才事記

父の先見

先週、小耳に挟んだのだが、リカルド・コッキとユリア・ザゴルイチェンコが引退するらしい。いや、もう引退したのかもしれない。ショウダンス界のスターコンビだ。とびきりのダンスを見せてきた。何度、堪能させてくれたことか。とくにロシア出身のユリアのタンゴやルンバやキレッキレッの創作ダンスが逸品だった。溜息が出た。

ぼくはダンスの業界に詳しくないが、あることが気になって5年に一度という程度だけれど、できるだけトップクラスのダンスを見るようにしてきた。あることというのは、父が「日本もダンスとケーキがうまくなったな」と言ったことである。昭和37年(1963)くらいのことだと憶う。何かの拍子にポツンとそう言ったのだ。

それまで中川三郎の社交ダンス、中野ブラザーズのタップダンス、あるいは日劇ダンシングチームのダンサーなどが代表していたところへ、おそらくは《ウェストサイド・ストーリー》の影響だろうと思うのだが、若いダンサーたちが次々に登場してきて、それに父が目を細めたのだろうと想う。日本のケーキがおいしくなったことと併せて、このことをあんな時期に洩らしていたのが父らしかった。

そのころ父は次のようにも言っていた。「セイゴオ、できるだけ日生劇場に行きなさい。武原はんの地唄舞と越路吹雪の舞台を見逃したらあかんで」。その通りにしたわけではないが、武原はんはかなり見た。六本木の稽古場にも通った。日生劇場は村野藤吾設計の、ホールが巨大な貝殻の中にくるまれたような劇場である。父は劇場も見ておきなさいと言ったのだったろう。

ユリアのダンスを見ていると、ロシア人の身体表現の何が図抜けているかがよくわかる。ニジンスキー、イーダ・ルビンシュタイン、アンナ・パブロワも、かくありなむということが蘇る。ルドルフ・ヌレエフがシルヴィ・ギエムやローラン・イレーヌをあのように育てたこともユリアを通して伝わってくる。

リカルドとユリアの熱情的ダンス

武原はんからは山村流の上方舞の真骨頂がわかるだけでなく、いっとき青山二郎の後妻として暮らしていたこと、「なだ万」の若女将として仕切っていた気っ風、写経と俳句を毎日レッスンしていたことが、地唄の《雪》や《黒髪》を通して寄せてきた。

踊りにはヘタウマはいらない。極上にかぎるのである。

ヘタウマではなくて勝新太郎の踊りならいいのだが、ああいう軽妙ではないのなら、ヘタウマはほしくない。とはいえその極上はぎりぎり、きわきわでしか成立しない。

コッキ&ユリアに比するに、たとえばマイケル・マリトゥスキーとジョアンナ・ルーニス、あるいはアルナス・ビゾーカスとカチューシャ・デミドヴァのコンビネーションがあるけれど、いよいよそのぎりぎりときわきわに心を奪われて見てみると、やはりユリアが極上のピンなのである。

こういうことは、ひょっとするとダンスや踊りに特有なのかもしれない。これが絵画や落語や楽曲なら、それぞれの個性でよろしい、それぞれがおもしろいということにもなるのだが、ダンスや踊りはそうはいかない。秘めるか、爆(は)ぜるか。そのきわきわが踊りなのだ。だからダンスは踊りは見続けるしかないものなのだ。

4世井上八千代と武原はん

父は、長らく「秘める」ほうの見巧者だった。だからぼくにも先代の井上八千代を見るように何度も勧めた。ケーキより和菓子だったのである。それが日本もおいしいケーキに向かいはじめた。そこで不意打ちのような「ダンスとケーキ」だったのである。

体の動きや形は出来不出来がすぐにバレる。このことがわからないと、「みんな、がんばってる」ばかりで了ってしまう。ただ「このことがわからないと」とはどういうことかというと、その説明は難しい。

難しいけれども、こんな話ではどうか。花はどんな花も出来がいい。花には不出来がない。虫や動物たちも早晩そうである。みんな出来がいい。不出来に見えたとしたら、他の虫や動物の何かと較べるからだが、それでもしばらく付き合っていくと、大半の虫や動物はかなり出来がいいことが納得できる。カモノハシもピューマも美しい。むろん魚や鳥にも不出来がない。これは「有機体の美」とういものである。

ゴミムシダマシの形態美

ところが世の中には、そうでないものがいっぱいある。製品や商品がそういうものだ。とりわけアートのたぐいがそうなっている。とくに現代アートなどは出来不出来がわんさかありながら、そんなことを議論してはいけませんと裏約束しているかのように褒めあうようになってしまった。値段もついた。
 結局、「みんな、がんばってるね」なのだ。これは「個性の表現」を認め合おうとしてきたからだ。情けないことだ。

ダンスや踊りには有機体が充ちている。充ちたうえで制御され、エクスパンションされ、限界が突破されていく。そこは花や虫や鳥とまったく同じなのである。

それならスポーツもそうではないかと想うかもしれないが、チッチッチ、そこはちょっとワケが違う。スポーツは勝ち負けを付きまとわせすぎた。どんな身体表現も及ばないような動きや、すばらしくストイックな姿態もあるにもかかわらず、それはあくまで試合中のワンシーンなのだ。またその姿態は本人がめざしている充当ではなく、また観客が期待している美しさでもないのかもしれない。スポーツにおいて勝たなければ美しさは浮上しない。アスリートでは上位3位の美を褒めることはあったとしても、13位の予選落ちの選手を採り上げるということはしない。

いやいやショウダンスだっていろいろの大会で順位がつくではないかと言うかもしれないが、それはペケである。審査員が選ぶ基準を反映させて歓しむものではないと思うべきなのだ。

父は風変わりな趣向の持ち主だった。おもしろいものなら、たいてい家族を従えて見にいった。南座の歌舞伎や京宝の映画も西京極のラグビーも、家族とともに見る。ストリップにも家族揃って行った。

