才事記

ゼビウスと横須賀功光

ぼくの半生はさまざまな才能に驚いてきたトピックで、髪の生え際から足の親指まで埋まっている。小学校の吉見先生との一緒の遊びや南海ホークスの飯田のファースト守備に驚き、藤沢秀行の碁の打ち方や同志社大学の平尾ラグビーに驚き、電子ゲーム「ゼビウス」のつくりや井上陽水のシンガーソングぶりに驚き、亀田製菓の数々の「サラダあられ」や美山荘の中東吉次の摘草料理に驚き、横須賀功光が撮った写真やコム・デ・ギャルソンの白い男物シャツに驚いた。

ファミコンゲーム《ゼビウス》

いずれも予告なし。ある日突然に出会ってたまげたのだ。これらの代わりにマイルス・デイヴィスを聴いたときとかヴィトゲンシュタインを最初に読んだときとか、そういうものを挙げてもいいのだが、できればナマっぽく体験したことと向き合ったほうがいいので、こんな例にした。

まずは何に驚いたかということが大事なのだが、それにとどまってはいけない。そのときこちらを襲ってきた唐突な感動が、その日その場のシチュエーションや当日の体調や別の記憶との共属関係とともに新たに残響してくることが、もっと大事だ。

われわれは当然のことながら、幼児期には何にでも驚いてきた。子供になってからもアサガオの開花やセミの羽化に出会ったこと、土中の化石やホタルの点滅を初めて見たのは、忘れられない体験だ。ただし、これら植物や動物を相手にした感動はのちにも体験可能になる率が高いけれど、それにくらべて誰かがもたらしてくれるものは、その時その場にかぎられることが多い。

この誰かによる感動とどう付き合えるかということから、世の「才能」というものへの陥入がおこっていく。

感動や共感について心すべきことは、出会って驚いた瞬間の感動というか逆上といったものを、その後どのように保持できる状態にしておけるのか、またその感動をここぞというときに脳裏から自在にリコール(リマインド)できるようにしておけるのかということにある。

感動も共感も誰にだっていろいろの機会におこるものだけれど、それをどこかに転移しても(時と場所とメディアを移しても)、その鮮やかさをそこそこ賞味できるかということが、キモなのである。

たとえば、誰かの講演を聞いて、おおいに痺れたとする。内容にも共感したとする。では、この感動をどのように保持するかなのである。またどのように再生するかなのである。これがけっこう難しい。

驚きをもたらしてくれたものには、当然にそれをあらわした当事者の才能が光っている。横須賀のモノクロ写真や陽水の歌においてはあきらかに格別の「個の才能とスキル」が発揮されたのだし、「ゼビウス」や「サラダおかき」には開発チームの「集団的で統合的な才能」が結実したのである。しかし、その秘密に分け入るには、たくさんの分析や推理が必要だ。

たとえば第1に、その才能が開花するにあたっては、少年少女期や青春期に何をめざしていたのかということがある。栴檀は双葉より芳しと言うけれど、小さいころの能力の芽生えがそのまま開花することは少ない。なんらかの深堀りやエクササイズが生きたはずなのだ。横須賀や陽水はそこをどうしたのか、これは覗きにいく必要がある。

第2に、その才能開花に預かったメンターや技の協力者やチームはどういうものだったのかということがある。ゼビウスはどのようにチームを組んだのか。一人で独創をはたしたかに見える棟方志功だって、実はたくさんのメンターがいた。志功はそのメンターに強く影響されたいと思った。指導者や師や影響者の存在は、メンターの資質に選択肢があるというより、むしろその師に掛けたほうの強度がモノを言う。

のちのちそんな話もしたいと思うけれど、ぼくの場合はいったん選んだ影響者のことを、その後もまったく疑うことがなかった。

また第3に、その才能によってどのように同時代の競争を抜きん出たのか、そこにはどんな時代の水準がわだかまっていたのかということも才能分析の対象になる。セザンヌが人気があったときとカンディンスキーが「青騎士」として登場したときとウォーホルがシルクスクリーンで登場したときとでは、時代のアイコンも驚きの関数も違っていた。そのため、その時々の勝負手がちがってくる。こういうときは、自分で才能を懸崖に立たせる必要がある。イチかバチかに向かう必要がある。

