才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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線が顔になるとき

バンドデシネとグラフィックアート

ティエリ・グルンステン

人文書院 2008

Thierry Groensteen
Liges de Vie Le Visage Dessiné 2008
[訳]古永真一
編集:伊藤桃子 協力:赤塚若樹
装幀:田中伸弥 カバーイラスト:吉田りさ

 ミラン・クンデラ(360夜)の“厄介な傑作”として有名な『不滅』(集英社文庫)に、自分がどう見られているかということを思いあぐねるアニェスが手元の週刊誌のページを繰りながら、そこに登場する顔の数を数える場面が出てくる。
 223の顔があった。この数が多いのかどうか知らないが、クンデラの時代とくらべるといまどきはもっと多くなっているはずだ。ネットやスマホの中は顔だらけだ。
 目鼻立ちとはいうけれど、まったくもって「顔」とはかなり妙なものである。生きものはことごとく驚異的な仕上がりになってはいるものの、ニンゲンが一番におかしい。その代表が顔である。耳・眼・鼻・口という知覚器官群が手のひらを広げたほどの狭い面に集中し、それらを髪や眉や睫毛、額や頬や顎や唇、肌や皺や髭が面貌の特徴を際立たせるようにイミシンに包んでいる。眼は瞳だけではなく、瞼や目元や目尻をともなうのである。
 そういう「顔」が記号的に気になりはじめたのははるか昔の神話時代からのことで、そうとう古い。エジプトのヒエログリフにあらわれるぺったんこの横顔、西アジアや古代ギリシアの石像やテラコッタの妙に思慮深い顔付き、土偶や植輪の人形めいたプリミティズムなどが早くからあらわされていた。あまり詳しいものではないが、設楽博己の『顔の考古学』(吉川弘文館)がその一部を拾っている。

 肖像画や自画像もそこそこの歴史をもってきた。ポンペイやルネサンスのフレスコ画は肖像画のための実験室のようなものだったし、キリスト教絵画は聖人の容貌を後世にとどめるためのものだった。富裕階級は当主や家族の肖像をこれみよがしに飾ることをもって、誇らしげに家系を自慢した。顔は「神」であり、また「家」でもあったのである。フェルメールやレンブラントは顔を「町」や「部屋」や「職」にした。
 そこに加わったのが写真だ。写真は絵画とちがって「リアル」に準ずるはずのものであったけれど、どっこい、かえって「自他」を際立たせていった。批評力に富んだ自意識の権化のようなボードレール(773夜)さえ、カメラの前では神妙になった。
 こうして、顔はいつしか「自分」になっていったのだ。そうだとすれば、オスカー・ワイルド(40夜)が『ドリアン・グレイの肖像』によって顔にこそ「心の変容」が兆すということを告げたのは、すこぶる象徴的なことだった。ワイルドは「自分顔」という歴史の開闢を告げたのだ。同時代期、アンブローズ・ビアズレーのイラストレーションは顔がモノクロームの線画によってさらに強調できることを示した。
 こうしてコミック・ストリップの時代が到来し、カリカチュアの技が競われ、バンドデシネやアメコミやマンガの季節が世を席巻することになる。これらは、それ以前の流れからして、あきらかに「アートの逆上」とでもいうものだ。おっちょこちょいの劇作家のエドワード・ボンドは「芸術とは人の顔に注意深くなることだ」とさえ断言した。