幼いセイゴオと父・太十郎

こうして、ぼくは「見ること」を、ときには「試みること」(表現すること)以上に大切にするようになったのだと思う。このことは「読むこと」を「書くこと」以上に大切にしてきたことにも関係する。

しかし、世間では「見る」や「読む」には才能を測らない。見方や読み方に拍手をおくらない。見者や読者を評価してこなかったのだ。

この習慣は残念ながらもう覆らないだろうな、まあそれでもいいかと諦めていたのだが、ごくごく最近に急激にこのことを見直さざるをえなくなることがおこった。チャットGPTが「見る」や「読む」を代行するようになったからだ。けれどねえ、おいおい、君たち、こんなことで騒いではいけません。きゃつらにはコッキ&ユリアも武原はんもわからないじゃないか。AIではルンバのエロスはつくれないじゃないか。

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インターネットは
いかに知の秩序を変えるか?

デジタルの無秩序がもつ力

デビッド・ワインバーガー

エナジクス 2008

David Weinberger
Everythig is Miscellaneous―The Power of the New Digital Disorder 2007
[訳]柏野零
編集:山本千津子
装幀:さくらデザイン事務所

インターネットが登場するまでは「ブラウジング」(browsing)とは、お店で「何かお探しですか」と近寄ってくる店員を追っ払うための言葉だった。「いや、ちょっと見て回っているだけ」(I'm just browsing)と言うためだ。それでもブラウジングはウィンドーショッピングよりも意図的だ。お店が念入りに検討して並べた衣料品や食品や書物を、意図的に無視するからだ。

 90年代半ばすぎにインターネットが登場するまでは「ブラウジング」(browsing)とは、お店で「何かお探しですか」と近寄ってくる店員を追っ払うための言葉だった。「いや、ちょっと見て回っているだけ」(I’m just browsing)と言うためだ。
 それでもブラウジングはウィンドーショッピングよりも意図的だ。お店が念入りに検討して並べた衣料品や食品や書物を、意図的に無視するからだ。このブラウジングの特権を駆使する者が「ブラウザー」である。

 勝手に動きまわる客をなんとか商品に引き付けたくて、店舗のスタッフはいろいろ工夫する。しかしたいていは、客のブラウジング(ぶらぶら注目歩き)を制約したり規制したとたんに、売上げがうまく伸びないことも思い知らされる。
 アメリカの事務用品専門店ステイプルズの陳列担当ディレタクターのリズ・マクゴワンは、客にはそもそも2種類しかなく、それは「質問できる客」と「質問できない客」だと言った。アメリカの店舗業界では店内表示に頼る客は24%で、店員に質問できる客は32%ほどで、残りの40%がブラウザーだとみなされている。
 それで、どうするか。どうしようもない。なかなかうまい対策がない。
 やむなく日本と同様に商品の置き場を変えたり、POSなどで客の動向を分析するのだが、客が買ったリストや客の動線の分析だけでは変革はおこらないこともわかってきた。
 マクゴワンは「最も遅れている分析は、客が何を気にとめたのかということにある」と言うのだが、POSデータに残らない「何を気にとめたのか」というインビジブルな情報は店側の手に入らない。それには客の視線の動きを観察するしかない。けれども客の視線を記録することなんて、小型監視カメラをくまなく配備しないかぎり、ほとんど不可能なのだ。

 一言でまとめていえば、WWWはこの「ブラウジング」に革命をおこしたのである。自分勝手に見回りたいネットユーザーたちに、それが自由にできる「ブラウザー機能」を提供し、あまつさえユーザーをブラウザーにしたのではなく、ブラウザーをユーザー化した。
 もともとリアルの店舗にはさまざまなやむをえない制約がある。たとえば、①或る商品は別の商品と別の棚にある。②現物は同時刻に一カ所にしかない。③店舗の空間は店員と客の両方が等しく共有している。④人間の身体能力は限られている。⑤店舗内は乱雑ではいられない。
 これらすべてをインターネットは大きく変更してしまった。ブラウジングに役割を与え、それをもって秩序(order)を変えたのだ。どのように変えたのか。「情報」によって変えた。ユーザーを情報ブラウジングする者とみなし、ユーザーのカーソルがそのままブラウザーになるようにした。

アマゾンでホッチキスをブラウジング
配送日やブランド・色などを指定でき、価格やレビューによって並べ替えできる。

グーグル検索も検索結果のフィルタリングにより効率的なブラウジングができる
例えば2016年オリンピックの画像検索をした場合、画像のサイズや色、アップロードされた時間などによってフィルターにかけられ、探すのがより簡単になる。

 ICT上でのブラウザーとは「情報をまとまった形で閲覧するためのソフトウェア」のことである。だから実際には画像ブラウザー、ファイルブラウザーなどがあるのだが、現状ではウェブブラウザー(ティム・バーナーズ=リーによるWWWブラウザ)がブラウザーの代名詞になっている。
 1993年に登場したマーク・アンドリーセンによるモザイクを筆頭に、その後はマイクロソフトのインターネットエクスプロラー、アップルのサファリ、ネスケのファイアフォックス、グーグルのクロームなどが並ぶ。
 こうしたブラウザーは、ユーザーにいかに情報リソースを提供するかということを全面サポートする。①URIやHTTPにもとづいてサーバーと通信してリソースを取ってくるユーザーエージェントの役割をもつ、②取ってきたリソースをその種類(HTML/XHTML/XML、文書、画像など)に応じて構文解析する役割をもつ、③それらを文字や画像に配置したり色付けしたりする表示の役割をもつ、ということをやる。
 こうしてインターネットはリアルの店ではできないことをやってのけたのだ。実際にもネットショッピングはあっというまに巨きな売上げに達していった。しかしながら、それですべてよろしいというわけではない。むろん問題もある。心配もある。由々しい将来も待っている。

