アラン・ロブグリエ
嫉妬
新潮社 1959
Alain Robbe-Grillet
La Jalousie 1957
[訳]白井浩司
編集:酒井健次郎 装幀:上口睦人
そろそろ誰かがアンチロマンめいた「視線の裏切り」や「別の目」を招じ入れてみるといい。大学のリモート講義だってこのまま続くのでは、どんなリベラルアーツもどんどん干からびて、凝塊していくばかりだろう。テレワークを「快楽の館」にしてほしいとは言わないが、せめて「知楽の交信」にしてほしい。

 ミュージシャンの菊地成孔が過日の「アラン・ロブグリエ/レトロスペクティブ」という催しのとき、日本人はあらかたフランス文化を旨く賞味してきたけれど、その日本人にも「喰えねえフランス」っていうもんがあるんだよねと言っていた。
 なるほど兆民(405夜)・荷風(450夜)から白樺派・小林秀雄(992夜)まで、石井好子から金子由香利まで、二人の白井から蓮實・鹿島(1213夜)まで、たしかに日本はフランスパンを上手にちぎって食べてきた。
 けれども、なんじゃこりゃと思ってきたところもあったはずなのである。ゴダールやサロートやソレルスにそれを感じた連中もいたし、カワイイ派女生徒たちの「リセ」至上主義や「オリーブ」商品主義のパレードに呆れた者たちも少なくない。これは酒井順子(1583夜)が「ユーミンの罪/オリーブの罠」と名付けたやつだ。
 ぼくは「フランス食わず嫌い」ではない。ほとんど授業には出なかったけれど、一応は早稲田のフランス文学科に入ったのだし、最初の海外旅行はパリのカイヨワ(899夜)とマンディアルグとフーコー(545夜)の家に行くことだった。フランス料理がひどく苦手なのと、パリにいるとだいたい苛々してくることと、あのさえずり型のフランス人のお喋りにうんざりすることとを除けば、バルザック(1568夜)も、コレット(1153夜)やゴルチェのモード感覚も、ネルヴァル(1222夜)の神秘主義もリラダン(953夜)の人工感覚もミショー(977夜)のメスカリン感覚も、かなり気にいっている。
 セザンヌには驚けなかったが、パウル・クレー(1035夜)からはそうとうの影響を受けたし、デリダには感じなかったが、ガタリ(1082夜)には感じた。ドビュッシーやアルトーとなると、他の追随を許さない。
 まあ、そういうことはともかくも、「新しがり」(ヌーヴォー)が好きなフランスは、それはそれで悪くないのである。ボージョレ・ヌーヴォー騒ぎは嫌いだが、ぼくはヌーヴォーロマン(Nouveau roman)やアンチロマン(Anti roman)なら、方法文学の試みとしてそれなりに襟をただしてきたつもりだ。
 アラン・ロブグリエの文型と映像をまたぐ作品群も、そこそこ注視してきた。今夜はそのロブグリエを摘まみたい。

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アラン・ロブグリエ(1922-2008)

 ロブグリエの最初の作品『消しゴム』(河出書房新社・光文社古典新訳文庫)はセンセーショナルな話題をまいた。1953年のミニュイ社の深夜叢書として刊行された。まっさきに絶賛したのはロラン・バルト(714夜)で、「これは対物的文学だ」と言った。オブジェクティブだというのだ。
 ワラスという秘密警察の男が黒幕政治家のデュポンを殺すという、一応の筋立てになってはいるのだが、ワラスは自分がデュポンの息子だったということを知らないままに、話が進む。オイディプスの筋立てをまるまる踏襲しているのに、そのことは読む者に伝わらない。筋立ては仮の措定にすぎない。そのかわりロブグリエは話のいっさいを「物」に属した視点で綴った。用意周到の確信犯だった。
 何がなんだかわからないというギョーカイ反応も多かった。カフカ(64夜)やカミュ(509夜)の「不条理」とは違っている。何かを社会的に主張しているわけではなく、方法に投企しているのである。そこでサルトル(860夜)が「これはヌーヴォーロマン(新しい小説)である」と言った。ロブグリエも1963年になって『新しい小説のために』(新潮社)を書いた。

