才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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格闘技の科学/武術の科学

吉福康郎

ソフトバンククリエイティブ 2011・2013

編集:石井顕一
装幀:ビーワークス

 日く、突きは重く、打ちは鋭い。曰く、ブルース・リーのジークンドー(戴挙道)の構えはフェンシングに近い(後ろ足の踵を浮かす)。日く、脇を締める空手の正挙、脇を空けて腕を回すボクシングのフック。曰く、合気道は問合いを奥に引き、詰めを外す。
 曰く、耐える筋肉と攻める筋肉は別である。日く、キックボクサーの蹴りは野球のバットの振りをはるかに上回る。日く、中国武術や日本の古武道は「気」の動向にプラマイの陰陽を付けまくる。日く、イチローの打法は二重振り子だ。日く、強打のためには挙(こぶし)と手首と腕を連続的に捩る必要がある。
 日く、あらゆる打撃は「力積の物理」にもとづく効能で説明できる。曰く、剣道の握りは左右の手を互いに逆向きで締める。曰く、僅か3センチの間(ま)で相手を打撃する寸勁(すんけい)こそ武術の極意だ。曰く、筋トレでは「動かす」よりも「止め」を鍛えるべきである。曰く、アメフト型のボブ・サップの突進力はミルコ・クロコップのキック力の半分にも及ばない。日く、関節技では「回転」と「併進」を重ねたい。日く、打撃は「打つ」よりもすばやい「抜く」で決まる。

 この手の穿った話は、格闘技番組のコメントにもその手の解説書にもしばしば登場する。訳知りでトリビアルだから、聞きおぼえのあるものも多い。ふーん、そういうものかと思いながらも、その是非を確かめるすべもなく、あらかた打っちゃったままになる。
 だいたいテレビで武道や格闘技を見ているときは、見ているこちらもそこそこアドレナリンに見舞われているのだから、昂奮しすぎて決め技の細部などわからない。動画が再生され、解説者がそれらしい説明をしているのを聞いても、その場かぎりの達人性が残映するだけだ。
 それが最近、井上尚弥のボクシングタイトル戦の中継を何度か見ていて、ちょっと待てよ、あれは何だ、めちゃくちゃ理に適っている、あの井上の打ち分けには究極の技があると感心するようになり、そこでノニト・ドネア戦、マイケル・ダスマリナス戦、ポール・バトラー戦などの録画を見ながら、その手の本の何冊やウェブの記事に目を通してみたのである。
 目を通したから井上の極技の秘訣が解読できるわけではないし、といって東京新聞記者の森合正範のドキュメント『怪物に出会った日』(講談社)などを読んでも井上の驚くべき多重多様な技の秘密などほぼわからなかったのだが、それでもこの手の話をめぐる本をどこかで千夜千冊したくなった。

 本書は、伝統武術や格闘技の決め技を、物理学者でもある吉福康郎がみずから少林寺拳法などの武道を体験しながらなんとか理知的に解明しようとした初心者用の解説書である。
 初心者向けだから井上尚弥クラスのエクセレントな格闘家がもつ「凄み」を解くにはまったく至らないのだが、とはいえ格闘技のベースにどういうモジュールが粗み立てられているのか、一連のスキルはどこまで分解できるのか、そういう基本は見えてくる。
 たとえば柔道の「隅落とし」(以前の「空気投げ」)で何がおこっているのか、「腕ひしぎ十字固め」から逃げられない理由、「膝蹴り」と「首相撲」が高速の一蓮托生であることなど、有名な決め技の数々が「打つ」「圧す」「回す」「捻る」「止める」などの高速な合わせ技で成立していたことはすぐわかる。格闘技とは、人体が秘める多様な分解能を「加害」に向けて練り上げたものだったのである。
 武術や格闘技が体の機能や筋肉の分解能を練り上げたものであるとするなら、これは編集術でもあった。ただし「加害」のための技能から発してきたので、編集術としては「減害」も心得ていなければならなかった。こうして、加害と減害のための「奥義」が発達した。