ウェブブラウザと技術の進化
HTMLJava、CSS3などの技術ごとに追って見ることもできる。http://www.evolutionoftheweb.com

ウェブブラウザ(デスクトップ)のシェア(2016年1月/Net Applicationsより)
マイクロソフトのインターネットエクスプローラーのシェアは年々減り、グーグルクローム(2008年発表)が激増。一部の発表では既にインターネットエクスプローラーを抜いているとも言われる。

 ネットは商品だけを並べているのではない。あらゆる情報と知識と人物と、そして厖大なガセネタを“陳列”する。
 そこにはニュースもあるし歴史事項もある。事典もあるし企業宣伝もある。学術の成果もポルノも“陳列”されている。ユーザーたちの発言も呟きも投稿画像もある。これらすべてが斉しくブラウジングの対象になったのだ。
 当然、このことはブラウジングの意味をすっかり変えて、情報を選択することと欲望を喚起することと買い物をすることを、限りなく近づけていった。それとともにリアルワールドとネットワールドがいったいどんな違いをもっているのかを忘れさせた。
 なかでもインターネット・ブラウジングによって「知の秩序」がどのように変更されたのかどうかということが問題になるはずなのに、実はそういう問題があるということすら抽出できないほどに、ネットブラウジングはあっというまに世の中を席巻した。そしてすべての「評判」(reputation)をアクセス数とランキングで覆ってしまったのだ。

 リアルとネットの区別がつかなくなったのではない。そんなことは誰だって見分けている。
 そうではなくて、ネットの厖大なコンテンツ陳列が示すアクチュアリティと、かつての2000年に及んだコンテンツ陳列がもっていたはずの情報編集力とが分断され、たとえば書籍をリアルな書店で陳列をして売るとか、図書館に何十万冊もの本を収容しておくとかということが、ネットブラウジングの感覚とつながらなくなったのだ。
 そうなると、どうなるか。リアルの図書館や大型書店でどのように「欲知のコンテンツ」をブラウジングすればいいのか、見当がつかなくなっていったのである。館側や店側も、そういうときこそ棚組みや本の並びを大幅変更してみればよかったのだが、そうしなかった。
 ぼくと和泉佳奈子と櫛田理が「松丸本舗」でそういう「欲知のコンテンツ」の並べ替えの“実験”をしたときは、開店中の3年間ずっと大きな反響になったものの、業界は呆れるばかりで、当の丸善やジュンク堂はその“実験”の意図が理解できなかったのである。

知の秩序② 松丸本舗
2009年〜2012年に丸善丸の内本店の4階に現れた実験的書籍空間。ジャンルを超えて本がつながる「文脈棚」を配置し、全体を「本殿」「本集」「本家」などの11のゾーンに構成した。

 それにしても、この程度のことはあらかじめ予測できなかったのだろうか。みんなが一斉にネットに走ったために、踏みとどまって強く提言できる者がからっきしになったのだろうか。いやおそらくは、少なくともこの二人は気が付いていた。
 一人はポストモダン社会学のジャン・ボードリヤール(639夜)、もう一人は情報アーキテクトのリチャード・ソウル・ワーマン(1296夜)だ。
 ボードリヤールは大量消費社会では「モノの価値」が商品に付与された記号のほうに移ると喝破して、すべての消費欲望が「他の商品とのコードの差異」に転換していくと予想した。また、そのようなモノを記号化するシステムはひたすら自己増殖するしかなくなっていく、それゆえそこでは「準拠」「意味」「方向」が見失われていくとも予想した。
 まさに“お化けのインターネット”の出現とその行方を予告してみせたのだ。

ジャン・ボードリヤール(左)とリチャード・ワーマン(右)
ジャン・ボードリヤール(1929-2007)は、フランスの哲学者、思想家。『消費社会の神話と構造』『物の体系』『生産の鏡』は現代思想に大きな影響を与えた。リチャード・ワーマンはアメリカの建築家でグラフィック・デザイナー。情報デザインや情報アーキテクチャといった、情報を分かりやすく表現する技術における先駆者とされている。千夜千冊では『理解の秘密』(マジカル・スンストラクション)が採り上げられている。

 ワーマンのほうはインターネットが登場していないかなり前の1989年の春に、これからは“Information Anxiety(情報不安症)”が頻発するだろうと予想し、この言葉をタイトルとするユニークな本を書いた。どのページからでも読めるようになっていた。日本語版もある。ぼくが監訳した『情報選択の時代』(日本実業出版社)だ。
 ワーマンが予測し、かつ警告したことは、①データ情報にとらわれてばかりいるとナマ情報とのギャップが知的不安を拡張していく、②情報は「理解」のためにその提示のされ方に独自の工夫がなければならない、③既存の伝達ビジネスは新たな「理解ビジネス」(understanding business)に変わるべきだ、④高速処理が可能な情報機器はリテラシー(読解能力と文章能力)を低下させる、⑤メディアの便利度は知的情報の組み立てを促さない、といったことだ。
 すべて当たっていた。ちなみにワーマンはごく最近になって、ぼくとイシス編集学校が構成した『インタースコア』(春秋社)に、「編集とはまさに理解の本質である」というメッセージを寄せた。

 ボードリヤールやワーマンの予告を、別なかたちで変換してみせたのがITベンチャーたちだった。シリコンバレーからだけでなく、世界各地で雨後のタケノコのように出現したが、総じてグーグルとアマゾンに代表されるので、その市場については一括して「グーグル・アマゾン化されたニューブラウジングマーケット」と言われる。
 グーグル・アマゾンが何をしたのかというと、言うまでもない。リアルな店舗のような工夫をいっさいしなかった。店員もおかなかった。24時間365日オープン状態にして、自由に持っていけるコンテンツを含めて大量に陳列しただけなのである。
 最も大胆で最も不埒だったのは、商品も知識も人物も、トークもパフォーマンスもポルノも、そして厖大なガセネタも、まったく同等に扱ってコンテンツとして次から次へとネット陳列したことだろう。つまりはすべてを情報化したのである。そして、こっそりクローラーとサーチエンジンを動かして、ユーザーがすっかりお膳立ての前で御馳走にありつけたかのような、編集化をしていったのだ。

