才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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模型のメディア論

時空間を媒介する「モノ」

松井広志

青弓社 2017

編集:矢野恵二
装幀:宮田雅子

本物でもない、実物でもないのに、「模型ぶつ」は本物や実物に近く、ときに本物や実物以上の何かを見せてくれている。いったいこの「ホンモノに匹敵する力」とは何なのか。ひょっとすると、似顔絵やカリカチュアがもつ「ホンモノらしさ」と関係しているのじゃないか。これって略図的原型のもつ力じゃないか。そんなふうに「模倣と模作という謎」にはまっていったのだ。この謎へのこだわりは、

 ようやくこの手の本がかたちをなしてきた。嬉しいかぎりだ。この手というのは「模型」と「模型の思想」に関するもので、玩具文化史や大衆文化論に拡散しないものをいう。といって単に思想に走るのでなく具体事例にもそこそこ富むというものだ。それが日本にも登場した。
 事例は日本だけだが、鉄道模型からガンプラまで、模型雑誌からフィギュアまで、かつ最近の「もの思想」(thing theory)や「オブジェクト思想」(object oriented ontology)をめぐる現代思想についても手際よくかいつまんだ(後述する)。それらをひたすら案内に徹し、面倒な議論を省いて一冊にまとめた。
最初から最後まで生硬な記述ではあるが、そこがかえって慎(つつ)ましく感じられて気にいった。発売してまだ一カ月もたっていないけれど、今後の水先案内本になるだろう。

 模型とりわけ工作模型というものは、とても妙なものである。かつて千夜千冊に『田宮模型の仕事』(105夜)をとりあげたとき、ぼくは模型の思想が「ミメーシス」と「もどき」を本質にしていると述べ、そこにはリアルとヴァーチャルを分断するものがないと書いた。
 工作模型は実物ではない。本物でもない。そもそもサイズが異なるし、素材もたいていは安物の材料でできている。大半は縮小模型か学習模型か玩具であって、見かけだけが「そっくり」あるいは「ややそっくり」もしくは「模式風」で、それがやたらに小さくなっている。なにしろ戦艦武蔵やメッサーシュミットやダースベイダーたちが手のひらに乗ってしまうのだ。
 つまり模型は「にせもの」であって「イミテーション」であって「フェイク」なのである。けれどもデフォルメは嫌われる。だから精密な模型が多く、それをちょっとでもつぶさに見てみると、なんだか細部が異様にヴィヴィッドに訴えてきて、どこか「本物まがい」なのに「本物はだし」なのだ。その本物まがいであること、紛いであるのに「本物らしい」ということの反証力に、しばしば合点してしまうのだ。
 かつて江戸後期の「根付」(ねつけ)が手のひらに入る独自な彫塑を制作しつづけて、欧米のコレクターがごっそり買い込んでしまったことがあったものだが、あれはアートとして根付が好まれたからで、たとえばタミヤのプラモデルや海洋堂の食玩は、そういうアートとは見なされない。
 それなら、そういう模型は実物や本物がもたらすイメージをわれわれに照射していないのかというと、さあ、どうか。ときに実物や本物では告げられない「イメージのエクリチュール」を発揮しているとも言える。

 かつてヴァルター・ベンヤミン(908夜)は、複製物には実物や本物がもっていたアウラがなくなっていると指摘した。写真のことを例にした有名な『複製芸術論』での言及だが、この見方は半分は当たっているが、半分はまちがっていた。
 複製写真にもアウラはある。マン・レイ(74夜)から杉本博司に及ぶ写真家たちがやってみせたことは、複製写真がもたらすアウラをつくることだったはずである。これらはアートなので売り買い可能な商品であって、その価格は揺れ動く。
 ロラン・バルト(714夜)が写真について、ステゥディウムとプンクトゥムを対比させたことがあった。これまたバルトの少女めいた写真が載って有名になった『明るい部屋』での記述だった。ステゥディウムというのはお勉強によって獲得したイメージが身につくことで、プンクトゥムはそのようなステゥディウムを壊すようなイメージが対象物からやってくることをいう。
 バルトはプンクトゥムには「私を突き刺す偶然」があると言った。ステゥディウムは名指しができるぶん、それがないとも言った。むろん、そういうこともあるだろうが、これでは必ずしも十分ではない。その「突き刺す偶然」は実はコンティンジェントな別様の可能性として、ある種の「作りもの」にはもともと芽生えているものだったはずなのである。バルトはそこを見なかった。
 ベンヤミンやバルトにして迂闊だったのだ。工作された模型には、アウラもプンクトゥムも発現しうる。なぜならそこには世阿弥(118夜)の「物学」(ものまね)やアウエルバッハの「ミメーシス」や、折口信夫(143夜)の「もどき」やガブリエル・タルド(1318夜)の「模倣の法則」が、如実に生きてくるからだ。
 もっとも、そういうことがそこそこ実感できるには、少年の頃に模型工作に熱中していたほうがよかったかもしれない。そういう熱中をしてみると、つねに「勘違い」が細部にわたって理解されてくるからだ。この勘違いは「感ちがい」であってまた「感知外」であり、「関知外」であって「換ちがい」というものだ。模型の思想には、この“変換にともなう勘違い”がけっこう重要なのである。