 著者の理論はスポーツ科学一般というよりもバイオメカニクス(biomechanics)にもとづこうとするもので、運動力学を編集的に体の動きにあてはめている。生物体の構造や運動を力学的に解析して、これを材料工学や流体設計にいかそうというのがバイオメカニクスである。ここからロボットに応用するバイオニクスやバイオミメティクスなどが派生した。
 このバイオメカニクスを人体の動きに適用すると、身体の重心の移動性、接地面との反応力、関節モーメントの分解度や連動性などが推測できる。はたして武道や格闘技の奥義の説明にどこまで妥当できるのかはわからないが、それなりの説得力がある。少なくとも筋トレをする者にはもってこいだろう。
 ただし多くの格闘家たちはこれらをリクツで理解しているわけではなく、あくまで徹底した反復稽古でものにしていくのだろうから、格闘技の決め技の極意はカール・ゴッチやヒクソン・グレイシーにもほとんど説明がつかないにちがいない。
 格闘技の細部を知りたければ、最近はユーチューブに腕自慢の格闘家たちの手合わせ動画や極意の解説動画などがおびただしくリリースされているので、そちらを拾ってみるのがわかりやすいかもしれないが、吉福のように力学や図解を援用していなので、結局は煙にまかれるばかりの印象になる。
 森脇雅人がプロデューサーとなり、岡田准一がホスト役をしている「明鏡止水〜武のKAMIWAZA」というよく出来たNHK番組があって、ぼくは好んで見てきたが、しかしこれまた名人達人の御披露番組なので、肝心のところはわからない(岡田准一は何かを摑んでいるようだ)。
 というわけで、今夜はとりあえず初心者向けの本書をとりあげた。ちなみに同じ著者に『格闘技「奥義」の科学』『武術「奥義」の科学』『スポーツ上達の科学』(いずれも講談社ブルーバックス)などがある。スポーツ全般なら宮西智久が編集した『スポーツ・バイオメカニクス』(化学同人)がある。

二刀流は片手握りのため小さなトルクしか発生せず力負けしやすい。しかし、その防御範囲の広さを活かした戦い方がある。まず、下段の構えで中段や上段の攻撃を誘い、二刀で柔らかく受けとめる(図1a・1b)。このとき、相手の刀を押さえる位置関係が生命線だ。なるべく切先を自身の鍔元で押さえる。そうして捌きつつ(図1c)、もう一刀で切り掛かれば勝負ありだ(図1d)。
『武術の科学』P.82より

手刀一閃、ビール瓶の口が吹き飛ぶ演武を一度は目にしたことがあるだろう。じつは、手刀の当たった部分を「切る」のではなく、根本を「叩き折っている」。口の直径を細くし、水やビールを入れて重くすると、より小さなトルクで折ることができる。手首近くにある硬い豆状骨に当てることもコツだ。
『格闘技の科学』P.156より

ボクシングのストレート(左)と空手の突き(右)は何が違うのか。ボクシングはあごのところに構えた拳を、体を大きく回しながら突く。いっぽう空手は腰に構えた拳を、体が的に正対するまで回して突く。構えと拳のひねり、目標を突いた瞬間の体勢が大きく異なるのだ。ただどちらも拳をひねる理由は、上腕骨を前へ押し出す大胸筋が、「脇を締めて」ひねったほうが力がでる構造だからだ。
『格闘技の科学』P.75より

図は柔道の受け身のプロセス。落下したときに手と足で強く畳をたたくことで、頭部と胴体の落下速度を小さくしている。受け身の原則は次の3つだ。①頭部(脳)と胴体(内蔵)に力が加わらないようにする。②衝撃を受け止める面積を大きくする。③衝撃を受ける時間を長くする。
『格闘技の科学』P.151より

手首を極めるだけでなぜ投げられるのか。前腕は「尺骨」と「橈骨」という2本の骨でできている。小指側にある尺骨は、ひじ関節で上腕骨とつながっていて、ひねる動きができない。ひねりの可動領域は親指側の「橈骨」が担っていて、「尺骨」のまわりをねじれながらまわる。橈骨がひねりの可動限界に差し掛かったときに、尺骨にひっかかり前腕全体が極まって倒れてしまうのだ。
『格闘技の科学』P.130-132より

素手よりもグローブのほうが安全とはかぎらない。グローブを装着することで、拳と顔面の接触面積が増え、圧力(=衝撃力÷接触面積)が大幅に低下する。しかし、拳はバンデージとグローブで補強されることで手首が安定するため、全力でパンチをだせる。結果的に重いグローブを使用するほど、衝撃力の最大値も力積も大きくなるため、殴り合った場合、素手よりも致命傷になるほどの脳へのダメージを与える可能性が高くなる。
『格闘技の科学』p.57より