 こんなこと、リアル社会やリアル市場ではとうてい不可能なことだった。
 たしかに世間のたいていの都市には、どんな食品もどんな衣料もどんな日用品も置いてある。どんな劇場もどんな金融機関もどんなポルノ展示も用意されている。
 光もあれば闇もある。消費都市というものは、そのようにしてできあがったのだ。
 けれども世界中のどんなリアルワールドでも、それらは「店」ごとに仕切られていた。「壁」付き、「人」付きなのである。またたくさんの品揃えができるはずのデパートやスーパーやコンビニであっても、そこには「品」の一貫的多様性が守られていた。魚屋で薬品は買えないし、病院では盆栽を売ってはくれない。学校では旅行チケットは選べないし、スーパーではストリップは見られない。
 だいいち「店」には体と目と足と手を、洋服を着たままで欲望ごと運ばなければならなかったのだ。グーグル・アマゾンはそんなめんどうをいっさい省いたのだ。

インテル「100のオブジェクトで語る小売の歴史」
小売がどのような小売がどのような歴史をたどってきて、どこへいくのかを表した図。測り、棚、紙幣の出現から広告、キャッシャー、自動販売機、クレジットカード、ネットショッピングを経てどうなっていくのか、詳しく見るとおもしろい。サイトでは100のトピックを詳しく見ることができる。http://retail100objects.com

 どんなコンテンツも情報化した(かつ、サイト有利の編集化がされていた)ということは、「本」や「新聞」や「雑誌」によって分けられていたコンテンツを、ことごとくパッケージから切り離してばらしたようなものだった。
 加えて、そこにユーザーがどんどこ加われるようにした。コンテンツを取りに行ったという電子の足跡(フットプリント、フットスコア)を記録し、そのユーザーのアクセス行為をコンテンツのパーツに反映させもした。
 多くの成功例がある。たとえば2001年の前半、ビル・ゲイツ(888夜)はベットマン・アーカイブを買収した。親会社のコービスが持っている最も権威のある歴史写真のアーカイブの権利を入手したのだが、このアーカイブでは1枚の写真(イメージ)に付き約10~30の言葉(アイテム)が関連付けられ、そこには約33000の同義語がくっついていた。
 2004年、バンクーバーに本拠があるディコープ社が開設した「フリッカー」(Flikr)は(その後はヤフーに買収され)、ベットマン・アーカイブのネット化を開始して、いまや毎日ざっと100万枚以上の写真を追加しつづけるネットアーカイブに成長させた。けれどもここには当初から専門家による分類なんてまったくなかったのだ。使えるのはユーザーが自分で付けたラベルだけなのである。それで十分だった。
 この、ユーザーが自分で付けるラベルを「タグ」(tag)という。もともとは荷札のことだ。これが「メタデータ」となってフリッカーに出入りする膨大な写真イメージを紐付ける。このとき「オーガナイザー」と呼ばれる管理アプリが使えるようになっている。このアプリは自動的なメタデータの割り振りをしてくれるので、一気に便利になった。やがてウィキペディアの写真とフリッカーの写真は相互乗り入れができるようにもなった。
 いっさいの情報と欲望を「店」で分けず、「品」でも「本」でも分けないネットワールドの手法は、こうしてあらゆるものをマイクロコンテンツとして扱えるようにしつつあるわけである。

ベットマン・アーカイブ創立者、オットー・ベットマン(左)と、デジタル化されたアーカイブ
1930年代半ば、フォトジャーナリズム幕開けの時代にドイツからNYに渡ったオットー・ベットマンが「写真が持つ歴史的な意味」を見抜いてアーカイブしたコレクションは死後も増え続け、現在では1100万点に及ぶ。右のデジタルアーカイブの下にある「画像キーワード」がタグ。この写真であれば、1930年代のスタイル、ニューヨーク、白人などのほか、友情、高さ、象徴的など50のタグがついている。

ユーザーが自分でタグつけるPinterest(ピンタレスト)とInstagram(インスタグラム)
この本が書かれた2008年以降、フリッカー以外にもユーザーが自分でタグを付けるシステムはどんどんメジャーになった。気に入った画像をピンボード風に共有していくピンタレストや、写真のみのSNSインスタグラム(共に2010年〜)が好例。

 さあ、ここで大きな疑問が涌いてくる。
 ひとつには、いったいリアルアーカイブとデジタルアーカイブはどうしてこんなにも違ってしまったのかということだ。
 違いはリアル空間の限定性とデシタル空間の無際限性によるのか、それとも提供者が知識の支配権を牛耳っているリアルアーカイブと、ユーザーが「知」を遊弋することの経験の総和がデシタルアーカイブをつくっているという、この違いによるのか。さあどうなのかということだ。
 もうひとつには、世の中がデジタルアーカイブばかりが広大無辺になっていくとしたら(そうなるに決まっているが)、これまで人類が営々と築いてきた学問体系や知識分類や図書分類に代表される「知の秩序」は、いったい今後も保たれるのかということ、いいかえればそうした過去の分類は、そもそもどのくらい有効なものだったのか、あらためてそこを問いたくなるということである。