横須賀功光《射》

横須賀功光が颯爽と出現したときは、日本の写真界はキラ星がひしめいていた。ファッション写真や広告写真で腕を磨いた横須賀は、ここで全裸の若者をモデルに『射』というモノクローム作品に挑んだ。若者が壁に向かって跳び移ろうとする肉体を、撮ってみせたのだ。ライティングも絶妙だった。誰も見たことがない写真だった。

第4に、才能開花のためのエクササイズやレッスンや機材はどういうものであったかということがある。棟方志功のように「板と刀」だけが武器だということもあるけれど、多くの場合、才能開花にはいくつもの道具や機材が関与する。レンブラントの版画には日本から取り寄せた和紙が、プレスリーのギターにはマイクやアンプの性能が、アンセル・アダムスのf/64のカメラにはレンズやプリントペーパーの質がかかわっていた。

顔料やコンピュータをどう使うか、録音機やプロジェクターをどうするか、釉薬や鉄材は何を入手するか。テクノロジーは才能の信頼すべき友人なのである。このことも才能にまつわっている。

ぼくは執筆には、いまだにシャープの「書院」を使っている。発売されていないだけでなく、いまや修理ができる工房もない。

第5に、なぜその当事者たちは「ゾーン」に入れたのかということだ。才能に自信がもてるには、どこかでゾーン体験がいる。ゾーンに入るとは、予想を超えるノリに入ったことをいう。俗にエンドルフィンやアドレナリンが溢れることだ。

しかしながら、為末大が言っていたけれど、あるときゾーンに入っていけたとしても、その継続は必ずしもおこらないし、その手前でそうなるとはほぼ気が付かないものなので、そこをどうするか。そのため、アスリートの多くはゾーンを思い描いたイメージ・トレーニングをしたり、ルーチンを確実なものにしていくということをする。

けれども意外なことだろうが、スポーツ以外ならいくらだってゾーン体験は引き寄せることが可能なのである。一番有効なのは誰かとコラボすることだ。スポーツは必ずチームや相手がいてスコアを争っているのだが、他の才能開花は一人で自分の才能の発揮に悩む。そういうときは、誰かとともにその才能を試すのがいい。編集能力の発揮なら、学習仲間とともにさまざまなことを試みたり、メディアを変えたりするといい。

たんに感動したといっても、そこにはざっと以上のようなことが準備されていたり、参集していたのである。これらを無視しては才能は発揮できないし、才能を云々することも叶わない。

しかし、ここまでの話は、ぼくがこのコラムであきらかにしたいことの範疇のうちのまだまだ一端にすぎないのである。どちらかというと、ここまでは才能議論の準備やアプローチに必要なことで、実は序の口の話なのだ。クロート向きとは言えない。
 才能に痺れたのちに重視してみたいのは、驚かされた相手の才能は当方(受容者)にどのように伝播されたのか。その後はどうなっていったのか、ここを抉るということだ。

ラグビーの平尾やシンガソングライターの陽水の才能は、ほおっておけばすぐに「スポーツの才能」とか「音楽の才能」というふうに一般化されてしまう。また他のプレイヤーとの比較分布にマッピングされていく。ジャンクフードや料理の個別の感動は、たちまち無数の「おいしさランク」にいいねボタンとして回収されて、平べったくなっていく。

ゼビウスはその後は無数の電子ゲームが乱舞していったので、おそらくいま遊んでみても当初の感動は色褪せているにちがいない。

愛用の”お古” シャープ《書院》

コム・デ・ギャルソンの黒い紐付きの白シャツはいまでも気にいってはいるけれど(イッセイのスタンドカラーの白シャツなどとともに)、それははっきりいって「お古」なのである。

が、大事なのはこの「お古」との付き合いのうちにも、あのときの感動とそれをもたらした才能とを交差させられるかどうかということなのだ。

そもそもプラトンも人麻呂もバッハもゴッホも複式夢幻能も、これらはすべて「お古」なのである。「お古」だからこそ、何度もプラトンを読みなおしたり能楽を見なおしたりするのだが、そしてそれで少しは自分が感動した才能の位置や重みに気がつくこともあるし、少しは「お古」を脱したと感じるのだけれど、これでは甘いままになる。それよりむしろもっと「お古」を相手に才能と向き合うべきなのである。「お古」をバカにしてはいけない。