 さて、あらかじめ断っておくけれど、ぼくには武術や格闘技の素養はまったくないと思われたい。経験もひどく乏しい。中学のときに銭湯で顔見知りになった屈強なお兄さんに「空手、やってみない?」と声をかけられたのだが、そのときその道に飛び込めなかったことがアダで、以来ちょんちょこりんのままなのだ。
 それでも少しだけ、縁があった。多少の濃いめの体験もあった。せっかくなので、いくつか思い出しておく。ついでにぼくの武道・武術観や格闘技観の一端を添えておく。申し訳ないけれど、今夜はこの話でお茶を濁すにとどめたい。詳しいことは、小学生のころからのプロレス・フェチだった寺平センセン隊の図版解説を参照してほしい(寺平は小学生のときすでに、毎週後楽園ホールの展示物やグッズ売場に通っていたらしい)。

 (イ)子供時代は父の影響で相撲とラグビーが好きだった。栃錦・若乃花時代だ。父は初期の高校ラグビーで全国優勝をしたときのフルバックだった。白井義男のボクシング、力道山のプロレス、立教大学のバスケット(斎藤のプレー)、山中毅の水泳にも夢中になった。
 (ロ)高校が柔道と剣道と水泳を正課にしていた。九段高校には柔道場も剣道場も温水プールもあって、そこで受け身にも竹刀(しない)にも浮き身にも慣らされたのである。いまふりかえると、柔道の「引き手と吊り手」の同時的関係がことのほか重要だったことを思い知らされる。
 本書に何度も出てくる「トルク」の感覚も、高校の授業の中で掴んだような気がする。トルク(torgue)は運動力学用語で、固定された回転軸のまわりにはたらく力のモーメントのことである。格闘技では、相手のどこかを固定させながら(あるいは支点としながら)、そこに「回転を伴う打撃」や「掴みながらの捩りや捻り」を瞬間的に加えることによって、相手がこらえる体勢を崩壊させることが多いので、さまざまな技でトルクが生きているのである。強烈なキックやブレーンバスターでもトルクが生きる。
 (ハ)湯野正憲先生の剣道道場で何度か教えを乞う。入口に掛けられた「鳴らぬ先の鐘」という釣り鐘を軽く叩いて心を鎮めてから道場に入るのだが、お前は心で聞いてないと叱られた。
 (ニ)早稲田時代に合気道の部室にちょくちょく通った。このとき植芝盛平を知った。大いに驚いた。植芝盛平は明治16年の田辺生まれで、日露戦争の兵役検査で身長不足で不合格になったことに発奮して、さまざまな修練を積んだ。僅か158センチの短躯だったが、すさまじい闘志をもっていた。断食・水行・柔道をへて坪井政之輔の柳生心眼流、武田惣角の大東流を修得すると、一転、北海道開拓の事業支援に向かい、その後は大本教の出口王仁三郎に出会って意気投合し、やがて独自の合気道を創始した。聞きしに勝る武勇者である。
 (ホ)とはいえ学生時代は、なんら体を鎩えなかった。せいぜい街頭ジグザグデモで汗をかいた程度だ。「健康」や「優良」が嫌いだったのだ(その報いをいま受けている)。そのぶん、むしろ奇妙な体の表現力に惹かれた。キックボクシングの沢村忠と暗黒舞踏の土方巽(976夜)が神さまだった。

