才事記

涙のチカラ

坪田一男

技術評論社 2008

編集:宇治由紀子・伊東健太郎
装幀:中村友和

「行く春や鳥啼き魚の目は涙」芭蕉。
涙、洟、泪、なみだ。
泣く、哭く、唳いて、涕く、啾く、啼いて。
なぜ泣くと涙が出るのか。
哀しいから? 気がせいせいする?
何かの生理トリガーだから?
そもそも涙の成分は? 役目は? 動物の涙は?  
さかのぼれば、カンブリア紀に
目の誕生のルーツがある。そしていつしか、
動物たちは目に涙を浮かべるようになっていた。
以来このかた、涙はウィルスと戦い、
活性酸素とも自己免疫疾患とも戦ってきた。
そこにはアクアポリンの水チャネルもかかわっている。
今夜は涙の意外な力を案内したい。

 ぼくは泣き虫である。子供のころは母の唄ってくれる「ちんちん千鳥の泣く夜さは」といった童謡で泣き、小学校の遠足でうんこが半ズボンに垂れて泣き、壺井栄をたてつづけに読んで泣きじゃくり、青年になってチャップリンを見てもビビアン・リーを見ても森繁久弥(590夜)を見ても泣き、大学1年になってあんなに一緒の旅をしたはずの彼女に振られて、うっ・うっ・と嗚咽していた。
 それがずっとなのだ。大人になっても演歌やポップスに泣き、アスリートやプロレスラーに泣き、アニマルチャンネルの小動物の生涯にも、ナショジオでエクストリーム・ネイチャーに挑んでいる男にも泣く。おそろしいことに、何も一貫していない。小津安や衣笠で泣くならまだしも、あいかわらず森繁でもエノケンでも泣く。
 気持ちがよそを向いていたり、気分がディプレッシブになっているときに、泣くわけでもなさそうだ。
 たとえば人前で講演しているときも、予告なく胸が詰まってきて、目頭が熱くなる。西行(753夜)や心敬(1219夜)や西郷南洲(1167夜)について、或るイメージをもって話そうとするとうっ・うっ・となってくるし、グールド(980夜)や樋口一葉(638夜)の話をしめくくるときも、危ない。

連塾最終講「本の自叙伝」は、『草枕』を愛したグレン・グールドでしめくくった。

 いまはさらに涙もろくなっていて、お話にもならない。多田富雄(986夜)さんや石牟礼道子(985夜)さんの文章など、とくに危険だ。
 先日は能の『三井寺』の「物に狂ふも別れゆえ。逢ふときは何しに狂ひ候ふべき」の場面で、不覚にも落涙していた。まあ、何でもがヤバイのである。まったく困ったもんだ。
 もともと「哀しい」も「はかない」も好きなのだから、それは仕方がないのだが、それが人前での涙につながるのが、だんだんひどくなる。とくに最近は人が「けなげ」であることにめっぽう弱くなった。何かを一心に仕上げている姿や成果に、やたらに弱くなっている。これではかれらを激励さえできない。
 ぼくのスタッフは「歳をとって涙腺がゆるんだんですよ」と、とうてい慰めにもならない説明しかしてくれないが、本人はしだいに、これは後期高齢問題というより、大きな哲学問題か社会問題なんじゃないかと思うようになった。

能「三井寺」
子と引き裂かれた母親が狂女となり、三井寺にいけば子に会えると聞かされ、そこで鐘をつく。仏の霊験に導かれて再会を果たすというもの。

 ロラン・バルト(714夜)はラシーヌの芝居でみんなが泣くこと、とりわけ男たちが人目を憚らずに泣いていたことに関心をもち、時代社会と涙を流す習慣とに関係があるのかを調べた。
 17世紀のヨーロッパでは男たちが泣くのは当たり前だったのだ。この指摘に刺激をうけたアンヌ・ヴァンサン=ビュフォーは、18世紀のフランスでは涙を流すことが男にとっても女にとっても歓びや誇りでさえあったことを突きとめ、19世紀はそういう男女を描いた文学作品が目白押しになったことを調べあげ、かなりの時間をかけて『涙の歴史』(藤原書店)を書いた。フランスの事例ばかりではあるが、たいへんな力作だった。
 日本では、川村学園の日本文学研究者の今関敏子が構成編集をした『涙の文化学』(青簡舎)がある。アメリカ文学の安井信子、比較文学の山中由里子、民俗学の山本志乃、日本美術史の亀井若菜などが執筆していた。こちらも日本文化論から見ても、貴重な研究集成になっている。

ラシーヌの悲劇『フェードル』
(ドミニック・ブラン主演)