 本書はマンガ家たちがどのように「顔」に挑んできたかを実作例にもとづきつつ、半ばグラフィックアート史ふうに、ときどきは芸術論ないしは思想的に補強したもので、本書以前には類書がない。実例も豊富なだけではなく、よくよく吟味されている。
 著者のティエリ・グルンステンはベルギー出身のバンドデシネの研究家である。バンドデシネ (band dessinée)はフランス語圏でのマンガのことで、文字通りは「描かれた帯」という意味だから、狭義には「続きマンガ」(コミック・ストリップ)のことになるのだが、いまではふつうにマンガ一般をさす。しばしばして「ベデ」(BD)などという。
 コミックやカトゥーンではなくバンドデシネという名称が先行したのは、フランスやベルギーではコマ割りマンガを創始した風刺画家ロドルフ・テプフェール以降、20世紀最初の二十数年にいたるまで単行本としてのマンガ本が一冊もなく、すべてが新聞や雑誌の連載マンガであったからである。ヨーロッパ全土が第一次世界大戦から第二次大戦に見舞われていた時期であったので、マンガは数々の小新聞や雑誌の片隅であたかもレジスタンスのように盤踞しつづけたのだ。その時期にエルジェの「タンタン」シリーズが生き延び、カリカチュアやポルトレ・シャルジュ(人物戯画)が充実していった。
 そういうバンドデシネ (ベデ)が折からのサブカルブームを上げ潮に世界中の若者の人気を攫うようになったのは、70年代のメビウス、フィリップ・ドリュイエ、エンキ・ビルラらのSFファンタジー型の斬新で大胆な表現性が注目されるようになってからだ。ここからのサブカルパワーは高速だった。大友克洋(800夜)がメビウスに影響を受け、その大友の劇画が海外にたちまち逆輸入されて、日本風バンドデシネとしてのマンフラ(manfra)やフランガ (franga)に異化されていった。
 グルンステンはそういう「ベデ」の本格的な研究者で、1993年の潜在マンガ工房『ウバポ」(Oubapo)の創設にかかわり、3年後には「バンドデシネのシステム」によって世界初のマンガ博士号を取得した。「ウバポ」はアルフレッド・ジャリやレイモン・クノーやジョルジュ・ペレックらが創設した、かの潜在的言語遊戯工房「ウリポ」(Oulipo)のバンドデシネ版をおこそうとしたムーブメントの拠点となった。
 これで察しがつくように、「ウバポ」はぼくがかねがね「編集工学のしっぽ」として尾学的に格別重視してきたジャリ(34夜)やクノー(138夜)やペレック(504夜)の編集表現的実験性を、マンガ分野で継承したものだったのである。
 ちなみに「ウリポ」にはレーモン・ルセール、マルセル・デュシャン(57夜)、イタロ・カルヴィーノ(923夜)、ジャック・ルーボー、アンヌ・ガレタらも加わっていた。残念ながら日本にはこういう編集実験工房がなさすぎる。

 さて、それでは本書はどんな一冊なのかということだが、その紹介にあたってはちょっと言い訳をしなければならない。あまりにベデの図版がらみの解説書になっているからだ。それゆえグルンステンが選別した掲載マンガの実例絵柄を紹介するべきなのだが、そうするにはキャプションで説明を補うしかない。
 というわけで今夜はぼくのテキストではなく、挿入図版とそのキャプションをもって本書のあらかたの内容を想像してほしいのだ。
 ちなみにこの作業は寺平賢司を隊長とする千夜千冊図版作成チーム「千駆千嘨隊」(せんくせんしょうたい)が担当するもので、これは千夜千冊が始まって以来、編集工学研究所のスタッフが担ってくれてきた伝統に従っている。いっときは石黒壮明君がほぼ一人でがんばってくれていた。その後は寺平君が担当するようになり、しだいにチーム化(編隊化)を心掛けてきた。最近は千駆千嘨隊(略称センセン隊)のコアメンバーの大泉健太郎と梅澤光由が実験工房ふうのエンジンを賑やかな唸りを上げ、これに応えて斎藤彬人・桑田惇平・中尾行宏らが”令和のウリポ/編集のウバポ”よろしく独特の部分展示を受け持ってくれている。
 その手順は、こうだ。千夜のテキストが上がるにつれ、隊長はこれをメンバーにデータで送り、センセン隊の数人との密議をZoomで始める。そして平均3日間くらいで構成・図版選定・キャプションを整え、ときに太田香保に出来具合を見てもらう。ぼくはテキストを3段階くらい手を入れながら、これらが仕上がるのを愉しみにしていればいいのである。今夜も図版とその説明を存分に堪能されたい(まだ見ていないけれど)。
 とはいえ、それでは執筆者としての責務をはたしたことにならないだろうから、少しばかり感想を述べておくことにする。