 (へ)坪井香譲から新体道や呼吸法を教わった。坪井さんに出会わせてくれたのは稀代の音楽プロデューサーの間章(あいだ・あきら、342夜)だ。インプロヴィゼーションを得意とするサックス奏者やトランペッターやドラマーたちが坪井エクササイズに通っていた。土取利行のパーカッションに惚れた。新体道は中央大学空手部だった青木宏之が創始したもので、ぼくも坪井さんから「遠当て」(とうあて)を何度も試された。
 (ト)麿赤児、田中泯、笠井叡、刺使川原三郎と出会い、エリゼ・クリンクからオイリュトミーへの参画を奨められた。踊り手が格闘家に見えたのだ。いまも森山未來のダンスや芝居にぞっこんだ。 
 (チ)武智鉄二(761夜)・観世寿夫(1306夜)・戸井田道三(1639夜)らの芸能観に導かれて、日本的芸能者の体の動きに関心をもった。このとき武道と芸道が不却不離であることを確信できた。他方、ジョン・ケージ、ナムジュン・パイク(1103夜)、高橋悠治、アナ・ハルプリン、小杉武久、マース・カニングハムからは「システムとノイズの相克」がやってきた。
 (リ)古武道を研鑽している甲野善紀が仕事場(工作舎)に訪ねてきては真剣片手に極意を披露してくれた。そのころは、中国から武道の達人が来日するとそのたびにぼくのところに技を見せにきた。誰かが「松岡は武道に詳しい」というデマを撒いたにちがいない。
 (ヌ)寺山旦中に剣禅と書禅を教わった。寺山師は大森曹玄門下で直新陰流(じきしんかげりゅう)の免許の持ち主であり、墨跡と文人画の研究者でもあった。おかげで少しは筆が使えるようになった。一方、樋口雅山房から森田子龍・井上有一の書を見せられ、腕と手の伏抑(ふぎょう)の動きに魅せられた。
 (ル)マーシャルアーツの日本チャンピオンだった風間健といろいろな仕事をともにした。ブルース・リーの関係者を紹介されたり、多度津の少林寺拳法の本部に連れていかれたりした。その後、坪井さんや風間さんにはビジネスマンの研修会の講師にもなってもらった。

 (ヲ)リングス時代以降の前田日明とかなり親しく付き合った。これを機会に久々にプロレスを見るようになった。アレキサンダー・カレリンとの引退試合は横浜アリーナで堪能した。その後の前田は「武道通信」に力を入れ、さかんに哲学書や歴史書を読み恥っていた(かなりの読解力の持ち主だ)。ぼくも「武道通信」の連載を引き受けた。以来、前田とはさまざまな場面でステージなどをともにした。
 (ワ)バーリトゥードや異種格闘技やUWFやK1を見て、ルスカ、アーツ、フョードル、クロコップ、吉田秀彦らに関心をもった。ちなみにアントニオ猪木やタイガーマスク時代のプロレスにはあまり夢中になれなかったのである。プロレスがおもしろくなったのはUWFや前田日明との出会い以降だが、それもリングス中心だった。その後、船木誠勝、鈴木みのる、柴田勝頼らを贔屓にした。
 (カ)40代前半に胃癌になって、胃の5分の4ほどを切除した。このとき腹を23センチ縦切りにされたため、腹筋が切断された。以降、ぼくの体はいろいろ問題をおこす。そんなこんなでしだいに身体観に変化があらわれて、あらためて武道やスポーツを巨視的にも微視的にも眺めるようになった。その後、肺癌に3度かかり、長年にわたる過剰な喫煙のせいもあり、いまは一日に3回は酸素ボンベからの吸入をしないといられない。
 (ヨ)今井秀実さんに呉式大極挙の稽古をつけてもらった。肺癌で少し中断してしまったが、これは松岡事務所や編工研のスタッフがいまも稽古中である。今井さんの身体活動観はたいへんに身に沁みる。
 (タ)いまなおアスリートや格闘家の抜群の技量やそのための研鑽努力には強い共感が動く。井上尚弥はその代表だが、それ以前から気になってきたプレイヤーは少なくない。たとえば力石徹のモデルとなった極真空手の山崎照朝の構え、マイケル・ジョーダンの伸縮自在な切り込み、アイルトン・セナの苛烈で複雑なドライビングテクニック、立ち会い直後の千代の富士の小指の前褌(まえみつ)摑み、イシンバエワの棒高跳びの「しなり」、スケートの清水宏保のコーナリング、ハンマー投の室伏広治の独自練習法、ウィルキンソンのドロップゴールの決め方、ヴォルク・ハンのサブミッション、山本キッド徳郁一家のスピリット、マニー・パッキャオの異様な反射神経、メッシのフェイント・ドリブル、魔娑斗の逆襲性、殺傷シーンのために鍛えた坂口拓の「ウェイブ」、キリアン・エムバベのゲーム感覚などなどだ。

