“無境”だったということです。ついつい唯識論のとっかかりを説明しはじめちゃったけれど、これ、ちょっと難しいよね。だからこのへんのことは、いずれヴァスバンドゥをとりあげるときに話そう。それより順番でいえば、大乗仏教の思想化はね、まずはエンジン『般若経』にもとづいてグループ中観派が「空思想」を進捗していったところから立ち上がっていくんだね。諸君、知ってのとおりの、「空」をメインコンセプトとした思想の形成です。「空思想」は「中観思想」とも言いますね。
別番 最初の成果は、2世紀のナーガルジュナ(龍樹)によって大成されたものですよね。846夜の『空の思想史』にまとめられてもいました。われわれも商量でベンキョーした。
松岡 そこで、仏教史ではここからを中期仏教というのだけれど、ここに新たな大乗経典を生み出したり、作成したりするというオーサリングの活動が活発になるんですね。あるいは、新たなエンジンの設計だと見てもいいでしょう。めんどうくさい呼び方だけれど、これを仏教史では中期大乗経典第1期という。経典でいえば『勝鬘(しょうまん)経』『如来蔵経』『大般涅槃経』『解深密経』『大乗阿毘達磨経』などだ。これはさっきの初期大乗仏典より、一層も二層もディープになっている。
別番 いつごろですか。
松岡 だいたい3世紀あたりからの成果だね。なかでニューエンジンとしての『解深密経』(げじんみつきょう)にもとづく一派が登場して、そこに、かの「唯識思想」が組み立てられたんだね。この一派を瑜伽行派という。ヴァスバンドゥの唯識はここから出発した。その最高到達点がアーラヤ識だよね。これは井筒俊彦さんから清水博さん(1060夜)にいたって、いま日本でも深まりつつある議論になっている。これもいずれとりあげましょう。清水さんはとりあげたから、井筒さんかな。ついで中期大乗経典の第2期がやってきましてね、これは5世紀後半くらいにとりかかっていて、そこに『薬師如来本願経』『地蔵菩薩本願経』『金光明経』『金光明最勝王経』『楞伽(りょうが)経』『密厳経』『孔雀王呪経』、そして最近のぼくが気になっている『大乗起信論』などが結実した。だいたいここまでが大乗思想のムーブメントです。

 

別番 そういう大乗思想を、三枝充悳という先生はどう説明されているんですか。
松岡 一言でいえば「一人から一切へ」と言われている。
別番 いい言葉ですね。「一人から一切へ」。
松岡 一切というのは五蘊(色・受・想・行・識)のすべてということだね。これをいいかえれば、つまりはその一切合切を「空と縁起」の思想、「智慧と憐愍」の思想で説くのが大乗ですよ。それなら、なぜ大乗が「空」を重視したかといえば、部派仏教が実体をいじりすぎていたからです。そこでナーガルジュナがごつんとやった。実体を空じろと言った。そのごつんの「空」を、三枝さんは「カラ」だというふうに見るといいと言っている。
別番 カラッポのカラ。ウツのウツツ。
松岡 たとえば、このコップを例にすると、コップがカラになっているところがコップである“ゆえん”なわけだけれど、そういうふうに事象や存在の“ゆえん”をカラのほうから見るのが空観だ。三枝さんの説明はふういうふうになっているんだね。
別番 空隙の存在学。
松岡 そうそう、そのとおり。次の「縁起」については、三枝さんはずばり「関係の同時性」だと思えばよろしいと言われる。三枝さんはまたコップを例に持ち出して、コップをガラスとか容器とか日用品とか物体とかと見られるように、さまざまな関係を同時に感じられるかどうか、それが縁起思想の根本になると言う。
別番 えーっ、それは編集稽古そのものじゃないですか。
松岡 そうだよ。いけなかった?
別番 いえ、いけないとかじゃなくて、編集の「言い換え」って大乗思想だったんですか。
松岡 大乗じゃいけない?
別番 ダイジョーぶ(笑)。編集乗なんですね。それにしてもコップは大乗にも編集乗にもなるんですね。
松岡 なるほど編集乗か。それもいいね。ちょうと畏れ多いけれど。で、あとは「智慧」だけれど、これは般若波羅蜜の「般若」のことだね。般若といっても般若のお面の般若ではなくて、サンスクリット語ではプラジニャーの、パーリ語ではパンニャーの訳です。プラジニャーはどういう意味かというと、プラというのは「あまねく」で、ジニャーが「知る」だから、プラジニャーとしての般若というのは、「知るもの」と「知られるもの」を分けない智慧ということだね。
別番 シニフィアンでもシニフィエでもない智慧、ですか。鍵と鍵穴が一緒になっている。
松岡 そう、そう、そのとおり。そこにはヴァイツゼッカー(756夜)の回転扉がまわるだけ。それで、般若波羅蜜の「波羅蜜」のほうは原語がパーラミタなんだけれど、これは英語の訳をみるとすぐわかる。パーフェクションという意味なんだね。ということは般若波羅蜜というのは「最高の智慧」ということになる。菩薩道というのは、こういうふうに、般若を波羅蜜にもっていく作業に全面的に没頭するということになりますね。
別番 それが六波羅蜜の6つのパーラミタというわけですか。
松岡 そうだね。
別番 いままで一番わかりやすい般若波羅蜜の説明でした。
松岡 でも、どこか切ないよね。
別番 やっぱり編集乗なんですよ。
松岡 ところで三枝さんは、このような般若波羅蜜を行ずる菩薩道は、結局は「他」のほうへ行こうとするという意味にほかならないとも言われています。ここが「切ない仏教」だ。とてもいい。
別番 他のほうへ。浄土かどうかわからないけれど、そのほうへ。
松岡 如来がいるかもしれない、その燠火のほうへ、だね。
別番 それって、ひょっとすると『般若心経』の最後の「故説般若波羅蜜多呪、即説呪曰、羯諦羯諦、波羅羯諦。波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」ですか。あの最後で、「行ける者よ、彼岸に行こう」と言っているのと同じですよね。あの、ギャーティ・ギャーテイが‥‥。
松岡 ギャーティ・ギャーテイがね。うん、そうだね。「行こう、行こう、他のいる向こうへ行こう」です。今年の冬の2月24日の「感門之盟」で、夕凪アルケミストの渡辺恒久君が、そのことを静かに絶唱していたよね。あれは、よかったね。
別番 たいへん印象的でした。胸がつまった。
松岡 で、これはね、いいかえれば「到れり、到れり、ここに到れり」でもあるんだね。さらにいいかえれば、「ここまで来たね、ここまで来たね」ですよ。これって、「離」をもって遠くに響きを見て受け入れるという、観音さまの意味と同じなんです。そして三枝さんは、これを一言、「これがあるとき、かれがある」とも言われた。何ともいえない表現だ。大乗菩薩道とは、きっとこれなんだろうね‥‥。

蓮華王院(三十三間堂)本堂に並ぶ千一体の千手観音像