才事記

地球の論点

現実的な環境主義者のマニフェスト

スチュアート・ブランド

英治出版 2011

Stewart Brand
Whole Earth Dicipline 2009
[訳]仙名紀
編集:山下智也ほか
装幀:大森裕二

名うての環境運動家だったパトリック・ムーアや
かの「ホールアース・カタログ」の
スチュアート・ブランドは、
なぜ、いつ、原発推進派に転向したのだろうか。
事情を離れて説明するのは、なかなか難しく、
本人がどう解説するのかと読んでみたが、
一読、うーん、大いに唸った。
「反核」と「親核」の立脚点に大転換がおこり、
「地球」と「技術」をめぐる思想が、
激しくせめぎあっている。
いよいよポスト3・11をめぐる議論が
難解な佳境に向かいつつあるようだ。

◆中村政雄『原子力と環境』(2006・3 中公新書ラクレ)

 いまでは“古典”に属する一書。
 ただしフクシマ以前である。たしかタイム誌が「石油時代の終わり」という特集を組んで、ケネス・デフィスの論説を2005年秋のどこかの号に載せ、「世界は1バレルの石油を発見するごとに2バレルの石油を燃やしている」というキャッチを掲げた翌春の出版だった。
 地球温暖化への懸念とCO2汚染に対する懸念とで、世界中のそこかしこで「石油から原子力へ」という新たな風潮が沸き上がっていた時期の“古典”なのだ。原子力がクリーン・エルギーとみなされた時期の一冊なのである。とはいえ、この時期の議論がわからないと今日の原発議論の肝心なところがわからない。それでとりあげる。
 著者は読売新聞の記者や論説委員をへて、科学ジャーナリストとして数々の読みごたえのあるものを発表してきた。原子力についても早々に『原子力と報道』(中公新書)などで賞をとった。新聞で鍛えただけあって、文章が軽快でうまい。本書も誌面から生きた経緯が立ち上がっていた。

 地球は太陽によって温まる水を蒸発させ、潜熱を失うことによって温度を調節している。水がなければ日中は灼熱地獄で生命は気息しがたく、夜陰は月の砂漠のような氷点世界になる。
 さいわい地球は“水の惑星”となった。その本義は「水が循環する惑星」というところであろう。それゆえ地球から蒸発した水はすべて地球上に降ってくる。だから大気汚染があったとしても雨によってほとんど洗い落とされるのだが、そこから先は川や下水道を通って海にたまる。しかも海の水でこの水の循環に参加しているのは海面から150メートルまでなので、その領域で汚染がしだいに濃縮されていく。
 それでも地球の気温はこの循環でたくみに調整されてきた。たとえば地球は赤道付近が日射量が多いからヒートアップするしかないが、その熱は大気と海水で両極地域に運ぶようになっていて、具合よく適温になる日本の四季もそれで保たれる。熱帯性低気圧の親分のような台風の発生だって、熱を寒い地方に運ぶ役割をもつ。太平洋では黒潮が北へ熱を運んでいる。
 ところが地球温暖化が進むと、この調整作用がおかしくなって、180年の周期でアラスカ→北米→インド洋を周回している黒潮の循環にも狂いが生じ、太平洋のあちこちでエルニーニョのような現象がおきる。廃棄ガスがその主たる要因だと推定され、ここに環境論者たちによる地球温暖化反対運動とエネルギー利用に対する「石油から原子力へ」の転向がおこったわけである。

