父の先見
エロス的文明
紀伊国屋書店 1958
Herbert Marcuse
Eros and Civilization 1956
[訳]南博
現在、この本がどのように識者たちに評価されているのか、ぼくはまったく知らない。
ひょっとしたら忘れられているのかもしれないし、また、葬り去られたのかもしれない。学界事情に疎いぼくとしては、この点に関しては何とも説明しようがない。
そこで、この本については、当時、ぼくがこの本をどのように読んだのかということだけを綴ってみようとおもう。
この本を読む前、エーリッヒ・フロムを読んでいた。フランクフルト社会調査研究所にいて、ナチスに追われてアメリカに亡命した『自由からの逃走』の著者である。新フロイト派の頭目とみなされていた。
なぜフロムを読んでいたかというと、これはぼくが高校時代に禅堂に通っていたことの延長で、そのころフロムが禅とフロイトと社会主義をつないでいたからだ。きっとビートニックな禅のムーブメントとも呼応していたのだとおもう。この試みはたいそう新鮮に見えた。
ところが、マルクーゼは本書でフロムを完膚なきまでに粉砕していた。簡潔にいうと、マルクーゼによればフロムは理想主義的な道徳観をふりまいて、愛・自由・幸福があたかも全人格的に得られるという幻想をもたせようとした。その一方で、そのすべてのロジックは妥協的か抑制的で、説教くさく、フロム自身が社会事業家のような立場に立っている。それにくらべると、フロイトにはまだ文明論としての批判が生きていた。そこをフロムは見ていない。これはおかしいというのである。
これでガツンとやられた。フロムが新フロイト主義を標榜していたことを知っている者にとって、フロムがまったくフロイトを汲みとっていないとは、いったいマルクーゼは何を言うつもりなのかと思ったものだ。
マルクーゼのフロイト論は、二つの面をもっていた。
第1。フロイトもたしかに自由・幸福・人格に言及している。しかしフロイトはそこを全面肯定しているのではなく、文明そのものが人間の本能を本質的に抑圧していることを知っていた。ここは評価すべきだというのだ。
第2。フロイトにはたしかに生物学主義の面があるが、それは社会に適用された象徴作用として読むべきもので、その科学性を云々するべきではない。フロイトはそのすべての言述を現代文明批判として読むへきなのだ。
この2点は、いまからふりかえると、ドゥルーズ以下のポストモダン思想におけるフロイト解釈を先駆している。そのわりにポストモダン思想においてマルクーゼが語られていないのは、よくわからないが。
ともかくも、マルクーゼはフロムがフロイトを脱したかに見えていたのを、ふたたびフロイトに原点を戻したのである。これはぼくをそうとうにびっくりさせたものだった。
マルクーゼが本書で提案していることは、ごくごく縮めていえば「現代にエロスの本質を回復するには、社会構造を根本的に変革する必要がある」ということである。
そのエロスの本質というのが本書ではいまひとつ説明されていないのだが、どうやらプラトン的エロスであるらしい。そのプラトン的エロスを求めるには、しかし物品の過剰と精神的な疎外と資本主義的な抑圧が進行する20世紀の淀んだ現実に対して、なんらかの反抗の意志を表明しなければならないというのが、マルクーゼの主張だった。少なくとも、当時はそのように読めた。
つまりは、現代社会の細部にまで及んでいる抑圧を撥ねのけるための提案だった。
ぼくはすぐに大江健三郎や石原慎太郎や倉橋由美子の登場をおもいあわしたものだった。どこかで読んだのだが、大江健三郎が『性的人間』をめぐる一連の作品を初期に書きつづけていた背景には、このマルクーゼのエロス的文明という観念が作動していたということらしい。大江自身が書いていたのか、誰かが書いていたのかはっきりしないので、いいかげんな符牒だが、あるいはそういうこともあっただろうともおもえる。
マルクーゼが本書の構成に、「個体発生」に依拠した章と「系統発生」に依拠した章を分けているのも、当時のぼくに少なからぬ影響を与えた。
エルンスト・ヘッケルの思想にもとづいたものであることはあきらかだが、そのようなあてはめが社会論や文明論にたいして有効であることに驚いたのだ。もっとも、このような「個」と「類」を分けてから、これを統一するという見方がかなり安易であったことは、いまではすっかり見えてしまったが。
ようするに、当時のぼくにとって、マルクス主義やアナキズムの見方のほかに、これほどの過激な説得力をもって社会や欲望や家族の本質に切りこんでいる思想があることに瞠目した、そういうことだったのだとおもう。ぼくは社会に切りこむマルクス主義が鈍ってきたことに退屈をおぼえ、それならフロムではないが、禅やハイデガーに回帰したほうがおもしろいのではないかと感じていたのだから、このマルクーゼの挑発がどんぴしゃだったのだ。
ここではふれないが、このあとのぼくはアンリ・ルフェーブルの思想とハーバート・マルクーゼの思想の比較という、およそそれをしてどんな成果があるのかどうか見当もつかないものに向かって、しばし熱中することになる。
もっとも、そんなムダに熱中していたせいもあって、ルイ・アルチュセールやモーリス・ゴドリエが日本のフランス現代思想誌『エピステーメー』を賑わしはじめたとき、ぼくはそれらの電車にすぐ飛び乗る気がなかったのである。