知の秩序④ 日本の大学における学問の分類
大きく文系/理系にわかれ、そこから研究対象を元に分類している。

 本書は、ワーマンが情報アーキテクチャを専門にしたことを受けて登場してきたデビッド・ワインバーカーによるもので、インターネット波及以降の2007年に“Information Anxiety”をあらためて俎上に乗せた一冊になっている。
 著者は情報アーキテクチャの構築や情報仕分けやマーケット・コンサルティングの仕事に従事しているようなのだが、つまりは「理解ビジネス」に従事しているようなのだが、この翻訳書には著者情報や類書情報がまったく提供されていないため、本書とこの著者の位置付けがわかりにくい。
 それはともかく、本書でワインバーガーが注目したのは、インターネットは「知の秩序」を変えつつあるのかどうかということだった。まさに重要な問題だ。ただそのことを議論するには、そもそもリアルアーカイブ時代の情報整理や情報編集がどの程度の「知の秩序」をつくろうとしてきたのか、そこにいったん介入してみる必要がある。ワインバーグはそれをした。そうしないかぎり、インターネットをたんに“おバカ”と言えないだろうという立場を鮮明にしたのだ。
 ぼくが本書を千夜千冊する気になったのは、この検討のために「本」の分類がかつてどのようになってきたのかを採り上げていたからだ。

ワインバーガーの最新の書(未訳)『Too Big to Know(大きすぎてわからない)』(2012)
本書の中でワインバーガーは「現代における知識は個人の頭の中や、1冊の書物の中にあるのではなく、ネットワークの中に存在する」ということを繰り返し書いている。

 メルヴィル・デューイが図書館分類システム(DDC)を公表したのは1876年だった。分類には十進法が選ばれた。
 そんなに厳密なものではない。当時のデューイが一番関心があった哲学の関連書に100番台を付け、宗教を200番台に、次に社会科学(300番台)、数学(500番台)、文学(800番台)というふうに割り振った。いまなお世界の20万の図書館がこの簡単至極なデューイの十進法を使っている。
 1851年にニューヨーク州の500人くらいの町に生まれたデューイは、アマースト大学(内村鑑三が留学した大学だ)で借金返済のために図書館経理のアルバイトをしていた。その後に司書補となったデューイは、ここで「図書館の民主化」と「知識の民主化」のための改革に決然としてとりくんだ。

 デューイには先行するヒントが3つあった。
 第1に、トマス・カーライルが1840年代後半に大英博物館の印刷書籍部門のカタログをめぐって、歴史や知識のレパートリー・エディティングに関する激越な議論を展開していたことだ。大英博物館のアントニオ・パニッツィが91の規則にもとづいて使いやすい書籍カタログを提案したのだが、カーライルがこれに反対したので、当時はレパートリー・エディティングの議論が騒がしかったのだ。
 第2に、このパニッツィの規則がスミソニアン博物館の図書館員のチャールズ・ジェウェットを刺激して、彼が1852年に図書カタログ改良案を提案した。ジェウェットはカード登録による整理を案出していた。デューイはカードによるアーカイブ化に関心をもった。だが、カードに「本」の特徴をどのように記述しておけばいいのか。
 第3に、1873年(デューイの学生時代)、ボストン公共図書館の管理主任ナカニエル・シュートレフが「図書館の構成と管理のための十進体系」というお誂え向きの論文を発表した。十進法を「知」に使うなんて、しごく新鮮だ。これならややこしい知識のパッケージである「本」のカード化整理にも役立つにちがいない。

知の秩序⑤ 本のカード化整理として出来た図書目録(Library Card)
12.5×7.5cmの中に、図書整理番号・著者・書名・出版社・出版場所・出版日・ページ数・大きさ・ISBN・内容見出し・図表の有無などが記載される。現在はほとんどの図書館でデジタルのOPACになっている。

 社会改革については熱情の持ち主でもあったデューイは、さっそくDDC(Dewey Decimal Classification)の作成に踏み切った。
 まず10の親コードとしての「類」(class)を置き、そのそれぞれに「綱」(division)を設け、そこにそれぞれ10の「目」(section)を入れる。さらに細かくするときは「目」のあとにピリオドを打ち、その後は小数のように細分する。ざっとこういうルールを思いついた。
 この分類法はデューイがコロンビア大学の司書兼教授となり、コロンビア図書館学校(Columbia School of Library Economy)を設立するに及んで、一挙に権威化され広まった。この司書を養成する最初の学校は、1890年にニューヨーク州立図書学校に衣替えをする。
 デューイの十進分類法は大量な容積を占める図書整理に圧倒的な威力を発揮した。図書館ではこの十進分類に精通する司書を育てることになった。それなら、これは理想的な「知の分類」にもとづいたものだったのか。そこがなんとも怪しいのだ。

 そもそもヨーロッパにおける「知の分類」の基本方針は、プラトン(799夜)の「それが何ものかであるかということは、それを何であると分類する特定力によって説明されるしかない」に準拠してきた。プラトンはどんなものに対しても「そこに何かが参加(participate)してくる」と考えたのだ。
 アリストテレス(291夜)はそこを大きく前進させて、「分類こそが定義にほかならない」と考えた。世界の知識に「ツリー構造」があらわれたのはこのときからだ。
 アリストテレスは世界の知識が今日でいう「まとめ」(Lump)と「分割」(Split)で分布できると考え、ツリー構造が有効なだけではなく、ツリー構造それ自体が世界や宇宙の構造になっているとみなしていた。

知の秩序⑥ デューイ十進分類法
000 コンピュータサイエンス、情報および総記/100 哲学および心理学/200 宗教/300 社会科学/400 言語/500 自然科学および数学/600 技術/700 芸術/800 文学および修辞学/900 歴史および地理

知の秩序⑦ アリストテレス学派による学問の分類
アリストテレスは論理学、倫理学、政治学、詩学、修辞学、生物学、形而上学の各分野を定義し、学問分類を創設。それが「自由教養(liberal arts)七科」に引き継がれた。

