才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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イスラム経済論

加藤博

書籍公房早山 2010

装幀:加藤光太郎

ならじあ、あじあ、なら、あじあ。
そうだとすれば、仏教も儒教もイスラムも、
一度は一緒に芸術をし、経済をしたほうがいい。
中東や東南アジアでは、いや中国ですら、
そのことは現実の一角となりつつあるのに、
でも日本では、なかなかそうはなってはこなかった。
ならじあ、あじあ、なら、あじあ。
なら、ならあじあ、ならならば、
まほろばならば、ならあじあ、うみわたるもの、
ひとつになりうるものを、ならあじあ。

 久々に土取利行さんと話した。30年来の付き合いですが、やっぱり深くてカッコいい。12月18・19日の2日間イベント、平城遷都1300年記念事業のラストを飾るグランドフォーラム「NARASIA 2010」(県立文化会館)に出演してもらうためで、土取さんにもずっと奈良に滞在してもらっていたからです。

 「NARASIA(ならじあ) 2010」は、まさに前夜の千夜千冊『リオリエント』がライブなテーマになったというもの。トークと音楽と映像と照明との重なりあいをリオリエントっぽく演出するべく、ぼくと藤本晴美さんと井上鑑さんと飯島高尚さんが中心になって1年をかけて準備してきた。
 その中身は、当事者のぼくですら説明しがたいほどのアクロバティックな構成で(笑)、たとえば万葉とファッション、とムーダン、尺八とパーカッション、知識人と子供たち、ピアノと声明、政治家とダンス、漢字とボーカリゼーション、ヴァイオリンと漢方‥‥などといった異種配合が、奇蹟のように舞台と客席のあいだで互いに連鎖するという、まあまあそれはそれは贅沢で過激な組み合わせでした。全プログラムに日本とアジアの流れの接点をふんだんに浮上させてみたので、観客はそうとうに堪能できたろうと思います。
 土取さんにはそのプログラムの多くに参加してもらったのですが、とりわけキム・メジャ(金梅子)さんとの「光」を象徴したパフォーマンスが天にも昇れるほどの圧巻でした。おそらく今日考えられるかぎりの、アジア最高のコラボレーションだったでしょう。韓国も日本もない。アジアの矜持が誇らしく突き抜けていた。これを見なかった人はジンセー10年の損だったでしょう(不参加の人、悔しいね)。ぼくも嗚咽を禁じえないほどに感銘した。
 その圧巻の舞台にいったん緞帳が降りると、続いてステージが声明と平城京レポートが組み合わさったセレモニーに変わり、さらには子供たちとアーティストたちが打ち揃って「ならじあ」(松岡正剛作詞・井上鑑作曲)の大合唱・大合奏となっていくという連打の構成演出したのですが、こうして舞台がラストフィナーレに向かっていくと、それまでキム・メジャさんの超越的シャーマニックな踊りと土取さんのアニミスティックなパーカッションの重畳果敢な舞台のときはまだしも堪(こら)えていたろう観客の感情も、ここでついに感極まって、ぐすぐす嗚咽したり、わんわん慟哭していたようでした。うんうん、これでいい、これでいいと、ぼくはとても嬉しかった。
 

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平城遷都1300年記念「グランドフォーラム NARASIA2010」 
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柿本人麻呂と夏目漱石の『夢十夜』をテーマにした能コラボレーション。
能楽師の安田登さん(写真左)、尺八演奏家の中村明一さん(写真右)。
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土取利行さんのパーカッション、金梅子さんの舞踊が、
太古のアジアを現出させる。
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フォーラムのハイライトは、『平城京レポート』の提案・手交式。
奈良から発信するコンセプトが、荒井正吾知事から鳩山由紀夫元総理に手渡された。 
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シンガーのおおたか静流さん、ヴァイオリン奏者の金子飛鳥さん(写真左)。
イベント全体の音楽を演出した作曲・編曲家の井上鑑さん(写真右)。
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フィナーレは、「NARASIAのテーマ」の大演奏。
各出演アーティストに加え、奈良密教青年会、まつぼっくり少年少女合唱団も共演。 