これは思うに、感動は転移しつつあるあいだも(AからBに、BからCやDに)それなりの主張をしているはずなのだから、その転移のなかでの様変わりな変容も捉えておいたほうがいいだろうということだ。ぼくが何を一番鍛えてきたかといえば、おそらくはこの「お古」をいつも甦らせる状態で自分の編集力をリマインドしたりリコールできるかということだった。

感動や驚嘆には才能の楽譜やレシピが刻まれている。ぼくの編集力はそのことをヴィヴィッドな状態でホールディングしたり別の場所にキャリングする(移行させる)ことを、試行錯誤をくりかえしながらも何度も試みることで、そこそこ鍛えてきたように思う。ただし、そこにはいろいろの秘伝もある。そのあたりのこと、おいおい話してみたい。

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エロスとタナトス

ノーマン・ブラウン

竹内書店新社 1970

Norman O. Brown
Life Against Death 1959
[訳]秋山さと子

生きる情動と死の衝動。
生のエロスと死のタナトス。
この二つは何としても切り離せない。
二つの発現を少しずつ瞬間のほうに縮めていけば、
エロスとタナトスは表裏一体になる。
それをフロイトは「無意識」にとじこめた。
この二つは、その本来の姿のまま取り出してはまずいのか。
どうすれば「文化」になっていけるのか。
名著として鳴るノーマン・ブラウンの本書は、
ここに博覧強記をもってその可能性を開示した

 ぼくが知るかぎり、「エロスとタナトス」という言葉が大好きで、これをやたらに連発するのはアラーキーこと荒木経惟(1105夜)である。「ぼくの写真はエロスとタナトスを撮ってるからね」「ほら、この花がさ、エロスとタナトスの裏返しなんだよ」「やっぱりエロスを追求するとタナトスになるんだよな」というふうに。
 アラーキーの写真が「エロスとタナトス」の写像的二重性によって成り立っていることは、まさに本人が言う通りで、これほど一貫した主題が撮りつづけられているのは他の写真家には見られぬほどである。それについては1105夜にあれこれ書いたことなので、ここではこれ以上の応援演説をするのは省くことにするが、では、アラーキーが言うような「エロスはタナトスで、タナトスはエロスだ」というような見方は、いったいどのように認知されてきたのかというと、これはやっぱりフロイト(895夜)にまでさかのぼる。
 フロイトが『快感原則の彼岸』において、エロス(生)とタナトス(死)を対比させ、生の欲動と死の欲動を二重化し対置性をもって解釈しようとしたのが、そもそもの「エロスとタナトス」流行の淵源だった。ただ、そのようなフロイトの指摘はその後、歪んだり、誤解されたり、忘れられたりもした。それを人間文化史上の中軸におきなおして復活させたのがノーマン・ブラウンの本書『エロスとタナトス』だったのである。
 もう少し先のことまでいえば、ブラウンの「エロスとタナトス」論の復活はさらに延展されて、その後はたとえばヘルベルト・マルクーゼの『エロス的文明』(302夜)へと発展していった。大江健三郎に多大な影響をあたえたマルクーゼのこの本は、文明は「エロス≒タナトス」の抑圧からしか生まれてこなかったのだから、それが嫌なら文明のほうを変革するべきだとまで言ってのけたのだ。
 というわけで、本書ほど有名な書名をもつ本はないと思うけれど、実は『エロスとタナトス』はもともとの原題ではない。“Life Against Death”が原題で、「歴史の精神分析的意味」が副題になっている。それなら誰がこれを『エロスとタナトス』にしたかというと、フランス語訳がそうした。以来、60年代をへて本書はむしろ『エロスとタナトス』として、とくに日本の知識人のあいだを流浪した。
 翻訳は秋山さと子さん。1970年の刊行で、ぼくが「遊」の準備にとりかかろうとしていたころだ。ドイツから帰ったばかりの筋金入りユング派の秋山さんが骨太のフロイト論を翻訳したのは勇気のある行為だと、当時、話題になった。ぼくはその秋山さんからフロイトについてもユング(830夜)についてもいろいろ教わったけれど、残念ながら亡くなるのがやや早すぎた。

