実野恒久
乾電池あそび
保育社 1981
ISBN:4586505427

一点のダアリア複合体
その電燈の企画なら
じつに九月の宝石である
その電燈の設計者に
わたくしは青い蕃茄(トマト)を贈る

 宮沢賢治の『風景とオルゴール』にある一節である。何も言うことはない。完璧だ。賢治はそもそもが『春と修羅』の冒頭で、「わたくしといふ現象は、仮定された有機交流電燈の、ひとつの青い照明です」と宣言していた“電気者”(でんきもの)なのである。
 これでわからない者にはできれば付き合いたくないが、そういう手合いにも少し優しく忠告するのなら、「電線工夫」のこういう詩だろうか。

でんしんばしらの
きまぐれ碍子の修験者
雲とあめと そのまっ下の
あなたに忠告いたします
それではまるでアラビア夜話のかたちです  

 前にも書いたことだが、ぼくが最初にクラブ活動に乗り出したのは小学校での電気倶楽部だった。
 花井君という家が大工の同級生がいて、彼と足利君との3人で電気を探検しようということになって、ひそかに結成した。電気の探検といっても乾電池で遊ぶか、コイルを巻くか、鉱石ラジオを作るか、そのたった3つだけの探検である。
 しかし、それだけでも、もう夢がいっぱいだった。ろくなことはしていなかったけれど、今晩、花井君のところで集まるというだけで、われわれはメンロパークの魔術師の気分になれたのである。けれども、さあ、何を作ろうかということになると、花井君のお父さ
んがあっというまに箱を拵えたり、その箱に重源よろしく車をつけてくれるので、ぼくたちはそっちのほうに感嘆してしまって、実のところはついぞ目に見える成果に到達はしなかった。

 しかし、この電気倶楽部の集いの感覚は、その後のぼくを大きく変えた。
 実際にも鉱石ラジオに熱中したり、手製乾電池作りに耽ったりという後日談もあるのだが、それより、電気的精神幾何学とでもいうものが、その後もずうっとぼくを占めたのである。そしてその挙句が、宮沢賢治の文学的乾電池とでもいうべき衝撃との出会いなのである。これはもう電気雷鳴であった。申し分がなかった。
 こうした衝撃の後遺症はいつまでも止まないもので、のちに『遊』創刊号の「電気式記憶物質館」や1005号の「電気+脳髄」という特集をつくったのも、このせいだった。つまりはこれらは小学校の乾電池遊びと宮沢賢治の後遺症だった。

 この1979年の1005号は、冒頭に松岡桂吉君が撮りまくった夜陰の電信柱だけをずらりと置いた。
 ついで日本に最初のマイコン・ブーム(パソコンという言葉はなかった)をおこした慶応大学のロゲルギストであった高橋秀俊さんに「電気の光景」を語ってもらい、その電子に分け入って関英男さんの『超電子の動向』、秋山邦晴さんの電子音楽論、山口勝弘のエレクトロニック・アート論というふうに続いて、ここで電気が怖くてしかたがない中井英夫さんに「電気地獄草子」というエッセイを綴ってもらった。世の中には半分は電気に慄く一群がいるもので、三島由紀夫や中井英夫はその代表なのである。
 そのうえで、ぼく自身が「文学的電界の消息」という電気文学案内を書いてみた。ヴィリエ・ド・リラダン偽伯爵の『イシス』と『未来のイヴ』にひそむ「電気的無常」の案内に始まるもので、「電気には芳香と雑音と加速度が棲んでいる」ということをなんとか告げたくて綴ったものである。
 これがぼくが初めて電気の恋を告白した文章なのである。そこで小学校時代の電気倶楽部にもふれて、こんなことを書いた。

 小学生の頃より“電気倶楽部”のメンバーだった私は、丹波保次郎の『電聖列伝』やエジソンやフランクリンの自伝、あるいは 青刷の広告ページの秘密めいた電気工具こそおめあての「子供の科学」やラジオ雑誌などで、さかんに電気的緊張を支えたし、かの芳香と雑音と加速度に溺れていた。
 大学時代には、ただ電気事情の渦巻く現場の一端にかかわりたいというそれだけの目的で、照明技師のアルバイトにも精を出した
 このような電気的半抽象劇場にかかわっている昂奮にくらべると、友人たちが執心するドストエフスキーやら志賀直哉やらの、つまり文学と称する界隈のなんと退屈に見えていたことか。バリアブル・コンデンサーの華厳経にも似た緻密な励起からみれば、トニオ・クレエゲルは二重コイルのない善財童子にすぎず、グレゴオル・ザムザもまた電界を喪った仮名乞児にすぎなかった。
 しかし、その情意の起伏をしか知らぬとおもわれた文学が“一人の宮沢賢治”をもっていたことに遭遇して、私はあらためて文学と言葉による半抽象劇場の愉快と可能性を告示されることになる。

 このように、ぼくはいつしか電気病に罹っていたわけである。犯人の一人が宮沢賢治であり、主治医が稲垣足穂であって、電気病棟でぼくを待ち受けているのがヴィリエ・ド・リラダンやマックス・エルンストやジャッコモ・バルラであった。
 きっと病窓からは萩原朔太郎が「青猫」と名付けたボギー電車のパンタグラフからスパークする電光が見え、どこかからは野川隆と北園克衛の「ゲェ・ギムギガム・プルルム・ギムゲム」という、GGPGの音が聞こえていたのであったろう。
 ぼくはそういう病室にいつづけたのであったが、しかし、この連中には共通する持ち物があった。それこそが「乾電池の夢」あるいは「いつか放電するための沈黙の装置」という名の少年時代の記憶なのである。

 なんだか勝手なことばかりを書いてしまったが、本書はその少年少女のための乾電池遊びの原点を告げる、可愛くも、どぎまぎする夢のような一冊。
 ぼくはこういう一冊に出会うたびに、磁石がくっつけてきた砂鉄を指で擦り取るときの感触、ぐるぐる巻きにしたエナメル線の秘境のような光沢、ハンダ付けの甘く焦げた匂い、息を詰めているとぷうっと光を発した豆電球の光芒、そうしたものが再来襲来して、いまでもいたたまれなくなってしまうのだ。
 宮沢賢治がこう書いていた。そいつらは「遠いギリヤークの電線に集められしものども」なのである、というふうに。

コメントは受け付けていません。