才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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小枝とフォーマット

更新と再生の思想

ミシェル・セール

法政大学出版局 2006

Michel Serres
Rameaux 2004
[訳]内藤雅文
編集:平川俊彦・藤田信行・松永辰郎 協力:及川馥

 博学者ミシェル・セールのように「歴史の解釈系」と「情報の仮想系」を相互につなげながらキリなく書ける哲学者はそんなにいない。それにあんなふうに博物博知を連綿と書いていたら、自分で飽きてくるか、もっと要約したくなるか、誰かを批判したくなる。けれどもそうならないのは、セールは自分が書こうとしている世界の断片をそのまま文意や文体に象眼細工のようにあてはめて、それらを書き作りながら自分の職人芸に酔えるからなのだろう。そう、思う。

 (01)地図で示された世界中のどこもかしこもがCOVID19とその変異体で、まるでキアスム(交差体)のような「故意のディスタンス」と「ニセモノの静寂」を強いられる日々が続いているこんなとき、いつもはとっておきのスプリングコートのように仕舞ってあった「一冊の指針」にさあっと腕を通して、マスクなどしないで近くの駒沢公園のベンチでその一冊を好きに読むには(こっそりタバコもふかして)、きっとミシェル・セールこそがふさわしい。
 そういう時がきたらそうしようと思っていた通り、3月某日、ぼくはその一冊を『小枝とフォーマット』(2004)にしたのだが、まったく悔しいことにタバコのほうはご法度になった。またもや肺癌を宣告され、手術日までに肺からタバコの残滓をすっかり抜かなければならなくなったのだ(とっくにCOPD=肺気腫になっている肺だけれど)。
 今度は左肺の上葉の原発性腺状癌である(前回は右肺)。ステージ1のようだから、なんとか除去できるでしょうと言われた。4月下旬に築地の国立がんセンターで手術をしてもらうことになった。執刀は渡辺俊一先生だ。

4年ぶり、2度目の肺がん
PET検査で明らかになった肺がんのCT画像を見せられる。患部は小さいが赤く染まっている。成長するスピードが早く、定期検診がなければ危険だったと渡辺先生に告げられる。

 タバコは吸えないが、公園のベンチでマスクを外しながら読むセールは、予想を裏切ることなくぼくをとても落ち着かせてくれた。この一冊は、世の中のなんだかんだの規範や慣例を、情念や観念ぶくみで初期化(フォーマット化)して、そこに見えてきたであろう「幹」から新たな「小枝」が自在に組み合わさっていく様子を見てみようという意図で綴られた一冊だ。
 歴史はつねにフォーマットの設営に挑んできた。メルカトールの陸地は円柱状の投影をフォーマットにし、コペルニクスの宇宙は太陽中心の軌道をフォーマットにし、ヴェサリウスの解剖学はルーヴァンが解剖を許可した死体まるまるをフォーマットにした。フォーマットは科学にとってはどうしても必要な方法の基盤だ。もしくは科学とはフォーマットの発見だ。
 科学だけではない。ショーヴェやラスコーやアルタミラの絵画は暗がりの洞窟をフォーマットにし、アテナイは民政体をフォーマットにし、観阿弥や世阿弥(118夜1306夜)は日本の神話空間の出来事を再生するためにすけすけの板張り三間四方の能舞台をフォーマットにし、YMCAはバスケットコートを青年青女たちのもやもやを燃焼するための室内パーティ型球技スペースフォーマットにした。
 そのうち役所も市場も裁判所もレストランもフォーマットを確立し、小枝がこんがらかるほどにふえてきた。こうして近代国家はそれまでの世の中のフォーマットを集めて、擬似的整合性をでっちあげることになったのである。でっちあげだけれど、みんながかかわってきたフォーマットの累積(銀行や軍隊)がそこにあるのだから、とくに文句を言わなかった。
 とはいえ世界がフォーマットかといえば、そんなことはない。もともと世界にはデフォルト(default)なんてなかったのである。デフォルトは「そこ」に設定された「値」にすぎない。しかし、標準値設定のフォーマットがない世界はもはや世界としての体裁をなさないことになった。フォーマットさえあれば、その上に乗るコンテンツはいくらだって更新可能になるからだ。
 こうして、どんな世界もフォーマットのことか、さもなくば小枝たちの様子のことになった。

入院日直前まで、セール漬け
デスク周りに数十冊のセール本を積みながら、入院ぎりぎりまで千夜千冊を書き続けていた。
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「諸君、聴き給え。今から話すことはあなたの人生を変えるのだから」
セールが講義の冒頭でよく口にしていた言葉。写真は1985年、55歳のとき。このころ、ルネ・ジラールの招きにより、スタンフォード大学正教授をつとめ熱心に学生たちに講義をしていた。また、エッセー本『五感』をグラッセ社から刊行し、メディシス賞を受賞した。