原著『消しゴム』(ミニュイ社・深夜叢書)

 1955年の2作目の『覗くひと』(冬樹社・講談社文芸文庫)では、そのヌーヴォーロマン風の「物」に属した視線的な文章が、観察者(登場人物)の感情をあえて押し殺しているように書かれているのが伝わってくる。そのぶん、いささか苛々させた。オブジェクティブな言葉づかいで苛々させなかったのは、フランシス・ポンジュの詩集『物の味方』(Le partl pris des choses)のほうだ。
 3作目が『嫉妬』だった。1957年の刊行である。さらにセンセーショナルに迎えられた。夫のあるAという女と、妻(クリスアーヌという)のある男(フランクという)がバナナ薗のある熱帯地方のどこかで恋しあっているのだが、その一部始終を見ている人物がいるらしい。作品の中でそれが誰かはまったく示されないし、その男のことは一行も出てこない。けれども、それがおそらくはAの夫であろうことが、だいぶん読みすすめていくうちに、なんとなく見当がつく。嫉妬しているのはこの男なのだ。けれども登場してこない。ロブグリエはその気配すら消した。ただオブジェクティブな出入りばかりが綴られる。
 原タイトルの“Jalousie”というフランス語には「嫉妬」という意味はない。ジャルジーと読んで「ブラインド・カーテン」の意味をもつ。英訳のときに「嫉妬」というタイトルが採用された。けれどもジャルジーこそはまさにこの物語の土台を措定しているブラインド・カーテンなのである。
 ロブグリエはジャルジーを暗示させつつ、いわば客観を装う主観を小説全体の擬似構造にしてみせたのだった。そのためバナナ薗の細部や日用品や建物の一部を、いわば文芸的ブラインドを通して執拗に描写した。こんな小説は、かつてなかった。

『覗くひと』と『嫉妬』の原著
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『嫉妬』を書き終えたばかりの若きロブグリエ
1956年、パリのレストランにおいて

 1964年、早稲田でジグザグデモにあけくれながら、何月のことかは忘れたが、ぼくはアラン・レネの《去年マリエンバートで》を観た。授業には出ず、本を読むかデモに出るかアジビラを切るかの日々で、それ以外は気になるライブセッションに行くか、そうでなければ映画か芝居か舞踏ばかり見ていたので、そのひとつだ。
 《去年マリエンバートで》はヌーヴェル・バーグ(Nouvelle Vague)という触れ込みのモノクローム映画だった。1961年のヴェネチア映画祭で金獅子賞をとった。たいへん静かに不可解な男女の会話がポツリ、ポツリと進むだけのもので、たいそうスタイリッシュだった。ふーん、そう来たかと思った。
 男Xが女Aと再会した。Xは「去年、マリエンバートで会ったね」と語りかけるのだが、Aは憶えていないと言う。Aの衣裳はココ・シャネルが担当した。Xと他の女たちの衣裳はベルナール・エヴァンのデザインである。
 AはXの話を聞くうちに、ひょっとしたらこの人とマリエンバートで会ったのかもしれないという気になっていくのだが、どうしてもそれ以上のことはわからない。Aの夫のMも出てくるが、このMはマリエンバートで何がおこったのかをある程度知っているらしい。けれども映画ではどんな謎もあかされない。男と女が幾何学的な公園とその周辺を彫像のように行き来して、すべては「らしい」だけで、しばしばXとMが「ニム」というゲームを繰り返すばかりなのだ。ニムではすべてXが負けている。
 のちにこの脚本はロブグリエが書いたのだと知った。うんうん、それはありうるなと得心した。ロブグリエは黒沢(1095夜)の《羅生門》にヒントを得て、脚本をつくったようだ。ということは芥川(931夜)の『薮の中』が下敷きになっているということで、どんな証言も事実にとどかないことを暗示したかったらしい。
 記憶の不確実性を相手にしているといえば、まさにそうでもあるのだが、それを映像という一見あからさまな手法によって「見えているのに見えない」ほうに、「くいちがい」のほうにもっていったところが、なかなかおもしろかった。

