父の先見
リア王
岩波文庫 1963
Wiliam Shakespeare
King Lear 1607
[訳]福田恆存
ときどき「なぜやらなかったの、せっかくだったのにもったいない」と言われることがおこる。仕事でも出品でも、旅行でも逢い引きでも。なかに役者としてのチャンスを逃した二度の逸失が含まれている。
ひとつは森田芳光君が映画に引っ張り出そうとしたときで、作品は丸山健二原作の《ときめきに死す》だった。一度、人を介して断ったところ、監督がわざわざそのころ住んでいた麻布の自宅まで口説きに来てくれた。「役者ではなく実在の人を使いたいんです。それで、いろいろ考えて松岡正剛さんと谷川浩司さんで映画にしたいと考えたんです」と監督は言った。谷川とはそのころの将棋の名人である。
このアイディアには感心したし、森田君の才能にもかねて目をみはっていたのだが、ぼく自身に役者になる動機が薄く、断ってしまった。「やればよかったのに」とその後もよく言われる。映画は沢田研二が主演して、ぼくの役は日下武史が演じた。
もうひとつはチャンスでもなんでもないのだが、あるいはやっていれば何かがおこったかもしれなかった思い出だ。中学三年の学芸会の演目を選んでいるとき、担当の美術の日ノ下先生がいったい何をどう判断したものか、ぼくに『リア王』をやりなさいと命じたのだ。「荒野をさまよってリア王が狂うところがあるやろ、あそこを松岡がやるとええわ」というのだ。「おまえにはそういうところがあるしなあ」。この先生、何を考えているのかと思った。
この話はすぐに流れて、たしか『七年目のイリサ』とかいう軽い芝居になった。ぼくも出演したが、七人の神々の頭目のような役だった。なに中学生のことだ、思いきってリア王をやっていればよかったかもしれない。きっとお笑い草だったろうが。
シェイクスピアの四大悲劇は『ハムレット』も『マクベス』も『オセロー』もさすがに出来がいいが、最高傑作はなんといっても『リア王』である。もし、もう一作をあげるとすれば遺作となった『テンペスト』(あらし)であろう。
愉快で機知に富んでいた流行劇作家が、突如として悲劇を書きはじめたのは一五九九年の『ジュリアス・シーザー』からだった。ここからシェイクスピアにどういうわけか暗い影がつきまとっていった。批評家はこの理由についていろいろ書くが、こういうことは作家や芸能者や工芸者などの表現者にはよくおこることで、シェイクスピアだからといって例外ではない。それが約十年続いた。
そのあいだに十四篇の戯曲が書かれ、そのうち九篇が悲劇だった。順に『ジュリアス・シーザー』『ハムレット』『トロイラスとクレシダ』『オセロー』『リア王』『マクベス』『アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』『コリオレイナス』である。
ところがシェイクスピアは『コリオレイナス』を最後に、まるで憑きものが落ちたように悲劇を書かなくなる。これも理由を云々するまでもなく、作家の身にはよくおこることだ。
最後の一六一一年の『テンペスト』だけがそうした流れを超越していたが、魔術師プロスペローと精霊エアリアルを配したこの作品は、喜劇のなかの悲劇の出現という、あるいは変化するものの本質とは何かということをめぐっての、まったく新しい方法の提示だった。だからピーター・グリーナウェイは自身の映像作品には『テンペスト』を選び、《プロスペローの本》にした。ワダエミさんが衣裳を担当した。
それにしても四大悲劇がたった五年ほどのあいだに次々に連打されたことは、信じがたいほど驚異的な「内爆」ともいうべきもので、シェイクスピアが人間が到達した悲劇的形而上学の秘密の内裏になんらかの方法で深々と触れていたことを告げている。それはのちにゲーテとドストエフスキーとニーチェが、日本でいうなら世阿弥や近松や鷗外らが総力をあげて挑んだ主題でもあったけれど、それをシェイクスピアはたった五年で成し遂げた。
なぜそんなことを短期間でできたかというと、四大悲劇にはそれぞれの編集的特質がひそんでいたということ、それぞれの悲劇の素材はシェイクスピアのオリジナルではなかったことに与っている。たいてい種本や素材や伝説が先行していて、これらを組み立て、多様な変奏を加え、そこに深甚な主題を圧縮していったのである。それが悲劇を発酵させるための作劇法だった。