 たしかに時代社会とともに「涙の文化」の様相は変容してきた。マルセル・モース(1507夜)やマルセル・グラネや柳田国男(1144夜)がとっくに研究していたように、古代の部族たちには葬儀のときにはしばしば「泣き女」が登場していた。
 いや、そもそも古代ギリシアは悲劇をこそ用意していたのである。みんな泣きたかったのだ。スサノオは哭きいさちる神で、説経節は泣き節だったのである。きっとシェストフもニーチェ(1023夜)も鏡花(917夜)も、むろんシオラン(23夜)も島倉千代子も泣き虫だったのだ。
 これらのことは泣き虫擁護論としても、いずれまとめて考えてみたいことである。かの本居宣長(992夜)だって『排蘆小船』(あしわけをぶね)では、男ががまんして泣かないなんて「からごころ」のせいではないかなどという、得意の横車を押していた。

”泣き虫”の哲人たち
左上から、モース、グラネ、柳田国男、シェストフ、ニーチェ、泉鏡花。

 しかし、こういう議論は「哀しみ」とか「はかなさ」とか「けなげ」とは何かということについてなら、とても大きな問題にはなるだろうけれど、また、マッチョとフラジリティとを対決させるにはもってこいだろうけれど、それが「涙」につながることの説明にはなりそうもない。
 なぜ哀しくなると、耳ではなくて目に涙がたまるのか。なぜひとしきり涙を流すと気持ちが落ちつくのか、それでもいつのまにかなぜ涙は乾くのかといったことについては、哲学問題や社会問題をいくら持ち出しても、説明にはなりそうもない。
 ここは、やっぱり「涙の生理学」のようなものに登場してもらうしかない。

 本書の著者の坪田さんは、頑張っている科学者である。むろん眼科医だが、本人がそうとうのドライアイなのだ。それでドライアイ対策のために研究が深まっていった。慶応の医学部を出て、ハーバードで角膜フェローシップを取得した。
 屈折矯正手術では世界有数の腕っこきだと聞いている。戸田郁子センセイで有名になった南青山アイクリニックの立ち上げにもかかわった。『ドライアイクリニック』(医学書院)、『乾燥するカラダ』(宝島社新書)、『理系のための楽しい研究生活』(医歯薬出版)などという本も書く。なかにはタイトルがあやしい『ごきげんナースとごきげんドクター』(メディカ出版)などもあって、おいおい大丈夫かよと心配させるが、読んでみるとホッとする。温かい。
 が、今夜とりあげた『涙のチカラ』が一番のお薦めだ。本書は涙のABCからXYZまでがわかるようになっている。ただし、XYZのほうは最前線の涙腺科学でもわからないことが、けっこうあるようで、ほんとうの正体(作用)はまだ解明されてはいないことも多いらしい。それでも涙にまつわるABCからOPQくらいまでは、本書で見当がつく。

「JINS PC」の開発にも参加した坪田一男

 まずもって理解するべきなのは、いったいなぜ「涙」なんてものがあるかということだ。それがどうして「目」に付随したのかということだ。
 われわれヒトだけに涙があるわけではないので(かつての愛犬だったオモチャやリボンの潤んだ涙目が、ああ、懐かしい)、これはむろんのこと、動物の進化にかかわっている。なんといっても目という器官の変遷にかかわっている。
 そもそも目が生まれたのは6億年ほど前のことだ。生命はまわりの環境とともに発達してきた。ということは、まわりの環境変化にかなり細かな注意を払っていないと生きていけないということで、動物ではこの情報をキャッチするためのセンサーとして幾つもの感覚器をつくってきた。

動物の目

 最初に発達したのは匂いを判別する嗅覚で、ほんの数滴の分子があれば識別できる感覚器を工夫した。
 大半の動物は、われわれにはわからないが、まことに微妙な固有の匂いをもっている。フェロモンも出ている。それで匂いが重要な識別子となった。ヘビなどは一度嗅いだ相手のことは、何年たっても忘れないと言われる。だからヘビを棒でつつくと、そのヘビに生涯ずっと睨まれてしまうことになる。世界の神話や日本の神社には、そんな伝承がいっぱいだ
 嗅覚が動物進化の初期に発達したのは、光や音などの振動刺激が発生後にはなくなっていくのに対して、化学的な匂いには残像力が高いからである。それに、初期の生物は長らく暗い海で進化してきたので、光に対して過敏である必要がなかった。