 少年時代、ぼくは自分が模型工作が好きなのは、セメダインのにちゃにちゃ感触と揮発性のたまらない匂いと劇的なくっつき力のせいだと思っていた。セメダインは今村善次郎が関東大震災の直後に発売した日本最初の化学接着剤である。そのセメダインが昭和に普及して、高額の英国製のメンダインや米国製のセナシチンを駆逐した。“攻めダイン”なのだ。
 セメダインはどうみても、少年をおかしくさせる魔法だった。案の定、紙と竹ヒゴとニューム管で模型飛行機を工作しているうちに、それだけでは止まらず、好き勝手なお化けのような立体工作物をつくって遊んだものだ。セメダインがその場に何かを現出させていくアウラに、ぼくはついつい巻き込まれていくことに夢中だったのだろう。
 そのセメダイン社が全国模型飛行機大会を主催していたことは、ずっとのちに知った。あの大会では「東は木村秀政のエーワン(A1)、西はエルエス(木村貫一)のスカイホーク」がいつも噂になった。この2機が当時のライトプレーンの代表だったからだ。みんなこの2機の真似をした。
 模型は実物の模倣に始まっていくのだが、その模型もまた次から次へと模倣物と模擬物を派生するわけである。けれども安直にシミュラークルとは見なせない。

航空機設計の重鎮・木村秀政
タミヤニュースの創刊号では、模型ファンに向けて木村のインタビューが掲載された。

 もう少しぼくの話をしておくが、そのうちちょっとしたことに気がついた。
 小学校5年のときにつくった電気倶楽部で友人たちと乾電池で遊んだり(『乾電池あそび』619夜参照)、鉱石ラジオのバリコンや中学の科学部で不思議な形の実験器具にまみれるようになっていくと、たしかにセメダインも大好きではあるけれど、ぼくが好きなのは実は「模型ぶつ」であるということがだんだん判明したのだ。
 本物でもない、実物でもないのに、「模型ぶつ」は本物や実物に近く、ときに本物や実物以上の何かを見せてくれている。いったいこの「ホンモノに匹敵する力」とは何なのか。ひょっとすると、似顔絵やカリカチュアがもつ「ホンモノらしさ」と関係しているのじゃないか。これって略図的原型のもつ力じゃないか。
 まあ当時はそこまで考えたわけではないが、大筋、そんなふうに「模倣と模作という謎」にはまっていったのだ。この謎へのこだわりは、ずっとのち「遊」の「相似律」特別号に化けていくことになる。千夜千冊では川瀬武彦の『まねる』(228夜)を紹介したことがあるので、そちらも読まれたい。

 模型は「型」であった。誰かが戦艦大和やメッサーシュミットに「型」を見いだし、それを縮小トレースしてみせたのだ。誰かというのは実験工作メーカーの誰かさんだ。
 その誰かさんは本物や実物がもたらすアウラを、ちっぽけな縮小模型にうつしたのである。それだけではなく、そのうつした模型を解体してパーツに分けたのである。そのパーツに分けた模型キットは、その気になって組み立てていけば誰もが誰かさんの「志」(志向性)に近づけるようになっていた。
 こうしてここにセメダインが登場するわけだ。模型をつくるにあたっては、パーツをくっつけて再生するという作業が必須になる。糊付け(「そくい」付け)、セメダイン付け、ハンダ付け、ビス止め、ボルト・ナット締めなどがある。これらは模型工作に没頭した者に付随してやってくる「感能もしくは官能」だったのである。プンクトゥムだったのだ。ぼくに関しては、そこにたいていレンズ・フェティシズムが絡まっていた(飯田鉄『レンズ汎神論』574夜参照)。