 本書は第1章で、環境運動の活動家たちがどのように「石油から原子力」へ転向していったのか、その実態や噂をレポートしている。
 2005年4月に、グリーンピースの創設者の一人で環境学者でもあるパトリック・ムーアが「原子力は、化石燃料に代わって世界中のエネルギー需要を満たすことのできる、唯一の非温暖化ガス排出エネルギーである」というスピーチを、アメリカ上院のエネルギー・天然資源委員会でしたのが、最初の大きなきっかけだった。
 しかし原子力使用に対して核アレルギーをもつ運動家やジャーナリストたちは、この発言に疑問をもっただけでなく、グリーンピースの実態を暴露しようとした。たとえば、1980年代は会員の会費だけで活動費を捻出していたのが、しだいにロックフェラー財団やフォード財団から資金を得るようになったとか、フランスのブルーノ・コンビは「グリーンピースの活動資金はサウジアラビアが出している」と証言したりした。いまではエクソンからの資金などが出ていたこともはっきりしている。
 まあ、そのへんのことはよくわからないが、そうしたジグザグもあったようだと中村は書いている。

 ちなみにグリーンピースの日本事務局長は星川淳クンで、ぼくが30代のころよく遊んだ仲間だった。当時はプラブッダと名のっていた。カリフォルニアのバグワン・シュリ・ラジニーシのアシュラムにいて、たいそう優美で声とセンスがよかった。「遊」にも原稿連載をしてもらったし、工作舎の本の翻訳も何冊か頼んだ。
 ジェームズ・ラブロック(584夜)を日本語に移したのは星川クンだったのだ。その後、屋久島に移り住んでいたが、いつのまにかグリーンピース日本代表を引き受けたようだ。
 (追記:以上の文章を綴ったところ、星川クンからメールが来て、以下の訂正がゼツヒツであると判断したので、そうします。①グリーンピース・ジャパンの事務局長は2005年末からの5年間だけだった。②いまは屋久島に戻り、一般社団法人「act beyond trust」を立ち上げた。③ラジニーシのアシュラムはインド時代のこと、アメリカに移ってからは活動を共にしなかった。④グリーンピースがエクソンから資金を受け取ったとは思えない。こういうことでした。星川クン、ごめんね。)

 話を戻して、そうした紆余曲折はあったのだが、「石油から原子力へ」の声はしだいに強くなってきた。ガイア仮説のラブロックが「原子力は唯一のクリーンな選択肢である」と言い、『ジュラシック・パーク』のマイケル・クライトンらが原子力発電に賛意を示したのも大きかった。
 が、ぼくが驚いたのはスチュアート・ブランドがMITの「テクノロジー・レヴュー」に、「理想と現実のギャップを埋めてCO2の大気への放出を止めることが可能な唯一の技術は原子力である」と書いたことである。このことはブッシュからオバマに及んだアメリカの原発推進ムードの盛り上げにも一役買ったにちがいない。
 いったいなぜブランドは「反核」から「親核」にひっくりかえったのか。その説明をぜひ聞きたいと思っていた。次に紹介する『地球の論点』(ホールアース・ディシプリン)がその“答弁”にあたるはずなのだが、さて、どうか。ただし原著は3・11以前の執筆のものだ。

◆スチュアート・ブランド『地球の論点』(2011・6 英治出版)

 あの、60年代最後のカウンターカルチャー爆発期を斬新きわまりないメディアコンテンツ・スタイルをもって劇的に画した「ホールアース・カタログ」シリーズの主宰スチュアート・ブランドが(いまは72歳になったそうだ!)、なんと「石油から原子力へ」と言い出したのには驚いた。
 ブランドは長きにわたる筋金入りのエコロジストで、環境主義的運動家(エンバイロメンタリスト)で、20代からずっと柔らかい未来学者だった。本人は“生来のハッカー”とも“怠慢なエンジニア”とも言っていた。
 スタンフォード大学で生物学を専攻して、進化論をポール・エリックから叩きこまれ、陸軍に入隊し、除隊し、それからは数々のグリーン運動にかかわってきた。そうして「ホールアース・カタログ」を立ち上げたのが忘れもしない1968年である。それがいかに重大な出版だったかは、ぼくの『情報の歴史』(NTT出版)の当該ページを見てもらえばわかる。
 1968年というのはカルチェ・ラタンが燃え、ベトナム兵士の脱走が5万人を越え、全共闘が立ち上がり、スタンリー・キューブリック(814夜)が『2001年宇宙の旅』を公開し、ボードリヤール(639夜)の『物の体系』と羽仁五郎は『都市の論理』がベストセラーになり、稲垣足穂(879夜)は『少年愛の美学』を、つげ義春(921夜)は『ねじ式』を、そして土方巽(976夜)が『日本人:肉体と叛乱』を踊った年だ。

