才事記

まねる

川瀬武彦

テクノライフ選書 オーム社 1995

 このテクノライフ選書というシリーズは一九九四年から刊行されているもので、日本機械学会のメンバーが母体になっている。創立百周年を前に企画された。日本機械学会はぼくも一度だけ招待講演を頼まれた。村上陽一郎さんの推薦だった。なんとも好ましい雰囲気の学会で(学会というのはだいたいは退屈で味がない)、あたりまえのことだが、メンバーの全員が機械じみている。
 リーダーは早稲田の土屋喜一さんで、東北大学の猪岡光さんや東大の廣瀬通孝君らも世話人になっていた。機械じみた連中と機械じみた話をしていると、自分がすぐに機械じみた生もののシステムだということが感じられて、くすぐったくなってくる。そうするとときどきグリスをさしたり、検針をしたりするかなあという気分になってくる。これがいい。日本にロボット・ブームをもたらしたのもこの学会のメンバーたちのグリスや検針のせいなのだ。
 そういう工学プロの連中が計画してこのシリーズを執筆分担しただけに、なかにはときどきハッとするものがある。『あやつる』『アミューズメントマシン』『燃える』『感じる』『日本の機械工学を創った人々』『飛ぶ』『逆に考え、逆に解く』『はかる』など、ちょっと覗いてみたくなる。エンジニアばかりが書いているわけではない。ヴァイオリニストの千住真理子の『生命が音になるとき』なども入っている。
 
 本書は世阿弥の『花伝書』にふれながら、システムダイナミクスが構築してきたモデリングの発想を案内しようとした一冊だ。システムダイナミクスは、なんであれ「ふるまい」を対象にする。「ふるまい」といってもニュートン力学にもとづいた星のふるまいから自転車やコマのふるまいまでがある。これらを統一的に眺めようとするには、ふるまいをシステムとして捉える。
 本書も、まずはふるまいをシステムとみなすにはどうすればよいかということから入る。しかし何かがそこにふるまっているとして、その「ふるまい」をどのようにモデリングをして、システムとみなせばいいか。
 システムがシステムであるには、要素とよばれるものの集合と要素のあいだに定義された関係の集合を必要とする。そのためには、最初にその対象のふるまいを要素に分ける。これを機械工学では「レティキュレーション」(reticulation)という。ふつうに訳せば「切断」になる。ただし切断といっても、切断した要素がバラバラになったのではダメである。reticulationの語源はラテン語の「網」であり、ということは切断しながら網目状の構造を与えるという感覚が重要なのだ。こうすることで、切断とともに「接続」という見方が生まれてくる。
 これはしばしば「ダイヤコプティクス」(diakoptics)とよばれる考え方で、もともとは一九六〇年代に電気回路設計に関して確立されたメソッドだった。すべての電気機械というものは、それが交流機械であれ直流機械であれ、たった一つの原始機械から結線のしかたを変えるだけで実現できるとしたもので、しかもこの結線は、原始機械と対象の電気機械におけるコイルの両端の電圧、およびこれを流れる電流の線形変換としてあらわせるはずだというものである。
 この原始機械の考え方が機械工学ではモデリングの中心になっていく。電気機械でいえば、固定子と移動子と端子によって成立しているシステムだ。
 モデリングにあたっては、こうした原始機械をモデルとして図示する必要がある。しばしばリニアグラフがつかわれる。もともとはオイラーが発想したものだ。リニアグラフは「頂点」とよばれる点と「枝」とよばれる線で描かれる。これによってシステムのモデルはいったん空間的な配置におきかわる。これがものすごく便利なのである。ついでこのリニアグラフが複雑になっていくと、その一部の重なりを太い線で表示するボンドグラフというものになっていく。
 
 モデルとかモデリングといっても、そこには大きく二つの方法のちがいがある。システム屋からすると、コンピュータモデルや言語モデルは「数学モデル」というものである。これに対して思考モデルや政治経済モデルは「機能モデル」になる。しかし、そのどちらのモデリングでも、よりよいモデルをつくるには試行錯誤をくりかえすしかなく、その試行錯誤のしかたこそが「まねる」ということなのである。つまり世阿弥ふうにいえば「稽古」、松岡正剛ふうにいえば「編集稽古」というものなのだ。
 試行錯誤はだいたい二つの方法でおこなわれる。ひとつは「類推性」(analogy)を生かす方法である。類推は、ある二つ以上の情報をもたらす論理体系のあいだに成立しているかもしれない特定の対応関係をさぐることで、これはだれもがふだんやっている。ふだんはやっているのだが、実はとても高度なことである。そもそもすべての思考はアナロジー・プロセスでできているといってもいいほどなのだ。それゆえ、このアナロジー・プロセスをそれなりにノーテーションにするようにしたい。このノーテーションも試行錯誤の連続でマスターするのがいいと思うけれど、そういう分野が好きならば機械工学や設計理論を借りればラクになる。
 もうひとつは「双対性」(duality)を生かす方法である。双対性という翻訳語より「デュアリティ」と言ったほうがわかりやすいだろう。対象となったシステムのふるまいをいろいろアナロジーした結果、これにきわめて酷似するもうひとつのシステムのふるまいがあったばあい、この二つのシステムのふるまいの関係をデュアルにつなげて考えてしまうという方法だ。システムを単一に見ないでデュアルな結婚相手を想定するわけである。
 つまり、システムの内部のアナロジーで浮上してきた特徴を、そのシステムの外部にある異なるシステムの特徴と関係づけること、そのために「類推性」と「双対性」をつかうのだ。これは編集工学では「編集的対称性の発見」とよんでいるものにあたる。これを機械工学では「変数対応の双対性」という。
 以上の二つのアプローチでモデリングの基礎ができてくると、次は「量」と「時間」を扱う。量は、機械のばあいはたいていは物理量で、スカラー量すなわち不変量として扱っていく。これに時間の推移が加わる。システムのふるまいは時間によって変化するからだ。数学的には微分方程式による操作になってくる。モデルには量と時間は入っていなくとも、そのモデルが動くには量も時間も必要なのだ。
 本書はこうしたモデリングのための数学的操作を主題に案内をしていて、入門書のわりにはそのぶんけっこう専門的であるのだが、これらすべてのプロセスが「まねる」という思考にもとづいているのだという前提が勇気を与えてくれる。そもそも「システム」とか「ふるまい」という見方そのものが自然をまねた結果なのである。機械工学と編集工学はもっと仲よくならなければならない。