父の先見
リヒテンベルクの雑記帳
作品社 2018
Georg Christoph Lichtenberg
Schriften und Briefe 1764~1799
[訳]宮田 眞治
編集:増子信一 協力:シュテファン・ケプラー・田崎
装幀:山田和寛
ビリビリビリ‥。リヒテンベルク図形はぼくの青春図形である。科学雑誌や図鑑にガラスに生じた電気放電や植物の根っこや稲妻などのリヒテンベルク図形の写真がちょっとでもが載っていると、一枚破いて壁に貼ったり、きっちりハサミで切り取って手元の大判ノートにスクラップした。見るたびにどぎまぎした。
ガラスや樹脂やエボナイトなどの非導電性の板の表面に、電気が通る鋭い針をあてると、みごとな放射状の放電パターンができる。これがリヒテンベルク図形だ。1777年にゲオルグ・クリストフ・リヒテンベルクがゲッティンゲンの実験室の中で発見した。静電誘導で高電圧の電気を発生するつもりで直径2メートルの巨大な電気盆をつくり、絶縁体の表面に高電圧点を放電したところ、劇的な放射状パターンが生じたのである。
チリチリチリ‥。リヒテンベルクはこの表面にさまざまな粉末材料をふりかけ、白紙にこれを押し付けることで図形像を転写させた。この転写の技術は今日のゼログラフィの基本原理にあたっていた。
リヒテンベルク図形は電気の放電現象の転写だから、自然界では稲妻のパターンに代表されるけれど、そこには、エネルギーが一点突破して周囲に網状に拡がろうとする形状原理があらわれている。だからそれに似たパターンは自然界や生物界にはいろいろある。植物の葉脈、血管ネットワークの形状、脳の神経網、みんなリヒテンベルク図形に見えてくる。
寺田寅彦(660夜)が「割れ目」に関心を寄せたのも、リヒテンベルク図形がトラ猫やシマウマの模様にもあてはまると思ったからだ。実際のリヒテンベルク図形にはフラクタルな相似性がひそむ。
バリバリバリ‥‥。リヒテンベルク図形はのちに「遊」の相似律特集号を飾った。ぼくの相似律好みはリヒテンベルク図形から始まったのだ。
■左ページ
(上右)アスファルトの割れめ
(上左)象の尻尾
(下右)ショーウィンドウの強化ガラスの割れめ
(下左)蜘蛛の巣
■右ページ
(上右)木目のヒビ割れ
(上左)ガラスの割れめ
(下右)アルミニウム板に松脂を融し、それを冷やして得られる割れめ
(下左)張り氷の割れめ
『遊』1001号より
ゲオルグ・リヒテンベルクは実験物理学を得意としたドイツの科学者だ。1775年にゲッティンゲン大学の物理学教授となると、ユニークな実験の取り組みと成果によって、たちまちその名声がヨーロッパに広まった。電池を発明したボルタ、数学者のガウス、銀河天文学のハーシェルが噂を聞き付けて、リヒテンベルクの講義を聴きにきたか、会いにきた。ゲーテ(970夜)やカントやレッシングとも交流した。
1742年にダルムシュタットに生まれて1799年に57歳で病没したのだが、名物教授リヒテンベルクの死後、けっこうな分量のノートやメモが遺されているのが発見された。「控え帳」とか「雑記帳」と呼ばれる。本人は“SUdelbücher”と呼んでいた。簿記ノートといった意味だ。
学生時代からのノートで、亡くなる直前までのメモや文章が残っている。Aが1765年からのもの、Lが最期の一冊だ。ノートは遺族たちが出版した。GとHのノートは紛失されたか、個人事情や関係実名が頻出するため伏せられた。
この『雑記帳』がまことにおもしろい。おもしろいというより、啓発され、唸らされる。ショーペンハウアー(1164夜)、ニーチェ(1023夜)、トルストイ(580夜)、フロイト(895夜)、マッハ(157夜)、ヴィトゲンシュタイン(833夜)、ベンヤミン(908夜)らが注目して、昔から「ドイツ・アフォリズムの原点」と称賛されてきた。
時代は18世紀末、そうとうの激発時代だ。英仏七年戦争、アメリカ独立戦争、フランス革命、イギリス産業革命が打ち続き、思想史的には経験哲学からカントをへて、ヴォルテール(251夜)やルソー(663夜)の啓蒙主義が拡張していった時期、科学分野でもキャベンディッシュの電気力学、プリーストリーの酸素研究、ハーシェルの天王星発見、ラグランジュの解析力学、クーロンの法則などが踵を接した。
リヒテンベルクはゲッティンゲン大学で研究するかたわら、出版人ディーテリヒと懇意になってその館に住んで(印刷所と書店を兼ねた館)、思索に耽り、文筆活動にも勤しんだ。『ゲッティンゲン懐中暦』という雑誌も編集していた。そうしたなか、リヒテンベルク図形と、死後出版されたノートが遺った。