1929年に始まった『タンタンの冒険』シリーズは、少年新聞記者タンタンと愛犬スノーウィーが世界中を駆けめぐる冒険譚であり、同時代の世界の情勢を捉えたルポルタージュであり、不条理な世界へのカリカチュアでもあった。作者のエルジェは元新聞記者で、死去するまでのあいだ、半世紀にわたって連載をつづけた。いまでも世界中で読まれている名作だ。

今日のバンドデシネを代表する漫画家にメビウスがいる。『アルザック』(1975年)で世界的なヴィジュアルSFブームを巻き起こし、日本では宮崎駿や大友克洋らに影響を与えた。空間に奥行を生じさせる色彩感覚をもってコマのひとつひとつを絵画作品のように描きこみ、サイバーパンクの実験工房といえる編集力を迸らせた。

ZOOMで打ち合わせをする図版作成チーム「千駆千嘨隊」(せんくせんしょうたい)。千夜千冊が書き上がった日の夜にはオンラインで集い、喧々諤々のヴィジュアル議論を交わす。数学をテーマにした千夜が10連打されたときは、メンバーに加えて、数学アドバイザーの新坂彩子と中村麻人、TOP画像担当の野嶋真帆にもMTGに参加してもらった。ちなみに本文まわりの書影やinfo情報、メンバーへの資料の共有などは、編集学校の上杉公志が担っている。上段左から桑田惇平、寺平賢司、野嶋真帆、中段左から新坂彩子、大泉健太郎、梅澤光由、下段左から齋藤彰人、中尾行宏、中村麻人。

 意外に思われるかもしれないが、ぼくは少年期でも青年期でも「顔」にはあまり関心をもっていなかった。たとえば小中学校のころは映画の看板や雑誌の表紙の男前たちがそうなのだが、ちょっと見るだけでジョン・ウェインや中村錦之助から目を逸らしていたし、美人や美女の写真にも関心がなかった。大半のピンナップガールはお呼びじゃなく、とりわけ女性週刊誌や女性誌の表紙をカラフルに飾る美女たちには冷淡だったのだ。
 おそらく顔が誇張されたり、自意識に富んだり世間でやたらに、評価されたりすることが理解できなかったのだろう(同意したくなかったのだろう)と思う。
 ところが、ある時期からそういう思いに変化があらわれてきた。きっかけはよくわからないのだが、決定的だったのはおそらくはエゴン・シーレ(702夜)やフリーダ・カーロの自画像に出会ったり、リチャード・アベドンのモノクロームのポートレート(『ナッシング・パーソナル』など)を見るようになってからだろう。
 ついで岸田劉生(320夜)の『麗子像』、富岡鉄斎(1607夜)の文人画の闊達な人物表現力、ジャコメッティ(500夜)の造形に目を奪われるようになり、そのうちバルトルシャイテス(13夜)の『アベラシオン』(国書刊行会)などを読むようになると、ひょっとしてぼくはこれまで人物の「特徴」を軽視しすぎてきたのではないか、なぜそうなったのだろうかと思うようになったのである。アベラシオンとはアナモルフォーズ(歪像)に挑むということである。
 そうなってみると、今度はカリカチュアやポルトレ・シャルジュ(人物戯画)をつぶさに見るようになり、能面からマンガに及ぶ「顔の意図」がぼくをめがけて次から次へと鬼気迫ってくるようになったのだ。とくに18世紀半ばの医師ヨハン・カスパール・ラヴァーターの観相学(physiognomie)を知ってからは、そもそも表出とか表象というものは「相」を認知することであって、ということは、「いったい何が何と似ているか」を確認することこそ、つまりはソージ君とルイジ君に同意することこそ、編集的認知の根幹であると確信するようになったのだった。
 それからである、あきらかに晩生(おくて)であったけれど、「もどき」(擬)がぼくの思想の中心に引っ越してきた。これで、世阿弥(118夜)が一方で「物学」(ものまね)を強調しつつ、他方で面(おもて)を付けることを奨励したことも、すでにアリストテレス(291夜)が「ミメーシス」を思索の根本に招じ入れたことも、急速に理解できるようになった。
 その後のぼくはソージ君とルイジ君を助さん格さんにして、ひたすら「もどきの編集工学」に深入りしていくことになり、バンドデシネやマンガの豊饒は、この深入りに雄弁な色を添える漆芸師になったのである。