 ノーマン・ブラウンが本書で言いたかったことは、一見すると、明快だ。フロイト主義には多くの危険な言説がまじっているが、それを注意深く取り払っていきさえすれば、フロイトの仮説にはいくつかのたいそう重要な指摘があって、それらは人間の宿命、社会の本質、文明の特色などの隠れた真相を暴く力をもっていたということである。
 とくに、われわれの真の欲求には無意識的なところがあって、そこには「生」(エロス)の本能とともに「死」(タナトス)の本能が付着しているということについては、もっと知られるべきであろうということだ。
 心理学というものは、人間の心のしくみやはたらきを解明しようとする学問である。しかしフロイトの精神分析学はその他の心理学とかなりちがっている。どこがちがっているかというと、その根底に「無意識」を前提においた。
 われわれは、自分は自分だと思っているが、それは自分らしきものを構成しているもののごくごく一部にすぎない。フロイトによれば、そういう自分や自己の正体は、「それ」(Es エス)と呼ぶしかないどろっとした海のようなものの中に「自我」(Ich イッヒ)という島のようなものが浮かびながら混在している状態にある。すでに「千夜千冊」でも案内したように、「エス」はゲオルグ・グロデック(582夜)の用語を借りたもので、英語圏ではラテン語の「イド」(Id)になる。このエスやイドが「無意識」に押し込められ、埋められたままになっている。
 そこにはエロスとタナトスの本能が互いに表裏一体のような関係で織りこまれていて、そのことと人間の宿命、社会の本質、文明の特色などとは切っても切れないものとなっている。そうだとしたら、人間はここに「第三の審級」としての「超自我」のようなものを現出しようとするだろう。文明とは、この無意識・自我・超自我の互いに絡んだ歴史だったのではあるまいか。
 ごくおおざっぱにいうなら、こういうフロイト精神分析学の仮説にブラウンは注目したわけである。全部に注目したのではない。問題は、エロスとタナトスが「無意識」の奥に埋めこまれているのかどうかだった。きっとそこにはもっとさまざまな様態をとっていたり、出入りしているのではないかというところなのだが、少なくともフロイトの仮説では、そこには無意識のみが関与する。そこでブラウンは本書において、エロスとタナトスを心の奥の無意識によってしか説明できないものかを問うた。ぼくが見るに、その問い方がすぐれていた。
 だからブラウンは、本書でこのフロイト論ばかりを弁護したのではなかった。実はもっと興味深い、哲学的で、かつ経済社会論上の指摘もしていた。ぼくがかつて感応したところでいえば、さまざまに編集的示唆に富むことを指摘していた。編集的世界観の素材のヒントもふんだん詰まっていた。そこがいまふりかえってもなかなかなのである。が、そのことについてはのちにのべることにして、まずはブラウンが選リ分けたフロイト論の骨子を、もう少しだけ紹介する。

 フロイトの思想を解く鍵は「抑圧」にある。フロイトの生涯にわたる研究はほとんど「抑圧の研究」だったといっていいほどだ。
 抑圧を解明するにあたって、フロイトが対象にした抑圧的心理現象は、よく知られているだろうが、主として3つあった。①精神錯乱者の狂気ないしは狂気に近い心理現象、②夢もしくはそれに類する心理現象、③日常生活でしばしばあらわれる錯誤や失敗や「言いまちがい」や「でまかせ」のたぐいの心理現象、この3つだ。
 これらはすべて抑圧的無意識が絡んでおこったこととみなされる。そこでフロイトは、人間のなかにはふだんの意識的な生活とともに無意識的な日々が同時にはたらいているとみて、これらの抑圧された心理は「無意識的思考」になっているのではないかと考えた。ただ、この心理現象は、その心理をもつ本人の意識的な自己否認や自己抵抗があるために、フツーの方法では意識化できない。取り出せない。そのため人間は目的に向かおうとすればするほど、非意図的目的に自分が律せられているというふうになりかねない。人間はそういう逆説(パラドックス)を本来的にかかえこんでいるとみなしたのだ。
 これがフロイトふう無意識的思考というものなのだが、この逆説がいささかクセモノだった。実際にも、人間には無意識があるという仮説は、その後の多くの心理学派を迷わせた。
 それはともかく、フロイトのいう「無意識」はわれわれの心の奥にある花園でも神秘でもなく、抑圧そのものの捩れたアーカイブになっているということなのである。フロイトの研究真意は無意識の解明ではなく、抑圧の説明にあったということだ。ここまでがフロイト論の骨格の前提になる。

