才事記

ゼビウスと横須賀功光

ぼくの半生はさまざまな才能に驚いてきたトピックで、髪の生え際から足の親指まで埋まっている。小学校の吉見先生との一緒の遊びや南海ホークスの飯田のファースト守備に驚き、藤沢秀行の碁の打ち方や同志社大学の平尾ラグビーに驚き、電子ゲーム「ゼビウス」のつくりや井上陽水のシンガーソングぶりに驚き、亀田製菓の数々の「サラダあられ」や美山荘の中東吉次の摘草料理に驚き、横須賀功光が撮った写真やコム・デ・ギャルソンの白い男物シャツに驚いた。

ファミコンゲーム《ゼビウス》

いずれも予告なし。ある日突然に出会ってたまげたのだ。これらの代わりにマイルス・デイヴィスを聴いたときとかヴィトゲンシュタインを最初に読んだときとか、そういうものを挙げてもいいのだが、できればナマっぽく体験したことと向き合ったほうがいいので、こんな例にした。

まずは何に驚いたかということが大事なのだが、それにとどまってはいけない。そのときこちらを襲ってきた唐突な感動が、その日その場のシチュエーションや当日の体調や別の記憶との共属関係とともに新たに残響してくることが、もっと大事だ。

われわれは当然のことながら、幼児期には何にでも驚いてきた。子供になってからもアサガオの開花やセミの羽化に出会ったこと、土中の化石やホタルの点滅を初めて見たのは、忘れられない体験だ。ただし、これら植物や動物を相手にした感動はのちにも体験可能になる率が高いけれど、それにくらべて誰かがもたらしてくれるものは、その時その場にかぎられることが多い。

この誰かによる感動とどう付き合えるかということから、世の「才能」というものへの陥入がおこっていく。

感動や共感について心すべきことは、出会って驚いた瞬間の感動というか逆上といったものを、その後どのように保持できる状態にしておけるのか、またその感動をここぞというときに脳裏から自在にリコール(リマインド)できるようにしておけるのかということにある。

感動も共感も誰にだっていろいろの機会におこるものだけれど、それをどこかに転移しても(時と場所とメディアを移しても)、その鮮やかさをそこそこ賞味できるかということが、キモなのである。

たとえば、誰かの講演を聞いて、おおいに痺れたとする。内容にも共感したとする。では、この感動をどのように保持するかなのである。またどのように再生するかなのである。これがけっこう難しい。

驚きをもたらしてくれたものには、当然にそれをあらわした当事者の才能が光っている。横須賀のモノクロ写真や陽水の歌においてはあきらかに格別の「個の才能とスキル」が発揮されたのだし、「ゼビウス」や「サラダおかき」には開発チームの「集団的で統合的な才能」が結実したのである。しかし、その秘密に分け入るには、たくさんの分析や推理が必要だ。

たとえば第1に、その才能が開花するにあたっては、少年少女期や青春期に何をめざしていたのかということがある。栴檀は双葉より芳しと言うけれど、小さいころの能力の芽生えがそのまま開花することは少ない。なんらかの深堀りやエクササイズが生きたはずなのだ。横須賀や陽水はそこをどうしたのか、これは覗きにいく必要がある。

第2に、その才能開花に預かったメンターや技の協力者やチームはどういうものだったのかということがある。ゼビウスはどのようにチームを組んだのか。一人で独創をはたしたかに見える棟方志功だって、実はたくさんのメンターがいた。志功はそのメンターに強く影響されたいと思った。指導者や師や影響者の存在は、メンターの資質に選択肢があるというより、むしろその師に掛けたほうの強度がモノを言う。

のちのちそんな話もしたいと思うけれど、ぼくの場合はいったん選んだ影響者のことを、その後もまったく疑うことがなかった。

また第3に、その才能によってどのように同時代の競争を抜きん出たのか、そこにはどんな時代の水準がわだかまっていたのかということも才能分析の対象になる。セザンヌが人気があったときとカンディンスキーが「青騎士」として登場したときとウォーホルがシルクスクリーンで登場したときとでは、時代のアイコンも驚きの関数も違っていた。そのため、その時々の勝負手がちがってくる。こういうときは、自分で才能を懸崖に立たせる必要がある。イチかバチかに向かう必要がある。