松岡手書きによる長嶋茂雄の顔イラスト。わずかな線の位置によって、長島らしくなったり、そうでなくなったりする。四角の輪郭、濃いひげといった特徴を捉えれていれば、長嶋らしさという略図的原型が成立する。

膨大な松岡本のなかのいくつかには、実はさまざまな松岡の顔イラストが登場している。左上から二宮金次郎パロディ『雑品屋セイゴオ』、江戸の書物売り『千夜千冊 虎の巻』、セイゴオ先生『松岡正剛の国語力』。左下から本人手書きによるセイゴオ『17歳のための世界と日本の見方』、デーモンセイゴオ『科学と生命と言語の秘密』、カラーセイゴオ『海』。どのイラストも顔の輪郭と丸メガネとヒゲが略図的原型になっている。

シリーズ「千夜千冊エディション」(角川ソフィア文庫)のカバー袖のプロフィール画像は、すべて違う写真になっている。さまざまなカメラマンがあらゆる場面で松岡を撮ってきた。最近のポートレートから幼少期、VRゴーグルをはめた松岡まで、ときにエディションのテーマとリンクさせた多種多彩な松岡顔が載っている。

 本書にも少し引用されているが、エマニュエル・レヴィナスが『全体性と無限』(岩波文庫)に「外部性に関する試論」という副題をつけて、他者とは何かを考察していったとき、他者とは「向かい合った状態」で正体を明示するもので、その最小なるものに多様な無限性が映じていくことこそが今日の存在学の眼目になるだろうと説いたものだった。最小なるものとは顔のことである。
 モジリアニやデュビュッフェやウォーホル(1122夜)を持ち出すまでもない。ホセ・ムニョスや赤塚不二夫の顔のクローズアップを例にするまでもない。われわれは顔のどアップな接近には、たじたじとなるばかりなのだ。接近する他者たちの顔は20世紀を殴打するトーテムなのだ。
 幼い顔の拡大や接近もトーテムだ。これらは「かわいい」トーテムだ。アンパンマンやピカチューはネオテニー(幼形成熟)がコミカル・トーテムの異様な王様になりうることを物語る。とっくにスティーブン・グールド(209夜)が『パンダの親指』(早川書房)でミッキーマウスを例に指摘したことだ。
 ベデやマンガは、なぜ20世紀トーテムの先頭を走りえたのだろうか。本書にはその考察はされていないけれど、おそらくは①線画とベタ塗りが共存したこと、②吹き出しが活躍できたこと、③オノマトペが躍如したこと、そして④作画家たちが「顔」のサイボーグ化に魅入られていったこと、⑤アニミズムと「笑い」と「不気味」を決して排除しなかったこと、これらが複合的に弾けていったからだろうと思う。
 最後に一言。本書がグラフィック・アートやグラフィック・ノベルの可能性を予告していることに拍手を贈りたい。本書に述べられているすべてのことは、アニメにもラノベにも3Dデザインにも、押井守(1759夜)にも庵野秀明にも、ホラーにも純愛にも、アイドルメイクにもガリガリ君にも、あてはまる。顔が線になるとき、セカイは「世界たち」に変わるのだ。