意識と無意識の関係図
意識と無意識の間には、記憶の「複合化」や
夢による「検閲」(抑圧)という二つの捩じれた編集工程が置かれる。
さらには「置き換え」、「圧縮」、などの加工が施される。

 そもそもフロイトは、人間の精神活動がほとんど快感原則に従っているとみなしていた。快感原則とは苦痛を回避して、少しでも快楽を求めようとすることをいう。
 しかし、この快感原則は日常的に保証されるとはかぎらない。つねに社会的な制約のなかで歪んでいく。おいしいものを食べたいという欲望やきれいなものを着たいという欲望は、ある程度の収入がなければ満足させられないし、リビドー(性欲)のようなものはよほどの状態が準備されないかぎり、ふだんは制約されざるをえない。そこで知らず知らずのうちに意識の快感原則と社会の現実原則のあいだに矛盾や亀裂が生じ、それが抑圧となってわれわれの意識の奥にその矛盾や亀裂のしこりのような残像を残していく。
 こうして日々抑圧されて無意識の捩れたアーカイブとなったものは、容易には取り出せないものとなる。ストレートに取り出せば窃盗や覗きやストーカーや殺害になりかねない。そのため多くの人間はしばしばこれを回避するあまり、不可解な行動をとる。それは自己防衛でもあるのだが、また複雑なエスと自我との絡みのあらわれでもあった。
 たとえば「反動形成」だ。ある欲望を抑圧したことが、その反動として正反対に近い表現や行動になる。嫌いな相手なのについつい丁寧になってしまうような例である。これは社会習慣のなかではマナーやエチケットになっていった。たとえば「投影」もおこる。これは自分がもっている感情や欲望を、自分がそれをもっているのだと思わずに相手がもっているものだと思いこんでしまうことをいう。その逆に「同一視」も生じてしまう。他人の態度や行動を自分にとりいれているうちに、そのことを自分のオリジナルだと思いこむ。たとえばまたムキになって「否認」することも、しばしばおこる。みんなに周知の事実をさえ認めない。相手が美しいとか強いと思ってしまうと自分がダメになると思って否認する。またたとえば「分離」をおこす。AとBの因果関係が自分に起因していることがうすうすわかっていても、それを分離して他人事のように自分がそれを語れるようにしてしまうわけである。
 こういう例をフロイト学派はゴマンとあげて縷々説明しているのだが、これでは人間は何をしたってビョーキなのである。そこでブラウンはこれらの症例的行為には目も向けず、フロイトやフロイト学派が最後にあげた「昇華」にのみ注目した。
 昇華とは、社会的な現実原則からするとなかなか受け入れられないような抑圧的欲望を、著作や小説や芸術や歌や修行やスポーツなどにして、いわば社会的なコミュニケーションの可能性にしだいに転換していくことをいう。本書は第1部「問題」、第2部「エロス」、第3部「タナトス」ときて、第4部に「昇華」をおいているのだが、ブラウンはこの昇華を「転移」とも呼び替えつつ、取り出せなくなっている抑圧の絡みも、これを少しずつ世界観をもったコミュニケーション能力の表出に向けていけば、無意識的思考ではなくなる可能性があると言いたかったのである。