『情報の歴史』編集工学研究所(編)松岡正剛(監修)
NTT出版 1996
1968年のページ

 「カタログ」は1984年まで続いたが、ブランドは途中からは「コーエボルーション」という季刊誌も出していた。ホールアース出版社は“環境派の編集学校”のようなものだったのだ。誰だって、そう思う。

 そのブランドが石油化学社会を批判こそすれ、「石油から原子力へ」と言うはずがない。
 ところが、そうなった。そういうふうに“転向”を図った脈絡はうすうす見当がついたものの、本書を読むまでは何かの勘違いか、勇み足をしたのだろうくらいに思っていた。それとも歳をとってボケたのか。が、かなり本気のようだった。
 そのことは本書の第4章の「新しい原子力」に書いてある。2002年にユッカ・マウンテンを訪れたとき、ブランドはそれまでの環境一辺倒主義を大きく変えたのだという。そのころブランドは1996年に設立した「ロング・ナウ・ファウンデーション」を代表していた。

 ユッカ・マウンテンはネバダ州にある。ラスベガスから160キロ。そこには高レベル濃度の放射性廃棄物を廃棄処分にするための施設がある。かつては地下核実験をしていた場所だ。
 アメリカ政府はこの施設に80億ドルから160億ドルの費用を投入していた。何かをするための費用ではない。放射性廃棄物が1万年にわたって安全に格納されていることを国民に保障するための費用なのだ。
 ブランドは、そのユッカ・マウンテンの施設を仲間のダニー・ヒリスとピーター・シュワルツと連れ立って訪れた。ヒリスは一万年時計の設計者で、シュワルツはGBN(グローバル・ビジネス・ネットワーク)の起業者だ。
 3人は施設を見て、この壮大な愚行に衝撃を受けた。その衝撃は従来の環境主義者の見方とはかなり異なるものだった。環境主義者なら核廃棄物が絶対に放射能漏れをおこさないように10万年でも100万年でもそれらを密閉することを提案する。そして、それがちょっとでもあやしいのなら原子力発電を中止すべきだという立場をとる。
 しかし3人はユッカ・マウンテンの病的な光景を見ているうちに、考え方を変えた。たとえば、こうだ。人類は200年後には核に関するテクノロジーを格段に革新してはいないだろうか。放射能漏れがあればたちどころに探知でき、たちどころに処理できる技能を獲得しているのではあるまいか。もしそういうことがおこらなかったとしても、その200年間のあいだに別なもっと異常なことがおこってしまわないだろうか。
 3人が想定している「もっと異常なこと」とは気候変動であり、地球環境の激変である。もっとありていにいえば地球のもつ「気候収容力」の縮退だ。もし核廃棄物を長期にわたって埋めていたしても、その途中に熱エントロピー上の不可逆な気候変動がおこれば、環境主義者のシナリオは変更されざるをえないのではないか。
 そういうことを考えていた3人は、この瞬間に「反核」から「親核」への“転向”こそが新たな勇気ではないかと気が付いたのだ。
 シュワルツは反核の最初期指導者ともいうべきエイモリー・ロビンスのロッキー・マウンテン研究所にいたほどの男ではあったが、このときから強力な原発支持者に“転向”した。石油化学から原子力への“転向”が気候変動を少しでも食い止めるだろうと思えたからだ。ブランドもそうやって原発推進派になったものらしい。