横須賀功光《射》

横須賀功光が颯爽と出現したときは、日本の写真界はキラ星がひしめいていた。ファッション写真や広告写真で腕を磨いた横須賀は、ここで全裸の若者をモデルに『射』というモノクローム作品に挑んだ。若者が壁に向かって跳び移ろうとする肉体を、撮ってみせたのだ。ライティングも絶妙だった。誰も見たことがない写真だった。

第4に、才能開花のためのエクササイズやレッスンや機材はどういうものであったかということがある。棟方志功のように「板と刀」だけが武器だということもあるけれど、多くの場合、才能開花にはいくつもの道具や機材が関与する。レンブラントの版画には日本から取り寄せた和紙が、プレスリーのギターにはマイクやアンプの性能が、アンセル・アダムスのf/64のカメラにはレンズやプリントペーパーの質がかかわっていた。

顔料やコンピュータをどう使うか、録音機やプロジェクターをどうするか、釉薬や鉄材は何を入手するか。テクノロジーは才能の信頼すべき友人なのである。このことも才能にまつわっている。

ぼくは執筆には、いまだにシャープの「書院」を使っている。発売されていないだけでなく、いまや修理ができる工房もない。

第5に、なぜその当事者たちは「ゾーン」に入れたのかということだ。才能に自信がもてるには、どこかでゾーン体験がいる。ゾーンに入るとは、予想を超えるノリに入ったことをいう。俗にエンドルフィンやアドレナリンが溢れることだ。

しかしながら、為末大が言っていたけれど、あるときゾーンに入っていけたとしても、その継続は必ずしもおこらないし、その手前でそうなるとはほぼ気が付かないものなので、そこをどうするか。そのため、アスリートの多くはゾーンを思い描いたイメージ・トレーニングをしたり、ルーチンを確実なものにしていくということをする。

けれども意外なことだろうが、スポーツ以外ならいくらだってゾーン体験は引き寄せることが可能なのである。一番有効なのは誰かとコラボすることだ。スポーツは必ずチームや相手がいてスコアを争っているのだが、他の才能開花は一人で自分の才能の発揮に悩む。そういうときは、誰かとともにその才能を試すのがいい。編集能力の発揮なら、学習仲間とともにさまざまなことを試みたり、メディアを変えたりするといい。

たんに感動したといっても、そこにはざっと以上のようなことが準備されていたり、参集していたのである。これらを無視しては才能は発揮できないし、才能を云々することも叶わない。

しかし、ここまでの話は、ぼくがこのコラムであきらかにしたいことの範疇のうちのまだまだ一端にすぎないのである。どちらかというと、ここまでは才能議論の準備やアプローチに必要なことで、実は序の口の話なのだ。クロート向きとは言えない。
 才能に痺れたのちに重視してみたいのは、驚かされた相手の才能は当方(受容者)にどのように伝播されたのか。その後はどうなっていったのか、ここを抉るということだ。

ラグビーの平尾やシンガソングライターの陽水の才能は、ほおっておけばすぐに「スポーツの才能」とか「音楽の才能」というふうに一般化されてしまう。また他のプレイヤーとの比較分布にマッピングされていく。ジャンクフードや料理の個別の感動は、たちまち無数の「おいしさランク」にいいねボタンとして回収されて、平べったくなっていく。

ゼビウスはその後は無数の電子ゲームが乱舞していったので、おそらくいま遊んでみても当初の感動は色褪せているにちがいない。

愛用の”お古” シャープ《書院》

コム・デ・ギャルソンの黒い紐付きの白シャツはいまでも気にいってはいるけれど(イッセイのスタンドカラーの白シャツなどとともに)、それははっきりいって「お古」なのである。

