才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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お寺の経済学

中島隆信

ちくま文庫 2010

編集:矢作和子・伊藤大五郎
装幀:神田昇和・川口澄子

宗教や信仰は心の中の出来事でありながら、
現実社会の諸領域とほとんど対応し、
社会がもつ利害の数ぶん、宗教の理念も利害的になる。
しかし、浄財を集めるしくみや実態は見えにくく、
それを研究する宗教経済学や仏教経済学も
わかりやすく伝えられてきたことがない。
今夜はそうした宗教と経済の関係動向の一端を
日本の「お寺」の機構と機能に覗いてみるけれど、
これで仏教経済学の入口が見えるわけではない。
何冊かの経済学の本の紹介から、話を始めたい。

 きっと何かで聞き付けたのだろうが、「松岡さんはお寺に住みたいと思っていたそうですね」と、ときどき訊かれることがある。「いや、お寺を仕事場にしたいなと言っていたんです。坊さんになりたいというわけじゃない」と答える。
 ぼくは、お寺がもつガランドウ感、形がちがう堂塔の配置ぐあい、瓦の曲線と天井の高さ、ぐるりと階段が巡っているところ、なんともいえない孤絶感、どっしりした庫裡、寝静まった夜中の気配といったことが好きで、こういうところを仕事場にして、ここで人々と出会い、コンピュータネットワークをめぐらし、仲間と研究と雑談に耽り、茶や能やジャズやアートインスタレーションを採り入れて、心ゆくまで仕事と遊びをまぜまぜしたい、そう思ってきたのだ。
 あるとき、博多の聖福寺(しょうふくじ)をNHKの番組のために訪れて住職と話しこんでいたら、「松岡さん、あなたにこの寺をあげてもいい」と言われてびっくりしたことがある。どこか風貌が仙厓(せんがい)に通じる山岸善来師の謎掛けだった。
 聖福寺は栄西が開いた日本最初の禅寺で、1万坪以上の敷地をもつ大伽藍である。なんと気前のいいことを言うのかと腰を抜かしたが、住職はニヤリと笑って次のようにも言った。「奥さんを捨てて10年ここに住んで修行してくれたら、ここはあんたのもんや。これが条件ですわ」。
 一瞬、ぐらっときたが(ぐらぐらっかな)、なんとか踏みとどまった。以来このかた、お寺に縁はない。

 社会経済学の佐藤光に『市場社会のブラックホール』(東洋経済新報社)という好著があった。20年ほど前の本だ。
 時代社会をそのつど反映してきたティピカルな経済思想を、アダム・スミスの『道徳感情論』と「グラスゴー法学講義」や近代経済学の限界効用理論を起点に、シュンペーター、フロイト(895夜)、バタイユ(145夜)、エリアーデ(1002夜)、ブローデル(1365夜)、カール・シュミット、ハイエク(1337夜)、ドゥルーズ=ガタリ(1082夜)などを比較しながら検討している。冷静な筆致でなかなかよく書けていた。
 このなかで“市場のブラックホール”と呼ばれているものは何をさしているのか、見当がつくだろうか。金融恐慌やデフレのことではない。通貨の正体や失業のことでもない。宗教と経済の関係にひそむもの、それが市場社会からは見えにくくなっているブラックホールなのだ。

 お寺はブラックホールではない。あからさまなことも、これ見よがしのことも、いろいろあった。歴史と出自と変遷を見れば、仏教の寺々がそうとうな苦難を繰り返してきたこともすぐ見てとれる。
 そこには、現実社会のあらゆる「欲望」の投影が照射されていた。仏教寺院にかぎらず、宗教施設というもの、世間から隔絶されているようで、実は世の欲望を一手に引き受けてきたとも言えるのだ。
 アダム・スミスは宗教学者ではないが、『道徳感情論』のなかでそうした「欲望」が経済の本質をつくっていると見抜き、自然的欲望(natural appetites)はいつまでたっても廃るまいと察知すると、そのエンジンが「虚栄」(vanity)にもとづいて作動しているとした。富・権力・地位・瀟洒はすべからく虚栄のエンジンがめざしたものだというのだ。この“vanity”とは「空しさ」という意味でもあった。

 スミスの虚栄は、20世紀になってシュンペーターによって企業家にキャラクタライズされた。シュンペーターは企業家こそが虚栄をこえて「プリ・ウルトラ」(plus ultra)を正当化する役割をもちうるとした。ただしそこには、燃え滾(たぎ)るような“創造的破壊”の方針が貫かれなければならないと咆哮してもいた。
 プリ・ウルトラというラテン語は「もっと多く・もっと遠く・もっと向こうへ」という意味をもつ。シュンペーターは同時代のベルクソン(1212夜)の影響を受けていたので、「エラン・ヴィタル」(élan vital)を経済活動のエンジンにとりこもうと考えたのである。「生命のはずみ」と意訳したらいいだろう。
 プリ・ウルトラとエラン・ヴィタル。それをつなげる。この“つなぎ”の方針を企業家たちはいまでもアントレプレナーシップ(企業家精神)と称ぶ。こうして「生命のはずみ」と企業家精神と虚栄とが一緒くたになってきたわけだ。