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 ユッカ・マウンテンの体験から1年後、GBNはカナダの核廃棄物処理団体から声がかかって、カナダ型の重水炉21基の核廃棄物処理を手伝うことになった。さあ、どうするか。
 ブランドやシュワルツは、計画会議を主導してカナダ原住民のハイダ族の代表数人を含めて、ざっと80回にわたるさまざまなミーティングを開き、イロコイ連盟の流儀である「7世代継承方式」を提案した。イロコイ族にとっての1世代は25年だから、7世代で175年。廃棄物の処理の方法の決定にもそのくらい時間をかけようということにしたのだ。
 これはつまり、現在のわれわれの浅知恵では決めずに、次世代にその技術と判定を継いでもらおうという判断だった(こういうところはブランド一派の賢いところだ)。
 こうしてカナダは「可変的な処理」を選択し、ブランドは自分がこのような見解にこれまで達せなかったのはどうしてかを考えた。たとえば「ニューヨーカー」の編集長で、反核派だったギネス・クレイヴンスはブランドより早くにこのことに気づき、『世界を救う電力』(Power to Save the World)を発表していたというのに、自分たちはそこまで気が付けなかったのだ‥‥。

 以上がブランドたちが原発推進派にまわった理由である。
 そうではあるのだが、どうもぼくには納得できなかった。あまりにアメリカンではないか。アイゼンハウアーの「アトムズ・フォー・ピース」とどこが違うのか。
 しかし本書はこの第4章をのぞくと、予想に反して原子力賛美の本でも原発のクリーン性をあれこれ説いた本でもないことがわかる。そんなことを説得しようとはしていない。それよりブランドは、21世紀の地球社会を見舞っている重大な現象についての研究者・識者・活動家の見解を、おびただしい本を通してナビゲーションすることを目標にしているのだ。やっぱり「ホールアース・カタログ」的なのだ。
 そのグリーン思想の論拠とそれにまつわるブック・ナビゲーションをここで案内するには、やや相手の数が多すぎる。そこで、ごくごくテーマと文脈を絞ったものだけを、以下に掲げるにとどめるが、これらは原発賛成の論拠といっこうにつながってはいない。

 まずは“ブランドの老師”ともいうべき気象学者ラブロック先生の『ガイアの復讐』(中央公論新社)や『消えゆくガイアの顔』(The Vanishing Face of Gaia)の説明がある。ブランドはここを起点に気候変動に対処するためのジオ・エンジニアリング(地球工学)を模索する。
 そこには、「経済のメタボリズムは地球のメタボリズムと真っ向から衝突している」という反経済主義の見方が貫かれた。これはさかのぼればポール・ホーケンとエイモリー・ロビンスの『自然資本の経済』(日本経済新聞社)以来の見方であるが、最近では古代気候学のウィリアム・ラディマンが地球の275万年を展望した『鋤とペストと石油』(Plows,Plagues and Petroleum)やビル・マッキベンの人類経済史『自然の終焉』(河出書房新社)が展開した見解とつながっている。

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 一方、ブランドは「なぜ世界は都市型人間の欲望に従って技術が選択されてしまうのか」という疑問ももってきた。そのため、たとえばジェーン・ジェイコブズの『都市の経済学』(TBSブリタニカ)などに沿ってこれに代わるモデルを探してきたのだが、そしてそれが長らく旧来の環境保護思想で覆われてきた理由になってきたわけだが、最近はそこから一転してマイク・デイヴィスの『スラムの惑星』(明石書店)によって新たなモデルを発見したようだ。
 その新しいモデルとは「スクワッター・シティ」というものだ。スクワッターとは不法占拠地帯のこと、つまりはスラムっぽいダークエネルギーが動く地域のことをいう。
 ブランドはこのモデルを発展させる方途を、インドのムンバイをとりあげたスケトゥ・メータの『最大の都市』(Maximum City)と、世界のスラムをとりあげたロバート・ニューワースの『影の都市』(Shadow City)の内容を、プラハラードの『ネクスト・マーケット』(英治出版)に照らし合わせて読むということで獲得した。
 こうしてさらに発見したことは、「公式の資本主義」(商品と金融の資本主義)が「非公式の資本主義」(オイコスとしての資本主義)と交ざりあうところ、そこにこそ新たな都市モデルが生む技能の萌芽が見つけられるのではないかということだ。なるほど、これはなかなか筋がいい。

