父の先見

月曜社 2019
Rosalind E. Krauss
The Optical Unconscious 1993
[訳]谷川渥・小西信之
編集:神林豊
装幀:中島浩
サッカーや野球やバスケットボールのメンバーを競技試合の途中から別のメンバーに代えることをサブスティテューション(substitution)という。訳せば代理、代用、交換、互換、取替、交代(交替)、置換などとなる。
サブスティテューションはスポーツ競技だけでおこっているわけではない。議会も役所も会社も、オーケストラも音楽バンドも劇団も、機械やシステムも、「サブスティテューション」をくりかえしてきた。金融業界では取引期間中に取引銘柄を差し替えることを「サブスチ」という。
ぼくは知識や哲学や思想も、さまざまなサブスティテューションを工夫してきたものだとみなしている。代理や代表などの「代」が工夫されてきたのだ。ただし興味深いサブスティテューション(代)が出現するには、必ずや先行するモデルに圧倒的な中身があるべきだった。この先行モデルがつまらないもののままでは、「サブ」も「代」もつまらないものばかりになる。
先行するモデルは一つとはかぎらない。古代世界ではシュメールもギリシアもユダヤ教も先行モデルであり、これらがヘレニズム期にさまざまな「代」を生んだ。それらはいったん神秘主義だとか異端だとかと思われたのだが、そうではない。そこにこそ本来の可能性が露出したのである。ルネサンス、バロック、ロマン主義、表現主義、シュルレアリスム、戦後アヴァンギャルド、ポップアートも同断だ。いずれも「代」の実験だった。
編集工学の実践も、このような多様なサブスティテューションの可能性を次々に拓いていくことにある。ぼくはそのことを「別様の可能性」(contingency)と名付けてきた。理科的あるいは哲学的には「偶有性」である。
ただし偶有性が別様の可能性や発見的なものになるには、先行モデルにできるだけ際立つほどに代表的なものをいくつか想定できていなければならない。そして、それらの複数の先行モデルのあいだの意外な相互関係を、そこそこ想定しておかなければならない。
27歳で父の借財をなんとか返して独自の雑誌を創刊しようと思ったとき、当初からルネサンス=バロックとコンセプチュアル=ポップ・アートを同時に扱える編集にしようと決めていた。
先行モデルをレオナルド、バッハ、デュシャンに求め、そこから数々の「代」を案内していこうと決めたのである。
実際の「遊」では、下村寅太郎によるレオナルド・ダ・ヴィンチ(25夜)を2・3号に、マルセル・デュシャン解析を2号からの連載企画に、バッハ(1523夜)を4号に特集するにとどまったのだけれど、この「レオナルド≒バッハ≒デュシャン」の相似式は、ぼくのその後の編集的格闘にとってはどうしても譲れない芸術史上の先行モデルの極め付けだった。
今夜はそのうちのデュシャン(57夜)とその周辺のアーティストが企んだ「代」の話をしてみたいと思う。
デュシャンはアートの領域に「レディメイド」というコロンブスの卵をもちこんだだけではない。現代思想にとっても編集工学にとっても、デュシャンは「境界にいつづけた神」であり、つねに普遍ルネサンスを覆すニューバロック的な「両界的方法の提案者」だった。ただ、そのようには扱われずに(ジョン・ラスキンを経済学が、マイルス・デイヴィスをアート学がいっこうに扱わないように)、美術界だけがデュシャンを引きずり鐘にしてきた。
これはなんとも貧しいことだった。デュシャンはもっともっと広範囲にわたる「代」の策略を練り上げていた。
わかりやすい話からすると、デュシャンには「公衆」とかかわりをもつにはどうしたらいいかという策略を、むっつり助平のように練りあげるダンディズムがあった。また、公衆をかどわかすに足るオブジェにこだわる独特のフェティシズムもあった。