 しかし、ここまで富の目標が本来的なものとして正当化されるとなると、これは経済の目標も宗教の目標とあまり変わらないとも見えてくる。
 フロイトの無意識やリビドーに忠実であろうとする見方、バタイユがエロスとタナトスを重視して「失われた内奥性」(une intimité)を回復したいとした見方も、経済活動の一環になってくる。生活者が消費を通して「蕩尽」(cknsumation)をめざすことは、宗教に通じる人間社会の本来的な活動なんだということになるわけである。
 これはさらに、エリアーデが見いだした人間活動の「聖と俗」の両面が宗教と経済に同時に見いだせるという見方や、ブローデルの「文明は精神と物質の開発→市場経済の登場→資本主義の拡張という3段階で発展する」という見方を巻き込んだ。ことほどさように宗教と経済は、さまざまな双子のブリッジで結ばれてきたのだ。

 いうまでもなく、経済とは欲望の関数である。欲望が市場を介して資本と商品に結び付く動向のすべてが経済だ。
 しかし欲望は、市場に行き交う賞味期限付きの商品に向かうだけではない。信仰やヒーリングやフェティッシュや、賭博や麻薬やエロスにも向かう。タナトス(死)にも向かう。それゆえ宗教と経済はたしかにいろいろ重なりあうのだが、宗教的な活動をそれ自体だけ眺めると、とうていコモディティとして洗練されてきたとは見えにくい。お賽銭や寄進、お札やお祓いや霊感商法といった極端が目立つばかりなのである。ときにアンダーグラウンドな場面でのシャドウビジネスとして、どろどろの状況を呈してしまうことも少なくない。
 ということは、宗教活動は多くの経済的側面をその内奥にもちながらも、市場を媒介にしない領域での“見えない経済”に寄与してきたのだということになる。そうだとしたら、さあ、これをどう考えるかということだ。
 実際にも、宗教と信仰がもたらす出来事と活動は、株価にもGDPにも影響を与えていないようだし、その活動組織の中身は従業員数もあきらかにならないほどに一般社会から切り離されているように見える。いいかえれば、信仰は市場で取引されてはいないのだ。
 このことを、宗教組織は税制の扱いが特別で、その道徳的経済価値が商品経済の一般ルートや流通サイクルに乗ろうとしていないためにブラックボックス化しているのだと見ることもできよう。とりわけ日本では戦後のGHQによる「政教分離」が手厳しく、そういう事情にも宗教経済的な実態がなかなか見えにくい理由があった。

 しかし、はたしてそうなのか。宗教活動こそはトータルな意味での経済動向の大きな部分を占めているはずである。“見えない経済”を見ようとしてこなかっただけではなかったのか。
 それなのに宗教と経済の関係はブラックボックスのかたまりで、それゆえ市場社会から見るとブラックホールのごとくになっていて、なかなかその実態を見せてはくれようとしないとしたら、これは宗教人も経済人も互いをアカウンタブルにするのが怠慢だったということなのである。経済学もジャーナリズムも、そこに現実も展望も見いださず、鋭利なメスも入れてこなかったというだけなのだ。
 佐藤の『市場社会のブラックホール』が「宗教経済学序説」というサブタイトルになっているのは、こうした宗教と経済の見えない関係に新たな経済文化の可能性を見いだしたかったからだったろう。もっともこの本では、そちらの試みはほとんど仮説の提起にまではいたっていなかった。

 参考のため示しておくのだが、いま、世界中の宗教人口はだいたい次のような分布になっている。世界の人口が55億人を突破しているという総数から見ても、全人類のなかで、いまなお相当の宗教人口が占めていることがわかる。2008年の統計だが、数字は四捨五入しておいた。

キリスト教‥‥‥‥‥‥19億5000万人

 (カトリック‥‥‥‥‥9億8000万人)

 (プロテスタント‥‥‥4億4000万人)

 (正教‥‥‥‥‥‥‥‥2億2000万人)

 (英国国教会‥‥‥‥‥‥‥6900万人)

 (その他‥‥‥‥‥‥‥2億8000万人)