アラン・レネ監督『去年マリエンバートで』予告編
ロブグリエが脚本を書いた。

『去年マリエンバートで』に登場する幾何学式庭園
庭園にたたずむ人々の異様に長い影は地面に描かれたもので、それを実写した。ミュンヘンのニンフェンブルク宮殿の裏庭である。

小説『藪の中』と映画《羅生門》
芥川龍之介の『藪の中』を黒澤明監督が時代劇《羅生門》として1950年に映画化。斬新なカメラワークとアクションで世界に衝撃を与えた。

 このあとロブグリエは自分で監督をするようになって、後期ヌーヴェル・バーグの旗手のひとりになった。
 この芸術制作運動は、映画批評誌「カイエ・ド・シネマ」の主宰者アンドレ・バザンが肝入りしたジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリフォー、クロード・シャブロル、エリック・ロメール、アレクサンドル・アストリュックらのセーヌ右岸派と、モンパルナス付近に集っていたアラン・レネ、アニエス・ヴァルダ、クリス・マイケルらの左岸派が、映画会社の組織と観客にとらわれることなく自在な手法で撮り出した一連の流れのことをいうのだが、とくに1959年に制作と公開が集中したシャブロルの《いとこ同志》、トリフォーの《大人は判ってくれない》、ロメールの《獅子座》、そしてゴダールの《勝手にしやがれ》で起爆した。
 原案がトリフォーで、ゴダールが脚本と監督に当たり、ラウール・クタールが撮影を指揮し、シャプロルが監修するというヌーヴェル・バーグ勢揃いの《勝手にしやがれ》は、さすがに斬新だった。主演がジャン=ポール・ベルモンドとジーン・セバーグである。
 隠し撮り、ぶっきらぼうなクローズアップ、時の経過を度外視して同一アングルをつないでみせたジャンプショット、ぐらぐら動く手持ちカメラの揺動性、高感度フィルムの挿入、全編に及ぶ即興性など、なるほどヌーヴェル・バーグとはこのことかと、ぼくは痺れまくった。

映画批評誌『カイエ・ド・シネマ』
初代編集長アンドレ・バザン提唱の「作家主義」、および同誌の執筆者からヌーヴェルバーグの映画作家たちを生んだことで知られる。映画のワンシーンが表紙になっている。左から《大人は判ってくれない》、《勝手にしやがれ》、《鳥》。
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左からクロード・シャブロル、ジャン・ピエール・メルヴィル、ジャン=リュック・ゴダール(1962年)
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1980年のカンヌ映画祭の授賞式にて
右から二人目がアラン・レネ。右端は黒澤明。

ヌーヴェル・バーグの女たち
ジャンヌ・モロー[左上]、ブリジッド・バルドー[右上]、アンナ・カリーナ[左下]、ジーン・セバーグ[右下]

ジャン=リュック・ゴダール監督『勝手にしやがれ』予告編

ロブグリエ作品に登場するモノがものがたるシーンの数々
上から『囚われの美女』(1983年)、『エデン、その後』(1970年)、下の2つは『快楽の漸進的横滑り』(1974年)の1カット。

 ロブグリエは左岸派だったから、こういうゴダール=トリフォー風の芸当はできてはいない。もともとの文学作品が映像記憶的で、著しく「視線の文学」的でもあったので、そういう映像を自分でも撮りたくなったのだろう。言葉であらわせないヴィスタ(光景)を主語不在の映像ならなんとか見せられるとも思ったはずだ。アラン・レネの影響もあったろう。
 別の見方をすれば、映像はエビデンスをはっきりさせるものだとみなされていることを、あえて裏切ってみせたかったのであろうと思う。写真や映像は往々にして、事件の現場写真や監視カメラの映像証拠がそうであるように、人間の視覚的記憶よりも確定的なものだとみなされているのであるが、実はそれもあやしいものだと思わせたかったのだろう。
 ただ、ぼくは長らくロブグリエ演出の映画を観そびれていて、ずっとのちに最初の監督作品《不滅の女》を観た程度なのである。63年制作の映画なのに、日本公開がずっと遅れたのだ。
 残念ながら、必ずしも出来のいい映画ではなかった。人物を「これみよがし」のマネキンにしすぎた。だから痺れはしなかった。2018年11月にイメージ・フォーラムで上映されたのを観たのだが、これが「アラン・ロブ=グリエ/レトロスペクティブ」と銘打っていた催しで、冒頭に紹介した菊地成孔の「喰えねえフランス」という発言は、この催しのときのものだった。
 というわけで、やっぱりロブグリエは文学作品のほうが上等なのだ。脂がのりきったころの『快楽の館』(若林真訳・河出文庫)と最晩年の『反復』(平岡篤頼訳・白水社)についての感想を書いておく。