策略がどうなっていたかというと、次のような下敷きから組み上げた。曰く、①日用雑貨(レディメイド)をアートギャラリーにもちこむ、②チェスに耽る、③性的な出来事を匂わせる、④モナ・リザで遊ぶ(クラシックをおちょくる)、⑤あえて難解な概念を提示する(観相学に近い)、⑥誰に対しても何食わぬ顔をする(道徳的な人生をおくる→マスメディアを回避する)、⑦作品に図解番号をつける(解読をミスリードさせる)、⑧油彩画からは遠のいて別の支持体を選ぶ(レディメイドを引き込む)、⑨友人をたいせつにする(それだけでアート業界とかかわる)、⑩数学を敬う(四次元時空幾何学に酔う)‥‥云々かんかん。
デュシャンはこうした人を食ったような方針を本気で実行にうつすべく綿密に計画し(少しデッサンして、いろいろメモも書いて)、そのどこかの切り口をアートにするための入念な制作プロセスを日々の生活の一部にとりこんだ。
作戦はうまくいった。美術界はひっかかった。あまりの人を欺くような作戦に、誰も作品の質など問いはしなかった。ほんとうはマチエールの細部にアートが収差していたのだが(ぼくはそこが好きだったのだが)、批評家たちはそれらがまったく新しい「アートの提示」であることばかりを指摘した。追随者がゴマンとあらわれた。コンセプチャル・アートやポップアートがサブスティテューションとしての市場を確立した。
それから半世紀近くがすぎるうちに、この策略はデュシャンだけが組み上げたものではないことがわかってきた。当時のデュシャンのまわりのいろいろな事情やエピソードも調べ尽くされた。こうして、デュシャンの前後事情入りの現代思想装置のしくみを解明したくなった連中が出てきた。
そういうなかにジャン=フランソワ・リオタール(159夜)や本書の著者であるロザリンド・クラウスがいた。
本書は、じっと海を眺める幼児のジョン・ラスキン(1045夜)の描写から始まる。これはうまかった。ラスキンには芸術がたんに「世界の観察」をしているのではなくて「世界からの観照的抽象」に向かっているという見方があるのだが、冒頭に仕込むことで、クラウスは本書の美術論をサブスティテューショナルに扱えるようにした。
タイトルの『視覚的無意識』は何あろう、ヴァルター・ベンヤミン(908夜)からの転用である。
ベンヤミンはこの用語を『写真小史』(ちくま学芸文庫)でエドワード・マイブリッジやエティエンヌ=ジュール・マレーの連続写真群を前にしながら使っている。この二人は特殊なリヴォルヴァー・カメラ(写真銃)を工夫して、走る馬や人体を連続的に断続させる写真帖を発表した。これでクールベの馬がまちがった脚の上げ方をしていたことがバレたのだが、ベンヤミンにはそんなことはどうでもよくて、この連続写真が視覚的無意識をもたらすことに気がついた。
ふつうには無意識は脳の中にひそんでいるものだとみなされているが、無意識はもっと出たり入ったりしているものだ。たとえば何かをずっと見ていると無意識状態っぽくなるときがある。海を見ている幼児のラスキンだけではなく、われわれもぼうっと窓外を見ていたり、ずうっと車窓を見ていると、そんなふうになる。何かに集中したあとにも、そうなる。茫然自失とはこのことだ。
ベンヤミンはそこを逃さない。瞑想だけが無意識をつくるのではない。「目の身体」がもたらしたカーナルな無意識が視像や写像や映像とともにおこることを指摘した。これは歩行者や移動者のパサージュ体験がもたらした無意識でもあった。ついでながら付け加えておくと、ベンヤミンは複製力をもつカメラの役割に注目し、それが個人にひそむ「目の身体」を拡張する「義肢」であるとも指摘した。
クラウスは、それならアートを見ていても視覚的無意識がおこるし、アーティストもすでにそういう視覚的無意識をもつようになっていると想定した。美術史はそのくらい「窓外の光景」になっていたのだ。この見方はとくに斬新な切り口ではないが、本書をおもしろくさせた。
クラウスはハーバード大学で美術史にとりくみ、コロンビア大学で現代美術を教えた。早くから『オリジナリティと反復』(リブロポート)、『ピカソ論』(青土社)、イヴ=アラン・ボワ(711夜)との共著『アンフォルム:無形なものの事典』(月曜社)、『独身者たち』(平凡社)というふうに次々に著書を出して、ハーバード時代の師クレメント・グリーンバーグのモダニズム美術論(フォーマリズム論)から離れて、ポストモダン派アート論の旗手ともくされるようになった。