が、大事なのはこの「お古」との付き合いのうちにも、あのときの感動とそれをもたらした才能とを交差させられるかどうかということなのだ。

そもそもプラトンも人麻呂もバッハもゴッホも複式夢幻能も、これらはすべて「お古」なのである。「お古」だからこそ、何度もプラトンを読みなおしたり能楽を見なおしたりするのだが、そしてそれで少しは自分が感動した才能の位置や重みに気がつくこともあるし、少しは「お古」を脱したと感じるのだけれど、これでは甘いままになる。それよりむしろもっと「お古」を相手に才能と向き合うべきなのである。「お古」をバカにしてはいけない。

これは思うに、感動は転移しつつあるあいだも(AからBに、BからCやDに)それなりの主張をしているはずなのだから、その転移のなかでの様変わりな変容も捉えておいたほうがいいだろうということだ。ぼくが何を一番鍛えてきたかといえば、おそらくはこの「お古」をいつも甦らせる状態で自分の編集力をリマインドしたりリコールできるかということだった。

感動や驚嘆には才能の楽譜やレシピが刻まれている。ぼくの編集力はそのことをヴィヴィッドな状態でホールディングしたり別の場所にキャリングする(移行させる)ことを、試行錯誤をくりかえしながらも何度も試みることで、そこそこ鍛えてきたように思う。ただし、そこにはいろいろの秘伝もある。そのあたりのこと、おいおい話してみたい。

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アンチ・オイディプス

ジル・ドゥルーズ&フェリックス・ガタリ

河出書房新社 1986

Gilles Dejeuze & Felix Guattari
L'Anti-OEdipe 1972
[訳]市倉宏祐

 さっきから書斎の机上に『アンチ・オイディプス』と『千のプラトー』が置いてある。密告者が持ってきた秘密の二重標本箱のようだ。いずれも戸田ツトムと岡孝治のブックデザインで、浩瀚を律するにふさわしい。それを少し斜めに見ながらキーボードを打っている。いずれも最初に入手したときの書きこみを入れた2冊ではない。その2冊はだれかによって、どこかに攫われた。
 この2冊はジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリが二人で一人になり、一人が二人にも多数にもn+1にもn-1にもなって、荒々しい華厳ともいいうるような一蓮托生で書きあげたもので、しかもこれが一番肝心なことだが、「資本主義と分裂症」というとんでもない統合標題がついている。
 だから二冊で一組の上下巻ともいえるが、それぞれ独立しているともいえる。実際にもこの著述物が示す空間はそれぞれの範疇がちがっている。『アンチ・オイディプス』が発表されてから8年後に、序文に「リゾーム」を掲げた『千のプラトー』が出たのだが、まるで別々の空間に繁茂した植物になった。
 ぼくはこれからちょっとだけ、この二重標本箱を開けて、その中身のいくばくかを漏洩しようとしている。手から零そうとしている。今夜はそういう夜である。最初に、「千夜千冊」に因んで『千のプラトー』のほうのプラトーのこと、リゾームのことから洩らすことにする。