 他方、ブランドがあくまでこだわるのは「グリーン」なのである。ぼくは都市など整然となっていないほうが大好きで、美しいグリーン・シティにジョギングしながら住みたいとも思っていないので、いつもこの手の議論にはついてはいけない。
 だから、マーティス・ワケゲナルとウィリアム・リースの『エコロジカル・フットプリント』(合同出版)やマーク・ロンドとブライアン・ケリーの『最後の森林』(The Last Foreat)といった本にも、「ソシオエコロジカル・システム」「リコンシリエーション・エコロジー」といったコンセプトにもあまり関心を示さなかったし、バンクーバーのサム・サリヴァン市長が唱えた「エコデンシティ・プログラム」もごく適当にしか見ていなかった。
 ぼくはあいかわらず煙草をスパスパとやり、みんなと夜明かししているのが好きなのだ。以前、モントレーのTEDで出会ったブランドはたしか煙草など喫ってはいなかったのではないか。テッド・ネルソンやスティーブン・グールド(209夜)はそうでもなかったが。
 だがブランドはこういう提案や仮説には必ず目を通し、その効果の測定に余念がない。その姿勢はあっぱれだ。しかし、そのあげくが「原発賛成」と「遺伝子組み換え賛成」であったということについては、なぜそうなったのかという理由を示すべきだったのである。
 こうして本書の後半は、その遺伝子組み換え賛成論を論証するための見方と、それを支援する書物案内ばかりがずらりと並ぶ。ブランドは何がなんでも「緑の遺伝子」に熱心なのだ。

 いまではすっかりジョーシキになったけれど、1975年のアシロマ会議が時代を変えた。ホーリス・ジャドソンの『分子生物学の夜明け』(東京化学同人)は、アシロマ会議をさかいに、生物学者たちが大腸菌をつかってDNA組み替えてセルラーゼという酵素をつくることに倫理的責任を感じなくなったと書いた。
 しかし環境保護団体の多くは、この動向に危惧をもち、遺伝子操作による社会生活が進展することに反対の意を表明した。とくにカリフォルニア大学バークレーのブルース・エイムズがバクテリアの形質を組み替えれば、それまでの発癌物質検査の代わりに突然変異誘発性のテストがかんたんにできるというエイムズ・テストを発表したときは(このテストはいまでは基本テストになっている)、大いに反対運動がまきおこったものだった。その後、ヨーロッパ各国では遺伝子組み換え農業とその食品を原則として認めていない。
 アメリカでは1999年にエイモリー・ロビンスが遺伝子組み替えに反対する激しい見解を発表して、「そんなことをすれば生態系にエイリアンの種を打ち込むようなものだ」というセリフが広まり、パット・ムーニーは遺伝子組み換えを「ターミネーター・テクノロジー」と名付けて、「これは農業ににおける中性子爆弾だ」と罵ったものだった。
 が、ブランドには当時すでにこれらの見方が不可解だったようだ。人類はすでにずっと遺伝子組み換えの恩恵に浴したものを食べてきたじゃないか。完全な自然食品などありえないじゃないか。そう感じたという。
 たしかに、完全な自然食品などありえない。それはそうではあるけれど、それをもって何を思想の根拠としたいというのだろうか。それってWHOとどこが違うのか。