ユダヤ教‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1340万人

イスラム‥‥‥‥‥‥‥11億2000万人

ヒンドゥー教‥‥‥‥‥‥7億9000万人

シーク教‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥1950万人

仏教‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥3億4000万人

神道‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥340万人

儒教‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥640万人

中国民間信仰‥‥‥‥‥‥1億1000万人

新宗教‥‥‥‥‥‥‥‥‥1億3000万人

 これだけの宗教人口が溢れていれば、そこには莫大な経済が動き、「お金」が回っているのはあきらかである。宗教的マーケットサイズも(そういうものがあるはずだが)、合計すれば途方もないものになる。けれども、その実態はなかなか明らかになってはこない。
 そもそも宗教的経済動向を知ろうとしても、一人一人の“宗教ユーザー”を調査するのは無理がある。“宗教ユーザー”の実態を知るには、国民や消費者に信仰対象を書かせる調査をするのが一番だろうけれど、これは個人情報(プライバシー)や「信教の自由」を妨げるため、なかなか手が出せない。
 そこで宗教組織としての「法人」の動向から実態を憶測することになるのだが、この宗教法人の動向を調べることが、実のところはいっそう難しい。

 日本の宗教法人は都道府県ないしは文化庁の「認証」によって設立される。認証とは、法の定めるルールにしたがって法人設立申請がなされれば、行政庁は基本的にそれを認めなければならないということで、行政庁の同意を得る必要がある「認可」とくらべると、かなりゆるい基準になっている。
 認可ではなく認証だけで成立した宗教法人は、それゆえモニタリング(監視活動)することが難しい。なるほど政府や監督官庁のチェック機能がゆるいということは、自由な宗教活動を国民に保証するという点では効果的であるのだが、しかしそのぶん、どんな経済行為がそこで進んでいるかの実情はやっぱり掴みにくくなるわけだ。

 かんたんな比較をしてみればわかることだが、営利法人とは事業から得た利益を配分する組織のことをさしている。株式会社がその代表だ。
 そのような営利法人で利益配分に与かる者は法人のオーナーである。株式会社なら株主だ。オーナーあるいは複数のオーナーは、その営利法人を自分で経営してもいいし、別の社長や経営陣にマネジメントを任せてもいい。
 一方、宗教法人はこのような営利法人ではない。社会福祉法人や学校法人とほぼ同様に、広い意味での公益法人に属している。公益法人は公益性の高い事業をするかわり、利益配分がなされない。おそらくどんなお寺でも、会計年度末に剰余金が発生していたら、それを配分などせずに次年度に繰り越しているはずだ。
 このように、宗教法人は公益法人であって非営利法人なのである。だからここにはオーナーがいないのだ。
 オーナーがいないということは、宗教組織に「生命のはずみ」やエロスとタナトスが動いても、そこにアントレプレナーシップが発動しないということになる。それにもかかわらず、裏ではお金のことが気になっているのに、説教法話では「生命のはずみ」はお釈迦さんも大事にしていたんですよというような偉そうなことを言っているとしたら、これは何かが変である。あるいは何かか隠されいるとしか思えない。何かが歪んだままなのだ。
 ちなみに日本では、宗教法人法はお寺に3人以上の責任役員をおくように定めている。そのうちの一人が代表役員になるのだが、通常はほぼ例外なく住職が代表役員を務める。残りの役員はたいていは住職の家族か信者の代表(檀家総代)だ。

 信仰と布教の深さの話をべつにすると、お寺が収支や経営を無視したり軽視したりしていて、うまくいくはずはない。お寺だってオーナーシップやアントレプレナーシップをもつしかないはずなのだ。
 実際にも「寺院経営」に関する本やパンフレットはけっこう出回っている。そんな雑誌のひとつから、ぼくにも原稿依頼がきたほどだ。坊さんたちも会計事務には時間をつぶさざるをえない日常をもっているわけなのだ。
 けれども、そういうことと宗教的経済をどのように考えるかということは、必ずしもつながらない。適当に、法事やお賽銭を見越しつつ収支決算をしているだけなのだ。これでは信仰力と経済力は分断されたままになって文明のエンジンにはならないし、「虚栄」も「縁起」も「空」も説得力をもちえない。こんな程度で仏教経済学の入口が見えるはずもない。

 ところがお題目だけは立派なのである。ぼくも条文を読んでみてふーんと思ったのだが、日本の宗教法人法は宗教法人(宗教団体)の目的をけっこうなものとして定義づけている。
 「宗教の教養をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする組織」。こういう組織が法人として認証された宗教組織なのだ。
 これは何かに似ている。そう、学校法人だ。学校もまた教養をひろめ、儀式のような授業をおこなって、授業料と寄付行為によって経営を潤沢にする。
 しかしながらこういう組織の活動は、ふつうの財とサービスを交換する経済組織とはずいぶん異らざるをえない。ふつうのサービス、たとえばタクシーや美容院などの場合、誰かがそのサービスを受けているあいだ、他の消費者はそのサービスを受けられない。またサービスを受けたくなければ、受けないでいることもできる。
 宗教活動はそういうものではない。宗教の教え(教養であるかどうかは疑問だが)は、信者に例外なくサービスされるとともに、ある信者が教えを学んだからといって、他の人物がそれを学べなくなるわけでもないからだ。黄泉流布(こうせんるふ)という言葉があるけれど、教えというコンテンツサービスは、やたらに一方的に流布していくものと考えられてきてしまったのである。