 それが動物が上陸していくにつれて、様相が変わった。匂いの情報は風上にいたら不利になるし、いろいろ混じると分別しにくい。そこで陸上では聴覚が発達した。耳センサーができた。動物が動けばなんらかの音がカサカサ、サワサワとする。その微かな音をキャッチするようになった。
 こうして、嗅覚と聴覚をもとに動物の感覚器官は進化のたびに機能分化をはたし、あとは省略するけれど、そこにさらに皮膚センサーとしての触覚や、舌センサーとしての味覚や、重力センサーとしての平衡感覚などを加えていった。

ゲノムから予測した嗅覚受容体をコードする遺伝子の数
カメの嗅覚が異常に発達していることが最近のゲノム解析で明らかになった。(青色が水溶性の高い匂い物質への遺伝子数)

 が、進化の歴史で決定的だったのは、なんといっても視覚器官の登場だったのだ。「目」の登場だ。動物たちは互いに「見る・見られる」ことによって、さまざまなディスプレーさえするようになった。
 その決定的な画期が6億年前のカンブリア紀にあらわれた。正確には5億4300年前のことだ。本書では説明されていないのだが、これをおこしたのは三葉虫である(780夜のリチャード・フォーティを参照してほしい)。その三葉虫を含めたカンブリア紀の大爆発とともに、今日の開閉自在の「目」が誕生した。このとき「光スイッチ」という機能が生まれて、今日の目のモデルができた。「涙」もここに起因する。
 あまりに克明なので少々退屈するけれど、このあたりのことは、オックスフォード大学の異才アンドリュー・パーカーの『眼の誕生』(草思社)に詳しい。パーカーは、目の革新こそがその後の進化多様性の最大トリガーとなったと、仮説した。

三葉虫はトンボなど同じ複眼を持っていた
(右上)三葉虫の完全複眼
(右下)三葉虫の集合複眼

 目の進化についてごくおおざっぱにいうと、最も原始的な目の先駆体は「視細胞」である。表皮細胞の一部が変化した。ミミズなどの表皮にちらばっている(散在神経)。正体は光に反応する光受容タンパク質だ。
 この視細胞が集まると「眼点」になった。クラゲやプラナリアに特徴的に見られる。眼点は周囲の明るさだけを感じるもので、何かを「見る」わけでも「見ている」わけでもない。明暗を感じるだけだ。それでも動物たちはこれで光と闇のバランスがわかり、サーカディアン・リズム(日周リズム)をものにした。
 クラゲやプラナリアよりも進んだ目はカタツムリなどの腹足類でできる。まさに「ツノ出せ、ヤリ出せ、目玉出せ」だ。腹足類はすり鉢状にくぼんだところに視細胞と支持細胞を集めて「杯状眼」をつくった。このとき精度は悪いが、網膜スクリーンのようなものもできて、方向視ができるようになった。
 次に「窩状眼」ができて目の縁が小さくなり、光の入口に奥行きをもつ“くびれ”ができた。光が絞り込まれ、網膜にピントを合わせる機能が動き出したのである。これで形態視もできるようになった。
 続いてイカやタコなどの頭足類が「水晶体眼」をもった。表皮が陥凹(かんおう)して、そこに球形の眼胞が生まれると、ぽっかりピンポン玉のような中空の無血液組織が生じて、それが透き通ってレンズのはたらきをする水晶体になった。

(左)クラゲ:「感覚器」の部分に眼点がある
(右)タコ:水晶体眼のレンズ眼をしている。

 これらのことは、すべて先カンブリア紀までにおこっている。原理としては、光を神経インパルスに変換する受容細胞によって、どのようにタンパク質ファミリーとしてのオプシンをいかすかというしくみだ。
 オプシンはレチナール(レチンアルデヒド)と結びついてロドプシンをつくる。このロドプシンがやがて、桿体では暗所の明暗反応を担当し、錐体では明所の色具合を担当する。
 デザインのパターンでいえば、先カンブリア紀の段階で二つのアイディアが分岐したとみなせる。旧口動物(軟体動物・環形動物・節足動物)たちの目のデザインと、新口動物(脊索動物・棘皮動物)たちの目のデザインだ。
 旧口動物はオプシンを細胞膜の毛の上や突起状の微繊毛の上におき、新口動物は繊毛を発達させた。
 かくてここからカップ状の眼球が工夫され、これがついには皮膚を切り裂いて、瞼(まぶた)をつくると、そこにピンホール機能を生じさせたのだ。瞳孔、すなわち「円らな瞳」がこうしてできあがった。これらがカンブリアの大爆発とともに出現した三葉虫の「光スイッチ」をトリガーにして、複合的に組み立てられてきたのである。
 ただし、どうしても工夫しておかなければならないことがあった。目は乾いてはならなかったのだ。潤んでいなければならなかったのだ。