 地球上のバイオマス(有機体に換算した生物体の総量)の80パーセントは微生物である。生化学者カール・ウースは人間の体の90パーセントが微生物でできていることを示し、最も流動性のある遺伝子をコスモポリタン遺伝子とかライフスタイル遺伝子と呼んだ。
 リン・マーギュリス(414夜)は『性とは何か』(What is Sex ?)でバクテリアがもともと自由に遺伝子組み換えをしていることを強調した。あるいはまた遺伝学のニーナ・フェデロフは『台所のメンデル』(mendel in the Kitchen)で、食品にはホルミシス(摂取量によって毒性が変わること)がはたらくことを、同じく遺伝学のジェニファー・トムソンは『未来の種子』(Seeds of the Future)で、すでに地球の化石燃料の多くが土壌の中にとっくにしみこんでいると書いた。たしかに完全な自然食品などありえない。
 しかもBt作物の登場は殺虫剤の使用を劇的に激減させたのだ。Btとは「バチルス・チューリンゲンシス」の略称で、ふつうは地中によくいるバクテリアのことをいう。このBtは殺虫剤を必要とする虫たちに致命的な毒性を発揮する。このBtバクテリアの遺伝子を作物に組み込むと、殺虫剤いらずのBt作物ができる。だったら現状のアグロエコロジー(農業生態学)ではBt作物と土壌の関係こそは大前提になっているというのが、ブランドの見方なのである。中国も2008年にこうした遺伝子導入型グリーン革命に踏み切った。
 しかしながら、こうしたことがいくら強く喧伝されても、ターミネーター遺伝子が食品に入ることには根強い反対運動がある。ぼくもインゴ・ポトリクス社やペーター・バイエル社がベータカロチンをふんだんに盛りこんで開発した強化米のゴールデンライスなど、食べる気がしない。しかし、ビル・ゲイツ(888夜)財団は世界の飢餓を救済するプログラムに協賛してゴールデンライス開発に大金を供与したし、オバマの情報法制室の長官で、行動経済学者のキャス・サンスティーンは『恐怖の法律』(Lows of Fear)で、それほどBt食品が怖いなら、それをクリアするための予防原則をつくろうと提案した。

 ブランドはBt食品がずっと古来から工夫されてきたという見解なのだ。けれどもどうも、遺伝子組み換え食品の波及を新たなグリーン思想で正当化する理屈は、なかなか市民権をもちそうもない。ブランドもこの点については苛ついている。
 本書はそこで、コードン・コンウェーの『倍増・緑の革命』(The Doubly Green Revolution)、アル・ゴアの『地球の掟』(ダイヤモンド社)といった大物の著作を動員し、さらにそこに、エドワード・ゴールドスミスの『エコロジーの道』(法政大学出版会)、アーサー・ハーマンの『ヨーロッパにおける没落の概念』(The Idea of Decipline in Western History)、ロバート・プールの『地球の出』(Earthrise)、ダニエル・ファーバー『環境実用主義』(Eco-Pragmatism)などを次々に繰り出して、政治と経済がこれ以上「おわび」のためのプログラムに堕することを食い止めようとする。
 その気持ちはよくわかるけれど、本書ではその説得は成功していない。それになんといっても、ブランドは原発がもつ危険性についてまったく言及しなかった。とくにプルトニウムの恐怖についての思想も、それを回避するための思想も、ただ一冊も紹介しなかった。
 ぼくはこういうブランドについては文句をつけたい。いや、ビョルン・ロンボルグの『環境危機をあおってはいけない』(文芸春秋)やカット・アンダースンの『野生の手入れ』(Tending the Wild)がおかしいとは思わないし、エドワード・ウィルソンが提案した「生物のバーコード化」がやりすぎだとも思わない。
 というわけで本書の説明では、残念ながらブランドの「ホールアース・ディシプリン」(全地球規模原理)はとうてい地球を覆ってはいないし、「サバイバル・クライシス」の対抗案となっているとも思えなかったのだ。環境運動のセクトを分断しようとしているのも、ラディカルではあるが頷けない。ブランドはちょっとしたアイディアのつもりで書いたのだろうが、現状の環境保護運動の限界を感じすぎて、かれらと一線を画するために、自分たちの運動を「ポスト・グリーン」「グリーン・プラス」「グリーン2・0」、いっそ「ターコイズ・ムーブメント」にして、自分の仲間たちを「タークス」(Turqs)と呼ぼうと言っているなどというのも、悪い冗談に見えてくる。やっぱりブランドは勘違いをして、勇み足をしたにちがいない。
 ただし正直いうと、本書は環境論関係のブック・ナビゲーションとしてはとてもよくできている。こんなにうまく文脈的リコメンデーションをできるのは、ブランドくらいなものだろう。被爆国日本の、また原発事故国日本の、たとえば土井淑平の『環境と生命の危機:核のゴミは地球を滅ぼす』(批評社)などの文脈も紹介すべきだったのだけれど――。