 ま、当日の舞台の話はともかくとして、ところで、その日の「NARASIA 2010」が終わって出演アーティストと荒井奈良県知事らと打ち上げの歓談しているとき、土取さんがこんなことを言った。「これまで日本は宗教文化に音痴すぎたんだよね」。
 かつて土取さんが音楽を担当しているピーター・ブルック国際劇団が、シェイクスピアをもって日本に来たときは日本のメディアは大騒ぎして迎えたのに、ところが数年後、イスラムをテーマに舞台を見せたときは、みんながみんな腰が引けていたというのです。メディアはどこも採り上げなかった。土取さんは「こういう日本が決定的にダメなんだよね」と失望の念を禁じえない。
 たしかに、そうです。日本は宗教文化で1300年を暮らしてきたのに、それが面と向かってアートになると、どうしていいかわからなくなるという、ひどい迷子状態になるのです。とくに異教に弱い。
 その最たるものがイスラムを相手にしたときで(「イスラーム」と書くべきですが、今夜は「イスラム」にします)、いったいこの異教性をどうすればいいのか、さっぱり反応ができなくなるのです。
 かつては大杉栄(736夜)も大川周明も反応できたのに、いまやがたがた、壊滅状態になる。佐藤優さんなど、きわめて例外的理解力です(その佐藤さんはキリスト教神学の専門家ですよ)。

 このことは9・11以降の日本ではさらに目立ちます。スンニー派とシーア派の区別はおろか、イスラム原理主義とイスラム主義の区別もつかないし、なぜ自爆テロがあれほど過激なことができるのかも、理解できません。いや、はなっから理解しようとしていない。
 それはまだしもだとして、一億総じて経済主義のはずの日本人がイスラムの経済社会に利子がないことなど知ると、まるでそっぽを向いてしまいます。その理由を考えようともしない。これはあまりにおかしな話です。イスラムは普遍宗教ですよ。いまや13~16億人がムスリムなんですよ。その経済力はオイルマネーとともに世界の5分の1か4分の1を覆いつつあるんですよ。
 それなのに、イスラム経済をわれわれは理解しようとしていない。なぜそんなふうになるのか。むろん勉強不足でもあるけれど、どうもそれだけではないようです。それに、根本的な過誤を犯しているようにも思います。まず、とりあえず、次の説明を読んでみてください。

 イスラムは「リバー」(利子 riba)を禁止しています。利息付きの資本を認めません。イスラム銀行は無利子銀行であリ、イスラム金融は無利子金融なのです。イスラムは貨幣が自己増殖することを否定するからです。このことはすべては「シャリーア」(イスラム法)で決められている‥‥。
 一方、イスラム経済ではさまざまな金融取引・金融事業が頻繁におこなわれています。むろん金融商品もいっぱいある。これらをイスラム銀行が主に次の4つのスキームをもってビジネスしています。
 「ムダーラバ」(Mudharabah)は銀行が顧客から預かった資金をプロジェクトに投資し、そこで発生した利益(あるいは損失)を事前に決められた割合で顧客に配分する。 「ムシャーラカ」(Musyarakah)は銀行と顧客が資金を出しあいプロジェクトを共同経営をして、その損益を応分に配分しています。 「ムラーバハ」(Murabahah)は銀行が顧客に代わって商品を購入し、購入価格に銀行マージンを上乗せ(マークアップ)して顧客に売却するしくみです。 「イジャーラ」(Ijarah)は銀行が顧客に代わって商品を購入して顧客にリースし、応分のリース料を受け取ります‥‥。

 これって、何を言っているか、わかりますか。つまり、イスラム経済社会では銀行と顧客は債権者と債務者の関係にはないんです。両者は互いが利用するスキームによって、売り主と買い主、貸し手と借り手、投資者と事業者などの関係になっている‥‥。
 そもそもイスラム社会では、万物の所有は神のもとにあるのです。公正なビジネスをおこなうことが篤い信仰そのものなのですね。その所有にしてもうまく分担されていて、国有権をもつイスラム国家は資源の有効利用と所得配分の格差の縮小にあたります。公有権をもつ「ウンマ」(イスラム共同体)はモスク・学校・病院・道路・バザールなどの公共財を管理しています。ウンマの資金や土地は「ザカート」(喜捨)や「ワクフ」(寄進)によって拠出されているからです‥‥。
 いやいや、それだけではない。そのほか、資本の集中と退蔵を禁止していますし、労働の市場的商品性が否定されている。さらには土地の私的所有には制限があって、土地私有が集中することを避けてもいます。それどころか、資本の所有権は死後に親族に移転することをおおむね容認しているのです‥‥云々。