 それから1000年後、スウェーデンのカルロス(カール)・リンネがツリー構造の変形ヴァージョンをすべての生物にあてはめることを提唱した。
 すでにジョゼフ・ド・トゥルヌフォールの「まとめ」によって、それまでの6000種類の植物が一挙に600のグループ「属」に集約できることがわかっていた。リンネはこれを借りて「二名法」を思いつく。属名と種小名の2語によって学名を規定しようというものだ。
 こうして生物のドメイン(domain)にある大半の生きものは、界(kingdom)、門(division)、綱(class)、目(order)、科(family)、属(genus)、種(species)に上下分類された複合的ツリー構造であらわされた。「存在の偉大なる連鎖」(the great-chane of being)が確立されたのだ。
 ちなみに世界の分類法として二分的分類を確立させたリンネの『自然の体系』(Systema Naturae)という本は、とてもそっけない。ぼくはがっかりしたほどだ。しかしそのくせ、この分類法は世界の現象をダイコトミー(二分法)で分けることを、デカルト以上に広めたのである。

知の秩序⑧ リンネの植物の分類体系
植物分類学者だったリンネは、花の形態的特徴に着目し、二分法を使いながら全植物を24に分類した。

 図書分類はリンネの分類法にもとづいたものではない。デューイの十進法もリンネの分類法に従ったものではない。もともとはフランシス・ベーコンの『学問の進歩』が提案した「森の森」構想に発祥している。
 ベーコンは知識を「歴史・文学・哲学」の3つにこの順で大別し、それが「記憶力・想像力・推理力」の3大知能を反映していると考えた。このベーコンの分類を発展させたのは意外にもフリードリッヒ・ヘーゲルで、この段階で、知識は「哲学思想→詩文学→歴史観」という順に逆転した。デューイはこれを踏襲したのだ。DDCが「哲学」から始まっているのはそのためだ。
 敬虔な信仰をもっていたデューイはキリスト教的な知を重視してもいた。すこぶる一神教的なのだ。ということは、そうなのだ、デューイ分類に対して反論を唱える者がいてもよかったのである。

知の秩序⑨ フランシス・ベーコンによる知識の分類
「知識は力なり」と言ったべーコンは『学問の進歩』(1605)で、人間の知識には記憶、想像、理性の精神活動があるとして、記憶(歴史)想像(詩)理性(哲学)と大きく3つに分類し、そこからさらに130部門にまで分割した。

 南インドの多神多仏の思想風土に育ったS・R・ランガナタンはマドラス大学で図書館勤務をしたのち、ロンドン留学してヨーロッパの知識体系とアジアの知識の在り方を比較し、新たな「ファセット」(facet)による基本分野の設定を試みた。
 これはなかなかユニークなもので、「パーソナリティ、マター、エネルギー、スペース、タイム」を5つをファセットとして、このファセットから飛び出す特色(それを「独立部分」と呼んだ)によって、柔軟な図書分類ができる可能性を探った。「コロン分類」と名付けられている。分類をコロン「:」によって分けていくという方法だ。1933年にルールブック集『コロン分類法』が刊行された。
 しかし、その「独立部分」による分類のしくみが高度で複雑に見えたため、コロン分類法はほとんど広まっていかなかった。ザメンホフのエスペラント語(958夜)の勇気と宿命を感じる構想だった。

 もっと異色の構想者もいた。ポール・オトレである。
 デューイの十進法を発展させて国際十進分類法(UDC)を編み出し(デューイは英語化しないという条件で許可した)、ランガナタンのファセット分類を先取りした。本書には紹介されていないが、ぜひぜひオトレのことはおぼえておいてほしい。
 1866年のブリュッセルに生まれたオトレは30代に書誌学に熱中し、デューイが十進分類を作成したことを知ってからというものは、法学者のアンリ・ラ・フォンテーヌとともに敢然として「世界書誌目録」(RBU)の確立に向かい、19世紀末には40万枚の、1942年には1560万枚のインデックスカードを仕上げた。
 このカードは3✕5インチのもので、世界の有力図書館の書誌情報、学術団体の目録、主要新聞記事、各種のパンフレットなどをことごとく網羅しようとしていた。オトレはこれを「ドキュメンテーション学」あるいは「モノグラフ・プリシプル」にもとづくと主張した。

 が、ここまでだけなら“偉大なるモーラ主義者”であって、異色というほどではない。オトレが異色なのはここからだ。
 オトレはやがて、こうした書誌情報の収集にもとづく「知の都市」を構想し、その象徴としての「世界宮殿」(Palais Mondial)を建設して、そこに世界中の知と情報の巨大リポジトリを構築しようとしたのだ。
 これが世界都市「ムンダネウム」(MUNDANEUM)の計画である。計画はベルギー政府にも申請され、ブリュッセルのサンカントネール公園の左にあった政府建造物が候補となったのだが、オトレはこれを有能な建築家に設計してもらいたかった。
 当初はノルウェーのヘンドリック・アンダーセン、フランスのエルネスト・エブラールらと交渉したようだが、やがてヴィクター・ブルジョワが、モーリス・ハイマンスが、スタニラス・ヤシンスキーが次々に設計案を出し、ついにはル・コルビジェ(1030夜)と出会うに至って、その構想は「形」をあらわしたのだ。
 オトレと建築家たちの夢は、折からの第二次世界大戦の戦禍のなかで潰えていった。それでも1988年、ベルギーのモンスに「ムンダネウム」の青写真を展示するミュージアムができた。

ベルギーの記念切手「from Mundaneum to Internet(ムンダネウムからインターネットへ)」
幻のムンダネウムの中にいるポール・オトレ。オトレは現代のインターネットにつながる科学技術を考え出した一人と考えられている。