1)顔の気配
人間という動物は自他問わず顔に魅かれる性がある。
なかでも芸術家は顔を熟知するマッドサイエンティストだった。

スコット・マクラウド「マンガ学」より(1998年)
グラフィックの系譜で「人の顔」は特権的な位置を占める。偶然に描かれた線、何の変哲もない地形線やコンセントにすら顔を見出し、心や気持ちを感じてしまう。こうした傾向をマクラウドは「人間中心主義」と断じた。

アレクシス(ドミニク・ヴァレ)クロッキー帳(未発表)より
描き出された顔には複雑怪奇な魅惑が宿る。作家のアレクシスは顔の強迫観念に憑りつかれ、暇さえあれば見事な表情を浮かべる顔をデッサンした。

ロバート・クラム「自分(セルフ)」1986年2月
芸術家は自画像を描く。なかでもクラムの肖像は、鑑賞者と向かい合ってその正体の明示を試みる。吹き出しには「誰もわからないのだから‥彼らにわかるわけがない」とある。

2)人物の「肖」を、顔で描く
芸術家は顔の写実と戯画、オリジナルとモデルの間で葛藤してきた。
本物以上を描くには、対象に潜む「肖」に向かわなくてはならない。

E・C・シーガー『ポパイ主演のシンブル・シアター』(部分)1937年
ポパイの養子スウィーピーは「いちばん可愛い赤ちゃんを決めるコンテスト」に参加するが、審査員からの評価は散々たるものだった。落ち込む彼を立ち直らせるためにポパイは一計を案じる。戯画風の彼の顔が、鏡の上ではアカデミックなデッサン風になりかわったのだ。2つの表現様式を対比し、誇張描写でも「顔」と認識できる不思議を浮かび上がらせている。

ルイ・レオポルド・ボワイー『渋面』1830年代
痙攣性のねじれ、ひきつったような歪み。18世紀フランスで主流の写実主義によりながら、レオポルドは一枚の肖像画のうちに写実と誇張を溶け合わせた。

『カリカチュアと風刺画家』「彼らはジャン=ポール・サルトルを公然とバカにした」(抜粋)1992年
17枚の人物戯画の作者はバラバラ。表現方法や誇張部位は十人十色ながら、どれもサルトルのように見えてしまう。虚仮にするようなカリカチュアライズの意図も共通するようだ。

3)人相は真実の鏡、もしくはペルソナ
詐欺師のつり目。幼児の紅頬。老人の鉤鼻。
顔のパーツにキャラクター性が宿る。

上図:ロドルフ・テプフェール『クレパン氏』(1837年)
下図:「一人として同じ鼻の、顎の、横顔の人間はいない。」『自画石版試論』1842年
マンガ家テブフェールの作品。上図では、頭蓋骨の形からその人の人格が読み取れるとする骨相学者が貴族を騙そうとしている。テブフェールは顔のパーツひとつではなく、パーツの組み合わさり具合によって人相が浮かび上がると主張した。下図は横一列ごとに全く同じ鼻、同じ顎を持つ人物像が鼻や顎以外のパーツを組み替えられて並んでいる。顔の下には「賢い」「迷信深い」などのラベルが貼られている。

『ミッキーとジョー・バイパー』(1938)より
まどろむ目、穏やかな眉、ずんぐりむっくりな巨体の間抜けな風貌をしたこの犬は、強盗を繰り返す凶悪なギャングである。マンガ家は悪人のステレオタイプからは程遠い顔つきを描くことで、読者の裏をかき物語を意外な展開へと導く。

ビン・ラディンの目
その人の顔の一部が、心の中を見せているのか、それともうまくごまかしてるのかはわからない。それでも私たちはマンガを読むように、ついその人の顔つきや表情で性格を想像してしまう。グルンステンは『線が顔になるとき』で「例えば、ビン・ラディンは、世界でもっとも優しい目をしてはいなかっただろうか」と問いかける。松岡はマーキングで「That’s right!」と共感していた。