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◆古川和男『原発安全革命』(2011・5 文春新書)

 原発を推進すべきだという論拠を何も示さなかったスチュアート・ブランドに対して、ここにきわめて具体的な“安全原発”を提案した一人の日本の科学者がいたことを紹介しておきたい。
 1927年生まれ、京都大学理学部、東北大学金属材料研究所、日本原子力牽強書をへて、東海大学開発技術研究所教授を最後に、いまはNPO「トリウム熔融塩国際フォーラム」の理事長をしている古川和男だ。トリウム熔融塩炉の原理をつきとめた。
 トリウム熔融塩炉の基本は鮮明だ。①「固体燃料ではなく、液体燃料をつかう」、②「ウランでなく、トリウムを燃やす」、③「できるかぎり小型にする」の3つの原理で構成される。
 古川によれば、核エネルギー炉は化学プラントなのだから、燃料の形態は液体であるはずだったのに、原発の開発プロセスの事情にもとづいて火力発電所のモデルを踏襲してしまった。これによって、燃料を固体とし、運転性能を落とし、冷却に水を必要とし、ウラン燃料中にプルトニウムなどの超ウラン元素を生成させる現行の原発モデルが定着してしまった。
 これを液体燃料の原則に戻すべきである。そう、古川は主張する。そのためにトリウムを液体燃料とすれば、古川が提案する熔融塩炉ではプルトニウムは炉内で有効に燃えるというのだ。

 トリウムは原子番号90の天然元素である。トリウム232もウラン238も中性子を1個吸収すると、トリウム233、ウラン239になり、2度のベータ崩壊のあと核分裂をおこす核種のウラン233やプルトニウム239を生む。
 このときウランを燃料とすると、ウラン235の核分裂で生まれる中性子はそのウラン235の連鎖反応にかかわるだけでなく、本来は燃えない(核分裂しない)ウラン238にも吸収されて、それを核種のプルトニウム239に変えてしまう。
 これは核分裂で消えた燃料が一部で補充されていることを示している。そこでこのことを再生転換率として測ると、その値が1を超えれば「増殖」がおこっているということになる。原子力関係者は大いに沸き、この増殖がおこる炉を“夢の増殖発電炉”と言うようになった。日本ではそれが高速原型炉「もんじゅ」になったのだが、これは夢でもなんでもなかった。基本から考え方を変えるべきなのだ。

 液体には4つの様態がある。①水・アンモニアなどの無機液体、②アルコール・ベンゼン・PCBなどの有機液体、③水銀などの液体金属、そして④熔融塩、である。
 このうちの熔融塩は「塩(えん)が高温で熔融して液体になったもの」をいう。塩(えん)はプラストマイナスのイオンの集合体だから、イオン性液体ともいえる。たとえば食塩は全体として電気的中性を保っていて、放射線で破壊されることがない熔融塩である。
 このような熔融塩をこそ液体燃料に使えないか。オークリッジ国立研究所ではまず金属フッ化熔融塩に着目し、いくたの変遷をへて、フッ化ベリリウム、フッ化リチウムを交ぜた燃料用溶媒をつくった。3つの元素のイニシャルをとって「フリーベ」(F、Li、Be)という。
 古川もこのフリーベによってトリウムを燃やすことにした。こうして設計されたのがFUJI-Ⅱという小型原子炉だった。国産だ。詳しいことは本書にあたられたいが、実際の効用はぼくにはわからないものの、文面だけからするとなかなか説得力があった。