 このように書誌の分類といっても、そこにはさまざまな可能性があったはずなのである。
 だから、デューイの分類はずっと安泰だったのか、理想的だったのかといえば、むろんそんなことはなかったのだ。図書館管理者以外は誰も満足していたわけではなかったと言うべきだろう。ごく最近でも2005年の情報アーキテクチャに関する国際会議で、矛盾を露呈した。
 矛盾を暴いたのはニューヨーク市立大学のクレイ・シャーキーで、彼は最近は「思考の余剰が世界を変える」という構想にもとづいてSNSによる社会改革活動をしている。で、そのシャーキーが指摘したのは、デューイの宗教分類では296番をユダヤ教が占め、297番にイスラム教とバーブ教とバハーイ教が一緒に押し込められ、仏教がいまだに294番でインド宗教と呉越同舟させられるといった差別的分類性だった。
 494番にはウラルアルタイ語・旧シベリア語・ドラヴィダ語についての言語関連の書が集まっているのだが、これに匹敵する中国語関連の分類ができていないということも指摘した。

クレイ・シャーキーのTEDTALK「思考の余剰が世界を変える」(2009年/字幕つき)
シャーキーはネットが社会に及ぼす影響について楽観的な見解を提示する論客。SNSによりフラットに繋がる世界の良さを強調する。

 これらはデューイ分類の枠組に対する根本批判にはとうてい当たらない。むしろデューイの図書分類に従った図書館という図書館は、めんどうくさいほど内部拡張がおこっているとはいえ、リアルアーカイブの処理管理としてはいまなお可もなく不可もないといったところなのだ。
 なぜ可もなく不可もなし、なのか。ありていにいえば、やむをえないからだ。新たな図書分類が見いだせないでいるからだ。ベーコンのように理想な分類に新たに取り組むにも、他方でネットワールドのデジタルアーカイブが圧倒的な“進撃の巨人”ぶりを見せていて、いまさら新規まき直しに向えないでいるからだ。ましてネットのようにユーザー参加をさせるわけにもいかないわけである。
 しかしそれなら、このまま「知の秩序」をネットまかせにしておいていいものか。本書はデジタル社会が「無秩序」をエンジンにした以上は、それもとういて期待できっこないだろうということを示した。

帝京大学メディアライブラリーセンターのエントランスホール
編集工学研究所が「共読」をテーマに黒板本棚を設置。共読サポーターの学生が黒板に本のレビューを書くのはネットのユーザー参加型と似ている。

 それでは、どうするか。ほっておくのか。ネットビジネスに向かう者たちはそれでいい。けれども図書館や書店や音楽業界にいる者たちはほってはおけまい。ではどうするか。
 おそらく答えは二つしかないはずだ。
 ひとつは、リアルアーカイブにもデジタルアーカイブにも共通する「識別子」を束ねて革新することだろう。これにはたとえばUPC(統一商品コード)、バーコード、ISBN(国際標準図書番号)、ICタグ、フォグ指数(読みやすさに関する標準指標)、シンクリンク、H2O(ハーバード大学開発の指標)、EAN(EUの欧州統一商品番号)、DDC、NDC(日本十進分類法)、LCC(アメリカ議会図書館分類法)、カメレオンコード、RFID(無線ICタグ)、uBio(統一生物学索引)、LSID(生命科学識別子)‥‥などなど、これはという識別子の優劣を片っ端から判断して、最も効能の高い「識別の束」を発想することだ。
 そしてもうひとつには、リアルアーカイブにもデジタルアーカイブにも共通する、新たな「知のメタアーカイブ」の構想に立ち向かうということである。

知の秩序⑩ ISBN
世界共通で図書(書籍)を特定するための番号。2007年以降は13桁。日本の出版物であれば最初の4桁(978−4−)は同じ。

 メタアーカイブとして、これが抜群だというものはまだ出現していない。ブリタニカもロジェのシソーラスも、MITの認知科学体系もウィキペディアも、個別知・共同知・世界知を動的平衡をめざすようには揃えてはいない。
 ただ、ときどきギョッと驚かされることはあった。ワールブルク研究所のイコノロジーに富んだ図書館、ポール・オトレの「ムンダネウム」、あるいはアメリカ議会図書館だ。

 ぼくも3度訪れ、1度はカンファレンスでキーノートスピーチをしたアメリカの議会図書館(LC)には1億3000万点のアーカイブがあって、その中に総延長85万キロメートル分の書棚に収容された2900万冊の本が含まれる。2900万冊は300人ほどの分類担当者とともに80分野に分かれ、「アメリカ議会図書館分類法」(LCC)にもとづいて図書館スペースの285000棚に配架されている。
 まことに壮観ではあるが、LCCはきわめてアメリカっぽい分類で、ヨーロッパが築き上げた知の歴史と枠組をなんとかアメリカのほうに引き寄せようとしたり、改変しようとしている意図があらわれている。
 その証拠に、アーカイブからウェブに「アメリカン・メモリー」(アメリカン・ヒストリー)の名のもとに毎日700万ページが公開されていて、しばらく前に総計10億ページを超えた。これは「アメリカのための知識」というメタプログラムにもとづいたプロジェクトなのである。
 しかし残念ながら日本には、ワールブルクやムンダネウムや、LCCや認知科学MITのような「メタ」に向かった独創的なものがない。日本はどこかで「メタ」を捨て、グローバルなデファクト・スタンダードに併せながら、少しずつ“日本化”にとりくむほうを選んだのだ。

アメリカ議会図書館のウェブアーカイブで見る、100年前のニューヨーク・タイムズの記事
膨大な量のアーカイブが人類の共有財産としてオープンになっている。https://www.loc.gov