 ぼく自身の好みに発する思い出話はこんなところだが、あらためて憶うに、ずうっと武道や格闘技には親しみをもって接してきたのは、どうしてだったのだろうか。また相撲、ボクシング、柔道、ダンス、書道、ムエタイ、プロレス、京劇、剣道、パントマイム、空手、楽器演奏テクニック、アルティメットなどを早くから相同視するようにしてきたのは、どうしてだったのか。リクツではなかったような気がする。
 それにしてもあらためて思うのは、格闘技や武道というもの、なぜこんなにも人を惹き付けるのかということだ。そのルーツはどう見ても「殺害」なのである。究極の暴力行使なのである。打倒であって、加害なのである。
 それが争闘の戦士としての相互訓練を経て、闘技場でのレスリングや刀剣試合に変化して、勇士たちを称えるギャラリー(観衆)をつくっていった。このギャラリーが格闘技のライブに熱中した。やがて軍役と風土と体型にもとづいた各種の競技団体が生まれ、プロモーターが活躍し、マッチメイクが工夫され、ファイトマネーが吊り上げられていった。
 それだけではない。レスリング、ボクシング、フェンシング、柔道はなんとオリンピック種目にもなった。格闘技は細目ルールがさまざま加わって公共スポーツになったのである。そのぶん、まさに柔道がそうであるが、体重別・効果点・時間制限などで「一本勝ち」が遠のいた。
 これでよかったのかと、しばしば想う。「小よく大を制す」は残っているべきだったのである。バスケットやバレーボールは身長制限がないから痛快なのだ。

 格闘技はノックアウトかギブアップによって決まるはずだった。そこには勝利の美酒とともに言い知れぬ屈辱が伴った。それがいまでは半分以上が「判定」でも勝負を判じるようになった。「殺害」はしだいに息をひそめるようになったのだ。
 当然、退屈な試合がふえ、勝敗に疑問がのこるようになってしまったのだが、それでよかったのか。このままでは「ファイティング」を見ているのか「レフェリング」を見ているのか、わからなくなりつつある。
 それでもショーマンシップを含めて、格闘技はなおギャラリーを惹き付けている。そのぶん、格闘家たちは今日もまた加害技倆の研磨に余念ない。
 最後に一言、付け加えたい。武術的な技は武術の技攻防の優劣にあるとはかぎらない。多くの技能が加害的編集術から派生したわけでもない。武蔵(443夜)が『五輪書』に示したように「拍子」(リズムあるいはビート)のとりかたそのものだって技なのである。ということは、実はダンスも三味線もピアノも、そもそもが同根の格闘技だったのである。アーティキュレーション(関節や分節)を決める編集術だったのである。

1)攻防一体

ブルース・リーが映画《燃えよドラゴン》で披露したジークンドーの技「パクサオ」は、受けと反撃を一動作で行う。前腕の接触点の力の動きから相手の攻撃を読み取ることで、相手の腕を叩き落とし、顔面パンチを打ち込む。動画は映画《燃えよドラゴン》(1973)で、リーが姉の仇である宿敵オハラと格闘するシーン。リーが圧倒し、最後の強烈なキックによってオハラは絶命する。

ボクシングの井上尚弥の強さは、攻撃と防御がひとつの流れになっている点だ。 打ったら動いて相手の攻撃をかわし、なおかつ即追撃できるカタチになる。打つ前の動作、打つ、かわす、追撃態勢まで、複数の動作がすべて合わさって“1”なのだ。動画はファン・カルロス・パヤノとの一戦(2018年10月7日)。井上の左ジャブからの右ストレートで勝負は決したが、打った直後に追撃のために高速で右サイドへ回り込んでいる。

2)脳をゆらす

首相撲によって前屈させられると、頚反射によって背中を反らすことが難しくなる。さらに手前に引く力で膝の相対速度が速くなる。膝蹴りは相手の脳を揺らし大ダメージを与える。動画はヴァンダレイ・シウバ(左)とクイントン・“ランペイジ”・ジャクソン(右)の一戦(2003年3月『PRIDE.25』)。シウバが膝蹴りの連打を繰り出し(計22発)、ジャクソンは崩れ落ちた。凄惨ともいえるKO劇はいまでも語り草になっている。

ボクシングの世界ではストレートよりも横軌道のフックのほうがダウン率が高いといわれる。当たると頭部が横向きに急回転することで脳が強く揺さぶられて、かすっただけでも大ダメージになるためだ。しかし正確な技術と距離の見極めがないと当てることが難しい。動画は、フィリピンの英雄マニー・パッキャオとリッキー・ハットンの映像(IBO世界スーパーライト級、2009年5月2日)。パッキャオのコンパクトな動きから繰り出されるフックはハントンの顎を捉えているが、ハントンの大振りの左フックが空を切っている。

