才事記

性の起源

リン・マーグリス&ドリオン・セーガン

青土社 1995

Lynn Margulis & Dorion Sagan
Origins of Sex 1986
[訳]長野敬・原しげ子・長野久美子

 コーネル大学から30分ほど離れた湖のそばにカール・セーガンの家があった。コンクリートの箱っぽくて、家の真ん中を一本の大きなカエデが貫いている。その屋内の木陰でいろいろ話をしているうち、初めてリン・マーグリスがセーガンの前の奥さんだったことを知り、本書の共著者のドリオンが二人のあいだに生まれた息子であることを告げられた。
 この家を訪れたのは、セーガンが原子核の世界をめぐるシナリオを書いた科学テレビ番組を日米で同時にオンエアしようという企画の打ち合わせのためで、ぼくが日本版のメインキャスターをやることになっていた。ABC(朝日放送)とIBMとコカ・コーラの企画だった。けれどもこの計画はセーガンの病気と死によって中断された。
 それはともかく、話はリン・マーグリスのことだ。天才的なひらめきが多いマーグリスの遺伝子生物学の発想、とりわけ「性」をめぐる発想は、カール・セーガンとの機知に富んだ会話も手伝っていたのだろうと想う。

 マーグリスは新ダーウィニズムに対抗して、早々に共生進化論者の先頭に立った一人だ。進化の歯車として自然淘汰や適者生存を重視する多数派に対して、偶然の関与や複数の進化要素の相互作用に着目した。日本では今西錦司(636夜)がこの立場だった。
 そういう見方をするようになったのはセーガンの影響もあったろうが、ガイア仮説を唱えた気象学者のジェームズ・ラヴロック (584夜)と共同研究したことも大きかったにちがいない。マーグリスの発想力とセンスは大胆で柔らかだったのだろう。とはいえ、生物学者として「性」の謎に向かったというのは、よっぽどの決断である。
 
 性の起源はながらく生物学を悩ませてきた。何が悩みのタネだったかというと、生きたままで性の発生現場を押さえられず、有性生物たちが世代ごとに交配に要するコストをどうやって払えるかということがわからないせいだ。生物が性を必要としたプロセスを説明できなかったのだ。マーグリスはこの二つの悩みを撃破した。それはお見事というしかない仮設で、撃破の方法は意外なものだった。
 性は最初の最初は細菌のふるまいのなかで発生した。細菌に芽生えた性は、DNA分子の切断連接や修復のプロセスから生じていて、それを「性」とよぶかどうかは、まだはっきりしない。今後の議論と検討にかかっている。ところがマーグリスが仮説した性の起源の正体は、われわれがそれが性だと思える現象とはべつのものだった。
 単細胞の原生生物であるプロティストというやや複雑な微生物のなかに新しい別種の性が出現したのである。これは単細胞生物が減数分裂をはじめたせいだった。減数分裂と関連して発生した性は、最初のうちは生殖とはまったく関係のない性質のものだった。本書はそのことをめぐる仮説を論証してみせたのである。説得力がある。
 
 生命活動の特徴は「自己維持」と「成長」と「複製」にある。この三つの本質的な活動は性がなくたって、おこりうる。実際にも30億年にわたって、多くの生物において3つの活動は性を介在しないで維持されてきた。
 生物には生殖(再生産)なしの自己維持(オートポイエーシス)がおこっている。「自己」をもつ生物がそれなりの栄養分をとりこんで、核酸とタンパク質の合成がつづくかぎり、それで万事めでたしなわけだった。性はいらない。実際にもそのようなセックスなしの生物が地球上にはいくらでもふえた。問題は、そのような自己維持系が最初の進化をとげたあとで、なぜ細菌細胞は「分裂」という行為によって生殖するようになったのかということだ。
 おそらくは最初期の原細胞の時代、DNAのエラーとその訂正が何かの役にたって、これが減数分裂をおこすことになったのだ。ところが、減数分裂をおこす生物が出現してみると、このままでは単一で生きながらえるしくみが足りないことがわかってきた。そこで生物たちは「共生関係」を工夫した。これが新たな「性」の誕生を促した。そして、性のプロセスが生物の活動にたちあらわれてくると、その性のプロセスこそが生殖を保証するようになったのである。
 こうしてセックス(sex)と、そしてジェンダー(gender)とが、別々の理由とプロセスで発生していったのである。著者の斬新な主張はここにある。
 
 当初の性のプロセスは、DNA組み替えのレベルでおこったようだ。細菌のDNA修復がそのプロセスに重なっている。DNAの自己複製機能には必ず誤植がつきものなのであるが、このときもDNA塩基対の欠損や付加や変更がおこり、これらが次々に新しい活動、すなわち「分化と進化」をおこす要因になっていった。性のプロセスの淵源はここにあるらしい。
 マーグリスは、DNA修復のためにつかわれた酵素系がクロマチンの起源と交差のプロセスにもちこまれ、再使用されるようになったのではないかと仮説した。またこのときに、それ以前の共生関係に関与していたミトコンドリア、色素体、MTOC(微小管形成中心)を生物の内側にとりこんでしまったのだろうと推理した。そうだとしたら外部者が内部者になったのである。
 かくて生物史は真核細胞の時代に入っていく。性の成立はここからだ。その鍵を握っていたのは、マーグリスによればスピロヘータらしく、その独特の波動運動が真核細胞の複合体に選択上の利益を与え、逆にスピロヘータのほうは宿主の代謝産物にすっかり依存する性質になったという。こうして新たな事態が出来してきたらしい。
 スピロヘータは各世代ごとに宿主とほぼ同率でふえ、複合体は宿主ごとにスピロヘータをもった。もしスピロヘータの殖え方が大きすぎれば、その波動要素が宿主を破壊してしまったであろうけれど、そこは不思議な共生関係になったのである。このような仮説が成立しうるのは、真核細胞のMTOCがスピロヘータのゲノムの名残りだという見方によっている。

 性とは、きわめて稀な異形配合を起源として発生してきたものだったのだ。ちょっとシャレていえば、真核細胞と微生物共同体とは相同なのである。
 このとき減数分裂を背景にした「性のサイクル」が動きだしたのだ。このサイクルは、もともとは有糸分裂にともなって発生していたオーガニック・ダンスを起源としているのかもしれない。仮にそうだとすれば、性とは、あらゆる意味において、たえず相互作用的なものであり、共生的なプロセスがもたらしたものだったということになる。
 性は生物が先に進化していくにあたってパートナーを選べるようにした風変わりなしくみだった。なにしろこの時から、われわれはダンス場で相手を選びながら踊るようになったのである。、性は生命の高次のリズムを番で体現したものだったのだ。