 (02)『小枝とフォーマット』の冒頭に、博物学や近代科学の準備的な出現を用意した或る事情を定義づける用語として「フォーマット」という言葉を選んだことについて、セールは「会計が計算可能になることで国際交易がフォーマット化された」というふうに言えるようなものだろうという説明をしている。
 なるほど、てっとりばやい説明だが、あまりセールっぽくはない。それよりセールが講演を頼まれてラ・サンテ刑務所を訪れたときに、それが些細な点を除けばリセ(フランスの高等学校。3年制のバカロレアと、2年制の職業適性取得)の建築様式をほぼ再現していることに気が付き、フォーマットとはそのような力をもつこと、すなわち「創出よりも模倣を促す力」をもつことだということに思いいたったという話のほうが、セールらしい。
 パソコンが次々にフォーマット化されるのを見て、セールはふいにフォーマット化がもたらしてきた世界システムの歴史に思いを致したのだろう。そしてセールの気持ちとしては、本来のフォーマット化の事情には、できればギリシア語やラテン語を話していた者たちが大切にしたデーウゥティーオ(献身)のようなものがかかわっていると見たくなったのだ。模倣は献身なのである。
 セールが見るに、ギリシア・アルファベットが一番のデーウゥティーオだった。表記法は言語部族や言語才能によってもたらされるけれど、それがフォーマットになるには何か「とてつもない機能性」が作動して、かつ「献身」しなければならない。セールにはそう思えた(そう、思いたかった)。ギリシア・アルファベットにはそれがあった。だからホメロス(999夜)はそこに共感し、アルファベットというフォーマットから叙事詩という物語の小枝を繁茂させ、六脚韻を献身させた。
 だったら、ピタゴラスの定理やエラトステネスの測地法やプラトン(799夜)の理想政治思想も、そういうものだったろう。同じことがダンテ(913夜)の地獄篇に、ラ・フォンテーヌの寓話に、サディ・カルノーの熱力学に、ベルクソン(1212夜)の意識の流れに、ホワイトヘッド(995夜)のネクサスにおこったろう。そんなふうにセールは見通した。
 日本人のぼくはここで、ところで、日本ではと思う。本居宣長(992夜)が遭遇したのは逆のことだった。漢文のみで書かれた『日本書紀』はむろんのこと、『古事記』にも日本語によるフォーマットがなかったのである(あるいは「からごごろ」=「漢意」によって半ば隠れていた)。けれどもそのコンテンツはまるまる日本のフルコト(古事)にまつわるものだったから、宣長は40年をかけて『古事記伝』を書き、そこにひそんでいたであろう仮想フォーマットを浮き彫りにしてみせた。
 この話を知ったら、きっとセールはよろこんだろうと思う。セールはギリシア・アルファベットに代わるフォーマットが、哲学や科学のなかでどのように想定され、実現されていたったのか、そこを綴りたくて、こんなにも次々とエッセイを書いてきたのだったから。

フォーマット化の歴史
上から、メルカトルが完成させた18枚1組の世界地図、ヴェサリウス著『ファブリカ』に登場する医療的「筋肉人間」、コペルニクスの宇宙像、風が透く厳島神社の能舞台。

「創出よりも模倣を促す力」が躍如する建築様式
左はラ・サンテ刑務所。中央円塔の監視点を中心に独房が並ぶパノプティコン型の設計になっている。ここで囚人は監視する権力の視線を内面化する。右はフランスのリセ(アンリ4世高等学校)。円塔を基軸に放射状に校舎が続いている。セールは監獄と学舎に漂う閉塞感を、工場、会社、スタジアム、修道院に見出し、規律の内面化が行われる共通の基本原理を嗅取った。

献身の系譜
左は紀元前16~12世紀のクレタ島などで使用されていた線文字B。考古学者のマイケル・ヴェントリスは線文字Bを解読し、隣の本島からギリシャ語を押し付けられたミノア人が、自分たちの書字でギリシャ語を表現できるよう調整した成果であったことを突き止めた。時代が降ってもフォーマットとしての力は現れる。右はジョン・ローソスが15世紀に書いた『オデュッセイア』の写本(大英博物館)。アルファベット記号は記憶と再生のための分節技術(=アルス・ノタタリア)として工夫された。

 (03)フォーマットとはやや異なるが、セールには『アトラス』(1994)という一冊もあって、われわれは「地図帳」(アトラス)で何を示してきたのか、何をしようとしてきたのかを問うていた。
 アトラスはいろいろなところにいろいろなしくみをもって出現した。アリストテレス(291夜)からデカルトまでを夢中にさせた気象図、モーペルチュイを動かした気圧図、オーギュスト・コントが熱中した潮汐図、リューベックやヴェネチアなどの中世の都市図、電気の登場とともに広がった配電図、神殿や寺院や住宅の設計図、いずれもアトラスだ。
 心電図はその男の心臓活動のアトラスで、CTスキャンされた体内画像はその男の疾患アトラスで、どこかの家の間取りはその男の家族や日々の属性を投影する住処(すみか)のアトラスなのである。大学は学科と教員の人生と学生のためのアトラスだし、病院は医事と医療器械の作動と患者の治癒のプロセスのためのアトラスになって、会社においては組織図と作業フローと会議室がアトラスをつくってきた。寺院もスーパーマーケットも塔頭や売り場のアトラスがなければ機能してこなかった。
 そういうアトラスが地図上に何を刻印させるかということと、そのアトラスをどんな描き方にしておくかということは、別々の問題だ。身近かなアトラスだからといって、お目当ての街や通りのイラストマップのようなものでいいというわけではない。
 アトラスは人為的なものともかぎらない。アリにとっては匂いのする土の密度を形状がアトラスで、ハキリアリにとっては葉っぱが繁る草むらがアトラスで、フクロウやムササビにとっては夜陰の森林の全貌がアトラスだ。おそらく全貌の種に、それぞれのアトラスがあるだろう。
 ぼくが1970年の秋ごろから杉浦康平(981夜)アトリエに出入りするようになったとき、中垣信夫と何人かの助手が「犬地図」にとりくんでいた。ジョン・レノンが飼っていたダックスフンドの子犬を「朝日ジャーナル」の矢野編集長から貰い受けて杉浦家が育てていた「レア」を、助手たちがスケッチブック片手に渋谷並木橋の近所を散歩させ、「レア」が鼻をくんくんさせて歩きまわった行跡を克明にスポッティング地図化しようというのだった。のちに「遊」に掲載した。
 杉浦さんは次にぼくを引き入れて、新幹線をまっすぐに走らせた東京・新大阪直線地図をつくり、その白地図に左右の車窓から見える景観のアイコンを一気に引き寄せるというデイストーション地図づくりを始めた。イメージマップと命名されていた。「これ、ライン川のリバーマップがヒントなんだよ」と言っていた、杉浦さんがウルムの造形大学で教えていたときさまざまな地図を収集したようなのだが、その中にライン川の巻物状のラインマップがあり、それが真っすぐにしたライン川を真ん中に、その周囲の景観と文物を歪ませて描いていたそうだ。
 かようにアトラスは、どんな現象や制約や一般化に対しても身を翻し、身を躍らせ、身を挺してきたものなのである。それゆえセールは、世界がアトラスの上で増殖(multiplication)と内含(implication)をくりかえすことに注目し、とくに戦争における戦略と戦術のためのアトラスが世界史の大半をつくってきたことを、苦々しく強調した。