 プラトー(高原・高地)という言葉の思想的な意味は、かのグレゴリー・ベイトソンがバリ島を調査したときに特別の用法で使ってこのかた、ドゥルーズとガタリがこれを新たなカテゴリーとして蘇らせるまで、ほぼ死んでいた。
 ドゥルーズとガタリ(二人のことを一蓮托生でいうときは、以下、ドゥルーズ=ガタリと綴る)にとってプラトーとは、とりあえずは多様な強度が連続する地帯のことなのだが、殊更に、そこでどこかの頂点へ向かおうとする目標を回避する気になるような高原地帯のことを意味している(こう言ってもわかりにくいだろうから、あとで補足説明をする)。
 一方のリゾームとは、このプラトーを"千のプラトー"ほどに内在して張りめぐらせている感情や欲望や思想のルートが、あたかも地下茎のようになっていることをいう。訳せば多系的根茎というしかない。
 根っことしての地下茎に千の高原があるのはおかしいけれど、気分はわかる。比喩的にいえば、『アンチ・オイディプス』が地上の資本主義の病巣を銜えこんだ樹木群の追跡記録だとすれば、それらのいっさいを『千のプラトー』は地下に潜伏させ、すべての結び目をハイパーリンク状に、脱中心的に、そして多重的に繋ぎ変えた。『アンチ・オイディプス』は地上の樹木的で系図的なるものへの大胆な挑戦なのだが、『千のプラトー』のほうはそうした地上と同じ結び目が見違えるほどに、まったく異なる連接性になっている世界なのである。これを気分的には、太陽的な『アンチ・オイディプス』と月的な『千のプラトー』といってもいい。
 これも気分の問題だが、2冊をくらべると『千のプラトー』のほうがずっと独自なアレンジメントになっていて、読みやすい(このアレンジメントという用語もドゥルーズ=ガタリのおハコだ。フランス語ではアジャスマンという)。ここにはリゾーム・マトリックスが歴史を超えて炸裂するように記述されている。そういう2冊が「資本主義と分裂症」という二重標本箱の外見である。

 それにしてもドゥルーズとガタリは、よくもこんな面倒な大著(それぞれ2段組で500ページを超える)を10年かがりで著述したものだ。
 ぼくはドゥルーズには面識がないままにおわったが、ガタリには2度会っている。
 1976年くらいのことだとおもうのだが(『アンチ・オイディプス』は訳されていなかったし、『千のプラトー』はまだ原著も発表されていない)、ガタリをぼくのところに連れてきたのはアラン・ジュフロワで、それはぼくが主体性を嫌っているためだった。それ以前にジュフロワとそんな話をしたことがあって、それをおぼえていて「この男も主体性が嫌いなんだ」とガタリを紹介してくれた。
 初対面の理屈屋のフランス人との会話をそんな話題から始めるなんて、まったくツイてないほどの最悪のコースだったけれど、ガタリが主体性そのものを嫌っているのではなく、20世紀の精神分析が勝手につくりあげたニセの主体性(そのくせ後生大事にされている主体性)を嫌っているんだということだけは、すぐわかった。「たとえば?」と尋ねると、「フロイトユングも、それからラカンもね」と、眼鏡の奥でニコリと笑った。精神分析医のガタリがそんなことを言うのだからよほどのことだろうが、そのときはそれ以上の話はしていない。
 もっとわからなかったのは、マシーヌとかマシニークという言葉の用法だ。当時のぼくは「ソフトマシーン」というイメージを重視していたので、適当に機械感覚についての会話を交わしたのだが、どうもガタリの機械はそういうものではないらしい。もっと意識や活動に連動しているらしい。
 それで2度目に会ったとき(このときは金子郁容も一緒だった)、そのことを訊いた。「二人ともビョーキだからね」と言って、また笑っただけだった。ガタリにそう言われれば、二の句はつげない(ビョーキという言葉がいろいろ暗示的な意味合いをもっていたことはあとで説明する)。

 では、ここからは話を当時の時制から離して自由に書くことにするけれど、まずはガタリがマシーヌとかマシニークという言葉を乱発する意図から入っていこう。
 ガタリには『機械状無意識』とか『闘走機械』という本があって、しょっちゅう機械が出てくる。『アンチ・オイディプス』にも機械という単語は頻繁だ。
 この機械という言葉のもつ磁場のような意味はなかなかの曲者で、たとえば「原始土地機械」「専制君主機械」「資本主義機械」などとつかわれるかとおもえば、「欲望は機械である」とか「戦争機械」とか「無意識とは機械である」とかというふうに、ギョッとするような用法になったりする。
 いったい何が機械なのか、どういうことを機械的とか機械状と言っているのかというと、ここからはややマジメに解説しなければならなくなるのだが、ドゥルーズ=ガタリは、機械が何かにくっついた状態を強調したいのだ。何に機械がくっついているのかというと、この機械は身体や欲望にくっついている。逆にいえば、身体や欲望や表現や商品が機械にくっついている。