先カンブリア時代の動物が、光刺激を利用して「見て」いた隣人たちの映像(『眼の誕生』(草思社)より)

 われわれの目玉はその表面を、厚さ0・5ミリほどの角膜が覆っている。その角膜は濡れている。濡れていないとドライアイになる。そこで涙が活躍する。
 それにはまず瞼(まぶた)が開いたり閉じたりしなければならない。その瞼が一重(ひとえ)か二重(ふたえ)かはどうでもよい。一重瞼は氷河期のモンゴロイドの伝統で、「蒙古襞」という。ぼくはその伝統を引いている。ちなみに二重が優性遺伝で、一重が劣勢遺伝だが、そんなこともどうでもよろしい。
 問題は「まばたき」なのである。涙は「まばたき」のたびに運ばれ、まばたきのたびに排出される。涙は「まばたき」のたびに入れ替わるのだ。
 本書には高速度のブリンクアナライザーによる連続写真が載っている。まばたきが目尻から始まって目頭に向かっているのがわかる。ファスナーを目尻からしめていくように、目をつぶる。
 この「まばたき」によって涙はゴミや花粉とともに目頭に流れ、涙点(るいてん)という小さな穴を出口とし、そこから鼻涙管を通って鼻腔に流れ出ていく。そのあいだに涙の10パーセントが蒸発し、残りはみんな鼻涙管のほうに流れ出る。

(左)眼球の断面図
(右)ブリンクアナライザー

 その涙には実は二種類がある。嬉し涙や悔し涙や号泣という違いではない(笑)。生理学的に「基礎分泌の涙」と「刺激反射性の涙」がある。
 「基礎の涙」は、目の表面(角膜)につねに供給されている涙のことで、目を乾燥から守り、酸素や栄養液をはこぶ。だいたい7マイクロリットルくらいが、いつも目の表面を濡らしている。目薬1滴が約30~50マイクロリットルで、1日分を集めてもせいぜい約1ミリリットルだから、かなり微量だが、この涙がないと目は生きていられない。
 「反射の涙」のほうは泣くと出てくる涙で、感情に結び付いている。だからエモーショナル・ティアとも言う。こちらがまさに嬉し涙や悔し涙で、哀しくておいおい泣けばその量はふえる。なぜ喜怒哀楽が涙につながるのかといえば、目のせいではない。そこに脳が関与するからだ。
 自律神経のうちの副交感神経が涙腺につながっていて、強い感情負荷や強い痛みがかかると、大脳辺縁系からの刺激が走って、神経伝達物質のアセチルコリンの分泌を介して涙腺を刺激するからだ。

(左)目と涙器の関係
(右)涙腺の構造

 涙腺は目の玉の外にある。左右の眉毛の奥あたりにあって、目尻から涙をおくりだし、角膜を潤す。この涙はさきほども言ったように、目尻から目頭にある涙点に向かっていく。それをおこしているのが「まばたき」なのである。
 動物の中で最も多くまばたきをするのは、どうやら人間だ。齧歯類やライオン・トラ・ネコなどの夜行性の動物はあまりまばたきをしない。危険に敏感で交感神経が優位になっているからだろう。われわれも緊張して交感神経が優位になると、ついついまばたきをしなくなる。
 だから泣き虫は「涙腺がゆるんでいる」のではなく、副交感神経からの刺激が過剰になっているわけで、歳をとったから涙腺がゆるんだのではなく、歳をとると眼瞼の力が緩み、まばたきで涙をうまく流し出すことがヘタになって、いつも涙まじりのくしゃくしゃの目になっているというべきなのだ。まあ、やっぱり歳をとったということだが‥‥。

動物のまばたきの間隔

 パルメニデスはゼノンのパラドクスを説明するために「瞬間」を持ち出した。飛んでいる矢だって瞬間の制止の連続だと捉えた。プラトン(799夜)は本来の「瞬間」は運動の中にひそむ見えない要素だと反論した。
 実際の「瞬間」は「まばたきをするあいだ」という意味だから、100ミリ秒から150ミリ秒のことになる。
 われわれ人間は、1分間に平均20回ほどの「まばたき」をしている。これは平均すると3秒に1回だが、一度にパチパチとかパチパチパチとかとするので、実際には7~8秒に1度くらいだろうか。

