人の欲望は、セックスを視たいというアドレッサンスな夢と、物語の結末を知りたいというロマネスクな夢とに代表される。そのほかのすべての夢はこの二つの夢の代換物だ。水平に溺れたいのか、垂直に大騒ぎしたいのか、それだけだ。
ここに動いているのは、ブリオであろう。イタリア語で「熱中」や「熱気」を意味するこの言葉に向かって、われわれはアドレッサンスな夢とロマネスクな夢とを代わる代わるに滾(たぎ)らせてきた。けれどもその大半は歪みやすく、摩滅しかねない。
これらをもし本を読むという欲望に注ぎこむのなら、夢はふたたび動こうかというものだ。なぜなら読書行為はアドレッサンスであるか、ロマネスクであるか、結局はそのどちらかなのだ。読者はその選択の自由をもっているし、多くの忘れがたい読書はそのように成立してきたはずである。
ただし、条件がある。そこには「そのテクストが本当に快楽なのか」という問いが待ち構えている。この問いによって、書き手の問題が横合いから突然に浮上して、読者との複雑な密約を結ぶことになる。
ロラン・バルトがテクストを綴るときに必要としたのは、読者の人格なのではなく、空間だった。モーリス・ブランショもそれをわざわざ「読書空間」と呼んでみせた。
しかしバルトは問い質した。そのテクストの空間には何があるべきか、それとも何もないようにしておくべきか。
イエズス会士ファン・ヒネケンが注目したように、人間の言語活動は最初は舌打ちのようなクリック音を入れて発話していたはずである。母音だけのヒップホップのようなものだった。ところが、そのクリック音が子音となって、その民族や国語の言語構造を形成してしまってからは、テクストというだらだらした著者勝手な変なものを、どのような快楽にしていけばいいかということが難題になってきた。
これが難題と思わない人士は、まあ放っておいたらよろしいが、しかし、バルトはそこが見捨てておけない。本来のテクストは快楽であるか、そうでないなら出口をもっていなければならなかったというふうに、見た。
こうしてバルトが試みたテクストは、エクリチュールを悦楽の科学とし、レクチュールを身体のカーマスートラにするような、そんなとんでもない快感をめざすものだった。
本書はそういう一冊である。『遊』の第2期に突入して「もっと活字を小さく!」と叫んでいたぼくは、本書の出現に腰を抜かし、すでにバルトの本は何冊かを読んでいたにもかかわらず、このバルトにこそ愕然とした。
このバルト、というのは、のちに『彼自身のロラン・バルト』であきらかにされた言い方をつかうなら、「自分自身を定義されることを好まない」という、そういうバルトのことである。このバルトは、誰あろう、松岡正剛にちょっと似ていた。
テクストを綴るとは、言葉を再配分することだ。
再配分は切断面から生まれる。テクストはある瞬間につねに二つ以上の切り口に分岐する場をもっている。30代のころの松岡正剛はこの分岐する場の実験にさかんにブリオしていた。ご記憶の人も多少はいることだろう。
ここでテクストが見かけの快楽に溺れたいのなら、切断面そのものを少しゆっくり観察して書けばよい。サドやフーリエやバタイユくらいには、存分にエロティックになっていく。少し控えめにしたいというなら、フローベールのように切断面に穴をあけるといいだろう。たとえば衣服は、知っての通り、口をあけているところこそエロティックなのだ。
しかしここからテクストがメタフィジックになるばあいは、テクストの切断面にひそむ「縁」を探るべきである。導火の縁か、異質の縁か、あるいは忘我の縁を――。ここからは読むことと読まないことの織りなす中性的なリズムが生まれてくる。松岡正剛はしばらくこの3つを同時に追っかけた。
もっとテクストの快楽を求めたいばあいは? テクストは擦り傷を感知するべきだ。
構造にそっぽを向き、伏せた顔をすぐに上げず、関節に逸話を見い出すように、テクスト自身が薄片になっていくような、そういうテクストを綴るとよい。だから「擦り傷だけのテクスト」のような痕跡があったって、いい。それは性そのものを離脱する。
バルトという人は争いを差異に変更した人である。バルトは決して争いを好まない。争えば、ひたすら自分が定義されるばかりであるからだ。そこで争いに代えて差異を書く。ごくごく僅かの差異をこそ稠密なテクストにする。松岡正剛はこの差異への変更を編集と呼び替えた。
こうして、争いはコードにすぎないが、編集はモードからの出立であるということになる。