古今東西アトラス絵巻①
上から、サン・マロ湾上修道院モン・サン=ミシェル付近の潮汐図、日本初の天気予報に使われた手書きの天気図、メディアアートを中心に高いシェアを誇るマイコンArduinoの回路図。
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古今東西アトラス絵巻②
1676年のヴェネツィアの地図。

古今東西アトラス絵巻③
ローマ・カトリックの総本山サン・ピエトロ大聖堂の設計図(左)と室生寺五重塔断面図(右)。

「嗅覚世界」を地図化する
犬の生活圏、刻々の感覚体験を図示する試みで、杉浦康平氏が愛犬レアの行動に寄り添いながら前例のない「犬地図」を作成した。犬の行動範囲、行動軌跡を示す空間地図と、匂いの濃密分布図。
杉浦康平『時間のヒダ、空間のシワ』p.29

スギウラ時間地図
東京駅と大阪駅を出発点とする時間変形地図。「移動にかかる時間」を「距離」に置き換えて表現する。「時間」を軸にしてこれまで見慣れた「空間」地図を変形した。
杉浦康平『時間のヒダ、空間のシワ』p.68

 (04)博学者ミシェル・セールのように「歴史の解釈系」と「情報の仮想系」を相互につなげながらキリなく書ける哲学者はそんなにいない。それにあんなふうに博物博知を連綿と書いていたら、自分で飽きてくるか、もっと要約したくなるか、誰かを批判したくなる。
 けれどもそうならないのは、セールは自分が書こうとしている世界の断片をそのまま文意や文体に象眼細工のようにあてはめて、それらを書き作りながら自分の職人芸に酔えるからなのだろう。そう、思う。
 『アトラス』にこんな一節がある。ふつうに読んで、この内容がすぐに掴める読者は少ないかもしれないが、今日、グローバル資本主義とコロナ・パンデミックとSNSとにほぼ均等に塗(まみ)れて何もできなくなっている現代思想の呻吟者は、このような文章からたちどころにセールが何度も仕込んできた解法を読みとけなければならないはずなのである。こういう一節だ。ゆっくり、一言一句に気をつけながら読まれたい。

 最後の分岐は、プロメテウスを崇拝していたゆえに、ヘルメスのやってくるのが目に入らなかったわれわれの世代の不意をついて始まった。つまり、コミュニケーション、干渉、航路、翻訳、分布、傍受(遮断)、寄生‥‥、伝搬、ネットワーク‥‥、もろもろの形態を静力学的にじっと支えていた時代が過ぎ、次いでそれらの形態を、最初は冷たいままで、それから焼けるように熱して変換する時代を経て、情報の支配する時代がやってきたのだ。
 労働と仕事を理解するというか定義するために、われわれはいつものことながら、連続的でかつ非連続な歴史(物語)を通じて変わることのない、同一の語をこれまで 繰り返し用いてきた。新しい象徴は、それゆえ第三の像ということになるが、われわれは、この物語(歴史)の古いが、しかしごく最近の像たる〈天使〉たちと同じ流儀で仕事をしているのだ。
 さて、古代ギリシア語では、angelosは使者を意味する。朝、あなたが出勤する際に、通りを流れてゆく群衆をよくご覧いただきたい。目的地に向かうメッセージの伝達者、大天使の徒がかくも大勢いるのに比べて、プロメテウスの徒がなんと少ないことか。ヘラクレスやアトラスの徒に至ってはなおさらのことだ。

 (訳=及川馥・米山親能・清水高志)