 なんという経済社会でしょうね。こんな経済社会が地球の4分の1で実行されているんです。
 けれども、これらのことをめぐっては日本人のあいだで(むろん西洋でも)、かなりの誤解が伴ってきたのです。とくにイスラム社会が利子を認めず利潤を認めるところを、混乱して解釈していることが少なくありません。かく言うぼくもいろいろ読んではきたけれど、何かがどうも画然としなかったものです。
 なぜ誤解をしてきたのか。あるいは理解がしにくかったのか。ちょっと反省してみますと、とりあえず3つほどの理由が考えられる。
 第1には、やっぱりイスラムのことがわかっていないのだろうということですね。第2には、イスラム宗教についてはイスラム教義の言葉で解釈して、イスラム経済については資本主義経済学の言葉で、分断して理解しようとしてきたのだろうということです。ありうることです。
 そして第3に、これこそが土取さんがまさに嘆いていることですが、そもそも宗教と経済を、経済と芸術を一緒に語る能力が、ぼくを含めたわれわれ日本人には決定的に欠けているのだろうということです。

 第1の「イスラムのことがわかっていない」ということについては、今夜は言及しないことにします。いまもって日本人にはわかってないと言うしかないし、その途中までの理解を示してもキリがない。
 ちなみにぼくのイスラムについての理解の途次を白状すると、最初はスーフィズムやスフラワルディを齧り、ついで井筒俊彦さんの『イスラーム思想史』(いまは中公文庫)を読むことに始まりました。これはぼくの当初の関心がイスラム神学やイスラム神秘主義にあったためと、井筒さん以外の信頼すべき哲学史がなかったためですが、そのぶんイスラムの現代社会の実態がどういうものであるかは、ほとんどわからないままでした。スフラワルディについての拙(つたな)い感想は『遊学』(中公文庫)に入っているので、お目よごしで読んでみてください。
 その後はどうかというと、イスラム哲学では、ムハンマド(マホメット)や『コーラン』(クルアーン)をべつにすると、イマーム・ル・ハラマインやアル・ガザーリーやイブン・ルシード(アヴェロエス)の周辺をうろうろしたにすぎなかった。ついでアンリ・コルバンの『イスラーム哲学史』や黒田壽郎さんのもの、たとえば『イスラームの心』(中公新書)や『イスラームの構造』(書肆心水)を読んだり、あるいはまた後藤明、山内昌之、鈴木董などの本の助けを借りていたのですが、いまひとつ深まらなかった。
 そのうち中東・アラブ・イスラムの歴史のほうに関心が移り、ウィルフレッド・スミスの『現代イスラムの歴史』(中公文庫)以降は、気がつくとオスマントルコの歴史や海のシルクロードや、ときにはイスラム建築論や庭園論のほうに、ぼくは誘われていたのです。なんといってもイスラムの歴史は、十字軍との戦いでも、オスマン帝国の構想にしても、西洋との対決を辞さなかったわけで、めちゃくちゃおもしろいですからね。
 しかし、これらはあくまで歴史のなかのイスラムの出来事でした。
 そんなところへ湾岸戦争と9・11です。これは歴史ではなく、いまおこった現実です。
 ぼくの周辺の話題も、たちまちイスラム原理主義のこと、アメリカ帝国主義のこと、パレスチナとイスラエルのこと、中東アラブの政治情勢のこと、自爆テロ問題のことで沸騰していきました。そうなるとイスラム思想のことよりもその行動主義のほうに気をとられ、遠くウサマ・ビンラディンに異様なカリスマ的指導性を感じながら、しかしイスラムの現実社会を観望するというふうになったものです。

 第2の「イスラムをイスラム教義の言葉で、イスラム経済を資本主義の言葉で分断して理解していた」ということについては、これはまずいなとうすうすいろいろなことを感じてはいたのですが、実は本書や櫻井秀子の『イスラーム金融』(新評論)を読むまでは、その問題の深さをちゃんと測定できなかったと告白します。
 その測定感覚の欠陥は、恥ずかしながら「千夜千冊」にムハマンド・バーキルッ=サドルの『イスラーム経済論』(未知谷・305夜)の感想を書いたときの浅薄な書きっぷりにも、端的に反映しています。その後、思いなおしてバーキルッ=サドルの『無利子銀行論』(未知谷)を読んで少しは訂正できたものの、どこまで深まったものやら。
 おそらくわれわれは、ついつい二つの立場のどちらかでイスラム経済を論じようとしてきたのだと言うしかありません。
 ひとつは、イスラム経済にはイスラム独自の経済論があるだろうから、その経済学を理解しようという立場なのですが、これはその「経済学」という発想そのものが資本主義的な枠組を前提にしたうえでのオリエンタリズムになりがちなのですね。
 もうひとつは、イスラム経済は近代経済学の枠組でも解釈しうるという立場で、この見方は欧米ではかなり流通しています。いわば“近経”(近代経済学)によって力づくでイスラムを押さえこもうというものです。しかし仮にそういうことが西のロジックで可能だとしても、これではイスラム経済学は現代資本主義のシステムに組み込まれて解釈されて、ハイ一貫の終わりということになる。これじゃやっぱり話にならないでしょう。
 ですから、このような二つの立場は、どちらもイスラムの経済をそのまま理解したことにはまったくなりません。