 でも、このように教えと経営が歪んだままなのは、意外にも仏教界(とくに日本の仏教界)に特徴的なものだったのかもしれない。
 キリスト教が信仰と教会ネットワークと罪と罰の価値観を下敷きに、世界史上最も強靭で最も説得力のあるグローバルビジネスのプロトタイプを築き上げたことは、いまさら言うまでもないし、プロテスタンティズムと資本主義の根本的な関係を見極めたのはマックス・ウェーバーだった。
 イスラム社会もまた独自の経済システムを組み立ててきたわけだ。バーキッル・サドル(305夜)や加藤博(1395夜)の本で紹介したように、シャーリア・コンプライアンスにもとづいた公共経済や利子をめぐる価値観は、中東のイスラム勢力の進展とともに欧米型のキリスト教社会型の経済力を激しくゆさぶっている。これらの事情を見ていると、いずれとんでもない宗教的経済戦争がおこらないともかぎらないとさえ思われてくる。多くの世界宗教は、信仰が政治にも経済にも社会にも貫かれていることを、隠そうともしなかったのだ。
 とするならば、どうも仏教と経営とがあまりに離反しあっているか、そのように見せかけているうちに、おかしくなったのである。

 宗教者が経営者として進化をとげていない一方、経営者のほうは信仰力をマネジメントスタイルに生かしているという例が少なくない。
 植松忠博の『信仰とビジネス』(大修館書店)は、三井高房・住友政友・伊藤忠兵衛から土光敏光にいたる篤い信仰をもった事業者をとりあげながら、日本企業が神社祈願や神主を招く起工式を欠かさない事情などを描写する。
 ぼくもかつて花王の丸田さんや京セラの稲盛さんと接したおり、そこにかなり深い仏教帰依の心があることを知って、信仰力がビジネスにもたらす看過できないものを感じたものだ。石川島播磨・東芝・経団連をすべて改革してみせた土光敏光が、毎日「法華経」を声を上げて読経していたことも、よく知られていよう。
 むろん一方では、信仰ビジネスには経済の渦中にはまったぶん、極端に歪んだ面もあらわれる。

 2年前、ジャンルイージ・ヌッツィの『バチカン株式会社』(柏書房)という本を読んだ。柏の編集者がブックレビューの記事とともに送ってきてくれたのだが、「金融市場を動かす神の汚れた手」というサブタイトルがあらわしているように、驚くべきノンフィクションだった。
 ある教皇庁の要人が、長期にわたるバチカン銀行(IOR、正式名は宗教事業協会)の不正に気がついてしまったのだ。あまりにその手口がひどかったので、不正金融操作に関する4000点の内部資料をスイスの片田舎の農家に隠しておいた。それを「パノラマ」誌の記者ヌッツィが聞き及んで、1年におよぶ極秘の調査をして一冊にまとめた。それが『バチカン株式会社』だ。
 この本の発刊がきっかけで司法局とバチカンの暗闘が続くのだが、1929年のラテラノ条約以来、イタリア国家は教皇庁の中央機関の職員を逮捕したり起訴したりできないことになっている。だから今後も“バチカンの悪事”が司直の手に落ちることはないのだろうが、本書によって浄められたはずの信仰ビジネスの「闇」や「影」が白日のもとに晒されることになったことは動かない。
 こういう例はおそらくかなりあるだろう。だからこそ、やっぱり宗教は経営なのである。宗教は世界史上で最も早いビジネスモデルをつくりあげたトップランナーだったのである。いまさらバチカンの不正に驚いていてもしょうがなかったのだ。

教皇庁の資金管理を行っていた、
アンブロシアーノ銀行(バチカン銀行)の外観。
1982年までミラノに存在した。

 で、問題は仏教である。お寺さんである。われわれ日本人にとってはやっぱりお寺のことが気になってくる。気になるだけではない。もし「日本仏教的経済システム」とでもいうべきものがあるのだとしたら、それがどのように組み立てられ、拡張され、理解されてきたのか、そろそろその実情を知るべきだ。
 おそらく多くの日本人は、仏教界はお布施によって集金マシーンを動かし、葬儀ビジネスを信仰システムの中に組み込んできたと思っているだろうが、それらはいったいどういう思想やしくみにもとづいていたのかと言われると、きっとお手上げになるだろう。
 なぜお手上げになるかといえば、そんなこと誰からも教えられてこなかったからだ。なぜ教えられてこなかったかというと、調査と研究と構想がいっこうに充実していないからだ。ジャーナリズムも長らくタブー視してきたからだ。70年代に毎日新聞が「宗教を現代に問う」という連載特集を連打したことが懐かしくなるほどだ。あのころは、ぼくも親しかった敏腕記者の佐藤健さんが張りきっていた。それがだんだん力がなくなってきた。オウム真理教事件のトラウマがいまなお回復していないからなのだろうか。
 ぼくは、それなら日本の経済学者たちこそはまずもってこのことに取り組むべきだと思うのだ。けれども、いまのところその成果はさっぱりで、人類学や社会学の研究も、こと経済に関しては貧相なままにある。