特集上映「アラン・ロブ=グリエ/レトロスペクティブ」
2018年、ロブグリエ没後10年を記念し。シアター・イメージフォーラムを中心に行なわれた特集上映。過激でスキャンダラスな描写ゆえ、ヨーロッパ以外での地域ではほとんど上映されてこなかったロブグリエ作品を公開した。

「アラン・ロブ=グリエ レトロスペクティブ」予告編

『不滅の女』予告編

 1969年発表の『快楽の館』は、まだイギリス領だった香港が舞台だ。アジア各国の娼婦たちが出入りする「青い館」(ヴィラ・ブルー)でのパーティ、骨董の仲買い、麻薬の取引、人身売買、SMショーなどがひっきりなしに描かれる。それが実際にどこまでおこなわれていたのか、夢なのか幻想なのかの区別がつきにくい。大金持ちの老人の不可解な死もおこるのだが、殺人だったかどうかもわからず、何も解決はない。お得意の手法で、登場人物も微妙にずれていく。
 視線の作家としての試みは、男たちが娼婦を視線で犯すというふうになるのだが、『快楽の館』ではさらに色彩の限定や反転や迷色に向かっていった。欧亜混血の侍女キムが着るチャイナドレスも白かったり黒だったりするし、連れている犬の色も変わる。大きくはモノクロームめくところを狙っているのだろうが、実は全体が部分ごとにネガフィルムっぽいのだ。それが妙にフェティッシュで、艶めかしくも色っぽい。
 そういえば、そろそろ閉館してしまう原美術館で、2016年秋に篠山紀信が《快楽の館》という写真展をした。原美術館というレトロな館そのものに快楽の写像を重ねようとしたものだったが、とてもヌーヴォーロマンにはとどいていなかった。

 2001年に発表した『反復』のほうは、第二次世界大戦後のベルリンを舞台に、隣国から送りこまれたスパイの5日間を描いたもので、またまた殺人事件、少女売春、秘密組織と警察の癒着、SM的な拷問、ひどい裏切り、とんでもない偽装など、戦争直後の巷間でおこりそうなことが次々に取り込まれている。
 通俗小説になりかねないこれらの題材を、ロブグリエはあいかわらず語り手が誰であるのかを紛らわせるようにして、綴った。だから物語の錯綜の度合いはハンパじゃなくなって、スラップスティック寸前にまで及ぶ。『反復』ではそれだけではすまず、本文に対する「注」を付けて、ここから本文への訂正や非難をおくるようにもした。解釈の可能性を多角的にしたといえば聞こえがいいが、「いじわる」の度が過ぎるほどに手がこんでいる。
 けれどもロブグリエは、このようなことを次々に施して、なんとか「小説の瀬戸」を渡り切りたかったのである。フランス流の「瀬戸の花嫁」を誑(たぶら)かしたかったのだ。ぼくはこの方法文学の挑戦を、大いに結構なことだったと思った。

『快楽の館』(河出書房新社)と『反復』(白水社)