作劇法は一作ごと異なっていた。そこはさすがにシェイクスピアの異能というものだったが、そうであればこそ、四大悲劇を同じように感心してしまうというのは、つまらない。先にその感想を書いておく。
まず『ハムレット』(Hamlet)だが、これはトマス・キッドの『スペインの悲劇』をヒントに、舞台をデンマーク王国にもってきて、悩める王子を主人公にした。
父王が叔父のクローディアスによって毒殺されたということを、王子が亡霊になった父王から聞かされるという「告知の到来」に工夫を凝らし、そこに王子ハムレットの復讐のための「擬装」という趣向を加えた。けれども劇的構造としての悲劇性を定着しきれなかった。ハムレットのゆれうごく心に対応する何かの装置か機能かが欠けた。T・S・エリオットもそういう文句をつけたことがあったと記憶する。ただし、その欠陥をハムレットの独得の行動で撃破した。独得の行動とは人間にひそむ演戯性というものである。「擬装」が「擬想」に及んでいた。
われわれは『ハムレット』を読んで、またその芝居を見て、半分は人間における憂鬱の本質を、もう半分は人間における演戯の本質を体験する。だから王子ハムレットを追うかぎりは、この芝居にはつねに永遠の共感がある。けれどもこれは悲劇というほどのものではない。憂鬱と演戯の意想哲学なのだ。
ヴェニスのムーア人を主人公にもってきた『オセロー』(Othello)も本格的な悲劇とはいいがたい。軍人オセロー自身は決して行動をしない。宿命を変えるために周辺にはたらきかけるのはイアーゴーであって、オセローではない。
オセロー自身にはその内部に宿命を変える悲劇的推進力がない。最後の最後にオセローは妻のデズデモーナを殺し、デズデモーナに口づけをしながら自害して事態としての悲劇に結末をつけるけれど、それまでは福田恆存が言うように、オセローは歌舞伎でいう「辛抱立役」にすぎないのである。
ただし話としてはすこぶる歌舞伎っぽくて、おもしろい。デズデモーナのハンカチが巧みな小道具になっている。ヴェルディにオペラ《オテロー》があり、これをフランコ・ゼッフィレッリが映画にしていたが、さすがにうまかった。
ついで『マクベス』(Macbeth)もまた、王位をほしがるマクベスを動かすのはマクベス自身ではなく、森であり、魔女であり、マクベス夫人なのである。
冒頭、三人の魔女が「きれいは汚い、汚いはきれい」と歌って乱舞するところにスコットランド軍のマクベスとバンクォーが通りかかり、「汝は王になれるだろう」と予言されて話が始まるのだが、その後の出来事はこの「予兆の実現」に向かって歪んでいくというふうになる。あとはマクベスの愚かさと夫人の執念が燃えあがる。それゆえ悲劇的性格が乏しいままになっている。とはいえ劇的構成の全体はすばらしく、だからこそ黒澤明はそこを《蜘蛛巣城》に移してみせた。
こうしたことを比較すると、やはり『リア王』(King Lear)こそがシェイクスピアがつくりあげた完璧に近い悲劇作品だったことになる。
こんなものすごい悲劇造形はめったにありえない。もし引き合いに出すのならギリシア悲劇の二、三であろうけれど、ギリシア悲劇ではソポクレスの『オイディプス王』を除いて、遼遠なる絶対事実の進行の裏で見える理性が見えない神々とちょっとした取引をしていたし、多くの台詞がしばしば神話に譲歩させられていた。『リア王』にはそういう取引がない。いっさいの悲劇はリア王の魂が引き取ってなお深淵に引きずりこんでいる。そこには恐ろしいほどの「錯乱の悲愴」というものがある。
人間にとって、錯乱ほど恐ろしいものはない。こいつは何を言っているのか、何を血迷ったのかと感じられてしまったら最後、どんな権威にも功績にも信頼にも電撃のような亀裂が走る。日常会話の場面ですら、その精神のわずかな異常が疑われ、そこに立ち会った者たちを震撼とさせる。