 第3の、われわれには「宗教と経済を一緒に語る能力が欠けている」ということについては、いまさらながらあまりに根本的な問題すぎて、すぐに反省の弁解をする気にならないほどです。
 それでもしかし、たとえば「ユダヤ・キリスト教が世界最大のビジネスモデルを用意した」ということや、マックス・ウェーバーが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で何を資本主義のセオリーにしたかということなら、だいたいはわかっていたはずなんですね。
 もともと世界中で宗教と経済は長きにわたって一蓮托生だったのだし、仏教もキリスト教もその他の宗教と経済の関係も、歴史のどこを切っても別々なものではなかったのです。また、たとえばインド出身のアマルティア・センの『合理的な愚か者』(1344夜)は「共感と参加」を軸に合理的経済学を批判したものですが、それは言ってみれば「菩薩道としての経済学」のようなものだったと解釈できてもよかったのです。
 ということは、世界の経済を深く見たいなら、もっと宗教の問題にも同時に入っていかなければならないということで、ということは、イスラム経済のことをもっと正確に理解しようと思うなら、われわれはイスラムの教えとしくみを理解しなければならず、資本主義の本質と限界をさらに知りたいのなら、ユダヤ・キリスト教のことを歴史社会的にも経済社会的にも理解しなければならないはずだったのです。
 ところが、そこをほったらかしにしてきた。ぼくのイスラム観もぐさぐさのものでした。
 けれどもオイルマネーの力とともに、またパレスチナ問題や湾岸戦争や9・11とともに、いまやイスラム社会とイスラム経済の実態としくみは国際社会のなかでも世界経済のなかでも大きなプレゼンスと実行力をもつようになってきたわけですから、これ以上、この問題(宗教と経済の関係の問題)をほったらかしにしているわけにはいかなくなったのです。さあ、それで、体の一部がそわそわしてきたということです。ならじあ・あじあ・いすらむ・むらむら。

 というわけで、やたらに前置きが長くなったのですが、ぼく自身もそろそろイスラムの社会と経済についての態度というのか、姿勢というのか、見方といいますか、そういうものを表明する必要に迫られていたのですね。
 そこで、お待ちどうさま、今夜から何冊かの本によって主にはイスラム経済社会の特徴を通して、ついではぼくの“積み残した宿題”についての宗教と経済をめぐるエクササイズがその後どういうものであったかなどを、あらためて紹介したいと思います。
 それを始めるにあたって、まずは本書『イスラム経済』を選んでみたという、今夜はそういう前後関係です。そんなとき、土取さんととてもNARASIAでイスラミックな話をしたということでした。
 もうひとつ、今夜から宗教と経済と文化と社会のことを考えるのならば、イスラムから入るのが最も遠くて近い問題意識を触発するだろうと感じるからです。それにあたっては、本書は適確な主題を提示している入口になるだろうと思います。そのうえで、仏教やキリスト教などにも言及していきたい。イスラムの背景にある考え方や事柄については、また第3点にあげた宗教と経済の全般的な関係のことについては、別途、別の本で案内します。