 このあと、この文章はわれわれが途方もないメッセージ伝達機構の中にいて、大半がたんなるメッセンジャーになってばかりいること、つまりそこに働いている者たちの「働きアトラス」は、さまざまな電子コミュニケーション器具の中の半導体チップによる「回路アトラス」にすっかり握られている、というふうな説明に続いていく。
 セールに不慣れな読者にはずいぶん特異な一節のように感じられるかもしれないが、引用したこの一節は特段の一節ではない。セールを読んでいると、こんな一節はしょっちゅうで、この手の文意がずっと続くのである。だから任意の一節にすぎないのだが、それにもかかわらずここにはセールの思索してきた多くのエッセンスがみごとに投影されている。
 いちいち解説したいのをがまんして二、三の指摘にとどめるけれど、01・02の「最後の分岐は、プロメテウスを崇拝していたゆえに、ヘルメスのやってくるのが目に入らなかったわれわれの世代の不意をついて始まった。」は、セールの全思想がヨーロッパのフォーマットから最後に分岐していく姿をぴったり暗示しているところで、次の03・04・05は、それが「コミュニケーション、干渉、航路、翻訳、分布、傍受(遮断)、寄生」というふうになっているのは、文意を運ぶ概念用語が、そのまま書物タイトルとしてセールの小枝(書物)になってきたこととぴったり重なっている。
 11から12に移るところで「さて、古代ギリシア語では、angelos は使者を意味する。朝、あなたが出勤する際に、」というふうに急に「天使」にまつわる語彙の歴史が登場し、その語彙の歴史の風情のままそれが朝の出勤中の群像の中に紛れていくという展開は、これまたセールがしょっちゅうやってのけてきた超絶技法的な書きっぷりなのである。とくにギリシア語やラテン語を複合語源とする語彙に躓かせておいて(ここではangelos)、そこから反転したり飛翔するのは得意中の得意だ。宣長はすべてを語彙の読み換えから始めたが、セールは途中で語彙による「歴史の忘れもの点検」をエリック・クラプトンの演奏のようにやってみせるのだ。
 漢字をもらった日本と自前の文字で歴史をつくってきたヨーロッパとのちがいだった。
 こうしてセールはいつも独特の文意のスタイルを誇るのである。たいていは、何面何層何流もの輻湊的なリバース・エンジニアリングが静かに唸りを上げている文章なのである。おそらくこういう書き方ばかりをするエッセイ思想者に、世の中はあまり出会ってこなかっただろうと思う。モンテーニュ(886夜)でもなく、シオラン(23夜1480夜)でもなく、むろんカイヨワ(879夜)でもない。しかも、これは書きっぷりがそうなっているというだけでなく、世界を語るとはそういうふうにする(そういうふうに言葉を演奏する)しかないというセールの訴えなのだ。
 いま引用した一節にして、3部構成の『アトラス』の2部の、そのまた導入部の一節にすぎないのだが、どんな一節にすぎなくとも「そこ」はくどいほどセールにとってのホロニックな全貌の共鳴を感じさせるのである。たとえば、『アトラス』の構成は1「延長:どこにいるのか」、2「伝播:何をなすべきか」、3「隣人:いかになすべきか」というふうになっていて、この構成自体が他のセールの小枝(書物)で言いたいことのフォーマットと同様のものになっているのだし、実際にもこの引用の一節のあと、文章は次のように結ばれるのだが、それはセールの全思想の要約ともいうべきものになっている。
 「したがって歴史とは、重いものを担う、物を熱する、情報を伝達する、という労働と仕事の三幕のドラマであり、アトラスとヘラクレス、プロメテウスもしくはマクスウェルの魔物、ヘルメスと〈天使〉たちという、人物像や主役たちの三つの集団であり、固体、液体、揮発性という、物質の三状態であり、可逆的時間、エントロピー的時間、ネゲントロピー的時間という、三つの時間であり‥‥それゆえ、人間とその諸技術の歴史であり、しかしまた同じく科学の歴史であるが、それというのも、そこで力学のあとを受けているからであり‥‥、その熱力学は‥‥」というふうに結ばれていくのである。
 これって、まさにセールの思想のすべての言い換えになっている。それをこんなところの数行にこんなふうにタクワンの漬け物のように書くなんて、泣きたくなる。ぼくはその切なすぎる華厳的愛情に嗚咽する。