4)顔には喜怒哀楽が畳まれている
顔、目、口、鼻、手、動作、身振り、眼差しが線描されると、
そこに感情を読みとるのが人間の性。

シャルル・ルブラン『情念の描き方』「泣くこと,悲しむこと」(17c)より
17世紀のフランス画家のシャルル・ルブランは、顔を分割、分解し、視覚文法のようなものを示した。図版は『情念の描き方』の泣き顔と怒り顔の対比。顔に基準線を引いて比較することで、どのパーツが感情をあらわすがわかる。作者は眉毛が情念をもっともはっきりしめすと考えた。

グィド・クレパックス『O嬢の物語』1975年
エロティックな物語を描くイタリア漫画家のグィド・クレパックス『O嬢の物語』では、ヒロインの恥辱や恍惚の感情が、白目をむいた表情から伝わってくる。クレパックスは、ヒロインの魂を裸にするために、表情の微細なニュアンスを細かく刻みこむ。途中にはさまる男の冷徹な目が、女の異常な精神状態や自己喪失を浮き彫りにする。

ジジェ「フレンチコネクション」『ピロット』1972年より
ベルギーの漫画家のジジェは、言葉のない簡潔な身体表現で状況を描きだす。図版では、中国訪問にむけて中国通のマルロー(左)からレクチャー(右)をうけるニクソンの様子が、カリカチュアで描かれている。ニクソンの冷静沈着な態度とマルローの熱心さの対比がユーモアをうむ。

5)句読点としてのクローズアップ
クローズアップの分節化は、時間の移り変わり、キャラの個性化、
リズムのメリハリ、意味の深化をもたらす。

ロドルフ ・ テプフェール『アルベールの物語』1845年
マンガ史上はじめての近接ショットとされている。肖像画のように仕切られた配置は登場人物を枠線で囲む表現への第一歩といえるが、間近で見るための注意の集中や運動を徹底するまでにはいたっていない。

ジョージ・クルクシャンク『歯痛』(部分)1849年
クローズアップという方法は当初、何かの事件や病気に見舞われた顔をカリカチュアライズして、化け物のように描き、鋭い社会風刺の意図をこめるためにしばしば用いられた。

ホセ・ムニョス『アラック・シナー――邂逅』1984年より
クローズアップは当初はバンドデシネにおいて「句読点」として多様されるようになる。つまり、クローズアップによってページ全体をにリズムや多様性をもたらした。その後、クローズアップの手法は、絵画や映画における冒険とも併走しながら、ときに極大化された顔のドラマをも生み出した。

ルイス・トロンダイム『精神分析』(1990年)より
潜在マンガ工房(ウリポ)の作家の手による本作は「図像反復(イテラシオン)」という、さながら句読点だけの文を書くような実験的技法が果敢に試されている。

6)顔に命が宿るとき
カリカチュアは、不気味さや恐怖の中にも美しさがあらわれる。
部分の組み合わせが顔になるとき、生命を感じるからだ。

フレデリック・パヤク『大いなる孤独』1999年
フレデリック・パヤクによるニーチェとパヴェーゼ。『大いなる孤独』の表紙にも使用された。写実的な描写の中で唯一誇張して描かかれた鼻を持つ頭部は、解読できない表情で彼らを睥睨している。ニーチェが理性を失い、パヴェーゼが自殺したことを知る者には、二人が不気味さや恐怖そのものを抱えているように見える。

上図:アル・カップ『リル・アブナー』1934年8月~1977年11月
下図:バジル・ウォルバートン「ハイエナ・レナ」1946年
漫画『リル・アブナー』に登場する、世界で最も醜い女性ハイエナ・レナ。周囲から怖れられる彼女の顔は、作中には描かれない。女性への憧憬から作者のアル・キャップは、醜い姿を描かなかった。後に彼女の姿を募集するコンクールで、バジル・ウォルバートンの作品が選ばれる。美しさだけを追求する芸術を嘲笑する、豊かな醜さの表現に賞賛の声が寄せられた。