 ぼくもまばたきの回数を測ってみたことがある。ふだんは1分間で15回くらい、ゆっくり煙草をくゆらしていると、かえってふえて30回から35回くらいだ。
 読書をしているときは少ないかと思っていたが、それでも10回から13回ほどだった。ただ読書中は早めのまばたきになっていた。いつかアイカメラで正確なことを測ってもらいたい。諸君も、以下の文章を読みながらまばたきの回数を測ってみるとよい。
 まばたきが少ない人物は、昔から怖い印象や不気味な印象があるが、ぼくは好きだ。男も女も、少年も少女も、じっと見つめる瞳はそれだけですばらしい。そこには何かがある。白状すると、ぼくはネコやイヌや子供たちや佐藤優さんにじっと見つめられると、たいてい気持ちがいい。
 だから高校時代は『黒い瞳』(オーチ・チョールヌィエ)という19世紀のロシアの歌が好きだった。情熱的なロマ(ジプシー)の黒い瞳を歌ったもので、ハンガリアンな音階がついている。

健常者とドライアイ患者のまばたきの回数比較
(左)正常  (右)ドライアイ

 鳥はほとんどまばたきをしない。メジロやウグイスやタカが目をぱちぱちしているなんて、見たことがない。かれらは空を飛んでいて目が乾きやすいはずなのに、なぜなのか。
 ひとつは、瞬膜(しゅんまく)がその代わりをする。瞬膜は半透明な薄い膜で、両生類・爬虫類・鳥類がもっている。魚もサメなどには瞬膜がある。この膜は上下に開閉するのではなく、横にスライドするシャッターだ。鳥たちはヒナに目を突かれないようにすばやい瞬膜を発達させたようだ。瞬膜は英語ではしばしば「サード・アイリッド」と呼ばれる。
 もうひとつは涙の成分のちがいで、鳥の涙は油性が強くなっている(われわれの涙も表面は油性が覆っているが、鳥はもっと濃い)。だから空を飛んでいるときも乾かない。ちなみにイモリやカメレオンもほとんどまばたきをしないけれど、こちらはなんと長い舌でときどき目を舐めて潤している。よくぞ手間ヒマかけているものだ。そういうぼくも、幼いころは妹の「円らな瞳」がキラキラめずらしくて、ついつい指を入れたり舌で舐めたくなっていた。
 ついでながら、瞼がぴくぴくするのは眼瞼痙攣と呼ばれるもので、おそらくは脳のなんらかの機能障害によるものだと予想されている。

瞬膜を閉じるズグロトサカゲリ

 さて、では、そのような涙の正体は何かというに、だいたいはわかっている。涙は血液からつくられているのだ。涙腺におくられた血液が涙になる。
 しかもその役割はかなり大きい。乾きを潤すだけでなく、栄養をもたらし、殺菌をし、酸化をふせぐ。本書では、われわれの涙の成分を5つに分けている。

  ①細菌感染をふせぐためのタンパク質(イムノグロブリン
   A、ラクトフェリン、ライソザイムなど)
  ②角膜や結膜の上皮細胞の分裂と分化を促進したり、調整す
   る成分(ビタミンA、ビタミンC、EGFなど)
  ③活性酸素を無害なものにする酵素(スーパーオキサイド
   ディスムターゼなどの酵素)
  ④電解質(ナトリウム、カリウムなど)
  ⑤涙の安定性を保つ成分(ティア・リポカリンなど)

 これを見ると、涙がしょっぱいのは、④のナトリウムのせいだとわかる。「涙に近い目薬」として売られているのは、この電解質をふやしたものだ。
 ①のラクトフェリンは唾液、腸液、母乳、膣の粘膜分泌液にも含まれているタンパク質で、感染を予防する強力なパワーをもっている。いま、多くの研究者が注目している物質だ。少し調べてみると、ラクトフェリンは細菌の機能をブロックしたり、殺したりできるだけでなく、アレルギー予防、抗炎症作用、細胞分化の促進、さらにはがん細胞の抑制ともかかわっているようだ。
 サントリーの「ラクテクト」、ライオンや森下仁丹の「ラクトフェリン」は、どのくらい効くかは知らないが、このラクトを入れこんだサプリになっている。
 ③のスーパーオキサイドディスムターゼ(SOD)は活性酸素を過酸化水素に変える酵素だ。その過酸化水素をグルタチオンパーオキシターゼが水にしてしまう。われわれの体のなかで、活性酸素を発生させているのはミトコンドリア、細胞質、細胞外の3つがあるのだが、それぞれにSOD2、SOD1、SOD3がいて、活性酸素の暴発を止めている。
 涙は細胞外の活性酸素に見舞われる危険がある。それも涙は防いでいる。坪田さんらの研究によると、SOD3とともに、セレノプロテインがはたらいていることがわかってきたそうだ。
 ⑤のリポカリンは、総称するとパルミトレイン酸という不飽和脂肪酸である。体のどの組織にもあるのだが、肝臓における濃度が高いところから注目され、肝臓への脂肪の沈着、インスリン作用、脂肪酸の合成に影響をもつことがわかった。これが涙にも含まれていたのである。一種のホルモンの役割をもつと考えられている。 