執筆しながら、セール本に次々とマーキングをしていく

『小枝とフォーマット』内のセイゴオ・マーキング
『小枝とフォーマット』p50〜p51、p138〜139、p113

『小枝とフォーマット』をテキストにしたマーキング術動画

 (05)ミシェル・セールは2年前の2019年6月に88歳で亡くなった。その死がほんとんど話題にならなかったようなのには驚いた。しかしセールを読むということは、これからはみんなが寄って集(たか)って試みるべきことなので(一人で読むより共読にふさわしい相手だ)、まあ、いまのところは仕方がないこととしてがまんしておく。
 かんたんに生涯を案内しておこう。生まれは1930年、南フランスのアジャン(ガスコーニュ)だ。モンテーニュ(886夜)と同じ郷里である。とときどきエッセイの中に少年期のアジャンの風景が出てくる。フーコー(545夜)の4つ下、デリダやガタリとは同じ歳、ネグリ(1029夜)より3つ年上になる。ラグビーが好きな少年だったようだ。
 1952年に高等師範学校に入り、数年で数学・文学・哲学の学位をとって、それが好みなのかどうか、あとは教授三昧の日々をおくった。教えることが得意だったとは思えないが(嫌いではなかったろうが)、少し内向的で、小さく集まった仲間が好きで、大学のような組織でのふるまいはそうとう不器用だったのだろう。フーコーと同僚になったクレルモン・フェラン大学をはじめ、パリ大学、スタンフォード、コレージュ・ド・フランスなど仏米で教壇に立ちながら、哲学エッセイというか、思想随筆というか、独特のスタイルの本ばかりを書き続けた。大論考は、ない。
 師匠は大きくいえばガストン・バシュラールの科学認識論と、ライプニッツ(994夜)の全哲学と、ブルバキの数学的構造主義である。ほかにギリシア・ローマ哲学史、科学哲学を好んだ。だから大学で教えていたのは科学史が多かったようだが、ぼくが見るにサディ・カルノーの熱力学もしくは自殺したボルツマンの熱力学も、ということはプリゴジン(909夜)の散逸構造論も、師匠(アトラスかつフォーマット)だったように思う。
 思想者セールは右でも左でもない。保守でも革新でもない。資本主義の擁護派でもなく、否定派でもない。といって、どっちつかずでもない博覧強記派だ。歴史的錯綜体を輻湊リバース・エンジニアリングするのが大好きで、つねにハイパーな世界史観をもって眺めてきたおっさんだ。ヨーロッパのどんな思想者よりもライプニッツに感応した世界派でもある。
 そういうセールには、新たな世界哲学のための思想流派を確立する気なんて、さらさらない。世界を自由に組み替え可能なものとみなす世界編集の可能性を提示しつづけて、それを好きに演奏していたいという、そういう隠哲ふうの一人世界派なのである。フォーマットやアトラスや天使や雑音を相手にするのは、そのせいだった。
 だからこそ本書にもちらりと書いていることだが、「最悪のものが最良のものとなり、獣が美しく善良なものとなる」ために、「いまだ知られていない世界の地図」に向けて、セールはあらゆることをずうっと綴ってきたのである。
 セールについての評論や評伝は驚くほど少ない。情けないことに、おそらく解読できないせいではないかと思う。セールを解読できないなんて、今日の世界思想はサイテーに近いということだが、そうなのだ。たとえば「現代思想」(青土社)がセールを特集したのは1985年9月号だったが、すでにして破綻していた。セールを雑音論の思想家とみなす風潮も強すぎて、ひどくとんちんかんだった。以来、ずっとサイテーかそれに近かったが、ただみんなでそういう事情にかまけていることを許容しあってきたようだ。
 なかでようやくセールに迫っていたのが、ひとつはブルーノ・ラトゥール(1766夜)によるインタヴュー『解明 M・セールの世界』(法政大学出版局)と、もうひとつは清水高志の『セール、創造のモナド』(冬弓舎)、『ミシェル・セール:普遍学からアクター・ネットワークまで』(白水社)だった。後者は唯一の“読めるセール論”ともいうべきもので、著者の清水は夫人を亡くす渦中でこれを書いたようだ。清水にはセールをフォーマットやアトラスにして自在に21世紀思想の行方を論じた『来るべき思想史』(冬弓舎)もあって、この人が(ひょっとするとこの人だけかもしれないが)、もともとセールの読み方に好ましいフィルターをもっていることを告げていた。ライプニッツの研究者だからであろう。
 セールの弟子筋(のはず)とは思えないラトゥールについては、次に述べるが、ラトゥールの良識ずくめのおもしろくない思想については今夜は深入りしない。

上:幼少時を過ごした砕石工場 下:兄クロードとともに。ボーイスカウト制服姿の兄弟(右がセール)
船乗りであったセールの父親は(のちに砕石工場を経営することになる)、もともと古い船頭の家に生まれ、砂や石を水路で運ぶことを生業としていた。セールは父の仕事を手伝い、祖先たちと変わらぬ世界との関わりのなかで、書斎よりも多くのことを学んだ。
清水高志『ミシェル・セール』(白水社)p292

海軍士官時代のセール(26歳ごろ)
エコール・ノルマル・シュペリウール(高等師範学校)で文学、哲学の学位を得る。写真は哲学の教授資格者になったあと、徴兵によりスエズ戦争で海軍士官として兵役に就いていたころ。船乗り言葉を覚え、星々や鯨たち、亀、熱帯地方、氷山、突風や水兵たちと日々を送っていた。
清水高志『ミシェル・セール』(白水社)p293

41歳のミシェル・セール
フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチにインタビューをするセール(1971年3月7日)。当時、パリ第一大学の教授になり、科学史を講義。初期の理論的著作シリーズ「ヘルメス」を発表。自然科学と人文科学をまたぐ雄大な企図のもと、さまざまな論考を世に問うた。
https://www.ina.fr/video/I06328553

80冊を越える著作を遺し、2019年、88歳でこの世を去る
晩年のセール。セールは多くの哲学者たちが十分な科学的知識を欠いていたことを嘆いていた。ブルーノ・ラトゥールをはじめ、カンタン・メイヤスーもフィリップ・デスコラも、セールの影響下にある。