 模型そのものもいいが、その模型を支えている「模型思考」もいい。ぼくはだんだんそちらにも惹かれるようになった。模型にこだわる思想や思考や方法に愛着が出てきたのだ。
 模型思考はモデリングに始まる。彫刻で塑像をつくること、絵画で立体感を出すこと、CGなどの三次元画像の形状を決定することもモデリングだが、機械工学や物理工学でモデリングといえば模型をつくることをいう。
 モデリングの真骨頂は可塑的であることだ。まずは粘土のような可塑的な素材をつかって「模型ぶつ」に向かう。太らせたり削ったり、抉ったり肉付けたりしたりするうちに(what-if分析)、だんだん形状と細部もどきが見えてくる。トップダウン思考とボトムアップ思考が作り手の「手」によって組み合わさり、しだいにミドルウェアが姿をあらわしてくるわけだ。編集工学でのモデリングも、だいたいこうなっている。
 あらかた「模型ぶつ」が出来上がれば、いったん着色したり、アクセサリーを付けて本物っぽく仮仕上げをするのだが、次はこれをパーツに分ける。そのパーツはもともとの「実物」を構成していたパーツではなく、「模型ぶつ」がもたらす再生再現用パーツだ。ここからはプラモデルづくりの逆のプロセスが進行していくので、わかりやすいだろう。ここには往きと帰りのリバースエンジニアリングが異なるという醍醐味が、ある。

 模型思考にはつねに「ほんと」と「つもり」が行き来する。しかし、「ほんと」が本物や本当で、「つもり」が擬似的で偽証的であるとはかぎらない。むしろ「ほんと」を実証したりすることが難しいのは、世の中の社会的事件を持ち出してみれば見当がつく。逆に「つもり」にひそむ想像力こそに、『摩訶止観』にいう当体全是があるともいえる。当体全是というのは「そう、そう、それそれ感覚」のことだ。
 そう言うと、なるほど松岡はジャン・ボードリヤール(639夜)の「シミュラークル」に惚れたんだと思われそうだが、むろんそういう面もあるし、ボードリヤールの分析には大いに気にいっているものも少なくないのだが、記号消費だけに引きずりこまれたという思いはない。
 そうなっていった経緯については、ここでまたまたぼくの青少年期の話になるが、むしろ模型工作雑誌に煽られることが少なくなかったのだ。当時の模型少年にとって、そうした雑誌は「どうしても覗き込みたいネヴァーランド」であって、「独り言がいつまでも続けられるコミュニケーションマシン」なのだ。

 最初はなんといっても「子供の科学」(誠文堂新光社)だった。原田三夫が創刊して戦後に復刊されたこの雑誌は、毎月の特集やコラムもさることながら、二宮康明が工夫する紙飛行機の折込み付録が待ち遠しかった。
 「子供の科学」が解説している理科実験や採集標本づくりもいろいろ自分でやってみては、愉しんだ。ぼくだけではない。みんながみんな、「タングステンおじさん」(1238夜)に憧れまくっていたわけだ。
 次によく見たのは「模型少年」(教誠社)や「科学と模型」(朝日屋・模型社)だったろうか。8ページくらいの色付きページや巻末の小さな広告の文句さえ見逃せなかった。ほかに「模型と工作」(技術出版)、「模型とラジオ」(科学教材社)、「ラジオと模型」(少年文化社)などもしばしば貪った。
 こうした模型雑誌に対する愛着は、長じても古本屋で日光書院の「模型」や毎日新聞社の「模型航空」などに出会うと、ついつい手に取ってしまうという性癖にも残響した。