 念のため言っておくけれど、フロイトを「無意識の発見者」とか「心の正体の解明者」とよぶのは当たらない。フロイト自身、「私が発見したのは無意識が研究されうる方法である」と言っている。
 ノーマン・ブラウンが本書の記述において採ったのも、「方法としてのフロイト」に注目することだった。しかし、方法に注目することは(ぼくもつねにそうしているのだが)、ひとりフロイトの方法に注目することにはならない。その方法の可能性に類似する多くの方法をそこへ組み合わせながら呼びこんでくることになる。本書がかつてぼくに影響を与えたのは、そこである。
 フロイトは幼児期に性欲が抑圧されていることをもって、エロスはすでに幼児の成長の遅延として発芽しているにもかかわらず、それが大人社会の制約で思いもかけない禁止を受けるため、そのエロスは当初からタナトスの香りをもってきたとみなした。「禁じられた遊び」とはそのことだ。ブラウンは、仮に幼児にそうした傾向があったとしても、それは抑圧的なエロスとタナトスの関係のまま停止していくものになるとはかぎらないというふうに見る。

ヒステリー患者の自由連想
ヒステリー患者の発症と幼少体験の間には、
分散し、集合する「連想の編目」が広がっている。

 こうしてブラウンは、アッシジの聖フランシスコ、ヤコブ・ベーメ、ウィリアム・ブレイク(742夜)、ライナー・マリア・リルケ(46夜)らを持ち出して、エロスとタナトスはそれを同時に感じられているときは、「永遠の生成の遊び」を秘めているのだろうと考えた。またシャルル・フーリエ(838夜)やジョン・メイナード・ケインズを持ち出して、実は初期の経済活動やその組織化の試みには、生産と分有に関するエロスとタナトスの遊びが反映しているのではないかとも見た。とくにサンドラ・フェレッティの『遊戯と経済的行動の理論』に耳を傾けた。
 こういうフロイト主義者はあまりいなかった。一言でいうのなら、エロスの本質が自己以外の他者との融合にあるのなら、そのエロスは心理的葛藤だけではなく、さまざまな社会活動や経済活動にあらわれているはずだというのが、ノーマン・ブラウンの見方なのである。ぼくはドゥルーズとガタリの『アンチ・オイディプス』(1082夜)やそれに続く著作群が、すぐれたフロイト主義と資本主義の重層構造を暴いた大きな思想の試みではあるとは思っているのだが、そこにはブラウンのような見方は欠けていた。
 むろんフロイトも、エロスとタナトスが個人の無意識に閉じ込められたままになるとは言ってはいない。とくに宗教や信仰には、快感原則と社会原則の桎梏をこえるエロス≒タナトスの地平があらわれていると見た。しかし、それは精神分析にとっては「代償」なのである。「贖い」なのだ。『モーセと一神教』(895夜)において、ヨーロッパ的宗教の成立そのものに「原父の殺害」という隠された動機を読みとったフロイトにとって、宗教そのものが精神の解放の全プログラムをもちうるとは、どうしても考えられなかったからである。

 ブラウンは宗教にはこだわらない。もっといろいろな方法がフロイトの方法と共鳴しあっていることを指摘した。
 スピノザ(842夜)が神との愛の相克をめぐる哲学をしたことも、ノヴァーリス(132夜)らのドイツ・ロマン派が「夜の側」をもって地下に眠る鉱物的意識を蘇生しようとしたことも、エロスとタナトスの昇華の試みだったろうと見た。まさにその通りだ。
 さらには、ショーペンハウアー(1164夜)とニーチェ(1023夜)こそは、エロスとタナトスを世界観や世界意志に近づけた最も大きな思索の成果をもたらしたのであろうことを指摘する。このことは(ニーチェとフロイトの近似性は)ぼくもいくら強調しても強調したりないとは思うけれど、今夜はここはスキップしておこう。ぼくが今夜ぜひとも紹介しておきたいのは、第5部「肛門性の研究」の第15章「汚れた金銭」にのべられていることである。
 この章にいたるまでに、ブラウンはフロイトの「排出のコンプレックス」論をスウィフト(324夜)やサド(1136夜)の政治的な「エロス≒タナトス」論に仕立て上げ、それをルターやカルヴィンに発するプロテスタンティズムが攻撃をしすぎたこと、そのため「富の神マモン」に走る者たちが卑しめられたこと(マモンについては608夜参照)、したがって資本主義的な経済活動のもともとの本質がかなり歪んでしまったことなどを指摘したうえで、、この第15章「汚れた金銭」に突入するのである。
 ここでブラウンが最初に持ち出すのはアルフレッド・ホワイトヘッド(995夜)なのである。ブラウンは経済活動の本来は有機体のなかでとらえられなければならなかったと言うのだ。これは20世紀の経済が金銭と数量にシフトしすぎていることを告発するとともに、「価値」は有機的な関係性のなかからしか掴み出せないということを示唆するためだった。
 そのうえでマルクス(789夜)の労働論、デュルケムやジンメルやケインズの貨幣論を縫いあわせつつ、ブラウンが案内するのはなんとジョン・ラスキン(1045夜)の経済哲学とカール・ポランニー(151夜)の経済人類学なのである。詳しいことは省くけれど、ラスキンが「すべて本質的な生産物は口のためであり、最後もまた口によって評価されてきた」「一般に金銭とよばれてきたものはすべて負債の承認である」というくだりの解読など、なるほどフロイトの方法はこのようにラスキンの方法によって編集できるのかという手際であった。
 とくにポランニーの「経済は計算には支配されていない本質をもつ」「人間の経済は社会の環境の中に埋められている」「経済は非経済的動機によって動いている」を、フロイトの方法と重ねて読み明かし、そこからマルセル・モースの贈与論やレヴィ・ストロース(317夜)の構造主義に注釈をつけていく手際は、あっと声をあげたものだった。
 贈与に母性的なるものがひそみ、獲収にはそれを打ち破って平板化しようとする父性原理があるという指摘もある。これまた示唆深いことではあるが、今夜はそのことは暗示しておくにとどめよう。とにもかくにも、ノーマン・ブラウンの編集的世界観、もちろんフロイトに片寄りすぎてはいるものの、実にたいしたものだった。