 むろん例外はある。ぼくが知るかぎりは1990年前後の平山朝治が一人気を吐いて、『日本らしさの地層学』(情況出版)と『比較経済思想』(近代文藝社)を一対で発表し、日本の仏教社会が独特の経済思想と経済制度を工夫してきたことを実証していた。金子郁容(1125夜)に日本の歴史的なソーシャル・アントレプレナーの思想がどうなっているか知りたいので、適切な参考書を教えてほしいと言われたときも、この平山朝治の本を薦めたものだった。
 だが、残念ながら平山の成果はその後は継承されてこなかったのである。当時の思想界はいったんは「平山朝治か、浅田彰か」と言っていたのだが、結局はやたらにポストモダンばかりに媚を売ったのだ。
 いや、お寺の社会経済的実態が説明されてこなかったわけではない。軽い報告や議論ならなくはない。「資本主義のルーツは日本にもあった」と説く長部日出雄の『仏教と資本主義』(新潮新書)などは、簡略ながら奈良仏教がもたらしたソーシャル・アントレプレナーシップから徳川社会の商人と信仰の関係まで追って、それなりの提言をしていたのだが、残念ながらあまり読まれてこなかった。
 お寺の側からの軽いジャブもある。村井幸三『お坊さんが隠すお寺の話』(新潮新書)、高橋卓志『寺よ、変われ』(岩波新書)、天野和公『みんなの寺の作り方』(雷鳥社)などなどだ。ただし、これらはいずれもひどく可愛らしいもので、「新たな仏教経済学を確立したい」というようなパンチアウトにはほど遠い。

 というわけで、今夜は仏教経済学への入口の入口として、中島隆信の『お寺の経済学』をとりあげることにした。著者には『オバサンの経済学』『障害者の経済学』『刑務所の経済学』『大相撲の経済学』などもあり、この手のものを書かせると実にうまい用例力と説得力を発揮する。
 中島は慶応の商学部の応用経済学のセンセーで、日本の伝統的な経済システムの研究には早くから炯眼を発揮していた人物だ。詳しいことは知らないが、大学生のOBたちによると、ゼミや研究会もおもしろいらしい。ぼくも講演者の一人だったMCC(慶応丸の内)の「夕学五十講」では、ざっと以下のような見方を披露した。

 社会における人間の行動はさまざまな動機にもとづいている。その動機は内面的なものから実利的なものまで及んでいて、わかりやすくいえば「得か損か」で判定される。
 誰しもが自分にとって得なことや生活にとって得なことを選択し、不利なことや損なことを敬遠する。これが法則だ。
 日本の伝統社会でもそのことが生きてきた。たとえば茶の湯生け花剣道は実用のために生まれたものだった。それぞれ実利的な献茶や健康や供花や殺傷がルーツだった。
 しかし時代社会の構造変化や価値観の変容が加わるにつれ、その実用性は変質していった。このとき日本の伝統文化はおおむね「道」化をおこすことによって、新たなしくみを創成していったのだ。そこにはきわめて独自の戦略が息づいた。
 中島はここで大相撲を例にとる。大相撲はどのようにビジネスモデルを組み立てたのか。

 第1に、特殊な人的資本に目をつけた。デブ・ノッポ・力持ち・ケンカ好きなどが相撲社会のリソース(資源)になったのだ。この着目はなかなかなものだった。西洋ではサーカスが似た着目をした。第2に、その人的資本に独特の昇進環境を用意した。新弟子から序の口・幕下・十両・幕内などのヒエラルキーをつくり、横綱を頂点とする「番付」による優劣観を一貫させた。これはサーカスでは工夫されてはいない。
 第3に、そこに相撲部屋・親方・女将さん・稽古・ちゃんこ料理などを付与して、「親方」と「部屋」による系統と自立性を確立させた。これは茶の湯や日舞などの稽古のしくみや家元制度にもあてはまる。つまりは「道」化をおこしたのだ。第4に、本場所と巡業場所による「場所」システムを並列させ、相互化し、日本列島をくまなくネットワークした。第5に中継放映料・賞金・化粧回し・桟敷席・慈善相撲などのスポンサー制を取り入れ、潤沢な資金がまわるようにした。
 中島はこれらは「道」化による戦略の成功だったというのだ。なるほど、なるほどだ。もっともこうした大相撲の伝統的な独自性は、いまでは八百長事件やヤクザ事件や賭博事件で傷ついて、かなりの変更を迫られてもいる。だが、それでも基本は変わらないと思われる。