現代美術に親しんでいる者にとっては言うまでもないだろうが、グリーンバーグ(1909~1994)は『アヴァンギャルドとキッチュ』(1939)を書いて、20世紀芸術がアヴァンギャルドとキッチュに分化したのは、消費社会によって引きおこされた「文化のダミング・ダウン(duming down)」に抵抗しようとしたからだと説き、それがモダニスムの宿命だと解釈したアメリカきっての美術批評家である。
またポロック、デ・クーニング、ハンス・ホフマン、バーネット・ニューマンらの抽象表現主義を積極的にとりあげ、これからの美術は平面性(flatness)に向かうだろうと予想した。けれどもこの予想は一部をのぞいて当たらなかった。その後のシミュレーショニズムめいたポストモダンな展開には批判的で、そのためモダニストからもポストモダニストからも顰蹙を買った。
クラウスはそういうグリーンバーグを克服したかったわけである。ポストモダンをアート議論にとりこみたかったのだ。そこまではいいのだが、そのため著書がデビュー作のリキからするとだんだんポストモダニズムの言説に巻きこまれすぎることにもなって、退屈になっていた。サブスチが効かなくなったのだ。それが本書ではリキを取り戻して、彼女の趣味のよい知的本領を発揮した。
第2章がおもしろい。マックス・エルンスト(1246夜)のコラージュ作品『百頭女』(河出文庫)を材料にして、ダダやキュビズムやシュルレアリスムとの絡みのなかでツァラ(851夜)、エルンスト、ブルトン(634夜)、エリュアール、ブラックらの見方の重なりと違いが浮き出てくるようにした。
クラウスはそれをいったんテオドール・アドルノ(1257夜)の『百頭女』についての解釈を通してスケッチすると、ついではエルンストのコラージュのアイディアには、もともとアポリネールが「カタログのもたらすインスピレーション」に着目したところに始まり、ブルトンがその行為は「レディメイド」(既成品)の活用なんだよと言っていたことなどを紹介しながら、話がリバースしていくように仕向けた。
エルンストがコラージュを「オーバーペインティング」と呼んでいたことも紹介される。当時のアーティストたちは既存のカタログやチラシやポスターや看板を引き出してきて、そこに何かをオーバーペインティング(上塗り)するおもしろさを遊んでいたのだった。
上塗りはたんなる遊びだったのか。そんなことはあるまい。それがやがて《エナメルで塗られたアポリネール》を持ち出すまでもなく、デュシャンとウォーホル(1122夜)によって現代美術の大潮流になるのだから、遊びだけではなかった。そこにはリクツで説明できるアートの仕組みがあるはずだと、クラウスは考えたようだ。
ただ、ここでよせばいいのにジャック・ラカン(911夜)の鏡像過程論を援用した。これはもったいない勇み足だった。
第3章はデュシャンをどうするかというところだ。クラウスはちょっとした挿話から攻略する。
デュシャンは1920年代のはじめから「精密検眼士」という名刺を持ち歩いていて(このへんがデュシャンのフェチ・ダンディズム)、ときどきその名刺で開けるブースでヴィジュアル・レコードを売っていた。噂ではなく、実際にそうしていたらしい。ヴィジュアル・レコードというのは、レコード盤の表面にぐるぐる目のまわるようなロトレリーフを施したものだ。
クラウスは、これは錯視をおもしろがるためではなく、視覚的無意識を合法化するためのマシーナリーな装置というものに、デュシャンが執着していたせいだろうと考える。
これについては、リオタールによる大ガラス作品や遺作の分析でも、デュシャンにはニューロ=オプティカルな(神経-光学的な)関心が異様に蟠っているという指摘があった。ぼくはそれがオブセッションやフェチでもあろうとみなしているが、それはともかく、デュシャンは20世紀のアートはタブロー主義から脱出して、新たな視覚装置になったほうがいいとの決意をかためていたのだろうと思う。