付け加えておきたいことがある。最近の打ち続く新型コロナウイルス禍のなかで、各地各所でやたらにリモート・ミーティングが広まるようになった。リモートであることは手紙や電話の時代からのお決まりのコミュニケーションなのでとくにめずらしくはないのだが、インターネット対応のZOOMやスカイプなどのオンライン受発信ツールによって、なんとも中途半端な人物映像と対面するようになった。正面顔ばかりとの対面だ。これがまことにお粗末なのである。
 用事をすますだけならいい。けれどもこのままでは、会話や付き合いや「間合い」は生まれない。おそらく3日たてば記憶もなくなっているのではないか。「うつろい」「かさなり」「あいまい」「あやふや」「ごまかし」「記憶ちがい」「取り返しのなさ」がなくなっている。これはゴダールやロブグリエにはとんでもないことだろう。トリスタン・ツァラ(851夜)やエミール・シオラン(23夜1480夜)にとってはさらにいただけない。まことしやかなリアルっぽさが邪魔なのだ。対面的視像が内蔵カメラに食われているままなのだ。
 むしろ擬似現実感覚があったほうが、リダンダントなコミュニケーションの含蓄がずっとおもしろくなるのに、パソコン上の杓子定規に屈してしまったのだ。そのくせ口元の動きと声がずれたりもする。その「ずれ」や「ゆがみ」は決しておもしろくはならない。
 とくにモンダイなのは、主体や主語が明示的になりすぎていることだ。画面の真ん中に本人がいて、何がおもしろいものか。役所の窓口や監視カメラやプリクラではあるまいに。
 そろそろ誰かがアンチロマンめいた「視線の裏切り」や「別の目」を招じ入れてみるといい。大学のリモート講義だってこのまま続くのでは、どんなリベラルアーツもどんどん干からびて、凝塊していくばかりだろう。テレワークを「快楽の館」にしてほしいとは言わないが、せめて「知楽の交信」にしてほしい。

コロナパンデミックについて語るセイゴオ
2020年5月12日深夜に緊急収録された「ツッカム正剛」は情報生命体としてのウィルスについての一人語りとなった。
(図版構成:寺平賢司・西村俊克)


⊕『嫉妬』⊕

∈ 著者:アラン・ロブグリエ
∈ 発行者:白井浩司
∈ 発行所:株式会社新潮社
∈ 印刷所:東洋印刷株式会社
∈ 製本所:植木製本所
∈ 装幀:上口睦人
∈ 発行:1959年6月5日

⊕ 目次情報 ⊕
∈ いま、柱の影が
∈ いま、南西の柱の影が
∈ とかされた髪に沿って
∈ 谷間の底で
∈ いま、二番目の運転手の声が
∈ いま、家は空だ
∈ 家中が空っぽだ
∈ 剝げ残った灰いろのペンキと
∈ いま、柱の影が

⊕ 著者略歴 ⊕
アラン・ロブグリエ
1922年、ブレスト郊外のキルビニヨンに生まれる。戦後1946年に専門学校を卒業し、1949年に植民地果実柑橘類研究所のバナナ農場監督官となる。1951年までの間にギニア、西インド諸島、マルチニック、グアドループを監察してまわり、帰国の船上で『消しゴム』を執筆し、1953年に同書をデビュー作として深夜叢書(ミニュイ社)から出版(フェネオン賞を受賞)。翌年、『覗く人』を刊行し批評家賞を受賞。ミニュイ社の文芸顧問に就任する(1980年まで)。1957年に『嫉妬』、1959年に『迷路のなかで』を発表。1960年、アラン・レネ監督の映画『去年マリエンバートで』のシナリオを手がける。同作は翌年にヴェネチア国際映画祭金獅子賞を受賞、フランスでもメリエス賞を受賞した。1963年には最初の監督映画『不滅の女』が公開された。これらと平行して上記作品の映画原作本(シネロマン)を刊行する。以後、軽妙な作風に移行した小説『快楽の館』(1965年)などを刊行。2004年、アカデミー・フランセーズの会員に選出。2008年、フランス北西部カーンの病院にて死去。フランスのヌーヴォー・ロマンの代表的作家とされる。

⊕ 訳者略歴 ⊕
白井 浩司(しらい こうじ)
1917年東京生まれのフランス文学者。暁星中学校を経て慶應義塾大学文学部仏文科卒。1942年NHK国際局海外放送フランス語班に勤務した後、47年慶應義塾大学予科講師となる。サルトルの『嘔吐』を翻訳し、実存主義ブームのきっかけを作った。その後もカミュ、ロブ=グリエなどを翻訳紹介する。58年慶應義塾大学文学部教授となり、66年第2回辰野隆賞受賞、76年フランス政府より教育功労章を授与。1978年『アルベール・カミュ その光と影』で読売文学賞受賞。82年定年退任し名誉教授になる。

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