 では、お寺ではどうなのか。「お寺の経済学」はもともとはどういうところからできあがってきたのか。かんたんな案内をしておこう。
 結論から先にいえば、日本の仏教社会が今日まで維持発展できたのは、徳川時代に広がった檀家制度の確立によるところが大きかった。現在、全国で約7万5000ケ寺ほどあるお寺は、なんらかの意味で檀家制度とつながってきたと言っていい。しかも、こういうしくみは他の仏教国にはほとんど見られないほど独自なのである。
 これは「お墓」という移動可能性が低い“急所”を、地元のお寺がおさえることにより、そこに葬式・法事・年中行事を絡ませるという戦略を生めたからだった。
 檀家制度の発生は徳川幕藩体制の強化とともに生まれた。寺院が檀家を管轄することが、徳川政権にとって必要になったからである。

 そもそも仏教が奈良朝に定着していったころは、仏教の思想と制度はあくまで鎮護国家のためのものだった。聖徳太子から聖武天皇まで、氏族仏教はしだいに鎮護国家仏教に組み上げられていった。
 だから大半の寺院は国家の律令管理下におかれていた。僧侶たちは僧尼令のもとで管理される公務員のようなものだったと思えばいいただろう。
 それが時代が移り、鎌倉期の武門の登場とともに、寺院は支配階級の信仰と支持を得て経済力を獲得するようになると、広大な荘園を所有した大寺院は豊かな財政基盤をバックに僧兵などを擁して、自衛力と経済力を誇示するようになった。
 かくて石山本願寺の顕如がそうしたように、門徒を束ねて戦国大名を脅かすほどの権勢をもった寺院も次々に出現した。比叡山延暦寺が治外法権を盾に信長の要求を撥ねつけ、逆に信長の焼き打ちを食ったことは有名な話だ。
 が、それも豊臣政権までである。全国的な安定政権をめざす徳川幕府にとっては、こうした寺院の治外法権ぶりを放ってはおけない。家康は信長のように宗派や信仰勢力と対立することを避け、むしろキリシタンの流入防止と幕藩体制の強化のために諸国の寺院システムを活用することを考えた。

 家康がまずもって手を打ったのは、キリシタンたちを仏教徒に改宗しやすくさせるための「寺請証文」(てらうけしょうもん)を寺院に発行させたことである。
 続く徳川将軍たちは、島原の乱で各地の内乱に終止符を打つと、この制度を拡張発展させ、誰もが寺院の所属になることを義務付けるようにした。さらには「宗門人別改帳」(しゅうもんにんべつ・あらためちょう)を戸籍代わりに徹底させ、そこに宗旨と菩提寺の名を記載させた。これが「寺請制度」というもので、いまは「檀家制度」といわれている。
 寺請制度(檀家精度・寺檀制度)は、財力や支援者をもたない小規模な寺院には願ってもないシステムだった。幕府がどんどん信者を与えてくれたのだ。一方、幕府からすると、これで諸国の寺院をことごとく政府機関の末端とする準備が仕上がった。1635年には寺社奉行を設置、1665年には諸寺院法度を発令し、かくして日本中のお寺というお寺がすべからく国の末端機関とみなせるようになったのである。
 もっとも、幕府や寺社奉行が一つ一つの寺の動向をモニタリングしてはいられない。そこで全国寺院を宗派別にして、それぞれの宗派に「本山→本寺→中本寺→直末寺→孫末寺」というヒエラルキーを組み上げさせることにした。それとともに宗派内部のマネジメント・システムを明示化させたのだ。これがいわゆる「本末制度」というものだ。
 ついでに「江戸触頭」(ふれがしら)という幕府担当僧も提供させて、江戸周辺に本山直轄の触頭寺院をつくらせもした。これで幕府は本山だけに目を光らせておけばよくなった。

文政13年の宗門寺請状(寺請証文)

元治元年の宗門帳(宗門人別帳)

