フランセス・イエイツ
世界劇場
晶文社 1978
Frances A. Yates
Theatre of The World 1969
[訳]藤田実

 いまではジョン・ディーやロバート・フラッドのことを知らないまま、エリザベス朝の文化やシェイクスピア時代の演劇を議論することができないことは誰もが知っているだろうが、フランシス・イエイツが一連の研究書を発表するまでは、そんなことはごく一部の好事家か、神秘主義に取り憑かれている者の戯言だとおもわれていた(ちなみに本訳書はフランセスと表記しているが、ぼくはフランシスとしておきたい)。
 その一連の研究書というのは、『ジョルダーノ・ブルーノとヘルメス的伝統』『記憶術』、そして本書『世界劇場』だった。
 このあともイエイツは魔術的ルネサンスと宇宙的エリザベス朝の研究を続け、その一冊ずつが瞠目すべき成果をあげたので、ここで初期の3冊だけを、ましてや『世界劇場』だけをとりあげるのはしごく勿体ないことであるけれど、本書一冊だけでも存分にイエイツの真骨頂は発揮されているので、以下はそのおもいきった紹介に努めたい。

 「おもいきった紹介」と書いたのには、多少の理由がある。ぼくがフランシス・イエイツに会いに行った最初の日本人らしいからである。
 そのときロンドン大学のワールブルグ研究所別室にいたイエイツ女史は、ぼくと村田恵子とをしっかりと見て、「ねえ、ゆっくり話しましょうよ」と言って自宅に招いてくれた。すでに80歳をこえた上品なおばあさんになってはいたが、シェイクスピアの世界劇場と世阿弥の能舞台との関連について、とりわけその音響的空間性についての話になると、すぐさま魔法使いのおばあさんのように眼を輝かせ、その場で東西の文化の探求をはじめたものだった。
 その、白髪をときどき掻きあげながら、まっすぐぼくの眼を見つめて喋る口調には、まさにイエイツ女史が研究書で駆使してきた幾多の"推理力のエンジン"というもの、"判断力のドライヴ"とでもいうものが生きていた。
 ぼくは、その過日の雰囲気のもとでのイエイツの口調を、以下にもちこんでみようというのである。では、どうぞ。こんな感じなのである。

 まずなんといっても、1570年にユークリッドの『原論』が英訳されたことが大きかったのです。ヘンリー・ビリングズリーの訳、序文をジョン・ディーが書いたのね。
 この序文は、それから35年たってフランシス・ベーコンが書いた『学問の進歩』より、ずっとずっと重要な意味をもっています。ベーコンが数学を評価できなかったのに対して、ディーは数学を究めることこそが科学と文化のあらゆる発展にとって意義のあることを見抜いていたからです。
 でも、ディーがのちのち怪しい人物だとみなされたのにも理由があります。それはディーに『ジョン・ディー博士と、聖霊との間に多年にわたり起りたる事の真なして忠実なる物語』という、とても奇怪な著書があるためね。これはカバラ的な数秘術で天使を呼び出そうという魂胆の書で、実際にもディーがエドワード・ケリーと試みたことについての本です。
 では、ディーはどうしてすごい数学の序文と神秘的な本の両方を書いたかというと、もとはといえばアグリッパの『隠秘哲学』が原因なの。この本はディーの蔵書目録に何種類も入っているもので、これを読めば、なぜ同一人物が数学者であって魔術家でもありうるかということがわかります。

 それにしてもディーがいかに、ダンテからパラケルススまでの、ルルスからカミッロまでの、ヘルメス学からネオプラトニズムにおよぶ夥しいルネサンスの書物を集めていたか、それはそれは惚れ惚れするくらいです。
 そしてその蔵書の中に、かのヴィトルヴィウスの傑作『建築書』があったのね。私がそれを発見したんです。すでにヴィトルヴィウスの驚くべき比例的世界観はアルベルティやデューラーらのルネサンス人によって"復活"されていたのですが、それはイギリスには届かなかったのね。当時のイギリスという国は建築や美術ではとても地方的な沈滞したところで、あのエリザベス女王ですら、大きな宮殿や庭園をまったく造らなかったでしょう? そこにディーが現れたんです。
 ディーが『原論』でヴィトルヴィウスを紹介し、世界の記憶が数学的比例性によって構築される可能性を示してから6年後、この世界劇場の構想に影響をうけたジェームズ・バベッジがショアディッジに木造の「劇場座」を建てるんです。ね、ディーがいかにエリザベス朝の空間沈滞を破ったか、おわかりでしょう。
 でも、話を急いではいけません。ロンドンに「地球座」をはじめとする世界劇場が林立するには、もう二人の人物の関与を見ておく必要があるのです。一人はロバート・フラッド、もう一人はイニゴー・ジョーンズです。