 もしも世の中に、異常と正常があるというのなら、世の中は異常のうちの一部の価値観を多数決をもって平板化してみせて、それを正常と名付けたのである。いまはこれをグローバル・スタンダードとか標準的価値観と呼んでいる。
 精神分析学は、この異常のほうに神経症などの精神病をあて、正常のほうに健康と思われる精神状態をあてたのであるが、この二つの状態で何が異なっているかといえば、正常(健康)とは、異常(症状)のうちのごくごく流布された社会的な症状であるということだけなのだ。
 エロスとタナトスにおいては、何が異常で何が正常であるかさえ、さっぱりわからない。そこを分別できないことが、エロスでありタナトスの本質であるからだ。そのくせ、われわれは自分のなかの突発的な衝動を抑え、それを価格が貼りつけられた商品として購買できるときにだけ、ニーズやウォンツが消費された(獲保された)と思うようになってしまった。そう、飼いならされた。そして、そのような標準的価値観が公正に並んでいるのが市場というものだと信じるようになった。
 しかし、人間の情動や欲望がそんなもので収まらないことは、誰でも知っている。ジグムント・フロイトはそこに鋭いメスを入れ、どんな欲望と消費の活動にも必ずや抑圧された無意識がかかわっていることを暴いた。この暴露、おそらく80パーセントは当たっているだろう。
 しかし、この抑圧をどうすればいいのか。それはビョーキなのだから治癒してあげましょうというのが精神分析医たちで、それでも、それをみんなでガマンする社会にしましょうねというのが民主主義というものである。けれども精神分析が症状の指摘については得意であってもその介抱については限界があり、民主主義も多数決の妖刀をふるってかなり怪しい成立をしてきたことについては、ジャック・ラカンの『テレヴィジオン』(911夜)や森政稔の『変貌する民主主義』(1277夜)にも書いておいたことである。
 一方、ノーマン・ブラウンは、抑圧された無意識を昇華するにはむしろ世界観が必要で、その世界観を表現する方法が採出され、それぞれが照らし合わされなければならないと見た。すでにフロイトにもひそんでいた方法ではあったけれど、ブラウンはその狭い入口に大きな出口をくっつけた。これがぼくからすれば、まさに編集的世界観の作り方に似ていたわけである。
 本書は初読・再読このかた、ずいぶんほったらかしにしておいた一冊だった。だいたいほったらかしにしておいた本というのは、クセモノだ(笑)。なぜなら、それらは往々にしてぼくのタネ本であることが多いからである。なんだか暗示的なことばかり綴ったのも、そのせいだ。本書の詳細については、ぜひともホンモノに当たられたい。