3)つかむ・極める

相撲はまわしを取ったほうが断然有利になる。取ったまわしを自身に引き寄せれば、相手の腰が伸びて踏ん張りが効かなくなる。さらに身体を浮き上げたなら、相手はなすすべがなくなる。「まわしは小指から取れ」という相撲の格言がある。小指をしっかりとまわしに入れれば力が入るうえに、切られにくくなるからだ。横綱千代の富士は、この格言を徹底したため、小指の爪は擦り切れて切る必要がなかったという。動画は千代の富士が寺尾を破ったときの取り組み(1989年11月16日)。決め手の「吊り落とし」は滅多に見ることができない大技だ。

腕ひしぎ十字固めは相手の腕を捉えてひじを限界まで伸ばす技で、一度極まると逃れることは非常に困難だ。左図にあるようにひじが伸び切ると、曲げて戻そうとする回転力=トルクが小さくなるためだ。さらに相手の前腕を内側にひねるとトルク発生の余地がなくなり、より一層逃れられなくなる。(トルクτ=力F × 長さL)。右の画像は「千のサブミッションを持つ男」の異名を持つヴォルク・ハンが腕ひしぎ三角固めでブランドン・リー・ヒンクルを締め落としているシーン。(2000年6月15日、リングス『Millenium Combine II』)

格闘技の締め技は主に頸動脈を圧迫して脳への血流を止めることを目的にしている。脳は全体重の50分の1の重さでありながら、消費酸素量は全体の20%を占める。その供給が断たれると人は意識を失い、放置すれば死にいたる。写真は400戦無敗のヒクソン・グレイシーのチョークスリーパーで、パンクラスの船木誠勝が失神する直前のシーン(「コロシアム2000」2000年5月26日)。

4)トルクの破壊力

1964年の空手大会で1インチパンチを披露するブルース・リー。突きの力の大きさは、肩の回転に集約される。わずか1インチ(約2.54cm)の距離のうちに、脚の捻りや腰の回転力を肩に結集させることで、肘を伸ばしきった状態でも強力な突きを放つことができる。

アクション俳優の坂口拓は、主演映画やYoutube動画などでたびたび格闘術「ウェイブ」を披露している。「ウェイブ」は肩甲骨や腰の円運動で力を発生させ、それを波のようにして相手にぶつける技。パンチやキックに加えて剣術や防御にも応用でき、密着状態での戦闘での殺傷力を高める。ちなみに映画《狂武蔵》で主演をつとめた坂口拓は、77分間ノーカットで400人を相手取り殺陣をおこなった。随所に「ウェイブ」の動きをみることができる。

かかと落しは大振りの技のため相手にかわされやすい。しかしかかと落しの名手アンディ・フグは脚の軌道を直線ではなく楕円にすることで相手の不意を突いて当てていた。動画はアンディ・フグが村上竜司にかかと落としを炸裂させたときの一戦(K-1 illusion 1993年9月4日)。左足で蹴る場合は逆方向の右に足を振り上げ、左方向に振り下ろす途中で相手に当てる。視界から外れやすいとされる空手の後ろ回し蹴りに似た軌道を描いている。

上画像は初代タイガーマスクのローリングソバット。いわゆる跳び後ろ蹴りで、アクロバティックなプロレス技だった。しかしタイガーマスクの正体である佐山聡が格闘技路線にすすむなかで、ローリングソバットが回転によって、人体の弱点であるみぞおちを高速で蹴ることができる技であると気づき実践した。下の動画は佐山のローリングソバット。ときおり意表を突くように顔面にも喰らわしている。「魅せる」技が「加害」の技へと変貌した。

5)動きの流れ

動画は合気道の達人、植芝盛平が相手を連続的に投げる貴重なモノクロフィルム。合気系武術は、相手の力にまともに逆らわず、虚をつく力をかけることで相手の重心をあやつる。対峙する者の体勢が固まることを「居付く」というが、相手が力をかける手がかりを失わせるために、居付いた状態をいかに素早く次の居付く状態に変化させるかが重要になる。

呉式太極拳の達人、馬岳梁の推手(すいしゅ)の動画。推手とは相手と手を合わせて様々な型で推しあうことで鍛錬する方法。手から伝わってくる動きの流れを感知しながら、互いに前後左右に重心を移動しあい、ひとつの動きの流れを共有する。動画のように達人クラスになると、軽やかな手で相手を飛ばしたり崩したりすることができる。豪徳寺で松岡事務所と編工研スタッフに稽古をつけてくれている今井秀実さんは、馬岳梁の孫弟子にあたる。