『子供の科学』
誠文堂新光社が出版している子供向け科学雑誌。1924年の創刊以来、90年を超える歴史を保っている。

 中学生になると、なぜか模型のほうがずっと実物らしく見えてきた。萬代屋の「B29双発プロペラ回転式飛行機」「B26」が出回り、マルサン商会の夢のような「原子力潜水艦ノーチラス号」「ダットサン1000」が突如として出現したせいだ。
 ノーチラス号は本書によると1958年の発売だったようなので、ぼくは14歳になっていたことになる。14歳でも胸が高鳴っていたこと、よくよく憶えている。萬代屋はのちのバンダイである。このあたりのことについては『田宮模型の仕事』(105夜)にもあれこれ綴っておいた。
 もっとも、ぼくは模型づくりやのちのプラモづくりには全力疾走しなかった。中学から高校になるころ、鉱物や天体や物理に関心が移っていて、さきほども書いたように、そちらの中に頻出する模型思考のほうや数学モデルに惹かれていったからだ。セメダインは、物理化学の仕組みの中にひそむ「考え方の接着」のほうへ引き取られていったのである。
 そうではあるのだが、その後のマルサンのゴジラ、タミヤのミニ4駆やタイガー戦車、イマイのサンダーバード、バンダイのガンダムなど、世の中を席巻していった模型たちの勇姿は、いつもぼくを襲ってきていた。それらは社会人になってしまった松岡正剛に対しての、その現場から離れてしまった者を諌めるかのような刺戟的制裁だった。
 やがて制裁は解除されていく。世の中の注目がプラモから海洋堂の食玩へ、また怪物や妖怪からフィギュアへと変移していったからだった。

 本書は、江戸の雛形が近代日本のなかでどのように科学模型に変じていったのかから説きおこし、静岡の青島次郎の青島飛行機研究所が青島文化教材社となって以来、どんな事情で静岡が模型工作屋のエンジンとなり、その後は日本帝国のもとの戦時模型文化を推進したのか、それが戦後の田宮模型などが先導したプラスチックモデル・ブームに転換していったのかを、手際よくまとめている。
 日本の模型文化史については手に入りやすい本がほとんどない。日本玩具史の類いを見るか、もしくは『日本の模型 業界七十五年史』(東京都科学模型教材協同組合)や『語りつぐ昭和模型史』(ブンカ社長室)などをひっくりかえすのだが、これらは図書館に行かないとない。それで本書の手際よさが便利なのである。
 それでも、個別模型に詳しい研究や調査やドキュメントはいろいろ出回った。たとえばプラモについては井田博の『日本プラモデル興亡史』(文春文庫)がやたらにおもしろい。これは北九州の模型屋さんの回顧なので、昭和から平成におよぶ模型ブームの盛衰がまざまざと蘇ってくる。正史としては日本プラモデル工業協同組合の『日本プラモデル50年史』(文芸春秋)が、ドキュメントには今柊二の『プラモデル進化論』(イーストプレス)などがあるものの、やや退屈だ。
 個別メーカーについては、『田宮模型全仕事』全3冊(文春ネスコ)と、宮脇修一『海洋堂の発想』(光文社新書)、あさのまさひこ執筆構成の『海洋堂クロニクル』(太田出版)が、なんといっても他を圧してエキサイティングだ。とくに『海洋堂クロニクル』は370ページ一冊まるごとがまるで「読み見る模型」のようになっていて、唸らせる。ぼくはいまだに読み見きれていない。定番なら『萬代不易 バンダイグループ三十年の歩み』(バンダイ社史編纂委員会)、『トミー75年史』(トミー社史編纂委員会)などだろうか。
 そのほかガンダムについては格別の文献が勢揃いしているというような、特殊事情もある。ガンダム世代ではなかったぼくには、いささか読みにくい。