 われわれは原始古代からずっと道具や器具を作りつづけてきた。その道具や器具とともに欲望や思索を開発してきたわけである。
 たとえば、望遠鏡を発明して天体の謎をもっと深く解きたくなったのだし、蒸気機関車に乗ってからもっと速度を官能したくなった。ピストルがあるから離れた相手を殺したくなったのだし、カメラを手にしたから記念や証拠の写真を残したくなった。あるいは破り捨てたくなった。パソコンがあるからハッカーになれたのだし、ケータイがあるからメールをしたくなった。
 そうだとすれば、こうした道具や機械とわれわれの思索や欲望や身体はくっついていると見なしたほうがいい。ドゥルーズ=ガタリはそのように人間の活動と道具や機械がつながっている状態になっていることを「欲望機械」とか「機械状」とかと名付けた。
 これが、ドゥルーズ=ガタリが「機械」という用語を駆使する理由だった。ときに二人によってマシニスム(機械状主義)といわれる。まあ、わかりやすくいえば「みんな機械仕掛けになっている」という意味だ。
 しかし、その機械状なるものがわれわれの思索や欲望と切っても切れないものになっているとして、そのことを表明することがどうして「資本主義と分裂症」という奇怪な統合標題があらわすためのホットワードになっているのかというと、これについてはもう少し深入りして説明する必要がある。まして「無意識は機械である」というような言いかたを理解するには、ドゥルーズ=ガタリとともにこのことをしばらく考えてみる必要がある。

 まず、分裂症(スキゾフレニー)が大きな問題として扱われていることから解いておく。
 ドゥルーズは、ガタリと『アンチ・オイディプス』を共著作業する4年ほど前の1968年に、『差異と反復』という記念碑的な本を刊行した。ここにアントナン・アルトーが出てくる。アルトーはシュルレアリスムにかかわったフランスの詩人で、異能の演出家でも役者でもあったのだが、1930年代後半から8年にわたって精神病院に入っていて、退院してパリに戻ってから2年後の1948年に、癌のまま人知れず死んでしまった。ただ、そのあいだに、文章やデッサンや演劇やカーニバルのプランをいろいろ書いた。生前はほとんど知られていなかったのだが、死後に『演劇とその分身』が発表されると、みんなが圧倒された。
 その思考の跡はどんな領域にも収まりきらないもので、それをトレースしてみると、むしろ多様な境界を次々に侵食していくような、これまでにない根源的な思考の進みかたをあらわしていた。
 このアルトーの思考の進みかたはあきらかに分裂症に関係がある。ドゥルーズは『差異と反復』でそのようなアルトーに注目して、そこに思考することの衝動のすさまじさを発見し、この衝動こそがあらゆる種類の分岐を通りすぎつつ、さまざまな固定した思想の中心を崩壊させ、亀裂させ、そのうえで新たなものを結びつけていく力なんだということに気がついた。そして、その衝動の発現が「器官なき身体」というものから出ていると見た。

 ここに登場してきた、これまた奇妙な「器官なき身体」という概念は(ドゥルーズは概念を考えることが一番好きな哲学者なのだ)、アルトーが使っていた用語をそのまま流用したもので、ドゥルーズの説明では、ヨーロッパの歴史と社会の深層の危機を告げる拠点にあたるものだとされた。
 そのイメージはアルトーの次の詩に暗示されている。

  皮膚の下の体は過熱した工場である
  そして外では病者が輝いている
  彼はきらめくあらゆる毛穴を炸裂させて

 まさに分裂症の渦巻く衝動を綴っている。ドゥルーズはしかし、この衝動を本物ととらえたのである。意識の本来の正体はこういうものだとピンときた。
 そして、このような分裂症的な衝動(すなわち欲望)こそが思索の本来を貫くものとなり、さらには社会の滞留点をどんどんぶっこわしていくものになるのではないかと推理した。ただし、そこにニセの主体性やニセの精神分析による制御が加わらないかぎり――。
 こうした内容をもつ『差異と反復』の発表のあと、1968年のおわり近く、ドゥルーズはガタリと初めて出会う。ガタリはまさに精神病を研究している現場の精神科医だった。