 ジョン・ディーは1608年に亡くなります。レスター伯ロバートの紹介でエリザベス女王の側近になって、それから外国へ行くのですが、晩年は不幸だったようね。
 このディーの世界観を引き継いだのが偉大なロバート・フラッドね。フラッドもヘルメス学やカバラに夢中になった人で、ロンドンではパラケルススふうの医者も開業しています。薔薇十字団員だともいわれていますが、なぜかフラッドは否定しています。
 いずれにしてもフラッドはディーの著作に出会って大きく変わります。その影響が溢れるほど盛りこまれたのが、何度見ても見飽きない『両宇宙誌』ですね。ジェームズ1世に捧げられました。
 この大著はそれはそれはヴィトルヴィウス的で、しかもディー的な主題の大半を継承し、発展させています。両宇宙というのはマクロコスモスの宇宙とミクロコスモスの人間ということね。
 フラッドはこの両宇宙の双方ともが「技術誌」をもっているという考えで、その両者にヴィトルヴィウス的な比例関係があると見ました。そうやって構想したのが「音楽の殿堂」ですね。とてもすばらしいものです。
 私は、この「音楽の殿堂」が次の時代の世界劇場ブームを先駆けたと思っています。

 一方、少年時代に指物師の修行をしたイニゴー・ジョーンズは、フラッドとはほぼ同世代の、一言でいえば意匠設計家ですね。デザイナー。海外旅行もたくさんしています。機械技術や空間設計にも関心をもっていたようで、そこがディーやフラッドの技術誌的世界と結びつきます。
 こうしたジョーンズの体験と関心がジェームズ1世の宮廷で仮面劇の演出に携わったことで、一挙に開花します。ジョーンズは機械技術を奇跡的な演出効果に使ったんですね。それとともに劇場空間のありかたを革新するんです。そのとき、さっきのフラッドの「音楽の殿堂」が新しい姿で"実現"していくんです。
 ほら、ジョーンズが描いた1610年の仮面劇『妖精王オペロン』の宮殿場面のスケッチがあるでしょう、あれはまさしくフラッドの殿堂ですよ。
 ですからね。ディー、フラッド、ジョーンズの3人はいわば「パンソフィ」(万有学)を地上で実現しようとしていたということなのです。そういうふうに考えるべきですね。それがユークリッドの幾何学とヴィトルヴィウスの建築学によって可能になりました。パラディオがフィレンツェやヴェネティアで試みようとしたことが、ロンドンで別の形で開花したんです。そしてその試みが、テムズ河畔の世界劇場になっていくんです。

 実はそのころのロンドンには、同時代の他のヨーロッパの都市には見られないひとつの特徴があったのね。それはパブリック・シアター(公衆劇場)がたくさんあったということです。
 そこへ1576年にバベッジの劇場座(ザ・シアター)ができて、ついでカーテン座、薔薇座、白鳥座とできて、そして1599年にピーター・ストリートによって地球座(ザ・グローブ)がバンクサイドに出現します。みなさんよく御存知のシェイクスピアが座員だったロード・チェンバレン一座の劇場ですね。
 ここに、イニゴー・ジョーンズが記憶術をいかして発案した「ピクチャー・ステージ」(絵画的舞台性)と「パースペクティブ・シーン」(遠近的場面性)が導入されるんです。
 けれども、そのようにジョーンズの成果をまとめるのはまだまだ表面的な見方なの。私はその舞台構造にはフラッドの記憶術が二つ組合わさって投影されていると考えました。ひとつは方形術(アルス・クアドラータ)、もうひとつは円形術(アルス・ロトゥンダ)です。方形と円形にさまざまな象徴的なポイントやアドレスを潜ませておいて、それを記憶の再生に、すなわちドラマの展開に投影させるというものです。
 実はジョーンズはストーンヘンジの研究者でもあったんですよ。なんだかいろいろな暗合を感じるところです。ねえ、世阿弥だって3本の松や目付柱やシテ柱をそのように使ったはずですね。シェイクスピア時代の劇場では、そこに天体の動向図を使いました。そして、能舞台がそうであるように、舞台の床下にはいくつもの共鳴箱が埋めこまれたんです。なんと、すばらしいことでしょう。

参考¶ぼくが会ったころのフランシス・イエイツは週に1度ロンドン大学に所属していたワールブルグ研究所に通う名誉研究員だったが、死ぬまで通うのだと言っていた。イエイツにとってアビ・ワールブルグとの出会いは決定的で、多くの研究者がパノフスキーばりのイコノロジーに向かっていったなか、若きイエイツはジョルダーノ・ブルーノに対する関心をきっかけに、ルネサンスにひそむ精神史の研究に没入していった。その著作は次のものが翻訳済である。
『記憶術』(水声社)、『薔薇十字の覚醒』(工作舎)、『星の処女神とガリアのヘラクレス』(東海出版社)、『ヴァロワ・タピスリーの謎』(平凡社)、『魔術的ルネサンス』(晶文社)。

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