 本末制度は、経済的には本山が財とサービスの基本プログラムを一方的に供給し、末寺からは宗派の認可料、住職後退の取次料、僧籍登録料(得度)などの上納金を吸い上げるというシステムである。
 これを幕府がつくりあげたのだ。お寺はそれに従ったまでのこと、仏教寺院の創意工夫ではない(ここらあたりがのちのち仏教経済システムの自立力を失わさせた)。
 本山から孫末寺におよぶヒエラルキーは何で決まるかというと、「寺格」で決まった。寺格の根拠となるのは「由緒」というもので、開祖のかかわりぐあい、皇族や武門との関係、地域の権益者との地縁性などの組み合わせによっている。はなはだ曖昧だが、これが日本独特のお寺の「格付け」なのだ。ランキングシステムなのだ。
 当然、僧侶にも位階の格付けをさせた。江戸時代では本山が寺社奉行の許可を得て、朝廷に申請して受理されるという手続きをとった。17世紀の浄土真宗の僧階は、「院家・内陣・余間(世)・廿四輩(にじゅうよはい)・初中後(しゅっちゅう)・飛檐(ひえん)・総坊主」といった宗門独自の名称による位階になっていた。上位3位は特別に三官と呼ばれ、本願寺法主の一族など限られた家格でないと三官に叙せられないようになっていた。
 僧階にも身分の「分」を付けたのである。法衣の色も従事する作業も、すべては「分」なのである。これがいまなお諸君が見ている「袈裟の色」というものだ。

 檀家制度は地域の住民を近隣の寺院に縛りつけておくにも便利だった。住民の人生は「誕生と死」で挟まれている。これを“戸籍係としての宗門”が管理するには、誕生者を登録させ(名前を付け)、他方で死者を管轄すればいい。
 ここに確立していったのが「葬祭を寺院が代行する」というしくみなのである。寺院は檀家のための墓を設け(地所を貸与して墓石を負担させる)、葬儀一切を仕切ることにした。法事や永代読経も加わった。こうして徳川仏教寺院の多くが“葬式仏教”になり、そこからコンスタントな“売上げ”が確保できるようになっていったのである。このあたりのことについては、圭室文雄の『葬式と檀家』(吉川弘文館)が詳しい。
 しかし、檀家制度には檀家の数によって収入が左右されるという不安定さもあった。そこで寺院によっては「縁日」(フェア)を設けたり、「お札」(カード)を発行発売したり、秘仏を見せる「ご開帳」(ショーイング)したりすることによって、庶民の現世利益を求める気持ちを積極的にマーケティングするようになったのである。
 さらには弱小寺院は互いに協力してネットワークしあい、「札所(ふだしょ)巡り」を企画するようにもなっていった。ここに「観音霊場巡拝」としての西国・坂東・秩父の巡礼ネットワークや四国八十八ヶ所の遍路ネットワークなどが誕生する。札所で坊さんから書き込みと印を押してもらうのは、今日のポイント制のハシリのようなものだろう。
 このように、日本の「お寺」の特色は圧倒的に檀家制度にはあるのだが、自坊の檀家だけで経済が自立できる寺は決して多くない。いまでは800ケ寺くらいのものだろうか。本書は今後の寺院が檀家制度を脱却しなくては、先行きが危なくなっていると説いている。

 ところで、巷には「坊主、丸儲け」という、お寺が聞いたら気を悪くするような、あるいはニンマリするような言葉が出回っている。むろんこの言葉は日本の税制事情が誤解されての流行語で、必ずしも丸儲けしているとは言いがたい。実際の話はこうなっている。
 一般の営利法人は利益が上がれば、その30パーセントの法人税が課せられる。宗教法人は宗教活動をしているかぎりは、いくら利益を上げても税はかからない。法人でないお寺は、町の八百屋や蕎麦屋と同様に、個人商店と同じ扱いになり、お寺の収入は住職個人の所得とみなされる。だからこれは個人の所得税の対象だ。
 一方、お寺を宗教法人化すると、住職は法人の非雇用者として給与を受け取るということになる。住職が受け取った給与収入には、当然ながら個人所得税がかかる。けれども法人が得た収入は課税対象からはずされ、お金はそのまま法人の手元に残る。子供に跡をつがせるときの相続税も大幅に軽減できるようになる。これは「坊主、丸儲け」なのではなく、ここに所得分散がおこっているわけなのだ。

 もう少し「坊主、丸儲け」のたぐいに関する話をすると、実はお札やお守りを売った収益は非課税になるけれど、ローソクや線香の販売は課税対象になるというようなこともある。
 これは法人税法で定められた33業種の収益事業に関するものは、たとえお寺であっても課税対象で、その33業種からはずれた活動による収益は非課税になるということによる。ローソクや線香はどこでも買える33種に入るのだ。
 33種に入らないものには、お布施、賽銭、拝観料などがあり、さすがにこれらは丸儲けに見える。しかし、お布施は檀家の数によるし、初詣などの賽銭はよほどのシンボル力がないと集まらないし、拝観料がとれる寺院はそう多くない。こうして多くのお寺は葬式に関連する収益に頼っていったのだ。