私の母がある夜の夕飯の食卓で、突然に自分の箸で娘の前のご飯をつかもうとしたことがある。つねに丁寧で優美であった母が突如、そういうことをした。いったい何がおこったのか。何かのまちがいがおこったのだ。食卓は静まりかえり、その場をとり繕うことはだれもできなくなっていた。七十年間、母がそんなことをしたことは一度もなかった。しばらくして母が「わたし、いま変なことをした?」と言ったので、なんとかその場は元に戻ったのだが、その夜の就寝時になって妹が報告にきた。「いま、お母さんがね、パジャマのパンツを頭にかぶったの」。
日常のこんなささいな出来事でも、錯乱の徴候はその場のすべての心を凍らせる。まして一国の王の錯乱が及ぼすところのものは計りしれない。リア王においてはそれが純朴なコーディリアへの怒りから発し、ついに荒野を彷徨するまでに達することになる。その間、一点の遺漏というものがない。『リア王』はその一作においてギリシア悲劇より大きなものになったのである。
シェイクスピアが『リア王』のためにつかった資料や素材が何であったかは、だいたい研究者があきらかにしてくれている。下敷きはリア王もコーディリア(コーデラ)も出てくる作者不明の『原リア』だった。
これにホリンシェッドの『年代記』、すでにやや話題になっていたスペンサーの『妖精女王』(コーディリアという名の少女が登場する)、グロスターの物語を含めるシドニーの『アルカディア』などを参照して、加えてヒギンズの『君主のための鏡』、ハースネットの『宣言』、モンテーニュ『エセー』から言葉を引き抜いた。一六〇五年に出版された『レア王』という戯曲もあった。
しかしこれらは土壌ならしのようなもので、この上に驚くべき悲劇の駆体が立ち上げられ、そこへ精緻な内装哲学が注入されて、またたくまに予想のつかない構造になっていったのだ。これがシェイクスピアなのである。
たとえば、リア王が怒りゆえに見せる愚かさだ。これは『原リア』にはなかった要素で、シェイクスピアはまるでエラスムスのごとく、王者にひそむ愚鈍を見抜いて、この性格をリア王の全身に施した。また第十八場から第二一場までの、グロスターがリアに代わってその苦悩を表現するところである。この場面には、荒野をさまよっているリア王は舞台には姿をあらわせない。そこで、その苦しみをグロスターが代わって口にする。観客はかえってリア王の悲劇の深さを他者の台詞に感じることになる。こういう仕掛けはシェイクスピアにしかできない芸当である。
舞台は五幕あって、ブリテン王リアの宮殿の玉座の間から始まっている。ケント伯爵、グロスター伯爵、グロスターの庶子エドマンドに続いて、ブリテン王のリア王、コーンウォール公爵、アルバニー公爵、およびリアの三人の娘、ゴネリル、リーガン、コーディリアが舞台に揃う。
王はすでに高齢になっている。そこで退位するにあたっては国土を三人の娘に分与することにした。いったい自分を最も大事にしているのは、この三人の娘のうちの誰なのか。長女ゴネリルと次女リーガンは巧みに甘言を弄して父王をよろこばせるが、末女のコーディリアはそれができない。実直すぎる。
言葉もガラスのように透明で、それが父王の胸には割れたガラス片のように突き刺さる。ついに不興をかって勘当された。このときリア王の迷断を詰ったケント伯も一緒に追放される。コーディリアはフランス王から王妃に望まれ、ブリテンを去るのだが、のちに不遇の父を救うためにふたたび故国に戻る。リア王を敬愛するケント伯も別人になりすましてひそかに王を支える道を選んだ。
長女と次女はまんまと領土をせしめたが、たちまち父王が疎しくなり、驚くほど悪辣な性格を発揮して、リア王に冷たい仕打ちをする。
次女リーガンの夫はコーンウォール公である。家臣にグロスター伯がいて、二人の息子、兄のエドガーと庶子の弟エドマンドが継承をめぐって争っていた。エドマンドは父を騙して兄を放逐し、領地相続権を確保した。リーガンはこれを悦ぶのだが、リア王がこの事情に不信感をもつと、逆に父王を追いつめ、ついにみんなで荒野に追い出してしまう。有名な「荒野をさまようリア王」の場面だ。
この場面、観客にはリア王の愚かな「審判の失敗」がわかるけれど、リア王にはわからない。半ば憑かれるがごとく荒野を彷徨する。
ここでグロスター伯が半ば決意して王を救おうとするのだが、コーンウォールの密命はグロスターの両眼を抉ることだった。第四幕では盲目のグロスター、身を隠したエドガー、実はエドマンドと密通していた長女ゴネリル、その夫のオールバニ公らが入れ替わり立ち代わりして、エドマンドの陰謀と姉妹の浅薄がいよいよ暴かれていくのだが、事態は遅きに失していた。