 (06)よくぞこれでセール案内になったものだと思うのが、『解明 M・セールの世界』(1992)だ。ラトゥールがかなりぶしつけな聞き役になって、これに対してセールがそこまでしなくともいいと思えるほど一貫したセール節(まるで追分のようだ)で答えていくという一冊だ。
 セールと近い距離にいて「準-客体」(Quasi-object)という概念をすっぽり借りているはずのラトゥール(科学人類学者)ですら、こんなにもセールのことを理解するのに苦労するのかという一冊である。「準-客体」についてはのちに説明する。
 最初にラトゥールは、フランスの哲学研究者たちはあなたの著作をほとんど読んでいません、あなたの哲学は理解されていませんというふうに情け容赦なく言う。それはセールさん、あなたが自身で読み方を隠しているからではないか、ある主題から書きおこして科学や哲学や神話へと話を展開しているのに、結果に至る道筋を消しているのではないかと疑問を投げかける。
 君はなんという無粋な切り込みから始めるのかと、セールにさぞやがっかりするような怒りがこみあげただろうが、ラトゥールはかまわず土足でセールの胸中に入っていく。そうなってしまうのはセールさん、あなたが思想作品をヘルメスに捧げているからですよ、なぜそんなふうになるのか、一人でヘルメスの知をカタリ派のように弄んでいこうとするようになったのはなぜなのか、そこを問う。セールはしかたなく答える。
 自分が6歳のときスペインで1936年の戦争があった。9歳でドイツの電撃戦がきた。12歳のときに対独レジスタンス派と協力派が対立していくなか、強制収容所の悲劇が始まった。そして15歳のときに広島に原爆が落ちた。私の青少年期はゲルニカに始まってナガサキに至っていた。そうしたなかで数学や科学に関心をもって高等教育課程の資格をとるうちに、世界との付き合い方を科学思想まじりにしてみる覚悟をもったというのだ。
 そんな自分が一番の影響をうけたのは、実はシモーヌ・ヴェイユ(258夜)の『重力と恩寵』だったとも明かした。しかしラトゥールは納得しない。ゲルニカからナガサキに及んだ体験は当時の時代がもたらしたものだから、多くの者が似たような体験をしたはずで、それがセールさん、あなたに大きなものを与えたというなら、そのことが科学哲学思想に独自に反映していてよさそうなのに、あなたはそこをちっとも明確にしないではないか。それはなぜか。いつも総合化に向かおうとするからか。
 いや、総合化をしつつも瀘過を試みているのです。総合化は何かを過ぎていこうとしておこすことだけれど、私はそのときその「過ぎていく」に問題がひそむことに関心があって、その「過ぎ方」にずっと注釈をつけているのです、とセールは答える。そこに雑音や寄生がまじりこんでいることに注意を促すのだ。この説明は、まるで“数寄の哲学”を喋っているかのようなのだが、野暮な聞き手にはそうは伝わらない。
 科学的に人類の認知行動を解明したいラトゥールとしては、総合化のプロセスでいちいちそこにまじってきた夾雑物を言説にとりこんでいくというのは、科学者としても哲学者としても、とうてい理解しがたい文章づくりなのである。だから、セールさん、あなたの文章はわれわれ読者からして「読み」が効かないんですよ、あなたがそうしてしまっているのだと詰(なじ)る。
 私がなにもかもをいっしょくたにしていると思うんですね。二つずつの問題を相手にしていっしょくたにしているなら、なるほどそれは杜撰か乱暴だが、私が問題にしているのは二つではなく、たいてい三つ目のことなのです。これが光と父の関係のように、われわれに哲学することを強いるのです。こう、セールは答えるのだが、ラトゥールにはこの言い方に何が含意されたかはわからなかったようだ。
 おそらくライプニッツが「微分」にこだわった瞬間やポアンカレ(18夜)が「三体問題」に思いをとばした瞬間がここには去来したはずなのだが、『解明』インタヴューはそうはならないほうへ収束していった。
 三つ目とは天使やセレンディッブなものや創発カオスっぽいものであり、迎えにいく偶然とやってくる偶然とがうまく出会わなければ見えもしないものたちのことである。しかしそんなことのために、せっかくのテーマの説明が曖昧になって読者に届かなくなることを、硬派のラトゥールは心配したのだった。
 たしかにセールは、三つ目をうまく説明はしなかった。セールは暗示だけしたかったからだ。さんざんっぱらのロコズの展示のあげく、そこに最終的に不足したものがやってくるとしたら、それはそれまでの使用ロゴスではとうてい説明できない新たな暗示なのである。ラトゥールの学識にはそれが許せない。
 けれどもラトゥールは、哲学には芸当というものがあることや、思想には粋かどうかがあることがわからない。ようするに「スタイル」のほうが「思想」や「学識」より上等だということがわからない。セールがクラプトンの演奏なら、ラトゥールは一本指でピアノを弾いているようなものなのだ。

師匠セール・弟子ラトゥール
弟子のラトゥール(右)が、セールの思想過程を解明しようと試みたインタビュー本『解明 M・セールの世界』。科学、テクノロジーの考察から出発し、文化人類学、哲学、社会学、地理学、現代アートについて語り合う。

強制収容所とその内部
ベルギー、ブレーンドンク要塞。ブリュッセルとアントワープの中間にあり、第二次大戦下にナチスが強制収容所として利用。セールの故郷アジャンを含めた南フランスがナチスドイツの占領下に置かれたのは1942年の10月だった。[Masahiko Ida, 2019]

無差別爆撃、ゲルニカ爆撃
1937年のゲルニカ爆撃のとき、セールはまだ6歳の少年だった。国境からさほど遠くない地域に住んでいたセールにとっては他人ごとではなかった。翌年、この無差別爆撃を主題としてスペインの画家パブロ・ピカソが『ゲルニカ』を描く。セールはこの絵画を直視できないと語っている。
CC BY 4.0

若きセールの運命を変えた一冊
海軍兵学校に進学し19歳になったころ、友人たちとまわし読みした雑誌でシモーヌ・ヴェイユの存在を知る。ヴェイユの『重力と恩寵』に書かれた工場体験や暴力についての洞察に衝撃をうけ、海軍兵学校を辞めて哲学の道を志す。写真左はフランスのレジスタンスとしても活動していたヴェイユが、つかの間にカフェでくつろいでいる様子。ヴェイユの死後、遺された思想ノートを受け取っていた友人のギュスターブ・ティボンが編纂し出版したのが『重力と恩寵』だった。