かつて、印象派の描法は「網膜主義」であろうというふうにみなされていた。かれらは絵の具をパレットの上で混ぜて目的の色をつくるのではなく、それぞれの絵の具を筆につけ、それを次から次へと外光の中のカンバスに色覚検査表のようにくっつけて描いた。
黄色の絵筆の点、橙色の絵筆の点、白濁色の絵筆の点は、パレットの上ではなく、それらの点が混在したカンバスを見る画家と鑑賞者の網膜の上で混ざるのだ。あまりいい説明ではないが、近代美術史はこれを網膜主義とか筆触分割とか色彩分割とか名付けた。
これは生理学者ヘルムホルツのアソシエーショニズム(知覚連合主義)、サルトル(860夜)の無意識的想像力理論、リチャード・ローティ(1350夜)の「認識はカメラ・オブスクラのように対象とのあいだで拡張される」という見方などともつながるところで、そのまま現代アート思想にも受け継がれる可能性がある。実際にもジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』(以文社)では、そうした解釈の可能性を跡付けた。
では、パレットも絵筆もカンバスも捨てたデュシャンはどうしたか。カンバスにも頼らないし、網膜にも頼らない。仮に知覚連合主義を踏襲したとしても、視覚的な出来事が独自の表示装置でおこるようにしたのではないかと、リオタールは見た。この表示装置はリオタールが考えるデュシャン独特の「芸術的感光面」だった。
この仮説は「ロトレリーフ」や「大ガラス作品」を説明するにはまあまあ悪くなかったが、しかしクラウスは納得しきれない。リオタールも満足していなそうだ。なぜなら二人にとってはとくに気になることがあった。デュシャンには、その表示装置がこれを見る者の網膜でも脳内でもなく、もっとリビドーに向かって、いわば膣や男根や肛門にはたらきかけるようにしたいと思っていたふしがあったからだ。
こうしてクラウスは、第4章では一転してルロワ=グーラン(381夜)やジョルジュ・バタイユ(145夜)やロジェ・カイヨワ(899夜)を持ち出してくる。デュシャンの試みは、バタイユの言うエテロモルフ(異質混淆性)に向けて発射されていて、それがルロワ=グーランの言う「洞窟の中での輪郭の発現」のように作動し、カイヨワの言う「擬態のように変容をおこすもの」であるように思えたのである。
アートの歴史は偶然も必然も、判然も当然も追ってきた。アートはその営みの当初からサブスティテューション含みの「全然アート」なのである。
光、天体、暗闇、線描、洞窟、壁、タブロー、トロンプ・ルイユ、水墨、油彩、肖像性、分身、風景、自然、地形、建物、形態、デッサン、彫塑、カメラ・オブスクラ、カンバス、地図、劇場、照明、衣裳、写真、幻燈機、絵巻、影、図形、幾何学、遠近法、オークション、展覧会、神仏、モデル、祈り、祭壇、ミソグラム(神話記号)、アニマ、イメージ、フェティッシュ、疾病、エロス‥‥。これらはみんながみんな「全然アート」の仲間たちである。
しかし、これらの組み合わせがなんらかの美術作品になっていくとき、そこには何らかの「別様の仕立て」がはたらいてきた。それはサブスティテューションなのである。頻繁な代理形成がおこってきたはずなのだ。キリスト像はキリストそのものではなく、ゴッホのひまわりはひまわりではなく、北斎の富士は富士山ではなく、ピカソの《ゲルニカ》は戦争ではない。それらはサブスティテューションだった。
サブスティテューション(代理形成力)こそが表象力であると思想的に気が付いたのは、最も早期にはジョン・ラスキンであったろう。20世紀ではルロワ=グーランやバタイユやカイヨワが気が付き、少し遅れてロラン・バルト(714夜)やジャック・デリダがその説明に腐心した。けれども実作者なら、レオナルドもターナー(1221夜)も、ドラクロワもピカソ(1650夜)もジャコメッティ(500夜)も、アート表現がすべからくサブスティテューションであると、もちろん気が付いていた。
そうした一人としてクラウスが第4章で特筆したのがハンス・ベルメールだった。
本書では1937年の《恩寵の状態にある女性砲手機械》を筆頭に、数々のベルメールの《人形》の図版とその意図が紹介されている。