 そもそも寺での葬儀は、日本の地域社会やコミュニティの成り立ちと関係がある。徳川社会では庄屋や名主や村方三役とともに、庶民は村落の税務と保全をまっとうするようになっていた。このときコミュニティにそぐわない出来事をおこした者は「村八分」にあうが、火事と葬儀は「二分」とみなされて特別扱いされた。
 江戸時代の村落の特色は、つねに頼母子講や無尽講などの「講」を組み、まさかのときの相互扶助力を絶やさないような工夫をしたところにある。屋根の葺き替えや田植えや茶摘みでは「結」(ゆい)なども工夫した。このような村落のなりわいに寺檀制度が加わって、やがてお寺が村落の死者を扱う葬儀を引き受けるというしくみができあがったのである。
 そのうち寺院のほうでは、死者のための一周忌や三回忌などの追善法要をふやし、墓地を設け、墓参のシステムにも関与するようになった。
 これらの一連の出来事を「葬式仏教」というふうに一括りでけなすのはたやすいが、東本願寺の檀家の家に育ったぼくとしては、家族や坊さんや親戚たちと法事で何かをするのは、実のところはとても楽しかったのだ。法事の日が近づくとうきうきもした。町内単位の地蔵盆とともに、子供にとっては線香くさい出来事はけっこうおもしろいものだったのだ。

 なんだか、ぐたぐたした話をしすぎたようだが、本書『お寺の経済学』が書いていること以上に、日本の仏教マーケットの事態にひそむ問題はけっこう深刻であり、また新たな展望が急務になっている。
 すでに日本の仏教界は明治維新の神仏分離令や廃仏毀釈によって、かなり痛い目にあっている。仏教寺院は弾圧され、徹底的に骨抜きにされるという憂き目を味わった。千夜千冊では『国家神道』(1190夜)や『廃仏毀釈百年』(1185夜)に詳しく紹介しておいたことだ。
 明治政府が仏教界に押し付けたことは、それだけではない。各宗派の代表者を「管長」と名付けて文部大臣の監視下におき、本末制度を解消させようとした。こうした明治の寺院事情の研究から、今後の展望を学ぶという方向もあるだろう。
 その後も、太平洋戦争に向かっては梵鐘の拠出から青年僧の戦地出動などもおこり、戦後民主主義社会になってからは、新興宗教の急増とともに旧仏教界のお寺は、そうとうにやりくりに喘ぐことになった。
 高度成長とともに団地や移転がふえて、基地を郊外にもつ家族がふえたことも、お寺さんには痛手だった。こうしてその地の寺と強い絆をもっていた檀家制度が維持しにくくなり、ついには衰えていったのである。
 しかしぼくが感じるに、こんなていたらくになっているわりに、仏教界は本気で日本の本来と将来をつなげようとしていないのではないかとも思われる。仏教的信仰が日々の社会にもたらすものを説明できていないし、ウェブ社会や監視社会のなかでの寺の役割をアピールできてもいない。
 そもそも寺院とは「知のセンター」なのである。塔頭や仏像の美は「文化力の発信」なのである。寺々こそがソーシャルネットワーカーとして、地味でも派手でもいいけれど、独自の活動をしないでどうするかと思うのだ。
 ブッポーソー、ブッポーソーである。あらためて、①仏、②法、③僧の「仏法僧」(ぶっぽうそう)の経済文化システムの改編に立ち向かうべきことを促したい。

⊕ お寺の経済学 ⊕

著者:中島隆信
発行者:菊池明郎
発行所:株式会社 筑摩書房
装幀者:神田昇和・川口澄子
印刷所:明和印刷株式会社
製本所:株式会社積信堂
2010年2月10日 第1刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

序章:今なぜお寺なのか
第1章:仏教の経済学
第2章:すべては檀家制度からはじまった
第3章:お寺は仏さまのもの
第4章:お坊さんは気楽な稼業か
第5章:今どきのお寺は本末転倒
第6章:お寺はタックス・ヘイブンか
第7章:葬式仏教のカラクリ
第8章:沖縄のお寺に学ぶ
第9章:お寺に未来はあるか
文庫版補章:最近の動きなどを交えて
あとがき
文庫版へのあとがき
参考文献
補論:祈りと救済の経済学 山形浩生

⊗ 著者情報 ⊗

中島隆信(なかじま・たかのぶ)
1960年生まれ。慶応義塾大学経済学部卒。現在、慶応義塾大学商学部教授。商学博士。実証的な分析を行う一方で、従来の経済学ではなかなか扱われないできた事象を経済学で読み解く一連の仕事を続けている。著書に、『大相撲の経済学』(ちくま文庫)『これも経済学だ!』『子どもをナメるな』(以上、ちくま新書)『日本経済の生産性分析』(日本経済新聞社)『障害者の経済学』『オバサンの経済学』(以上、東洋経済新報社)がある。