 (07)『パラジット』(1980)が第4部「夜の宴」にさしかかってまもなく、セールはこの宴がいったい誰によって招かれ、誰がその気になってそこにやってきたかという問題について、突然に「準-客体」(Quasi-object)という言葉を持ち出して、説明に代えた。
 ラ・フォンテーヌ『寓話』の、都会のネズミが田舎のネズミに骨付きホオジロを御馳走した話をとりあげて、いったい世界や主体にとって「寄食者」(parasite)とは何をあらわしてきたことなのか、寄食するとは何かを、われわれが歴史的に何かを獲って食べたり、貨幣で何かを交換したりしてきたこととは何がちがうかをめぐったのが『パラジット』という一冊だから、最後になってそういう話(どちらが主体でどちらが客かはつねに半ばしていくという話)になるのは理に適(かな)ってはいるのだが、セールはあいかわらず「準-客体」を定義づけたりはしない。
 ところが、この「準-客体」がブルーノ・ラトゥールによってアクター・ネットワーク理論(ANT)の主役になったのだ。本来のネットワークは堅い主客関係によってつくられるのではなく、ハイブリッドな準=主体(Quasi-subject)と準-客体によって形成されるというもので、とくにおもしろくないし、立派なものでもないが、けれどもラトゥールらはこれを徹底して説明可能なしくみにしていったため、いまではANTはセールのコンセプトによる運動思想論だということになった。
 よくあることである。学識と思想がこのように継承されていくことは、研究者たちにとってはそれなりに望ましい展開だ。しかしぼくが見るに、セールの「準-客体」はそんな運動体をめざすようなものではなかっただろうと思われた。むしろ、世界についての情報の授受においては、古来、必ずや「準」(なぞらえ)あるいは「擬」(もどき)という状態が混入したり、主役まがいの役割を発揮するもので、ときにオリジナルの本体よりも「準」や「擬」こそが高速化するのだということを、セールはスタイリッシュに暗示しておきかったのではないかと思うのだ。
 セールはそうは書いていないけれど、これはセールの議論がたえずコンティンジェントな状態とは何か、歴史の中にしばしば予告なくあらわれるコンティンジェンシーの正体とは何かという解明に向かっていたのだということをあらわしている。ぼくが勝手にそう思うだけではあるが、おそらくそのようにセールを読むことが、今後のセールの本の共読を可能にしていくにちがいない。セールふうには、共可能(com-possible)にしていくだろう。

奇食者? ネズミとイナゴ
『パラジット』の原著。昆虫や軟体動物、節足動物といった小動物によく見られる「奇食」(寄生、パラサイト)という現象が、もともと人間同士の関係を指す言葉だろうとセールは分析。人間の文化活動、とくに「交換」をとりあげエセー風に論じていく。

 (08)最初にセールの何を読んだのか、忘れていた。さきほど書斎の本棚を覗いてみて(ポランニー、バシュラール、ベイトソン、セール、レヴィナス、モランが並んだ本棚だ)、ああそうだ、及川馥が訳した『生成』(1982)だったと思い出した。「概念をこえる試み」とサブタイトルしてあったので読んでみたのだと憶う。忘れていただけではなく、ぼくは『生成』を読みちがえたままだった。
 『生成』はバルザック(1598夜)の『知られざる傑作』に登場する画家フレンホーフェルの絵《美しき諍い女》をいじっているエッセイがもとになっていて、「ノワーズ」(noise)とはどういうものなのかを追った一冊である。ノワーズはたんなる雑音(ノイズ)ではなく、「そこ」から発信されているなんともいえない「理解しがたいもの」のことで、そんな基調からずれているようなものにこちらが惹かれるはずがないのに、気がつくととらわれているような、そういうものをいう。
 セールはそういうノワーズなものが「概念をこえるもの」で、それをこそきっと「生成」とみなしたのだが、ぼくは『生成』を読んだときはそういう解釈ができないままだったような気がする。むしろセールの生成は「ヘルメスとしての生成」というもので、地球の生成、生物の生成、認識の生成にまつわる出来事やその解明のための仮説のことを言うのだろう、その生成をセールはできるだけ同じエルゴート量をもって説明しようとしているのだろう、そう理解したのだ。
 このセール理解はとんちんかんではないはずだが、半分しかセールに近づいていない。地球の生成、生物の生成、認識の生成にまつわる出来事、それはほとんど情報編集の出来事だったわけだが、セールはそのいずれにもノワーズな因子を読み取るか、あえて絡ませて読み取っていたようなのだ。
 しかしそんなふうにしていることを、セールは論理的には語らない。それがラトゥールが苛々するところで、だから哲学界からは無視されるか軽視されるところになるのだろうが、それでもセールはその方法を演奏文体(スタイル)だけでしかあらわそうとしないのである。
 これは、セールが「理解のアルゴリズム」以上に「察知のアルゴリズム」に強いということを示しているとともに、『哲学を讃えて』(1995)の中でこっそり打ち明けているのだが、金融組織-大学-メディア体がこぞって陥っている「差別していないふりをするカムフラージュの知」に、決して冒されないようにしてきたこと(つまりはセールなりの抵抗の方法だったこと)を示している。セールは20世紀の大学の知のあり方が大嫌いだったのである。一方、ラトゥールはそういう知の根本の成り立ち場のことがわからないわけだから(動くネットワークを現想化しているからだ)、かなりおバカだということになる。

ピカソによる『知られざる傑作』の挿絵
バルザックの小説『知られざる傑作』の挿絵は、銅版画をマスターしたばかりの若きピカソが手掛けたもの。12枚の挿絵は、物語を深く掘り下げ「画家とモデル」の関係を様々な面からとりあげたものになっている。ちなみに作中の画家フレンフォーフェルは10年以上かけて《美しい諍い女》を孤独に描き続けていたが、誰にも認められず、最後には燃やして死んでしまう。