 さて、本書は次のように始まっています。
 今日、イスラム経済は世界経済上でも無視できなくなっている。それは、第4次中東戦争とオイルショック以降の1970代後半に「イスラムの復興」とともに拡大してきた現象で、その波及についてはかつてはイスラム金融の是非を議論する程度のものだったのですが、それがしだいに国際金融市場における制度設計をどうするかという段階にまで達してきたからでした。
 のみならず、近い将来においては既存の金融システムとイスラム金融システムとの併用や共存がおこりうることが、はっきり予測されるようになってきているのです。これはほってはおけない。
 こうしたなか、イスラム金融が自由資本主義社会に投げかけている問題を正確に理解することが急務になっているのですが、それにもかかわらず、多くの資本主義諸国や企業家たちのあいだでは「なぜイスラム経済は利子を禁止しているのか」ということ自体がわからないままになっているのです。
 しかし、この答えは本書によれば、明々白々なのです。答えは「そのことがコーランに書いてある」という以外にはありえない。利子の禁止はアルコールの禁止と同様の宗教的タブーなのですね。もっとはっきりいえば、イスラムにはそもそも「特別な経済社会のためのプログラムがあるわけではなかった」ということです。
 とはいえ、その「コーランに書いてあること」が経済ルールや生活経済に及ぶというところが、欧米型の知識で固まった連中には、またわれわれにも、どうもわからないところなんですね。では、どこをどう理解すべきなのか。本書は次のように説明します。

 もともと「イスラム」(イスラーム)という言葉は、「引き渡すこと」「委ねること」というアラビア語に発して、総じて「すべてを(神に)ゆだねること」という意味をもっています。
 そのイスラムの理念と倫理を包括しているのが『コーラン』(クルアーン)で、その思念と行動の規範のすべては「シャリーア」(イスラム法)の中にあります。シャリーアは私的ならびに公的なムスリムの全生活領域を覆っています。したがって経済生活もその一部にすぎません。それゆえ、ムスリムの日々の活動から経済領域だけを取り出し、それに規範を与えて体系にするということはありえない。体系といえば、シャリーアそのものなのです。
 この意味でいうと、イスラム経済はカール・ポランニー(151夜)の「社会に埋めこまれた経済」という言い方にあやかれば、「シャリーアに埋めこまれた経済」、すなわち「法に埋めこまれた経済」ということです。イスラムには経済建設のための自立したプログラムがあるわけではないのです。
 けれども、ここからが大事なのですが、それでもイスラム圏の日々の経済活動や国際的な経済活動には、当然ながら一般的な経済と同様の特徴があります。そこには近代以前に発達したイスラム市場の歴史的特徴と、現代イスラムで目立ちはじめた金融活動との違いがみごとに同居しているのです。

 現代イスラム社会が明確に独自の金融のしくみを表沙汰にしたのは、そんなに古くはありません。
 その前哨としては、1963年にエジプトのミート・ガルム貯蓄銀行(のちのナセル社会銀行)とマレーシアのマラヤ・ムスリム巡礼貯金公社(のちの巡礼積立運用基金)が設立されたことが大きいのですが、もっと今日的なイスラム経済システムが明白になっていったのは、1974年のオイルショックの直後に、巨大なオイルマネーの背景をもってドバイ・イスラム銀行が1975年に設立されたということです。これを嚆矢に、その後の10年間で中東に次々にイスラム銀行が林立していきました。たとえば次の通り。

  1975 ドバイ・イスラム銀行
       イスラム開発銀行(イスラム諸国会議機構)
  1977 エジプト・ファイサル・イスラム銀行
       クウェート・ファイナンスハウス
       スーダン・ファイサル・イスラム銀行
  1979 ヨルダン・イスラム銀行
       バーレーン・イスラム銀行
  1983 トルコ・ファイサル・ファイナンス
  1985 アルバラカ・トルコ・ファイナンスハウス

 これらは、いずれも“無利子銀行”です。無利子だなんて、資本主義国家群や企業群にはそうとうめずらしいものだったのですが、そんなことにおかまいなくこうしたイスラム銀行群はたちまち国際的な金融力をもちはじめます。
 とくに1991年にソ連の解体と冷戦体制が終焉して社会主義計画経済が崩れ、アメリカ一極の軍事経済力が一人勝ちするかに見えた時期、その90年代に、のちに杉原董が「オイル・トライアングル」と名付けた中東・東アジア・欧米の3つの市場間で、きわめてグローバルなオイルマネーの取引が確立していったことが大きかったんですね。
 これは、中東の石油が東アジアに輸出され、東アジア諸国は工業製品を欧米に輸出し、欧米は中東産油国に武器と金融サービスをもたらすというトライアングルです。このオイル・トライアングルが一方では「アジア4竜の奇跡」をもたらすとともに、他方ではイスラム銀行の国際化を着実に保証していった。ちなみに中国にさえ1000万人以上のムスリムがいて、インドネシアのムスリムは1億9000万人(なんと国民の9割)に、パキスタンとインドはそれぞれ1億2000万人にのぼるんですよ。
 かくてイスラム金融と資本主義諸国のコンベンショナルな金融はダイナミックに交じりあったのです。そしてこのなかで、さきほど述べたような、損益分配型の金融契約による「ムダーラバ」や「ムシャーラカ」と、損益分配契約によらない金融契約を結ぶ「ムラーバハ」や「イジャーラ」がどんどん定着していったのです。とくにムダーラバは、グローバル経済がデリバティブなどの金融商品を有力武器にしたことと相俟って、国際金融舞台の花形にさえなっていった。