日本刀で切る条件の一つは「刃筋を立てる」ことだ。刃の向きと刃の進む向きが精密に一致しなければならない。胸・肩・腕の筋肉と手を連動させて、刀の進行方向を制御して切る。動画は剣武天真流の青木宏之氏による試斬のシーン。切った竹の切断面はきれいな平面になっている。

甲野善紀が「影抜き」を実演する様子。袈裟に切り込んで、相手の刀(目標)に当たる直前で刃を真上に跳ね上げ、通り越したところで元の刃筋に戻る。基本動作の重ね合わせで成立する技だ。人間の脳が目に入った情報を認識するまでに0.1~0.2秒のタイムラグがある。そのため、先の動きを予測して脳内で処理された映像では刀が目標をすり抜けたように見える。認知科学ではこの現象を「フラッシュラグ効果」と名付けている。

6)投げの科学

柔道十段の三船久三が開発した「空気投げ」は、足で刈らずに両腕だけで相手を投げる技。両足と体幹から生まれる大きな力を腕に伝えることで技が可能になる。現在では「隈投げ」と呼ばれ、2000年のシドニーオリンピック柔道60キロ以下決勝で、野村忠宏が韓国の鄭富競に決めたことでも知られる。

上の画像は“格闘王”前田日明に“霊長類最強の男”アレクサンドル・カレリンが「カレリンズ・リフト」を炸裂させた場面(前田日明引退試合 1999年2月21日)。「カレリンズ・リフト」は、背後から相手の胴体をクラッチし、側方に反り投げる技。アマレスではポピュラーな投技だが、相手の体重+抗う力を上回る力がないと実現しないため、130kg超の重量級でなんなく技を繰り出すカレリンの存在は前代未聞だった。受ける側は頸椎に多大なダメージを受けるので、カレリンに背後を奪われた選手はこの技を恐れてそのままフォール負けを選んだ。下の動画は「カレリンズ・リフト」まとめ集。

TOPページデザイン:富山庄太郎
図版構成:寺平賢司・大泉健太郎・中尾行宏
桑田惇平・齊藤彬人・上杉公志


⊕『格闘技の科学』⊕
∈ 著者:吉福康郎
∈ 編集:石井顕一
∈ 装幀:ビーワークス
∈ 発行者:小川淳
∈ 発行所:ソフトバンククリエイティブ株式会社
∈ 印刷・製本:図書印刷株式会社
∈ 発行:2011年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ はじめに
∈ 第1章 打撃の科学
∈ 第2章 突き・パンチの科学
∈ 第3章 蹴り・キックの科学
∈ 第4章 つかみ・投げ・極めの科学
∈ 第5章 防御の科学
∈ 第6章 稽古・練習の科学
∈ 第7章 武器・実戦の科学
∈ 第8章 気の科学
∈∈ おわりに
∈∈ 参考文献
∈∈ 索引

⊕『武術の科学』⊕
∈ 著者:吉福康郎
∈ 編集:石井顕一
∈ 装幀:ビーワークス
∈ 発行者:小川淳
∈ 発行所:ソフトバンククリエイティブ株式会社
∈ 印刷・製本:図書印刷株式会社
∈ 発行:2013年

⊕ 目次情報 ⊕
∈∈ はじめに
∈ 第1章 武術とはなにか?
∈ 第2章 打撃の科学
∈ 第3章 剣術・居合の科学
∈ 第4章 武器の科学
∈ 第5章 歩法・体さばき・感覚を欺く科学
∈ 第6章 崩しの科学
∈ 第7章 気・心の科学
∈∈ おわりに
∈∈ 参考文献
∈∈ 索引

⊕ 著者略歴 ⊕
吉福康郎(よしふく・やすお)
1944年、滋賀県生まれ。東京大学理学部卒、同大学院理学系研究科(理論物理学)修了。理学博士(東京大学)。現在、中部大学工学部教授。専門分野は、スポーツ・バイオメカニクスと生命情報科学で、現在はスポーツ、特に格闘技や伝統武術の技の科学的解明のほかにヨーガと気功の実践も。おもな著書は『格闘技の科学』(サイエンス・アイ新書)、『武術「奥義」の科学』、『格闘技「奥義」の科学』(講談社)など。