 ところで「あとがき」によると、古川は西堀栄三郎に大きな影響を受けたという。初代の南極越冬隊長だ。このこと、なんとなく合点できた。
 ぼくもかつて西堀さんに刺激を受けた。筑波万博の「テクノコスモス」館をプロデュース演出したときの顧問で、ずいぶんいろいろな話をさせてもらったが、半分は科学主義、半分は努力主義で、あいだに斬新な見解が躍っていた。本当の意味でエンジニアリング・クリエイティブだったのだ。本書にも随所にその西堀流の「責任転嫁を許さない良心」にもとづいた工学的な設計思想があらわれている。
 もうひとつ本書で注目するべきなのは、黒田和夫が原子炉の原理は数十億年前の自然界の中にあるのではないかと予想していたことを、ちゃんと強調していることだ。
 1972年のこと、フランスの鉱山技師たちがアフリカ中西部のガボン共和国のオクロ・ウラン鉱山で驚くべき現象がおこっていたことを発見した。約20億年前にこの鉱床の16カ所の地点で、“天然の原子炉”が稼働していただろうというのだ。その総発熱量は今日の100万キロワットの原発5基が1年間に放出する熱量に匹敵すると計測された。核分裂をおこして消えたウラン235の総量も6トンにのぼると推定された。
 なぜこんなことがおこったかというと、地球は46億年前に原始太陽が形成される途上で生み落とされた惑星で、当初の地球にもウラン235があったと想定される。けれども当時の地球は核やマントルによる地殻ができていなかったから、しかるべき鉱物的濃縮もなく、したがって臨界に達しもしなかった。それが25億年前をすぎてくると、水中で光合成をする藻が大量に発生し、その藻が水や大気に酸素を放ち、それが循環して地表におびただしい雨を降らしていった
 これで水に溶け出したウランがしだいに濃縮し、20億年ほど前にはウラン235の同位体が5パーセントほどに達したのである。その一部がアフリカのオクロ鉱床で臨界を迎えたのだった。
 このことを日本の放射化学者の黒田和夫が早々と予測していたのである。以上の話は黒田の『17億年前の原子炉』(講談社ブルーバックス)に、また藤井勲の『天然原子炉』(東京代出版会)に詳しい。
 次夜以降に紹介するつもりなのだが、中沢新一(979夜)が3・11以降に「すばる」に『日本の大転換』を書いたとき、この“天然の原子炉”の事実がその発想の根本で動いたようだ。それで中沢が何を考えるようになったかは、あらためてスケッチしたい。今夜は、スチュアート・ブランドの高飛びと、古川和男の坐り込みを紹介することにした。

『地球の論点 ―現実的な環境主義者のマニフェスト』
著者:スチュアート・ブランド
訳者:仙名紀(せんな・おさむ)
2011年6月20日 第1版 第1刷
発行人:原田英治
発行:英治出版株式会社
プロデューサー:山下智也
装幀:大森裕二
写真:和田剛

【目次情報】
第1章 地球の趨勢
第2章 都市型惑星
第3章 都市の約束された未来
第4章 新しい原子力
第5章 緑の遺伝子
第6章 遺伝子の夢
第7章 夢想家、科学者、エンジニア
第8章 すべてはガーデンの手入れしだい
第9章 手づくりの地球
役者あとがき

【著者情報】
スチュアート・ブランド
編集者。未来学者。1938年、アメリカ・イリノイ州生まれ。スタンフォード大学で、生物学を学ぶ。1968年に雑誌『ホール・アース・カタログ』を創刊。同誌は全米150万部のベストセラーとなり、カウンター・カルチャーのバイブルになった。また、WELL(Whole Earth `Lectronic Link)、グローバル・ビジネス・ネットワーク、ロング・ナウ・ファウンデーションなどのエコ関連団体を立ち上げ、環境保護論者の大物としても知られる。現在は、ネイティブ・アメリカンの数学者の夫人とともに、サンフランシスコ湾のタグボートで暮らしている。著書に、『メディア・ラボ』(福武書店)、How Buildings Learn、Clock of the Long Nowがある。