ポランニー、バシュラール、ベイトソン、セール、レヴィナス、モラン
松岡書斎の哲学棚のカットアップ写真。名前を上げた思想家の著作はほとんどモーラしている。

執筆中、デスク傍らにおかれた『生成』

執筆後、編集部のデスクにセール本を次々と積み重ねていく松岡

 (09)以上、肺ガンの手術をうける前にミシェル・セールについてちょっとばかり書いてみた。はたしてセールをわかりやすくしてあげられたかどうか、せめて佐野元春のようにカッコよくしてあげられたかどうか、かえって面倒にしたのではないかと恐れるが、こんなふうに書いてみて、やはりセールは当分理解されないだろうなという実感をもった。
 あらためていろいろ読んでみて、セールがあまりにも頑なにサービスをしなさすぎていたこともはっきりした(頑固か、不器用か崇高なのだ)。造語も少なすぎる。『小枝とフォーマット』ではフォーマット化することをフォーマタージュ(formatage)という造語にしたり、そういうことを推進した者をフォーマティー(formaty)という造語にしたりするのだが、気にいらなかったのか、あまり使っていない。
 なぜそんなふうになるのかといえば、セールは造語に託すよりも、歴史の中のどんな概念や用語をも、その使われ方に新たな反転の意図を感じとり、その理由を存分に説明できたからだろう。造語をするにも語源にこだわりすぎて、トビがない。これではノリが悪い。
 それならせめて世間の惨状や学識の偏向を告発をしてくれていれば多少は助かるのだが、それもしない。じっとガマンしているのか、つまらぬ怒りには加担しないのか、それともほんとうは文体の自己陶酔からさめないまま数十年にわたっているのか、セールはひたすらセール節を歌いつづけるだけなのだ。
 内分泌ならぬ「外分泌学」にずっと耽っていたのかもしれない。そんな気もする。知識を知覚のプロクセミクスに投影させて“外分泌”したのだ。でも、このことも理解されてはいないだろう。
 それでも最晩年にヒントを洩らしたかに見えた。『作家、学者、哲学者は世界を旅する』(水声社)という一冊で、フィリップ・デスコラの『交錯する世界』(京都大学学術出版会)や『自然と文化を超えて』(水声社)に少しホッとしたのか、デスコラのトーテミズム、アニミズム、アナロジズム、ナチュラリズムの4区分けを踏襲して、世界を或るフォーマットにしながら分岐させることの自由度を解読してみせたのである。
 が、それもまあ、セールのイリュージョン・マジックのひとつかもしれず、下手なサービスにすぎないかもしれない。ほんとうはセールは「生体や歴史の中のエルゴード性」にもとづきながら、そこにノワーズに出入りする天使の消息などを綴りたいのであって、世界はこんなふうに四方に対象分担できますとか、現象はオブジェクト実在できますとかと言いたいわけではないはずなのである。
 それなのに、なぜセールは現代思想の最前線に、ポストモダンな系譜の一人に並べられてしまったのだろうか。いまとなっては口惜しいばかりだ。
 最後に一言加えておくが、セールの書きっぷりはヨーロッパ思想としてはめずらしく華厳的で相依相入的なのである。ぼくはもうそんな冒険的なことにはとりくまないが、セールを読み直すにはライプニッツと華厳を相互浸透させつつ、セールの文体を電子媒体などつかってリミックスさせていくとおもしろいのではあるまいか(中沢新一君ならそんな芸当を心得ているだろう)。それというのも、本当に粋な思想があるとすれば、それはいまやハイパーヒップホップやキマイラVRにしてみせるのが手っとりばやいと思えるからである。では、みなさん、肺ガン手術を受けて参ります。再会は万緑の五月半ばに。

(図版構成:寺平賢司・西村俊克・井田昌彦・梅澤光由・衣笠純子・牧野越叢、校正:八田英子・井田昌彦、キーエディット:吉村堅樹)


⊕『小枝とフォーマット』⊕

∈ 著者:ミシェル・セール
∈ 訳者:内藤雅文
∈ 発行所:法政大学出版局
∈ 製版・印刷:三和印刷/鈴木製本所
∈ 発行:2006年8月10日

⊕ 目次情報 ⊕
『小枝とフォーマット』

∈∈ システム
∈フォーマット=父親
∈科学=娘
∈養子の息子
∈∈ 物語
∈出来事
∈出現
∈今日
∈∈ ミッシェル・セール著作一覧
∈∈ 訳者あとがき
∈∈ 人名索引
 
⊕ 著者略歴 ⊕
ミシェル・セール(Michel Serres)
1930年、フランス南西部アジャンの生まれ。哲学者、文筆家。パリ大学、スタンフォード大学、コレージュ・ド・フランス等で教鞭を執る。人文学から科学哲学に至るまで幅広い学問領域に通暁し、その著作はフランスの詩的散文の一つの到達点とみなされる。2019年、死去。

⊕ 訳者略歴 ⊕
内藤雅文(ナイトウマサフミ)
1952年生まれ。筑波大学大学院文芸言語研究科各国文学専攻博士課程修了。フランス文学専攻(マルセル・プルーストの研究)。現在、武蔵大学・二松學舍大学非常勤講師。訳書にJ.-J.C. グー『哲学者エディプス』、T. トドロフ『未完の菜園』など。