 ここで急いでドゥルーズ=ガタリのそれぞれのことを、少しだけ覗いておくことにする。
 ジル・ドゥルーズは自分のことをほとんど語らなかった哲人だが、父親がエンジニアで、兄貴がレジスタン活動にかかわって、アウシュヴィッツの強制収容所に向かう列車のなかで死んだことは知られている。リセのころはサルトルに熱中したようだ。「そのころぼくのすべてがサルトルだった」というようなことを、どこかのインタヴューで言っている。
 長じてソルボンヌに入って哲学を専攻し、1952年に最初の著述を出版するのだが、それが『経験と主体性』というヒュームについての論考だった。それから10年ほどは沈思黙考したらしく、そのかわり60年代に入ると爆発的に書きまくった。タイトルを見るだけでなんとなくわかるだろうが、『ニーチェと哲学』『カントの批判哲学』『プルーストとシーニュ』『ベルクソンの哲学』といった連打だ。そのうえで1968年に『差異と反復』という傑作を発表した。
 このうち、ドゥルーズの思索がヒュームに始まったこと、ニーチェとベルクソンとプルーストに埋没したこと、そして『差異と反復』にアルトーの「器官なき身体」のほかに何を書いたかということがとくに重要であるけれど(基本は「差異」とは何かということ)、今夜は省略する。

 フェリックス・ガタリはドゥルーズより6歳下で、1953年に開業創立されたパリ郊外のラボルド精神病院に務めて、しだいに主導的な役割をはたすようになっていた。
 若いうちは共産党に入党していた活動家だったが(これはドゥルーズもフーコーも同じこと、ただ三人はルイ・アルチュセールのようにはずっと党員にとどまらずに脱党した)、やがてジャック・ラカンに始まったラカン派の精神分析を試みるようになっていた。ところがガタリは、だんだんラカン派の分析に疑問を抱く。
 それというのも、もともとラボルド精神病院は精神医療は医学の外部にあるべきもので、むしろ社会や組織や集団の問題とともに解くべきものだという方針をもっていたためだった。ガタリはもう一人の主導的メンバーだったジャン・ウリーとともに、ラカンに対して、さらにフロイトに対しても強い批判をもつようになっていく。
 こうしてさきほども言ったように、パリが五月革命で燃え上がった1968年という劇的な舞台の片隅で、二人が出会ってドゥルーズ=ガタリとなった。

 話を戻して、なぜ「資本主義と分裂症」という統合標題がついたかということだが、ドゥルーズ=ガタリは分裂症の本質には、衝動や欲望が内部にむかって押し潰されているところがあると見なした。そして、そのようになっているのは資本主義社会のせいではないかと考えたのだ。いや、資本主義というものはもともとそういう本質をもっているのではないかと考えた。
 なぜならひとつには、今日のような精神分裂症のひどい広がりは古代はむろん、中世近世にも、少数をのぞいて蔓延しているとは想定できない。どうも資本主義の発達と定着にしたがってふえたと考えられる。そうだとしたら、資本主義というものは欲望を内部に溜めてしまう欲望機械であり、分裂症は資本主義社会で自分の欲望に走ろうとしているかぎりは、だれにとっても発症しうるビョーキだということになる。
 ここからはいろいろの見方が出てくる。フランソワ・リオタールのように、これをリビドー経済学ととらえて、経済がたえず欲望を隠蔽し、排除し、変形しているというふうにも解釈できるし、ピエール・クロソウスキーのように、経済の構造は情動(欲望でもいいのだが)の副次構造にすぎないとみなすこともできる。
 しかし、ここにはさらにもうひとつの問題が裏打ちされている。それは、そのように資本主義がつくった精神のビョーキを、フロイト以来の20世紀の精神分析学はかえって封印するか、歪んで取り出してしまったのではないかという問題だ。この問題は資本主義の問題よりも、ばあいによってはもっと大きな問題である。ドゥルーズ=ガタリは、もしそのような問題があるのなら、それは、精神分析学というものが本来の欲望の動向が示すものが何かを見届ける前に、そこに"健全な主体性"というものを設定して、そこからずれるものを心の病いにしてしまったのが原因になっているのではないかと見た。それなら、これを告発するぞと決めたのだった。