エルジー・シーガー『ファニー・フィルムズ』1933-34年
『ポパイ』の作者であるシーガーは、新聞マンガ「Funny Films」で、切り貼りした複数の顔を横長の帯状にして、映画のフィルムのように次々と変えていく遊びを提案した。たとえ同じ頭、耳、頬、帽子、ネクタイであっても同じ人物にならないのは、部分と部分の関係にこそ意味が宿るからである。現に右の図(大泉健太郎作図)は太った松岡正剛にもみえてしまう。

TOPページデザイン:穂積晴明
セイゴオイラスト:小島伸吾
図版構成:寺平賢司・梅澤光由・大泉健太郎
中尾行宏・桑田惇平・齊藤彬人・上杉公志


⊕『線が顔になるとき――バンドデシネとグラフィックアート』⊕
∈ 著者:ティエリ・グルンステン
∈ 訳者:古永真一
∈ 編集:伊藤桃子
∈ 協力:赤塚若樹
∈ 装幀:田中伸弥
∈ カバーイラスト:吉田りさ
∈ 発行者:渡辺博史
∈ 発行所:人文書院
∈ 印刷:創栄図書印刷株式会社
∈ 製本:坂井製本所
∈ 発行:2008年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ もくじ
∈ 序章
∈ 第一章 人の顔を描く
∈∈ 個と種
∈∈ モデルにもとづいた肖像画とオリジナルの肖像画
∈∈ 性格と戯画
∈∈ 類似性のパラドックス
∈ 第二章 役柄にふさわしい顔 
∈∈ マンガと観相学
∈∈ 類型化と解読
∈∈ 他人になりすまして自分を描く
∈∈ 「カワイイ」――最新型の幼形成熟
∈ 第三章 情念の表現 
∈∈ 恒常的でないものを表す記号
∈∈ 表情の豊かさを表すコードとその解釈
∈∈ テプフェールの法則
∈∈ 表現の限度と補助
∈∈ 過度あるいは不十分
∈∈ 「存在感」の問題
∈∈ おもしろい顔とは?
∈∈ 人の姿に似せること
∈ 第四章 クローズアップの活用
∈∈ クローズアップの攻撃性
∈∈ クローズアップの歴史
∈∈ なぜ接近するのか?
∈ 第五章 図像遊戯
∈∈ 生命の表現
∈∈ 不気味なもの
∈∈ 醜女と愚者
∈∈ 顔が消えるとき
∈∈ 略伝
∈∈ 訳者あとがき
∈∈ 注
∈∈ 参考文献
∈∈ 図版一覧

⊕ 著者略歴 ⊕
ティエリ・グルンステン(Thierry Groensteen)
1957年ベルギー生まれ。『バンドデシネのシステム』で博士号取得(トゥールーズ第二大学)。『カイエ・ドゥ・ラ・バンドデシネ』誌やバンドデシネの専門誌『九番目の芸術』の編集に携わり、CNBDI(国立マンガ・映像センター)のディレクターを務めた。『タンタンの笑い』、『未確認文化物体』、『パンドデシネ使用法』などマンガに関する著作も多く、各種イベントの企画、大学で教鞭をとるなど、精力的に活動している。

⊕ 訳者略歴 ⊕
古永真一(ふるなが・しんいち)
1967年東京生まれ。『ジョルジュ・バタイユ、供犠のヴィジョン」で博士号取得(早稲田大学)。現在、早稲田大学文学学術院非常勤講師。訳書にジョルジュ・バタイユ『聖なる陰謀』(共訳、ちくま学芸文庫)。マンガに関する論文は「バンドデシネ・アヴァンギャルド研究——マルタン・ヴォーン=ジェイムズの『檻』について」、「グラフィック・ノヴェル/バンドデシネ研究——エドモン・ボードワンの美学」(『ETUDES FRANÇAISES』誌)など。