第五幕、リア王はフランス軍に属するコーディリアと再会するも、そこを攻め込むエドマンド率いるブリテン軍に敗退し、王と娘は捕えられる。コーディリアは死刑を言いわたされ、悲劇はここまでかと思われた矢先、エドマンドとの仲を疑ったゴネリルがリーガンを毒殺し、自身も自害する。
そのエドマンドはエドガーとの最後の決闘に敗れ、息を引き取る寸前に、リア王とコーディリアを暗殺する刺客を自分が差し向けたことを吐く。救出に向かうエドガーだったが、すべてはまにあわない。絞首刑となったコーディリアの遺骸を抱いたリア王は嘆き哀しみ、絶望の淵のなか、絶命する。
リア王は自分の失敗に気づけない。そのちょっとした裂け目が舞台が進行するにしたがって巨大な世界の裂け目となっていく。このことに観客は戦慄するしかない。
恐ろしさは裂け目の巨きさばかりを感じるのではない。むしろ錯乱してしまったとみえる者がふるまう行為と、にもかかわらず絶対の力をもっているかのように次々に放出される言葉のすべてが、ことごとく空しい多重の意味をもってくることに気づかされ、真の悲劇が始まり、裂け目は広がるばかりなのである。
裂け目は軋みをつくる。軋みは空しいものであるにもかかわらず、空しいがゆえに、人間の本当の姿とは何なのかと考えざるをえなくなってくるように響きわたる。このとき、観客は自分自身こそがシェイクスピアの用意した巨大な世界の裂け目にまっさかさまに落下しているような錯覚を強要される。『リア王』はこういう恐ろしい物語なのである。
なぜ、これほどにシェイクスピアの仕掛けが効くのかというと、主人公が国王といういっさいの可能性の持ち主でありながら、自らその虚飾のすべてをかなぐり捨てたように見えるからだった。錯乱した王の姿のほうが、ほかのどの登場人物の行為や言葉よりも、深刻ではあるものの、また赤裸々ではあるものの、人間としてすべてを捨てた者として解き放たれているかもしれないと見えるからだ。
観客に錯覚が委譲されたわけなのだ。このように演劇が受け取られてしまうということ自体、考えてみれば悲劇がもつべきもうひとつの本質を告げていた。
けれども、これだけがシェイクスピアの仕掛けではなかった。こうしたリア王に集約された決定的な悲劇をさらに作劇的に昇華しているのが、ひとつはコーディリアの無垢である。もうひとつはコーンウォールによる残酷な目潰しをもって盲目となり、ついに断崖から落下して自殺するにいたった老いた忠臣グロスターの役割である。とくにグロスターが悲劇性を加速させている。
これはしばしば「グロスターの代行受苦」とよばれてきた役割であるのだが、観客の大半はグロスター当人の真摯な魂が耐え切れなくなっていく経過を見ているうちに、同時に自分自身も耐え切れなくなっていく。戯曲を読むだけでは、この異様な「耐え切れない共感」はややわからない。目潰しの場面も、戯曲では数行の会話に陥没させられている。
ところがこれが舞台になると、目潰しが一作中でひときわ胸張り裂ける加虐的な場面になってきて、観客はその残虐をいっときも忘れられなくなり、その負を抱えたグロスターが、自ら「世界の裂け目」に向かって高速に落下自害してしまうのを知って、いったい誰が哀れなリア王を守るのかという絶望に落ちていく。逆にいえば、観客こそがリア王の魂の救済者になるしかなくなっていく。
これこそシェイクスピアが徹底した作劇を施した効果であった。もしこのように見えない舞台演出があるとすれば、それはシェイクスピア劇にはなっていないということになる。
いったい『リア王』は何をわれわれに示したのか。あらためて言うまでもない。世界には裂け目があるということである。その裂け目は人間の迷いと一本の神経の切断と直結していた。
シェイクスピアはその裂け目が、欲望と安逸を貪る者が必ず陥る「あと少しの安定」への余計な思いから始まることを知っていた。「あと、もう少しで安逸がある」、そう合点したとたんにシェイクスピアの悲劇は世界をたちまち巻き込んで、その世界をわれわれの近傍から奈落に向かって突き落とすのだ。
まさに、そうである。われわれは誰もがつねに小さなリア王である危険の上に坐っているわけなのである。