今回(2018年)、作品社から刊行された本書はその驚くべきノートの、科学実験関係や旅日記などの記述を除いた翻訳版である。これまで筑摩の「世界人生論全集」第12巻ドイツ篇に、国松孝二が『わが箴言』として部分訳したり、池内紀が『リヒテンベルク先生の控え帳』(平凡社ライブラリー)で編訳したりしてきたが、ここまでの全貌(それでもまだ半分以下だろうが)がお目見えするのは初めてだ。
本書を編訳した宮田眞治は『雑記帳』のノートAからLの片言節句を「自然」「人間」「思考」「宗教」といったふうに主題別に大きく区分けして、その区分けとともにそのつど解説と稠密な注を付した。なにしろドイツ語の原著は1800ページ本が2冊組になるほどの厖大なもの、それを日本版で600ページほどに絞るのだってたいへんな作業だ。どのくらい編訳と解説に時間をかけたのか知らないが、たいへんな労作だ。年表もついている。すばらしい編集だった。お疲れさま。
リヒテンベルクはたんにノートを執ってきたのではない。アフォリズムになることを意識した。
アフォリズム(Aphorismen)は箴言集とか格言集のこととされているが、たんなる寄せ集めのことではない。哲学史においてはフランシス・ベーコンが称揚した思想表現様式をさす。ベーコンは1620年に『ノヴム・オルガヌム』(新機関)を書いて、アリストテレス(291夜)からスコラ哲学に及んだ論法が硬直してしまったことに文句をつけて、新たな思想表現様式としてアフォリズムに可能性があることを示唆した。1605年の『学問の進歩』においても、アフォリズムは「諸学の神髄からつくられるもの」という見方を提起した。
推論哲学的にいえば、アフォリズムは演繹的ではなく帰納的である。ベーコンも帰納法を好んだ。しかし、帰納的作業には数多くの事例が必要になる。科学的には観察記録が多ければ多いほどよく、思索的な帰納的作業をするなら、さまざまな自分の思索メモや観察メモや連想メモが大事になる。それらはたいてい「覚え書」(Bemerkungen)として残っていく。
リヒテンベルクはこの「覚え書」の中に、演繹的な論理説明や哲学的成果を超える「何か」が芽生えていると思ったのだ。そこにアフォリズムならではの力が創発すると思ったのである。
そんなふうにかなり意図的なアフォリズムなのだが、アフォリズムがどのように確立されてきたかということは、文学史でお茶を濁すように検討されてきただけである。パスカル(762夜)の『パンセ』、モンテーニュ(886夜)の『エセー』などが先行し、これがラ・ロシュフコーの『箴言集』(1664以降)などをへて、しだいに洗練されていったのである。しかし思想史的なアフォリズムの研究は、ほとんど深まっていない。
それゆえアフォリズムをめぐる思想事情についてはあまり研究書がないのだが、あるとき加納武が『アフォリズムの誕生』(近代文藝社)で少し追いかけた。ぼくも教職をしていた帝塚山学院大学のドイツ文学者だ。加納はリヒテンベルクの『雑記帳』を素材に、それらがのちにニーチェの『人間的、あまりに人間的』などになっていった経緯などにもふれているのだが、そんなに詳しいわけではない。
これは加納のせいではない。そもそもアフォリズムを議論するのが難しい。大胆で警告に富んだアフォリズムは要約不可能なのである。「すでに要約がおわっている」からだ。そのためどうやって紹介したらいいか、どのように議論していいか、案外の難問なのだ。
ぼくはエミール・シオラン(23夜・1480夜)のアフォリズムにぞっこんだったので、なんだかんだと感想は書いてきたけれど、アフォリズムという様式が何を旗幟鮮明にしているかということは、まだうまく触れられていない。ついついアフォリズムの紹介はアフォリズムを抜き出すのが一番だということになる。
というわけで今夜の千夜千冊も、ぼくが気にいった箇所にマーキングをしてあるところから、ごくごく一部を選んで提示するにとどめたい。順番は適当に変えてあるが、ときどき( )内にぼくのコメントを付した。それでは不満だろうから、もっと全容を実感したかったなら、ぜひ一冊まるごとを入手されたい。一家に一冊、リヒテンベルクなのである。グリグリグリ‥。
リヒテンベルクの箴言は冴えている。なにもかもが冴えているわけではないが、ハッとさせられることが多い。短い片言節句だから冴えているのではない。その片言節句が懐中に抱く思想を、何度でも飛び出しナイフのように連打できるのである。何度でもその懐中の思想ナイフを持ち出せるのだ。