 1980年2月、ぼくは「遊」の片隅に『国家論インデックス』というメタインテリジェントな目録を提示した。
 とくに狙いがあったわけではなく、オトレのような野心もなかった。当時のぼくの編集的世界観や知的なパースペクティブをノーテーションしておきたかっただけだった。序の「誰も書かなかったシナリオ」に続いて「生物の国家」「追憶の国家」から「結界の国家「契約の国家」「論理の国家」などをへて「内側の国家」「無名の国家」に及ぶという12のステートを、親コード・子コード・孫コードによって示したものだった。
 その後、これを30年後に『目次論』に発展させ、イシス編集学校の「離」のみで配信することにした。その「離」も10期をへたので、「離」の学衆諸君とともにそのつど『目次録』の改修を試みた。現状は次のようになっている。
 01物質の国家、02生命の国家、03環境の国家、04記号の国家、05追憶の国家、06結界の国家、07相伝の国家、08契約の国家、09論証の国家、10機械の国家、11浪漫の国家、12技芸の国家、13階級の国家、14資本の国家、15情報の国家、16心身の国家、17代償の国家、18自由の国家、19無名の国家、99方法の国家。
 これらも親・子・孫の3段階に構成されているのだが、それぞれが30〜80項目を構成する孫項目には、項目ごとに10冊前後のキーブックがぶらさがるようになっている。つまり「目次の目次の目次」を、ぼくなりの構想にもとづいてメタデータ化するマザープログラムになったのだ。ただし、まだ工事中である。

知の秩序⑩「遊」1011号に発表された「国家論インデックス」
歴史上の国家の生成を目録で表したもの。「生物の国家」から発生し、「記憶の国家」「契約の国家」「観念の国家」「浪漫の国家」「機械の国家」「階級の国家」「情報の国家」をへて「無名の国家」に向かっていく。全12部仕立て、各部が12〜15章、その中が12〜16節で編成されている。

 電子図書館を構想してもみた。これは千夜千冊を日々書いているうちに思いついたもので、ハンス・ジェニングス(248夜)の「パンディモニアム」、オトレの「ムンダネウム」、ヴァルター・ベンヤミン(908夜)の「パサージュ」、フランセス・イェイツ(417夜)の「世界劇場」、パウル・クレー(1035夜)の「造形思考」、杉浦康平(981夜)の「イメージマップ」、高山宏(442夜)の「ピクチャレスク大学図書館構想」などなどに刺激をもらっているうちに、ひらめいた。
 一言でいえば「本棚による街」をつくってみたかったのだ。半年ほど少しずつドローイングをしていって、2002年の正月にプロトタイプが仕上がった。「図書街」(略称NOAH)と名付けた。ヴァーチャル・ライブラリーだからいくらでも本を収容することができるのだが、ざっと“実測”してみたところ、リアルにするには東京ドーム8杯ぶん、約800万冊ほどを配置した“本の街”になった。
 2年後、通産省おかかえのNICT(情報通信機構・長尾真理事長)がプロトタイプの電子化の開発費用を引き受けてくれたので、北大・京大・慶大・編集工学研究所が共同で制作に当たった。田中譲・金子郁容・土佐尚子・太田剛が大活躍してくれた。

図書街
テーマに沿って書物が並ぶ本棚が形状をともなうバーチャルな建物となり、さらに別のテーマと道路でつながり、やがては「本の街」となる。

セクションペーパーを広げ「図書街」の構想マップをドローイングする松岡正剛

「超近大プロジェクト」(2020年完成予定)
近畿大学は大学創立100周年に向け、大規模なキャンパス整備を計画している。編集工学研究所は、文理融合と実学と編集工学をミックスさせた街のようなハイパーリブラリア・スペースを企画中。

 こういう試みをぼくも欠かしてはいないのだが、それが「知の秩序化」になってはならないとも思っている。「知」はもはや秩序を求めてはいない。多様で複雑な生態系になりつつあるだけなのである。だから、新たな図書分類もそういう“動的平衡”をめざしたほうがいい。
 一方、ぼくはネットが「無秩序」になっていくとも見ていない。ネットもしだいに独特の編集が加えられていくはずだ。オハイオ大学から発したOCLC(Online Computer Library Center)を筆頭とする書誌情報の電子ネットワーク化も、どんどん進むだろう。日本でも学術情報センター(NACSIS)がインターネット・バックボーン(SINET)などで強化を計っている。ぼくは利用しないけれど、電子書籍の進展もあろう。OPACのようにすでに使い勝手が悪いものさえ出回った。
 とはいえ、リアルな市場の現場ではいまもってどのようにコンテンツやメッセージを並べておけばいいのか、こちらはこちらでみんなが迷ったままにある。この苦境は見ていられない。
 おそらく大学図書館にも公共図書館にも、おっつけ人工知能やディープラーニングが必要になってくるはずなのである。そのためには、認知科学も編集工学も必要だ。ぼくの目が悪くならないうちに、新たな打開のためになんらかの寄与してあげたいという気分になっている。

⊕ 『インターネットはいかに知の秩序を変えるか? – デジタルの無秩序がもつ力』 ⊕

 ∈ 著者:デビッド・ワインバーガー
 ∈ 訳者:柏野零
 ∈ 発行所:エナジクス株式会社
 ∈ 発行者:山本千津子
 ∈ 印刷・製本:株式会社シナノ
 ∈ 装幀:さくらデザイン事務所
 ⊂ 2008年3月28日 初版発行

⊗目次情報⊗

 ∈∈ プロローグ
 ∈ 1 整理の新段階
 ∈ 2 アルファベット順とその不満
 ∈ 3 知識の地形図
 ∈ 4 まとめと分割
 ∈ 5 ジャングルの掟
 ∈ 6 賢い葉っぱ
 ∈ 7 社会として知ること
 ∈ 8 無が伝えること
 ∈ 9 美徳としての無秩序
 ∈ 10 知識の仕事
 ∈∈ 終章 – 雑

⊗ 著者略歴 ⊗

デビッド・ワインバーガー(David Weinberger)
ハーバード大学法科大学院バークマンセンター・フェロー。哲学博士。ボストン在住。マーケティング・コンサルタントとしてフォーチュン500にリストされる大企業やベンチャー企業へのコンサルティング業務を行う。Wired、USA Today等に頻繁に寄稿。主な著書に「これまでのビジネスのやり方は終わりだ―あなたの会社を絶滅恐竜にしない95の法則」 (共著;日本経済新聞社)、「Small Pieces Loosely Joined」がある。