これは、「ジェノテクストからフェノテクストに出ていったら、どうなるの?」というクリステヴァの目論みに、バルトが呼応したものともいえる。バルトはモードとモダリティと、そしてスタイルを選んだのだ。そこには、いつまでも「確かな肉体」なんぞにこだわらないで、テクストそのものの快楽に走りこみたいバルトの根っからの気質にふさわしい“モードの体系”が芽生えた。
バルトの肉体はテクストなのである。松岡正剛がいいかえれば、「快楽に関するテクスト」から「テクストに関する快楽」へ、ということ、バルト=セイゴオ的にいえば、テクストが唯一の身体的痕跡なのである。
もっといいかえれば? それは、簡単だ。心理にテクストを見て精神分析するなど、もうそろそろよしなさいということである。それよりもテクストの流儀のほうが大事じゃないかということだ。
そもそも社会は引き裂かれた恰好でしか、持続していない。そんなところへ “作品の市場” を持ち出してテクストの快楽を云々することがまちがっていた。
テクストはオイディプスのさらに以前から、ヨブ記のさらにさらに以前から、とっくに漂流していたものなのである。それらの連続するテクストの、いったいどこを区切って
“作品” などと僭称したいというのだろうか。
バルトは最初からテクストのもつ忌まわしい物神性と制度性を見抜いていた人だ。物神や制度の名にかこつけた狡猾なヒロイズムを見抜いていた。そんなことをあからさまに指摘するのさえ憚ってきた。指摘する代わりに、テクストが物神性と制度性からそれていく姿を吐露してみせたのが、本書というテクストだったのである。本書は
“inter-text”(相互関連テクスト性)のための書き下ろしなのだ。
もっともバルトがのちに明かしたように、このテクストはバルトの思い付きのままに綴られたのではなかった。まずニーチェが下敷きになっていて、この原文に対応していた。ついで、冒頭から終行に向かっては、パラグラフには大小はあるものの、関節が付けられていた。Affirmation(肯定)・Babel(バベル)・Babile(おしゃべり)というふうに始まって、Isotope(等方性)・Langue(言語)・Lecture(読書)をへて、最後はValeur(価値)・Voix(声)で終わっていくように、すべての隠れ見出しがアルファベティカルに並べられていた。
バルトらしい遊びだと思ってはいけない。これがバルトのインター・テクスチャーというものなのだ。
今日、バルトをここに採り上げたのは、ぼくがきのう母の三周忌に長浜に墓参に行き、帰りの新幹線でバルトの遺著を思い出していたからだ。『明るい部屋』はバルトが生涯で一人だけ愛した母親をめぐって、「形容しがたい生命」ということを言っていた。
そのときバルトは61歳だった。『テクストの快楽』が58歳、一番早い『零度のエクリチュール』でも38歳だから、バルトは遅咲きであり、そして遅咲きとは関係ないことかもしれないが、独身を通しつづけ、「母さん」(マム)とだけ暮らした。
幼年時代の一枚の写真がある(写真参照)。バルトはスカートを穿き、まるでフランス人形の女の子かルノワールの少女のように指をからませて立っている。
この写真をぼくが知ったのはバルトが交通事故で死んでからのこと、ルイ=ジャン・カルヴェの『ロラン・バルト伝』が出てからのことだった。その本はバルトのゲイ感覚についてほとんど言及していないままだった。だから、ぼくはスカートを穿いた幼年バルトがかえって忘れられなくなったのだ。
こういうバルトをどのように読んできたかということを、ぼくは新幹線のなかで思い出していた。いくぶん戦闘的に読みすぎたかなというのが正直な感想だ。バルトが仕掛けていたとはいえ、テクストの快楽に溺れすぎたかなとも思った。
それから妙なことに、フローベールが「ボヴァリー夫人、あれは私だ」と言ったことが思い出された。ぼうっと走り過ぎる車窓を眺めながら、そうか、バルトは「形容なき生命」かと思った。
バルト論は数多いが、手引書としてルイ=ジャン・カルヴェ『ロラン・バルト伝』(みすず書房)、篠田浩一郎『ロラン・バルト――世界の解読』(岩波書店)、ジュリア・クリステヴァ『サムライたち』(筑摩書房)を、評論としてスティーヴン・アンガー『ロラン・バルト――エクリチュールの欲望』(勁草書房)、ジョナサン・カラー『ロラン・バルト』(青弓社)、鈴村和成『バルト―テクストの快楽』(講談社)を薦めておく。