これまで『リア王』と比肩されてきた作品ベスト5は、ダンテの『神曲』、ミケランジェロの《最後の審判》、バッハの《ロ短調ミサ曲》、ベートーヴェンの《第五》と《第九》、ワーグナーの《パルジファル》だった。
こういうベスト5になったのはヨーロッパの英知と衆知によるもので、ぼくがそこに何か言いたくなるというものではないのだが、ダンテを除くと音楽と絵画が『リア王』に迫っていたことに、納得させられる。
むろん、気取った見方やずらした見方も、いろいろある。たとえば『リア王』を人間悲劇というよりも家庭悲劇とみなす見方が、かつてからあった。リアと三人の娘たちとその夫たちとの関係の炸裂を書いたという見方だ。
こういう見方は映画や舞台にかかわっているプロたちに多かった。なぜこんな見方が成立してきたかというと、この見方をそのまま現代生活の作劇にいかせば、ほとんど大半のホーム・トラジディができあがるからだろう。実際にも、多くの小説や映画やテレビドラマが『リア王』の家庭悲劇化を試みてきた。
おもしろい見方もあった。劇作家のつかこうへいの見方で、これは高慢悲劇ではないかというものだ。つかこうへいはイギリスの劇画『リア王』と『オセロー』の日本語版のセリフを入れる仕事をしたときに、そう感じたらしい。老いた父が持ち続けた高慢と、その関係者たちがもつすべての高慢が、財産分与を前にみごとに崩壊していったというのである。これもホームドラマめいた見方だが、当たっているところがある。
実際のウィリアム・シェイクスピア(一五六四~一六一六)がどんな人物でどんな生涯だったかは、わかっているようでわからない。イングランド王国ストラトフォードで生まれて、一五九二年にはロンドンにいて、すでに新進劇作家として知られていた。
兄弟姉妹が七人いたこと、両親はそこそこ裕福でカトリックを信仰していたこと、十八歳のときに八歳年上のアン・ハサウェイと結婚して女児と双子をもうけたことなどはわかっているが、そこからロンドン登場までが謎なのである。
鹿泥棒をしていた、田舎の教師をした、ロンドンの劇場主が飼っていた馬の世話をしていた云々……といったまことしやかな噂もあるが、どうやらブランクヴァース(blank verse)を書いていただろうことは、想定されている。
ブランクヴァースは弱強五歩格の無韻詩である。韻律(meter)はあるが、押韻(rhyme)はない。シェイクスピアと同い歳の劇作家クリストファー・マーローが得意にしていた。マーローはブランクヴァースを巧みに操って『フォースタス博士』『マルタ島のユダヤ人』『エドワード二世』などを書いていたので、シェイクスピアも少なからぬ刺戟を受けたにちがいない。
こうして気がついたときには、シェイクスピアはエリザベス女王最後の二十年間で、ロンドンの世界劇場と一体化した劇作家になっていた。実際にも一五九四年には宮内大臣一座(ロード・チェンバレン一座)のコアスタッフとして、リチャード・バーベッジやウィリアム・ケンプらとともに身も心もずぶ濡れの劇場男になっていた。とりわけ地球座と一体化してからは、座元、座付作家、俳優、演出、装置づくりなど、何でもやったとおぼしい。
シェイクスピアばかりがそうだったのではない。ジョゼ・アクセルラらの『シェイクスピアとエリザベス朝演劇』(白水社)、ヤン・コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』(白水社)、玉泉八州男の『女王陛下の興行師たち』(芸立出版)、菅泰男の『シェイクスピアの劇場と舞台』(あぽろん社)、そしてフランセス・イエイツの『世界劇場』(晶文社)などがあれこれの資料や仮説や図面を提供したように、そこには俳優の演技を見るのが大好きだったエリザベス女王からイニゴー・ジョーンズや魔術師ジョン・ディーまでが一団となっていた。シェイクスピアはそれらの一団が産み出した別格本山だったのだ。格別のキャラクタリゼーションだったのだ。
シェイクスピアは五二歳で亡くなっている。漱石のような早逝だ。あれだけの多作と凝縮と深化をなしとげたのは、きっと実時間のなかでの執筆ではなかったからだろう。歴史的仮想時空が、あるときからシェイクスピアの劇的身体に地球座とともに憑依していたからだったろう。