 総じてフロイト心理学というものは、無意識がうまくコントロールされずに外にはみ出してしまった心理現象をもって、これを精神病と規定した学問である。
 もともとは、ヒステリーや神経症がキツネや魔女や悪魔などのせいではなく、また本能や遺伝や家系などのせいでなく、幼児期などに受けた心の抑圧が要因になって、それがさまざまに体にあらわれて病いのかっこうをとっているとしたのだが(このようにしたからフロイト心理学は医学という科学になりえた)、しだいにその心のモデルが整理されるうちに、精神のビョーキは無意識(エス)、自我、超自我といった自己規定型の概念でことごとく説明されるようになっていった。
 こうなると、ビョーキの説明概念が人間の心の説明概念にとって代っていく。
 たとえばフロイトによれば、われわれが眠っているときに見る夢は目的が果たされなかった願望の充足や補足なのである。子供は食べたいキャンディが食べられなくて、夢のなかでキャンディに会う。ただし大人は願望を満たせない自分というものも知っているから(それを超自我という)、夢のなかでもその検閲をおこなって、そのかわりに願望の対象を別のものに代替させて調整をとっている。本当かどうかは知らないが、女性は性欲をネックレスの夢に、男性は果たせぬ性欲をネクタイにする(逆でもいいけれど)。
 平たくいえば、そういう解釈になっていった。これでは無意識を超自我がそうとう巧みにコントロールしないかぎり、いつもビョーキ寸前ということになる。
 しかし、ドゥルーズ=ガタリに言わせると、この超自我の設定がニセの主体性の設定なのである。すなわちこのように分析して病名を決めてしまうから、本来の欲望が歪んだままになる。つまりここにはフロイトに始まる心理機械とでもいうものがはたらきすぎて、いわば無意識をも心理分析機械と切り離せないものにしてしまったのだ。「無意識は機械である」にはこのような意味がひそんでいる。

 これで、二重標本箱に「資本主義と分裂症」という標題がついている理由の大枠は見えたろうとおもうのだが、では、それがさて『アンチ・オイディプス』として起爆していったのはどうしてかということだ。
 説明するまでもないだろうけれど、フロイトはエディプス・コンプレックスの研究をした。エディプスはソポクレスの悲劇王オイディプスのことである。その物語の梗概は第657夜に書いたので省略するが、フロイトはこの物語から、「幼い男児には父親を亡きものにして母親とつながりたいという願望がある」という心のメカニズムを引き出して、それをエディプス・コンプレックスと名付けた。コンプレックスというのは劣等感のことではない。観念がつながりあっていることをさす。
 オイディプスの物語から両親と子の相剋を抜き出し、それを意識の根底にかかるコンプレックスのモデルとしたことに、ドゥルーズ=ガタリは痛烈な異議を申し立てた。
 意識や情動ってそんなものなのか。一人の幼児の意識や情動はもっと世界を駆けめぐっていくはずだったのではないか。それをフロイトは早々に切り出してしまったのではないか。二人はそう言いだした。だから二人のメッセージはアンチ・オイディプスなのである。

 ドゥルーズ=ガタリにしてみれば、コンプレックス(観念のつながりぐあい)は、「器官なき身体」がもたらす情動の霰走りであるはずなのだ。
 それはアルトーの溢れるような発想になっていくはずのものであって、それをどこかで中断させたり、資本主義的な欲望にすり替えようとすれば(資本主義的な欲望なんてキリないものだから、そこにも必ず中断があるのだが)、病名としては分裂症というふうになってしまうだけなのである。
 すでにレヴィ=ストロースミルチャ・エリアーデが解明していたように、神話時代にはそのような発想は分裂症とはならず、商品購買やその私有ともならず、次々にイコンや物語や図像世界に向かって広がっていった。『アンチ・オイディプス』にはドゴン族の話もとりいれられているのだが、そこでは「私は母の息子であり、兄弟であり、夫である」というような、それこそフロイト心理学からすれば必ずやビョーキと裁断される幻想が翼をのばしている。