これは教養から来ている。しかし教養から来てはいるのだが、その中身をプラトンやアリストテレスやデカルトやニュートンの論述まるごとでは語らない。リヒテンベルクが掴まえたエキスだけでナイフを使う。そのナイフは冗長を嫌い、ぐだくだしていないのだ。
そうなったのは、おそらくリヒテンベルクに「機知」(Witz)と「想像力」(Phantasie)のはたらきについての深い洞察があったためだろうと思う。つまりは「類似性」の作用について圧倒的な確信をもっていたからだろう。リヒテンベルクは史上最初の「アナロジカル・シンキング」の持ち主となったのである。
不確かなことやカオスっぽいことに注目していたことは、リヒテンベルクの理学的センスのよさを告げている。そのセンスは理科学と言葉との両方を使いきるという姿勢から出てきたものだと思う。
C157 パンチボウルを地球に喩えること。
当然ながら、リヒテンベルクはかなりの読書家だった。多読をへて、しだいに秀れた本をじっくり読みなおすというふうになっていった。
戒めたのは、著者の思想をすぐに自分のものとくらべるような読み方だ。なぜそんな読み方になるのかといえば、読んだことの要約を怠るからなのだ。そう、リヒテンベルクは見ていた。ということは、リヒテンベルクは読むことと書くことをつなげていたのだ。
リヒテンベルクは牧師の子である。父親はダルムシュタットの教区長であり、敬虔な子供時代をすごした。けれども聖書とスピノザ(842夜)は別格だったけれど、神学にはほとんど関心を向けていない。それどころかキリスト教の打ち立てるロジックには、つねに根底的な批判があったようだ。
そこには「根拠ならざるものを根拠とする誤謬」(ファラキア・カウサエ)が根付きすぎていると感じていた。リヒテンベルクは「神」のことより「心」のことを考えてきたのではないかと思える。
「遊」編集長時代から今日まで、松岡が書き綴ってきたありとあらゆる著作やエッセイのなかから、独自の世界観や人生観や仕事観がうかがえる言葉を収集し再編集したセイゴオ版箴言集。『危ない言葉』、『切ない言葉』、『リスクな言葉』、『アートな言葉』の全4巻を刊行した。
⊕ リヒテンベルクの雑記帳 ⊕
∈ 著者:ゲオルグ・クリストフ・リヒテンベルク
∈ 装丁:山田和寛
∈ 編集:増子信一
∈ 翻訳:宮田眞治
∈ 発行者:和田肇
∈ 発行所:株式会社作品者
∈ 印刷・製本:中央製版印刷株式会社
∈∈ 発行:2018年6月5日
⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ はじめに
∈ 第一章 思考・認識・言語
∈ 第二章 書くこと・読むこと
∈ 第三章 人間とは
∈ 第四章 〈私〉について
∈ 第五章 宗教について
∈ 第六章 政治について
∈ 第七章 自然と自然科学をめぐって
∈∈ 〈概説〉
∈∈ 自然科学の方法論について
∈∈ 最後のノートから――『自然学提要』執筆計画を中心に
∈∈ 解説
∈∈ あとがき
∈∈ 年譜
∈∈ 人名索引
⊕ 著者略歴 ⊕
ゲオルク・クリストフ・リヒテンベルク(Tatsuji Nagataki)
1742年、牧師の家に生まれる。ゲッティンゲン大学で数学、天文学、自然学(フィズィーク)などを学ぶ。学生時代、上流階級出身イギリス人学生の家庭教師兼世話係を務めた縁で、イギリス王家とのつながりができる。1770年、ゲッティンゲン大学教授。1770年および1774‐75年のイギリス旅行―そこではキャプテン・クックの世界周航に同行したゲオルク・フォルスターなどとも親交を結んだ―を除いては、ほぼゲッティンゲンという小さな大学街で暮らす。実験自然学の教授として、講義ではさまざまな実験を披露し、学生以外にも多くの聴衆を集めた。科学者としては、放電現象に伴うリヒテンベルク図形の発見(1777年)で著名。同年より雑誌『ゲッティンゲン懐中暦』を編集、自らも多くの記事を執筆する。ユーモアに富んだ啓蒙的な記事は広く読まれた。1799年没。葬儀には500人以上の学生が参列したとされる。
宮田眞治(みやた・しんじ)
1964年生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程中退。神戸大学文学部を経て、東京大学大学院人文社会系研究科教授。研究領域は近代ドイツ文学・思想。