 このように一滴の涙もバカにならないほどの機能を秘めているのだが、意外なことに、その一滴の涙は一様ではない。涙滴は3層になっている。
 一番外側を油性が薄く覆い、涙の蒸発を抑え、外からの害物の侵入をふせぐ。その次にさまざまな成分を含んだ水層があり、目の表面に接している部分にはやや粘着性のあるタンパク質でできたムチンの層がある。この油層、水層、ムチン層(粘液層)の基礎材料は別々のところでつくられている。油層は瞼の際のマイボーム腺でつくられる。
 マイボーム腺は睫毛の生え際の内側にある。毎日、少しずつの油がここでつくられているらしく、「まばたき」で瞼がくっつくと油分もそこにくっつき、瞼が開くとともに薄い膜となって涙の表面をおおうようになっている。涙がまるい曲面になっているのもこの油性のせいである。一滴の涙とはいえまことに繊細で、よくできたしくみだ。
 ちなみに「ものもらい」はほとんどがマイボーム腺がつまっておこる炎症である。皮膚の脂腺がつまってニキビになるのと同じだ。
 これも本書には紹介されていないのだが、睫毛に関しては「睫毛反射」(しょうもうはんしゃ)というテストがある。睫毛に触れたとたんに瞼が反射するときの反応を見る。
 睫毛の反射は三叉神経の第1枝と第2枝を通って脳に伝わる。とたんに顔面神経に指令が下り、まばたきになる。その反射中枢は脳幹にある。以上のどこかがおかしければ、問題なのである。 

(左)涙の三層構造
(右)まぶたの断面図

 真ん中の水層は主涙腺と副涙腺でつくられる。主涙腺は上瞼の外側に、副涙腺は結膜(瞼の裏側と白目の表面をおおっている半透明の膜)に点在している。泣くときに涙をあふれさせているのが、この主涙腺だ。
 アメリカ生まれの青い目をした人形が横浜の港に着いたとき、「いっぱい涙を浮かべてた」という野口雨情(700夜)の詞は、きっとセルロイド人形の日本人にはめずらしい大きな目を観察したせいなのだろう。
 一番下のムチン層は、白目の結膜にあるゴブレット細胞がある腺細胞でつくられる。ムチンは涙を目の表面に留まらせておくための粘りを提供するのに不可欠で、涙の“とろみ”をつくっている。朝起きたときの目ヤニは、このムチンが洗い流されないで残っているせいだ。
 坪田さんらは、これらの涙の成分を詳細に調べ、血液成分と比較した。涙液に含まれる成分のほとんどが血清の中にあることがわかった。
 涙が血清からつくられているのだから当たり前のことだが、赤血球と異なるのはヘモグロビンの有無である。目はいつも空気と接触しているので、酸素を直接吸収できるからだろう。

 このように、涙はわれわれに潤いと浄化をもたらしているのだが、その涙も涸れることがある。それがドライアイで、これは病気であるらしい。
 ぼくはドライアイではないが(だから泣き虫でいられるのだが)、ドライアイはけっこうたいへんなようだ。スタッフのなかにもしょっちゅう目薬をさしている子がいた。
 そうとう哀しいときでも涙が出ないほどのドライアイもあるらしく、これは完全ドライタイプといって、「シェーグレン症候群」(シェーグレンはスウェーデンの眼科医の名前)であることが多い。たんに目が乾くばかりでなくて、唾液が出にくくて口が渇き、関節まで痛くなる。中高年の女性に多い。
 坪田さんのところには300人くらいのシェーグレン症候群に苦しむ患者が来るようだが、男は10人にも満たないという。
 そこで涙腺を調べてみると、ここにリンパ球がたくさん入りこんで、涙腺の機能が破壊されて、涙の生産工場が壊れてしまっている。そのため自己免疫疾患がおこっているのだ。涙は「自己」だったのだ

シェーグレン症候群の涙腺
(左)泣けば涙の出る涙腺
(右)泣いても涙が出ないシェーグレン症候群の涙腺

涙腺の比較
(左)正常な涙腺
(右)破壊された涙腺

 免疫システムとは、外から入りこむ細菌やウィルスといった抗原に対して、それを防御する抗体をつくっておくことをいう。
 この抗体をつくっているのがリンパ球のB細胞である。リンパ球にはもうひとつ、B細胞のはたらきをコントロールするT細胞がある。T細胞には、レセプターというタンパク質が細胞表面にくっついていて、外からやってくる抗原をぴったり合致させるしくみが備わっている。この鍵と鍵穴の関係によって、われわれは「自己」をつくっている。
 ところが、B細胞の抗体の産生とT細胞のレセプターの再構成は、いずれも遺伝子によってランダムにおこるので、自分の体をつくっているタンパクに反応するものもできてしまう。敵のタンパクも味方のタンパクも根本的に区別するようにはなっていない。しかし、それでは自分を攻撃してしまうことになりかねない。そこで免疫寛容(トレランス)というしくみによって、自分のタンパクを攻撃しないようにした。