 こんなことは、前近代のイスラム市場ではほとんど考えられなかったことです。不確実性とリスクが増大したグローバル経済のなかでこそ、かえってイスラム経済は大きな地歩を築けたのです。
 なぜなら、次のような事情があった。シャリーアはその評議会によって、次の事業モデルを禁止しています。①利子をともなう取引、②その結果が不確実な取引、③投機を目的とした取引、④豚肉・ポルノ・アルコールなどの禁止された商品の取引。
 ここで、①の「利子(リバー)の禁止」では、厳密には等量の交換の原則を踏みにじることによって発生する利子(剰余のリバー)と、同時交換の原則を踏みにじることで発生する利子(期限のリバー)が戒められています。これは、猛威をふるったデリバティブな国際金融商品が陥りやすい陥穽を、当初から回避しているみごとなシナリオでした。「剰余のリバー」と「期限のリバー」を禁止していれば、サブプライムローンの悲劇など、おこりっこないのです。
 また、②の「不確実な取引」にイスラム経済社会が着目していたということが重要です。今日の金融取引はまさに不確実性を利用することによって成立しています。しかし、その不確実性はそもそも経済の本質でもあるのだから、そこには莫大な利益を得るようなしくみとともに、手痛い損失が伴うしくみとが混在します。それによってハイリスク・ハイリターンからローリスク・ローリターンまでの損益グラデーションがポートフォリオとして商品化されるわけですが、このうちイスラム経済は「真の不確実性」には手をつけないという原則をなんとか確立しようとしているのです。
 これはいまごろになって国際金融取引が各国各エコノミストのあいだで、反省しきりに取り組もうとしていることでもありますが、それをイスラムは早くも先取りしていたということです。
 そこへもってきて、これは一般にもよく知られていることですが、③の「豚肉・ポルノ・アルコールなどの禁止」が加わります。このことは経済行為がその根本において宗教行為や信仰行為であることを忘れさせません。このようにイスラム経済社会が「なんでも自由」を持ち込まないということをしゃかりきに守っているということは、すごいことです。これがイスラムの誇る「ハラハー」(禁忌)というものです。

 というわけで、ごくおおざっぱな説明しかできなかったのですが、それでもイスラム経済社会が驚くべき先進的な金融感覚やプロフィット・マナーを身につけているということは、あらかた察知できるだろうと思います。
 イスラムにおいては「公」がべらぼうに大きくて、そこに「共」と「私」とがうまく包まれるのですね。この公共性のことを「マスラハ」と言うそうです。イスラム法学では「公共利益」とか「社会福祉」と訳されるものですが、マスラハの意義は資本主義社会の公共利益や社会福祉とは異なります。もっともっと「公と共と私」を貫くものになっているんですね。
 マスラハを抱くということは、そこに正義としての「アドル」と不正としての「ズルム」の区別を画然とさせます。そして、このマスラハのためにアドルとズルムを知悉していくことが、イスラム経済社会の「タドビール」(経営)というものになっている。
 これは強いでしょうね。しかもタドビールは、それぞれ「国家の統治」(タドビール・アルフィラーファ)、「都市の行政」(ヒスバ)、「家計の経営」(タドビール・アルマンズィル)に分かれ、さらに細かくは「資産の経営」(タドビール・アルマール)、「女の経営」(タドビール・アルマルア)、「子供の経営」(タドビール・アルワラド)などに徹せられていくというのですから、たいしたものです。
 では、以上の説明ではまだカバーしきれなかったこと(いろいろあります)については、次夜以降にフォローしていきたいと思います。では、みなさんご一緒に。「ならじあ、あじあ、なら、あじあ、いすらむ、むらむら、ならあじあ」。

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「グランドフォーラム NARASIA2010」の公式パンフレット
(制作:編集工学研究所 デザイン:美柑和俊)
イベントの各シーンは、都、風、文、身、海、間、楽、時、衣、交、光、臨、遊、
漢字一文字の表現による計13のテーマキャプチャーで構成された。