ベルメールのそれらの作品はバタイユやカイヨワが代理形成力としてこだわった「写しと分身」の象徴ともいうべきもので、あらためてアートの本質としてのサブスティテューションが全容として引き込まれて組み上がっていることを訴えてくる。
クラウスは、ベルメールの作品が引き起こす「プレイ/ミスプレイ」という二重の作用が、従来のアート作品に勝る「写しと分身」を訴求していることに驚嘆する。「プレイ/ミスプレイ」とはバルトがバタイユの例の「足の指」思索から読み取ったダブルスイッチのことで、われわれが何をするときでもお世話になっている二重思考のことである。
この「プレイ/ミスプレイ」のダブルスイッチをもともと保有してきたのが、アートであり、そのアートが「全然アート」であったゆえんなのである。このへんの指摘と言及は本書の白眉であった。
第5章は主にピカソと友人のエレーヌ・パルムランが扱われるところだけれど、とくに説明することはない。エルンスト~デュシャン~ベルメールのサブスティテューションがみんなごちゃまぜになって「ピカソ化」していることが確認できるだけだ。
こうして最終第6章では、ジャクソン・ポロックの革命的なドリップアート群を通して、クラウスが最も大事にしてきたチャールズ・パース(1182夜)の「アブダクション」の考え方が適用されて、視覚的無意識にはアブダクションがはたらいていて、そう見ることが、サイ・トゥオンブリーの《パノラマ》や《イタリア人》を、エヴァ・ヘスの《すぐあとに》の作品意図を、存分に納得させることになるのだと結ばれる。
グリーンバーグのポロック論がまったく言及できなかったことだった。
本書は読みやすい本ではない。いわゆる美術評論にもあてはまらない。よくよく配慮されて書かれているし、最初にも述べたように久々にリキも入っているのだが、先行モデルとしてのラスキンとエルンストとデュシャンを相手にしての大立ち回りなので、そのリキが火花のようにスパークしすぎて、次の文脈とつながらないところも多々あった。また、いまだポストモダン派の旗手としてのリクツにこだわるところも気になった。
それでも、本書はぜひとも読まれたほうがいい。ラスキン、カイヨワ、パース、ハンス・ベルメール、ルロワ=グーラン、ベンヤミンが並び立つ美術論は、あまりない。とくに「近代」というものに犯されたわれわれの思想感覚やアート感覚に「皴」を入れるにはうってつけの侠気が充ちていた。そう、本書は思想と美術の本質がサブスティテューションにあるとまでは暴けなかったものの、とてもお侠(キャン)でスマートな現代アート批評なのである。

⊕『視覚的無意識』⊕
∈ 著者:ロザリンド・E・クラウス
∈ 訳者:谷川渥・小西信之
∈ 発行所:月曜社
∈ 装幀:中島浩
∈ 発行:2019年
⊕ 目次情報 ⊕
∈ one
∈ two
∈ twoマイナスone
∈ two再び
∈ three
∈ four
∈ five
∈ six
∈ six再び
∈∈ 訳者あとがき(谷川渥)
∈∈ 訳者あとがき+(小西信之)
∈∈ 図版一覧
∈∈ 参考文献一覧
∈∈ 索引
⊕ 著者略歴 ⊕
ロザリンド・E・クラウス(Rosalind E. Krauss)
1940年生まれ。コロンビア大学教授。美術史・美術批評。著作に1985年『オリジナリティと反復』(リブロポート、1994年)、1993年『視覚的無意識』(本書)、1997年『アンフォルム――無形なるものの事典』(イヴ=アラン・ボワとの共著、月曜社、2011年)、1998年『ピカソ論』(青土社、2000年)、1999年『独身者たち』(平凡社、2018年)など。
⊕ 訳者略歴 ⊕
谷川渥(たにがわ・あつし)
1948年生まれ。美学者。東京大学大学院博士課程修了。文学博士。著書に、『鏡と皮膚――芸術のミュトロギア』(ちくま学芸文庫、2001年)、『シュルレアリスムのアメリカ』(みすず書房、2009年)、『新編 芸術をめぐる言葉』(美術出版社、2012年)、『肉体の迷宮』(ちくま学芸文庫、2013年)、『芸術表層論』(論創社、2017年)など。
図版構成:大泉健太郎・寺平賢司・上杉公志
キーエディット:吉村堅樹
校正:八田英子・井田昌彦