 ドゥルーズ=ガタリは資本主義を否定したのだろうか。分裂症を肯定したのだろうか。そのどちらでもない。狭すぎる学問というものが作り出す意識や存在の規定が、ついに社会にこびりつくまでに至っていることを告発したのである。だから、これは標本箱なのだ。
 こうしてドゥルーズ=ガタリは次の『千のプラトー』では、資本主義的社会からは見えない紀元前1万年の、紀元前7000年の、紀元前587年と紀元70年の、そして1227年や1730年の情動のリゾームのネットワークを張りめぐらすのである。『千のプラトー』は『アンチ・オイディプス』の裏にある歴史篇なのだ。標本箱は二重だったのである。そこはn+1ではなく、n-1で描かれる。
 そこをドゥルーズはのちの『記号と事件』では、インタヴューに応えて「欠けたところのリングが集まったようなものだと考えていただければいい」と説明した。
 それで何を『千のプラトー』にしたかといえば、思索の極限で器官をつかいはたした状態の意識がプラトー状態なのである。そのプラトー状態で、なおどのようなリゾーム状の記述が可能かというのが『千のプラトー』という実験なのである。
 これは、元に戻っていえば、ドゥルーズが『差異と反復』で持ち出したドゥンス・スコトゥスとスピノザニーチェを「生成の契機」としたことから始まっていた方法だった。とくにニーチェの永遠回帰の思想そのものを「生成の存在」と見たことが、新たにリゾームのなかのプラトー状態として発現してきたというふうに見てとれる。ドゥルーズ=ガタリはそれをさらにノマドロジーとして開放させるようにした。リゾームを開いていったのだ。
 まあ、リゾーム・マトリックスの玉手箱にいくつも煙が吹き出て、読む者の時空感覚を変えられるようにしたとでもいえばいいだろうか――。

 いささか焦って二重標本箱の蓋を開けたかもしれない。零れるものが多すぎた。でも、今夜はこれでいいだろう。こんなものじゃすまないというのなら、やはり、戸田ツトム君たちの装幀による2冊を読まれるのがいい。それも面倒というなら、これはぼくの是非とものお奨めだが、宇野邦一の『ドゥルーズ流動の哲学』を読まれるといい。ドゥルーズの教え子で、アルトー研究者でもある精鋭碩学による心優しき案内だ。
 それから、むろんドゥルーズとガタリの単著がなんといっても豊饒に待っている。ぼくは宇野邦一が訳したドゥルーズの『襞』(ライプニッツ論である)や、ガタリが独得のダイヤグラムを駆使した『分裂分析的地図作成法』が好きだ。
 しかし、二人はもういない。ガタリは1992年8月に心臓発作で死んだ。ドゥルーズは1995年11月に自宅のアパルトマンから投身自殺した。われわれには「器官なき身体」と打ち続く「千のプラトー状態」だけが残響している。

附記¶ドゥルーズの主要著書は、『差異と反復』(河出書房新社)、『プルーストとシーニュ』(法政大学出版会)、『ニーチェと哲学』(国文社)、『襞』(河出書房新社)、『記号と事件』(河出書房新社)など。ガタリには『精神分析と横断性』『分子革命』『機械状無意識』(法政大学出版会)、『三つのエコロジー』(大村書店)、『闘走機械』(松籟社)、『カオスモーズ』(未訳)などが残された。二人の共著は『千のプラトー』『哲学とは何か』(河出書房新社)、『カフカ』『政治と精神分析』(法政大学出版会)がある。宇野邦一『ドゥルーズ流動の哲学』(講談社選書メチエ)、篠原資明『ドゥルーズ』(講談社)などもお忘れなく。