(左)免疫の仕組み概略
(右)免疫トレーランス

 トレランスのメカニズムは、リンパ球が成長するときにはたらくものと、成長したリンパ球にはたらくものとがある。成長途中に自分のタンパクと反応してしまう細胞には、自殺してもらう。デリーションである。
 デリーションはリンパ球の「アポトーシス」によってプログラムされている。多細胞生物の大半は異常化や癌化をおこすヤバイ細胞を、この細胞死プログラムによって除去するようになっている。アポトーシスの研究はめざましく、シドニー・ブレナー、ロバート・ホロビッツ、ジョン・サルストンは2002年にノーベル賞を受賞した。
 つまりリンパ球はたくさんの無駄なリンパ球を産生させながら、役に立たないものをどんどん殺すことで、未知の抗原に対処できる能力を維持するようになっているわけだ。
 ただし、まちがって無駄なリンパ球が使われると大変なことがおこる。自分の体のタンパクと反応してしまうリンパ球はすべてアポトーシス(自死)をおこすはずなのだが、それでも少しは行きのびて体の中をまわる奴がいる。こういう場合は、これらのリンパ球に対しても他のT細胞による抑制(サプレッション)、自分で自分を不活性にすること(アナージー)、できるだけ無反応にしてしまうこと(ノンレスポンシブ)などで、危険を回避するようになっている。

アポトーシスによる変化
(左)白血球のアポトーシス
(右)細胞の形態変化

 シェーグレン症候群では、どうもこのトレランスがくずれてしまっているようなのである。原因として3つが考えられている。
 第1には、侵入してきたウィルスの抗原と涙腺のタンパクの一部が似ているとき、細菌やウィルスを攻撃すべき抗体やT細胞が涙腺もいっしょに攻撃してしまうからである。
 ここには分子相同性というものが関与する。実際にも、T細胞と結びつく鍵になるgp110というタンパクは、ヒトの白血球のタンパクとの分子相同性があって、これがEBウィルスの表面にくっついていると、シェーグレン症候群がおこることがわかってきた。
 第2には、細胞どうしには情報伝達物質がはたらいているのだが、その割合が変化してトレランスがくずれる場合だ。ここにはサイトカインという細胞間情報伝達物質が関与する。
 坪田さんは鶴見大学の斎藤一郎教授、埼玉大学の竹内勤教授らとEBウィルスを調べ、このウィルスが産生するBCRF-1というタンパクが、サイトカインの一つであるIL-10(インターロイキン−10)と類似していることを利用して、免疫異常のドライアイマウスをつくり、かなり踏みこんだ研究をしているようだ。その後もこのトランスジェニックマウスたちが、ドライアイ対策に活躍しているらしい。

 シェーグレン症候群をおこしている第3の原因には、「アクアポリン」という膜タンパクの異常が涙の移動を妨げているということがあがっている。
 アクアポリン(AQP)は、1992年にジョンズ・ホプキンス大学のピーター・アグレが発見したもので、2003年にノーベル化学賞を受賞した。ぼくも中田力(1312夜)さんの『脳のなかの水分子』で、脳のグリア細胞のアセンブリーの正体がアクアポリン4だということを知って以来、ずっと気になってきたものだ。
 多くの細胞は水を細胞膜の脂質を通ることで出入りさせている。しかし上皮細胞には水の透過性がきわめて高いものがあり、何か特別なしくみで水を出入りさせていると予想されていた。アクアポリンは水分子なら透過させるが、イオンや他の物質は通さない水チャネルをもっている。アグレはこれを発見した。画期的だった。そのアクアポリンのうちのアクアポリン5が涙の分泌の要訣にかかわっていたのである。