海洋堂クロニクル

 最後にリクツの話を少しだけしておきたい。最近になって“Thing Theory”や“Thing Knowledge”についての議論が日本でも浮上してきた。「もの思考」の復活だ。
 目立つところでいえば、デービス・ベアードが実験機器に着目した『物のかたちをした知識』(青土社)やビル・ブラウンがボードリヤールの記号消費から離れてモノと記号の関係を再構築した『モノ理論』(未訳)が読まれるようになってきたし、ブルーノ・ラトゥールが非人間的な事物をアクターに見立てて提唱した「アクターネットワーク理論」や、グレアム・ハーマンやティモシー・モートンがオブェクト間の連携を代替因果という概念で説明した「オブジェクト指向存在学」なども、やっと注目を浴びるようになってきた。ラトゥールは『科学論の実在』(産業図書)が訳されている。
 これらをまとめては、上野俊哉君が訳してくれたのだが、スティーヴン・シャヴィロの『モノたちの宇宙』(河出書房新社)が思弁的実在論に組み立てなおしていて、かなりに雄弁だ。ホワイトヘッド(995夜1267夜)のプロセス思考からカンタン・メイヤスーの相関主義批判の検討までが議論され、「もの」自体についての思索をどう21世紀の哲学や社会学に入れ込めるのかという展開に向かっている。そのジャヴィロをさらに発展した試みに、森元齋の『具体性の哲学』(以文社)などがある。

 シャヴィロが検討材料にしたものには、ホワイトヘッドとジェームズの議論がたくさん頻出するのだが、それを縫ってなかなか興味深い考え方や見方が挙がっている。
 エマニュエル・レヴィナスが「他を同に変容させること」をしきりに重視していたこと、カンタン・メイヤスーが「まちがって思考の無能力ととらえたものを事物そのもののなかに捉えなおす」と言った見方、そこに偶有性(コンティンジェンシー)が折り畳まれていることを確認したこと、グレアム・ハーマンが模型思想にあてはまりそうな「道具存在」「代替因果性」という見方をしたり、「ほのめかしや魅了は知識の正しい形式である」と考えていること、ジョージ・モルナーの「志向性にとてもよく似た何かが物理世界にもあるはずだ」や、デヴィッド・スクルビナの「すべてのモノには精神に似た性質がある」といった見方、ジェーン・ベネットの生気論的唯物論の見方、ジルベール・シモンドンの質料形相的図式、ストローソンの現実=実在物理学主義という立場の提案などなどだ。ここでは用語だけを示すにとどめるけれど、それぞれ含蓄に富んでいる。
 しかし本音をいえば、こうした「もの思考」復活劇はあまりに遅きに失したのではないかと思う。これらの議論はぼくが「遊」を“objet magazine”と名付けたとき以来、また『自然学曼陀羅』(工作舎)に模型自然論を書いたとき以来、待ち望んでいたものだったのだ。リクツが構築されてこなかったのは、リクツ屋たちがあまりにフッサール現象学やソシュール言語論や、ポストモダン思想にとらわれていたからだ。そこには一人として「タングステンおじさん」がいなかったのだ。
 物体と模型、実在と模式、現象と実験は、いまさら言うまでもなく、どちらが「つもり」でどちらが「ほんと」なのか、容易には区別なんてつかないものである。いや、区別をつけてはいけなかったものなのだ。諸君は、もっと模型や模擬に遊びなさい。新たな模倣や模作に遊びなさい。

「遊」では常に「模型」が出入りした

⊕ 模型のメディア論─時空間を媒介する「モノ」 ⊕

∈ 著者:松井広志
∈ 発行者:矢野恵二
∈ 発行所:青弓社
∈ 印刷所:三松堂
∈ 製本所:三松堂
∈ デザイン:宮田雅子

⊕ 目次情報 ⊕

  序章 模型というモノ/メディア
∈ 第1部 歴史
  第1章 日本の近代化と科学模型
  第2章 帝国日本の戦争と兵器模型
  第3章 戦後社会とスケールモデル/プラスチックモデル
∈ 第2部 現在
  第4章 情報消費社会とキャラクターモデル/ガレージキット
  第5章 グローバル化・デジタル化と拡散する模型
∈ 第3部 理論
  第6章 ポピュラー文化における「モノ」―記号・物質・記憶
  第7章 「モノ」のメディア論
      ―メッセージ・ネットワーク・オブジェクト
  終章  模型のメディア論

⊕ 著者略歴 ⊕
松井広志
1983年、大阪府生まれ。大阪市立大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学、博士(文学)。愛知淑徳大学講師。専攻はメディア論、文化社会学。共著に『動員のメディアミックス(仮題)』(思文閣出版、近刊)、論文に「メディアの物質性と媒介性」(「マス・コミュニケーション研究」第87号)、「ポピュラーカルチャーにおけるモノ」(「社会学評論」第63巻第4号)など。