 アクアポリンは6個の右利きのヘリックス構造をもっていて、N末端とC末端が細胞質側の細胞膜の表面に突き出ている。ヘリックス間に5個のループ構造があり、NPAモチーフというしくみを発動させている。
 ここにはペプチドのチャネル締め付けサイトと、ar/R(アルギニン系)という選択フィルターとが動く。これらによって、アクアポリンは細孔のサイズが違う透過力をもつ。たとえばar/R選択フィルターは、水分子に結合したまま入ろうとしてくる分子を除去できるのだ。
 完全ドライアイやシェーグレン症候群は、このアクアポリンの並びや細孔に異常がおこっているものだった。
 もっと重要なこともわかってきた。水晶体が混濁する白内障にはアクアポリン0が関与することが、視神経の異常でおこる緑内障はアクアポリン1やアクアポリン4が関与していることが、糖尿病網膜症ではアクアポリン1がかかわっていることが、見えてきた。坪田さんはピーター・アグレとも共同研究をしたようだ。
 ドライアイはたいへんなのだ。坪田さんはアンチエイジングの研究の第一人者でもあるのだが、それはそもそもエイジングと涙腺の活性酸素の発生が関連していたからだった。

アクアポリン
(左)アクアポリンの存在部位
(右)皮膚でのアクアポリンの働き

哺乳類のアクアポリン一覧

 いささか涙の生理学に入りこみすぎたかもしれないが、このくらいしておかないと、ぼくの「涙もろい問題」がうまく紛れてくれなかった。
 ところで、ピカソに『泣く女』(1937)がある。何作もある。世界でいちばん涙をでかく描いた絵だ。モデルはそのころピカソの愛人になっていた写真家のドラ・マールだと言われているが、あの目鼻も顔もめちゃくちゃな絵に、はたしてモデルが必要だったかどうかは疑問だ。
 それはまあ、べつとして、『泣く女』シリーズは『ゲルニカ』から派生した。民族や村落の涙を描いた。それがヨーロッパ伝統の「マーテル・ドロローサ」(悲しみの聖母)に回帰して、そこに一人のドラ・マールをあてはめ、さらにこれを破天荒な顔絵や涙絵にしたのが『泣く女』だった。
 一方、われわれの国では、芭蕉(991夜)が「行く春や鳥啼き魚の目は涙」と詠んだ。これも伝統だった。ただし、ピカソとは逆で、一人が鳥や魚のほうに戻っていった。すでに古今集に「雁の涙」がたくさん歌われている。「秋の夜の露をば露と置きながら雁の涙や野辺を染むらむ」(壬生忠岑)。小松帯刀がお琴に詠んだのは「鳴きわたる雁の涙も別れ路の袂にかかる心地こそすれ」だった。
 ピカソをとるか、芭蕉をとるか。べつだん洋の東西をくらべるわけではないけれど、ぼくはとてもピカソになれそうもない。ピカソじゃなければ何かというに、やっぱり枕や源氏や西行(753夜)だろう。
 岩佐美代子が『源氏物語』を克明に調べ上げて、実に73語の語彙が「涙」にかかわっていることを証した研究がある。なんとも溜め息が出る。その一部をあげて、それではみなさん、涙(なだ)そうそう‥‥。
 涙ぐむ、落つ、濡らす、こぼる、しほたる、露、ほろほろ、浮く、とどむ、しずく、降る、とまらず、むせかへる、よよと、もよほす、しのぶ、まぎらはす、くもる、そぼつ、つぶつぶ、涙の雨、もらす、惜しまず。では諸君、しくしく、さめざめ‥‥。

源氏物語絵巻「柏木(一)」
夕霧が、瀕死の病床にある柏木を見舞う場面。人物はみな涙にくれている。

 

⊕ 涙のチカラ ⊕

∃ 著者:坪田一男
∃ 発行者:片岡巌
∃ 発行所:株式会社技術評論社
∃ 印刷・製本:日経印刷株式会社
⊂ 2008年4月25日 第一刷発行

⊗ 目次情報 ⊗

∈ 第1章 世界一小さな海――涙
∈ 第2章 涙はなぜしょっぱいのか
∈ 第3章 涙が乾く!? まばたきのメカニズム
∈ 第4章 急増する現代病「ドライアイ」
∈ 第5章 「涙」にフォーカスして見えてきたこと
∈ 第6章 現代人は乾いている!

⊗ 著者略歴 ⊗

坪田一男(つぼた・かずお)
慶應義塾大学医学部教授。1955年、東京生まれ。1980年、慶應義塾大学医学部卒業。日米の医師免許取得後、米ハーバード大学にて角膜フェローシップ修了。角膜移植、ドライアイ、屈折矯正手術における世界的権威。再生角膜移植のほか、近視・乱視・遠視・老眼などの最先端の治療に取り組む。近年は研究領域を抗加齢医学=アンチエイジング医学、再生医療領域に広げ精力的に活動。日本眼科学会プログラム委員初代委員長、ドライアイ研究会世話人代表、日本抗加齢医学会副理事長、日本再生医療学会理事など。執筆活動も多彩。